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zoom RSS 恋と王冠の人生Part1―「1000日のアン」「わが命つきるとも」

<<   作成日時 : 2014/06/04 22:00   >>

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良き女王エリザベス1世を辿る旅。

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アン・ブーリン Anne Boleyn

1507年頃生まれ
1536年5月19日没

駐フランス大使トーマス・ブーリンの次女として生まれた。私立学校で学んだ後、一時フランス宮廷に入り、1526年頃英国に帰国。ヘンリー8世の最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴンの侍女として宮廷内で働いていたが、ヘンリー8世に見初められ求婚された。やがてヘンリー8世の2番目の王妃として1533年に結婚するも、男児ではなく第2王女エリザベス(後のエリザベス1世女王)を出産したことで王に疎まれ、離縁された挙句斬首刑に処せられた。

“良き女王”エリザベス1世英国女王を産んだ、アン・ブーリンの悲劇の生涯を描いた作品をご紹介します。元々はブロードウェイで好評を博した舞台劇で、英国史上最も悲劇的な運命を辿った女性の半生を、チャールズ・ジャロット監督が堂々たる映像に纏め上げました。

1000日のアン [VHS]
ビクターエンタテインメント
1985-12-16

ユーザレビュー:
エリザベスT世の強き ...
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「1000日のアン Anne of the Thousand Days」(1969年製作)
監督:チャールズ・ジャロット
製作:ハル・B・ウォリス
原作:マックスウェル・アンダーソン
脚本:ブリジット・ボランド&ジョン・ヘイル&リチャード・ソコラヴ
撮影:アーサー・イベットソン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:リチャード・バートン(ヘンリー8世)
ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド(アン・ブーリン)
イレーネ・パパス(キャサリン・オブ・アラゴン)
アンソニー・クエイル(ウルジー大司教)
ジョン・コリコス(トーマス・クロムウェル)他。

16世紀初頭、英国国王ヘンリー8世は世継ぎに恵まれず、焦りの極致にあった。しかもまったくの政略結婚であった年嵩の王妃との夫婦生活は、早くから破綻を来たしてもいた。そんな折、王はグリニッジ宮殿で、王妃の侍女を勤める少女アン・ブーリンに目をつける。
王は急速にアンにのめりこむようになり、キャサリンを離縁しようとローマ法王クレメンス7世に懇願したが、法王は離婚を認めぬカトリック法を盾にとり、その願いを退けてしまう(そこには、キャサリン王妃の親戚であった神聖ローマ帝国皇帝の横槍が入ったという裏事情もあったが)。そこで王は、家臣たちの猛反対を押し切る形で、教皇庁と袂を別ち、独自の英国国教会を打ち立てて絶対君主制の基礎を築く。
己の立場をわきまえるアンは、当初王の求愛を拒むが、その真摯さに次第にほだされていく。宮廷内との軋轢に耐え、王の愛情のみを頼みに王妃の座についた彼女は、やがて懐妊する。世継ぎを待ち焦がれる王の期待に反し、その子は女子であった。皮肉にも王のアンへの関心は急速に冷め、ジェーン・シーモアへと心変わりしてしまう。アンが邪魔になった王は、彼女に対し、姦通罪、実の兄弟との近親姦罪、王を亡き者にしようと魔術の手を借りたという反逆罪など事実無根の罪をでっちあげ、ロンドン塔送りにした。男子を産まなかったというだけで死罪を命ぜられたアンは、悲嘆にくれながらも娘エリザベスに愛情を注ぎ、昂然と顎を上げて己の運命を受け入れ、断頭台の露と消える。 1536年、王妃となってからわずか1000日余りの最期であった。

