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zoom RSS Short Film (animated): ノアの箱舟の行き着く果て。―「ARK」

<<   作成日時 : 2015/02/26 22:22   >>

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人生はただ歩き回る影法師、哀れな役者だ。 出場の時だけ舞台の上で、見栄をきったりわめいたり、 そしてあとは消えてなくなる。” ―ウィリアム・シェイクスピア

“ARK” (HD) AWARD Winning Animated Film by GrzegorzJonkajtys Feat.in Sketchozine.com Vol 1+8

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近未来。未知のウィルスが人類のほとんどを死滅に追い込んだ。そのウィルスの生態が解明できないまま、生き残った人々は、とりあえず陸地から隔絶された海上に逃げ延びる。1人の男に指揮された巨大な船団は、残り少なくなった人類を乗せ、いまだ無人の土地を探して彷徨っていた。

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生き残った人々にとっての“ノア”となった男は、今日も狭い船室で殺人ウィルスの研究にいそしむ。

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どの細菌学の本を紐解いても、このウィルスのメカニズムが分からない。一体何を媒介として、何をきっかけとして人間を死に至らしめるのか。平常時では、このウィルスは他の生命体の細胞に対し、何らの作用も及ぼさないのだ。

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壁にぶち当たった男は、手のひらに怪我をしたことをふと思い出した。そして単なる好奇心から、まだ新しい傷口から血液を採取すると、ウィルスを挟んだプレパラートに血液を乗せてみた。

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すると、今まで休眠状態にあったウィルスが突如活発に活動を始め、目の前の他生物の細胞を破壊し、毒素をその中に注入した。あっという間の出来事だった。つまりこのウィルスは、人間の血液を媒介としてその人間自身の細胞を破壊してしまうのだ。これでは、人間の体内に入り込んだウィルスを駆逐することは不可能。つまり、このウィルスに感染すれば最後、いたずらに死を待つしかないということだったのだ。このウィルスを殺人ウィルスたらしめているのは、宿主である人間自身であった。ましてや、ウィルスが他の生命体に感染するのはいとも簡単で、防ぎようがない。すなわち、ウィルスへの対抗手段もないということだ。

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人類が1人残らず死に至るのは時間の問題だ。絶望した男は、最後の手段のためにとっておいた拳銃を手にした。船の甲板に上がると、もうすぐ無人島に到着することがわかった。

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いかに無人島がウィルスに汚染されていなくとも、それを宿主である自分たちが持ち込んでしまえば、狭い島内でウィルスが繁殖するのもあっという間だろう。他ならぬ私たち自身が、この島に殺人ウィルスを持ち込んでしまうのだ。多数の船団が島に近づく様子は、まるで、他の生命体を破壊するために群がってくるウィルスのよう。

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人類の最後の希望となるはずだった無人島を見つめ、男は拳銃をこめかみに当てた。

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すると、厳しい表情の看護婦が男の目の前に立ちふさがる。

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男の目を覚まさせるため、彼女は男の頬を引っぱたき、拳銃を取り上げてしまった。

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ところが、男が握り締めていた拳銃は、病室のドアの取っ手であったことがわかる。

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男の髪の毛は真っ白、そのたるんだ肌にはシミが浮いていた。…男は既に老齢に達していたのだ。

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男は、生き残った人類を“箱舟”に乗せ、無人島までやってきた生ける“ノア”ではなかったのか。彼が率いていたはずの箱舟は、なんと巨大な建物であった。

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…しかしその建物には、確かに、“Ark Convalescent Home アーク(箱舟)病後療養所”という名前がつけられていた…。


「ARK」 (2007年)
director: Grzegorz Jonkajtys
producers: Grzegorz Jonkajtys, Marcin Kobylecki
co producers: Piotr Sikora, Jaroslaw Sawko (Platige Image)

