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zoom RSS 「二十四時間の情事 Hiroshima Mon Amour」Part1―アラン・レネ監督

<<   作成日時 : 2017/01/28 21:55   >>

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故アラン・レネ監督の名作「二十四時間の情事 Hiroshima Mon Amour」のレストア版が、現地時間で26日から始まるニューヨーク映画祭(The 52nd NY Film Festival)でリバイバル上映されるそうです。観たあぁぁぁいぃぃぃ(悶絶)。そんなわけで、急遽今作の解説記事を再アップしておきます。これを機会に、1人でも多くの人に観ていただきたいです。

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“忘却”は恐怖である。私は全力で忘却と戦い、そして“忘れた”。

「二十四時間の情事 Hiroshima Mon Amour」(1959年製作) 日仏合作
監督:アラン・レネ
製作:サミー・アルフォン&永田雅一&アナトール・ドーマン
原作:マルグリット・デュラス
脚本:マルグリット・デュラス
撮影:サシャ・ヴィエルニ&高橋通夫
音楽:ジョヴァンニ・フスコ&ジョルジュ・ドルリュー
出演:エマニュエル・リヴァ(女)
岡田英次(男)
ステラ・ダサス(母親)
ピエール・バルボー(父親)
ベルナール・フレッソン(ドイツ人兵士、女の恋人)

薄闇の中。女と男が互いの身体に手を回している。熱が彼らの肌を焦がす。その上に灰が降り積もるまで。それはやがて闇の中で光る汗のつぶとなった。男はつぶやく。
「君は広島で何も見てはいない」
女は答える。
「いいえ、すべて見たわ」
女はためらいがちに男の肩を指でなぞりながら、広島の街で見たものを語り始める。今彼女は広島に滞在し、こうして男と2人で夜を共にしているのだ。

