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zoom RSS 愛の映画ー「偽りなき者The Hunt」と「クラウドアトラスCloud Atlas」

<<   作成日時 : 2013/03/20 10:07   >>

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どんよりとした生憎の空模様ですが、館長にとっては久し振りの映画館日和になりますです。「偽りなき者 The Hunt」と「クラウドアトラス Cloud Atlas」を観てきました…。

本日のお題、まず一本目は昨年のカンヌ国際映画祭で主演男優賞に輝いた(マッツ・ミケルセン)トマス・ヴィンターベア監督の「偽りなき者 The Hunt」です。以前の記事でもちょっと触れたように、誤った思い込みと従前の常識に容易く翻弄されてしまう人間に、良心とは何か、人間の尊厳とは何かを問う作品ですね。

重いテーマを扱うものですが、マッツ・ミケルセンの渾身の名演を最後まで見届けるつもりで観賞してきました。…しかしですね…、白状すると、上映途中でもう外に出ようかと思った瞬間が何度かありました。映画がつまらなかったという意味ではなく、正視できなくなったという意味です。

奇しくもヴィンターベア監督と同郷(共にデンマーク出身)の、ラース・フォン・トリアー監督作「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のテーマと共通する“1人の無力な人間に下される理不尽な運命と壮絶な受難劇”である今作。1人の幼女の妄想が引き起こした冤罪は、閉鎖的で保守的な田舎町の人々を狂気の徒にするに充分な事件でした。自分に親切に接してくれるからという理由で、主人公ルーカスに幼い憧憬を抱いたクララは、プレゼントとキスを拒絶された腹立たしさから、年上の兄から聞いた性知識の断片をルーカスと結び付けるような発言をしてしまいます。本人は、自分が口走ったことの意味も重大性もさっぱり理解しちゃいません。それを聞きとがめ、誤った先入観とペドフィリアへの嫌悪感を暴走させ、クララの妄想を大騒動に発展させたのは、幼稚園の園長、親、その仲間の親たちであったわけです。ですから、クララ本人は、突然大好きなルーカスと会ってはいけないと親に言われて混乱し、悲しみさえするのですね。

こういったクララの矛盾を孕んだキャラクターって、ちょっと「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のセルマを連想させるものですが、ともあれ、子供を持ったことがない方には、見ていて大層イライラする要因になったと思いますね。子供は無垢だ、純粋だと言われますし、この映画の中でも園長先生が「子供は嘘をつかないと信じている」と叫ぶシーンがあります。がしかし、その“無垢”の中には当然“無知”というやっかいな要素も多く含まれているということを忘れてはいけません。私の息子は幼い頃、立派な翼を持ったドラゴンがすぐ近くに住んでいるのだと真面目に信じていました。そして、空を飛んでいる飛行機を指差しては、「ほらドラゴンが飛んでる!」と叫んでいたものです。そう、ちっちゃい子供って大概こんなもんなんです。自分が実際に見たものと、周囲から聞いただけの情報、“夢で見た”といった類の単なる空想をきちんと区別することが出来ない。

ですから、そんなクララの虚言が独り歩きを始め、結局ルーカスを幼児への性的虐待常習犯に仕立て上げたのは、クララのせいではなく、集団ヒステリーに囚われた大人達の無知に罪があるわけです。司法の調査が入り、ルーカスを無罪だと断定しても、理性を完全に失った大人達が彼を生贄に祭り上げることをやめませんでしたし、むしろ、以前よりもはっきりと悪意と殺意を伴ったリンチがルーカスに下されるようになったのには理由があります。司法によって、子供達の虚言と、それをつついて大騒ぎした大人達の罪が明らかになり、今度は自分たちの非と自分の子供達の嘘を守るために更なる暴走をしなければならなかったのですね。

では、そんな理不尽な冤罪に対し、ルーカスはどう反応したか。もちろん、冤罪のもとになっているのが、長年の無二の親友の娘であったこともあり、彼は当初は事実無根だと怒り、園長や彼女に同調する母親たちに激怒し、自分が何もやっていないことを証明しようとします。でも結局は、声の大きな者に大衆の意思が従属するように、街の人たちの大半がルーカスにそっぽを向いてしまうのです。ルーカスの四面楚歌っぷりたるや、カメラが彼の受難をひたすら淡々と映しだしていくせいで、観ているこちらが憂鬱になるほどリアルな描写でした。小さなコミュニティ内で一度“異端”の烙印を押されてしまった者が、もうどこにも逃げられないことがよく分かります。
しかし、集団ヒステリー状態に疑問を抱いてルーカスの唯一の味方になってくれた友人も呆れるほど、ルーカスは自分を守るための反論をしなくなります。ボロボロになるまで殴られても、愛犬を殺されても黙って耐える。なぜなら、自分にやましいところは何一つなく、真実はただそれだけであるから。今は誰も耳を傾けてくれなくても、真実はいずれ白日の下に姿を現し、街の人たち皆の目を覚まさせてくれると信じているようです。街の人たちからの迫害にも文句を言わず黙って耐え忍び、しかし絶対にその街を離れず、職を失ってもキチガイ扱いされても意地でも自分の家に住み続ける。それが、ルーカスなりの矜持、誇りの証だったと思いますね。…私なら耐えられないですが。

