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zoom RSS 人の世の哀しみと喜び−「ブラック・ビューティー/黒馬物語 Black Beauty」

<<   作成日時 : 2013/02/03 22:58   >>

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僕の目には、人間の喜びと哀しみが見えている。

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「ブラック・ビューティー/黒馬物語 Black Beauty」(1994年製作・劇場未公開)
監督:キャロライン・トンプソン
製作:ピーター・マクレガー=スコット&ロバート・W・シャピロ
原作:アンナ・シュウエル「黒馬物語」
脚本:キャロライン・トンプソン
音楽:ダニー・エルフマン
出演:ショーン・ビーン(グレイ)
デヴィッド・シューリス(ジェリー)
アンドリュー・ノット(ゴードン卿の馬丁見習いジョー)
ジョン・マッキンリー(ウェクスミア卿の馬丁頭ヨーク)
ジム・カーター(ゴードン卿の馬丁頭ジョン)
ピーター・クック(ウェクスミア卿)
エレノア・ブロン(ウェクスミア夫人)
エイドリアン・ロス・マジェンティ(ジョージ卿)
ピーター・デイヴィソン(ゴードン卿)
アラン・アームストロング(ウェクスミア卿の馬丁ルーベン)
アラン・カミング(ブラック・ビューティー・声)他。

穏やかな日差しを浴びながら、1頭の老いた黒馬がまどろんでいた。彼はこのささやかな牧場で、優しい人々に見守られながら静かな余生を送っている。しかし彼の半生は、およそ想像を絶するものであった。苦痛と哀しみと諦観で織り上げられたその半生を、彼はこのところよく思い出すのだ。

彼がこの世に生まれ落ちたのは、広大な牧場の片隅であった。暗い厩舎の中で初めて目にしたものは、牧場主グレイの満面の笑み。そして初めて感じたのは、母馬の優しい息遣いだ。真っ黒の産毛に覆われた彼は、やがて成長して美しい黒馬となる。他の子馬たちと一緒に牧場を駆け回り、自然の息吹を肌で感じる幸せな日々が続いた。身体が大きくなると、人を背中に乗せて走る訓練が始まる。鞍、手綱、蹄鉄…馬の身体を拘束する固い器具は、苦痛しかもたらさない。黒馬はこれが嫌で仕方がなかったが、グレイの巧みな誘導で、やがて人馬一体となって全力疾走する快感に目覚める。それは、母馬と引き離され、別の持ち主に引き取られる日でもあった。母馬は、我が子の飼い主が良い人であることを信じて疑わず、“決して主たる人間に逆らってはいけない”と言い聞かせるのだった。

