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zoom RSS おっさん臭さと汗臭さ― 「最後の追跡 Hell or High Water」(2016年).

<<   作成日時 : 2017/05/28 19:00   >>

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"俺は生まれてからずっと貧乏だった。貧困はまるで病気だ。祖父から父親へそして俺に受け継がれてきた病だ。だが息子たちは大丈夫だ。これ以上病を受け継ぐことはない。 I've been poor my whole life, like a disease passing from generation to generation. But not my boys, not anymore."

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「最後の追跡 Hell or High Water」(Netflixオリジナル作品)(2016年)
監督:デヴィッド・マッケンジー David Mackenzie
製作:ピーター・バーグ Peter Berg &シドニー・キンメル&カーラ・ハッケン&ジュリー・ヨーン
脚本:テイラー・シェリダン Taylor Sheridan
撮影:ジャイルズ・ナットジェンズ
編集:ジェイク・ロバーツ
音楽:ニック・ケイヴ Nick Cave &ウォーレン・エリス Warren Ellis
出演:ジェフ・ブリッジス Jeff Bridges(マーカス・ハミルトン保安官)
クリス・パイン Chris Pine(弟トビー・ハワード)
ベン・フォスター Ben Foster(兄タナー・ハワード)
ギル・バーミンガム Gil Birmingham(アルバート・パーカー保安官補)他。

テキサスの大自然はいまだに信じられないほど美しい。雄大で手つかずのそれは、人間の卑小さを思い知るには最適の情景だろう。だが悲しいことに、人間の暮らすテキサスは末端から枯れ始めて久しい。資本主義がアメリカを真っ二つに引き裂いてしまった。金持ち連中は貧乏人どもの血を一滴残らず吸い上げて増々肥え太り、貧乏人はカラカラに干からびて飢え死にするか、体力が残っているうちに頭をライフルで撃ち抜くかしかないのだ。テキサスに暮らす善き人々の大半は、どちらかというと後者に属している。嘘だと思うなら、テキサスの道を車で走ってみるといい。道路脇のあちこちに“借金返済はこちらで”という大きな看板が立てられ、寂れた町の中に入れば、“イラクに3回も行ったのに支給はなし”と壁に落書きされた建物が、文字通りうち捨てられている。銀行には警報装置も防犯装置もなく、閑散としている。なぜなら、金を借りに来る者はいても預けに来る者はないからだ。テキサスでは自然の雄大さに根負けした人間たちが、地を這うように辛うじて息をしていた。

トビー・ハワードと兄のタナー・ハワードは、そんなテキサスの末端の寂れた牧場で生まれ育った。彼らが育った牧場は、“牧場”といえば聞こえは良いが、それを維持・経営していくためにかかるコストと手間に反し、採算など全く取れていない酷い有り様であった。どんどん減っていく家畜、残った家畜もやせ細っていく。妻子持ちのトビーは、彼らを養うために懸命に働いたが、火の車の牧場経営はいつ破たんしてもおかしくなかった。

不良息子のタナーは、極貧の暮らしが続いて荒れた父親を納屋で射殺し、ム所入りした。トビーの妻は子供を連れて家を出た。心労から母親が倒れ、そのまま介護なしでは生きられない状態になってしまった。トビーはたった1人で広大な牧場に取り残され、それでも懸命に母親の介護を続けたが、世話するものを失った牧場はその間にさらに荒れ果ててしまった。母親が倒れる前にミッドランズ銀行と交わした悪辣な契約により、ハワード家の牧場は間近に迫った期日までに金を払わなければ、銀行に抵当として差し押さえられる運命に。ミッドランズ銀行が悪質な契約を母親に迫った理由は明白だ。ハワード牧場がある一帯から石油が出ることが分かったからだ。銀行はこの土地一帯を買い占め、石油で大儲けしようと企んでいたわけだ。

母親の葬儀を済ませると、トビーは兄の出所を待って以前から練っていた計画を実行に移そうとしていた。皮肉なことに、代々受け継いできた牧場経営をなんとかして立て直そうとしていた時には、幸運など一かけらもなかったのに、それを諦めた時に石油という予想外の運が転がり込んできたのだ。銀行に支払わねばならない金は、逆さに振っても出てこない。だが、将来莫大な利益を上げるに違いないこの牧場を今手放すわけにはいかない。ではどうするか。どこかから金を持ってこなければならない。