閉鎖的なコミュニティの恐ろしさは、魔女狩りが正義であった中世時代から一つも進歩していない人間が、簡単にその醜い本性を露にしてしまうこと。そしてもっと恐ろしいのは、これはなにも田舎町だけに起こる現象ではないということです。しかし、さらにやりきれないのは、クララの両親、その他幼い子供を持つ親達は、わが子を犯罪から守りたい一心で暴走していたのだという事実です。“疑わしきは罰せず”は司法の基本理念ですが、しかし実際には、それでは地域社会に害をなす犯罪者が闇に隠れる機会を作ってしまいます。従ってコミュニティの中には、自衛のため、“疑わしきは排除せよ”という暗黙のルールがもうけられているものです。考えてみると恐ろしいことですが、それが現実ですね。ルーカスを迫害するのは、何もルーカス本人が憎いからじゃない。わが子、わが町を犯罪から守りたいだけなのだ、と大人達は口を揃えることでしょう。おそらくそれは、彼らの偽らざる本心だということも真実だと思うのです。…それが悲しい。自分の大切なものを守るために、ルーカスを攻撃する。ルーカスが黒か白かなんて、この際どうでもいいのだと。その行動は明らかに間違っているのに、狂気に駆り立てられる彼ら1人1人の思いは至極真っ当なものだというジレンマが、この映画を一層ストレスフルなものにしています。

ルーカスは冤罪であるにもかかわらず、子供の“あいつは魔女だ!”の指差しによって、“疑わしきは排除せよ”のリストに載ってしまいました。ですから、映画のラストでも暗示されているように、彼への村八分はおそらく永遠に終わらないものと思われます。人間って本当に愚かでバカ。この映画が描く村八分なんて、古今東西、いつの時代でもどんな社会でも見られる人間の原罪です。今は制裁を加えるマジョリティーの側に立っているかもしれませんが、いつ血祭りにあげられる側に転落するか分かったもんじゃありません。明日は我が身。明日はあなたも私も“ルーカス”になっているかもしれません。今の日本を見てご覧なさい。モラルも常識も裸足で逃げ出すカオス状態です。親達は子供を守ることを口実に、実に自己中心的な欲望の権化と化し、たくさんのいい年をした大人が“外国人を排除せよ”とプラカードを掲げて行進する。理性も良心も死に絶え、人々の精神は中世時代に逆行している。狂気が狂気でなくなっている、これが今の日本社会なんです。

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この映画は、何度も引き合いに出す「ダンサー・イン・ザ・ダーク」のように、人間の理不尽かつ不可解、非情な本性を、主人公やその周囲の人々の表情の変化を克明に追うことで浮かび上がらせていきます。風光明媚な田舎町の、どこか懐かしさを感じさせるセピア色の情景の中に、どす黒い狂気がひたひたと蔓延してゆく恐怖。ルーカスの冤罪に対する警察の捜査や裁判(予審)の状況は具体的に描かれませんが、そんな描写なんぞなくとも、ルーカスの壮絶な受難劇は観る者に充分な苦痛と怒りと恐怖を与えますね。


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二本目のお題は「クラウドアトラス Cloud Atlas」でした。「偽りなき者」では、人間の良心なんて(理知も)いずれ死に絶える運命であることを暗示するかのようなラストシーンが、どこまでも苦く重い余韻を観客に残しましたが、この作品では一転して、複雑に絡み合う複数の人間の悲劇も彼らが抱える業も、最後には浄化されてゆく救いを与えてくれます。

実は、「偽りなき者」を観た私はどん底まで沈んだ気持ちに鬱々となっており、二本目の映画を諦めて帰ろうかと考えていたほどでした。

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そのとき、映画館内で流れている予告編がたまたま「ジャンゴ 繋がれざるもの Django Unchained」だったんですよ。ドクター・シュルツが、激しい銃撃戦の後でカウボーイハットのつばをちょいっと傾け、飛んできた弾丸を優雅に払い落とすシーンが目に入りました。…ううう…わたくしめ、このシーンが大大大大好きなんですよ…ぐがが…。

やっべ、ドクター・シュルツが私を呼んでらっしゃるって。めっちゃ素敵なドクターが、「ジャンゴ Django Unchained」を観なさいよって言ってるんだって。どーする私、予定を変更して素敵なドクター・シュルツ観に行くか?観に行くか?

