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zoom RSS 希望を照らすバッハの旋律―「ストリート・オーケストラ The Violin Teacher」

<<   作成日時 : 2016/10/05 10:28   >>

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“Erbarme dich, Mein Gott,
um meiner Zahren willen!
憐れみ給え 神よ
私が流す この涙ゆえに”―マタイ受難曲アリア


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「ストリート・オーケストラ Tudo Que Aprendemos Juntos / The Violin Teacher」(2015年)ブラジル
監督:セルジオ・マシャード Sergio Machado
製作:ファビアノ・グラーネ
カイオ・グラーネ
ガブリエウ・ラセハダ
原案:アントニオ・エルミリオ・デ・モラエス
脚本:マリア・アデライデ・アマラウ
マルタ・ネーリング
セルジオ・マチャド
マルセロ・ゴメス
撮影:マルセロ・ドゥルスト
音楽:アレシャンドレ・ゲーハ
フェリペ・デ・ソウザ
出演:ラザロ・ハーモス(ラエルチ)
カイケ・ジェズース(サムエル)
エウジオ・ビエイラ(VR)
サンドラ・コルベローニ(アジーラ)
フェルナンダ・フレイタス(ブルーナ)他。

かつては神童と呼ばれたヴァイオリニストのラエルチ。指折り数えて待っていた、南米髄一の名門サンパウロ交響楽団のオーディションに臨んだラエルチは、しかし肝心の本番で手が震え始めて、音を出すことすらできなかった。

大人になった神童は、すっかり負け癖が付いた、しかしプライドだけは高い厄介な男であった。

ラエルチは、先にサンパウロ交響楽団に入団した友人3名と四重奏団を結成していたが、本職と掛け持ちしている他のメンバーのやる気のなさに、自分自身への不甲斐なさからつい八つ当たりをしてしまう。荒れるラエルチを心配した友人は、家賃もたまり、両親への仕送りにも困っている彼のために、NGOが行っているスラム街の子供たちの音楽教育プログラムの教師の職を紹介する。

ブラジル最大のスラム街エリオポリスの、迷路のように曲がりくねった細い街路を通り抜けて学校にやってきたラエルチは、“教室”とは名ばかりの高い金網で囲われた単なる空き地に案内された。そこで子供たちは、それぞれだらしない格好で座り、ある者はおしゃべりに興じ、ある者はラエルチとアジーラ校長を無視して金網をよじ登り、ある者は携帯に一心不乱に話しかけ、ある者は他の者と大喧嘩し…。音楽教室ではなく動物園に配属されたようなものだ。ラエルチは、楽器の構え方、椅子の座り方から教え直さねばならない子供たちのレベルを目の当たりにし、頭を抱える。ラエルチは殊更音楽のことになると、自分にも他人にも厳格だし頑固だ。ところが、授業中、椅子に座っていることすらままならない子供たちの中にたった1人だけ、物静かで熱心にヴァイオリンに取り組み、才能の片鱗を見せる生徒がいた。サムエル少年だ。ラエルチも初日からサムエルに特に目をかけ、彼の成長だけを楽しみに、毎日の格闘の如き金網青空音楽教室に必死に取り組んだ。しかし、少年院帰りの札付きの悪ガキVRが、授業中に菓子店にスナック菓子を買いに行った時点で、元々そんなに長くない彼の忍耐の緒はついに切れてしまう。校長に辞意を告げるも、生徒たちの惨状に恐れをなして次々教師が辞めていく状況下で、ラエルチの後任は得られないこと、少ない給料を前払いすると宥められ、背に腹は代えられないラエルチも渋々妥協する。

エリオポリスの夜道を足早に歩いていたラエルチは、“スラムの洗礼”を浴びる。2人組のチンピラは、拳銃の銃口をラエルチの額に突き付けながら、彼が菓子店の亭主に警察を呼ぶぞと怒鳴ったことを責めた。全くもって不条理な言いがかりなのだが、ここはスラムだ。スラムでは、“警察”は禁句。この地域一帯を仕切っているギャングのボス、クレイトンこそが法律なのだ。その“スラムの掟”に反したラエルチは、チンピラどもに、今ここでヴァイオリンを弾いてみせろと凄まれる羽目になったのだった。そこでラエルチは、交響楽団のオーディションでもできなかったような、人生最高の演奏を披露した。美しい音楽は、才能ある音楽家の手を経ると、この世のものとも思えない美として出現する。その類いまれなる音色はどんな人間の心も癒す。クラシックなぞ聴いたこともないようなスラム街のチンピラが、真の音楽の持つ力に圧倒され、すごすごと引き下がったのだから。