こうして黒馬は新しい飼い主の元に引き取られた。ゴードン卿の屋敷である。彼はゴードン卿の奥方に一目で気に入られた。どうやら、この奥方の強い希望で黒馬は買い取られたらしい。彼は“ブラック・ビューティー”という名前を与えられる。このお屋敷には、やんちゃ盛りのわんぱく坊やと、その妹達もいた。彼らは、まだほんの子供だった白いポニーがお気に入りだ。ところがこのポニーが頭のいい馬で、勝手に厩舎の扉の鍵を開けてしまうのだ!おかげでゴードン家の厩舎では、たびたび外を散歩している馬達を大慌てで回収する馬丁たちの姿が見られた。そして、黒馬に与えられた馬房の隣には、見たこともないほど美しい毛並みの栗毛の雌馬ジンジャーがいた。彼は一目でジンジャーに恋をする。ところが、この雌馬は気まぐれで、荒い気性の持ち主。新参者の黒馬のことなど歯牙にもかけない。
だが、居心地の良いこの屋敷で、黒馬はつかの間の幸福な日々を満喫する。ゴードン家の馬丁頭ジョンの存在のおかげでもある。この男は馬のことを熟知する優秀な馬丁であった。黒馬は、ジョンになら安心して身の回りの世話を任せられた。ジョンにはジョーという名の見習いの少年がついていたが、優しい心根の少年であるものの、いかんせんジョーは未熟で馬の世話も満足に出来なかった。ある嵐の夜、主人とジョンを乗せた馬車を引いていた黒馬は、増水で橋が流されてしまった川で溺れかけたジョンを正しい判断で助けた。全身ずぶぬれで風邪を引きかけて屋敷に戻った彼ら。黒馬は、衰弱したジョンに代わって世話に来たジョーのミスで、本格的に風邪をこじらせてしまう。ジョンに大目玉を食らってしょげかえるジョー。ジンジャーも、このときばかりは寝ずに黒馬に寄り添っていた。数日間生死の境をさまよった後、黒馬は奇跡的に危機を脱し、ジンジャーたちと再び牧場を駆け回ることができるようになった。
ところが、優しかった奥方が健康を害し、遠方の医者に診察を受けることになる。黒馬が馬車を引いていったが、医者宅で泊まった厩舎でパイプの火の不始末から火事が起こってしまう。黒馬はジョーの命がけの救出のおかげで、九死に一生を得た。このとき以来、黒馬とジョーの間には揺らぐことのない信頼関係が築かれたのだった。黒馬とジョーは共に遊び、いたずらにいそしむ。黒馬は最高に幸せであった。
奥方の健康状態は悪化の一途をたどっていた。主治医から外国での転地療養を勧められ、ついに一家は英国の屋敷を引き払うことになった。馬の世話をしていた馬丁たちも全員解雇された。飼われていた馬たちも、それぞれ違う人に引き取られちりじりになる運命だ。屋敷の牧場でみなで遊ぶ最後の日、ジンジャーと白いポニーは風に吹かれながらダンスを踊る。リズムをあわせて軽やかに。黒馬はその光景を目に焼き付けた。幸せな日々の終りが来た。
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黒馬とジンジャーは、馬好きのウェクスミア卿夫妻に引き取られた。ジョーは彼らを馬房に入れると、必ず迎えに来るからと言い残し、涙ながらに去っていった。黒馬は身を切られるような思いに苦しむ。ウェクスミア夫人はわがままで気まぐれ、馬丁たちは皆夫人の言いなりだ。夫人は馬の事情など考えもせず、見栄えだけのために手綱を限界以上に短くさせ、常に頭を上げて走らせようとする。これは馬に苦痛を強いる使役だが、馬丁頭のヨークはとにかく夫人の癇癪を恐れ、進言もできないのだ。ジンジャーは早速怒りを爆発させ、夫人の目の前で大暴れした。とばっちりを食って足を怪我した黒馬は、同じく馬丁のルーベンに慰められる。しかし気がかりはジンジャーだ。興奮状態の彼女は、以来、主人の馬車を引くことはなかった。ウェクスミア卿の屋敷はゴードン卿のそれより何倍も広くて格式の高い家だったが、以前とは比較にならないほど窮屈な生活が始まったのである。
黒馬は夫人の気まぐれに付き合い続ける。夫人が馬の肖像画を描きたいと言えば、何時間でも黙って居間で立ち尽くしモデルを務める。ルーベンも黒馬もうんざりだったが、文句は言えない。ジンジャーの方は早駆けが得意であったため、ろくに訓練もしないまま、夫人の息子のレースで走らされる。息子は競馬狂であるが、馬の扱い方を全く知らず、まるで消耗品としてしか見ていない。案の定ジンジャーはいきなり無茶な走り方を強要され、身体を壊してしまう。
ルーベンはいい男であったが、飲酒という悪癖を持っていた。ある夜、またしても夫人のわがままのせいで急きょ街まで走ることになった黒馬とルーベンは、街中で休息をとっていた。ルーベンは一杯引っ掛けにバーへ向かう。泥酔して戻ってきた彼は、黒馬の蹄鉄が緩んでいることにも気づかず、無理やり黒馬の背に乗る。ルーベンは日ごろの鬱憤を晴らすかのように黒馬に鞭をくれ、がむしゃらに走らせる。蹄鉄がはずれ、黒馬の足はダメージを受ける。足を痛めてもただひたすら走らせる。とうとう黒馬は、木の枝にひっかかってルーベンを振り落としてしまった。黒馬は、そのまま道端で寝込んだ彼のそばを離れずに夜を明かす。馬は飼われる人間に逆らってはいけない。たとえそれがどんな人間であっても。馬は主人を選べないのだ。
翌朝、屋敷の使用人に拾われた黒馬とルーベン。馬丁頭のヨークは、即座にルーベンを解雇する。しかし黒馬の足にはひどい傷が残ってしまった。もう格式高い屋敷の馬車は引けない。「売ってしまえ」主人の一声で黒馬の運命は決まってしまった。彼は、見る影もなくやつれ細ったジンジャーとお別れを言う間もなく、貸し馬業の男に売り払われたのだった。