AWARDS:
- Cannes Film Festival - Official Selection (2007)
- SIGGRAPH 2007 - Best of Show
- Prix Ars Electronica - Award of Distinction (2007, Austria)
- Cracow Film Festival - The Silver Hobby-Horse, Best Animated Film
- Australian Effects and Animation Festival (2007, Australia): Winner - Short Film
- Animanima International Film Festival (2007, Serbia): Award for the Best Directing
- Budapest Short Film Festival (2007, Hungary): Best Animation
- Tokyo International Anime Fair (2008, Japan): Notable Entry Prize
- View Conference (2007, Italy): Best 3D Short
- Tehran International Shortfilm Festival (2007, Iran): Best Experimental Award
- Kyiv International Film Festival Molodist (2007, Ukraine): Best Short Film

2007年制作のショート・アニメーション映画です。カンヌ国際映画祭や数々のショートフィルム映画祭に出品され、日本でも東京国際アニメ・フェアで披露されたことがあるそうです。様々な映画祭に招待されたのも納得できるこの力作、ひょっとしたら、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれませんね。作品がYou Tubeにアップされていましたので、改めて触れてみたいと思います。

以前もどこかで書いたのですが、上映時間の短いショートフィルムでは特に、映像として表に出てこない表現や感情の“行間を読み取る”作業が重要になってきます。あえて省略されている映像を、自分の脳裏で補完できるかどうか。これが、ショートフィルムを楽しむ上で大きく影響するのではないかと思います。与えられた映像と音を理解することで、裏に隠されたより大きな世界を自由に連想できるような作品が、私は好きですね。ですから、ナレーション主体の作品であるとか、セリフがぎっちり詰め込まれているような作品は、あまり好みません。一から十まで言葉で解説されてしまうと、“映像を想像する”余地がなくなってしまいますもんね。

この「ARK」という作品も、余計なセリフやナレーションを思い切って排除したアニメーション映画です。また、ショートフィルム独特の省略話法で語られるため、ストーリーが幾通りにも解釈可能な、捉えどころの難しい内容となっています。また、どこまでが“現実”でどこからが“非現実あるいは妄想”であるのか、その境界線をあえて曖昧なままにしているので、観ている側にとっては不安がいや増すタイプの作品であるのも確かです。まあ、そんなところにこそ、ショートフィルムの奥深さがあるのですけどねえ。
昨今の観客ときたら、単純明快なストーリーでないと、“理解し辛い映画=悪い映画”と性急に結論付けてしまうのでやっかいです。案の定というべきか、今作のYou Tubeコメント欄にも、最小限にとどめられた映像情報と、複数の可能性を持つストーリー展開に翻弄され、苛立っている視聴者のコメントが目立ちますね。

まあ、いたずらにストーリーを複雑にしたり、映画界では相も変わらずもてはやされている“時間軸の移動”や“複数の時間軸を最後に統合する快感”が、必ずしも良い映画の条件ではありません。ただ、今作のように、面白い作品には必ずといっていいほど、観客の想像力を刺激する“余白”があることも確かです。映像として見えている世界が氷山の一角だとしたら、海中に沈んでいる部分が大きければ大きいほど、その作品は観客にとっては挑戦し甲斐のあるものだと思いますよ。

「ARK」のオープニングにシェイクスピアの戯曲の一部が引用されていることが、後に続く物語の伏線になっているだろうことは予測できます。未知のウィルスから生き残った人々が、“現代のノア”たる主人公に先導され、未踏の地を目指していたこと、そして当の主人公が、人類には未知のウィルスから逃れられる術がないのだと悟るまでのストーリーは、全て主人公の一人称として語られています。セリフらしいセリフは皆無ですけどね。

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ウィルスに汚染されていない土地を目指して放浪する船の映像も…

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船内で既にウィルスの汚染が広がっていることを暗示する映像も…

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全てはこの男自身のヴィジョンであるのです。

従って、この男がいた場所が船ではなく実は病後療養所であったこと、この男が自殺願望を持つ一種のパラノイアであったらしいことが明かされると、拍子抜けというか騙されたような気になってしまうのも確かです。ホラー映画やミステリ映画などで、あれだけショッキングな出来事が連続した波乱万丈ストーリーが、最後の最後に“実は全てが夢でした”“実は全て主人公の妄想でした”とおとされると、ちゃぶ台をひっくり返したくなるのと同じ心境ですね(笑)。

