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zoom RSS 「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくい…について教えましょう」Part2

<<   作成日時 : 2011/04/07 08:20   >>

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…そして主よ、全ての変態に等しく慈悲を与えたまえ。


ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう [DVD]
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「ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう Everything You Always Wanted to Know About Sex* (*But Were Afraid to Ask)」(1972年製作)

第6話『セックスの研究 実験による結論は正しいか否か』
出演:ウディ・アレン(ビクター)
ヘレン(ヘザー・マクレイ)
ジョン・キャラダイン(バーナード博士)

禁断の学問である性の神秘に挑み、学会を追われたバーナード博士。森の中の屋敷に隠遁する彼の元に、助手として雇われたビクターとグローブ誌の女性記者ヘレンが招かれた。2人は屋敷への道中偶然出会い、そのまま一緒になったのだった。彼らを出迎えたのは、変人と名高い博士とその下僕であるせむしのイゴール。 3人で夕食の席についても、博士はビクターやヘレンの話をロクに聞かず、一方的に持論の正当性を熱弁するばかり。彼は、自分の画期的な理論を黙殺した学会への復讐心に燃えていたのだった。その高圧的な態度には、ビクターもヘレンも閉口する。博士は食事もそこそこに2人を研究室へ連れて行った。そこには、シリコンだけを投与された異様に胸の大きな女性やら、脳みそを交換されようとしているレズビアンの女性とごく普通の男性会社員やら、巨大パンと同衾させられている男性やら、目を覆わんばかりの惨状があった。どうやらあのイゴールも、過去に博士の狂気の実験台にされていたようだ。2人は、博士の目的が自分たちを新たな実験のモルモットにすることだと気づき、必死の思いで抵抗、なんとか博士とイゴールを出し抜いて研究室から脱出する。だが博士が振り上げた拳銃が暴発し研究室内の機器に引火、屋敷はあっという間に火の海に包まれる。辛くも逃げ延びたビクターとヘレンは、屋敷の中からサイズ120メートルはあろうかと思われる巨大なオッパイが出てくるのを見る。どうやら、火事によって被験者の肉体に異常な反応が現れたようだ。オッパイは意思を持った生き物のように突き進み、博士もろとも屋敷を踏み潰し、行く手を阻まんとする者(巨大オッパイに思わず見蕩れてしまう男性も含め)を残らず圧死させていく。地元の警察に駆け込んで事情を説明したビクターとヘレンは、警察と協力して乳脂と母乳攻撃を続ける敵を捕獲する作戦に打って出る。ビクターは自ら囮となり、母乳攻撃を仕掛ける敵を見事罠に誘導した。こうして事件は無事解決したが、警察は通常ペアになっているはずのオッパイの“片割れ”の捜索を急ぐと共に、捕獲したオッパイは腹をすかせた赤ん坊の待つ孤児院に送還することを決定した。
こうして、奇妙な事件を乗り越えたビクターとヘレンの間には、いつしか暖かい愛情が生まれることになった。性の神秘を知りたがるのは人のサガだと言えるが、何事も行きすぎはよろしくない。性というものは下手に解明するのではなく、謎は謎のままそっとしておくほうがいいと実感した2人であった。

エピソードも残すところあと2つともなると、いよいよアレン御大の変態性が抑えようもなく具現化してくるようだ。このエピソードは、アレン自身のキッチュなSF怪作「スリーパー Sleeper」(1973年製作、もちろん館長の大好きな一遍である・笑)を思わせるような馬鹿馬鹿しい展開と、“性の神秘がなんぼのもんじゃい、男なんて結局みんなオッパイが好きなのよ!”という、居直りともとれる結論が特徴である。

前半部分は、キース&デヴィッド&ロバートのキャラダイン3兄弟の父親であり、また「フランケンシュタインの花嫁」など、1930年代の怪奇映画などで独特の個性を確立したジョン・キャラダインその人にオマージュを捧げている。人里離れた気味の悪い館で、人知れず狂気の人体実験を繰り返すマッド・サイエンティスト。それはそのままキャラダイン自身が過去に演じてきた役柄であり、彼もまた実に楽しそうに(笑)この鬼畜野郎を好演している。せむしのイゴールに折檻を加えるシーンといい、被験者たちを前に舌なめずりするシーンといい、よくもまあこんだけ…といっそ感服するほど。博士の研究室のセットがレトロな雰囲気なのもお約束だろう。

