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zoom RSS 悲しみの処方箋―「悲しい本 Sad Book」

<<   作成日時 : 2018/01/09 22:26   >>

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特に訃報に敏感になっていなくとも、同じ時代の空気を吸った人々が、次から次へと天に召されていくことに戦慄を覚えている人は多いはず。

今は、私達が上の世代の人たちを見送っていますが、次は私達が下の世代に見送られることになります。こうやって、命のリレーバトンは順番に受け渡されていくものですが…。

いくら、あらかじめ定められた順序であっても、人が喪失の痛手から立ち直るには、長い長い時間がかかります。人の身体には、自己治癒能力というものがありますが、こと、魂の傷に関しては、それは心もとないほどの効果しかないように思われますね。では、次にご紹介する絵本の主人公『私』は、どうやって喪失の悲しみと対峙したのでしょうか。


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あかね書房
マイケル・ローゼン

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「悲しい本 Sad Book」
マイケル・ローゼン Michael Rosen:作、クエンティン・ブレイク Quentin Blake:絵 谷川俊太郎:訳
(あかね書房刊行)

これは私の似顔絵…。笑っているように見えるが、実は悲しんでいる私だ。幸せそうなふりをしているにすぎない。

私は一人息子のエディを失ってしまった。とても愛していたのに、彼は逝ってしまった。ときに腹が立つほど悲しいのだ。
「よくもそんなふうに死ねたものだね?私をこんなに悲しませて」

悲しみを誰かに洗いざらい打ち明けたいことがある。たとえば私のママに。誰にもなにも話したくないこともある。なぜなら、これは私の悲しみだから。
でもときに悲しくてむちゃをすることもある。大声で叫んだり、スプーンでテーブルをたたいたり…。
また、なぜ悲しいのかわからないこともある。エディの死やママの死のせいではない。ただただ悲しいのだ。
だから、あまり苦しまずに悲しみをやり過ごす方法をずっと探してきた。たとえば、悲しいのは私だけじゃないと言い聞かせてみるとか。毎日、なにかひとつ、楽しいことや得意なことをやってみるとか。そして、悲しみについて書いてみるとか…。悲しみはどこにあり、いつやってくるのか。そして、それはなんなのか。

画像

悲しみはそこ
深くて暗い
ベッドの下の
からっぽのそこ
悲しみはそこ
高くてくらくらする
空のように
頭の上
深くて暗いと
こわくて行けない
高くてくらくらすると
息が苦しい

つまり私は消えうせてしまいたい。

しかし、私はいろいろなものを見つめていることもある。窓辺にいる人々、電車の中のひとたち。雨の日のママや、笑っているエディを思い出す。子供のころのエディ。誕生日を迎えたエディ。
私はあらゆる人に訪れる誕生日が大好きだ。“誕生日おめでとう”の言葉が。
そしてロウソクの炎に映し出される家族の笑顔。誕生日にはロウソクがなくてはね。

エディの写真を前に、1本のロウソクに火を灯す私―私の表情は、今あなたの目にどんな風に映っているのだろうか。


この作品の『私』のように、大きな喪失を経験しなくとも、人は誰しも悲しみに捕らわれることがあります。子供から大人へと成長する過程で、失くしていったものがたくさんあることに思い当たることでしょう。考えてみれば、人が成長すること自体が、多くの悲しみの上に成り立っているのでしょうね。また、喪失がもたらす悲しみは、喪失そのものだけでなく、それによって自分の人生が前とは変わってしまうことでもあります。つまり悲しみというのは、澱のように心の中にたまっていき、完全に駆逐されることのないものなのでしょう。
ですから人は、生きていく上で、悲しみと折り合いをつけるようになります。たとえば、楽しいことをしたり、他の人を愛したり、酒を飲んで紛らわしたり、とことん自分の内面と向き合ったり。つまるところ、悲しみに処方箋はないわけです。

でも、作品の最後のシーン―ロウソクの炎に照らされる顔―は、ひとつの希望を示していると思います。
炎に象徴される誕生日つまり新しい生命の誕生が、人の悲しみを補って余りあるものだということ。人は新たな生命の誕生によって前進する力を与えられるのです。その生命とは、自分の子供に限ったことでなく、毎日、地球上のどこかで生まれているに違いないたくさんの命。喪ったものは帰ってきませんが、その代わりにあちこちで新たな生命が産声をあげています。それを無意識のうちに感じることで、人は本来埋めようのない喪失感を癒していくのかもしれません。

クェンティン・ブレイクの筆になる、色彩を廃した陰鬱な水墨画のような挿絵は、底知れない絶望を抱えた男の内面を雄弁に物語っています。愛する息子を亡くすという喪失感が、そのぼさぼさの髪に、落ち窪んだ眼窩に、髭ぼうぼうのやつれ果て顔に滲み出るかのようです。どこまでも冷ややかな呻吟が繰り返されるマイケル・ローゼンのテキストも、時にシニカルで時にどうしようもなく哀しく自嘲的。『私』が最後の最後にどう感じたのかをあえて明かさぬことで、その解答を全ての読者の胸に問いかけているようにも思えます。


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