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zoom RSS 舞台裏の「スティーヴ・ジョブズ Steve Jobs」(2015年)

<<   作成日時 : 2016/03/05 16:15   >>

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『いずれ、世界中の人々が同時に瞬時に情報を共有する時代がやってくる』


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スティーヴ・ジョブズは、アップルCEOに返り咲く直前の1995年に受けたロング・インタビュー「スティーブ・ジョブズ1995 〜失われたインタビュー〜 Steve Jobs: The Lost Interview」の中で、はっきりとそう予言していた。いや、正確には“予言”ではなく、彼は世界をそのような情報社会にすべく、自ら導いていったのだと言い換えたほうが良いだろう。その“予言”を、彼はiMac、iPod、iPhone、iPadという、現在のネット社会完成のためのツールとなった画期的、先駆的な商品を世に問うことで“実現”した。その事実だけで、おそらくスティーヴ・ジョブズの名前が歴史から消えることは今後ないと思う。


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ダニー・ボイル監督、アーロン・ソーキン脚本版の映画「スティーヴ・ジョブズ Steve Jobs」(2015年)は、ジョブズ本人が直に執筆を依頼したといわれる(この本に書かれている内容を、本人が確認したかどうかは定かではないらしい)ウォルター・アイザックソンによるジョブズ伝記本を下敷きにしている。しかしながら、このアイザックソン版は、ジョブズの業績を時代別に淡々と紹介していくという内容で、ジョブズの内面にまで迫るようなものではない。映画版の脚色は、アーロン・ソーキン独自のもの。


ジョブズが2011年に56歳の若さで亡くなった直後から、彼の人生を紹介し、その偉業を讃える活動があちこちで行われてきた。彼の人生に様々な形で関わってきた人たちが、彼ら自身の立場から、ジョブズという人物を説明しようと試みている。今も尚。多分に問題のあった人間性の面から、ジョブズをネガティブに捉える人もいるし、彼の先見の明を絶賛する人もいるし、優れた人材を見抜き、彼らを引っ張っていくカリスマチックなリーダーシップにひれ伏す人だっているだろう。しかしそのいずれも、充分な内容ではない。結局は、巨大なブラックホールの如き男の人生の断片のみを切り取って見せているに過ぎないのだ。なにしろ当の本人ですら、自分自身のことを理解出来ていたとは考えにくい部分もあるのだから、それも仕方がないだろう。


“私は私なりの楽天主義者になったんだ。もし一つのドアを通り抜けられなかったら、別のドアを試してみる。あるいは、自分でドアを作る。今がどんなに暗い時代であっても、何か凄いことは起こるのだ。 I have become my own version of an optimist. If I can't make it through one door, I'll go through another door - or I'll make a door. Something terrific will come no matter how dark the present.”― ラビンドラナート・タゴール Rabindranath Tagore


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「スティーヴ・ジョブズ Steve Jobs」(2015年)
監督:ダニー・ボイル Danny Boyle
脚本:アーロン・ソーキン Aaron Sorkin
原案:ウォルター・アイザックソン
製作総指揮:バーナード・ベリュー、ブライアン・ズーリフ、イーライ・ブッシュ
製作:マーク・ゴードン、ガイモン・キャサディ、スコット・ルーディン、ダニー・ボイル、クリスチャン・コールソン
撮影:アルヴィン・クーフラー
プロダクション・デザイン:ガイ・ヘンドリクス・ディアス
音楽:ダニエル・ペンバートン
編集:エリオット・グレアム
衣装:スティラット・ラーラーブ
出演:マイケル・ファスベンダー(スティーブ・ジョブズ)
ケイト・ウィンスレット(ジョアンナ・ホフマン)
セス・ローゲン(スティーブ・ウォズニアック)
ジェフ・ダニエルズ(ジョン・スカリー)
マイケル・スタールバーグ(アンディ・ハーツフェルド)
キャサリン・ウォーターストーン(クリスアン・ブレナン)
パーラ・ヘイニー=ジャーディン(リサ・ブレナン 19歳)
リプリー・ソーボ(リサ・ブレナン 9歳)
マッケンジー・モス(リサ・ブレナン 5歳)他。


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まず、この映画に期待してはいけないことを確認。

1)ジョブズは、アップル社を共同で立ち上げたスティーブ・ウォズニアックとガレージで現在のアップル社製コンピューターの雛形を作り上げたが、今作はその有名なパソコン誕生秘話を語るわけではない。

2)実は養子であったジョブズの複雑な生い立ち等を紹介するような、伝統的な意味での伝記ものでもない。

3)映画本編の支柱となっているのは、ジョブズの業績を語る上で欠かせない重要な3つの製品の新作発表会、プレゼンテーションの舞台である。1984年のマッキントッシュ Macintosh、アップル社を解雇された後に作った1988年のネクスト・キューブ NeXT Cube、アップル社にCEOとして復帰した後に作った1998年のアイマック iMac。いずれも世界中の人々の記憶に残る有名なプレゼンであるが、ところが映画は、そのプレゼンそのものに焦点を当ててはいないのだ。



