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zoom RSS 記憶をつむぐ蜘蛛の糸―「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする Spider」

<<   作成日時 : 2015/10/08 22:57   >>

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1988年、英国の幻想、ホラー小説家パトリック・マグラァ Patrick McGrath(“ニュー・ゴシック”の旗手、1950年2月7日生まれ(65歳)、英国ロンドン出身)はある小説を発表しました。

一人の男が子供の頃に恐ろしい事件に直面し、長じた後その記憶をたどるというストーリーです。小説は一貫して男の一人称で語られます。しかし、男の記憶はあいまいで、現実なのかそれとも彼の妄想の産物なのか判然としません。やがてその男の記憶に関して、恐ろしい事実が浮かび上がります…。

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「スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする Spider」(2002年製作)
監督:デイヴィッド・クローネンバーグ David Cronenberg
製作:デイヴィッド・クローネンバーグ
原作:パトリック・マグラァ Patrick McGrath「スパイダー Spider」
脚色:パトリック・マグラァ
撮影:ピーター・サシツキー
音楽:ハワード・ショア
出演:レイフ・ファインズ(デニス・クレッグ)
ミランダ・リチャードソン(デニスの母)
ガブリエル・バーン(デニスの父)
リン・レッドグレーブ(ウィルキンソン夫人)
ジョン・ネヴィル(テレンス)他。

ロンドンのとある駅に一人の男が降り立つ。薄汚れたよれよれのコートをはおり、手には小さな旅行かばんが一つだけ。
彼は背をまるめ、しきりにぶつぶつと独り言を繰り返している。明らかに挙動のおかしなその男の名前はデニス・クレッグ。彼はポケットから紙切れを取り出し、そこに書き付けられた住所へ歩いて向かった。
薄汚れた通りに面した古ぼけた石造りの建物。そこは、精神病院を出た患者が社会復帰するまで、その身柄を預かる中間施設であった。管理人は厳格なウィルキンソン夫人。
彼女に迎え入れられたデニスは、早速部屋をあてがってもらった。階下の談話室では、同じ施設にいるテレンスという老人に話しかけられるが、デニスは意味不明の言葉をつぶやき、テレンスも長く精神を患っているため、二人の会話はまるでかみ合わない。
部屋に落ち着くと、デニスはかばんの中から古い一冊のノートを大事そうに取り出した。そこには小さな文字でびっしりとメモが書き付けられていた。彼は何事かを思いつくと、そのノートにちびたえんぴつで書き込んでいく。そして部屋の汚れたカーペットの下や、たんすの引き出しの中に古い紙切れを隠すデニス。
あくる日から彼は、自分の生まれ育った土地へふらふらと出かけていく。鉄道沿いに歩いたとき、見覚えのある小さな家庭菜園にたどりつく。そこで強烈なイメージを思い出した彼は、「お母さん」と泣きながら菜園の土の上に崩れ落ちた。
そしてかつて幼少時代をすごした小さな家を見つけ、彼は少年時代を思い起こしていく。父親は配管工を営んでいたが、家にはなぜか不在がちだ。デニスは愛する母親と二人で父の帰りを待つのが常であった。
しかしあまりに帰りの遅い父親を、母はパブまで迎えに行くよう命じた。酒とタバコの臭いが蔓延する場末のパブ。父を待つ間、彼はそこにたむろする金髪の安娼婦から性的なからかいを受ける。家は暗く、家族が3人そろっても言葉もなく、楽しい団欒とは言いがたい状況だった。
デニスはいつも優しい母を愛していた。母はデニスに、子供の頃に見た蜘蛛の話をよくした。そして巣に卵を産みつけたあとの蜘蛛が力尽きてしまうことも。その話はデニス心に深く焼きついた。

