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zoom RSS 恋愛、その不条理なるもの―「アンナ・カレーニナAnna Karenina」Part2

<<   作成日時 : 2014/08/28 00:01   >>

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“文学作品として完璧なものであり、現代ヨーロッパ文学のなかには比肩するものがないだろう”―ドストエフスキー
“全体の構図も細部の仕上げも、一点の非の打ちどころがない…完璧な作品”―トーマス・マン
“この作品にはすべての問題が正確に述べられているために、読者を完全に満足させる”―チェーホフ

トルストイの原作になるこの「アンナ・カレーニナ」には、様々な肩書きがあります。恋愛の特殊な形態である“不倫”を文学の世界に持ち込み、その不条理なる生態を通して“恋愛”そのものを余すところなく描ききった恋愛文学の金字塔であること。あるいは、150人以上の多種多様な登場人物を多彩に描き分け、不可解なる“人間性”というものをその構成する社会の中で、歴史の流れの中であぶりだそうとしたこと。また、貴族社会の俗っぽさや醜悪なる実態と、農村に働く名もなき人々の生き様を対比させ、当時の社会の矛盾点をえぐろうとした試み。アンナ・カレーニナという美しい人妻の愛と死、トルストイの分身であるレヴィンの人生への惑いを交錯させることで、“生きる意味とはなにか”という大命題を解き明かそうとした志の高さ。

