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zoom RSS 人生とは「モンティ・パイソン/人生狂騒曲 The Meaning of Life」だ Part1

<<   作成日時 : 2014/09/18 19:45   >>

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え〜、まずはみなさんに警告です。

これからご紹介する映画は、英国コメディ史に悪名を馳せる、かのモンティ・パイソンの最後の劇場映画です。この作品の後、メンバーの1人グラハム・チャップマンが急逝してしまったので、メンバー6名が揃った最後の作品であるのです。かつ彼らが追及してきたお笑いの集大成であり、また皮肉にも彼らが初心にたち返った作品でもありました。扱うテーマはずばり、『人間が生きる意味とは何ぞや』。そうですね、偉大なるコメディ集団の最後を飾る作品として、これほどおあつらえむきなテーマもないでしょう。
しかしながら、その内容たるや、湿っぽい感傷なぞ核爆弾に縛り付けて宇宙の彼方に吹っ飛ばしたかのような、強烈至極、極悪非道なるもの。映倫“R指定”に恥じぬ、すさまじき映像が連続いたします。この映画は、あなたの良識の限度を試し、タブーを許容する度量の大きさを推し量るのに、格好な踏み絵となりましょう。未知の世界へダイヴするイカレた勇気を持った同志は、どうぞこの先へお進みください。そうではない、まともな神経をお持ちの方々は、どうぞあなたの安全なお家へ帰って下さい。それがお互いのために最も良い選択でしょう。

それでは、また後程お会いしましょうね。

毒入り危険。観たら死ぬで。

「モンティ・パイソン/人生狂騒曲 The Meaning of Life」(劇場未公開)(1983年製作)
監督:テリー・ジョーンズ&テリー・ギリアム:「クリムゾン 老人は荒野をめざす」と特撮とアニメーション
製作:ジョン・ゴールドストーン
脚本:モンティ・パイソン
撮影:ピーター・ハナン
音楽 ジョン・デュプレ
主題歌:“Meaning of Life”
“Every Sperm Is Sacred”
出演:グレアム・チャップマン
ジョン・クリーズ
エリック・アイドル
マイケル・パリン
テリー・ギリアム
テリー・ジョーンズ
パトリシア・クイン
キャロル・クリーヴランド他。

本編の前に軽く前菜をどうぞ。
プロローグ:「クリムゾン老人は荒野をめざす」

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1983年のロンドン金融界は、どうしようもない経済政策のせいで崩壊の危機に瀕していた。ここ“クリムゾン終身雇用会社”でも、老いたる窓際会社員達は、徹底した管理体制の下でまるで奴隷のように働かされ続けていた。それは古代ローマ時代から連綿と続く支配と被支配の関係である。しかし、老人達はついに立ち上がる機会を得、武力と暴力で以って上層部を叩きのめす。彼らは古ぼけたビルを地面に繋ぎとめていた碇を上げ、窓にかけられていた工事用の保護布を帆代わりに、海賊船クリムゾン号を出航させた。
老人達は皆荒くれ海賊じじいに変身し、国際金融界を目指す。そこには、ハイテクを駆使した多国籍企業、大銀行、証券会社など、資本主義の名の元に世界中から搾取を繰り返した挙句、金太りした連中がうようよするすさまじき荒野だ。荒くれじじいたちは、書類入りの引き出し爆弾を放ち、換気扇をひきちぎって剣にし、コート掛けを鎖に繋いで超高層ビルの中で会議中だったエリート達を襲撃した。しかし敵もさる者、高級皮革製のアタッシュケースの中から牛刀を引き抜き、会議室の置物を盾にして、重要書類を守るべく果敢に応戦する。かくして金融界のエリート対荒くれじじいの肉弾戦が始まった。一進一退の激しい戦いの末、じじい達はついにエリート社員全員の抹殺を成功させた。緒戦の大成功に士気を高めたじじい達は、日が暮れるまで国際金融界で大暴れを続けた。そして、とうとう金融界の高層ビル群はもれなく廃墟と化し、荒くれじじい達は自らを窓際へ追いやったエリート族に復讐を遂げたのである。意気揚々と帆を張りなおす彼ら。会計士を称える勝利の歌を歌いながら、新たなる獲物を探す旅に出たのだが…。
残念ながら地球は丸くはなく、荒野の果ての下にはなにもなかった。哀れクリムゾン号は、奈落の底に真っ逆さまに落っこちていったのである。