翌日、“ラエルチ先生がヴァイオリンの演奏でチンピラどもをやっつけた”ニュースは、あっという間にスラム中に広まった。ギャングの支配する街で暮らす子供たちには、彼らの恐ろしさが骨の髄まで浸透している。そんな恐ろしい悪を美しい音楽で圧倒した事実は、ラエルチが声を大にして音楽の重要性を訴えるより確実に、子供たちの心を強く揺り動かした。彼らはまともに取り組んでこなかった“本物の音楽”に秘められたパワーに、敬意を払うようになったのだ。確かに彼らは、ラエルチを理想像として練習に精進するサムエルですら、楽譜も読めないし、バッハなぞ演奏できるような技量も情熱も持ち合わせてはいない。何しろ、ヴァイオリンを習い始めた幼児が取り組むような初歩の楽曲“アレグロ”ですらまともに演奏できないのだ。それでも、子供たちの音楽への接し方が変わったことが、ラエルチの子供たちへの接し方をも変えたのである。

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ラエルチは課題曲を一旦棚上げにして、楽器の構え方、姿勢、ト音記号、音符など、基礎から子供たちに教え込んでいった。まずは、ヴァイオリンを志す子供たちが最初に習う“きらきら星変奏曲”を覚えることからの出発だ。この教室の子供たちには可能性がある。くだんのサムエルの他にも、手に負えない悪ガキであったVRに、ヴァイオリンやブラジルの伝統楽器カヴァキーニョを器用にこなす意外な一面があったり、下品な替え歌で場を茶化すだけだった少女が、実は見事なソプラノの美声の持ち主だったことが判明したり。子供たちは初歩の課題曲を経て、めきめきと力をつけ始める。自分が楽器を演奏できる喜びを知った子供たちに自主性が生まれ、サムエルやVRのような才能の原石を磨くことに没頭するうち、ラエルチ自身もまた、無心に楽器を演奏する喜びと音楽への飽くなき情熱、そして自信を取り戻していったのである。ラエルチのCDを賭け、子供たち皆がホーダ(輪)をくんで課題曲を即興で競演したり、ラエルチはラエルチで子供たちに引っ張られて生まれて初めてクラブで踊ったり。音楽は、子供たちとラエルチの間の垣根を取り払い、代わりに何ものにも代えがたい絆を生み出した。

ラエルチが教師となって1年が経過した。てんで勝手に遊びほうける悪ガキの集団だった子供たちは、ひとつの“オーケストラ”として結束を深めていた。ところが校長は、NGO協会本部から、子供たちへの音楽教育というプログラムで分かりやすい結果を示すよう、圧力を受けた。つまり、ラエルチと生徒たちが今後も一緒にクラシック音楽に取り組めるか否かは、次の演奏会の出来次第だということになる。1年前に比べれば子供たちの技術は格段に上達したが、課題曲を完璧にこなせるようになるには、もっと練習が必要だった。ラエルチは子供たちに土曜日も特訓を行うことを告げるが、それは様々な事情を抱える彼らにとっては難しい要求だ。毎日毎日、大人と同じだけの労働に従事している子供たちばかりなのだ。サムエルは、家に帰れば家業を手伝って家計を支えるよう父親に強要される日々であるし、他の子供たちにしても家庭の事情は似たり寄ったり。VRはVRで、エリオポリスを縄張りとするギャングの仕事を請け負い、危険と隣り合わせの毎日だ。彼らは一旦音楽を離れれば、貧困の中での生存競争に立ち向かわねばならない。
だが、飯のタネにならぬヴァイオリンの練習を許さない父親に反発し、サムエルは遂に家を出て、独自にバッハの無伴奏作品に取り組み始めた。行き場のないサムエルはVRの家に転がり込む。家ではヴァイオリンに触ろうともせず、金儲けのことばかり考えていたVRですら、サムエルが練習に明け暮れる姿を見て演奏会への意識を変える。子供たちの自我が音楽を通じて芽生え、彼らは今の環境から抜け出そうとそれぞれに努力を始めた。

