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zoom RSS お父ちゃんのブルース―「パパのしごとはわるものです」

<<   作成日時 : 2013/12/30 13:28   >>

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このお話を、世界中の頑張ってるお父ちゃんに捧げます。そしてこの世の中が、“善玉”と“悪玉”のバランスの上に成り立っていることを忘れちゃいけない。


パパはがんばってわるいことをしているんだ。わかるか?


今から、宿題になった「おとうさんのしごと」について調べてきたことを発表します。

ぼくのお父さんは、髪の毛はちょっぴり寂しいけど、全身筋肉モリモリ、手も顔も大きくて腕も太いです。だんごっ鼻はぼくといっしょ。でも、くりくり丸い目はぼくよりちんまりしてて可愛いです。

で、お父さんはいつもぼくにこう訊ねます。「大きくなったら何になりたい?」
もちろん、ぼくもいつかお父さんみたいに筋肉モリモリになりたい。そして、絶対「せいぎの味方」になりたい!だってお父さんみたいな体になったら、悪ものをあっという間にやっつけられるから。お父さんもそうなんでしょ?

いつものように車に乗って仕事場に向かうお父さん。ぼくはお父さんには内緒で、その車の中に隠れました。ぼくは正義の味方になりたいけれど、ほんとのところ、お父さんがどんなお仕事をしているのかは知りません。宿題のためだったけど、ぼくもお父さんのお仕事のことを知りたかったんです。

お父さんは大きな体育館の中に入っていきました。どうしてこんなところに用事があるんだろう?ぼくもお父さんに見つからないように体育館に忍び込んだつもりだったけれど、怖い顔で睨みつける大きなおじさんに見つかってしまいました。ぼくが一生懸命、お父さんの後についてきた理由を話すと、おじさんは、お父さんと同じように太い腕でぼくを会場の中に入れてくれたんです。真ん中にロープを張った四角い場所があって、そこで筋肉モリモリのかっこいい男の人と、マスクを付けた男の人が睨みあっていました。その周りには、歓声を上げるお客さんがいっぱい。でもぼくのお父さんはどこにもいません。

鐘の音が鳴って、かっこいいせいぎの味方ドラゴン・ジョージと悪ものゴキブリマスクが戦い始めました。ぼくはドラゴンを応援します。だってジョージはせいぎの味方だもの!ジョージも筋肉モリモリだけどゴキブリマスクも負けてない。そのうち、ゴキブリマスクはズルをしてジョージをやっつけはじめました。お客さんたちも、皆げんこつを振り上げて卑怯ものを怒ってる。ぼくも頭にきて、いつもお父さんに叱られるときの決まり文句を怒鳴ってました。「悪いことばっかりしてると立派な大人になれないぞ!」
そのとき、ゴキブリマスクがびっくりしたように立ち止まって、ぼくの方を見ました。そう、ゴキブリマスクの中のくりくり丸い目は、確かにぼくよりちんまりしていました。マスクをかぶった悪ものがぼくのお父さんだったんです。

その隙にジョージが反撃し、ゴキブリマスクにキックをお見舞いしました。そのこん棒のように太い腕で空手チョップ。今度は逆にゴキブリマスクがやられていきます。せいぎの味方の復活にお客さんはやんやの大歓声。でもぼくはそれどころじゃありません。悪ものだけどゴキブリマスクだけど、あれはぼくのお父さんなのに。ジョージがゴキブリマスクにとどめを刺し、両手をあげて勝利をアピールしました。周りのお客さんはみんな立ち上がり、手を叩いて大喜び。ぼくは一人口をへの字に曲げ、思い切り両目を吊り上げて、お父さんを倒したジョージに拍手をする人たちをにらみつけました。もちろん、ぼくにうそをついていたお父さん…床の上にのびてるゴキブリマスクもにらみつけました。