とある高級レストランの生け簀で飼われている魚達。毎日を退屈にやり過ごすのみの彼らにも、密やかな悩みがある。今日は、仲間の1匹がランチのメニューになって皿に乗せられたのだ…。明日は我が身だ。

「“生きる”ってなんだろね?」
「…んー、わっかんないわ」

パート1:出産の奇跡
・出産の奇跡パート1…ってか?


まもなく出産の妊婦が郊外の産院に運び込まれた。彼女はそこで、看護婦たちによって恐ろしく手荒に分娩室に放り込まれる。そこに待っていたのは、やる気があるんだかないんだかさっぱりわからない名産科医2名。スタッフは、息も絶え絶えの妊婦をほったらかしに、呑気に分娩室の準備にとりかかる。そしていざ、 “ショータイム!”赤ちゃんが出てくる様子を一目見ようと、野次馬がどやどやと分娩室に入ってくる。そこへ病院の理事もやってきて、“ピーン・マシーン (赤ちゃんの鼓動を伝える機械)”をいかに上手にリースしたか一席ぶつ。この高価な機械には一切税金がかからないのだ。しかし理事は“出産”のなんたるかを知らない。満足した彼がようやくいなくなるや、病院のスタッフたちはいいかげんに赤ん坊を取り上げ、乱暴に産着にくるみ、さっさと保育器にブッ込み、母親に赤ん坊の性別も知らせないままとっととその場を去っていった。ショーは終わったのだ。後に残されたのは、なにが起こったのか理解できずに呆然とする母親だけ。

・出産の奇跡パート2…第3世界編…ってか?

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ヨークシャー。ここでは炭坑が次々と閉鎖され、働く場所を失った工夫たちが失業の憂き目に合っていた。力ない足取りで帰宅したこの男もそう。しかしこの男は敬虔なカトリック信者であり、既に数十人の子供を神から授かっていた。しかもついさっきも、妻は洗濯しながら新しい赤ん坊を産み落としたばかりだ。この調子で増え続ける家族を養う力は、今の彼には到底ない。そこで彼は、自宅の狭い居間にごったがえす子供達に向かい、重大な発表を行った。そう、ここにいる数十人に上る子供達全員を人体実験施設に売ることにしたのだ。彼だってこんな決断はしたくない。しかしいかんせん、カトリックの偉大なる神様が彼に避妊をさせてくれない。恨むならカトリックの教義を恨め。だが彼は、子供たちにカトリックの素晴らしさを称える歌を歌う。道行く男達も女達も麗しいナース達も、生まれたばかりの赤ん坊も、結婚の誓いを述べる新郎新婦も神父も皆、カトリックこそが野蛮なる異教から世界を救う、唯一正しい教えだと高らかに歌うのだ。
うなだれつつ実験施設に売られていく子供達。その様子を窓辺から見ていた隣の家のプロテスタント夫婦は呆れ果てる。馬鹿みたいにぽんぽん子供を作っちゃあ売り飛ばすカトリック信者の愚かしさを呪い、16世紀にローマ法王の支配から逃れたプロテスタントの斬新さと自由の精神を大いに称えるのだ。我々には、子供を欲しなければ、それを避ける手立てがある。それこそがルターも予想し得なかったプロテスタントの勝利なのだと。

パート2:「成長と学習」…ってか?

