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zoom RSS 「去年マリエンバートで」―アラン・レネ監督Alain Resnais

<<   作成日時 : 2017/04/30 21:52   >>

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“記憶”は、やがて貴女を欺くのだ。

「去年マリエンバートで(L'annee derniere a Marienbad / Last Year in Marienbad)」(1960年製作)
監督:アラン・レネ Alain Resnais
製作:ピエール・クーロー&レイモン・フロマン
脚本:アラン・ロブ=グリエ Alain Robbe-Grillet
撮影:サッシャ・ヴィエルニ Sacha Vierny
音楽:フランシス・セイリグ Francis Seyrig
編集:アンリ・コルピ Henri Colpi &ジャスミーヌ・シャスネ Jasmine Chasney
出演:デルフィーヌ・セイリグ Delphine Seyrig (女性A)
ジョルジュ・アルベルタッツィ Giorgio Albertazzi (見知らぬ男X)
サッシャ・ピトエフ Sacha Pitoeff (夫M)


このホテルの庭は一種のフランス風庭園で
木もなければ花もなく、植物は何もなかった
砂利と石と大理石とそして直線とが
厳しい空間を、何の謎もない平面を描き出していた

最初はそこで道に迷うことなどありえないと思えた
最初は…

直線的な遊歩道に沿って
凝固した動作を示す彫像や、花崗岩の敷石の間で
迷うことはないと思った

そこへ今、あなたは来ていて
永遠に道を見失いつつあった

静かな夜の中で
私と二人きりで…



どこにあるのかはわからないが、外界から隔絶された地に立つ瀟洒なホテル。壮麗な城を改造して作られたと思しき保養所であるらしい。きらびやかな調度品に囲まれた城内は常に薄暗く、まるで人気がないようにも感じられる。そこを支配するのは不気味なまでの静寂だ。ふと耳を澄ますと、わずかな衣擦れの音と、数人の紳士淑女が耳元でささやくように談笑する声が聞こえる。皆目の覚めるような正装だが、どこか気だるげ。毎年飽きもせず繰り返すのであろう話を空ろな表情で交し合っては、カード・ゲームに興じたり楽団の音色にあわせてダンスしたりしている。保養客の中でも一際冴え渡る美貌を誇る女Aは、夫らしき男Mと共に、今年もこの保養地にやってきていた。夫Mはこのホテルの常連で、毎日逗留客を誘ってはカード・ゲームや陣取りゲームに勝ち続けている。だが夫婦の間に会話は殆どない。女Aは変わり映えのせぬ城内の光景にうんざりし、不思議なほどシンメトリックにデザインされた庭園に出て外の空気を吸う。とそこへ、見知らぬ若い男Xがいつのまにか姿を現した。彼は逗留客でもないのに、誰にも見咎められることなく自由に城内を歩き回り、ついに女Aを見つけだした。彼は女A に語りかける。

「私とあなたは1年前マリエンバードで出会った。私たちは愛し合い、共に旅立とうとしたが、あなたがもう1年待ってくれと言う。1年後にここで再会しようと約束したのだ。私はあなたとの約束どおり、ここへこうして戻ってきた。一緒に来てはくれまいか」

女Aにはそんな約束をした覚えも、もちろん男Xの存在すら記憶がない。なにかの悪い冗談かと、女Aは男Xの言葉に取り合わない。だが男Xは真剣そのものだ。 1年前2人がどこでどのように出会って、何を見、どんな会話を交わしたのか。思い出話とも作り話とも判断のつかぬ物語を女Aに語って聞かせ、2人が交わした約束の証拠となる出来事をいくつも持ち出してくる。男Xから執拗に過去の話を聞かされ、女Aは次第に恐怖にも似た感情に苛まれる。夫Mは、そ知らぬふりを装いながらも、男Xと密会する女Aの様子を密かに監視している。女Aは夫Mに抗えないなにがしかの理由があるらしい。夫Mは女Aを暗黙の了解のうちに支配しているように見えるのだ。それは男Xにもわかっていて、女Aが自分と一緒になる踏ん切りがつかないのは、彼女が夫Mの束縛から逃れられないせいだと感じていた。そのため彼は、城内の片隅で、あるいは階段のたもとで、夜のバーで、城内で催される演奏会や演劇の最中にも、一層熱を込めて女Aを説得する。

