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zoom RSS いい年だった、本当に。ギレルモとアルフォンソに御礼を言わなくちゃ。追記。

<<   作成日時 : 2013/12/18 09:44   >>

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「パシフィック・リム Pacific Rim」と「ゼロ・グラヴィティー Gravity」にありがとう。「ゼロ・グラヴィティ」について感想を追記しました。…観賞してから数日経ちますが、この「ゼロ・グラヴィティ」で体験した様々な感情が今も頭にこびりついて離れてくれません。もう少し落ち着いてから記事にしようかと思っていたのですが、とりあえず、現時点でこの作品について考えていることを記録しておくことにしました。そうでないと、熟睡できないので(笑)。映画感想記事としてはちょっと散漫になっていますが、どうかご容赦を。

結局私にとっては、「ゼロ・グラヴィティ」が今年最も強烈に印象に残った作品になりましたね。

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今年、映画館で観た映画の中で、お気に入りの作品をいくつも発見することが出来たのは大きな収穫でした。まだ感想は書いていませんが、「セブン・サイコパス」や「世界一美しい本を作る男〜シュタイデルとの旅〜」、「もうひとりの息子」も良かったし、世間的には不評が多い「悪の法則」だって、観ている間中嫌な汗が噴き出るような、本当に恐ろしい映画でした。こないだようよう記事にした「25年目の弦楽四重奏」は、「セブン・サイコパス」と並んで、晩年に入ったクリストファー・ウォーケンの代表作と呼んでもいい程の佳作でしたしね。そうそう、伝説的カメラマン、ロバート・キャパの失われたネガ発見にまつわる興味深いドキュメンタリー「メキシカン・スーツケース」もありましたな。今作は、最後はドキュメンタリー映画の枠を超えて、見事な人間ドラマに帰結した稀有な傑作でありました。…こうして振り返ると、今年は私にとっても“良い映画”の当たり年となりました。

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しかしこれから先、この2013年を振り返ってみたとき、私はおそらく2人のメキシコ出身の映画監督の作品を必ず思い出すことになるでしょうね。

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1つはギレルモ・デル・トロ監督の「パシフィック・リム」、もう1つは、「トゥモロー・ワールド Children of Men」等で知られるアルフォンソ・キュアロン監督の「ゼロ・グラヴィティ Gravity」です。奇しくも2作品共に、映画の描く世界に観客を引きずり込むタイプのSF映画でした。観客は、ただ単に映像を目で追うのではなく、その中に入り込んだかのような感覚を味わいます。

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つまり両作品ともに、“目で見ている映像を、同時に自分自身も実際に体験している”という、映画の新しい方向性を示唆したわけですが、これらがメキシコ人監督によって生み出されたのも興味深い現象ですね。そしてまた、これら2作品は、“絶望的な状況に置かれた人間が、いかにしてそれと戦ったか”を丹念に追求するストーリーでもありました。多くの大切なものを失い、生きることに意義を見出せなくなっている人が急増している今、そんな彼らを鼓舞し、激励するかのようなメッセージをそこに読み取ることが出来ます。

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“何があっても生きることを諦めてはいけない”というメッセージって、確かに正論ではありますが、使い方や使うタイミングを間違えると、伝えたい相手に余計なプレッシャーを与えるだけで終わってしまいますよね。しかし、上記した2つの作品は、喪失の痛みや悲しみに寄り添いつつ、そこから這い上がるお手本を映画自身が見せてくれているような気がしてならんのですわ。

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生と死は常に隣り合わせだと言われます。ならば、喪失の哀しみの隣には必ず次の新しい生命が産まれでるのを待っているはず。ただし、死が孤独であるように、誕生もまた孤独な作業であります。死ぬ時も一人、産まれる時も一人。もちろん、生きるのも一人。しかし、それを怖がってはいけない。勇気を持って孤独を選択しなければならない時もあるのですね。

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ギレルモの「パシフィック・リム」もアルフォンソの「ゼロ・グラヴィティ」も、作品を貫くテーマとそれを語るストーリーラインはごくごくシンプルであり、誰にでも理解できるものです。しかし、その単純なベースラインの周りには、これまでに開発されてきたあらゆる演出テクニック、現在の映像技術を総動員し、無数の隠喩と暗喩が埋め込まれているのです。一度こっきりの鑑賞では、とてもすべてを把握することは不可能でしょう。

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つまり、何度でも繰り返し鑑賞し、反芻することによって、作品を自分の頭で解釈し直す行為を、両作品ともに観客に促しているといえます。観客それぞれの心の中で、映画はさらに細かく分解され、吟味され、吸収され、観客独自のアイデアが加えられた新しい物語として、各々の観客の中で再び芽吹いていきます。それはあたかも、二つの映画が描いた“死という無からの再生”、“絶望という無からの再生”を、観客の心の中で再現しているようですよね。思うにこれは、映画監督によって何も無い場所から産み落とされた映画にとっても、最も幸福な形の“再生"に他なりません。

…まあ、ギレルモやアルフォンソがそこまで考えて映画を製作したかどうかは定かではありませんが、少なくとも私にとっては、これまでに観たどの映画よりも、“とりあえず明日も頑張って生きてみるか”という気にさせられた作品であったことに間違いはありません。


…絶賛される映画が登場すると、暫くして必ず、その作品のアラ探しをして難癖を付ける類の批判がでてきます。もうこれは、薬の副作用と同じような現象であるので、ある程度は致し方がないと諦めています。しかしながら、SNSによってこの“絶賛映画への反発”現象がどんどん悪質になっていくのには、正直、吐き気を覚えることも。有象無象のユーザーが勝手気ままに、時には露骨な悪意でもって作品を貶めているのを目の当たりにすると、ああ、映画ってこんな風に壊されていくんだなあ…と背筋が寒くなる思いですね。