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“彼女は広島の病院にも行った。いまだ放射能の後遺症に苦しむ人々の姿…。4回も訪れた原爆博物館。その現代的な威容とは裏腹な、原爆の悲惨さを伝える展示や写真が延々と連なっている様子。そしてそれを絶望しつつ眺める見学者。焦げた鉄の塊、砕けた鉄、触れれば崩れるもろい鉄、高熱によって塊となった瓶の蓋。焼け残った皮膚が、透明な液に浮かびながら無言のうちに苦痛を物語る。燃え、砕けた石。爆弾が投下され、一晩でごっそりと抜け落ちた女性の髪の束…。爆風で全身ケロイド状になった被爆者達。一万度もの熱が広場を埋め尽くしたのだ。”
「いいや、君はなにも見てはいないんだよ」
“では博物館の展示品は?映画も真に迫っていた。映像は真実だからこそ見学者は涙を流すのだ。燃え上がる街を逃げ惑う人々。全身燃えただれ、亡霊のようになった人々が治療を待つ姿。被爆2日目のニュース映像では、土や灰の下からもう生き物が這い出していた。生き残った犬もいた。包帯を巻いた赤ん坊をおぶった少年、髪の毛が抜け落ちた少女達…。みなその足で大地を踏みしめていた。ヤグルマソウやアサガオ…花も咲き始めていたのだ。苦痛に泣き叫ぶ赤ん坊、顔が半分吹き飛んだ少年、息も絶え絶えに病院のベッドに横たわる子供たち…。彼女はすべてを覚えている。”
「それはただの思い込みだよ」
「いいえ、私は広島を忘れない。恋のように」
“彼女は生き残った人々、母親の胎内にいた子供たち、彼らの忍耐と優しさを見た。辛うじて生き残ったとしても、その生の先には不幸しか待っていないというのに。放射能は、消えてしまっても依然として彼らを苦しめ続ける。女性は出産に怯えるようになった。戦争が終わっても、永遠に。水爆が太平洋で破裂する。太平洋に降る黒い雨は凶器となる。太平洋の水が漁師たちの命を奪っていくのだ。獲れた魚ももちろんすべて処分された。漁師は、人々は、怒りの声をあげる。結局怒りの矛先は、人と人との不平等に、そして民族と民族との不平等に、階級と階級との不平等に向けられた。”
「私は忘却を知っているわ」
「君は忘却を知らないさ」
『被爆者の店』と看板の掲げられた土産物店、原爆復興絵葉書を売る店、平和の広場、原爆の碑は、原爆に関する人々の“忘却”を象徴するものだ。それはやがて、フランスのヌベールに打ち捨てられた廃墟のイメージと重なっていく。
「私も全力で忘却と闘った。だけど忘れたの。癒しがたい記憶を失った。なぜ忘れられないのか理解できぬ恐怖と闘い、そして忘れてしまった…」
“原爆ドームを巡る観光客たちは、“忘却”と闘ったのか。それとももう“記憶”を失ってしまったのか。わずか9秒の間に出た死者20万人、負傷者8万人。爆風で街すべてが吹っ飛び、灰と化した。記録は残るが愚行は再び繰り返される。瓦礫の下から再び新しい草木が芽生えたように。太田川の7つの支流で潮が満ち引いていく。毎日同じ時間に、灰色の魚や青い魚がそこで泳ぐ。でももはや誰もそんなことを気に留めない”
「あなたは誰なの?私を夢中にさせる人。ここは恋の町だったのね。あなたと出会えるなんて。あなたは安らぎと心地よさといとしさを私にくれた。私を壊して欲しい。あなたは…なぜあの人とそっくりなの?」
女の意識は奇妙に現実を離れ、遠い昔に捨てた故郷の思い出に近づき始める。だが彼女は男の美しい肌をなぞり、自らが広島にいることを思い出した。そう、今彼女を抱いているこの男は広島で出会った日本人の男なのだ。“あの人”であるわけがない。
男は女を千の顔を持つと評した。いまだ彼女が何者かわからない。時間は夜明け前4時。男は戦地にいて原爆の禍から逃れたが、彼の家族はみな被爆したという。それは幸運といえるのだろうか。少なくとも男を愛した女にとっては、幸運だっただろう。