貸し馬業の男は、非情な男だった。黒馬はどんな手荒な客にも貸し出され、ひどい扱いを受ける。おまけに満足に世話もしてもらえなかった。雨の日も風の日も、道が泥でぬかるんでいても、全身泥まみれになりながら重い乗合馬車を引く。艶やかだった黒毛は抜け落ち、立派だった身体も痩せていく。彼は、こんなに惨めな姿になった自分をジンジャーには見せられないとひとりごちる。でも馬は、飼い主を選ぶことはできないのだった。
黒馬は散々酷使されたのち、馬の市場で売りに出された。様々な人間が、品定めをするように黒馬を見ては通り過ぎていく。その雑踏の中で、彼は懐かしい声を聞いた。あれは聞き間違えようもない、ジョーの声だ!ちびだったジョーが、すっかり頼もしい大人に成長していたのだ。黒馬は必死にいななき、力の限りたてがみを振りかざした。だがジョーは黒馬には気づかず、遠くへ去ってしまった。がっくりと肩を落とす黒馬。しかし、そんな彼を見ていた1人の男がいた。

男はジェリーと名乗った。そして貸し馬業の男と駆け引きの末、黒馬を引き取ったのである。ジェリーは、黒馬をごみごみとした騒々しい下町に伴っていった。石畳の堅い道は痛めた膝にこたえる。黒馬はやがて暗く狭苦しい厩舎に押し込められた。しかし、初めての環境のため不安に慄く彼を、ジェリーとその貧しい家族は心を込めて世話するのだった。名前は、前代の馬からもらった“ブラック・ジャック”。決して良い環境とはいえなかったが、黒馬は、ジェリーと家族の手のぬくもりに、久しく感じなかった安堵感を覚えるのだった。
ジェリーは辻馬車を営んでいた。黒馬はジェリーの御す小型の馬車を引いて、客待ちをする毎日だ。街路は狭くて堅く、冬は厳しい冷え込みの中で何時間でも客を待たねばならない。おまけに辻馬車業は競争が激しく、客の取り合いも頻繁にある。身体を蝕むほど、仕事は本当に厳しい。一日の終りには黒馬もジェリーも疲労困憊してしまう。だがジェリーは良い御者であったし、なにより黒馬は彼を信頼していた。
ある日曜日、ジェリーと黒馬は顔見知りの女性の母親を見舞うため、田舎へと赴いた。休息すべき日曜日に走るのは大変だったが、黒馬にとっては思ってもみない休日となった。懐かしい昔を思い起こす田舎の草原を目にして、彼の胸は喜びで一杯になる。ジェリーが鞍をはずしてくれた。黒馬は身軽な身体で草原を走り回る。風の匂いをかぎ、太陽の温かさを浴びる。黒馬は、サンドウィッチをつまもうとしていたジェリーにいたずらをしかけ、しばしおっかけっこを楽しむのだった。
季節は真冬。ある日黒馬は、居並ぶ辻馬車の中に思いがけない顔を見つけて愕然とする。ジンジャーがいたのだ。やせ細り、目はどんよりと濁り、毛並みはバサバサ。黒馬が近寄っても、もはや彼女にはそれが誰なのかも判然としないようだった。一体あれから彼女の身になにがあったのか。黒馬は涙をこらえて、ジンジャーの鼻先に鼻を擦り付ける。彼女に孤独ではないんだと教えてやりたかった。だがジンジャーは、荒っぽい御者に鞭打たれ、反射的に走り去っていった。
ジェリーと黒馬は、パーティから帰宅するため辻馬車を呼んだ酔客を待って、何時間も雪の舞う外で待ち続けた。近頃咳き込むことの多くなったジェリーは、青い顔で黒馬の背に毛布をかけてやる。ジェリーの具合は悪そうだったが、家賃を払うためにはこの腹立たしい酔客を馬車に乗せねばならない。黒馬は、人間に飼われて生きるしか術のない馬以上に、人間の世界の非情さと哀しみに深く思いを馳せるのだった。
翌朝、黒馬はいつものように雑踏の中で客待ちをしていた。うなだれる彼の耳に、聞き覚えのあるいななきが聞こえる。空気を切り裂くような悲痛な響きの声。次の瞬間彼が目にしたのは、荷車に乗せられた変わり果てたジンジャーの姿であった。雨に打たれた彼女の骸に向かって、黒馬はそっと別れを告げた。その日、仕事から戻った黒馬の世話をしにきたのは、ジェリーではなくて息子だった。黒馬は異変を感じ取る。
ジェリーが肺病に罹ってしまったのだ。結局彼は辻馬車業を続けられなくなり、田舎へ居を移すことになった。別れの日、ジェリーの家族が涙ながらに黒馬を慰撫する。黒馬はまたしても安らぎの家を追われ、売られる運命に翻弄されるのだった。

