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zoom RSS 「フランキー・ワイルドの素晴らしき世界It's All Gone Pete Tong」ー希望を感じよ

<<   作成日時 : 2015/12/07 17:07   >>

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音のない世界で 僕は君に出会った。君の笑顔は 僕の音楽になった。


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「フランキー・ワイルドの素晴らしき世界 It's All Gone Pete Tong」(2004年製作)
監督:マイケル・ドース Michael Dowse
製作:ジェームズ・リチャードソン&アラン・ニブロ
製作総指揮:ルパート・プレストン&キム・ロバーツ&ロブ・モーガン
脚本:マイケル・ドース
撮影:バラージュ・ボリゴ
プロダクションデザイン:ポール・バーンズ
編集:スチュワート・ギャザード
音楽:グレアム・マッセイ
音楽スーパーバイザー:ロル・ハモンド
出演:ポール・ケイ Paul Kaye(フランキー・ワイルド)
ベアトリス・バタルダ Beatriz Batarda(ペネロペ)
マイク・ウィルモット(マックス)
ケイト・マゴーワン(ソーニャ)
ニール・マスケル(ジャック)
ゲスト出演:ピート・トン
ポール・ヴァン・ダイク
ティエスト
カール・コックス
サラ・メイン
ロル・ハモンド他。
(映倫 R-15)

熟れた果実のような太陽が、さえぎるもののない水平線の向こうに沈む頃。風光明媚な観光地として名高いイビサ島は、もうひとつの顔を露にする。ここは、世界中のクラバー達が注目する最新のクラブ・カルチャー発祥の地でもあるのだ。天才DJフランキー・ワイルドは、毎夜島の巨大なクラブの中で、爆音にも似たうねるようなレイヴを生み出し何千人もの観客を陶酔させていた。刺激的なダンス・ミュージックで一瞬のうちに彼らを絶頂に導き、完全にコントロールする。際限なく繰り出される激しいビートは、やがて彼らの神経を麻痺させ、文字通りの“天国”をクラブ内に出現させるほどだった。夜ごとのフランキーの名声は、イビサから遠くヨーロッパ方面にまで轟き、クラブ・シーンにこの人ありと謳われていたのである。
彼はこの地上の楽園とも言うべきイビサ島で、毎日のようにドラッグをキメ、群がるグルーピー達を手当たり次第に食い荒らすといった、自堕落で刹那的な快楽に溺れる生活を送っていた。ところが、元々あまり丈夫ではなかった彼の聴覚器官が、毎夜の爆音にさらされて酷使されるうち、ある日ついに限界を迎えてしまった。DJの命ともいえる聴力を完全に失ったのである。慣れ親しんだ爆音の世界から、音のない全くの静寂の世界へ放り込まれたフランキーは、パニックに陥る。泣いても叫んでも、自分の声すら聴こえない。彼はミュージシャンとしてギグを行うことができなくなり、失業したのみならず、これまでに築いた名声も残らず失ってしまった。彼の周囲に群がっていた“友人”達は次々と去っていき、妻さえも彼の支えになろうとはしなかった。たった一人取り残された彼は全てに絶望し、自殺を試みる。ところが自殺はうまくいかず、大失敗。
死に切れなかったフランキーはここで我に返った。酒ビンとドラッグの注射器が転がる中で、彼はそれらから決別しようと静かに決意する。それは、これまでの自堕落で実りのない人生からの再生をも意味した。彼が真の意味で“生きる”ことを選択した瞬間である。
やがて彼は、聴力障害を持つ人々に読唇術を教える教師ペネロペと出会う。苦労して読唇術をものにした彼は、耳が聴こえなくても他人とコミュニケーションする方法を学んでいく。そんな中、彼はある日音の発する振動を“感じる”術を見出した。音を耳で聴くのではなく、聴力以外の身体の感覚を研ぎ澄ませてその振動を肌で感じ取るのだ。高い音、低い音、太い音、細い音。それらは全て異なる振動を発している。一度は失ったと思われた音の世界に、再び踏み込むことができるようになったフランキーは、音の波動と振動を感じることに夢中になる。聴力を失ったことで、却って純粋に音を楽しむ喜びが彼を包む。それは、彼がDJとして再起する可能性をも彼に示したのである。全ての音の振動を会得した彼は、クラブで奇跡の復活ギグを行う決心を固めた。