しかし、いくらプロテスタントが避妊の重要性を力説しても、子供は相変わらず世界中で増え続ける。この伝統あるパブリック・スクールでは、イカレきった教師と司祭達が、常軌を逸した校則と授業で真面目な生徒達を苦しめていた。心ある生徒達は、学校の非常識かつ理不尽な横暴に耐えるため、教師の不在時を狙ってまともな勉学に励まねばならない。なぜというに、彼らの行う授業とはどう考えてもマトモではないからだ。
特に校長の担当する科学の授業は最悪だ。なんせこいつは、男女の交渉のノウハウを学期末の試験に出す奴なのだから。しかもその“実演”を、教室に作りつけのベッドで細君と一緒に生徒達の目の前でやってみせる。アホらしくてその模様を真面目に観察しなかった生徒の1人は、放課後行われる恒例の、教師対生徒のラグビー試合に抜擢されてしまった。この試合、名前はラグビーだが、身体の大きな大人のチームが小さな子供のチームを文字通り徹底的にボコボコにする暴力沙汰である。試合中によもや得点しそうな生徒がいても、もれなく教師連中からの卑怯な妨害工作が行われる。泥だらけの傷だらけでピッチに横たわる生徒達の姿は、死屍累々たる戦時中の戦場を容易に想起せしめるだろう。

パート3:「お互いに戦うこと」…ってか?

砲弾が逃げ惑う兵士達のすぐそばで炸裂する激戦地。塹壕には、これから決死の進撃を図ろうとする大尉率いる小隊がいた。勇猛果敢な大尉とその忠実なる部下達は固い絆で結ばれており、この出撃が今生の別れになる前に、部下達はぜひとも愛する上官に贈り物をしたいと願っていた。彼らがお金を出し合って買ってきたプレゼントは、場にそぐわない実に立派な置き時計。ちょっとばかり死んだ仲間の血で汚れてしまった皆からのカードも。実際、プレゼントのやり取りなんかしている場合ではないのだが、部下達の温かい心遣いに大尉は焦りながらも感謝する。ところが、全員が大尉のために万歳三唱しているうちに、ブラキッドが敵の銃撃を浴びて瀕死の状態に。慌てる大尉は、彼からの手作りのケーキなんか食ってる場合かと思わず叫んでしまう。しかし、ついに死んでしまったブラキッドの、ケーキに込められた真心を知る仲間達は、涙ながらに氷点下の戦場でバターを溶かした彼の苦労を大尉に訴える。大尉は部下達の心を汲み、その場でケーキを食べるため皿とテーブルクロス、ナプキンを用意させる。…のだが、そんなことしている間にも部下達は次々と敵の銃弾の犠牲になっていく。大尉は硝煙と砂埃の吹き上がる塹壕で、1人お茶の仕度に精を出すのだった。

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…以上は軍隊のプロバガンダ用のフィルムである。しかしタカ派の軍人は、兵舎の中で戦争と軍隊の意義に熱弁を奮い、ついに神からの直接の裁きを受け消滅してしまった。
兵舎の前では、軍事教練の鬼、特務曹長が兵士達を広場まで行進させようとしていた。ところがアトキンソンは家に帰って家族と一緒にいたいと願い出、さっさと行進の列から離れてしまった。他にも本が読みたいからとかピアノのレッスンがあるとか、やっぱ映画観てる方がいいやとかの理由で、ついに全員がいなくなってしまう。仕方がないので、曹長は1人で行進するのだった。
栄光ある英国陸軍は、世界中にブリティッシュ・キングダムの国旗をはためかせ続けた。いつの時代にも、指揮官の冷静なる英断がある。これが英国陸軍の本領だ。1879年の第1次ズールー戦争(グラスゴー)でも…。英国陸軍の兵士達が現地人とすさまじい接近戦を繰り広げる中、彼らの指揮官は悠然と髭剃りに専念している。すぐそばで部下が刺し殺されようとも、指揮官達にとって、戦争など蚊に食われにいくようなものなのだ。しかしここにいる蚊は、夜の間に人の足を片方平気で食ってしまうほど獰猛だ。片脚を食われてしまった将校パーキンスは軍医の診察を受けた。その結果は、おそらくトラの仕業だろうというものだった。アフリカにトラがいるだって!動揺は指揮官だけではなく軍隊全体に広がり、ズールー族は恐れおののいて逃げ出してしまった。英国陸軍の被害は甚大であったが、将校の失われた片脚に勝る緊急事態はない。曹長は、首と胴体が切り離された死体や、身体を切り刻まれた死体を踏み越え、緊急に片脚捜索隊を召集する。捜索隊がジャングルの中で見たトラの正体は、なんとトラの着ぐるみを着た2人の男であった。しかしこの男達の言うことなすこと到底正常ではなく、どうやら夜中にパーキンスの寝所に忍び込み、勝手に彼の脚を持って行ってしまったようだ。