黒馬を買い取ったのは、穀物販売業を営む男であった。毎日毎日、荷車に山と詰まれた穀物の袋を1頭で引く。急勾配の坂では足が前に進まない。そんなときは、男は容赦なく黒馬に鞭を振るった。馬は人間に逆らってはいけない。黒馬は限界を超えても荷を引き続けた。
2 年後。地獄のような酷使の末、黒馬はとうとう地に倒れ伏した。身体はどこもかしこもボロボロだ。やせこけ、毛は抜け落ち、いつか見たジンジャーと同じように衰えた身体は、黒馬の体重を支えて立っているのがやっとの状態であった。黒馬は市場に売りに出された。やっと使役から解放された彼は、立ちながらうとうとまどろんでいた。彼の前では、馬を買い付けに来た人々が同情の一瞥を投げるだけで、誰も立ち止まろうとしない。その中には、さらに風格を増し、子供を連れたジョーもいた。ジョーは、ひどい有様で立っている黒馬を目にしてしかめ面をした。こんなになるまで馬を酷使した持ち主の気が知れない。かわいそうだが、この馬には緩慢な死が待つのみだ。彼が他の馬を見ようと、子供に声をかけたその瞬間のこと。その黒馬が突如目を覚ました。片時も忘れたことのなかった懐かしい声を聞いて、一気に覚醒したのだった。黒馬は、またも自分に気づかず去ろうとしたジョーに向かって、声の限りいなないた。最後の力を振る絞って。ジョーはその声を耳にして立ちすくむ。彼とて、ブラック・ビューティーの声を忘れたことはなかったのだ。ジョーは信じられない思いで黒馬の元に駆け寄り、彼の鼻筋にある特徴的な白い模様を確認した。紆余曲折を経て、数年ぶりに再会を果たした1人と1頭。ジョーは声を殺して嗚咽する。
「ブラック・ビューティー、もう大丈夫だ。もう大丈夫だよ…」

ジョーの持つ小さな牧場に引き取られた黒馬は、再びブラック・ビューティーと呼ばれるようになる。牧場で丁寧に世話を施された彼は、その名にふさわしい外見を取り戻していった。自然の中で駆け回り、信頼するジョーに庇護されながら暮らす穏やかな毎日。彼はこのごろ頻繁に昔のことを思い出す。ジョーと出会った、あの懐かしいゴードン卿の牧場でのことだ。そこでは、ジンジャー、白のポニー、そして黒馬が、美しいと誉めそやされたたてがみを風にたなびかせ、どこまでも駆けているのだ。柔らかな太陽に向かって、草花の青い匂いをかぎながらどこまでも駆けていく。そこでは、何人たりとも彼らを引き離すことなどできないのだ。