フランキー・ワイルドの素晴らしき世界 [DVD]
エイベックス・トラックス
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この作品は、カナダと英国のスタッフ、キャストが集まり、2004年度に製作された作品です。そして2004年度トロント映画祭に出品され、最優秀カナダ映画に選出されました。そのほかにも数々の映画祭で高い評価を受け、製作当初全くの無名であったマイケル・ドース監督の演出力、並びに画面から飛び出してきそうなほどの迫力の音響効果、主役のフランキーを見事に体現したポール・ケイの演技等が評判を呼びます。共同製作された英国でも、インディペンデント映画賞にノミネートされるなど、玄人受けする作品として根強い人気を得ることになりました。私がこの作品の存在を知ったのもこの頃で、当時はよもや日本での公開などありえないだろうと思っていましたね。ですから、海外で発売されたDVDを購入して鑑賞したわけですが、昨年の末頃から東京の方では劇場公開が始まっているようです。作品全般で描かれるクラブ・カルチャーの実態、迫力のギグの模様、もうひとつの見所とも言うべきイビサ島の美しい自然など、ぜひとも大画面で体感したいシーンが満載されています。映画が地方でも公開されるかどうかは疑問ですが、もしどこかでこの作品に出会うことがあれば、ご覧になっていただきたいものです。
草の根的に世界中で評判を高めていった今作は、2006年度のジニー賞(カナダ版アカデミー賞)で、最優秀撮影賞、最優秀監督賞、最優秀編集賞、最優秀音響効果賞、最優秀作品賞、最優秀脚本賞、最優秀主演男優賞など計8部門でのノミネーションを勝ち取るという快挙を成し遂げるまでになりました。

DJにとっての命である聴覚を失ったことで、逆説的に絶望から這い上がり人生を再生させていく1人の男の物語。主人公フランキー・ワイルドは、その名の通り、天才DJともてはやされてハチャメチャな人生を送っていました。地上の楽園イビサ島のどこまでも美しく豊穣な風景を背にして、背徳の限りを尽くす彼の所業は、魂を堕落させてエデンの園から追い出されたアダムとイヴの姿を思わせます。明日をも省みず、目の前にある刹那の快楽に溺れるフランキー。彼のただ1つの存在証明は、クラブで何千もの観客を熱狂の渦に巻き込むことでした。彼のキャラクターは、この作品にも実名で多数登場しているその世界では有名なDJ達、片方の耳が完全に聴こえていなかったと言われる元ビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソン、あるいは晩年聴力を失ってしまった楽聖ベートーベンなどを元に創造されていったそうです。確かにフランキーという男は、私達が“クラブ”という言葉から連想するような、クールで洗練されたイメージとは程遠い。むしろ、常に死と隣り合わせであった、60年代から70年代を駆け抜けたロックンローラーのような熱さに溢れていますね。音楽という世界では天才であっても、実生活では破綻した人生を送っていたという点においても、このフランキーの人物像は大変にリアルであると言えましょう。

また、作品前半の大きな見所であるクラブでのギグの模様は、ただひたすら爆音の醸しだすうねりに圧倒されてしまいます。観ているうちに、やがてはこちらの全感覚が麻痺していくような錯覚さえ覚えるほど。私自身は、クラブ・シーンなどには全くもって疎く、ダンス・ミュージックなども普段あまり聴くほうではないのですが、この作品を観て、クラブにハマる人たちの気持ちがわかったような気がしますね。すさまじい音量の中から、身体の奥底を突き上げるようなビートを感じ取り、それに身を委ねる快感は、確かにあの“クラブ”という特殊な空間でなくては味わえない体験でしょう。

