|
真紅のバラ“アメリカン・ビューティー”は、人の生き血を吸いながら、今日も富と官能を人々に与え続ける。 「アメリカン・ビューティー」(1999年) 監督:サム・メンデス 製作:ブルース・コーエン&ダン・ジンクス 脚本:アラン・ボール 音楽:トーマス・ニューマン 撮影:コンラッド・L・ホール 出演:ケヴィン・スペイシー(レスター・バーナム) アネット・ベニング(キャロライン・バーナム) ソーラ・バーチ(ジェーン・バーナム) ウェス・ベントリー(リッキー・フィッツ) ミーナ・スヴァーリ(アンジェラ・ヘイズ) クリス・クーパー(フランク・フィッツ大佐)他。 なんの変哲もない新興住宅地に住むレスター。職業は広告屋。年齢は42歳。冴えない風貌、ミッドライフ・クライシスに悩まされる典型的中年男。妻キャロリンは不動産ブローカー。家のすみからすみまで己の趣味でコーディネイトする。人生の“勝ち組”になるのが夢なのに、夫はうだつがあがらない。よっていつもヒステリー気味。一人娘のジェーンは難しい年頃。常に情緒不安定で不機嫌で、口もきかない。 ある日レスターは、娘がチアガールになっているバスケットの試合を見に行く。そこで娘の友人のアンジェラという美少女に出会う。一目で恋に落ちた。ジェーンはそんな父を軽蔑する。だが、隣に越してきたリッキーにビデオカメラで盗み撮りされていることに気づくと、急速に二人は接近していく。 新しい隣人一家は、父フランクが元海兵隊大佐であったことから、軍隊さながらの厳格さで家庭が支配されている。妻はキレる寸前。息子リッキーはおとなしいがビデオオタクで、覗きが趣味という有様だ。 クリスマス・パーティーの夜、レスターはリッキーからマリファナをすすめられる。初めて味わう最高にハイな気分。そして、自分がマッチョになればアンジェラとベッドインできると確信したレスターは、その夜から突如トレーニングに励みはじめる。 真夜中、レスターはアンジェラが薔薇の花びらを浮かべたバスに妖艶に横たわる姿を夢想して、自慰に及ぶ。それを目撃した妻キャロリンは爆発した。ついにレスターも箍がはずれてしまう。 次の日会社に辞表をたたきつけ、ハンバーガーショップでアルバイトを始める。家に帰ればわめきちらす妻に皿を投げたり、馬鹿にする娘には平手打ちを見舞う。派手なスポーツカーを購入し、リッキーからはマリファナを買う。すべてはアンジェラに好かれんがため。夫がそうなら妻も負けじと、さっさと不動産王と肉体関係を結ぶ。両親がともに壊れてしまった家庭で、娘ジェーンは隣家のリッキーに慰めを求める。 リッキーは鳥の死骸やスーパーの袋が風に飛ばされる様に惹かれるという。リッキーの父は鉄拳で息子をねじふせようとする人間だが、実は死んでも隠し通したい秘密を抱えている弱い人間なのだ。それがわかっても…、いや、父の弱さを知っているからこそ、余計に父を憎んではいない。しかし、ジェーンは自分の父親の変貌に不快感を覚えこそすれ、とても理解する気にはならなかった。 そして、半ば予測された悲劇がレスター一家に起きてしまう。マリファナ購入のトラブルから、レスターが殺されてしまうのだ。 一見、どこにでもありそうなアメリカのサラリーマン家庭を風刺するコメディとして始まって、なんと最後は悲劇で終わる。スクリューボール・トラジェディですね。 日本人の感覚として、そこまでイカレた連中が一つ屋根の下に暮らしてるなんて、想像もできないでしょう。でもアメリカでは、最も大切な社会の基礎である家庭が、もはや家庭としての働きを成してない状態がすでに長く続いております。にも関わらず、社会の中で暮らすために体裁だけは守っているわけですね。 この映画は、その矛盾と無意味さかげんを明らかにすることで、実は多くのアメリカ人を癒しているのではないでしょうか。ああよかった、うちだけじゃなかったんだ、よそさまも似たようなもんなんだ、と思わせてくれますものね。 登場人物たちが体裁を気にするのをやめ、やりたかったことを思いっきりやり始めるのを目の当たりにして、思わず自分自身をそこへ重ねあわせてみる。そして彼らと一緒に開放感を味わう。そう、これこそがホントにやりたかったことなんだ!実生活では不道徳な行いでも、映画の中なら許されるのだし!そうしてみると、この映画の描く大人たちの生態はカリカチュアされているとはいえ、我々日本人にも共感できる部分があるのではないでしょうか。 本来子供たちのお手本であるべき大人たちが、子供に戻ってはしゃぐ姿を傍観する二人のティーンエイジャー―ジェーンとリッキー―は、物語の語り手たる監督の目線を与えられています。二人は、空を自由に飛び回っていた鳥も死んでしまうことを知っています。