女は女優で、映画の撮影のために広島に来た。女は美しかった。彼女は故郷ヌベールからパリに出て、女優になった。ヌベールは川沿いの小さな街だ。そんなところからやって来た彼女が、なぜ広島について知りたがるのか、男には不思議でならない。女は興味を持って対象を観察し、理解したいのだと答えた。
翌日。女は、ホテルのベッドで眠る男の無防備な姿をいとしげに見つめた。眠っているのに指先が痙攣するように動く。それは、ヌベールで殺されたあの人の姿を思い起こさせた。血まみれになって、目を剥いたまま死んだ彼…。女はいまだ消えぬ忌まわしい記憶に慄然とする。男は目覚め、女とシャワーを浴びる。恋人同士のたわいない時間。男は女の纏う物憂げな雰囲気に惹かれる。なにかに怯え、逃れようとしながらも、彼女は相手を認識するとき、一瞬燃え上がるように感情移入をするのだ。その落差はなぜか。
女は、以前は“広島”を“完全な終戦”、“本物の恐怖”と認識していた。一瞬の恐怖はやがて人間の無関心にとってかわる。無関心、これこそが恐怖なのだ。男は、彼女をもっと深く知りたいという欲求に抗えない。だが女は故郷ヌベールのことを語りたがらなかった。戦時中の記憶は、2人にとってその間に溝を作ってしまう出来事なのだ。だからこそ、彼女を知る鍵はここにある。男は誘導尋問のように戦時中の様子を尋ね始めた。戦争が終結したとき、彼女は20歳だった。男のほうは22歳。パリはその日、快晴だった。
身支度を整えた男は建築家だと名乗った。しかも政治家でもあるという。フランス革命を研究するため、フランス語に堪能となった。一方女が今撮影に参加している映画は、広島が舞台であり平和がテーマだ。彼女は男のひじの内側に強く唇を押し付けた。刻印を残すかのように。男は女に未練があったが、彼女は明日にはパリへ発ってしまう。つまり女は、広島最後の夜を記念して男を部屋に招きいれたのだ。道徳懐疑者たる彼女にしてみれば、これは、ほんの一夜の情事にすぎない。しかし男は女の逃げ道をやんわりとふさぐ。
「また会いたいんだ。たとえ君が道徳懐疑者でも」
女は今度こそ冷ややかに拒否してみせた。それは不可能だと。それまで部屋に立ち込めていた甘い空気は、一瞬のうちに強張った。女は男の執心から身をかわすように部屋を出て行く。明日は広島を出て、彼女はヌベールではなくパリへと帰っていく。ヌベールは青春を過ごした街。でもそこに帰るのはどうしてもいやなのだ。女はホテルを出がてら男に語った。ヌベールは、彼女にとって現実を意味する。夢にまで見る街であり、かつ最も忘れたい場所でもある。苦しい恋をした場所。彼女はまだ若く、意志が強かった。どうしてもこの恋を成就させようと意地になっていたのだ。でも…恋は戦後すぐ、あっけなく終りを告げた。男は女の中核を成す部分に踏み込んでいく。
「恋を失ってから、立ち直った?」
女はいらいらしながらそうだと答えた。結婚もしたし、子供もできたから。男の口調は熱を帯びる。どこかであと数日でいい、一緒に過ごしたい。女とて同じ気持ちではあるが、明日出発する決意は揺るがない。あと数時間で、2人は永遠の別れを迎えるのだ。女は逃げるようにタクシーに乗り込み、撮影現場に向かった。
休憩時間。スーツ姿の男は眠り込んでいた女を見つける。現場ではモブシーンを撮るための準備が進められている。これは日仏合作の反戦映画となるのだ。現場には、生々しい爆発の傷跡を物語る小道具が大量に運び込まれる。男はヌベールと女のことを思い続けていたと白状する。しかし疲れた表情の女は、家族がパリで待っていると誘いを拒否した。男はゆっくりと女の衣装を取り、かきくどく。この恋は行きずりの情事などではない。女にもそれはわかっているはずだ。彼女は苦悶の表情を浮かべた。