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トビーは、借金返済期限までに必要額を手に入れ、なおかつその金を警察に追跡されない方法を考え抜き、タナーに協力を請うた。なにしろタナーは“その道”ではプロだったからだ。

目出し帽を被り、銃を手に取ったはいいが、目出し帽越しにもトビーの腰が完全に引けているのは丸わかりだ。借金と牧場と家族の世話に追われ、トビーは犯罪に関わる暇なぞなかったのだ。しかしタナーの方は、銀行強盗をはじめ数々の犯罪に手を出し、ム所に入ったり出たりを繰り返している。独り者で衝動の赴くまま、好き勝手に生きてきた。家族と呼べる人間は弟のトビーのみ。そのトビーの頼みとあらば、例えド素人の彼が足手纏いになろうとも、一緒に銀行を襲ってやることぐらい朝飯前だった。

タナーとトビーは、怪我人を出さないよう、また自分たちが襲う銀行にとってもさほど負担にならない程度の少額を、通し番号がついていないバラの札でのみ奪っていった。それは自分たちの負うリスクを必要最小限度に抑えるためでもあった。面倒でも、大きい銀行は狙わない。規模がでかくなれば当然警備も手厚くなり、素人の自分たちでは歯が立たなくなるからだ。なにも強盗で億万長者になりたいわけではない。必要な額だけ貯まればそれでよいのだ。それでも、銃で人を脅して金を出させる行為は、慎重な発案者たるトビーをして震え上がらせるに充分なハイ・リスキーな賭けであった。むやみに人を傷つけようとする兄を責めながら、トビー自身も人質が持っていた銃を当人の傍に置きっぱなしにするという初歩的なミスを犯した。銃の持ち主はすぐさま銃をとって反撃し、もう少しで兄弟たちに弾が当たるところだったのだ。車に戻っても、トビーは生まれて初めて手を染めた犯罪に放心状態。だが、いつもいつもビビっているわけでもない。ガソリンスタンドで兄に絡んできたチンピラを思わずボコボコにする男気は、もちろん持ち合わせていた。

一方、兄弟が最初に襲ったミッドランズ銀行に呼び出されたベテランのテキサス・レンジャー、マーカス・ハミルトンは、彼の長年の相棒で、先住民の血を引くアルベルト・パーカーにこの犯行を分析してみせた。やけに素人臭い手口に見えるが、店の防犯カメラには一切姿を映していないこと、通し番号を避けてバラの札しか盗んでいないこと、やけに中途半端な少額のみを盗んでいったことから、決してヤク中の若者がドラッグを買う金欲しさに行った行き当たりばったりの犯行ではないだろうと。おそらく犯人には“目標金額”があり、それが達成されるまではどこかで再び強盗を働くに違いない。

命からがら(少なくともトビーはそう感じている)逃げ出した兄弟は、小さなレストランで食事をとった。トビーは久しぶりにまともな食事にありついたお礼に、ウェートレスのジェニー・アンにチップをはずむ。ハンサムなトビーを見てジェニー・アンのサービスも向上したようだ。それに、兄弟で食事するのも久しぶりだ。慎重なトビーもつい気が緩み、心の奥にしまっていた鬱屈を吐き出した。家族と暮らしたいのに子供の養育費を払うことすらできない惨めな状況であること、なんとしてでも目標金額を集めなければもう後がないこと。自分が不在の間にトビーが背負った苦労に思い至ったタナーは、トビーにはトイレに行くと言い置いて自分の思い付きを実行に移した。フットワークの軽さはタナーの売りのひとつだ。
次の標的を襲うまでに車を土の下深くに埋め、新たな車を調達せねばならない。車の線から足がつく前に計画的に動かなければと考えていたトビーは、レストランのすぐ傍にあった銀行で起こった騒ぎを耳にするや反射的に外に出た。すると、両手いっぱいにバラの札を掴んだタナーが走ってきて、さっさと車を出すよう怒鳴る。全く唐突に計画外の盗みを働いた衝動的な兄の行動ブチ切れたトビーだったが、タナーのその発作的な強盗は、滞っていたトビーの息子の養育費にあてるつもりだったと知り、思わず振り上げた拳はそのまま行き場を失う羽目に。