インターミッション:〜映画の折り返し地点へようこそ!〜

本編を少しお休みして、“魚を捜せ”ゲームをしましょう。これから流れる映画の中のどこにお魚が出てくるか当てるのです。わかった方は大声で答えを叫びましょうね。

高級レストランの生け簀の魚達。

「ねえ、“生きる意味”についてあんまり大事なこと語ってないよね?」
「これから言うんじゃないの?」

パート4:「中年」…ってか、やっぱり。

ホテルに宿泊中の1組の中年夫婦が、食事を取ろうとレストラン“地下牢”にやってきた。ここは中世英国の地下牢の雰囲気で、本場ハワイ料理を堪能できる店なのだ。パイン料理が食べたかった夫婦は大喜び。今夜の会話のネタ、特別メニューは“少数民族”。夫婦がメニューから選んだのは“哲学”だった。人生の意味について仮説を立てるという会話術だ。しかしそんな高尚な会話などしたことのない夫婦は戸惑うばかり。仕方なく、横柄なウェイターに会話の口火を切る手助けをしてもらう。ウェイターは夫婦に問いかけた。“なぜここ地球に自分が存在しているのか?”その存在の神秘を解き明かそうとしたのが、いわゆる哲学者たちだ。夫婦は、歴代の哲学者達の名前が記載された会話カードを見ながら頓珍漢な会話を始めるが、すぐに言葉に詰まってしまった。ウェイターは、彼らのために特別メニューの中から“生体臓器移植”を提供する。

パート5:「生体臓器移植」…ってか。

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肝臓移植のドナー登録をした男の家に、2人の職員がやってきた。今すぐ肝臓を提供して欲しいというのだ。男は今使用中だからと断るが、職員達はドナーカードを盾に、有無を言わせず生きたままの彼の身体から肝臓を穿り出す。部屋中血の海になる中、男の細君がやってきて職員達にお茶をふるまった。肝臓を提供すれば男は死ぬ。職員の1人は、寡婦になるのがわかっている細君と妖しげなムードになりかけるが、彼女に再婚の意思がないのを知るや、肝臓の提供を願い出る。躊躇する彼女に、冷蔵庫から現れたエンターテイナーが生きる意味を歌いかけた。広がり続けるこの宇宙の大きさに比べれば、人間存在のなんとちっぽけなことかと。自分がなんだか卑しいもののように思えてきた細君は、ついつい肝臓の提供を受諾してしまう。
かくして、急速に業績を伸ばしてきた“肝臓提供社”をも傘下に含む“とてつもなくでかいアメリカの企業”では、重大懸案の討議が行われることになった。まずは会議事項の第6項目、“生きる意味について”。
ハリーの率いる特別班は、2週間の調査の結果、問題点を大きく2つに絞っていた。1つ目は人があまり帽子をかぶらないこと。もう1つはエネルギー問題。地球上にはあらゆる種類のエネルギーが存在するが、人の霊的エネルギーもそうである。キリスト教では、霊的エネルギーは存在しないことになっているのだが、瞑想によってそれを知覚することは可能なのだ。会議は、帽子の売り上げがあまり伸びていないことと、霊的エネルギーの問題について意見が二分され、紛糾する。ところがそのとき、古ぼけた中古のビルから突然書類入り引き出し爆弾が撃ち込まれ、荒くれ海賊じじい達が殴りこんできた。そう、クリムゾン終身雇用会社の連中である。
会議がめちゃくちゃになる中、別の映画が本編に乱入したことを詫びるアナウンスが流れる。クリムゾン終身雇用会社のビルは、隣の高層ビルによって押しつぶされてしまった。