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群集シーンの撮影が始まった。反戦のスローガンを書き連ねたプラカードを持った人々が、カメラの前を練り歩く。日本語とフランス語のプラカードの後には、死者を悼む花輪と被爆死した人の遺影を持つ子供たちが続く。女は、折り紙の鶴を持った少女たちの列にふらふらと近づいていく。悲惨な戦争の痛みが伝わってくる。そして彼女が愛した男は、久しく忘れていた熱烈な感情を彼女の中に沸き立たせる。彼女の心は真っ二つに引き裂かれそうであった。
「君を愛している」
この言葉は、彼女にとって禁句でもあったのだ。クス玉が割れ、ハトが飛び立った。ついに女は男にこう告げてしまった。
「Oui(ええ)」
2人は走り始めた群集に飲み込まれそうになる。怒りに身をゆだねた人々は、そのまま全速力で走り始める。その向かう先はどこなのだろう。
女は男の家にやってきた。男の家族は雲仙へ出かけていて留守。今そこにいない男の妻の存在は、亡霊のように女に付きまとう。男は固い表情で儀礼的に妻を称えた。だが伴侶に恵まれたのは女も同じだ。彼女の夫はおおいなる優しさで彼女を包んでいる。そう、お互いに伴侶がいながらの、絶望的な愛であった。突然鳴り始めた電話の音は、2人を現実に引き戻さんと必死に鳴り続ける。男も女もそれを承知でしっかりと抱き合うのだった。
男は女のために仕事を放り出し、時間を惜しむように愛し合う。男は再び女にヌベールの恋人のことを尋ねた。彼女が愛したのはフランス人ではなく、街を占領していたドイツ軍の兵士であった。女の意識は、知らずヌベールへと引き寄せられていく。
“彼女はまっすぐな道を自転車で走り抜ける。街路を通り、森を抜け、さえぎるもののない草原の真ん中を突っ切っていく。恋人が待つ無人の納屋へ向かって。またあるときは廃墟で、人目を忍ぶように抱き合う恋人たちの間を冷たい風が吹きぬけた。女は18歳、彼は23歳だった。彼女は初めての激しい恋に身を焦がしたのだ…。”
女はそこまで話して不意に不機嫌になる。だが男は、ヌベールのおかげで彼女のことがわかりかけてきた。女の人生の出来事の中から、男は “ヌベール”を選んだ。まだ誰のものでもなかった若い頃の女の姿を。今の彼女はこのときから始まっていたのだ。女にとってそれは認め難いことだが、一方、まぎれもない事実だった。女は夕暮れ時に目を覚まし、男にすがりついた。
「家に帰りたい!」
男は、あと16時間一緒にいようと静かに諭す。運命かもしれない恋から離れねばならない恐怖と、恋に囚われの身になることへの本能的な恐怖が、女を苛んでいた。夕闇の幕の中に、原爆ドームが、太田川が沈んでいく。男は女をカフェへ伴っていった。
“女が生まれ育ったのは、ロアール川沿いの階段状になった街だ。人口4万人の街。ロアール川は美しいが、川底が浅すぎて船は通れない。だから物寂しい印象を与えるのだ。でも水面は柔らかい光できらきらと輝いている。穏やかな…光景。”
「そのとき“僕”はどこにいたんだい?地下室の“僕”は」
女は目を見張り、まばたきもせずに答えた。
「死んでたわ。耐え難い痛みがあった。聞いて、“あなた”。地下室はとても狭かったの」
女の目の前で、男はヌベールで愛した兵士と同化していった。彼女は縋るように、男の両手を握り締め、過去の記憶を手繰り始めた。
“外で人々が歌うフランス国歌が、耳に痛いほど響く。彼女は毎日毎日、暗い地下室で壁をひっかき、指から流れる血を眺め、口に運んでいた。そうしながら、心の中で愛する男の血をなめていたのだ。彼女の頭の上では、何事もなかったかのように社会が通り過ぎていく。人々が歩く様を、地下室の格子窓から眺める毎日。彼女が地下室にいることを誰も知らない。父が娘の非国民的行いを恥じ、地下室に閉じ込めたからだ。最初は小声で男の名前を呼び、そしてある日大声で叫び始めた。地下室で何度も何度もドイツ人の男の名前を叫んだ。それが唯一の彼女の“記憶”だったから。名前を叫ばないことを条件に部屋に戻されたが、もはや男の記憶を求めることもできなくなった。染みの広がる天井、朽ちかけた荷車…。どこにいても、二度と男と会えない恐怖が彼女を責め苛んだ。彼女は地下室で 20歳の誕生日を迎えた。母は泣いていたが、女は母を軽蔑した。彼女の記憶はそこで途絶えている。地下室にいた時間は永遠とも思われた。気まぐれに訪れた黒猫が、湿った石壁をなめる彼女をただ見つめている。”
従業員が気を利かせて、店内にノスタルジックなシャンソンを流した。女はやり場のない怒りを爆発させた。
「私は若かったのに!」