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そのうち女Aは、男Xの主張する事実があったような気がしてくる。1年前彼とここで出会い、愛し合ったものの…夫との離縁に踏み出す勇気が自分になく…1年後にここで再会する約束をしたのでは…。あの熱情的な男と。しかし一方では、どんなに過去の記憶を掘り返してみても、男Xとの接点などないようにも思えるのだ。女Aは苦悩し、やがて城内で射撃の練習を始めた夫Mの姿を見るにつけ、不安がおびえになるのを感じた。三角関係となった自分と男Xと夫Mの間で悲劇的な事態が起こるのではないか?自分に固執するあまり、その瞳に狂気すら宿し始めた男Xを拒絶したために、自分は男Xに暴行されるかもしれない…。あるいは、夫Mがついにこの三角関係の清算を図るべく、銃を持ち出して自分を射殺するかもしれない…。またひょっとすると、男Xは自分に拒絶されたことで絶望し、自ら命を断つかもしれない…。もはや、なにが正しい記憶で、なにが妄想であるのかわからなくなった女Aは、逗留客と共に夜の演奏会に聴き入っているはずの夫Mに宛てて短い別れの手紙を残し、男Xと共にホテルを後にした。2人の後姿を無言のうちに見送ったのは、誰あろう、夫Mであった。

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“この映画はまったくのところ、協力者としての観客を必要としている。すべては観客の頭の中で起こるのだ”―アラン・ロブ=グリエ

「二十四時間の情事」を撮り終えたばかりのレネ監督は、プロデューサーであるピエール・クーローとレイモン・フロマンによって、作家アラン・ロブ=グリエに引き合わされました、1959年から1960年にかけてのことです。当時ロブ=グリエは、5作目となる小説「迷路の中で」を上梓したばかり。アンチ・ロマン派の旗手として、50年代のフランス文学界に論争と賛否両論の嵐を巻き起こした人物です。2人はじっくり話し合っていくつかのアイデアを出し、ロブ=グリエがレネ監督の元に送った草案のうちの1つが、次の映画化の企画として選ばれたわけですね。

精密機械のように明快な論理で物語を構成し、組み立てていくタイプの作家であるロブ=グリエは、自身のユニークな文筆論法をそのまま映画の世界に持ち込もうと画策しました。レネ監督の映画のなかでも、とりわけ“難解”であるというレッテルを貼られがちなこの作品は、どちらかといえば脚本を担当したロブ=グリエの世界観に基づいて製作されたもののようです。登場人物には名前すら与えられず、バックボーンも全てすっぽり抜け落ちてしまっています。つまり男も女も女の夫も、複雑な物語を動かすための単なる記号に過ぎないわけですね。カメラは、舞台となる瀟洒な城の豪華絢爛な内装や、神経症的に幾何学模様に対比された庭園の美しさをねめるように映し出しながら、現在と過去と記憶と幻想が混濁し、やがてひとつに解け合っていく様を追っていきます。ストーリーなどは一切提示されず、観客はただただ映像の奔流に身を任せることしか叶いません。思えば、私たちが記憶の回路の中をさまよう様子は、このように意味を成さない映像の断片の中に佇むのに似ています。それはもどかしいようでいて、実際には不思議な酩酊感を誘うのですね。

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映像から拾い集めた物語の断片を繋ぎ合わせると、ひとつの文学作品が思い起こされます。芥川龍之介の「藪の中」ですね。この作品は、「藪の中」及びその映画化作品「羅生門」(黒澤明監督)のスタイルにインスパイアされて作られていたのです。実は、「藪の中」との関連については、後年ロブ=グリエ自身が種明かしをしていまして、それによると彼は以下の4つの脚本をまず書き上げたのだそうです。

