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zoom RSS 時代を映す人の顔―「アウグスト・ザンダー August Sander」

<<   作成日時 : 2015/05/07 23:27   >>

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あらゆる人間の顔に表れる表情を見るのが大好きだ。人の顔はその持ち主の歴史を語る。だが悲しいことに、私にはその人の顔を記録にとどめる絵心がない。従って、才能溢れる人たちが撮影した人物のポートレイトや、肖像画を見ることで心を慰めている。

私のポートレート写真好きの原点は、ドイツの生んだ偉大な肖像写真家アウグスト・ザンダーだ。彼は、社会を構成するあらゆる階層の、あらゆる階級に属する人間の顔を、ひとつひとつ丁寧にフィルムに写し取っていった。その数、およそ4万点。『Menschen des 20. Jahrhunderts』に収められた人物写真群を見るといい。この作品集には、“農民”“熟練工”“女性”“階級と職業”“芸術家”“町”“Last People(ホームレス、退役軍人)”という7つの章が設けられ、それぞれに、タイトルの職業を代表する人々の虚飾されない真実の表情を収めている。これは、もはや単なる人物ポートレイト写真集ではない。ワイマール共和政下のドイツ社会の断層、ひいては20世紀という人類の歴史を記録する壮大な作業であった。


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20世紀は「戦争の世紀」だと言われます。わずか1世紀の間に、世界中を巻き込んだ大規模な戦争が2度も(第1次・第2次世界大戦)起こりました。また、それ以前も以降も世界中のどこかが絶えず戦争状態になっています。民族紛争や宗教問題に端を発する内戦、あるいは豊富な資源をめぐる大国同士の利権にからんだ紛争、いまやどこに原因を探っていいのかわからなくなるほど複雑化したテロの問題。それらは21世紀に入った現在も、一向に解決する気配すら見えません。

映画は時代を映す鏡ですので、当然、様々な形で戦争をテーマにとりあげた作品が数多く製作されました。たとえば、「西部戦線異状なし」(1930年)などに代表されるような、戦場に赴いた兵士たちの実態を描くことにより戦争の不毛さを訴えるもの。または「禁じられた遊び」(1951年)に代表されるように、戦争によって人生を奪われる市井の人々の悲劇を描くもの。いずれも根底に『反戦』というメッセージが息づいています。『戦争』という極限状態の中で、最も明らかにされるのは実は人間の本質に他なりません。


―我々の時代を映し出すのに、写真ほど適したものはない。写真は崇高な美も無慈悲な現実も再現することができる。真実を見ることに耐えよう。好き嫌いにかかわらず真実を仲間や未来の世代に伝えねばならない。物事をあるべき姿やあり得る姿でなくありのままにしか見られない私が不謹慎というならお許しを― アウグスト・ザンダー(1927年)

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「アウグスト・ザンダー August Sander」(2002年製作)
監督:ライナー・ホルツェマー
ナレーション:ライナー・ホルツェマー
ドキュメンタリー

