魔女狩りという名の世紀末 Witch hunting in the mad world.

今からおよそ5年前、話題になった事件です。

ナイジェリア南東部のアクワ・イボム州で、子どもや女性が“牧師”ら宗教関係者から災厄をもたらす魔女と名指しされ、虐待されたり村から追放されたり、最悪の場合は殺害されたりする事件が頻発しているそうです。―8月26日11時18分配信 CNN.co.jpから

村に何らかの災厄があると、牧師は親達の無知につけこみ、その子供らに“魔女”の汚名を着せ、残酷なお祓いの儀式を施したりするそうです。上記にリンクした記事にもありますが、要は、無力な子供や女性達への理不尽な虐待に他なりません。まったくもって信じられない話ですが、こうした現象は中世の時代に終わったのではないのですね。この報道から5年経過した今でもきっと、まだまだ表面化していない同種の深刻な人権侵害事件があることでしょう。これと本質を同じくする“魔女狩り”は、廃れるどころか、今なお世界中至る所で名前を変え外観を変えて、行われています。


―わたしが保護して欲しいと願うのは、いたいけな子供たちなのである。…中略…いたいけな子供たちを故意に殺害したり深手を負わせようと企む連中を扱う道は、たった一つしかないと心底から信じている―つまり、そいつらの息の根を止めることだ。―ジョン・ダニング著「女性殺人犯」著者まえがきから抜粋


大胆な言葉ではありますが、私もダニング氏の意見に同調せざるを得ません。なにが魔女祓いだ、笑わせるな。社会を構成する立派な一市民として、申し開きできない罪のひとつである幼児虐待を、巧妙に責任転嫁しているだけ。上記した事件では、牧師と名乗る卑劣漢が金銭欲しさに、社会の中でも最弱者たる子供を餌食にしているとしか思えません。

しかしまあ考えてみれば、このような現象は、こんな極端な形でなくとも、洋の東西を問わずどのような社会でも起こり得ることでもあるでしょう。発展の上限を極めた社会が長年蓄積し続けてきた“ひずみ”が、それを構成する人間たちに大きな心理的プレッシャーを科し、人間はそれに耐えかねて、不満の捌け口を弱者に向けてしまう。力の弱い者が犠牲になる事件が日増しに増えているのは、世界共通の現象なのです。
異性とまともな関係を築けない男が小さな子供を、あるいは、親が年端もゆかぬわが子を手にかけたり、子供に爆弾を抱えさせて人混みの中に放り込んだりという事件に、私たちがことさら大きなショックを受けなくなってしまったのは、一体いつ頃からか。弱者を生贄にする暴力があまりに日常化され過ぎ、神経を麻痺されつつある私たちも、今一度冷静さを取り戻して深く反省せねばならんですね。

こんな事件を目にするたびに、やり場のない怒りで気分が悪くなります。くだんの町では、地元の児童保護NGOの方々が、魔女と名指しされて故郷にいられなくなった子供たちを多数保護しているそうですが、根本的な解決策は見出せていません。結局、“お前は魔女だ”と宣告されれば、それは死刑執行を意味することになるわけで。狭いコミュニティ内に一度噴出した排他的集団ヒステリーが、そう簡単に治まらないであろうことも予想できます。

“罪を憎んで人を憎まず”とはよく引用される言葉です。一度足を踏み外した人間でも、立ち直れる、変われる可能性を摘み取ってはいけない。この言葉の言わんとする所はよく理解できます。しかし、数多くの“無辜の民”が集まって巨大な集団を形成した時、上記したような集団ヒステリーが起こったとしたら?次に起こることは容易く予想できますよね。世界中で蠢く緊張状態は、社会内にフラストレーションを蓄積していきます。それが一気に爆発したとき、人間はどのような醜い本性をさらけ出すのか。その疑問に対する答えは、既に私たちの眼前で実体化しつつあるような気がします…。


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