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定年が間近いハミルトンは、毎日飽きることなくからかって遊んでいる相棒パーカーに、いつものように面倒くさい捜査上の手続きをすべて押しつけた。そして、先ほど起こったばかりの銀行強盗現場を検証し、ミッドランズ銀行襲撃事件との共通点を見つけたのである。彼の長年の勘は、これらの強盗が“同一犯”によるものだと告げていた。ハミルトンとパーカーは、銀行を襲った犯人とその連れが、銀行のすぐそばのレストランにいた情報を掴んだ。ハミルトンは、犯人の1人と確信できる男に給仕し、尚且つ彼の顔もはっきり見ていたはずのウェイトレス、ジェニー・アンを尋問し、ジェニーが彼からもらったはずのチップを証拠品として押収すると脅しをかける。通し番号はついていないだろうが、貴重な証拠物件だからだ。しかしジェニーは、大枚200ドルも払ってくれ、朴訥とした人柄がうかがえたトビーをこのいけ好かない爺いに突き出すのはどうしても躊躇われた。それに、彼からもらったチップは大事な生活費の足しだ。従ってジェニーはハミルトンに、娘の学費に充てる予定の金をびた一文も渡すもんかと啖呵を切ったのである。
テキサスの田舎者は本質的に“よそ者”を嫌う。このレストランの客や従業員だけではない。ハミルトンもパーカーもテキサスの人間ではあったが、他の街からやってきた者であるので、結局“よそ者”扱いだ。彼らの捜査に地元の人々が非協力的であるのは予想の範疇だった。ハミルトンはパーカーに、この捜査は長丁場になるだろうし、獲物の先回りをして罠の前で待ち伏せていないと、“狩り”は成功しないと告げた。

トビーはタナーの“余計な仕事”のせいで、犯行に使う車を一回余分に変えないといけないと愚痴る。しかし、揃って資金洗浄のためにカジノに向かった。ここで、盗んだ札を一度チップに交換すれば、次は別の真っ新な札を手に入れられるからだ。カジノを縄張りにしているらしき娼婦が、トビーにすり寄ってきた。タナーは、女がトビーのチップ狙いだと見抜き、さっさと追っ払ってしまう。換金して新たに手に入れた札の一部は、トビーが滞納している息子の養育費に充てることになった。

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兄弟は用心のため、前回の犯行に使った車を土の下深くに埋め、別の中古車店で新たな車を手に入れた。牧場の借金返済期限まで時間があまりなかったが、トビーは妻と息子たちが暮らす家に向かった。母親が亡くなって遺された牧場は信託にして息子たちに譲るつもりであること、そして滞っていた養育費も支払うことを約束したかったのだ。トビーは大学入学を控えている息子と、ビールを飲みながら会話する。これから先、自分について世間でよからぬ噂が立ったとしても、それに惑わされず、自分の進むべき道を進むよう、万感の思いを込めて伝えた。自分のような人生を歩んではいけない、と。トビーの頭の中では、タナー共々逮捕される最悪の結末も想定されていた。しかし、それだけのリスクを負ってでも、牧場を銀行に渡すわけにはいかなかったのだ。

ハミルトンは犯人たちは再度銀行を襲うと想定していた。問題は、彼らが次にどこを狙うのかだ。それをこちらが予め予想するのは不可能ではないが、パーカーには、ハミルトンの“予言”は違うように思われてならなかった。だが口の減らない偏屈爺いがうるさいので、パーカーは彼の言う通りにミッドランズ銀行近くのモーテルに宿をとり、張り込みに付き合うことに。夕暮れ時、銀行が見える場所で2人揃って椅子に腰かけていると、パーカーは、自分たちが銀行強盗の待ち伏せをしている事実に皮肉を感じずにはいられなかった。