この作品は当初、新聞に連載されるという形で発表されました。まさしく19世紀末のロシアに生きたトルストイが、同時代の人々に向けてリアルタイムで発信した、人生の啓蒙書という役割も担っていたのです。トルストイはその後、全章に12回にわたる推敲を施し、のべ5年かけて作品を研磨せしめました。完成した作品は、新潮文庫版でも、上巻・中巻・下巻合わせて1668ページになんなんとする大河小説となります。しかも、タイトルロールであるヒロイン、アンナ・カレーニナが登場するのは、普通の小説なら大団円を迎えているであろう頃。それだけでも、この作品がいかに破格のスケールを持っているかが伺えますよね。アンナが登場するまでに相当なスペースを割いて、もう1人のヒロインたるキティの可憐さや、彼女が何の疑問も抱かずに無邪気に舞っている貴族社交界の実態、物語の語り部でもあるレヴィンの理想主義的人生哲学などが丹念に描写されています。そのほか大勢の登場人物たち1人1人の人間性も、まるで目に浮かぶように詳細に語られます。そうすることで、アンナの生きている世界の背景、引いては当時のロシア社会の全体像を読者に知らしめ、一部の特権階級に支配される世の中の不条理を暗示したいというトルストイの意思を感じてしまいます。
つまりこの小説は、高慢で無粋で己のメンツだけを重んじる貴族と愛のない結婚をした美女が不倫して破滅しました、というだけの下世話なお話ではないのです。トルストイは、アンナをがんじがらめに拘束する閉鎖的な貴族社会をシニカルに描きつつ、女性が社会の中でどんなに息苦しい生き方を強いられているかを表現しています。美しく、いつも気高く背筋を伸ばして立ち歩き、教養にも人生経験にも恵まれた完璧な女性アンナが、なぜヴロンスキーのような、若さと情熱と美貌だけがとりえのような浮薄な青年を愛してしまったのか。確かにアンナとて人の子ですから、富と属する社会の名声に倦んだ美女の例に漏れず、ひときわ自己愛が強いことでしょう。また、育ちのよさも手伝い、プライドだって随分高いに違いありません。二言目には男の権威を振りかざす朴念仁のような夫と、青二才ではあるけれど愛に純粋なヴロンスキーを比べれば、自分の持つ“美”に相応しい男を本能的に選んでしまうのも無理からぬこと。それにアンナには、社交界の華ともてはやされていても、結局は夫に傅いて決まりきったレールの上を歩くしかない女の人生に飽きはじめていた、という隙もありました。カレーニンと結婚して、早くに人生の頂点に上り詰めてしまった彼女は、女の生き方の限界点もごく早い段階で知ってしまいます。華やかな生活を謳歌しているように見えても、その実は夫に支配されて生きている操り人形のようなもの。所詮は籠の中の鳥にすぎないのです。それは、女性に対して厳しいモラルを強いていた、当時の社会全般に言える概念です。アンナは、社会通念やらモラルやら世間のしがらみ一切を無視し、ただひたすらに自分を慕って追いかけてくるヴロンスキーに、無垢な“自由” を見たのかもしれません。彼女が愛したのはヴロンスキーという人間ではなく、彼が体現する自由な空気であったのでしょう。ヴロンスキーという男は、アンナのようなタイプの女性が陥りやすい魅力に満ちていたわけですね。
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さて、アンナは自由に生きることを求めて、ヴロンスキーに未来を託してしまいます。なにより愛していた息子を失う羽目になっても、彼と駆け落ちして新世界に脱出することを望んだのです。しかしその“自由”も、幻想にすぎなかったことがすぐに明らかになります。というより、ハナから彼らの歯車は合っていなかったのですよ。初めて2人が結ばれたとき、ヴロンスキーは精を放つ者の身勝手さで、“どうなってもかまわない、この一瞬の幸せを甘受する”と軽率にも考えるのですが、アンナは違いました。女性は精を引き受け、それを腹に抱え、大いなる痛みと共に新たな生をこの世に生み出します。一瞬の幸せに呆けていればよい男性とは根本から構造が異なるのです。だからこそ、厳しい道徳観念が支配する社会では、姦通は重罪であり、それを犯した女性の存在を抹殺しさえすることを彼女は充分分かっていたのですね。こと性の問題に関しては、女性の方が大きな役割を果たすがゆえの、不平等極まる社会通念です。彼女はこの息苦しい社会から逃れる術として、言ってみれば最後の切り札として、ヴロンスキーを選んだのですが、ひょっとしたら既にこの時点で、彼女は来るべき破滅を予感していたかもしれません。
成熟した女が決死の覚悟で人生を捨てて選んだ相手としては、ヴロンスキーはあまりにも未熟で非力でした。一時の情熱だけでは、アンナのような女の人生を引き受けることなど到底出来ません。彼女が捨ててきたものの重さ、彼女が払った犠牲の大きさを理解するにつれ、ヴロンスキーは彼女を恐れ始めるわけですね。つまり、アンナを受け入れることは、彼女が失ったもの全てを受け入れることを意味するわけです。一見シンプルに見える女の人生とは実は非常に複雑で、表に見えている部分は氷山の一角である場合が多いのです。アンナと一緒に暮らしてみて初めてそうした女の人生の重みを実感した彼は、自分がそれに見合うだけの力を有していないことを思い知らされます。彼はどうすればよいのか。あくまでもアンナと共に、失ったものの痛みに耐えながら一生を過ごすのか。結果的に彼が選んだのは逃亡でした。
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ヴロンスキーがモスクワに戻りたいと言った時点で、彼の心が自分から逃げ出したことは、アンナにはとうに分かっていました。アンナがモスクワに帰ったところで、破廉恥にも夫婦の掟を破った彼女は閉鎖的な社交界からは疎外され蔑まれたままでしょうし、対外的な問題から夫が絶対に離婚に応じるわけはないですしね。モスクワには…もっと言えば貴族社会には、彼女の生きる場所はもう残されていなかったのです。自由を欲し、古い社会の規範という籠を破ろうとした鳥は、結局その社会からの制裁を受け、志半ばで羽をもがれて地上に倒れ伏しました。
1人の女が、女性に対し理不尽な要求をする社会を相手に孤軍奮闘の戦いを挑んだ。しかしその戦いに勝ち目はなく、女は生路を断たれ死を選ばざるを得なかった。その模様を神の目線で書き綴っていたレヴィンは、自身も特権階級に属しながら、社会全般の中でその果たす役割が見出せず、自己矛盾とでも言うべき悩みに落ち込んでいました。彼は人間の本質を見つめ、その存在意義を問い、生きる意味を知ろうと必死でした。己が支配する農民たちに混じって彼らの生態を知るにつけ、あるいは同じ悩みに苛まれた挙句共産党に入って追われる身となった兄の生き様を知るにつけ、彼は貴族社会の不毛さに直面します。同時に、社会全体の理不尽さにも行き当たります。直接交錯することのなかったアンナとレヴィンの人生が、ここでひとつの真実を共有することになったわけですね。本来“生きる” ということにおいて、貴賎の差や男女の格差などないこと。誰かが誰かに支配されるような社会ではなく、人は皆真に平等であるべきではないかということです。もちろん恋愛についても同様。そうなって初めて人は自由を得るのではないか。確かにそんな社会なら、アンナのような女性も死なずにすむでしょうね。

「アンナ・カレーニナ」とは、1人の女性の生き様を通して、ただ恋愛だけに留まらずおよそ人間という生き物に起こりうること全てを描ききった、恐るべき作品なのです。まさに“人生の書”と呼ばれるに相応しいものですね。またトルストイの描写も実に映像的で多彩。文字の喚起するイメージだけで、読者は圧倒されてしまうほどです。メロドラマ的なストーリーのカタルシスもさることながら、主役以外の登場人物も実に生き生きとしており魅力的で、まさに映画にはうってつけの素材でしょうね。ですから、昔からこの作品は飽くことなく繰り返し映画化されてきました。今回ご紹介したソフィー・マルソー版の「アンナ・カレーニナ」は、7度目の映画化となります。これにテレビシリーズとして製作されたものを加えたら、映像作品は数えられないほどの数に登ります。個人的に観たものを以下に挙げておきますね。

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1935年版「アンナ・カレーニナ」
監督:クラレンス・ブラウン
出演:グレタ・ガルボ(アンナ・カレーニナ)
フレデリック・マーチ(ヴロンスキー)
バジル・ラスボーン(カレーニン)

