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zoom RSS 「暗殺の森 Il Conformista」或いは卑怯者の憂鬱。

<<   作成日時 : 2015/11/09 00:59   >>

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デジタル・リマスター版で蘇った、ベルナルド・ベルトルッチ監督の傑作「暗殺の森 Il Conformista」を見てきた。よもやこの作品を、リフレッシュされた美麗映像で、しかも大きなスクリーンで再見できる日が来ようとは思わなかった。普段は何かと、煩わしい厄介事を私たちの日常生活にもたらすデジタルの世ではあるが、こんな時は流石にその凄みを実感する。

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第2次世界大戦直前の、ファシズムに突入した暗黒の時期のイタリア。没落貴族の家に生まれながらも、秘密警察にいた家長の父親は発狂して精神病院行きになり、自堕落で人生から落伍した母親は夫の死を願ってばかり。彼ら双方を憎み、いじめられっこだった自身の子供時代のトラウマを乗り越えるため、ムッソリーニのファシスト党の党員に志願した青年マルチェロ。難しい時代に善を為す勇気も、己の良心に従う意志の力もなかった彼は、優柔不断で小心者で、決断を迫られると尻尾を巻いて楽な道へ逃げ出し、かつて深く愛し合った恋人からは蛆虫呼ばわりされていた。しかし、その時々の最強のマジョリティーに擦り寄り、虎の威を借る狐になれる嗅覚だけは立派だった彼は、理想主義者で反戦、反ファシストを説く大学時代の恩師クアドリ教授を暗殺する計画を立案し、党幹部に気に入られようと、自らその計画実行に名乗りを上げる。

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しかし、マルチェロが昔愛し、今も忘れられないでいるかつての恋人アンナの姿を見てしまうと、彼の決意―過去を振り切って根っからのファシストに生まれ変わり、党内で成り上がってやる―も鈍ってしまう。アンナはファシズムを嫌っており、自らの信念に従い、フランスに逃れたクアドリ教授の妻となっていたのだ。マルチェロは、金目当てで娶った新婚の妻ジュリアとの新婚旅行を隠れ蓑にクアドリ教授とアンナ夫妻に接近するが、クアドリ教授から意志の弱さを指摘され、いつか必ず政治的ポリシーをあっさり翻すことになるだろうと言い当てられる。マルチェロは逡巡し、暗殺実行を先伸ばしにし、アンナを連れてアフリカに逃げることまで考えるが、若者にカリスマ的な影響力を誇るクアドリ教授の抹殺を望むファシスト党は、マルチェロの躊躇を許さなかった。
教授夫妻の別荘に招待されたマルチェロとジュリア。教授が、彼の忠実な学生達に守られているパリを離れる。暗殺決行の絶好のチャンスだ。ところが、教授の安否を気遣うアンナも予定外で教授と行動を共にしたために、アンナにも暗殺の危機が迫る。ついに2人は、人気のない森の中で暗殺実行部隊に囲まれてしまった。この絶体絶命の危機を前に、果たしてマルチェロはどのように行動するのか?

…とまあ、私たち小市民のシンボルのようなマルチェロのウジウジした佇まいを見るだけで、ここから先の展開は容易に読めるような気がする(苦笑)。

この作品は、昔も今も変わらずに存在する“卑怯者”の、仮初め、あるいは幻の栄光と、彼が威を借りていた虎が失脚した後の転落の生き様を、皮肉たっぷりに描くサスペンス・ドラマだ。本編ラストシーンに流れる“♪〜貴方は結局何が欲しかったの〜♪”という歌の辛辣な歌詞そのままに、自分に降りかかる火の粉から逃げ続けた挙句、人間のクズに成り果てた哀れな“卑怯者”の後ろ姿は、今の世の中に大勢たむろする人間たちの肖像に、恐ろしいほどピッタリと当てはまる。

その砂を噛む如くの苦々しさは、世情不穏な今だからこそ一層強烈に私たちの心を苛むような気がする。世の中がどんなに集団ヒステリーに陥ろうとも、せめて自分だけは、自分の良心に背くような行動は止めなければ、と思う。思うものの、それは口で言うほど簡単な事では無い。保身に走るあまり、いとも容易く集団ヒステリーに絡めとられていく社会に生きる私たちは、多かれ少なかれ、結局マルチェロのようにしか生きられないからだ。善く生きるとは、なんとまあ難しいことよ。