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アンナ・シュウエル Anna Sewell

1820年3月20日生まれ、1878年4月25日没
英国ノーフォーク州Yarmouth出身

“最初の記憶は、澄んだ水をたたえた池のある牧場です。池には緑濃い木が枝を伸ばし、水仙がいくつも浮かんでいました。”

アンナ・シュウエルは、生涯にただ1冊の本を著しました。それが今回の映画の原作ともなった「黒馬物語」です。アンナは、生まれ持った障害のため、子供の頃はバクストンにダドウィック牧場を所有していた祖父母の家で過ごしました。この頃、牧場で飼われていた馬と慣れ親しみ、乗馬の手ほどきを受けます。
そして、兄の乗っていた黒馬“ブラック・ベス”にインスピレーションを得て、「黒馬物語」執筆への意欲を燃やすのです。この著作では、馬が交通手段の主役をなしていた19世紀末の英国において、人に飼われる運命の動物達の幸せとは何かを読者に広く提起しています。また、作品の中で彼女は、馬車を引く馬達の身体を痛めることになる、短すぎる手綱をただちにやめるべきだと強く訴えてもいるのです。映画の中でも、ウェクスミア卿夫人が見栄えのよさだけのために、手綱を必要以上に短くするよう命令するシーンがありますが、あれは実際に馬の腰や背中を痛めつける要因になるのだそうですね。劇中でも、黒馬のモノローグを借りて、その不当性を主張する形になっていました。
シュウエルは、子供の頃から亡くなるまで馬をパートナーとして、彼らに大いなる愛情を注いで暮らしました。また彼女自身も障害のある身体で、不自由さを強いられる生涯を送りましたので、馬に苦痛を強いる使役には、断固反対の姿勢を公言していました。「黒馬物語」は、そんな彼女の馬への賛歌と愛情にあふれた作品であるだけではなく、主人公黒馬の目を通して語られる人と動物とのありかたについて、今一度の熟考を読者に促す力をも持っていたのです。
そして、作品を通じてあぶりだされるのは、シュウエルが過ごした19世紀英国における階級差の不条理です。生まれつき持てる者と持たざる者の間に厳然とあった生活の格差は、いかな努力をもってしても、どうにもならなかったのですね。持てる者は莫大な富の上にあぐらをかき、人を人と思わぬ、ましてや動物のことなど消耗品ぐらいにしか考えぬ、慈悲心なきエゴの塊と化している。一方、貧しい出自の者は、毎日骨身を削るように働いても暮らしは一向に楽にならない…。映画版では上映時間の都合上カットされていましたが、原作ではそんな現状が悲痛に語られるシーンがあります。
黒馬が、ロンドンの下町で辻馬車業を営むジェリーの元で働いていたときのことです。同業のサムという男が、くたびれ果てた自分の馬をなお酷使しようとしているのをみとがめて、グラント親方がサムを叱責しました。するとサムは、毎日人馬共に必死に働いても、ちっとも暮らし向きが楽にならない辛さ、そして階級が下だというだけで、お客の“お偉い紳士方”から不当な仕打ちや辱めを受ける悔しさを訴えるのです。現在でもそうですが、馬を1頭養うためには、彼らに与えるえさ代や最低限必要な放牧地等、かなりのコストがかかるものです。その上、自らの家族も養わねばならないのですから、金儲けの元手である馬を酷使せざるを得ない状況に陥るのは、なにもサムだけではなかったでしょう。