『楽器を弾いていると、みじめな自分にも生きる価値があると思えるんだ』

音楽が子供たちのみならずラエルチの人生をも変え始めたのである。

予想外の出来事が起こった。四重奏団の仲間からの情報で、第1ヴァイオリンの首席奏者のポストに空きができることが分かったのだ。ラエルチは、またとない大きなチャンスに闘志を燃やすものの、そのオーディション日と、子供たちの演奏会予定日が重なってしまう。悩み抜いた末、ラエルチは校長にだけ事情を説明した。折角ここまで育ててきた子供たちのオーケストラを志半ばで離れねばならなくなり、ラエルチは改めて大きな痛みを覚えた。子供たちにオーディションのことを言い出せないまま、時間が過ぎていく。だが問題は次々と起こる。VRが仕事でミスを犯し、ギャングから借りた多額の金を返済できなくなったのだ。身の危険に晒されたVRとそれに巻き込まれたサムエルのため、ラエルチはやむを得ずクレイトンと取引し、彼の娘のパーティで演奏することを承諾した。ラエルチは、子供たちが練習に専念できるよう危険を顧みず奔走するが、ある夜、最大の悲劇がラエルチと子供たちを襲う。

VRはサムエルを外に連れ出すため、後部座席に乗せてエリオポリスの迷路の中を爆走した。夜は警察の取り締まりが強化される。しかもVRのバイクは盗品だった。警察はVRのバイクを追い、VRは警察の警告を無視して逃走した。サムエルはバイクを止めるようVRに頼んだが、こうなった以上、彼らを振り切って安全な場所まで逃げるしかない。だが結局追いつかれ、警察はVRたちに発砲した。弾はVRを守るように座っていたサムエルの背中に命中。サムエルは即死した。

無防備な丸腰の子供を、警察が背後から撃ち殺した。しかも、彼らの“家”であるファヴェーラの中で。エリオポリスの人々にとって、この警察の凶行は許しがたい罪であった。ついに彼らの怒りが爆発し、エリオポリス中を巻き込んだ大暴動に発展した。あちこちで火の手があがり、武装した警察隊と興奮状態にあるエリオポリスの住人が衝突する。住人の要求はただ一つ、“サムエルの死”について正義の裁きを警察に下すことだ。ラエルチはこの大混乱を目の前で目撃し、絶望した。今エリオポリスを呑み込んでいる炎は、長い時間をかけて築かれたラエルチと子供たちの間の絆をも、あっという間に焼き切ってしまったのである。

紅蓮の炎が鎮まると、エリオポリスはサムエルをブラジル社会の不平等の“殉教者”とみなし、彼の死を悼んで深い悲しみに包まれた。最愛の弟子だったサムエルが亡くなり、ラエルチの心も癒し難い悲しみに沈む。だが彼は今、サンパウロ交響楽団のオーディションの場に立っていた。目を閉じると、彼の脳裏には自然とサムエルの在りし日の姿が甦る。これはオーディションではなく、サムエルに捧げる鎮魂歌なのだ。ラエルチはサムエルのためにヴァイオリンを手に取った。…彼の人生を決定する重要なオーディションで、彼の人生でも最高の演奏を披露出来たのは、サムエルの魂がラエルチを支えていたからかもしれない。ラエルチは晴れて、南米一の名門交響楽団の主席ヴァイオリニストとなったのである。

交響楽団のリハーサルに参加し始めたラエルチだが、心の半分をエリオポリスに残したままの彼は、明らかに演奏に集中できていなかった。ある日、思いつめた表情のVRがラエルチを訪ねてやってきた。サムエルが亡くなり、音楽教室では、残った生徒たちで次の演奏会をサムエルを追悼する内容にしようと決めたという。課題曲は、サムエルが愛して止まなかったバッハの“マタイ受難曲 Matthaus-Passion”。ラエルチもいなくなってしまったため、やむなくVRがタクトを振って懸命に練習に励んでいるが、やはりバッハは子供たちだけで習得できるような生易しいものではない。VRはべそをかきながらラエルチに訴えた。サムエルの追悼演奏会のために、もう一度教室に戻ってきてほしい、と。

ラエルチの事情を知った四重奏団の仲間たちも助っ人を申し出た。皆で手分けして子供たちの指導にあたり、子供たちによるオーケストラ、“エリオポリス交響楽団”はいよいよ演奏会当日を迎える。


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絶望に打ちひしがれる子供たちを守るのは、暴力ではなくやっぱり希望だと思います。そして、子供たちに希望を示すのは、彼ら個々人が持つ可能性。クラシック音楽は、エリオポリスの子供たちにとってたった1つの可能性であり、やがて彼らの希望となり、そして最終的に彼らの未来を創ったことになりますね。