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ハミルトンは相変わらず“先住民ネタ”で毒気たっぷりのジョークをパーカーに浴びせてくる。知らない人が見たら嫌がらせだと誤解しかねない、そのハミルトンの悪癖にはすっかり慣れっこのパーカー。白人達は、かつては圧倒的主導権を握っていた土地から、パーカーのご先祖にあたる先住民を追い出したものだが、逆に今では、経済格差による貧困のせいで、白人の方が住み慣れた土地から追い出されようとしている。この現実も後押しし、ハミルトンは間近に迫った引退の日を密かに怖がっていたのだ。ハミルトンには、老後を共に過ごす伴侶も、暇つぶしになる趣味も皆無だ。孤独な彼から唯一の生き甲斐である仕事を奪ってしまったら、彼は路頭に迷ってしまうだろう。パーカーにはそれが痛いほど分かっていた。だから、ハミルトンの毒舌にも黙っているし、時には老後の趣味を探すことを勧めたりもしているが、ハミルトンは聞く耳を持たない。それは、ハミルトン自身がパーカーという存在に甘えているせいでもあるので、パーカーの方も無理強いはしない。

トビーとタナーは次の銀行襲撃に備える。トビーはミッドランズ銀行系列のコールマン支店を狙うつもりで下調べしていたが、低迷する景気のせいで支店が閉鎖するなど、予定が大きく狂ってしまった。トビーは迷うが、もう計画を練り直す時間はない。タナーは、コールマンより規模が大きく、警備も手ごわそうで敬遠していたポスト支店に狙いを定めることを強硬に主張した。規模が大きい銀行なので金もたくさんあり、実入りが良いという目論見もあったからだ。ぶっつけ本番だが、一か八かやるしかない。

ハミルトンは、トビーたちが次に襲撃するだろう銀行を絞り込んだ。これまでの行動傾向から予測すると、おそらく彼らはコールマン支店を狙っていたはずだが、既に閉鎖している。ならば、そこからさほど離れていない場所に位置するポスト支店に向かうはずだ。ハミルトンとパーカーは、ポスト支店近辺を守っている自警団の協力も要請し、ポスト支店に急行する。
一方、トビーとタナーはこれまでの手順通り、不意を衝いて銀行の正面から押し入り、銃で客と行員を脅してバラの札を引き出させていた。これまではそれでよかったが、さすがにポスト支店の警備員はしっかりしていたし、自警団もいた。床に身を伏せるふりをしていた警備員と、銃を携行していた客の1人が、兄弟の目が離れた隙にすかさず発砲してきた。タナーは本能のままに応戦し、その2人を始末。命からがら銀行の外に脱出したトビーとタナーだったが、今度は身構えていた自警団の面々と激しい銃撃戦を展開、トビーが背中を撃たれてしまう。雨あられと銃弾が降り注ぐ中、タナーはトビーを庇いながら自警団とカーチェイスし、マシンガンを乱射して、どうにかこうにか自警団を振り切った。
トビーとタナーは前回同様、車を乗り換えてカジノで金を洗浄するつもりでいたが、追手がすぐそこまで迫っている状態ではそれは不可能だ。地元の保安官もすぐに彼らの居場所を嗅ぎ付けてくるだろう。タナーは、弟の傷に応急措置を施すと、奪った金の洗浄と銀行への返済といった後々の大事な手続き一切を弟に託した。彼なら、知恵を働かせて牧場を守り抜くことができるだろう。トビーがこの場から無事脱出できるまで、タナーは1人で追手の目を引き付け時間稼ぎすることにしたのだ。トビーも兄の決意のほどを悟る。兄弟は、これが今生の別れになるだろうことをお互いに予期しつつ、黙って最後の抱擁を交わした。

ハミルトンとパーカーは地元自警団と合流した。支店の警備員と地元市民の一人が射殺されたことで、自警団も殺気立っている。ハミルトン達の捜査云々はもはや関係なく、犯人を見つけ次第ぶっ殺してやると息巻く者も。ハミルトンは彼らを急き立てて兄弟の後を追う。

タナーは一際派手に銃声を轟かせながら車を飛ばし、自分を追ってくる連中を道路から外れた丘に誘導する。密かに別ルートから脱出したトビーの車に気付かせてはならない。タナーは車を捨て、ライフルを準備して丘の上に陣取り、自警団とハミルトン、パーカーの一団を1人で迎え討つ。追手が低い場所でまごついている間に彼ら目がけて発砲したが、そのうちの1発がなんとパーカーの頭を貫通してしまう。即死した相棒の変わり果てた姿がハミルトンの堪忍袋の緒を切った。