炭鉱夫と農民で占められていた、ドイツ、ベスターバルト地方。ここでザンダーは1876年11月17日に誕生した。家族は貧しく、ザンダーも15歳で学校を終えると、家計を助けるため鉱山で働き始める。そこで、鉱山撮影のため派遣されていたプロのカメラマンの機材を運ぶ手伝いをするうち、生まれて初めてカメラと出会う。すぐに写真に夢中になったザンダーは、伯父からもらった旧式のカメラで家族の肖像写真を撮ることに挑戦。撮影には成功したが、周囲の人たちには皺が目立つと不評だったようだ。ザンダーは、書き割りの絵の前で不自然なポーズをとって撮られる写真が、その人物の持つ本来の姿とはかけ離れていると信じていたのだ。
23歳になったザンダーはスタジオで働き始め、そこで妻となるアンナと出会った。アンナは大学出のインテリだったので、ザンダーを助け、書類仕事などはすべて彼女の役割であったようだ。実際、ザンダーは妻アンナがいなければなにもできなかったという。見習い期間を終え、ドレスデンで絵画学校に通った後、ザンダーはアンナとともにオーストリアのリンツへ引っ越す。リンツで肖像写真の撮影で生計をたて、写真芸術スタジオの共同経営者となる。当時流行していた手法ではなく、ドキュメンタリータッチの撮影を模索していたようだ。
ザンダーは、リンツで始めての個展を開き成功をおさめる。長男エーリヒ、次男グンターが誕生し、彼は子供達の写真を撮っては記録に残していた。家族はドイツのケルンに引越し、そこで双子のヘルムートとジグリッドが誕生。ヘルムートは生後まもなく亡くなったが、ジグリッドは無事に生き残る。この頃からザンダーは、ケルンから何度もベスターバルトに赴き、主に農夫達の写真をカメラに収めはじめる。これらの写真が後のポートフォリオ―作品集―シリーズの基礎となる。
ザンダーの娘ジグリッドは、ナチス政権が権力を握った頃ドイツを離れ、アメリカのワシントンに移り住んだ。彼女は結婚記念に父からもらった古い写真集を大事に保管していた。

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第1次世界大戦中はアンナが兵士達の写真を撮ってスタジオの経営を支え、ザンダー自身は歩兵部隊に徴兵された。衛生兵として悲惨な戦場を目の当たりにしたザンダーは、後々までそのとき受けた心の傷に苦しむことになる。そしてこの体験が、時代を生きる人物の肖像写真を客観的に撮ることでその時代を記録するという作業をザンダーのライフワークにしたのである。
彼は戦後、まずケルンで、様々な職業に従事する人々を最低限の背景で、時にはその仕事場で撮影していった。彼らの自然な姿をカメラでとらえるためである。彼は『正確な写真』を撮ることを心がけ、事実を細かい部分まで再現しようとした。
ザンダーのポートフォリオの写真群は、半世紀にわたるドイツの年代記にもなっている。異なる社会グループごとに7つのセクションに分けられ、”農夫”から始まり、”最後の人間達”で締めくくられている。”最後の人間達”は老人や、死の床にある人々の肖像写真で構成されていた。ザンダーは、ワイマール共和国の時代を象徴するような人々をいろいろなタイプに分けて撮影していった。彼は写真を、時代のイメージを子孫に残す理想的な手段であると考えていた。写真を介して、子供の世代と知識を共有することを至上の命題としていた。彼は写真で現代史を描きたかったのだ。1927年、ケルン芸術展覧会で、ザンダーの写真集『時代の顔』が出版された。これが後に制作、出版される『20世紀の人間達』の試作品となったのである。

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しかしナチスの台頭とともに、『時代の顔』は当局によって焼き捨てられ、撮影スタジオも破壊された。ザンダーの撮る人々のイメージは、ナチスの思想と相反するものであったからだ。追い討ちをかけるように、ザンダーの長男エーリヒが共産党員であったために、当局に逮捕され10年の禁固刑を言い渡され投獄されてしまう。ザンダーは打ちのめされる。エーリヒは刑務所内で密かに囚人達の写真を撮り続け、こっそりザンダーの自宅に送っていた。後にこれらの写真は『20世紀の人間達』の”政治的囚人”というポートフォリオに収められた。
陰鬱な第2次世界大戦中は、ザンダーのスタジオに肖像写真を依頼してくる主だった人間も、カギ十字の腕章をつけたナチスの軍人たちとなる。彼らもまた、ザンダーによってありのままの姿を写真に残していったのだ。ザンダーはケルンでの現実から逃避するため、頻繁にラインの山岳地帯を訪れ、風景写真を撮るようになった。生真面目な彼も、ここにいるときだけはリラックスしていたようだ。
戦局は日々厳しくなり、ケルンにも何度か悲惨な空襲が繰り返された。ザンダーはガラス製のネガを破壊から守るため、1943年にはすべてのネガを防空壕に移し、厳重に保管した。彼は助手に命じて毎日ネガの状態を確認していたが、そうまでして彼がネガを守るのには理由があった。そこには決してナチス当局の目には触れてはいけない写真があったからだ。貧困に苦しむ人や盲人、障害を持つ人たちの写真。こうした人々は第三帝国には存在しないことになっていた。すべからくアーリア人は世界中で一番優秀な民族であるというのが、ナチスの主張であったのだ。ナチスは頻繁にザンダーの家宅捜索を行ったが、彼は多くの写真を隠しぬいた。作家でアナーキストのエイリッヒ・ミューザム(後に強制収容所で処刑)の写真や、ポートフォリオ”迫害された人たち”に収められている、ケルン在住のユダヤ人たちの肖像写真も含まれていた。