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まだ可憐な面持ちであったジュヌヴィエーヴ・ビジョルドの、強い意志を伝えるまなざしが忘れられない逸品です。英国テューダー朝などヨーロッパの歴史に興味のある方はもちろん、そうでない方にも充分に訴えかけるものがある、実に品格ある史劇でした。アン役のビジョルドの凛々しい演技はもちろん素晴らしく、娘エリザベスの王位継承権のために、断腸の思いで決断を下すくだりは、胸に詰まるものがありましたね。また、ヘンリー8世をただの女好きの残虐な男に貶めなかったリチャード・バートンの演技も、さすがの重厚感。ギリシャが誇る名花イレーネ・パパスは、その彫りの深い顔に、女官に王妃の立場を追われることになるキャサリンの悲哀と、若さを失いつつある女性の焦りをにじませて秀逸でしたね。三者三様に見事な演技のアンサンブルでしたが、それ以上に印象的なのは、映像の背景に流れる美しいサウンドトラックです。私の大好きな作曲家ジョルジュ・ドルリューのスコアなのですが、16世紀当時実際に用いられていた古楽器で演奏されたものだそうです。なるほど道理で、目にもまばゆい衣装や絢爛豪華な宮殿などの美術背景に、大変上手くマッチしていましたね。アカデミー賞では、作品賞など主要部門を含む10部門でノミネーションを受けていました。ビジョルドは、オスカーは逃しましたがゴールデン・グローヴ賞の主演女優賞を獲得しています。
この作品の優れている点は、アンを中心に悲恋を語ることに終始せず、当時の英国が慢性的に抱えていた宗教問題や、教皇庁との対立に端を発する宮廷内外の政治闘争、キャサリン王妃の母国でもある宿敵スペインとの外交問題など、様々な歴史背景をきちんと描いていたことだと思うのです。そういったストーリーの基盤がしっかりしていたからこそ、歴史の荒波に翻弄されたアンの悲しみが迫ってくるのですね。しかしまあヘンリー8世という人は、ショーン・ビーンも出演したテレビ映画「キング・オブ・ファイヤー」でも描かれていた通り、この後幾人もの妃をとっかえひっかえします。そのたびに前妃を追放したり、首をはねたり。まさしく女の敵であったわけですが (笑)、彼の後長く英国を治めその繁栄の礎を築いたのは、他ならぬアンの娘エリザベスでした。なんとも、運命の皮肉を感じずにはいられませんね。歴史の円環をぐるりとひとまわりして、アンは娘を通じて最終的な“勝利”を手にしたのでしょうか。あるいは、アンの犠牲があってこそ、エリザベスが歴史の表舞台で脚光を浴びることができたとも考えられるでしょう。実はエリザベスは、アンが処刑されたあと、キャサリン前王妃の娘メアリー(後のメアリー1世女王)と共に王女の資格を剥奪されていました。母親の命を実の父親に奪われ、さらに娘としての正当な権利まで奪われていたわけです。しかしこの処遇は、ヘンリー8世の最後の妻となった6番目の王妃キャサリン・パーの尽力により、無事取り消されました。ヘンリー8世やその取り巻き連とも互角に渡り合う才覚と、冷静な頭脳をもつ女性であったキャサリン・パーは、後にエリザベスを引き取って母親代わりとなっています。エリザベスが苦しい不遇時代を耐え忍び、国の舵取りに抜群の才覚を発揮した背景には、この育ての親の愛情と教育という幸運な土台があったのでしょうね。


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トマス・モア Thomas More

1478年2月7日生まれ
1535年7月6日没
英国ロンドン出身

2代に渡る法律家の家に生まれたトマス・モアは、長じてオクスフォード大学とリンカンズ法学院で学び、1510年頃に独立して法律家となった。1514年には下院議員に任命され、1515年から国王ヘンリー8世のネーデルラント使節団のメンバーとなった。その後、1517年から国王の要請に従って宮廷で働くようになる。持ち前の揺るぎない忠誠心で王の信任を得たため、1529年には官僚で最高位の大法官に任ぜられた。少年時代にカンタベリ大司教の元で学んだ経験があるほど、深くキリスト教に帰依していたが、純粋に聖書の教えを尊ぶあまり、当時の教会関係者の腐敗振りには落胆を隠せなかったようだ。形の上ではカトリック信者だったが、必ずしもカトリックの教義に固執しているわけではなく、人民が唯一絶対のキリスト教の下で一丸となり、真に平等で自由で平和な生活を営むべきだという、一種の理想主義的な社会主義の思想を持っていたことが、著書「ユートピア」(1516年上梓)から伺える。同著第1巻は、ある人物の口述筆記という体裁をとって、当時の英国の現状を厳しく断罪する内容だった。ヘンリー8世も、これについては鷹揚な態度を見せていたという。第2巻では、そんな反骨精神溢れるモアの理想郷、架空の国家“ユートピア”についての、詳細な記述である。ユートピア国では、財産を所有することは固く禁じられ、貨幣もなく、すべての国民は平等に労働に従事する義務を負うかわりに、身分による差別は一切ない。国民は皆、決まった時刻から一日6時間労働を行い、共同食堂で供される食事を食べ、家事の煩わしさからも解放されている。質素・倹約を旨とし、労働をさぼる者は強制労働への従事が課せられる。信仰の自由は保障され、教会はすべての宗教に対し等しく門戸が開かれている。略奪のための戦争は禁じられているが、自衛のための軍隊制度は設けられており、男女の別なく徴兵される。