この3つのプレゼンは、アップル社の運命を変えたばかりでなく、ジョブズ自身の運命も大きく変えた。彼の人生を語る上でも最重要事項であることは言うまでもない。にも関わらず、これらプレゼンそのものの様子を、本作は映像にしなかった。映し出されるのは、本番まであと40分という、慌しく緊迫した舞台裏で繰り広げられる、怒涛のドラマのみ。プレゼンの舞台上での雰囲気は、ごくごく一部が断片的に、象徴的に差し挟まれるだけだ。

私自身は、その英断を下した脚本家アーロン・ソーキン Aaron Sorkin並びにダニー・ボイル Danny Boyle監督の演出に心底シビれたし、何ならスタンディングオベーションしたっていいぐらいだ(笑)。だってそうだろう、プレゼンの様子をわざわざ映像にして説明する必要があるか?その内容なんて、皆もう知ってるじゃん(笑)。…いや、“皆”というのは語弊があるか。しかし、特に3番目のiMacのプレゼンは、生前のジョブズ自身によるものの映像を、多くの人達が既に目にしているはず。後年のiPhoneもそうだが、当の本人よる映像の記憶が多くの人達の心の中に鮮明に残っているのに、なんぼ才能ある役者が揃っていようとも、“演技によるなんちゃってプレゼン映像”など蛇足だと個人的には思う。

これで、この作品が普通の伝記映画ではないことが分かった。しかし心配は無用。ジョブズの人生のハイライトである3つの製品のプレゼンの舞台裏を通じて、今作はジョブズの人生全体を瞬時のうちに俯瞰してしまう。バックステージものの作品がどれもそうであるように、“本番”の華やかな舞台に向け、時間ギリギリまで予期せぬハプニングが起こる。劇中のジョブズ云く『大切なプレゼン前に限って、皆酔っ払って本音をぶつけたくなる』如くに、ジョブズと彼に近しい人々とが本音丸出しで口論し、怒鳴り合う。その度にステージに向かおうとするジョブズは足止めを喰らい、今直面しているトラブルから紐解かれる過去の自分自身のフラッシュバックに見舞われるという寸法だ。

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歴史的にも重要な舞台を控え、まるで走馬灯のようにジョブズの過去と現在がスピーディーに交錯する映像は、多くの観客が彼のその後の運命を知ってはいても、やはり手に汗握るスリリングさである。本番まであと数分だというのに、ジョブズと、恐らく彼の最も近しい場所にいたであろうウォズ二アックとの間に、長い間遺恨を残している問題が再燃。それが、お互いの意地の張り合いで修羅場に発展するシーンなど、観客もその場に居合わせてしまったかのようないたたまれなさを覚える迫力だ。或いは、事情を知る関係者の間でも見解が分かれる、アップルからのジョブズの追放劇の真相を巡る、ジョブズとアップルCEOジョン・スカリーの激突は、当時のジョブズ自身が背水の陣の状態であった(結局NeXT Cubeは大失敗に終わる)せいもあり、彼の剥き出しの感情が透けて見えるようだ。彼の理想とする最高の舞台を創り上げるための、彼の周囲の人々の奮闘、ジョブズの暴君ぶりが引き起こす周囲との軋轢、コンピューター業界の厳しい現実と問題点、腐れ縁である元恋人クリスアンとの間に生まれた娘リサの認知を巡り、訴訟まで起こされた彼の私生活における問題。ことほど左様に、著名な舞台の裏では、ジョブズにまつわる様々な問題が、公私混同一緒くたになって一挙に噴出する(笑)。彼自身は勿論のこと、彼の周囲の人々の人生も又、3つのプレゼンの進行と共に二転三転していたことも分かるのだ。

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いわゆる技術屋ではなかったが、独創的なアイデアに富み、未来を見通す力を持った天性のビジネスマンであった側面。移り変わりの激しいコンピューター業界にあって金儲けだけに走らず、“社会を変えること”に終生こだわり続けた頑固者でもあった生き様。またそのせいで、昨日までの友を今日から敵に回してしまうほど軋轢の絶えなかった人間関係の複雑さ。クリスアンだけでなく、その娘リサとの間にも勃発した確執で浮かび上がる、愛情表現の下手な、不器用にも程がある父親としての素顔。これらを通じて、“カリスマでもリーダーでも革命家でも億万長者でもない、あらゆる虚飾を剥ぎ取った素の人間スティーヴ・ジョブズ”を余すところなく描いてしまう。

第1のプレゼン、第2のプレゼンあたりまでは、“実業家スティーヴ・ジョブズ”の肖像は、“父親スティーヴ・ジョブズ”のそれと全く一致しない。それぞれ別個の次元に存在しているのかと思うほど、実業家ジョブズとしての顔は、父親ジョブズの素顔を否定し、切り捨てようと躍起になっているようにすら見える。それが、実業家ジョブズの躍進を一時的に阻む原因であったのかどうかまでは分からないが。