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「暗殺の森 Il Conformista」 (1970年)
監督・脚本:ベルナルド・ベルトルッチ
原作:アルベルト・モラヴィア『孤独な青年』
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
出演:ジャン=ルイ・トランティニャン(マルチェロ)
ステファニア・サンドレッリ(ジュリア)
ドミニク・サンダ(アンナ)
エンゾ・タラッチオ(クアドリ教授)他。


…聡明なる来館者の皆さんなら、とうにご存知だろうと思うが一応明かしておく。

要は、マルチェロは“何もしなかった”のだ。何もしなかったことにより、己の手こそ汚さなかったが、結局は教授とアンナを無残な方法で死なせてしまった。その罪は重く、彼の魂はこれで堕落したとみていいだろう。

戦争に負け、ムッソリーニが失脚し、ファシスト党は解散、戦中は独裁の恐怖で国民を震え上がらせたファシストたちは、戦後、一転して戦犯扱いとなり、国民に追われる立場に逆転した。

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戦前は、クアドリ教授を狩人の立場で追い詰めたマルチェロが、戦後は狩られる獲物に転落。アンナのような信念も聡明な頭脳も持たないが、愚直に夫を愛する心だけは変わらなかったジュリアと、そんな妻を小馬鹿にしていたマルチェロが“対等”の立場になっていることが、画面を二分割するようなこのシーンから感じられる。
そういえば、アンナに接近するマルチェロとアンナが、アンナのバレエ教室の中で対峙する場面も、同じようなイメージであった。2人が画面の端と端で向かいあい、真ん中で均等に分割されたような画面だったのだ。このときのアンナとマルチェロの立場も、実質、対等だ。方や獲物を卑怯な手口で追うハンター、方や卑劣なハンターに追われる獲物であっても。表面上は相手に勝る立場であっても、実際には相手よりも遥かに卑小な存在に堕ちる、それがマルチェロという人間の本質だ。

ファシスト党という強力な権力に守られていた時も、またその権力の繭から放り出された後も、マルチェロは何もない、奇妙にだだっ広い空間の中に置いてきぼりをくい、たった1人でポツネンと立ちすくむ孤独な人間のままだ。

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「大勢の人たちと同じように、自分も自分の義務を果たしただけ。自分は悪くはない。大勢の人たちがやっているのと同じことを、これからもやっていくだけだ」

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或いは、ダンスホールに集って陽気に踊る群集にもみくちゃにされたように、また、戦没者の名前が延々と刻み付けられた石壁にへばりついていたように、彼は今後も、意思も魂も持たぬ無数の群集の中に埋没していく、ただの存在になるだろう。

…社会を構成する私たち市民の多くがそうであるように。


さて、サスペンス映画としての今作は、時間軸を自在に前後左右と彷徨いながらも、確実に観客を時間の迷宮の中に追い詰めてゆく。一度として間違わず、一度として怯むことも躊躇することもなく、深い奥行きを強調した極めて三次元的な映像と相まって、観客を愚かな人間のシンボルであるマルチェロの見る悪夢に道連れにするのだ。ヴィットリオ・ストラーロの流麗なカメラワークに助けられ、闇を匂わせる濃い藍色から燻んだ灰色に沈むパリの街並み、クアドリ教授が刺殺されるシーンの真紅の夕陽、鹿のように森の中で狩られるアンナが逃げ惑う真っ白な雪、夢の中を逡巡するマルチェロの歩調に合わせるように、不安定に移ろう色合いは見惚れるほど美しい。がしかし、その裏に死を隠し、同時に禍々しいのだ。

また、モラヴィアの原作が示唆していた人間の業、絶対的な孤独、卑小な人間の哀れな末路への諦念に似た溜息を、美しくも底冷えのする映像と、脚色の上手さ、大胆な編集、マルチェロの生き様を本人ではなく、周囲の小道具や音楽などに暗示させる演出の妙味で余すところなく語り尽くした。ストーリーの随所に仕掛けられた伏線が次々と連鎖反応を起こしていく過程は、今作を弱冠29歳で完成したベルトルッチ監督の若々しい才気が冴え渡っていたことを示している。同時に、演出技術、演出能力、テーマの解釈には、逆に円熟の境地に達したかのような老練さをみせた。

これ以上どうしようもないほど、完璧な傑作である。


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