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zoom RSS 失った過去の重み−「プレンティ Plenty」

<<   作成日時 : 2013/01/29 22:04   >>

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plenty=たくさんの、有り余るほどの、豊富な

「プレンティ Plenty」(1985年製作)
監督:フレッド・スケピシ
製作:エドワード・R・プレスマン&ジョセフ・パップ
原作:デヴィッド・ヘア
脚色:デヴィッド・ヘア
撮影:イアン・ベイカー
音楽:ブルース・スミートン
出演:メリル・ストリープ(スーザン・トラハーン)
サム・ニール(ラザール)
チャールズ・ダンス(レイモンド・ブロック)
スティング(ミック)
トレイシー・ウルマン(アリス・パーク)
ジョン・ギールグッド(レオナルド・ダーウィン卿)
イアン・マッケラン(アンドリュー・チャールソン卿)他。

第2次世界大戦中のこと。
ナチス占領下にあったフランスのポアチエにほど近いサンベクア村で、18歳だった英国女性スーザン・トラハーンは、母国のSOE(特別作戦執行委員会)からの密命を帯びてレジスタンス活動に従事していた。ナチスに正体がバレれば死が待つのみ。だが母国とヨーロッパの解放という大きな目標のために、彼女は喜んで危険に身を投じていた。そこへ、ラザールというSOEの英国人スパイがパラシュートで降下してきた。レジスタンスの闘士といきがっていても、まだ幼いスーザンは時に恐怖のために凍りつくことがある。その夜、出会ってすぐ惹かれあった2人はスーザンの潜伏先で結ばれる。翌朝、ラザールは次の任地に去っていき、後に残された金のカフスを彼女は大切に抱きしめたのだった。

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終戦後。
SOEの仲間であった通信兵トニーとブリュッセルを旅行中だったスーザンは、トニーの急死という事態に出くわす。やむをえず関わりになった英国大使ダーウィン卿と、その補佐官レイモンド。彼女はレイモンドだけに自分の正体を明かし、レイモンドはレイモンドで、謎めいた翳りのある美貌のスーザンに惹かれるのだった。
そのままロンドンに戻ったスーザンは、語学力と知識を生かして海運会社に勤め始める。たまたま同じ部署で働いていたアリスは奔放な自由人で、職場も男もコロコロ変えてしまう落ち着きのなさだ。しかしスーザンとアリスはウマが合い、アリスがスーザンのアパートに転がり込む形で同居生活が始まる。その頃、スーザンとねんごろになっていたレイモンドは、毎週末ごとにスーザンのアパートを訪問していた。しかし、無礼なアリスがスーザンに悪い影響を与えていると危惧する彼とスーザンは大喧嘩をしてしまう。スーザンは、レイモンドの体制的なところとアッパークラスの人間特有の人を見下したような態度に我慢がならなかった。そこで、お互い頭を冷やすために一冬の間は会わないようにする。
アリスに感化されたのか、スーザンは海運会社を辞め、自分で広告会社を立ち上げた。この分野でも彼女は辣腕ぶりを発揮し、仕事は順調そのものであった。だが、下らぬ広告を売り歩く仕事では彼女の情熱は満たされず、私生活も虚しいままだ。そこで彼女は、昔アリスのボーイフレンドの1人だった闇屋のミックを抱きこみ、自分に子種を与えるだけの役割を果たすよう頼み込む。結婚などしたくはないが、子供は欲しいというわけだ。18ヶ月間、あちこちで身体を重ねたにも関わらず、スーザンは一向に懐妊しない。焦れた彼女は一方的にミックを責め、関係を破棄しようとした。だがミックにも言い分がある。男の矜持を持ち出した彼を黙らせようと、スーザンはアリスの見ている前で立て続けに発砲する。レジスタンス時代から片時も手離さず、手入れも怠らなかった拳銃だ。スーザンがミックに訴えられなかったのは、アリスのSOSに応じて駆けつけたレイモンドの奔走のおかげであった。彼は、精神病院に放り込まれたスーザンを救い出し、婚約を交わしたのである。
1958年。
スーザンはレイモンドと結婚し、外交官夫人としてロンドンで優雅な生活を送っていた。奇しくも、時はスエズ事件の混乱の渦中である。毎日退屈な日々をやり過ごすばかりのスーザンは、一気に覚醒した。なんといっても、レイモンドの上司たるダーウィン卿がこの動乱を引き起こした張本人であるからだ。この件に関しては、ダーウィン卿は完全に政府に利用された形になっていたのだが、スーザンは聞く耳を持たない。辞任を決意していた老大使をパーティーに招いておきながら、その本人をねちねちとなじり続けたのだ。座は一気に凍りつく。ダーウィン卿はスーザンの正気を訝りながら、レイモンド宅を辞した。