ところが第3のプレゼンでは、長い間“見て見ぬ振り”を続けてきた娘リサとの関係がついに表立って拗れてしまう。父親として、彼女と真正面から正しく向き合わねばならないという義務が、ジョブズの目の前に立ちはだかったのだ。それは、ジョブズの懐刀にしてリエゾンでもあったジョアンナ・ホフマンや、初期アップル時代の部下アンディ・ハーツフェルド(アンディはリサの大学費用を肩代わりしていた時期もある)等、近しい人間達の口を借りてジョブズに言い渡された、“真っ当な父親になるための最後のチャンス”であった。才気に溢れ柔軟な発想に富み、未来を予測できるカリスマ実業家でもなく、いつも自信満々で強気なビジネス・リーダーでもなく、リサの前では“ただの父親”になるように、ジョブズは周囲からプレッシャーをかけられた、というところか。

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そこではじめてジョブズは、自分がリサに対して長年冷酷な仕打ちを続けていたことに気付くのだ。まだたったの5歳だった彼女の目の前で、彼女の父親であることを否定したり、リサから“一緒に暮らしたい”と抱きつかれても抱き返すことすらできなかったり。彼が無意識のうちに目を背けてきた“ごく普通の父親”である自分自身の肖像を、ここへきてようやく受け入れたのだろう。ジョブズがリサに心を開き、彼らしく極めて強引に(笑)歩み寄り、彼女との関係を修復“fix it”すると同時に、彼の真の黄金期iMacの成功がやってくる。1人の人間として成長したことと、彼の栄光の始まりを同期させたストーリーは、まあ多分に脚色が混じってはいるだろう。だが、“実業家スティーヴ・ジョブズ”の肖像と“父親スティーヴ・ジョブズ”のそれが、第3のプレゼンでやっとこさ一致する様子を映画のクライマックスに持ってきたストーリーの流れはとても良い。私ら凡人にとっては雲の上の存在だったジョブズが、ここで一気に人間くさくなり、多くの観客と同じ感情を共有し得る普遍性を持ったからだ。自分自身の過ちや弱さを受け入れて初めて、人間は前進できる。常に“think different”し続け、他人が思いも寄らないことを考えだし、他人が見る一歩先の未来を睨み続けたジョブズだって同じだろう。

情報技術革新というよりは、“物事に対する考え方、発想の転換”において革命家であったジョブズに、そういった面からではなく、欠点だらけの人間、無器用な父親としての側面から解析のメスを入れることで、彼が残した大きな業績の裏側に累々と折り重なる数々の問題の根幹を暗示した今作。複雑な万華鏡のようなジョブズの人間性を、一切の虚飾を取り去った素顔に可能な限り接近した所で、多面的に捉えた作品だと私は思う。通常の伝記映画の枠組みから大きく外れたこの作品は、“映画に描かれたことが真実か否か?”というレベルの論争からも、実は予め遥か遠くに離れていた。

実在の人物が多数登場する映画なのだから、最低限、事実を尊重した内容にするべきだという意見は至極当然だと思う。しかし、真相なんて結局藪の中にあるのだし、“事実歪曲”常習犯であったジョブズ本人をはじめ、他の当事者達だって皆、自分自身の立場と見解から判断した“事実”を説明しているに過ぎない。それは、本当の意味での“真実”を知っている人間なんていないということと同義だろう。ならば、脚本家アーロン・ソーキンとダニー・ボイル監督による“スティーヴ・ジョブズの肖像”も“アリ”だと個人的には考える。今作のような解釈も大いに成り立つし、却って“人間スティーヴ・ジョブズ”を身近に感じ、理解する上で説得力のあるアプローチだったのではないかと思うのだ。

これは私個人の意見だが、伝記映画とは、取り上げる対象の生き様や素顔といった要素のエッセンスのみを抽出し、濃縮させる作業だ。何故なら、対象人物の誕生から死までの出来事を全て映像にするのは不可能だからだ。そして、優れた伝記映画は、その濃縮された対象人物の人生の海の中に、観客を放り込んでしまう。その意味で、今作は、スティーヴ・ジョブズという人物を構成する要素のエッセンスを抽出し、 オーケストラを演奏するようにリズミカルに再構築し、観客をもそのシンフォニーの興奮のただ中に置き去りにする作品だと言えると思う。

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そう、今作では、脚本家アーロン・ソーキンは、ジョブズの人生の濃厚なエッセンスを配合した見事なシンフォニーのスコアを書き上げたのだと思う。指揮棒を振るのは、勿論ダニー・ボイル監督だ。タイトルロールを演じたマイケル・ファスベンダーは、ソーキンの完成したスコアのメロディを完全に我が物とし、ソーキンの“音”と一体化した躍動感あふれる演技を披露した。ジョブズの右腕にしてマーケティングの神様、ジョアンナ・ホフマンに扮したケイト・ウィンスレットも、他の作品で見せているような演技の“重さ”が今作では消えていた。激しい言葉の応酬が繰り返される怒涛の“台詞劇”だが、演出がリズミカルでスピーディーであるために、観客もいつの間にやら今作の“流れ”に身を任せ、固唾を飲んでスクリーンを見つめていることに(笑)。私も、映画を見ていて時間の経つのをすっかり忘れていた有様だ。上映時間の長さを感じなかった映画というのも、実は久し振りだった。

…何もかも、もう“お見事”としか言い様がないわ(笑)。




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