ジェリーにしても、黒馬以上に自らの身体を酷使していました。ただ、彼は貧しかったけれども、正直さを貫いた美しい魂の持ち主でした。馬に対しても人に対しても誠実に接し、貧困に屈せず、馬に非情な酷使を強いませんでした。しかしながら結局、この正直という美徳が仇となって、彼は辻馬車廃業に追い込まれてしまうのですね。上述した大金持ちウェクスミア卿が、怪我を負った黒馬をろくに手当てもせず、さっさと売り飛ばしてしまうのと実に対照的です。このあたりの自虐的な皮肉に、シュウエルの社会的弱者への強い共感と、あらゆる階級に存在する、他者への慈悲を鑑みない人間達への強烈な批判精神をうかがうことが出来ます。同時に、社会的強者に翻弄されて生きるしかない弱者という、当時の社会の理不尽なありようを、怒りを込めて描写しているのです。おそらく彼女自身は、自らを社会的弱者の側に認めていたのでしょう。作品の中では、飼い主の運命に翻弄される馬達へも、社会の最下層で苦しむ人々へも、等しく暖かいまなざしが注がれています。
黒馬は、自身モノローグで繰り返すように、人に飼われて生きるしかなく、また、飼い主を選ぶことも出来ません。当時の人々が自らの出自を選べず、生涯をそれに屈した形で過ごさねばならなかったのと同様です。しかし彼は、あらゆるタイプの人間と関わっていく過程で、私達人間以上に“人と動物の関係のあるべき姿”について学んでいきます。そして、人間に翻弄される自らの不運を嘆くでもなく、それどころか飼い主たる人間へ哀切の情すらにじませて、与えられた環境の中で最善を尽くして生きるのですね。それしか生きる術がないというのではなく、むしろ泰然自若と自らの運命を受け入れているようにも見えます。『人には人の領分があり、馬には馬の領分がある。それぞれがお互いの立場に理解を深めることは必要だけれども、両者共にその領分に於いて最善を尽くすべきであって、その領域を侵してはならないのではないか』…黒馬の佇まいには、そんな彼の悟りが伝わってくるような気もするのです。
その姿は、それを見つめる私達に、“人と動物のありかた” について改めて深い深い反省を促します。それはとりもなおさず、“人と人とのありかた”について再考することにつながっていくのですね。人であれ、動物であれ、他者と関わりを持つ際に、慈悲と赦しの精神を強くする必要があるのではないでしょうか。
我が子を殺める母親、あるいは妹を殺害する兄、伴侶の死体を切り刻む妻、伴侶への暴力、面白半分にホームレスをいたぶる子供達、“親友”をあっけなく殺害する子供…。世界中にはびこる、異人種、異文化への無理解と排斥行為。あらゆる類の人間関係が行き詰まり、危機に瀕している現在こそ、このシンプルなストーリーから学ぶべきことは多々あると思われますね。
さて、シュウエルが人生をかけて完成させた「黒馬物語」は、彼女の死後3ヵ月後に出版される運びとなりました。この本が、やがて世界中の子供たちに愛読される名作となるなど、生前の彼女はついに知ることはありませんでした。シュウエルの葬儀の際、彼女の母親メアリーは、「ブラック・ビューティー」の中で言及されていた、葬送行列を引く馬の手綱が限界以上に引き締められている現実を思い出しました。彼女は亡き娘の遺志を慮り、馬たちの手綱を緩めるようその場で促したそうです。