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1948年度版「アンナ・カレーニナ」
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
出演:ヴィヴィアン・リー(アンナ・カレーニナ)
キーロン・ムーア(ヴロンスキー)
ラルフ・リチャードソン(カレーニン)

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1967年度版「アンナ・カレーニナ」
監督:アレクサンドル・ザルヒ
出演:タチアナ・サモイロワ(アンナ・カレーニナ)
ワシリー・ラノボイ(ヴロンスキー)
ニコライ・グリツェンコ (カレーニン)

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1977年版「アンナ・カレーニナ」テレビミニシリーズ
監督:バジル・コールマン
出演:ニコラ・パジェット(アンナ・カレーニナ)
スチュアート・ウィルソン(ヴロンスキー)
エリック・ポーター(カレーニン)

2000年版「アンナ・カレーニナ」テレビミニシリーズ
監督:デイヴィッド・ブレア
出演:ヘレン・マクロイ(アンナ・カレーニナ)
ケヴィン・マッキッド(ヴロンスキー)
ステファン・ディレイン(カレーニン)

番外編1985年度版「アンナ・カレーニナ」テレビムービー
監督:サイモン・ラングトン
出演:ジャクリーン・ビセット(アンナ・カレーニナ)
クリストファー・リーヴ(ヴロンスキー)
ポール・スコフィールド(カレーニン)


映画では上映時間が限られるために、えてして膨大な原作のダイジェストになりがちです。ためにどうしても、アンナの不倫に主眼を置いたメロドラマになる傾向がありますね。扱いを間違えれば作品が安っぽい昼メロに堕してしまいます。原作の訴えんとする複数のテーマを忠実に再現したものには、やはり時間をたっぷりかけることが出来るテレビシリーズとして製作された作品が多いようです。
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個人的に最も印象深かったのは、1948年度のヴィヴィアン・リー版でしょうか。デュヴィヴィエ監督はリーの悲劇女優としての資質をよく生かし、不条理な恋愛ドラマに特化した作品作りを心がけているようでした。それが功を奏し、豪奢なロシアの貴族社会を背景にした、美しくも哀しい女性の一生を耽美的に描くことに成功しています。リーはこんな役が本当に似合っていますね。「美女ありき」「哀愁」「欲望という名の電車」…堕ちていく気高い女の悲劇を演じて、凄みを見せつけます。当然、危うい狂気を孕んだ彼女の美貌あってこそ成り立つ悲劇なのですが。
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私はグレタ・ガルボのアンナに、針の山の上を歩くようなぎりぎりの悲恋を感じられなかったのですが、それは多分、彼女の美しさが余りに威風堂々としているせいでしょうね。女王様のように威厳があって揺るぎない。どこか翳りや不安定さが見てとれるリーとは別種の美ですね。まあアンナ像は人それぞれですからなんとも言えませんが。

1997 年にバーナード・ローズ監督の手によって製作された7度目の映画化作品「アンナ・カレーニナ」では、日本でも馴染み深い女優ソフィー・マルソーがアンナ役に挑みました。女優であるからには一度は演じておきたい代表的な女性像、彼女の演技にかける意気込みも相当なものだったでしょう。この頃のマルソーは美しさも頂点を極めていて、不倫に没頭する成熟した艶やかな女の顔と、反面、愛に一途で幼子のような無垢な表情も垣間見える、熱のこもった演技を披露しておりました。不毛な愛に苦しみ、死に向かって突き進む狂乱振りも堂に入ったもの。
マルソーを受け止めるショーン・ビーンのヴロンスキーも、原作から喚起される直情的で純粋な青年将校のイメージを上手く再現して適役でした。なんといっても、映画で悲恋を語るには美男美女の組み合わせでなくてはならず、ビジュアル面でも彼ら2人はこのストーリーに即した人選だったのではないでしょうか。確かに彼らには、作品に高い品格を与えられるだけの芳香がもうひとつ足りないとも思われますが、短い上映時間ながら原作に忠実に綴られた端正な映画の中で、映画ならではの美しい夢を見させてくれます。もう1人の主役レヴィンを演じたアルフレッド・モリーナも、とても英国人とは思えないほど無骨で誠実で真面目なロシア人役にマッチしていて、味のある好演でした。粋な演出でラストを締めくくってくれます。

作品は、完全ロシアロケを敢行して得られた豪奢なロシア貴族社会の背景と、壮大なロシアの自然を対比させて圧倒的です。また、作品中ハイライトとなる舞踏会のシークエンスの流麗な美はやはり特筆すべきもので、この後も、カメラは流れるように移動しつつ人物の表情を捉えていきます。本物ならではのリアルな美術、目にも鮮やかな、貴婦人のまとう素晴らしい衣装の数々。故ゲオルグ・ショルティが指揮したサンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー・オーケストラの奏でる「悲愴」も、随所でヒロインの心の声を雄弁に語る役割を果たしています。この古典的な物語にはこうした入念な舞台背景が必要なわけで、多少レトロな雰囲気が感じられようとも、ローズ監督は実に生真面目に作品に取り組んだと言えるでしょうね。

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