ですが、この作品の本題は、フランキーが聴覚を失ったことから始まります。それまでは意識することなく、ごく当たり前に生活の一部であった音を一切奪われたことから発する恐怖と混乱。彼は聴覚を失ったことそのものより、ミュージシャンとしての道を断たれてしまったことに大きな絶望を覚えるのですね。音を作り出すことが唯一の自己証明であった彼にとって、その音を失うのは己のアイデンティティを失うに等しい。彼は、己の拠り所をなくした人間が陥る最も一般的な行動、自殺を試みようとします。本来なら重苦しくなるはずのこのシーンで、監督はブラック・ユーモアを大いに発揮します。本人は至極真面目に自殺に向かっているというのに、そこにどうしようもなくマヌケな雰囲気が漂う。予想通り自殺は失敗に終わり、そこでフランキーはふと我に返るのですね。絶望を極めつくすと、人間って却って冷静に思考が働くものなのです。憑き物が落ちた頭で自分を見つめなおした彼は、酒と薬物浸りであった自棄な生活態度を改めようと、真っ当な結論を出しました。彼の“再生”は既にここから始まっていたのですね。

彼はただ1人ぽつねんと静寂の世界に取り残され、慣れぬ孤独に苦しみますが、それも読唇術を教える女性との出会いを経て一転します。外界とコミュニケーションをとる事を覚え、まるでこの世に生れ落ちた赤ん坊のように、周囲の世界を新鮮な驚きを持って見直していくフランキー。当たり前のように五体満足であった頃とは比較にならないほど、彼は人生を深く理解していくのです。音楽しか存在しなかった過去の自分の浅はかさを思い知るに至り、その人生は実に様々な彩りを帯びていくようになります。この辺りの描写は、普段毎日の生活に埋没しがちな私達に対し強烈な皮肉を与えてくれますね。健康であることに改めて感謝しつつ、今一度自分の人生を見直す必要を切実に感じさせます。
フランキーはやがて、音の発する“振動”で音を“感じる”ことができると気づき、歓喜します。様々な振動と波動で音を感じ理解する喜びは、初めて音楽を始めた頃のような純粋な感動を彼に与えました。音楽家として致命的な障害を負ったからこそ、逆に知り得たと言える音楽を愛する喜び。富や名声のためではなく、純粋に自らの魂のために音を感じ、発することで、彼は再びDJとして生きるエネルギーを甦らせていくわけです。

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実はここで、実際に聴覚に障害を持つ人が、このフランキーのように音楽活動をすることが可能かというデリケートな問題が持ち上がります。ドース監督は、聴覚に障害をもつ人々に徹底したリサーチを行い、彼らがどのような過程を経て実社会とコミュニケートするようになるのか、フランキーが再生していくまでの模様に丁寧に反映させていったそうです。そのリアルな描写のおかげで、作品は一見するとフランキーの転落から再生までを追ったドキュメンタリーと見紛うほどになりました。事実、聴覚に障害を持つ人達は、肌で振動を感じ取ることで音を体感できるのだそうです。フランキーのように成人してから聴覚を失った人の場合は、かなりの広範囲に渡る音を感じることも可能だとか。作品の舞台となったイビサ島にある有名なクラブでは、定期的に彼らのための大規模なギグが開催され、多くの聴覚障害者たちがレイヴのうねりを楽しんでいるそうです。

この作品の真に素晴らしいところは、人生のどん底に陥った不器用な人間が、いかにしてその危機を乗り越えて世界に己の居場所を見出したか、丹念に描いて見せたことにあるでしょう。どんな境遇にある人間であっても、ものの見方ひとつで豊穣なる人生を送ることができるという、シンプルではありますが力強いメッセージです。私達が人生において“絶望”と呼ぶ状況なんて、案外たいしたことじゃないのかも知れないよと、この作品独特のユーモアは教えてくれます。“希望”という言葉を安易に用いるべきではないのでしょうが、やはり人間は希望を持たずしては生きられない生物です。そして希望がある限り、人間は前進し続けることも可能なのですね。暗くよどんだクラブの空間を抜け出したフランキーが、澄み切った青空をバックに、隙間だらけの歯をむき出しにして笑うのを見るにつけ、そこに希望という文字が消えないでいてくれることを切に願ってしまうのです。


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