後半部分は一転して、博士の狂気の実験の産物が街にパニックをもたらす様を描く。ジャンルとしては、ハリーハウゼンのクリーチャーなどでもおなじみの、巨大化生命体パニックものに分類される。ただし、今回の巨大化生命体は“オッパイ”であるという点で、凡百のB級SFパニック映画を逸脱して、キッチュ・ムービーの領域に足を踏み入れたと言っていいと思う(笑)。あの伝説の変態映画監督ラス・メイヤー(巨乳命・笑)と、「アタック・オブ・ザ・キラートマト」(なんとシリーズ化した・笑)のアホくささをミックスした感じか。見るからに張りぼての実物巨大オッパイが、また非常に70年代の雰囲気で、これはこれで面白い。あんまり他人様にお勧めできるシロモノではないが。しかしながら、性の神秘を解き明かすことに拘るより、謎は謎のままにしておく方が良い時もある、という結論には一理ある。科学は地球上の多くの神秘のベールを剥がし、人間に快適さをもたらした。だが、行き過ぎたそれは環境破壊を招き、結局人間は自分の首を絞める結果となったのだ。


第7話『ミクロの精子圏』
出演:ウディ・アレン(精子)
トニー・ランドール(オペレーター主任)
バート・レイノルズ(スイッチャー)

ここは、とある男性の体内…詳しくは大脳にある頭脳司令室。只今フル稼働中だ。というのもこの男性が、ニューヨーク大卒だというインテリ風美女を相手に、イタリア料理店でデート中だからだ。このところセックスのお相手に事欠いている男性のために、身体の各機能が奮闘している。次々体内に納められるイタリア料理の処理に追われる胃、耳で相手の会話を聞き取ると、それに相応しい受け答えを口にさせるべく迅速な計算が大脳でなされ、付随する表情を作るために顔の筋肉へすばやく命令が伝達される。男性の肉体の動きは全て、この司令室のオペレーターたちとスイッチャーによってコントロールされていた。彼らの最終的な目的は、精子たちを体外に出し、無事相手の卵巣に受精させること。精子たちは、この崇高なる目的のために訓練所で厳しい訓練を積んできたのだ。“受精か死か”、彼ら特攻部隊の任務はまさしく命がけである。精子の1人は外の世界を怖がり、またある者は自分だけ場違いだと慄く。
そうこうするうち、お相手の女性が男性を自宅に誘った。司令室は一層色めき立つ。これは久しぶりのチャンス到来だ。早速、下半身にある性機能室が、来るべき時に備えてエネルギーをチャージし始める。“ボイラー”室では、ナニを早急に相応しい角度に保つため、現場主任が声を涸らして部下を激励する。男性は女性と車の中で“いたす”ことにしたようだ。これまでの不発の記憶が男性のやる気に影を落とすが、司令室は各機能に緊急の指令を送り、身体を即時戦闘態勢にもっていく。女性の方はかなり経験豊富であったようで、こちら同様やる気満々だ。彼女の頭脳司令室もさぞかし慌しいことになっているに違いない。男性側の頭脳司令室は、女性の興奮を高めつつ自身の機能もフルチャージする。喧騒の中、大脳皮質で男性に罪悪感を催させ受精の邪魔をしようと目論んだ良心が逮捕された。神への冒涜を叫ぶ良心は監禁され、各部署は再び目前の戦闘に集中する。脈拍も正常値、胃は順調に消化活動を行い、性機能室はついに精子を送り出す準備が整えた。精子たちは内心の不安を押し隠し出動体制に入り、それぞれ卵巣での再会を叫びつつ外界へ舞い降りていく。
一戦交えた女性が気だるげに、だが満ち足りた様子で微笑む。司令室でも、この大一番を無事乗り切ったことを祝し、シャンペンが抜かれていた。ところが女性の思いがけない一言で、司令室には再び怒号が飛び交うことになる。
「素敵だったわ。もう一度…どう?」