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“夜には地下室から外へ出ることができた。自責の念にかられた母がそうしたのだ。女の頭は、街の人々によって見せしめのために丸坊主にされていた。罪の証であるその頭を、母は遠くから眺めるだけ。雨の夜は、壁を背にしてひたすら男を想った。耐え続けたのは、気も狂わんばかりに彼を愛していたからだ。髪の毛は切っても切ってもまた伸びてくる。すると人々は、手にはさみを持って再び彼女の髪の毛を醜く切ってしまう。丸刈りになった彼女は、彼らの嘲りや怒りや不満を一身にその身体に受け止める。彼女は男を失った悲しみで、もはやなにも感じられなくなっていた。それどころか、髪の毛が切られる音は、彼女に安らぎすら与えたのだ。壁を引っ掻いて怒りが和らいだように。街中の人々が誇らしげに国歌を歌う中、彼女は失った愛に苦しみながら髪を切られ続けた。家に戻れたのは夜もふけてから。傷ついた獣のように叫びながら戻ってきた娘を、母があわてて介抱する。ある日、彼女はそんな状況から逃げ出す。教会の鐘が鳴り響いていた。昔、まだ幸せだった頃、男と一緒に聞いた鐘の音だ。地下室の壁に影が落ちるのが遅くなり始める夕方の6時半。彼女の“冬”はようやく終りを告げた。”
女は封印していた過去を明かしてしまった。こうして口に出すことで、思い出が消えてしまうと恐れる。記憶を日の光りの下に晒せば、やがて風化していく。胸の奥深くにしまってきた大切な愛を忘れてしまいそうだ。愛を忘れるのは何より怖い。しかし酒の力を借りて、彼女の意識はさらに辛い記憶へと遡っていく。
“ロアール川で男と会う約束をしていた。2人して駆け落ちするつもりだったのだ。ところが約束の時間に彼女がその場に赴くと、彼は腹を撃たれ口から血を吐いてもがいていた。断末魔の苦しみはあまりに長引き、彼女は必死に彼を抱き続けたのに、彼がいつこと切れたのかすらわからなかった。なぜ?彼が死ぬ直前も死んだ瞬間でさえ、彼女と彼の肉体には何の違いもないからだ。彼女は彼が死んだ後も1日中死体のそばから離れなかった。翌朝、死体はトラックで運ばれていった。そしてその夜、ヌベールはドイツ軍から解放されたのだ。男と共によく聞いた教会の鐘が、突如独りぼっちになった彼女の耳に鳴り響く。”
女の目にはすでに目の前の男は見えていない。ヌベールでの忌まわしい光景がありありと映っているのだ。彼女は泣きじゃくりながら訴えた。
「“あなた”と私はそっくり同じだったなの。初恋だったのよ!」
男は女の頬を音高く叩き、正気づかせる。その音に周囲の人々が驚いて思わず彼らを振り返ったほどだ。
“彼女はまたもや大声で泣き叫び、再び地下室に戻された。窓からビー玉が転がり込んできた。それを握り締め、彼女は密かに決意した。自分はもう二度と叫ばないし、泣きもしないと。正気に戻ったと判断された彼女は、ある祭り日の夜、地下室から解放された。そしてそのまま夜が明けきらないうちに、パリへと向かったのだ。片道だけの旅費を持って。パリに到着して2日後、広島への原爆投下のニュースを知った。髪が伸びた彼女は、自分を何者か知らない人々の輪の中に入る勇気を得たのだ。それから14年が経った。”
男と女は黙って酒を飲み、再び時を惜しんで頬を寄せ合った。
「今夜のことも覚えているわ。…でもきっといつか忘れる。傷がいつの間にか治っているように。明日には私は何千キロもかなたにいるのだから」
しかしながら、彼女が夫にも話したことのない秘密を男にだけ打ち明けたことで、男は女の愛情を確信する。彼女も、ついに長年の重荷を下ろした開放感から、男に安心して身を任せるのだった。
「いつか僕が君を忘れてしまったときのために、もっと話をしてくれ。これから先もし同じことが起きたら、君を愛の忘却として思い出すよ。“忘却の恐怖”の物語としてね」
広島の夜。ネオンが物憂げに瞬き続けている。広島は夜も眠らないのだ。閉店の時間となり、女は外へさまよい出る。太田川の川沿いに、熱い風が吹いている。なにもかも諦めたように、彼女は男につぶやいた。ときには世の中の矛盾から目をそらすことも必要だと。窒息しないための処世術だ。
「私から離れて」
「まだ夜明けじゃない」
2人はおそらく再び会うことはないだろう。それがわかっている男も、女に皮肉を返す。また戦争にでもなれば、話は別だと。男は次の言葉を飲み込み、黙って去っていった。女はホテルへ。彼女は一旦は自室に戻ったものの、無人の部屋の冷ややかさに中に入るのをためらってしまう。人気のない真夜中のホテルの廊下を逡巡し、意を決したかのように無人の部屋へ。洗面台の鏡を見つめる彼女の耳に、内なる声が聞こえてきた。
『分かったつもりで何も分かってない』
彼女はそれに答えるように鏡に向かってつぶやいた。
「彼女はヌベールでドイツ人に恋をした。“愛する人よ、ドイツへ行って結婚しよう”と言われて。でも行かなかった」
『あなたは生きている。私は全てを語ったわ。そのことであなたを裏切ってしまった。過去の記憶ではなく、現在の恋を語ったの』
「14年間忘れていた恋の喜びをね!」