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数年後。
ヨルダンに赴任したレイモンドに同行し、スーザンも彼の地で単調な毎日を送っていた。来る日も来る日も、横になったり図書室の書籍を整理しなおしたりする日々。ある日そんな彼女の元を訪れたアリスは、各種の鎮静剤で別人のように覇気をなくした親友の変わりように胸を痛める。かつて、口癖のように“私は前進しなきゃ”とつぶやいていたスーザンはいない。いつもぼうっと人形のように夫のそばに座っているだけだなんて!アリスは親友を覚醒させようと、外国人相手の英語教師の職を自ら辞したことを告白する。夫の家庭内暴力に悩む女性たちのために、避難所を設立するというのだ。それを聞いたスーザンの心は揺れ動く。亡くなったダーウィン卿の葬儀に参列するという名目で、彼女は夫の制止を振り切ってアリスと共にロンドンに戻る。ロンドンには、スーザンの心の安寧を乱す誘惑が山ほどある。レイモンドのヨルダンでの任期はまだ2年もあるというのに、彼女は二度とヨルダンへ渡ろうとしなかった。
ロンドンでは、スーザンはBBCのラジオ放送に出演した。SOEに参加した史上最年少の女性闘士ということで、インタビューを受けたのだ。生気を取り戻したスーザンに反し、彼女の身勝手な行動に振り回されるレイモンドは、外務省ではかばかしいポジションを得られない現状に陥った。やおら闘志を燃やしたスーザンは、外務省のトップであるアンドリュー・チャールソン卿に夫の不遇を訴える作戦に出る。しかしながら、外交では一枚も二枚も上手のチャールソン卿は、所詮スーザンの敵う相手ではない。慇懃無礼にレイモンドの無能振りを指摘されて爆発したスーザンは、拳銃で自殺してやると騒ぎたてる。もちろん即日、レイモンドは外務省をクビになった。家中の壁紙をベリベリに剥がし、アンティークの品々を放り捨てるスーザンに、レイモンドは最後通牒を突きつけた。精神科の医者の診察を受け、今までの自分の人生の過ちを認めろと迫ったのだ。そうしなければ、スーザンは“前進する”ことすらできないだろうと。最も痛い部分を突かれたスーザンは激昂し、荷物をまとめて家を出た。

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陰気臭い海辺近くの安ホテルの一室で、スーザンとラザールが身体を重ねている。BBCラジオ放送に出演したスーザンの消息を追って、ラザールが彼女の居場所を突き止めたのだ。15年ぶりの愛しい人との再会に、束の間顔をほころばせるスーザンであったが、その表情には疲労以外の何も見えなかった。安酒を飲み、マリファナを吸いつつ、自身の人生が完全に敗北したことを初めて告白するスーザン。だがそれを聞くラザールの人生も似たようなものだった。平凡な会社勤め、結婚、郊外の家、子供…。2人とも、人生に一体何を期待していたのか。スーザンはしかし、ラザールの告白を聞いてはいなかった。酒とドラッグで既に夢うつつだったのだ。だらしなく寝そべるスーザンの横に投げ出されていたハンドバッグには、ラザールの金のカフスが大切にしまわれていた。ラザールは黙したまま去っていく。だが、スーザンの見る夢の中では、彼女は美しい緑の丘に立ち、眩しいほどの朝日を浴びていた。戦争は終わった。これからは理想に描いた自由な平和がやってくる。自分たちの手で勝ち取った、尊い自由だ。私もいつまでもキラキラと輝いていよう。

