匂いと記憶―「パフューム ある人殺しの物語」

パリの街は臭い(大笑)。

そりゃそうだろう、だって工場からは毎日ひっきりなしに有害な煙が噴き出してるし、狭い道路をすっ飛ばすように走ってゆく車は、燃費の悪そうな排気ガスを撒き散らしている。おまけにアレだ、建物内での喫煙が法律で禁止されて以降、路上喫煙する輩が爆発的に増えているのだし。排気ガスの臭い、光化学スモッグの臭い、タバコの煙の臭い、極めつけは、道路上に打ち捨てられる犬のウンチの臭いとくる。これで芳しい匂いを望む方が間違っている。
しかし、“匂い”という感覚は一種特殊なものであり、実は大脳の司る重要な作用“記憶”と密接な関係を持っている。とすると、私の1年間のパリの記憶は、終生この“臭い”と共に脳裏に甦ることになるのであろうか。それは堪らないな(笑)。


「パフューム ある人殺しの物語(PERFUME: THE STORY OF A MURDERER)」

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社会の最下層で、誰にも省みられることなく、それこそ魚のはらわたの山の上にひっそりと産み落とされた男グルヌイユ(フランス語で蛙の意味)。自身の匂いを持たぬ彼は、数キロ先の香りでも嗅ぎ分ける驚異の嗅覚を持つ人間であった。その特異体質を利用して、自らのアイデンティティを“至高の香り”造りで証明しようと、まい進するグルヌイユ。彼はそうすることで、今の悲惨な境遇から脱け出し、誰かに“記憶される”ことをひたすら求めたのだ。匂いは記憶と密接な関係を持つ。なんの体臭も持たぬグルヌイユは、つまり大勢の人間の中にいようとも、誰にも気付かれない幽霊のような存在であるといえるのだ。だからこそ、彼は“匂い”に執着した。
パリに出るチャンスを得たグルヌイユは、調香師として様々な技法を学び、めきめきと頭角を現す。ある日出会った赤毛の少女の纏う、類稀なる至高の香りを再現するために。やがてグラースへ趣いた彼は、運命の美少女ローラと出会うことで、再び至高の香りへの執着を強くする。至高の香りとはすなわち、生きた美しき処女の匂いを封じ込めた香水のことだ。それを完成するには、生きたままの少女を、どこかから調達する必要がある。“香り”の完成をこそ己の使命とまで思いつめたグルヌイユは、格別罪の意識もなく、夜な夜な街中の少女を手にかけるようになる。髪を剃りあげられた全裸の姿で発見される少女の遺体。グラースの街は、姿なき殺人鬼に怯えるようになる。ローラの父親で裕福な商人であるリシは、亡き妻の忘れ形見である娘を守ろうと、街を出る決意を固めた。ローラとリシは、密かに彼女をつけ狙うグルヌイユの執着の手から逃れられるのか。


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「パフューム ある人殺しの物語」は、強烈な臭いに満ち満ちていただろう時代のヨーロッパを舞台にした、“香り”を巡る寓話である。映画公開当時は、神経質な作家パトリック・ジュースキントによる原作小説を、かなりの部分忠実に映像化した作品として大評判を呼んだ。

今作を絶賛する声が世間を席巻する中、当然それ以上に反発の声もあったわけだが、はじめにお断りしておくと、私自身は今作に対して格別激しい意見は持たない。

今作は、今までになかったタイプの怪作であり、メガホンをとったトム・ティクヴァ監督の、クライマックスへ向けての観客を引っ張る演出力はたいしたものだと思う。主人公グルヌイユが今まさに処刑台に上がらんとする瞬間から、過去へ過去へと走馬灯が巡るごとく、時間をさかのぼって語られていくある1人の男の物語が、まさかあのような形で終わりを迎えるとは、大抵の観客は予想もしなかったに違いない。“どんでん返し”などといった安っぽい〆ではない。濃密な映像でもって、緊迫感たっぷりに描かれてきた猟奇的な物語が、“ハッピーエンド”に収束するところ…人間の存在意義であるとか、贖罪であるとか、そういった付随する哲学的思考を全てすっ飛ばしてまで、このラストに強引に“戻っていく”ところ…こそ、今作の最大の美点であろうと感心する。“無”から生まれた人間が、“無”に還る。これは、ひょっとしたら、作品全体に散りばめられる“キリスト教的思想”とは異なり、本当のところ全く別の思想をベースにしたお話なのかもしれない。このストーリーの流れはとにかく圧巻であり、素晴らしいの一言に尽きる。

また、“匂い”いや “臭い”を映像にするという難題をクリアして見せたカメラマン、フランク・グリーベの手腕はもっと評価されていい。具体的な映像描写で匂いを再現するだけでなく、少女の肌の質感、じっとりとした汗のネバつき、屍体から漂う妖気と甘やかな官能の香り…といったものまでを観客に伝えた、グルヌイユに負けるとも劣らない“対象物への執着”に脱帽だ。この世のものではない “至高の香り”を再現することでしか自我を確認できない、哀れな男を怪演したベン・ウィショーにも惜しみない拍手を。

ごくごく簡単に、“とても面白かった”と済ませてしまっては、まあ語弊があるだろうな(苦笑)。今作は、“人間の本質”なるものを描くため、殊更エログロナンセンスを強調した寓話を、絶妙のさじ加減で映像にまとめた良作である。真面目一辺倒に描けば相当血なまぐさく、かつヘヴィーになってしまうところを、適度なコミカル・センスを差し挟みつつ、本筋とは関係ないサイドストーリーに至るまで鮮やかな色彩を展開することで、ギリギリのラインでエンターテイメント作品に仕立ててみせた。そんなわけで、優れた映画であることは充分に理解できるものの、しかしそれ以上の感慨は私には持てない。もし誰かに、“これは映画史に残る作品か?”と問われれば、私は“それは違う”と答えるだろう。世界には、今作よりもっと観る者の“負の感情”を揺さぶり、魂を震わせる映画はたくさんある。

ヨーロッパのお話であるのに英語の台詞が飛び交う違和感に、どうしても慣れないせいだというのもある。それから、ナレーションで全てを説明してしまう演出は好きになれない。これは私の個人的な見解だが、ナレーションは一切廃した方が良かっただろう。あの映像には必要ない。そして、実は私自身が最も驚いたのは、例の至高の香りに惑わされた民衆の一斉性愛行動ではなく(あれは今作における最高の見せ場だろうが、最高の笑いどころでもある)、思ったほど映画全体の描写がおとなしかったことなのだ。この作品をご覧になった方の中には、“え~、あんなにグロい絵が続くのに~?”と思われる向きもあるだろうが、いやいや、とってもお上品な方だと思う(笑)。個人的には、もっとハッちゃけたすさまじい映像を予期していただけに、なんとなく肩透かしをくらってしまった感じである。

“人に記憶されたい”つまりは“自分の存在を確認したい”と懇願した、何物も持たぬ哀れな男グルヌイユは、ラスト、望みうる最高の形で人々の記憶の中に残っていった。これは史上稀に見るハッピーエンドを描いた映画でもあったのだ。グルヌイユは、現実にこの世に存在する人間ではない。現実には“ありえない”存在なのだ。だから、彼はこの世での自分の使命を全うすると(人々の本質を香りによって明らかにすること)、あのような形で姿を消し、帰るべき場所へ旅立った。どこへ?決まっている、我々が“神”と呼ぶ者の待つところへだ。


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