モアの運命が大きく暗転したのは、気まぐれなヘンリー8世の離婚問題が持ち上がったときだ。王は1509年、キャサリン・オブ・アラゴン(スペイン国王女)と結婚したが、娘メアリをもうけただけで嫡子に恵まれなかった。しかし、それ以上に自分より年長の妻に満足できず、その侍女であったうら若いアン・ブーリンを見初めていたのだ。そこで、アンを妃に迎えるため、キャサリンとの離縁をローマ教皇クレメンス7世に願い出るが許可されなかった。怒った王はローマとの離別を決意、英国内の教会が法王の支配から完全に独立したことを宣言し、英国国教会を設立する。すべての臣民が遵守すべき神の法を、私欲のためにねじ曲げてしまったことは、たとえそれが国王であったとしても、モアにとっては許しがたい所業であった。彼は自ら大法官の職を辞し、王とアン・ブーリンとの結婚式にも出席することを拒む。1534年に断行された“国王至上法(英国王を英国国教会の首長とし、政治・宗教・経済のあらゆる面においての事実上の支配者とする法律)”にも、理想的カトリック信者としての信念から反発。国王に対する謀反を疑われ、同年査問委員会にかけられる。厳しい尋問に対しても彼は己の信念を曲げることをせず、国王の横暴を力強く批判した。そのままロンドン塔に送られ、翌1535年7月6日に斬首刑に処せられた。

なお、アン・ブーリンが王妃になってわずか1000日あまりで斬首刑に散ったのは、モアの処刑が執行されたた翌年のことであった。

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ソニー・ピクチャーズエンタテインメント
2007-01-24

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「わが命つきるとも A Man for All Seasons」(1966年製作)
監督:フレッド・ジンネマン
製作:ウィリアム・N・グラフ&フレッド・ジンネマン&ロバート・ボルト
原作:ロバート・ボルト
脚本:ロバート・ボルト
撮影:テッド・ムーア
美術:テレンス・マーシュ
音楽:ジョルジュ・ドルリュー
出演:ポール・スコフィールド(トマス・モア卿)
レオ・マッカーン(トーマス・クロムウェル)
ウェンディ・ヒラー(アリス・モア)
ロバート・ショウ(ヘンリー8世)
オーソン・ウェルズ(ウルジー枢機卿)
スザンナ・ヨーク(マーガレット・モア)
ナイジェル・ダヴェンポート(ノーフォーク卿)
ジョン・ハート(リチャード・リッチ)
ヴァネッサ・レッドグレーヴ(アン・ブーリン)他。

さてこの作品のあらましは、上述したように、国王の横暴を許すことをよしとしなかった信念の人、トマス・モアの半生を描いたものです。英国並びに、中世ヨーロッパ世界の歴史に大きな影を落とすことになった、英国のローマ・カトリックからの絶縁という史実も彼の生き様を中心に描かれていきます。実はこの作品も、「1000日のアン」と同じく舞台劇に基づいておりまして、原作戯曲を手がけたロバート・ボルト自身が映画用の脚色も行い、名匠フレッド・ジンネマン監督を助けて製作にも名を連ねていますね。