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さして良い出来ではないのだが、自分の中では格別な位置を占める映画というものがある。困ったことに、私の好む映画の中には、世間一般の評価は低いものがかなりあるのだ(笑)。天下の大女優メリル・ストリープが、脂の乗り切った時代に主演した作品「プレンティ」もそんな映画のひとつである。
要は、いつまでたっても大人になれない、成長できない女性の物語である。底流のモチーフとしては、近作「リトル・チルドレン」に似たものがあるか。しかしこちらの“ボヴァリー夫人”は、とことん惨めだ。現実から目を背け続け、逃げ続けた挙句の自滅である。ヒロイン、スーザンは最も自分が輝いていた頃を夢見ながら、あのまま木賃宿で野垂れ死にしていくことだろう。哀れなものだ。だが、その末路がいくら自業自得だといえ、スーザンの抱える自己矛盾と葛藤は、誰の胸にも覚えのあることには違いなかろう。事実、スーザンが自ら引き寄せる悲劇の経緯を見るにつれ、私自身の脳裏にも苦々しい思い出がいくつも蘇ったものだ。

スーザンは元々非常に情熱的であった人に違いない。劇中では特に説明はないが、きっと良家の子女であり教育も充分、自他共に認める才能と勇気に溢れた女性であろうことはすぐにわかる。だからこそ彼女は、多感な青春時代にナチス占領下のフランスにまで潜入し、命がけのレジスタンス活動に身を投じることができた。敵の目を欺きつつ“自由” のために危険に身をやつし、時には不安を払拭するため同志と同衾しさえする刹那的な毎日。だが彼女はおそらく…言葉は悪いが…、そんな自身を取り巻く状況を“楽しんでいた”のではないだろうか。フランスでレジスタンス活動を行うということは、もちろんそれが故郷英国のためになるからであるが、ナチスと英国の戦局に直接影響を及ぼす切迫したものでもない。戦場の真っ只中で、死を間近に感じながら敵兵と直に戦うわけでもない。いってみれば、大きな責任は背負わされないもののとても真剣な“戦争ごっこ”を、“母国のため”あるいは“全ヨーロッパのため”という大義名分の下で堂々とやれるようなものだ。それはさぞかしスリリングなことだろう。

しかし戦争が終わり、レジスタンス活動家の殆ど全てが一丸となって戦っていた“完全なる自由”が手に入ると、実際にはそれが夢見た理想とは異なることが明らかになる。平和になるということは、すなわち働いて結婚して家庭を築いて…という平々凡々たる日常が彼らの元に戻ってくることを意味する。戦時中には、戦場で最も危険かつ重要な仕事を担うのは名も無き兵士であり、スーザンなどのレジスタンス勇士であるが、いざ戦争が終わってしまえば彼らはお払い箱、世界平和は政治家どもの手に委ねられてしまうのだ。危険と隣り合わせの毎日から突如解放された元兵士たちは、当然のように平凡な一市民としての日常に戻ることを強制されるが、いわゆるスリル依存症になってしまった彼らの中には、そう容易に平和な状態に慣れ得ない者もいただろう。戦争を無事に生き残ったとしても、そして“平和”のために戦っていたというのに、現実に平和な毎日を手にすると、なにもかもが想像していたのとは異なる状況であったという皮肉。たいていの人間は、理想と現実の間に乖離を見れば、今ある中で身の丈に合った幸福を感じ、現実と折り合いをつけていくものだ。しかしスーザンあるいはラザールのように、そこそこに有能でそこそこに重要な任につき、ある面で非常に純粋な者は、人生という戦いにおいては不器用極まりないのだろう。半端なプライドが邪魔して理想を捨て去ることもできないし、かといって現状を変えるための大胆な行動を取る才覚もない。“平和な”現代が、そうした個人の意志の自由を許さないということもあるが、現実を受け入れるのではなく、そこから逃避することでちっぽけな自尊心を守ろうとしたスーザンの姿には、我々が陥りがちな失敗が象徴されているように思う。自分に与えられた過分な幸運にも決して満足せず、思い通りにならなければ周囲の人間を平然と傷つけ、その痛みを知らず自分だけが不幸だと信じて疑わないエゴイズム。我々はそんな女を社会の規範から外れた“悪女”と呼び習わし、その哀れは古今東西を問わず普遍的なものであるのだ。