この映画を見るまで私は全く知らなかったのですが、実は、ブラジル最大の都市サンパウロの南部にあるファヴェーラ(スラム街)であるエリオポリスで、NGOバカレリ協会 Instituto Baccarelliの支援を受けた子供たちが自分たちの交響楽団を結成したというお話は実話です。その名もエリオポリス交響楽団 Orquestra Sinifonica Heliopolisというその楽団の実際の演奏は、映画のエンドロールで流れます。是非じっくり聴いてみてください。ブラジルで最も有名なラッパーと競演した瑞々しい演奏が流れるのですが、これがまた凄く良いんですよ。若い演奏家らしい活気と向こう見ずなパワーに溢れていて、例えばヨーロッパの名門楽団の洗練された厳格な演奏とは一味も二味も違う、良い意味で庶民的な感覚に根差した自由が感じられてね。クラシック音楽という敷居の高い近付きがたい芸術と、大衆との間の隙間を自由に泳いでいる感覚かなあ。今や、異ジャンルの音楽間のミクスチャー化は当たり前の風潮になりましたが、やはりポピュラー・ミュージックの速いテンポはクラシックのそれとは異質です。クラシックの楽器でラップの変幻自在のうねりとスピードに互角に張り合えるのは、若者ならではの柔軟さ故でしょう。

“楽器を習い始めた瞬間から、その子はもう貧しい子供ではなくなる。立派なコミュニティーの一員となるべく成長の道を歩み始める。住むところや食べるものに不自由している状態だけが貧困ではない。孤独であるとか、他人に評価されないとか、精神的に満たされない状態も貧困である。物質的に恵まれない子供が、音楽を通して精神的な豊かさを手にした時、貧困が生む負の循環は断ち切られる。”―ホセ・アントニオ・アブレウ Jose Antonio Abreu (1939年5月7日生まれ、ベネズエラ出身でエル・システマ El Sistemaの設立者)

バカレリ協会 Instituto Baccarelliとは、ブラジルの貧困層に属する子供たちを対象に無料で音楽・芸術教育を行って、子供たちを犯罪の蔓延する環境から救い、さらには音楽等の専門技術習得で経済的自立を目指すチャンスを与えることを目的に設立されたNGO団体です。創立者は、作曲家、指揮者のシルヴィオ・バカレリ。彼が、エリオポリス全域で起こった大火災からの復興に励んでいた当地に自ら赴き、子供たちに無料で楽器演奏を教えることを提案したのが始まりです。エリオポリスの公立学校の生徒たちなど、総勢36名の子供たちが参加し、ヴァイオリンやチェロ、コントラバスといった、クラシックではおなじみの楽器に生まれて初めて触り、おっかなびっくり練習を始めました。しかし、子供たちの技術の習得は非常に早いものです。練習初日から数えて6か月後には、既に最初の演奏発表会を開いていたというから驚きですね。
「ストリート・オーケストラ Tudo Que Aprendemos Juntos / The Violin Teacher」でラエルチが働いていたNGO団体とその活動は、このバカレリ協会と、同協会が主催する音楽教育システムをそのまま投影しています。バカレリ協会で学んだ子供たちは、協会の後押しを受けてユース・オーケストラであるエリオポリス交響楽団 Orquestra Sinifonica Heliopolisを結成。著名な音楽家との共演も果たし、現在同楽団には80名以上の団員が所属しているそうです。そしてバカレリ協会は今も、4歳から25歳までの青少年を対象に、10社以上の大企業と協賛しつつ、様々な芸術教育プログラムを推進中です。
バカレリ協会(1996年〜)も、同協会に大きな影響を与えたベネズエラ産の音楽教育プログラム、エル・システマ El Sistema(1975年〜)も、ただ単に貧しい家庭環境の子供たちに音楽教育を施してやるという、独善的で一方的な教育方針では断じてありません。子供の頃に本物の芸術にたくさん触れて感性を磨く、高度な情操教育の一面を持ち、社会環境に適応して生きていけるよう、他者と協調する訓練の機会を子供たちに与えるという意味で、非常に重要な社会教育の一面も持っているのです。オーケストラというのは、規模や音楽ジャンルがどうあれ、一つのコミュニティーです。皆で一丸となって美しいハーモニーを生み出すためには、仲間たちとうまくやっていかなくてはならんわけで、そこで、否応なく他者との関わり方を学ぶことになるのですねえ。ここ日本でも、子供たちの情緒面や他人との関わりに於いて問題が起こりやすい現在、このバカレリ協会とエル・システマの教育プログラムに学ぶべき点が多くあるような気がします。