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(向かって左端がザンダーの息子エーリヒ)

1944年3月、釈放を3日後に控えた長男エーリヒは、盲腸の治療をしてもらえず刑務所内で獄死する。ザンダーは「やつらは息子を殺した!」と泣き崩れたという。このエーリヒのデスマスクを写した写真が、『20世紀の人間達』の最後を飾ることになる。

―ケルンの崩壊を生き延びた人はあの大惨事を憶えているだろう。だが忘れるな。あれは自然による惨事ではなく、悪政が招いた人災なのだ。ケルンの崩壊は子孫にまで語り継がれるべき辛い記憶なのだ―

ようやく第2次世界大戦が終わる頃には、ザンダーのスタジオはすっかり破壊され尽くしていた。ザンダーとアンナ夫妻はベスターバルト地方のクーフハウゼンに移り、農家の離れをスタジオ兼自宅として借りる。1951年にケルンで行われた第1回フォトキナ展において、彼の写真が展示されたことをきっかけに、ザンダー再評価の気運が高まる。ニューヨーク近代美術館のエドワード・スタイケンは、ザンダーを改めて世に問うため、彼の肖像写真を展覧会に出品した。そして、1954年、ついにライフワーク『20世紀の人間達』が完成したのである。
1957年、クーフハウゼンで妻アンナが亡くなると、ザンダーは心の支えを失い力尽きたように倒れる。彼は晩年、他の知識人との交流も皆無なクーフハウゼンで、アンナとラジオだけを頼りに生きていたのだ。1964年4月20日、彼はついに帰らぬ人となる。

―ザンダーの写真は歴史に存在した人々の姿を永遠に伝えるのだ―美術史家マヌエル・ガッサ(1951年)

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この作品は、ドイツの肖像写真家の祖、アウグスト・ザンダー(1876年―1964年)の人生を、彼の孫や娘といった遺族と当時の助手の証言を交えながら綴るドキュメンタリーです。現在ケルン市民貯蓄銀行文化財団が保存するザンダーの遺した数々の貴重な写真も、劇中紹介されています。
本来なら、このドキュメンタリーを「反戦映画」とカテゴライズしてしまうのは正しくないとは思います。しかし、2度の悲惨な戦争を生き抜いたからこそ、ザンダーは人間の肖像写真による壮大な現代史を後世に残すことができたのではないでしょうか。もしも彼が戦争を直接体験することがなかったら、彼の写真もこれほどの重みを持ち得なかったとも思います。
特に重要なのは、第2次世界大戦中、ドイツ人でありながら彼がナチスからの迫害を受け、あまつさえ息子を殺害されていた事実。ナチスの迫害を受けていたのはなにもユダヤ人だけではなかったという史実は、以前の記事でも少し触れましたが、それに屈することなく社会から抹殺されようとしていた人間―貧しい人々や障害をもつ人、ユダヤ人など―をカメラで記録し続けた彼の意志は、戦争が人類の過ちであるという明確なメッセージを私達に伝えています。
そして、ザンダーが写した様々な人間の顔は、時代を超えてその歩んできた人生を物語り、ひいてはその生きた時代そのものを象徴しているのです。彼の集大成『20世紀の人間達』の最後のページに、戦争によって命を落とした人間(息子エーリヒ)の死に顔を見るとき、私達は改めて戦争という人類の愚行を自らに戒めていかねばならないのです。

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