1.現在進行形の女Aと男Xと夫Mの物語―彼ら3人の三角関係の物語
2.男Xの回想する物語―Xが真実だと思い込んでいるところの、Xにとっての事実の物語
3.女Aの回想する物語―Xに教唆されたことによって発生する、Aにとっての事実の物語(妄想?)
4.過去の物語―Mの視点から語られるところの事実の物語

できあがったこれら4つのストーリーを一度解体し、バラバラのピースを順不同に繋ぎ合わせることによって、脚本が完成しました。劇中画面に登場するシーンが、4つの物語のうちどれに該当するのかは、容易に悟られないように巧妙に編集がなされています。最近の映画界で流行の“時間軸の移動”もいち早く取り入れられ、この作品の最終決定稿は、ダイヤグラムシートが添えられるほど複雑怪奇なシロモノになったということです。もっとも、何度も観ているうちに、4つの物語で固有の衣装や背景が繰りかえし登場することが分かるので、それを目安にある程度までパズルを組み合わせることは可能なのですが。

ロブ=グリエに言わせれば、“どこにも曖昧な点などない物語だ”ということになるのですが、果たしてそうでしょうか?よく考えれば、これら4つの物語はいずれも“個人の主観”という実に曖昧な事実に立脚しているわけで、どれもが確証もないままに映像の奔流の中に投げ出されているという印象が拭えません。去年の出来事を確信をもって語り、女Aとの過去の恋愛を彼女に想起せしめんと働く男Xにしても、その“真実”は、彼の過剰な思い込みが作らせた妄想かもしれません。女Aに至っては、男Xに執拗に迫られた挙句、頭の中で彼との過去を捏造し始める始末。女Aの一挙手一投足を監視しているかに見える夫Mも、彼が目にする“事実”とは、所詮彼の解釈に従って導き出された出来事にすぎません。
彼らが三者三様に、試行錯誤しつつひとつの“真実”を組み立てようと苦心する中、映画には、彼らが見ている世界に属さない映像の切片も紛れ込んできます。城内に逗留する、上品な社交界のお歴々の様子ですね。彼らは、意味を成さない会話をロボットのように漫然と交わしたり、まるで幽霊のように暗い城内をそぞろ歩いたり、毎日繰り返される同じような光景を機械的になぞっているかのように見えます。ふとカメラがパンすると、今の今までその場で固まっていた蝋人形が突如動き出したかのような、実にぎこちない動作で再び動き始めたりするのですね。彼らを見ていると、ひょっとしたらば、男Xも女Aも夫Mもそしてホテルの逗留客たちも皆、とうの昔に死んでしまった人間なのかもしれないとすら思えてきます。彼らの肉体は既にこの世になく、その魂の残像が今映像で展開されている出来事なのではないのか…。

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真実を求めて、永遠にマリエンバードで迷い人となった男Xと女Aと夫M。彼らの代わりに、この“解けないパズル”を完成させるのは私たち観客であります。しかし、パズルのピースを寄せたり引き離したりするうちに、結局観客もまた、この“記憶”という名の迷宮に囚われ、どこへも逃れることが叶わぬようになるのです。「藪の中」の謎が永遠に明らかにされないように、それこそが、ロブ=グリエが観客に仕掛けた最大にして唯一のゲームなのかもしれません。“過去の記憶”は何度でも作り変えられ、そのたびに新たな“現在”を創造します。それはやがてあなたの存在を侵食し、支配し、最終的に“あなた自身”に成り代わるでしょう。映画が終わった後、観客が呆然とした気持ちに陥るのは、その頼りないまでの自我の不確かさの所以でしょう。