そして、スーパーのよれよれの袋さえ、風にのれば美しく舞うことができることも。しかし袋は風を失うとただの袋に戻ってしまうのですね。リッキーとジェーンは無意識のうちに、大人たちがやがては元の体裁を守る姿に戻らねばならないことを感じています。後戻りの出来なかったレスターは、結局現実に罰せられるかのように死んでいくしかなかったのですね。 真紅のバラは、“アメリカの美”というその名の通り、アメリカの甘受する富と栄光、そして図らずもレスターが夢想したような豊潤な官能性を象徴します。しかし、どんなに美しくともバラの花びらはいずれ散り、葉は萎れ、最後に残るのは鋭い棘だけ。一時の夢から醒めた者が、このバラの枯れた後に何を見、何を思うのか。棘だらけの現実にあえて足を踏み入れ、前に突き進むのは、遺された子供達…ジェーントリッキー…の背負う運命であるのでしょう。 自我を開放することは”美”とし、ストレスを抱える多くの”普通の”アメリカ人を癒したであろうこの作品。しかし結局自我を開放したところで、現実は変わらないんだよと、最後に観客に向かって舌を出すかのようなラストは、観る人を混乱させたようです。後味が悪いと感じる人、物語の目線がシニカルすぎていやらしさを感じた人、いやいや現代の家族が抱える問題をあぶりだした傑作だと思う人。 オスカーでは作品賞はじめ5部門での受賞を勝ち得ましたが、選出したアカデミー会員はどのような理由でこの作品を評価したのでしょうか。映画はしょせん映画です。アメリカ人の精神分析はできても、現実を変えることなどさらさら不可能なわけで。この作品の底意地の悪さはそのまま、脚本を手がけたアラン・ボールとサム・メンデス監督の目線だといっていいでしょう。 「アメリカン・ビューティー」は、テレビのコメディ番組の脚本家であったアラン・ボールの初めての映画作品です。ドリームワークスに持ち込まれたこの脚本は、スピルバーグの心を射止め、一切の手直しなしで映像化することが決定されたそうです。 最後にネタバレをひとつ。リッキーのマッチョ幻想石頭親父フランクの抱える秘密とは。…実は同性愛の嗜好があることでした。潜在的に同性愛嗜好がある人ほど、実は同性愛関係を毛嫌いするゲイフォビアに走る傾向があるそうです。自身のアイデンティティを明らかに出来ない、よって自分だけでなく周囲の人間までも不幸にしてしまうある種の悲劇が、このフランクという男によって象徴的に描かれていました。 余談ですが、脚本家のアラン・ボールは既にカミングアウト済み。「アメリカン・ビューティー」で評価された後、テレビにて「シックス・フィート・アンダー」というシリーズを製作し、大当たりをとりました。 サム・メンデス 1965年8月1日生まれ 英国バークシャー、レディング出身 ●フィルモグラフィー 1999年「アメリカン・ビューティ」 2002年「ロード・トゥ・パーディション」監督&製作 2005年「ジャーヘッド」 2007年「君のためなら千回でも」製作総指揮 2008年「レボリューショナリー・ロード/燃え尽きるまで」監督&製作 2008年「悲しみが乾くまで」製作 メンデス監督は、元々ロンドンやニューヨークで舞台の演出を手がけていました。1998年から1999年にかけてニコール・キッドマンがロンドンとブロードウェイの舞台に立って話題になった、「ブルー・ルーム」など。 また英国では、ミステリー系のテレビドラマの演出も経験しました。もっとも、英国出身の監督さんはキャリアの下積み時代には、みなさん一様に英国産の上質なミステリードラマの演出を経験しておりますけどね。 舞台での演出の腕を買われたメンデス監督は、「アメリカン・ビューティー」で初の映画界進出、そしていきなりオスカー受賞と、彗星のごとくハリウッドに登場したシンデレラボーイだったわけですね。 ドリームワークスの企画であった「アメリカン・ビューティー」の成功により、監督は再びドリームワークスの元で「ロード・トゥ・パーディション」の製作に携わります。本来スピルバーグ監督が手がけるはずであったこの企画で、彼はアメリカを舞台にしたフィルム・ノワールに妙味を醸し、地味ながらも佳作に仕上げました。 しかし彼にとって真価を問われた作品は、次の「ジャーヘッド」だと思われます。ベトナム戦争に次ぐアメリカの歴史の汚点となるかもしれない湾岸戦争が題材。アメリカ海兵隊員の湾岸戦争の回顧録の初の映像化ですね。興味がある方は、彼が湾岸戦争を通じてどのようにアメリカを“分析”したのか、ぜひとも本編で確かめてみてください。 |
| << 前記事(2011/06/25) | ブログのトップへ | 後記事(2011/06/27) >> |