バカレリ協会 公式サイト Instituto Baccarelli Official Site

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確かにね、今日食べるものにも困ってるのに、明日ギャングに殺されるかもしれないってのに、ヴァイオリンの弾き方だの、クラシックバレエだのを習ってどうするんだ?!って思うのが人情でしょう。ファヴェーラで生きざるを得ない子供たちも、その親たちも、私自身ですら、当初はそう感じていました。スラム街を根本から変えるために、真っ先にやらねばならんことがあるだろうにってね。しかし、そういった所謂違和感への解答は、この作品を見て解消できました。子供たちは未来を変える鍵です。というより、未来そのものだといって良い。今現在、彼らが社会の最下層に押し込められているとしても、その状況をこれから変えていけば未来に希望が持てるはず。子供の置かれている状況を変えることは、ファヴェーラの社会構造を変えることを意味し、引いては、国全体の構造を変えることにつながります。では、子供の置かれた状況を変えるにはそうすればいいか。子供に教育を受けさせることです。遠回りな気もしますが、それしか方法はありません。まずは教育を。子供たちは学んだことをすぐに吸収し、別の場所で別の形で開花させることができます。子供しかできない魔法だといってもいいと思いますね。バカレリ協会もエル・システマも、学術的知識を子供に詰め込むだけではなく、むしろ彼らの情操教育の方を強く推し進めることによって、社会の中で生き残れるよう、総合的な人間としての成長を促そうとしているのだと思います。
芸術教育が本当に定着すれば、時間はかかるとしても、子供たちが悲惨な環境に卑屈になることなく、自らの価値に気付き、自らに自信を持ち、音楽を演奏することに自分の居場所を見つけ、自分の意思で生産的な目標に向かって努力し始めるはずですね。そうなれば結果的に、非行や暴力行為に走る子供たちは減るでしょう。教育の向上と教養の浸透こそが子供たちの運命を変え、ひいては社会を変えるというわけです。

社会的協調性と芸術的感性が結びついたら、一体どのような奇跡が起こるのか。大勢の仲間と一緒にオーケストラを構成するため
には、仲間との協力という社会的協調性と、楽器を操る芸術的感性の両方が要求されます。つまりオーケストラは、小さな社会そのものなわけですね。自分を信じ、仲間を信じて演奏する。それがうまく機能した結果を目の当たりにできるのが、バカレリ協会の活動と、エリオポリス交響楽団の成功です。そしてこの「ストリート・オーケストラ Tudo Que Aprendemos Juntos / The Violin Teacher」は、音楽が子供たちの未来を作る土台となり、音楽が子供たちの成長に伴う苦悩をやわらげ、彼らの心の支えにもなるのだと高らかに宣言しているのです。音楽があったからこそ、子供たちとラエルチもまた、サムエルの非業の死という悲劇を乗り越えることができました。映画は、サムエルを追悼する演奏で、ばらばらだった子供たちの心が一つに結束し、これから彼らに降りかかるだろう様々な苦労も音楽を支えにしてなんとか乗り越えてゆくのだろうと暗示して終わります。

この作品は、社会の最下層で生きる困難と、貧富の格差が引き起こす暴動という厳しい現実をありのままに描きます。これはブラジルだけでなく、あちこちの国で起こっている現実的な問題であり、いくら前向きなテーマを謳おうとも心が折れるものですよね。しかし、エリオポリスの子供たちとラエルチは、音楽を演奏する喜びを一緒に見つけます。それが彼らをして、厳しい状況下で生き続ける原動力となったわけです。音楽という芸術と、子供たち、社会との関係を描くことで、洋の東西を問わず普遍的なテーマを提示しているのだと思いますね。