会場からお客さんたちが出て行きます。ぼくは一人で廊下に立って、おいおい泣きました。お父さんはどうして顔を隠して悪いことをしてるんだろう。せいぎの味方にかっこ悪くやっつけられるお父さんなんか、大きらいだ。顔を上げると、ぼくと同じように口をへの字に曲げて、目を吊り上げたお父さんが立っていました。手にはあのマスクを持っています。ぼくは真正面からお父さんをにらみつけました。お父さんはせいぎの味方なんかじゃなくて、悪ものだったんだ…。

すごく嫌だったけど、お父さんはぼくを抱っこして体育館の外に出ました。さっきはあれだけ怒ったり怒鳴ったりしていたお客さんたちが、楽しそうに目をキラキラさせて家に帰っていきます。お父さんはぼくにこんなことを言いました。悪ものがいないと、せいぎの味方が活躍できない。そしたらみんなが楽しくなれない。だからお父さんは、みんなのために悪ものになってるんだ…って。ぼくには、お父さんが言ってる意味がよくわかりませんでした。だけど、胸が痛くなるのはわかりました。
お父さんはぼくを肩車してくれました。筋肉モリモリの肩と太い腕。ジョージにこてんぱんにやられちゃったけど、お父さんはせいぎの味方の顔で、笑いながらへいちゃらだって言いました。うん。悪もののお父さんでもいいけど、今度はかっこ良くジョージに勝って欲しいなあ。

だからぼくは、「お父さんのしごと」のプリントに、“ぼくも大きくなったら、お父さんみたいな悪ものになりたいです”って書きました。お父さんは黒のマスクに黒い服だから、その隣に、白いマスクに赤の服を着た自分の絵を描きました。2人で並んで立ったら、きっとかっこいいと思うから。

パパのしごとはわるものです (えほんのぼうけん27)
岩崎書店
板橋 雅弘

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たぶん、この本を震災前に読んでいたとしたら、私は全く違った感慨を持ったと思います。この絵本の言わんとするところを純粋に拾い上げるだけなら、むしろ、震災のことは一切頭から締め出した方が良いのは百も承知。だけど、それはもう事実上不可能でしょう。
世の中がある程度落ち着きを取り戻したとはいえ、それは表面上そのように見えるだけで、普段と同じように映画を観ていても本を読んでいても、常に頭の一部は被災地、そして原発に向かって覚醒しているような状態なのですから…。良きにつけ悪しきにつけ、震災とその後に続いた社会の大混乱は、私を含め日本に住む人たち全ての意識を変えてしまいました。いまさら、震災前と同じような精神状態に戻れと言われたって、それは無理な相談なのです。

さて、私には2人の息子がおりますが、特に長男の方の成長は目覚しく、彼が心身ともに私の手から離れつつあることを実感します。赤ん坊の頃から格別甘えん坊だった長男は、生来の優しい性格も災いしてか、なかなか他の男の子たちのようにヤンチャ坊主になりきれませんでした。彼の佇まいは、どうかすると弱々しくみえたりもしましたね。しかしそれも、フランス滞在、帰国してからの逆カルチャーショック等の苦労を経て、最近ようやく自我の確立と共に変貌していることを実感します。

そうなってくると、彼の今後の成長にとって重要度を増すのが、家族の関係の中でも特に父親との結びつきだと思われます。そこには、“男同士でしか理解できないもの”“父親から息子に伝えるべきこと”が確かにあり、父親と息子の絆の特殊性が浮き彫りになるのです。残念ながら“女”である母親には立ち入れない聖域だと言い換えてもいいでしょう。この作品「パパのしごとはわるものです」でも掲げられる最大のテーマはこれだと思いますね。

自分の父親のことを“パパ”と呼んでいるぐらいですから、この作品の主人公はせいぜい小学校1年生〜2年生ぐらいの男の子。その年齢の子供、特に男の子にとっては、父親は彼の世界における絶対的存在です。月並みな言い方ですが、やはりパパは全ての男の子のヒーローなんですね。それなのに、この作品のようにヒーローであるべきパパが、例え仕事のためとはいえ、またそれが演技に過ぎなくとも“悪者”であったとしたら、子供はどうなるのでしょうか。