パート6:「晩年」…ってか?

ピアノの弾き語りが流れる洒落たレストラン。美しいドレスに身を飾ったご婦人方と、彼女達をエスコートする燕尾服姿の紳士方が素敵な歌に聞き惚れているところ、1人の男が店に入ってきた。生け簀の中の魚達までがおびえて逃げ惑う。それもそのはず、この小山のような巨躯のクレオソートという男、尋常でない大食漢なのだ。
しかしウェイターは慣れたもので、彼をテーブルに導くと、その脇にバケツを用意させた。クレオソート氏はテーブルにつくやいなやバケツに向かって吐き始め、ウェイターが野うさぎのシチューの説明をする間も、バケツを取り替える間も、メニューを開く間も、前菜を勧められる間も嘔吐は止まることがない。にもかかわらず、クレオソート氏はウェイターの勧める料理を全て注文し、さらにシャンペンとワイン、黒ビールをケースでもってこさせるのだった。氏の登場のせいで、店内には不快な匂いが広がっていく。早々に帰宅したカップルもいた。
氏のテーブルの上には、食い荒らされた上品な料理の残骸と酒のボトルが高々と積み上げられている。ウェイターは最後にミント・ウェハースを1枚だけ氏に勧めた。もう満腹だし、これ以上食ったら破裂してしまうと嫌がる氏を、ウェイターは焼き菓子より甘い言葉で篭絡する。「さあ、こんなにちっぽけなお菓子ほんの1枚ですよ?」と。つい誘惑に負けてウェハースを口に含んだ氏を見ると、ウェイターは“お見事でした”という言葉を最後に店の隅に避難する。クレオソート氏の身体がついに破裂し、店中の人々が見るも酷い被害を被った。混乱するさなか、ウェイターは、骨格と内臓ばかりになったクレオソート氏のテーブルに優雅に伝票を置いたのだった。

パート6B:「人生の意味」…ってか。

閉店後のレストラン。汚物で溢れかえる店内を清掃するスタッフたち。ウェイターは、掃除婦のマリアを相手に生きる意味について思いを巡らせる。マリアは、なんと以前はプラド美術館やアカデミー・フランセーズで働いた経験があったという。でもなにも教えてはくれなかった。アメリカ国会図書館やボドレー図書館での経験も同様に無意味だった。大英博物館でも懸命に働いたが、人生の謎についての答えは解けない。ついに彼女も年老い、今ではこのレストランで掃除婦をする有様だ。しかしマリアはそんな人生もゲームだと捉え、いじけてはいない。…が、彼女は、どんなに落ちぶれてもユダヤ人の金だけはもらわないと断固宣言した。この人種差別的台詞を聞くやいなや、ウェイターは彼女の頭に汚物のバケツをかぶせ、カメラに向かって詫びる。
カメラは彼らから離れ、同じウェイターのガストンを映し出す。ガストンは生きる意味について知ることのできる、とっておきのものを見せると言い、カメラをある場所へ導いていく。彼はレストランを出て往来に出、交通事故を引き起こしながら横断歩道を渡って歩きに歩く。到着したのは鄙びた片田舎の小さな一軒家。それは彼の生まれた家だった。彼の母親は、幼い彼を膝に抱いてこう言った。「美しい世界に飛び出して、出会う人皆を幸福にしてあげてね」と。それで彼はウェイターになったのだ…。過去の幸福な思い出と現在の苦々しい現実が交錯し、突然彼をして怒りに走らせる。放っておいてくれ、これは俺が自分で選んだ人生だ!まったくもう、なってこったい!