「黒馬物語」は、児童文学の名作と位置付けられた後、1970年、英国でジェームズ・ヒル監督(「エルザ」)によって映画化されました。そのときの主演はマーク・レスター。この作品は、原作のもつイメージを崩さない程度に、黒馬と出会い、そして別れることになる馬丁ジョーを主軸に据えた悲劇を描いたものでした。また、1972年から1973年にかけて、同じく英国で子供向けテレビシリーズとして再び映像化されました。ここでもやはり主役はジョー。この番組は、1974年から1975年にかけて、NHKにて“少年ドラマシリーズ”と銘打って日本でも放映されています。

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キャロライン・トンプソン
●フィルモグラフィー
2005年「ティム・バートンのコープスブライド」 脚本
2001年「スノーホワイト/白雪姫」(TVムービー)監督&製作&脚本
1997年「バディ」(未)監督&原案&脚本
1994年「ブラック・ビューティー/黒馬物語」(未)監督&脚本
1993年「奇跡の旅」脚本
1993年「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」脚本
1993年「秘密の花園」脚本
1991年「アダムス・ファミリー」脚本
1990年「シザーハンズ」原案&脚本
(画像は撮影中のひとコマ。向かって左側がトンプソン)

ところが、ティム・バートン監督の「シザーハンズ」「ナイトメアー・ビフォア・クリスマス」「コープスブライド」等で脚本を担当したキャロライン・トンプソンは、こういった従来の解釈の仕方に大いに不満を持っていました。原作はあくまでも黒馬の視点で、黒馬の独白で語られる黒馬の受難の物語のはずです。彼女は、「秘密の花園」や「奇跡の旅」でも見られるように、自然を背景とした動物のストーリーをリアルに語ることに定評のある脚本家でしたから、自らアンナ・シュウエルの原作を脚色することにしたのです。原作に極めて忠実に、その訴えんとするテーマを明確にするため、彼女はこの作品で初めて監督も兼任する決意を固めました。ティム・バートン作品の常連スタッフでもある、作曲家ダニー・エルフマンらの協力を得て、1994年リメイクされた「黒馬物語」は、原作の通りに、黒馬のモノローグでその半生が語られていくという異色の動物映画となりました。
冒頭の誕生シーンからラストまで、カメラは一貫して黒馬の視線で動き、彼を取り巻く風景や人間模様を写し取っていきます。馬達が草原で疾走するシーンの美しさは言うに及ばず、主役の黒馬を演じた馬の表現力豊かな演技に驚嘆させられます。黒馬が恋に落ちて喜びに跳躍するシーンや、嵐の中で主人を助けようと必死になるシーンなど、そのすべてのシーンに於いて、馬たちの仕草や表情が非常に真に迫っているのです。あまりにリアルなので、黒馬が全身を泥まみれにして鞭打たれるシーン、あるいは衰弱した仲間を気遣うシーン、ついに力尽きて倒れるシーンなどに関しては、子供向けの物語にしては酷に過ぎるとも感じられますね。映画のエンドクレジットに、“この映画では馬達は厳重な管理の下、安全に撮影に従事した”というテロップが流れるのですが、下手をすると本当に動物愛護協会からクレームがつきそうなほどの迫真の映像なのです。そんな中で、やはり出色のシーンといえるのは、黒馬が終生慕い続けた馬丁ジョーと別れるシーンと、すれ違いを経てラスト近くでようやく再会を果たしたシーンでしょうね。馬を擬人化するというのではなく、彼らが見せる自然な一瞬の表情を捕えて映像に質感を持たせていくのは、大変に地道な作業です。トンプソン監督自身の、馬達に寄せる愛情の深さもうかがえますね。
黒馬がその半生で出会うことになる人間を演じたのは、すべて英国出身の俳優です。彼らの醸しだす雰囲気のおかげで、舞台となった19世紀ヴィクトリア朝時代の英国の風俗に、現実味が加味されたともいえますね。映画は黒馬の生涯を描きながら、同時に背景となる当時の英国の人々の暮らしぶりが、階級によってどれだけ差があったのかを活写していきます。社会の最下層にいる人々の住むドヤ街の喧騒とくすんだ色合い、上流階級の人々が暮らす瀟洒な屋敷のまばゆさの対比は残酷なほど。

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黒馬が誕生したグレイ牧場の主を演じたのが、ショーン・ビーンです。また、黒馬の半生の中で、わずかながら希望の時を提供する辻馬車業のジェリーには、デイヴィッド・シューリスが扮しました。両者とも、動物を愛し、貧しくとも実直に生きる男を暖かく好演しております。彼らは他の映画では、アクの強い役どころを演じることが多いのですが、この作品では始終優しげな笑顔を浮かべて、暗くなりがちな物語の中のオアシスとなっています。
また、黒馬の“内なる声”を熱演したのは、「ゴールデン・アイ」(1995年)でもショーンと共演したクセ者俳優、アラン・カミングです。彼のナレーションによって、観客は知らぬ間に黒馬に多大な共感を寄せるようになり、作品の訴えんとするテーマ―人と動物の関わり方についてよく考えよう―に一層近づくことができるのですね。
トンプソン監督のリアルさを追及した妥協を許さぬ演出、彼ら出演陣の好演、英国社会の背景の丁寧な描写によって、この作品は大人の鑑賞に耐えうる好篇となりました。子供に推奨するよりむしろ、大人達が率先して観るべき作品でしょうね。

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