トビーは先を急ぐが、警察とタナーの銃撃戦により道路が封鎖されてしまっていた。トビーの身体中から嫌な汗が噴き出すが、何とか平静を装って検問を突破し、町を抜け出した。

ハミルトンは自警団のライフルをもぎ取ると、尚もしぶとく撃ち返してくるタナーに気付かれぬよう、彼の姿が確認できる死角まで這っていき、チャンスを待った。狩りが成功するか否かは、“その瞬間”を見極められるかどうかにかかっている。タナーが弾を装填するため下を向き、周囲への注意がおろそかになった。その瞬間、ハミルトンのライフルから発射された弾がタナーに命中した。

トビーはミッドランズ銀行に赴き、借金をまとめて返済した。その金が当の銀行から盗まれたものだとも知らず、トビーが大口の信託を作りたい旨を伝えると、頭取は態度を一変し、気味の悪い愛想笑いを浮かべていそいそと手続きを行った。これでハワード家の牧場は正式にトビーの息子のものになった。後は、そこから湧き出る石油をせいぜい高く売りつけて、利益を上げるだけだ。“真相”を知る唯一の人間となったトビーはもちろん、墓までその真相を持っていくつもりだった。兄タナーの死は決して無駄ではなかったのだと思い込むことで、彼の命を犠牲にしたという拭い難い罪悪感に耐えるつもりである。

ハミルトンは定年を迎え、保安官を退職した。だが、長年の習慣はなかなか消えてくれないし、また現役最後の事件で最良の友を死なせてしまったという自責の念が、彼をして“連続銀強盗事件の主犯は誰だったのか?”という疑問への解答を捜させ続けていた。パーカーには妻も大勢の子供もいた。賑やかな大家族に恵まれ、コマンチェ族の血を引いてはいたが、本人は模範的なキリスト教徒であり、なおかつサッカーの大ファンで、殊更先住民意識に囚われていたわけではなかった。パーカーが生きていた頃は、このキリスト教ネタとサッカーネタで本人を散々っぱらイジり倒したものだが、ハミルトンの暴言にもひょいと肩をすくめるだけだった相棒の、あの呆れた表情も今では見ることができない。

往生際悪く、またもや保安官事務所を訪れたハミルトンは、自分の後任になった者にトビーの経歴を洗い直してもらった。ポスト支店の警備員と自警団の1人、それに愛すべきパーカーを撃ち殺し、警察に対して猛然と発砲してきたのは確かにタナーだった。だが強盗犯は2人いたのだ。もう1人はどこへ消えたのだ。タナーのあの様子からして、タナー自身に、全く何の痕跡も残さずに盗んだ金を着服する知恵があるとは到底思えない。それに対して、弟トビーは何の前科もないクリーンな身の上で、学歴も高く、頭も回る。ハミルトンは、トビーこそが一連の犯罪の主犯だと信じて疑わなかった。だが、金を盗まれたはずのミッドランズ銀行も、被害額そのものが大したものではなかったことと、何よりかにより、トビーが今やミッドランズの大口顧客になったため、トビーの金の出所について詮索することを拒否していたのだ。そう、銀行は、多額の金さえ預けておけば、顧客が他所で何をやろうが気にも留めないのだ。

結局分かったのは、トビーの経歴は真っ白で、今はハワード(元)牧場からとれる石油によって、彼らが盗んだ金よりも多くの金を1か月で稼いでいるということだけだった。保安官事務所は、警備員と民間人を殺害した“実行犯”を、強盗の前科も持っていたタナーであったと結論付け、連続強盗事件の捜査を正式に打ち切った。

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ハミルトンはライフルを携行してハワード牧場に向かった。トビーを逮捕したいわけではない。彼はもう保安官ではないし、銀行強盗事件の捜査も打ち切られている。ただ、どうしてもトビー本人の口から答えを聞きたいだけだ。ハミルトンは何もかもを見通したまなざしでトビーの前に立った。それでトビーには、ハミルトンが彼を訪ねてきた理由が伝わっただろう。トビーはトビーで、いつでも撃てるようにライフルの引き金に指をかけたまま、両者は黙って睨みあった。

“今では1か月で稼ぎ出せる大したこともない額の金のために、何故危険を冒して銀行強盗を働いたのか?”