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母は色鮮やかな口紅を塗る。その様子を見守るデニス。母が「母」から「女」に変わるそのときを彼は密かに嫌悪していた。そうして身奇麗にした母は、彼を一人家において、父と一緒にパブへ出かけてしまうからだ。庭先でみだらに抱き合う父と母。
ある日父はパブで金髪の娼婦と出会う。かつてデニスをからかった女だ。名前はイヴォンヌ(リチャードソン二役)。彼女は妻に瓜二つであった。イヴォンヌの家まで配管の修理に行ったのをきっかけに、父とイヴォンヌはただならぬ関係に陥ってしまった。やがて二人は母の存在が邪魔となりはじめる。
ある日パブに行ったまま帰らぬ父を母は探しに行った。デニスが生きた母を見た最後の姿だった。母はあちこち探し回り、やがて菜園で父とイヴォンヌが抱き合う現場を見かけてしまう。父はその場で農具を手に取ると、母の頭を殴打した。そして菜園に死体を埋める。その夜からイヴォンヌはデニスの家に住み着き、彼の継母となったのだった。
愛する母を殺した父とイヴォンヌ。二人が仲良く毎晩のように飲み、愛し合う傍らで、デニスは孤独を深めていた。下品で、母殺しを隠そうともしないイヴォンヌに馴染めぬ彼。
子供の頃の恐ろしい思い出を手繰り寄せ続けるデニス。現実では彼は相変わらずぶつぶつ独り言をつぶやいてはいたが、施設の仲間と農作業に励んだりして日々をすごしていた。
施設ではある入所者が突然錯乱し始め、浴室のドアのガラスを割り、血まみれになった。デニスは、そのとき拾ったガラスの破片を隠し持っていたが、施設の責任者の男性に返しに行った。男性は割れたガラスを元通りに集めていた。その割れたヒビがまるで蜘蛛の巣のように見える。その日からデニスは古い糸を拾い集め、少年時代にしていたように部屋中に糸を張り巡らし、「蜘蛛の巣」を作り始めた。

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またある日には、彼は施設の前に立っている大きなガスのタンクに妙に不安を覚え、その場から動けなくなる。テレンスの助けで部屋に戻っても、デニスは自分の体からガスの臭いがすると、パニックを起こす。
そして、隠し持っていた女性の裸のピンナップの顔がやがてイヴォンヌの顔に見え始める。その頃から過去の記憶が現実の彼の世界を侵食し始める。ウィルキンソン夫人の顔までがイヴォンヌの顔にすりかわってしまったのだ。
その「イヴォンヌ」の正体を突き止めるため、デニスは夫人の鍵を盗み出し、夫人の部屋を物色する。そこでイヴォンヌの衣装を見つけたデニス。“イヴォンヌ”に復讐するため、彼はかなづちを手に取る。
少年時代のデニスの記憶。イヴォンヌはある夜酔っ払って家の階下に一人でうたた寝していた。憎いイヴォンヌに復讐するチャンスだ。デニスは家中に張り巡らした糸を引っ張って、階下のガスコンロの栓をゆっくりとひねる。やがてガスは家中に満ち、デニスは異変を感じた父に助けられるが、イヴォンヌは手遅れであった。ところが、父が泣きながら抱き上げたイヴォンヌの顔は、なんと母の顔であった。デニスはイヴォンヌに復讐するつもりが、母を殺害する結果になってしまったのだ。父は「お前がやったんだ、デニス」と言い募る。
現実のデニス。殺したはずの“イヴォンヌ”の息の根をもう一度止めるため、デニスは夫人の部屋に入り、寝ている“イヴォンヌ”に近づく。その瞬間“イヴォンヌ”はウィルキンソン夫人の顔に戻った。「あなたはなにをしたの?」

デニスは車に乗せられる。施設の責任者と一緒だ。「さあ、もとの場所に戻ろう」
車の中で、大人のデニスは子供の頃の姿に戻っている。彼はどこへ“帰って”いくのだろうか。