“ぼく”は、パパの仕事が何なのかさえも知りません。これがごく普通のサラリーマン家庭ならば、わざわざ父親が自分の仕事内容を子供に説明しなくとも、父親が何を生業にしているかぐらいは、子供は察するものです。それがわからないとくれば、その場合、お父さんが何らかの理由で子供に自分の仕事を秘密にしている可能性が高い。そういえば我が家でも、ちょっと前でしたか、長男が夫の仕事の内容を詳しく聞きたがった時期がありましたねえ。親が教鞭をとっている家庭というのもそんなにポピュラーではないでしょうから、長男は長男なりに他の友達のお父さんと自分のお父さんを比べて、その違いを不思議に感じていたのでしょう。ならば、この作品の“ぼく”が、お父さんの仕事を知りたいと熱望するのも自然な流れです。

…ここで余談。今作では、学校で“お父さんの仕事を調べましょう”という宿題が出た、となっていますが、これは今でもあるんでしょうかね。私が子供の頃もこの手の宿題はありましたし、現に私自身も父親の仕事を調べた記憶がありますが。しかし、今長男が通う学校では、各家庭のプライバシーの侵害にあたるとかで、こういう課題はなくなったと聞いたこともあります。時代が下ると色々難しい側面も出てきますね…。
まあとにかく、宿題のことがあってもなくても、“ぼく”はきっとお父さんの後をつけてその秘密を探ろうとしたのではないでしょうかね。その行動って、親が子供の周囲にこしらえた心地よい世界に疑問を持ち始め、その巣の外側を知りたいと欲する本能に突き動かされたものですから。人間の成長の一段階として、周囲の世界に対してあらゆる好奇心を持つのは当然踏むべきステップです。

しかし悲しいかな、“ぼく”にはお父さんのやっていることがすぐには理解できなかった…。そりゃそうだ。腕も足も太く筋肉隆々のお父さんの身体は、子供には容易に“正義のヒーロー”を連想させます。それなのに、そのお父さんのやってることといえば、マスクを被って顔を隠し、ヒーローを卑怯な手段で痛めつけるという、悪漢そのもの。だいたい、普通子供が家でそんな“悪いこと”をすれば、世のお父さんはわが子をカンカンに叱るでしょう。“ぼく”のお父さんもそうです。お父さんは“ぼく”に立派な大人になるよう、いつも口を酸っぱくして諭していたようですね。それなのに、その当のお父さんが、“悪い大人”の見本のようなことを嬉々としてやっていたんですから、“ぼく”が混乱するのも当然ですよね。

プロレス・ショーで、観客から罵倒される悪者がお父さんだと初めて知ったときの“ぼく”の驚愕は想像に難くありません。子供には、そのプロレスが単なるショーであり、ヒーロー役も悪者役も、それぞれがそれぞれの役割を演じているに過ぎないだなんて、それが各自の仕事だなんて、理解できっこありません。子供にとっては、目に映るものが絶対的真実であり、世界の全てです。家では優しくて強いお父さんが、外では皆に嫌われ、挙句の果てにはヒーローにみじめにやっつけられる悪者だったことは、“ぼく”の幼い心に大きな価値観の矛盾を生じさせました。初めて世間の理不尽の一端に触れたのであろう“ぼく”の、千々に引き裂かれるような苦しい心理状態を、絵本は切実に伝えています。お父さんの方も、“ぼく”のそんな反応を予測していたからこそ、プロレスラーとしての自分の姿を明かす気になれなかったのかもしれません。

しかし、混乱するアイデンティティとお父さんを愛するプライドを、とりあえず“お父さんは嘘つきだった”とまとめることで、“ぼく”は今までとは違ったまなざしでお父さんに対峙します。ヒーローに無様に負けて(それも筋書き通りなのですが)子供の前に立った父親も、父親ではなく一人の男として真摯に“ぼく”に接します。