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…とまあ、一瞬錯乱しかかったものの、予定通り「クラウドアトラス」を観ることにしました。

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原作は、英国の作家デヴィッド・ミッチェル David Mitchellの3冊目の小説「クラウド・アトラス Cloud Atlas」(2004年)ですが、映画化にあたり、19世紀から文明崩壊後までの異なる時代の6つの物語の断片を、一度シャッフルした後にそれらを自在に行き来しつつ、バラバラになったパズルのピースを組み立てていくという、トッド・ヘインズ監督(「ポイズン」「ベルベット・ゴールドマイン」「アイム・ノット・ゼア」)が得意としていた“ザッピング zapping”のようなテクニックで描くものです。

この作品は欧米での評価が真っ二つに割れており、興行的にもぱっとしない成績だったと聞き及びます。しかし私自身は、なぜにこの作品が酷評されねばならないのか理解できません。少なくとも私は、映画が促すストーリーの流れに心地よく身を任せ、最後まで大変興味深く観賞しました。

…まあ、不満がないわけではないですよ。最もドラマティックでダイナミックなうねりを見せるはずの“ニュー・ソウル”のエピソードで、明らかに西洋の顔立ちの俳優達に無理矢理妙なメイクを施して“韓国人”に仕立て上げているのは、映像的に見て多分に無理があり、それが残念といえば残念。

面白いのは、男性から女性に生まれ変わったラナ・ウォーシャウスキー監督の意向を汲み、1人の俳優が異なる性別の役柄、違う人種の役柄を演じ分けていることですね。確かに今までも、ピーター・セラーズが同じ映画の中で1人3役をこなした「博士の異常な愛情」というような作品が存在していたわけですが、複数の俳優が同時に複数のエピソードで全く異なるキャラクターに扮するというのは、斬新な試みだと思います。
トム・ハンクス、ハル・ベリー、ジム・ブロードベント、ジム・スタージェス、ベン・ウィショー、ジェームス・ダーシー、ペ・ドゥナなど、各エピソードで主要な役柄を演じる俳優のほかにも、脇を固めるキャラクターをヒューゴ・ウィーヴィング、ヒュー・グラント、スーザン・サランドンといった著名な俳優が、やはり1人で何役も掛け持ちして演じる複雑怪奇な趣向になっています。

しかしそれにはちゃんとした意味がありましてね。

全ての生命は輪のように繋がりを保ち、彼らの運命もまた、その長い旅路の先々で業を洗い落としながら最初の地点に戻ってくるのだと悟る。死は終わりではなく、次の世界を開く扉であるとする東洋的思想が、それこそ洋の東西、時間軸、人種の別や性別すらも軽々と超えて当たり前のように示されます。この映画の最も大きなテーマはそこにあり、それを強調するためにこそ、複数の俳優が1人で何役も掛け持ちしたわけですね。

もう一つ興味深いのは、文明の進化が行き着くところまで行き着き、ゆっくりと崩壊に向かっていた近未来世界から、完全に文明が崩壊した未来世界に至るまで、人類の歴史上で重要な役割を担うのは、アジア、アフリカといった現在では“先進国から遅れているとみなされる国々”の人間であることですね。ハル・ベリーとトム・ハンクス主演の、文明が崩壊し、人類も滅亡の危機に晒されている未来世界のエピソードをよくご覧になってみてください。“ソンミ様”を崇め奉り、石器時代に逆行したかのような原始的な生活を営む人類の生き残りはいわゆる白人種、高度な科学技術を搭載した宇宙船に乗り、滅亡の危機を回避しようと奔走する理知の民は、黒人やアジア人などのいわゆる有色人種なのです。現在のマイノリティーとマジョリティー構造をひっくり返したような物語の設定が、個人的には大変シニカルにみえましたね。この辺りにも、監督の意思が働いているかもしれません。

そして、各時代のエピソードのエッセンスを抜き出しつつ、それぞれを自然に他エピソードに繋げてゆく編集の妙技とストーリーの見事な再構築は、もっと評価されていいはず。てんでばらばらな方向を向いている各々のエピソードを、それこそ「空飛ぶモンティ・パイソン」におけるテリー・ギリアムの切り絵アニメのごとき要領で、一つの大きな流れに向かって収束してゆくこと。その先にあるのは、きっと新しい世界を開く新たな扉であると結論付けてくれるこの作品は、現実世界がいかに酷いものかを突きつけてくる悲壮感漂う映画より、少なくとも今の私たちを慰め、癒してくれるのではないでしょうかね。


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