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加えてこの作品で魅力的だったのは、ラエルチを演じたラザロ・ハーモス Lazaro Ramosの存在感と、エリオポリス交響楽団を結成することになる子供たちのフレッシュでいながら個性豊かな佇まいですね。実はハーモス自身、故郷バイーアのファヴェーラの出身で、この作品の子供たちと同じようにNGOによる芸術教育プログラムによって演劇を学び、俳優になった経歴の持ち主です。当初は白人系の俳優がキャスティングされるはずだったラエルチ役を、マシャード Sergio Machado監督に直談判してもぎ取った理由もわかる気がしますね。ラエルチはヴァイオリンの才能だけで貧困層から抜け出そうともがいている人物です。しかし、人生を賭けてきた夢を叶えられるか否かの重要な場面で神経衰弱を起こし、失敗の恐怖に打ち勝つことができない。そのくせ、親には都合の良い嘘をついて取り繕い、同僚には無神経な暴言を吐いてしまう、典型的な小心者のくせにプライドだけは高く、見栄っ張り(笑)。でも心底嫌な奴には見えません。それは、ハーモスが放つ生真面目で朴訥とした雰囲気に、見ている側がついほだされてしまうからでしょう。内心の動揺を表情に出さないように最大限頑張っている姿が、なんだか情けなくも微笑ましくてね(笑)。時間の経過と共にラエルチが経験する複雑な心境の変化を、さりげない佇まいと仕草で雄弁に物語ってくれました。
そんな繊細でダメなラエルチが失いかけていた音楽への情熱に、音楽への執着心に、今一度火をつけたのが、ウォルター・サレス Walter Salles監督の作品で映画デビューを飾った新人カイケ・ジェズーズ Kaique de Jesus演じる少年サムエルですね。その後彼は演劇学校に入り、演技を学び直しました。そんな真摯で素直で真面目な一面は、サムエルと共通するところでしょうかね。美しい瞳の持ち主であり、その澄み切ったまなざしで黙って相手を見据えるだけで、サムエルの持つ静謐な、しかし断固とした強さを誇る意志を充分に体現しています。ぜひ大きなチャンスを掴んで、ハーモスのように国際的に活躍できるよう大成して欲しいものですね。
もう1人のキーパーソンは、感情も人生模様も激しく移ろう難しい役どころの不良少年JR。彼を演じたのは、6年以上に渡ってプロのブレイクダンサーとしての経歴を持つ、正真正銘、これが映画初出演、初演技の新人エウジオ・ヴィエイラ Elzio Vieiraです。とにかく目に力のある少年で、画面に出てくるだけで観客の目を惹きつけるようなカリスマの持ち主。ナイフのように切れ味鋭いパワーで睨みつけたかと思えば、JRが後半ラエルチに涙ながらに苦悩を訴えるシーンに見られるような、繊細で脆い一面も垣間見せます。ラエルチと子供たちがクラブで踊るシーンではお得意のブレイクダンスを披露。“踊れて演技できる”俳優チャニング・テイタムを彷彿とさせますね。

サムエルとVR以外にも、端役でありながら強烈に印象に残る生徒たちは皆、オーディションによって選ばれたファヴェーラ出身の子供たちばかりだそうです。皆、演技は初体験。貧しい家庭の悲惨な状況をラエルチに訴えるシーンや、赴任初日のラエルチを手荒く出迎えるシーン、あるいは映画後半で起こった暴動のシーンなど、本編の端々で演技とは思えぬ生々しさを感じさせてくれます。それもそのはずで、ファヴェーラが舞台のお話なのですから、子供たちにとってはこの映画で描かれることのどれも全て、自分自身が実生活で体験したことなのですね。つまり彼らの人生そのものが、この物語に反映されているといってもいい。彼らの存在が、社会の底辺で立ち上がろうとする人々の物語に説得力を与えているのです。

ご両親が音楽家という家庭に育ったマシャード Sergio Machado監督は、エリオポリス交響楽団の誕生秘話をモデルにした戯曲『Acorda Brasil』(アントニオ・エルミリオ・デ・モラエス作)のテーマ―ブラジル社会の問題提起と解決策―を生かしつつ、ご両親と同じ音楽の世界に生きる主人公ラエルチのキャラクターに、子供のころから目指してきた映画作家の仕事に対する監督自身の不安を投影しました。さらに、ファヴェーラで実際に起こった暴動という時事ネタも織り込み、パーソナルな要素と社会的な要素を共存させた脚本を完成させました。
マシャード監督は、ブラジルの名匠ウォルター・サレス Walter Salles監督の名作「セントラル・ステーション Central do Brasil」(1998年)、「ビハインド・ザ・サン Abril Despedacado」(2001年)で助監督を務めた後、ドキュメンタリー作品、テレビ番組等の監督で一本立ちしました。サレス Walter Salles監督のように、人と人のつながりを前面に出しつつ感傷的にならない演出で、この物語をファヴェーラの子供たちに捧げる内容に仕立てました。この作品を見ていると、ドキュメンタリーの要素とドラマの要素が程よく混じった印象を受けます。この絶妙なバランス感覚を持ったマシャード監督の今後の作品にも注目ですね。


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