“俺は生まれてからずっと貧乏だった。貧困はまるで病気だ。祖父から父親へそして俺に受け継がれてきた病だ。だが息子たちは大丈夫だ。これ以上病を受け継ぐことはない。 I've been poor my whole life, like a disease passing from generation to generation. But not my boys, not anymore.”

ハミルトンとトビーの間を、張り詰めた緊迫感が厳しく隔てていた。ハミルトンは相棒をトビーとタナーに殺され、トビーの方は兄タナーをハミルトンに殺されていた。お互いがお互いにとっての仇だ。しかし同時に、彼らは彼らだけしか知り得ない秘密を共有した、お互いにとって唯一の“仲間”でもあった。この世で最も憎むべき仇が、この世で唯一、誰にも明かすことのできない自分の苦悩を分かり合える存在でもあるのだ。皮肉なことに。

トビーの元妻と息子たちが帰宅した。彼らは、石油採掘場となったこの牧場で暮らすことになったそうだ。トビー自身は別の家に住んでいる。今は家族の身の安全を守るために毎日牧場に“出勤”し、怪しげな輩が牧場に迷い込まないか見張っているのだそうだ。がやがやとお喋りしながら家の中に入っていった子供たちを見て、ハミルトンはトビーがなぜ危険な賭けに身を投じたかを理解した。全ては子供のためだったのだ。

トビーは口ごもりながらハミルトンに声をかけた。もし大切な人を亡くした喪失感を慰めたいなら、自分の所に来てくれればいつでも話し相手になる、と。ハミルトンは仕事柄、人を撃ったことが何度かある。他者の命を奪う、あるいは自分の身近な者を亡くす経験は、おいそれと咀嚼できることではない。一生かかっても、罪悪感から脱却できない人間もいる。恐らくトビーの方も、兄を亡くした喪失感と、むざむざ死なせた罪悪感に苦しんでいるのだろう。“慰め”が必要なのはトビーの方なのではないか。ハミルトンは静かにトビーに告げた。この罪悪感と喪失感は、彼らがお互いに一生背負い続けねばならないものだ。他の誰にも肩代わりできるものではない。それが、遺された者の支払う代償であり、義務でもある。

いつか、もっと時間が経ったら、ひょっとしたら、ハミルトンとトビーは一緒に酒を酌み交わせるようになるのかもしれない。だが少なくとも今は、その時ではないだろう。ハミルトンはハワード家を去っていった。


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この地味な作品の余韻が、観賞後もずっと意識の片隅に引っかかったまま、一向に消えてくれない。ということは、この作品について何か書け、という神の意思だろうと勝手に解釈した(笑)。いや、映画の神よ、ありがとう。記事を書いていてこんなに面白かったのは久しぶりだった。

テキサスの雄大な自然、遮るものとて何もないまっすぐに伸びる道路、そこを延々と走り続ける車、馬に乗って家畜を追う人々。自然の恩恵にあずかりながら、しかし時には自然の猛威に屈服せざるを得ない生活形態、土地の人々皆が顔見知りで、お互いがお互いをかばい合う相互扶助の精神がいまだに健在なコミュニティー。しかしその一方で、土地の人々も映画の登場人物たちも皆、銃を携帯しているのが当たり前だという、厳然たる銃社会でもある。圧倒される程雄大で、息をのむ程美しい自然の情景とは相容れない、銃による犯罪と殺人。この作品に用いられているこれらのモチーフを見れば、どうしたって、コーエン兄弟による名作「ノー・カントリー No Country For Old Man」と比較したくなるのが人情だが、実際に本編を見れば分かるように、「ノー・カントリー No Country For Old Man」とは全く異なるテーマを内包し、語り口も異なる作品である。