パート7:「死」……ってか…。

美しい浜辺で葬儀が営まれている。方や、ロンドンの街中を必死の形相で逃げ惑う1 人の男がいた。この男アーサーは、間もなく殺される運命にある。実は彼は、自分の処刑法を自由に選ぶことを許された死刑囚なのである。しかし…、彼を追っているのはトップレスの若くてセクシーなおねーちゃん達。浜辺で行われているアーサーの葬儀で、彼の罪状が明らかになった。なんと、映画の中で無用の性差別ジョークを言ったことで死刑に処せられたのである。そのとき、浜辺の上の崖からアーサーが落ちてきて(もちろんおねーちゃん達に追っかけられてだ)、見事棺の中にジャストミートした。
吹雪く荒野に、不気味な人影がぽつねんと現れる。黒いマントを羽織り、手には大きな鎌を持ったこの人影は、荒野に立つ一軒家のドアを乱暴に叩いた。この尋常ならざる人影は、応対に出た者に、自分は命の刈り入れ人だと説明する。植木職人などではなく、れっきとした死神である。この家の住人は現在、アメリカからやってきた客と共に食事中であったようだが、社交的な妻が愛想よく死神を家の中に招き入れた。家の中は品の良い調度品で飾られ、主婦の趣味のよさを伺わせた。妻は死神に客たちを紹介したが、事情が飲み込めない客人達は“命の刈り入れ人だ”としかしゃべらない死神にワインを勧める。頭にきた死神は、彼らの目の前で自分がこの世のものではないことを証明するのだが、客もさる者、その程度のイリュージョンではへこたれない。物珍しい体験に、我先にぎゃーぎゃー騒ぎ始める彼らを一喝し、死神は彼らを迎えに来たのだと説明する。なんと彼らは皆、既に死んでいるというのだ。アメリカ人もイギリス人も、いきなり家に押しかけてきてグラスを割るわ、死の宣告をするわの横柄な死神に断固抗議する。だが残念なことに、料理に出されたサーモンにボツリヌス菌がついていたことが原因で、彼らは全員死神についていく羽目になったのだった。

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機嫌よくスキップしつつ荒野を行く死神の後を、車に乗り込んで追っていく彼ら。死神は彼らを天国へと導いていった。天国のロビーには、あの地下牢レストランで哲学と格闘していた中年夫婦もいた。死神ご一行様はロビーで手続きを取り、早速天国レストランに赴く。天国では毎日がクリスマス。大宴会場には、肝臓を取られて死んだあのドナー夫婦、ズールー戦争の激戦で頭と胴体を切り離されてしまった兵士、アーサーを死に追いやったトップレスおねーちゃん達、人体実験施設に売られていった子供達、先の大戦の塹壕で死んでいった兵士達などなども勢ぞろいしており、今や遅しと楽しいショーが始まるのを待ち構えていた。幕が上がり、人生最期を飾るミュージカル・ショーは、トニー・ベネットによってパフォーマンスされる。それは本場のラスベガス・ショーも顔負けの煌びやかなものだったが…。

エンドロール:〜映画の終り〜

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ここで、生きる意味をまとめてみましょう。でも大したことないですねえ。“健康に気をつけ、みんなと仲良くしましょう”だって。
そんなことより、ビデオにウンザリし始めてる大衆を映画館に引っ張ってくるために、今の映画に何が必要なのかそろそろ本腰入れて考える時期じゃない?大衆が求めているのはバイオレンスよ!特上のショックよ!家族映画なんかクソ食らえだわ。
んじゃ、さよなら。例のテーマ曲ね。

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