デヴィッド・ヘアの原作戯曲は残念ながら読んでいない。しかし彼自ら脚色した映画版の台詞の中に、当時の英国の政治状況を巡る言葉が頻出することから、戦後の“大英帝国神話”崩壊から巻き起こる英国民の鬱屈した思いを、1人の女性の挫折の人生に投影しているような気がした。劇中に、スーザン自身の人生とはあまり縁がなさそうな、スエズ運河動乱による英国内の混乱も挿入されているのは、そんな意図があったせいではないか。英国によって周到にお膳立てされた“戦争”は、戦時中の愛国心に基づくレジスタンス活動の虚しさをスーザンに想起せしめたであろう。時代の変遷によって、彼女たちが命を張って守っていた英国の精神が脆くも崩れるのと時を同じくして、スーザンの精神もまた均衡を失っていく。

私事で申し訳ないが、その昔大阪で働いていたとき、友人からこんなことを言われたことがある。「あなたはなにをやってもそこそこ器用にやり遂げるだろうが、そこから先へは決して行けないだろう」と。どんな仕事であろうが、中途半端にある器用さのためにそこそこの成功を収めることはできる。しかし、もっと高い次元である“一流”にはなれないだろうという意味だ。随分シビアな意見だが、これは見事に私という人間の本質を言い当てていた。同じく器用貧乏であるスーザンの人生だって似たようなものではないのか。彼女は海運会社で事務をやっていても、広告会社を立ち上げても、ある程度の成功は収めている。その気になれば、外交官である夫レイモンドの妻としても才気煥発なホステス振りを発揮できる。だがそのいずれも、彼女の旺盛なエネルギーと高い気位を満足させるには至らないのだ。人生に実体なき“plenty”を求め続けた彼女は、到底手の届かぬその不確かさゆえに、虚しく空を掴み続け、やがて疲れ果ててしまう。
人間というものは、いくら頑張っても向上心には限度がある。どんなに前進しようともがいても、躓いたり壁にぶち当たったりして抜き差しならぬ事態になることだってあろう。人生のどの辺りでその限界値を見極められるか、また、自分には理想に見合うだけの才能など始めから無かったのだと達観できるのはいつか、それによって人生の風向きも変わる。彼女によって破滅させられたレイモンドがいみじくも指摘したように、いずれの時機も逸してしまったスーザンには、もはや前へ進むどころか今を生きることすら不可能なのだ。輝くようなフランスの朝焼けを見つめながら、これからは毎日この光の中で誇り高く生きるのだと決意した若き日の自分。彼女はその束の間の光を思い浮かべながら、天国に旅立っていったのかもしれない。

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メリル・ストリープの演技が余りに繊細でリアルであるために、私などは痛ましいスーザンの姿を正視できなかった部分がある。生粋のアメリカ人であるはずの彼女が、英国のアッパークラスの女性以外の何者でもない存在感を見せつけ、流暢なフランス語を自在に操る不思議。また、普段は完璧な女性であるはずのスーザンの中に秘められた狂気が、日常の中にきらりと牙を剥く一瞬の恐怖の鋭利さ。水が器に過不足なく収まるように、演じる役柄の中でアイデンティティを自在に変化させるメリルの演技の核心に触れられる作品であろう。彼女はこの演技で、行き場のないエロティシズムと鬱屈とした焦り、虚無感をない交ぜにした女の性を、冷ややかな美貌で表現した。英国アカデミー賞をはじめ、各界の演技賞を獲得したのは改めて述べるまでもない。