アメリカ経済を襲ったリーマンショックという大打撃により、資本主義の二極化は恐ろしい勢いで加速している。この作品に出てくるような、銀行強盗に手を染めねばならぬほど困窮し、追い詰められてゆく貧困層の人々と、彼らの持っていた土地を吸い取ってどんどん肥え太っていく銀行や大企業のような富裕層の格差は、私たちが想像する以上にえげつないのだと分かる。アメリカ映画では取り上げられる機会の少ない、アメリカの貧困層の生活環境が垣間見えるのが、この「最後の追跡 Hell or High Water」の大きな特徴の1つだ。
保安官ハミルトンとパーカーのコンビが、タナーとトビー兄弟を追跡する途中、野火に追われてやむなく道路を遮る牧場主と家畜の群れに遭遇するシーンがある。これも象徴的なのだが、牧場経営の厳しさがこのシーンでも言及されている。利益を上げることの困難さもさることながら、余計な苦労も絶えないわで、結局牧場の後継者がいなくなってしまったという事情が吐露されるのだ。日本も同じで、社会の根幹をなす第一次産業の農業の基盤が危うくなっているのは、実は憂うべき深刻な事態だ。アメリカ経済の根幹が回復不能な程病んでいる事実が、まるで絵画のように美しく画面に映し出されるテキサスの大自然を背景に炙り出される様は、残酷だとしか言いようがない。

アメリカ資本主義経済の破綻がこの作品の根っこだとしたら、枝葉は、そんな苦しい状況下でもどっこい庶民は生きているという、田舎町らしさがうかがえるユーモラスな描写だろうか。強盗を終えたばかりのトビーにたっぷりはずんでもらったチップを、意地でも警察に渡すもんかいと啖呵を切るママさんウェイトレス、個人的に大笑いしたのが、ハミルトンとパーカーが食事をとるために入ったレストランの、おばあちゃんウェイトレスの応対だ。“この店じゃ、ステーキ(Tボーン・ステーキかしら)以外の料理を頼む奴ぁいないんだよ!”って、わざわざメニューを見る必要がない店だというね(笑)。あとは、犯人逮捕に協力しろと言ってるのに、強盗なんぞ見つけ次第ぶっ殺してやると頭から湯気を吹いてる自警団の面々も、“いかにも”なキャラクターだ。

しかしなんといっても出色は、この作品の幹たる2組の男たちの絆の物語だろう。この作品の主眼は、アメリカン・ドリームの破綻の犠牲者ともいえるトビーとタナー兄弟が、そのアメリカン・ドリームの逆手をとるような、機転の利いた犯罪を決めてしまう痛快さにあるのではないと思う。彼らがやっているのは確かに犯罪だし、法で裁かれにゃならんのは分かっているけれど、観客を、彼らの苦しい境遇に感情移入させ、むしろ犯罪者の側に肩入れしてしまうよう、巧みに誘導していく語り口の鮮やかさだ。しかし一方では、犯罪を追う側である警察組織―ハミルトンとパーカー―のドラマも通り一遍のものでは済ませない。ハミルトンとパーカー、それぞれの背負う人生の複雑さを、アメリカの歴史と絡ませて垣間見せ、それを乗り越えたところで成立している2人の純粋な友情のすばらしさを見せる。また、保守的な地域社会の中で、彼らのようなレンジャーがどのような立場に立たされているのかも浮き彫りになるよう、警察の側のドラマもじっくり描いていくのだ。

その結果、犯罪者側のドラマと彼らを追う警察側のドラマが並行して進んでいくことになり、観客は二者二様の男たちの物語を交互に見つめながら、彼らの運命が悲劇的に交錯してゆく様子を目のあたりにする。この作品をご覧になった方はおそらく、物語が進んでいくほどに、犯罪者側と警察側といった善悪を隔てる境界線が“現実”を前にして脆くも崩れ、善悪のモラルすらどうでもよくなってきたのではないだろうか。実は私も今作を見ていて痛切に感じたのだ、“犯罪を起こす側と追いかける側は、つまるところ同じ穴の狢じゃないのか”と。ハワード兄弟にもにっちもさっちもいかない事情があったのだし、ハミルトンとパーカーの側にも勿論、同情、共感すべき事情が多々ある。片方が正義で、もう一方が悪だと、どうして簡単に色分けできようか?