レネ監督は、ロブ=グリエの緻密な脚本を美に昇華するため、サイレント時代の映画様式を取り入れようとしたそうです。撮影すると被写体に光輪ができてしまうような、古いタイプのフィルムを随分熱心に探したという逸話も残されていますね。結局それは実現しなかったものの、終盤、三角関係に危機を覚えた女Aが悲劇的な結末を妄想するシークェンスにおいて、彼女の背後から真っ白な光が(映像はモノクロ)放たれ、画面いっぱいに広がっていく印象的な映像処理に結実しました。また監督は、主要キャストに読経のようなイントネーションでセリフを棒読みさせ、顔の表情も動きもサイレント映画のそれに似させています。画面内を立体的に、かつ滑るように流れていくサッシャ・ヴィエルニの流麗なカメラワークと相まって、今見ている映像は一体どこの世界のいつの時代のことなのかわからなくなるような幻惑に、大いに貢献していますね。

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この作品で映画デビューした女A役、デルフィーヌ・セイリグは、1959年にオフ・ブロードウェイでイプセンの舞台に立っていたところをレネ監督に見いだされました。その鋭角的な彫りの深い美貌は、非常に強いインパクトを観客に与えました。「二十四時間の情事」のヒロイン、エマニュエル・リヴァに似た面差しですね。その後もレネ監督作「ミュリエル」(1963年)や、フランソワ・トリュフォー監督の「夜霧の恋人たち」(1968年)、ルイス・ブニュエル監督の「銀河」(1969年)に出演し、鬼才監督に好んで起用された実力派でもあります。残念ながら1990年に逝去されました。なお、この作品で、オルガンの低くつぶやくような音響効果が耳に残る音楽を担当したのは、彼女の実兄フランシス・セイリグでした。

男X役を思いつめた表情で演じたジョルジュ・アルベルタッツィには馴染みがありますね。彼はジョゼフ・ロージー監督の「エヴァの匂い」(1962年)や、同監督の「暗殺者のメロディ」(1971年)にも出演していました。女性の母性本能をくすぐる甘いマスクの持ち主です。痩せぎすでぎょろりとした大きな目が特徴の夫Mに扮したのは、アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の「スパイ」(1957年)や、アナトール・リトヴァク監督の「将軍たちの夜」(1967年)、ジャック・ドゥミ監督の「ロバと王女」(1970年)でも印象的な演技を披露したサッシャ・ピトエフです。彼も1990年に逝去していますね。

映画のもう1つの主役ともいうべき壮麗な城の背景は、ミュンヘンにロケすることで得られました。劇中、男Xの記憶の中に現れたり、額入りの写真として登場するフレデリクスバートの庭園は、シュライスハイム城(Schloss Schleissheim)内のノイエス・シュロス(新しい城、Neues Schloss)と現バイエルン州立美術館。この映画が紹介される際によく引き合いに出される、庭園にたたずむ人々の足もとから異様に長く伸びる影は地面に描かれたものであったとか。主な撮影が行われたのは、ロココ調建築様式のニンフェンブルグ城(Schloss Nymphenburg)。男Xと女Aが散策する、左右対称の幾何学模様の庭園もこの城にあるものです。また、映画冒頭、男Xのダイアローグに従ってカメラが城内を巡回するシーンの撮影は、アマリアンブルク(Amalienburg)のシュピーゲルザール(鏡の間、Spiegelsaal)で行われました。劇中、鏡の間の不気味なまでに壮麗な鏡にスポットが当てられ、映画全体を支配する奇妙な不安感を象徴していましたね。男Xと女Aが出奔する直前に落ち合うことになる、城内の演奏会のシーンも、このアマリアンブルクでの撮影。男Xと女Aが共有する記憶のキーワードになる“マリエンバート”とは、実際にはマリアーンスケー・ラーズニュ(Marianske Lazne)と呼ばれ、プラハ西方の約130km、カルロヴィ・ヴァリの南にある温泉療養地であり、映画の内容とはいささかも関係がありません。

セイリグが劇中で着こなす美しい衣装の数々は、デザイナーのココ・シャネルが担当したと話題になりましたが、実はその大半はベルナール・エヴァンの手になるものだったそうです。いずれにしても、大人の女性の魅力に溢れたセイリグをファッション・モデルのように装わせ、一層の輝きを与えていました。

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