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「記憶」は様々にウソをつくといいます。なぜなら、人間は無意識のうちに、自分が体験したできごとを頭の中でいったん解体し、自分の都合のよいように編集しなおしてしまうからです。それが古き良き「思い出」として心の中に残っていくわけです。いわばそれは、一種の自己防衛手段なわけですね。ひどい経験で自分が傷ついてしまわないようにするための。
ですから、過去の記憶をたぐっているデニス=スパイダーも、客観的な意味で本当に正しい「記憶」をたどっているわけではないのでしょうね。彼が見ているはずがない母の殺害現場を、なぜ彼が記憶として持っているのか不思議ですし、過去の記憶が今の現実世界にまで影響を及ぼし始めるのも、彼の「記憶」のあやふやさを示しています。
ラスト近く、ウィルキンソン夫人がデニスに尋ねます。「あなたは何をしたの?」
そう、デニスが一体何をして、精神病院に入れられることになったのかを探っていくことが、この作品のひとつのテーマであります。
映画の冒頭で、デニス少年が娼婦にからかわれるシーンがありますが、このときの娼婦の顔は彼の母とは全く似ていないのです。明らかに別人。でもからかわれたことで、この娼婦の印象が強くデニスの中に残っていたことは確かでしょう。そして、自分だけのものだと思っていた母が、化粧をして「女」になり、自分を一人残して父とどこかへ行ってしまうということも、彼の心に言いがたい不満を蓄積していったはずです。また、思春期の繊細な時期に母と父の間の性的な行為を目撃したことについても、無意識のうちに「女」である母への嫌悪感を抱く手助けになったのです。こうしたことが繰り返され、やがて「母」が憎むべき「娼婦イヴォンヌ」のイメージへと変貌していったのではないでしょうか。
ひとつの考え方として、もともとイヴォンヌという名の娼婦は存在しなかったのではないか。それは「女」になって自分のそばから離れてしまった母のメタファーだったのではないか、ということが言えます。
そして、自分の愛する母でなくなったことへの復讐として、デニスは同じく「母」のイメージを持つ「蜘蛛」の糸をはりめぐらし、役目を終えた蜘蛛よろしく母を殺害したのではないか。死んだイヴォンヌの顔が母のそれに変わっていた、というシーンでそういう想像もつきます。
しかし、これはあくまでもひとつの考え方ですので、別の解釈も当然可能だと思います。少年デニスが「記憶」していたと思い込んでいたことは、すべて本当にあったことだったと考えることもありでしょうし。

デニスが過去の記憶を掘り起こしては、それをあわててメモしていく姿は、まるでそうしなければ自分に関する「事実」が手の間から零れ落ちてしまうとでも言わんばかりで、痛ましいばかり。デニスは「統合神経失調症」という病気を患っているために、うまく自分のことを説明できないでいるんですね。いろんなことを断片的に覚えてはいるんだけども、それを系統立てて説明できない。だから、メモをとるという行為は、過去の記憶の記録であると同時に、己の存在証明でもあるわけですね。
しかし人は誰しも、自分がなぜこの世に存在しているのか、疑問に思うことも多々あるわけです。デニスのように自己の存在意義を見失いかけている瞬間は、どんな人にでも覚えのあることだと思いますよ。
そうまでして堅守してきたはずの「証明」も、結局忌まわしい事実から逃れるために虚構の「記憶」を現実に植え付け始めたことから、湾曲していくわけです。愛する母を殺害した犯人を探し当てることが、自分の「存在意義」であるのに、最終的にはその犯人がほかならぬ自分であることを受け入れざるをえなくなる。そこで彼の「存在意義」はもろくも崩れ去ってしまうのです。

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最後、デニスがもといた精神病棟へ送り返されるとき、彼はたばこを一本もらって吸います。そして、張り詰めていた緊張の糸が切れたように、うつろなまなざしのまま、姿だけが少年のころに戻っていきます。己の存在意義を失った以上、もう大人の姿をしていることすら必要なくなったといわんばかりに。
この後、バラバラになってしまった「自己」を抱えてデニスはどう生きていくのでしょうか。魂の抜け殻である肉体は、存在意義をもたない人間にとってたいそう重いものでしょうに。涙も出ることが許されないと感じるほど、悲しいラストシーンでした。

2003年、この作品の宣伝のため、クローネンバーグ監督は約20年ぶりに来日を果たしました。その記者会見の席で、彼はアイデンティティを求めてもがく主人公の姿に共感を覚え、目に見える「現実」も客観的に正当化できないものだと答えています。“アイデンティティも会得するには長い時間がかかるもの。だから自分は映画を通して主観的な「現実」を模索し続けるのだ”、と。

まさしくこの作品も、クローネンバーグ自身のアイデンティティ探しの旅の途上にあるものだったのです。この旅はおそらく死が彼をこの世から別つまで続いていくのでしょう。


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