静かで長閑に見える田舎の日常生活の中で、皆が銃を携帯しているのが当たり前であったり、タナーが衝動で父親を撃ち殺したり、自警団が街中で市民を巻き添えにするのに頓着せず発砲したり、あるいは、田舎町のコミュニティー機能があらゆる種類の“よそ者”を自動的に排除しようとしたりといった形で、ふとした拍子に純然たる暴力が顔をのぞかせる。これらは、資本主義経済の破綻によって、これからは新しい形の全体主義が私たちの住む世界を支配するようになるだろうという予感の、哀しい現れだ。

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しかし、そんな世界の中でも、人間としての最後の矜持を守りたいと願い、最善の努力を尽くすのが私たち庶民であり、この作品に登場するすべての愛すべき庶民の姿だ。だからこそ最後に残った2人の男たちが、お互いに最愛の人間を死なせた責任と喪失を、死ぬまで背負い続けねばならないのだと結論付けるラストの苦さが、いつまでも観客の心に残るのだろう。

いやぁ、久しぶりに良いドラマを見た。デヴィッド・マッケンジー David Mackenzie監督は英国出身の映画作家だそうだが、アメリカ社会を離れたところから観察してその盲点を突く着眼点の良さ、人間ドラマをテンポよく、しかしじっくり見せていく手練れには感心させられた。

新「スタートレック Star Trek」シリーズのジェームス・T・カーク艦長として定着したハンサム、クリス・パイン Chris Pineも、田舎町でくすぶっていそうなうだつの上がらん亭主像が妙にしっくり似合っていて(笑)、カーク艦長からは100万光年かけ離れたイメージだし、ロン・ハワード監督には本当に申し訳ないんだが、「インフェルノ Inferno」のゾブリストだか何だかよく分からんヴィラン役より、短気で暴力的で無学で刹那的で、でも弟だけには心底愛情を捧げているぶきっちょな兄貴役の方が、ベン・フォスター Ben Fosterは輝くのだと実感できたし、ジェフ・ブリッジス Jeff Bridgesはいつものジェフ・ブリッジスだったんだが、むしろ今作では、相方のパーカーを泰然自若と好演したギル・バーミンガム Gil Birminghamとの漫才的コンビネーションが素晴らしく、口は悪いわ我儘だわ性格はひねくれている癖に、相方だけには甘えきっている様子が丸分かりで、こりゃ老け専にはたまんねえだろうなと思わせるチャーミングな演技だし、その相方パーカーの包容力にもっと観客は気付くべきだし、まあ要するに、全体的に大変地味な作品だと言いたいわけだ。

しかし、この作品の映像には思わず引き込まれる魅力がある。見た目に派手なシーンはクライマックスの銃撃戦だけだが、その代り、遮るものとてないテキサスの広大な大地を、車がひた走るシーンが手を変え品を変え登場する。車が走るシーンに、言葉にならないそのシーンの感覚を代弁させているかのようだ。画面右側から、あるいは左側からフレームインしてきたかと思うと、次のシーンでは予想外の方向から車が飛び込んできたりする。カメラは、ただ単にテキサスの雄大さをナショナル・ジオグラフィック的に切り取っているだけではない。テキサスの様々な表情を捉えながら車が走る様に時間の経過を感じたり、沈みゆく夕陽を見つめながら兄弟がじゃれ合う様子にひと時の憩いを見出したり、口の減らぬおっさんと彼を見守るおっかさん的な相方がダラダラだべる横顔に哀愁を覚えたり。メインとなる銀行強盗のストーリーのすぐ隣を走るサイドストーリーを印象深くしているのが、あまり言及している記事を見かけないが、撮影監督ジャイルズ・ナットジェンズ Giles Nuttgensのカメラワークだと思う。

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疲れ果てたような田舎町と、終わりがあるのか不安になる程何もない一本道を車で走るには、気だるいカントリーソングが心地よく共鳴する。「最後の追跡 Hell or High Water」を見ていると、あの毒舌帝王ドナルド・トランプに票を入れた人たちの心情が何となく分かる。しかしなあ、アメリカの人たちよ。トランプ氏を大統領にしたところで、資本主義から取り残された地域や社会が救われることはないと思うぞ。


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