でもこの作品では、提示される映像全てが揺ぎ無い真実でもなければ、全てが偽りというわけでもありません。映像の途中で、巧みに現実と妄想がすりかえられているというのなら、それをどのように解釈しようと観る側の自由だともいえます。

ならば、この主人公の男が見てきた(と彼自身が固く信じている)事実―かつて、人類は未知のウィルスによって滅亡しかかったが、自分の先導によってごく少数が生きのびた。しかし、ウィルスを撃退する方法が事実上ないことが分かり、絶望した―が、本当にあったことだと考えてもいいはず。ウィルスを撃退する方法がないと男は考えましたが、生物の法則として、あらゆる種に環境の変化に耐えうる個体を生み出す可能性があります。人類の中からも、ウィルスに耐性を持つ者が生まれてきても不思議じゃない。
男は旧人類の生き残りを守ったことにはなったが、滅亡の危機を免れた新人類による新たな社会編成の中で、その存在や功績が忘れ去られてしまった。舞台中央のスポットライトから弾き出された役者のごとく、用済みになった男は、哀れ病院に放り込まれることになったのかもしれません。

あるいは、この主人公の男が見てきた(と彼自身が固く信じている)事実が、全て彼の願望というか妄想の生み出した、手の込んだ虚構であった場合はどうか。家族も身寄りもなく、社会の中でも一切顧みられることのない、ちっぽけな存在である自分の真の姿に耐えられず、自分を“人類の救世主”だと妄想することで、辛うじて己の矜持を守っていたのだとしたら…。
私たちの社会では、自分の妄想を頑なに信じるあまり、それを真実だと思い込んでしまった人間の行き着く先は精神病院だと相場が決まっています。
衛生環境の悪い船室内で、先の見えない不安におびえながら息を潜める難民の姿は、彼が入れられている病院の病室で、人間の尊厳を奪われながらも生きながらえる人々のメタファーであり、“ノアの箱舟”の行き着く先には最悪の結果しか待っていないことを知って彼が自死を選ぼうとするのも、自由を求めて何度も病室を脱走しても(…あるいは、人間らしい生活がしたくて社会の底辺から逃れようとしても)、結局は病院の屋上に上るしか行き先はない…つまり彼の欲する自由は何処にもない…現実への絶望を、暗喩していると考えられます。

様々な情報が溢れかえる昨今、実際に、現実と妄想の区別がつかなくなってきている人間は増える一方。この“ノアになりたかった男”の予備軍は、あなたや私の周りにも大勢潜んでいるかもしれません。もちろん私やあなた自身も。
今自分が見ていると信じている“現実”が、いつ“妄想”だとひっくり返されるのか、特に今のご時勢では予測できない不安が根強いです。自分にとっての真実が、別の人間にとっては必ずしもその限りではないように、一つの出来事にはたくさんの側面があり、そのどれにスポットライトを当てるかによって、その事実の見え方も大きく変わってしまうものですから。それに、今自分が置かれている状況に満足できず、常に“どこか希望に満ちた別の場所”に行きたいと願っている人間は、存外多いもの。“ノアになりたかった男”の物語は、容易に私たち自身の物語に置き換えることが可能なのです。この作品の本当に恐ろしい部分は、そこなのかもしれません。

テーマに合った陰鬱な色調、不安感を煽るデフォルメされた人物造詣、ストーリーの悲劇性を高めるような沈痛なメロディー、シェイクスピアの引用から始まって、大胆な省略話法と現実と妄想の巧みな摩り替え演出を組み合わせた、鮮やかな語り口。男の一人称でありながら、“目には見えないドラマ”に深い奥行きを感じさせるストーリー。緊迫感を最後まで殺ぐことなく、観客に驚きをもたらす作品だと思います。何度も繰り返して観るうちに、様々な感情が揺さぶられますね。


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