メリルの周囲を固めるのは、優しく真面目だがうだつの上がらぬ英国アッパークラスの紳士を演じさせたらピカイチの(笑)、チャールズ・ダンス。彼は、マイケル・ラドフォード監督作品「白い炎の女」で、ジゴロ崩れの文無し紳士に扮していた。だがまあ、あのようなフェロモンを要する役柄よりは、この作品のレイモンドのように、一が万事杓子定規でも一途に妻を愛する無粋な英国男がお似合いだ。いかにもスーザンのような女につけ入られ、いいように振り回されそうな男に見える。
スーザンの人生の要所要所で現れては、その平穏をかき乱す役割を担う親友アリス役が、個性的な声で人気になった歌手トレイシー・ウルマンである。60年代ヒッピーの先駆者のようであった彼女のキャラクターは大変興味深く、スーザンと同程度に丹念な描写が施されていた。しかし、その闊達な性格とスーザンよりもパワフルであろうエネルギーが、本編にあまり絡んでこないもどかしさは残念だった。映画は、スーザンの半生を淡々と追う構成になっているのだが、スーザンとレイモンドの関係を中心に据えるのか、それともスーザンとアリスの関係を軸にするのかで、だいぶ迷ったようなフシがある。それが、映画全体にぼやけたような印象を与えてしまった。焦点が定まらず、どっちつかずの仕上がりになってしまったのだ。

この映画の初見のとき、実は一番楽しみにしていたのがスティングの演技である(笑)。この頃はザ・ポリスも解散状態で、ファンとしては映画に新境地を見出す彼の活躍をハラハラしながら見守っていたものである。“メリル・ストリープと共演だなんて大丈夫なのか?!”彼のファンは少なからずそう思ったに違いない。残念ながら、彼の演技がメリルに通用するのかどうか、判断できるほどの出番ではなかった(苦笑)。彼の役柄は、典型的な労働者階級出身の若者ミック。なんとスーザンから“種馬”になって欲しいと懇願されるという、奇妙な役回りである。これまた自分勝手なスーザンの論理で、結婚に縛られることなく…つまり“男”に支配されること無く、子を持って家庭を築きたいと願っての結果であった。割り切った大人の関係など、そもそも子供じみたスーザンにできるわけがなかろう。案の定ミックとスーザンの関係は破綻し、子供も得られず、彼女は小犬のようにつきまとうミックに発砲する事態となった。

スーザンの心の拠り所であり、最も美しい思い出の象徴でもある男ラザール。演じたのは、個人的に大好きな俳優サム・ニールである。劇中冒頭に颯爽と登場してヒロインの心と身体をとりこにし、風のように画面から消えていった彼。なんと映画の最後に、冒頭の2人の関係をトレースするような形で再登場する。ラザールもまた戦中と戦後の状況のギャップに苦しみ、スーザン同様現状に満足できず、レジスタンス時代を懐かしむという自家撞着に陥っている人間だ。そんな、もう若くもなく人生に挫折した2人の男女が、レジスタンス時代の習慣そのままに、衣服を着たまま木賃宿で身体を重ねるのである。そこになんのエロティシズムがあろうか。あるのは、醜怪さと滑稽さと幾許かの哀しみだけである。お互いに古傷を舐めあうだけ舐めあって、スーザンはやはりラザールを追い出してしまう。彼女はラザールに過去の思い出だけを抱いていたいのである。彼の、平凡に埋没する鬱々たる現状など知りたくもないのだ。あのかつての一度だけの同衾の際に託した金のカフスを、彼女が肌身離さず持っていることからもそれは明らかだろう。ラザールはあのときと同じように、再び黙って彼女の元から去ってゆく。かくして舞台には、酒とマリファナでだらしなく寝そべるスーザンの寝姿が残るのみ。それは、厳しい現実の成れの果てなのである。

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