自分が何を仕事にしていて、その仕事の何処に誇りを見出しているのか。
男なら、家族を守るためにやらねばならないことがある。それが毎日の仕事である。
そして、例えそれが格好の良いものではなくても、世の中に役立つならば、妙なプライドは捨てて仕事に誇りを持って打ち込むべきだ。
父親には、そのことを自分の身をもって子供に示す義務がある。


子供が男親を必要とするのは、まさにこんな瞬間だと実感しますね。いずれは一家の大黒柱にならねばならない男の子には、父親こそがその心得たるものを伝授しなければならんのですよ。こればっかりは、母親にはどうもできませんね。

“ぼく”のお父さんは、プロレスを見に来るお客さんを笑顔にするために、身体を張って必死に“悪者”を演じます。だって悪者がいなければ、それを退治するのが仕事のヒーローが活躍できませんもの。お客さんは、憎々しい悪者がヒーローにやっつけられる様を見てカタルシスを覚え、溜飲を下げるのです。そして、心の中に溜め込んだ様々な欲求不満を解消する…。お父さんの“悪者”のペルソナは、それに奉仕する道具であるのですね。

誇りをもって真剣に悪者を演じ、お客さんに奉仕する姿こそ真のヒーローであるということに、“ぼく”は気づきました。見た目が格好良いとか悪いとかの問題ではありません。いくら悪者でも、やっつけられれば体は痛みます。おまけに、怪我をしても誰にも同情してもらえないのが、悪者の宿命でもあります。でもそれに不満を言わず、お父さんはリングの上で悪者として戦い続けるわけです。それがお父さん自身の“男としての矜持”。“ぼく”はお父さんの仕事を理解することで、お父さんの真の姿も理解したのですね。

この作品では、太くシンプルな線で、プロレスの激しい動きとスピードを力強く表現しています。特に、お父さんが仕事として行っているプロレス・ショーの躍動感はリアルそのもので、絵本の挿絵とは思えぬ迫力。それに対し、“ぼく”の可愛いまん丸の目や、“ぼく”以上にちんまりしたまん丸目のお父さんの表情はすこぶる柔らかく、プロレスの激しさとは正反対のストーリーを暗黙のうちに語っているようです。

世の中には、“ヒーロー”もいれば、そのヒーローにやっつけられる“悪者”もいます。これは、善悪のバランスを保つための鉄則だと言ってもいいかもしれません。どちらかが勢力を増せば、その社会は確実に潰れます。
私には、今の日本にどれだけの“ヒーロー”が存在するのかなんてわかりませんし、そのヒーローの肩を持つといったこともしたくありません。世間からは極悪人扱いされているものの中にも、本当はもっともっと評価されて然るべき存在があることも忘れたくないのです。いち組織としては恥ずべき存在であっても、その組織を構成する一人一人の人材は、厳しい現状を打開しようと命懸けで働いているのだという事実を、私たちは忘れてはなりません。

1960年代のアメリカで、黒人の参政権のために活動していた3人の若者がKKKに殺害された事件を扱う映画「ミシシッピー・バーニング」で、こんなセリフがありました。舞台となる南部の町の、人種差別主義に凝り固まった保安官が黒人の赤ん坊を見て言うんです。

「不思議だな。(黒人の)赤ん坊はあんなに可愛いのに…(しかし、成人した黒人には憎しみしか感じない)」

混沌とした世の中で、何が正しくて何が間違いなのかを判断するのは、正直言って不可能です。何が善で何が悪なのかも俄かには判断できない状況です。ただ一つ確実なことがあるとすれば、それは、周囲の状況を充分注意して見渡し、自分の意思で最善の道であると結論したことを、最後まで信じてやり抜くしかないということだけでしょう。


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