映画では、大法官であったトマス・モアと、その秘書官であったクロムウェルの関係が大きな軸になっています。そのときの状況に応じて身の処し方を変え、権力を手中に治めんと密かに画策するクロムウェルの狡猾さ、対して、己の理想に愚直なまでに忠実であろうとしたモアの純粋さが、実に対照的に映し出されますね。クロムウェルは、どんなに理不尽であろうとも、まずは時の為政者の意向に従うべきだという考えの持ち主であり、自らの保身を第一に掲げるごくごく一般的な“政治家”でした。クロムウェルは、ローマとヘンリー8世の間の調停役を再三に渡ってモアに依頼しますが、モアは間違いは間違いとして断固正すべし、とそれを頑なに拒絶するのですね。そのある種の頑迷さが、結局はローマの怒りを買うことになり、クロムウェルもやむなくモアを政治の舞台から排除せざるを得なくなるわけです。映画では、モアの処刑の裏にはクロムウェルの陰謀が働いていたとしていますが、実際のところはどうであったかわかりません。むしろ、そんな事情がなくとも、モアは国王の非を正すためなら、やはり己の命や家族を犠牲にすることも厭わなかったのではないか、そんな印象を受けました。
モアはなぜ、己の守るべき国王に反旗を翻したのか。個人的には、彼がカトリックの教義に拘泥していたせいではないと思います。著書「ユートピア」を紐解いてみても、彼が元々ヘンリー8世に批判的であったことは明らかですしね。つまり、ヘンリー 8世があらゆる権限を国王に集中させ、絶対君主制を英国に確立しようとしていたことにこそ、危機感を覚えていた…というのが彼の偽らざる心境だったのかもしれません。日々横暴になり、臣民や臣下の言に耳を傾けなくなっていくヘンリー8世の変貌に、モアの真の理想―キリスト教の下での平等で平和な社会の実現 ―が、警鐘を鳴らしたゆえの行動であったと思います。

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例え国王の信頼を得ていても、そういった感情に流されることなく、はたまた保身に走ることもなく、自分が正しいと信じることを貫くために命をも賭けること。その信念の内容が、客観的に鑑みて正しかったかどうかについては、実はあまり重要な問題点ではありません。一為政者のエゴで歴史の流れが変わろうとしていた理不尽な状況を、たった1人で食い止めようと立ち上がった男の存在にこそ大いに意味があるのだと思わせます。ドライな現代社会では現実感を持たぬお話に見えるかもしれませんが、今の私たちでも、モアのとった行動がその後の運命に及ぼした皮肉については、やりきれないものを感じることができましょう。権力と正義のせめぎあいはいつの時代でもどこの世界にもあるものです。正義はこの世で尊いものだとされますが、多くの場合、時の権力によっていかようにも書き換えられ、また潰されてしまう運命も孕みます。モアが命を賭けてまで守ろうとした正義も、結局はヘンリー8世によって握りつぶされてしまうわけですからね。モアが断頭台に消えるシーンの荘厳さからは、そこはかとなく諦念観すら漂ってくる気もします。それはとりもなおさず、今もなお変わらぬ権力の法則の帰結であるからに他なりません。

豪華な衣装や美術、格調高い脚本と丹念な演出に支えられ、名優たちによる白熱した演技が劇中で繰り広げられます。彼らの演技アンサンブルの狭間から、現代社会にも通用する諸問題が浮かび上がってきたのは、一重に作品に力が宿っていたせいだと思いますね。ジンネマン監督は、ひとつひとつのシーンの細部にまで手を抜くことなく、中世の風俗を完璧に再現しました。また、役者陣から最高の演技を引き出す手腕にも曇りはなく、美しい映像と音楽とも見事にシンクロしております。映画の“品格”とはこのような作品を指すのだろうとしみじみ感じ入ってしまいますね。ちなみに、この作品のスコアを担当したのは、偶然にも「1000日のアン」と同じジョルジュ・ドルリューでした。
映画は、アカデミー賞で、作品賞はじめ、主演男優賞(ポール・スコフィールド)、監督賞(フレッド・ジンネマン)、脚色賞(ロバート・ボルト)、撮影賞:カラー(テッド・ムーア)、衣装デザイン賞:カラー(エリザベス・ハッフェンデンとジョーン・ブリッジ)、合計6部門を独占しました。共に助演賞候補であったロバート・ショウとウェンディ・ヒラーは、惜しくも受賞はなりませんでしたが、もちろん主演陣と比べてなんら遜色ない素晴らしい演技でした。

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