ひょっとしたら、今作中最も有名なエピソードかもしれない。全7エピソード中最高に馬鹿馬鹿しく大笑いできるのがこれだ。

「ミクロの決死圏」という映画をご存知の方も多いと思うが、あの人体縮小ものSF映画のアイデアをちょいと捻ったネタが実に秀逸。男性の肉体をコントロールする大脳と、それに付随する身体の各器官の働きを全て擬人化することによって、誰にでも覚えのあろう例の状態(笑)が、具体的にどういうものなのかがはっきりわかってしまうわけだ。特に男性の方なら、例の状態(笑)のときのご自身の肉体の変化を如実に思い浮かべ、否が応でもそれと比較検討しながら画面に見入ってしまわれること請け合いだ。男性にとって、女性と時間を過ごすことの最終的な目標が“精子”であるというのも、本音丸出しでいっそ清々しい。精子たちが、グリーンベレー部隊もかくやと思われるほど厳しい訓練を積み、栄光の瞬間(無事卵巣にまで辿り着く瞬間)を夢見て備えているという設定が、こと男性陣には身につまされるのではなかろうか(笑)。アレン御大は、この最終兵器たる精子の役で登場する。正直に申し上げると、全7エピソード中最も彼に相応しい役どころであった。気が弱くてお人よし、いざ出陣という最後の段になっても外の世界を怖がり、ぼやきにぼやき続けるというのは、御大十八番の神経質演技だろう。彼の周囲の精子たちが雄々しく気合いを入れているのとは対照的で、妙にリアルで可笑しい。

また、女性と男性の“一戦”の模様も、男性の大脳から見た映像で同時中継のように画面に挿入される。徐々に緊迫の度合いを高めていく彼ら指令室内の様子と相まって、こちらとしては、精子たちは無事本懐を遂げることができるのか否か、ついついハラハラしながら見守る羽目になる(笑)。そういった意味では、ただ笑うだけではなくサスペンスの要素も充分だ。

大脳にいる“オペレーター”が、男性の動作のひとつひとつに対し、大真面目に「左足を掻け」だの「キスするのに舌を出せ」だのと各器官に命令を下しているのが笑える。さらに笑えるのは、“スイッチャー”としてオペレーターと各器官を結ぶ役割を担っているのが、あのバート・レイノルズであることだ。70年代の偉大なセックス・シンボルをこんな艶笑譚に配役するとは、御大も気が利いている。しかも、カメラは時々レイノルズの顔を映しはするが、決して主役としての扱いではない。むしろオペレーター主任役のランドールの方が、きびきびとした動きで目立っているぐらいだ。この辺り、レイノルズに象徴されるような“セックス・イコン”に対する御大の鬱屈した思いが垣間見えるようではあるな(笑)。他にも、“ボイラー室”(この表現で察して欲しい・笑)でエネルギーを必死にチャージしている様子がなんだか軍隊教練のようであったり、折角の崇高な使命を邪魔だてしていたのが、なんと大脳皮質に居座った“良心”であったとか (良心は別室に監禁される・笑)、面白い要素はいろいろある。

ともあれ、アイデアといい、よく練られた脚本といい、スケッチの出来上がりといい、群像劇としてのバランスといい、これは良くできた一遍であると思う。

総論。ウディ・アレンはやっぱり変態である。

監督と脚本を兼ねた1971年作「ウディ・アレンのバナナ」(未公開)と、1972年の兼脚本作品「ボギー!俺も男だ」、再び監督と脚本を兼ねた個人的に最も好きなアレン作品「スリーパー」(1973年)の合間に、まるで思春期の少年のリビドーのごとく勢い余って製作された艶笑オムニバス作品である。この頃のアレンがいかに普通ではなかったか、アナーキーにハジケていたかがとてもよくわかる。作品自体は、当時流行ったシモネタ系のポケット・ジョーク集のような趣きであるが、お下劣なギャグの連打は、むしろアレン本来の隠された一面であったのだろう。世評風刺、他作品のパロディ、ブラック過ぎるギャグてんこ盛りの作品だ。鋭くもユーモア溢れる知性派としてのアレンしか知らない人にこそ、今作を含め70年代初期の一連の監督作品を観ていただきたい。一層彼の作風を身近に感じられるのではないかしらん。
医学博士デヴィッド・ルーベンの著作を基にしているらしいが、おそらく8割がたはアレン御大の自由気ままな創作だと思われる。日本での公開は、製作から約10年が経過した1981年になってから。テレビなら確実にピー音が連続するはずの、このえげつなさを考えればむべなるかな。


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