ギレルモの映画もアルフォンソの映画も、ちょっと詳しい知識を持っていれば、いくらでもアラをあげつらうことができるでしょう。でもね、アラ探ししてケチつけて映画を辱めて、それをわざわざネット上で文字にして世界に発信して、一体どんな良いことがあるの?何の得になる?言い方は悪いですが、映画をめくら滅法に批判するのは、その映画を観て素晴らしい体験をしたと感じているたくさんの観客をも同時に批判していることになりますよ。映画に限らず、何かに疑問を呈するときには余程慎重にならないと、それは単なる否定のための否定となり、憎しみ以外の何物も生み出しません。

彼らの作品は、専門的知識を伝える教則映画ではなく、娯楽映画です。エンタメの世界で、死や絶望という無の世界からの再生を描いているだけなんです。映画を観た後、もうちょっと頑張ってみるかと思う人間が一人でも出てきたり、あるいは、“映画では実際には描かれなかったこと”について、いろいろ思考を巡らせてみる人間が出てくれば、その映画は立派に使命を全うしたと言えるのだと思います。

“実際にはこんな映画のような事態は起こらない、だからこの映画は単なる夢物語であって、何らの説得力も持たない”と判断するのも、成る程、一つの考え方であり、思考方法だとは思います。まあでも、もし私がそのような考え方をする人間であったなら、今頃は、映画なんて全く観ない、そんな子供じみた娯楽に興味も持たない、愚かなSNSとも無縁の人生を送っていたことでしょうけどね(笑)。

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「ゼロ・グラヴィティ Gravity」(2013年)
監督:アルフォンソ・キュアロン
製作:アルフォンソ・キュアロン&デヴィッド・ハイマン
脚本:アルフォンソ・キュアロン&ホナス・キュアロン
撮影:エマニュエル・ルベツキ
視覚効果監修:ティム・ウェバー
プロダクションデザイン:アンディ・ニコルソン
衣装デザイン:ジェイニー・ティーマイム
編集:アルフォンソ・キュアロン&マーク・サンガー
音楽:スティーヴン・プライス
出演:サンドラ・ブロック(ライアン・ストーン)
ジョージ・クルーニー(マット・コワルスキー)
声の出演:エド・ハリス(ヒューストン管制塔)

地上600kmの上空で地球を見つめながら周回しているスペースシャトルには、様々な乗組員が搭乗している。スペシャリストとして今回のミッションに参加したライアン・ストーン博士は、自らの研究を続行するために初めて宇宙に出た。逆に、船長のベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキーは、今回が最後のミッションとなる。ある日ライアンは、ヒューストンの管制塔との通信に不可欠な装置を船外で修理していた。単独宇宙遊泳時間の記録更新を狙っているコワルスキーは、吐き気に耐えながら作業するライアンの隣で、呑気にカントリーソングなどを流している。宇宙での初ミッションに緊張するライアンを気遣ってか否か、やたらとライアンに無駄話を語って聞かせるマットが、ライアンにはうるさくてかなわない。しかし、そんな平和な宇宙での日常も突如終わりを告げた。
ロシアが自国のスパイ衛星を爆破したため、他の国々の有人衛星の軌道上に大量の破片や残骸が散乱したのだ。それらスペースデブリは、すさまじいスピードで飛来し、あっという間もなくスペースシャトルに降り注いだ。衝撃で漆黒の宇宙へと放り出されたライアンはパニックに陥るが、マットに救い出されて互いの宇宙服をロープで繋ぐ。へその緒で結ばれた双子の赤ん坊のように、運命共同体となった2人は、残り少ない酸素と燃料、大破したスペースシャトルの乗組員全員が死亡するという絶望的な状況の中、地球への帰還を目指す。
ところが、シャトルと同じ軌道上にある国際宇宙ステーション、ロシアの有人衛星と中国の有人衛星に救助を求めるも、乗組員は既に避難した後でもぬけの殻だった。ライアンとマットに課された最初の難関は、酸素と燃料、装備を補給するためにこれらの衛星にたどり着くこと。彼らは果たして無事に帰還できるのだろうか。


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「ゼロ・グラヴィティ」(この邦題は大きな誤りです)については、また後日、ゆっくりお話したいと思います。この作品は、今後主流になっていく3D映画の進化の方向性を決定づけたという、映画史上のトピックになっただけでなく、名作「2001年宇宙の旅」で“描かれなかった部分”に焦点を当てた、いわゆる「2001年宇宙の旅」のコインの裏側のような存在であるとも思いましたね。映画の技術や精神が、こんな風に良作を生み出しつつ未来に受け継がれていく様子を目撃できたのは、幸いでした。
また前述したとおり、本作を最初から最後まで見通すと、このストーリーそのものが命の“再生”、つまり“新しい生命の誕生”を暗示したものであったことが分かるようになっています。実はそれは、くだんの「2001年宇宙の旅」でも最終的に辿り着いた大きな命題ではあったのですが、その表現方法、解釈の仕方は「ゼロ・グラヴィティ」とは大きく異なりますね。「2001年宇宙の旅」のボウマン船長は人類そのものを超越してしまいましたが、「ゼロ・グラヴィティ」のライアンは、あくまでも“母なる地球”を目指そうとすることで、罪の意識でがんじがらめになっていた自らの“母性”をも開放します。似て非なる性格を持つこの二つの作品は、共にお互いにとって双子のような存在なのではないでしょうか。

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