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女は部屋を飛び出し、決然とした足取りで外へと歩いていく。男と別れた店の前で、膝を抱えて彼を待ちわびる。車のヘッドライトがそばを通るたびに、期待と不安に目を輝かせて見やるのだ。再び内なる声は彼女に語りかける。
『広島に残りたい。そして毎晩彼と会うの。私はこの街に残るわ』
千々に乱れる心を抱え、彼女は顔を覆った。すると目の前に、今一番会いたいと焦がれ、かつ会うのを恐れる男が現れた。そして彼女が最も恐れていた言葉を口にする。
「広島に残ってくれ」
女は、今にもべそをかきそうな表情で機械的に答えた。
「もちろん、私はあなたとここに残るわ。…もうどこかへ行って」
「君を忘れられないよ」
彼女は歩き始めた。彼が近づいてくる。次にきっと彼女を抱き寄せるだろう。そしてキスするのだ。キスされれば、もう彼女は彼に抗えない。彼女は最後の理性を総動員して、彼を振り返らずまっすぐに歩き続けた。流しのギター弾きとすれ違い、ネオン瞬く街をあてどなくさすらう女。艶やかな夜の闇の中でやるせなくまたたく広島のネオンは、そのまま彼女の記憶の中にあるヌベールの街の風景に摩り替わっていく。広島の夜をさまよう彼女の魂は、いまだ解放され得ぬ忌まわしいヌベールの思い出へと否応なく漂っていくのだ。
『“あなた”に会い、“あなた”を思い出す。ヌベールも広島も私にとっては恋の街。“あなた”は
一体誰?私が望んだ全てだ…不貞、うそ、死。いつかあなたに出会うと思っていた。心の片隅で待ち望んでいたのだ。私を壊し、作り変えて欲しい。きっとこの欲望は誰にも理解できない。夜は終わらない。夜明けなど二度と来ないのだ。良心と善意で過去に涙しよう。時は流れ去り、そして戻る。私と貴方を結びつけるものの名前は分からないが、いずれ記憶から消えていき、ついには消滅するだろう。”
雨が降り始めた。所在なげに雨宿りする女を、男が見つける。そして真摯に静かに、2人の間に生まれた真実を告げるのだ。
「君が広島に残ることは可能なんだよ」
「…無理よ。去るより難しいこと」
彼はさらに追いすがる。せめて1週間、3日…だけでも。しかし女にとってはその時間はなにも意味しない。生きるための時間なのか、それとも死ぬためのそれなのか。それを知る時間すら2人には残されていないのだから。彼女は再び恋に生きようとすることを諦めた。
「君はヌベールで死ぬべきだったんだ!」
彼女にもそれは痛いほどわかっている。彼女は広島駅に足を踏み入れながら、ヌベールを思い出す。
『ヌベールにまた会いたい。長い時間をかけて記憶を灰にしてきた、あの街に。ロアール川にも会いたい…』
女と男は、1人のおばあさんを間に挟む形でベンチに座り込んだ。言葉もなく。彼女の心は再び故郷の風景に旅立つ。ロアール川沿いに立つ、美しいポプラ並木。遠くで草を食む馬達。絵画のようにのどかな、忘れがたい田舎の景色。しかし、恋など、故郷など、忘れてしまいたい。男と死に別れ、彼女自身も解放されたあの日の明け方、彼女は死んだも同然なのだ。ヌベールに住んでいた小さな浮気娘は、彼を失って愛を失い、そして死んだ。
『私はヌベールの丸刈り娘、お前を忘れよう。いつかは忘却が彼の目を覆っていくはず。忘却が彼の声を奪っていく。忘却がすべてを奪うのだ。少しずつ、しかし完璧に』
会話も交わそうとせず、物思いに沈む男女を怪訝そうに見ていたおばあさんは、男に尋ねた。
「この人はどこの人なんですか?」
「フランス人です」
「ご病気なんですか?」
「いいえ。彼女はもうすぐ日本を発つんです。僕たちは愛し合っていて、別れるのが辛くて悲しんでいるんです」
女は姿を消していた。彼女はそのまま“カサブランカ”という名のバーへ入っていく。彼は少し離れた場所に座った。すると、1人の日本人が彼女に声をかけ、なにくれとなく話しかける。彼女は、苦悶する視線を男に据えたままだ。男のほうもその視線をひたと受け止める。別ちがたく結びついているはずの2人なのに、もうすぐ永遠に離れ離れにならねばならないのだ。じきに夜が明ける。

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女は固い表情でホテルの部屋に立ち尽くしていた。男は彼女の元を訪れ、離れることの耐え難さを訴える。相反する感情に翻弄されながら、2人ともに“その時”が来るのを恐怖にも似た緊張感で待ち構えていた。その張り詰めた空気についに耐えかねた女は、叫ぶ。
「もうあなたを忘れたわ!見て!」
そして、顔を覗き込む穏やかな男の表情を見つめながら、静かに付け加える。
「あなたはヒ・ロ・シ・マ…。あなたの名前が今わかった…あなたはヒロシマなの」
男は、女の涙の跡を優しくぬぐい、手を握り締めてやる。
「そうだ。それが僕の名だ。そして君の名前は“ヌベール”だ。フランスの…ヌベール」

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