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zoom RSS そこに“黒い血”が流れる―「ゼア・ウィル・ビー・ブラッドThere Will Be Blood」

<<   作成日時 : 2016/04/01 11:31   >>

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“Give me the blood, Lord, and let me get away!”

「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド There Will Be Blood」(2007年製作)
監督:ポール・トーマス・アンダーソン Paul Thomas Anderson
製作:ジョアン・セラー&ポール・トーマス・アンダーソン&ダニエル・ルピ
原作:アプトン・シンクレア Upton Sinclair 『石油! Oil!』(平凡社)
脚色:ポール・トーマス・アンダーソン
撮影:ロバート・エルスウィット
プロダクションデザイン:ジャック・フィスク
衣装:マーク・ブリッジス
編集:ディラン・ティチェナー
音楽:ジョニー・グリーンウッド(レディオヘッド)
出演:ダニエル・デイ=ルイス(ダニエル・プレインビュー)
ポール・ダノ(ポール・サンデー/イーライ・サンデー)
ケヴィン・J・オコナー(ヘンリー)
キアラン・ハインズ(フレッチャー)
ディロン・フレイジャー(H.W.)
バリー・デル・シャーマン
コリーン・フォイ
ポール・F・トンプキンス他。

1898年。
山師ダニエル・プレインビューは、一攫千金を夢見つつ、たった1人で金鉱を掘り続ける。彼は、他人と徒党を組むのをよしとしない。どこまでも一匹狼なのだ。しかし、狂乱のゴールドラッシュの時代は既に終りを迎えようとしていた。

1902年。
黄金に変わって世を席捲したのは石油である。見渡す限り荒れ野原のカリフォルニアで、豊かな石油脈を誰よりも早く発見しようと、ダニエルは劣悪な現場で石油の採掘に熱中する。だが、当時はまだ採掘のための設備も貧弱で、現場での事故は日常茶飯事だった。仲間の1人が採掘途中に命を落とし、ダニエルはせめてもの罪滅ぼしに、彼の遺した赤ん坊を引き取る。名前はH.W.。ダニエルはその後、H.W.と共に油脈を求めてアメリカ中を放浪することになる。

1911年。
野心家のダニエルは、独立系の“石油屋”として有望な土地を次々と安値で買い取り、掘り当てた油脈から上がる収益をさらに別の採掘現場に投資していた。彼がいつも交渉を有利に運ぶことが出来たのは、まだ幼い息子H.W.を商談の場に伴っているからだ。胡散臭い石油屋を警戒し、容易に土地を手放そうとしない地主たちにとって、子供の存在は“家族のぬくもり”を想起せしめるものである。ダニエルの狙いもまさにそこにあり、彼は商談のためなら息子すらだしに使うことを厭わなかった。

ダニエルとH.W.、そして数年前からダニエルの右腕として働くフレッチャーの3人は、ある青年の訪問を受けた。その青年ポール・サンデーは、彼の故郷の牧場の地下浅いところに、莫大な石油脈が眠っていると主張する。そこは井戸を掘っても塩水しか出てこない貧しい土地柄で、穀物ひとつ栽培することもできない。ポールの父も牧場でヤギを飼い、糊口を凌いでいた。当初こそポールの情報に半信半疑だったダニエルだが、彼の確信に満ちた言葉に気おされ、H.W.と共にサンデー家の牧場がある町リトル・ボストンに赴いた。

リトル・ボストンは砂塵が舞う荒れ果てた町で、住民は乾ききった土地にへばりつくようにして暮らしている。病院も学校も娯楽と呼べるものもなく、住民の唯一の心の拠り所といえば、ポールの双子の兄イーライが主催する聖霊派教会“第三の啓示教会”でのミサのみ。この憂鬱な辛気臭い土地で、しかしダニエルとH.W.は素晴らしい油脈を発見した。ポールの情報は正しかったのである。有頂天になったダニエルは、早速町の不動産業者の尻を叩き、サンデー牧場とその周辺の土地を安く買い上げる。いわゆる“地上げ”だ。ダニエルは土地を手放した住民を集め、いつものように演説をぶつ。“石油によってこの町を豊かにしよう。金さえあれば、学校や病院、畑のための井戸を建設するのも簡単なことなのだ”と。素朴で人を疑うことを知らぬ住民たちは、諸手を挙げてダニエルを歓迎する。

ところが、突如現れて町の土地を買占めたダニエルを快く思わぬ者がいた。イーライである。彼は神に仕える牧師の身ではあったが、その思想は狂信的で自らを救世主とみなしていた。“第三の啓示”教会の信者をさらに増やす野心を抱き、ダニエルに土地譲渡の条件として莫大な額の寄付金を要求した。そればかりか、ダニエルが部下と仲間を呼び寄せてこしらえた木製の油井やぐらの落成式に、自分の名前を冠するようにとも注文をつける。リアリストで自身の力しか信じないダニエルにとり、神の名を騙って他人を操ろうとする宗教家は、最も唾棄すべき人種である。当然のことながら、ダニエルはイーライとの口約束をなにひとつ守ろうとはしなかった。

ダニエルは、完成した油井やぐらにイーライの娘メアリーの名前をつけ、彼女に新しいドレスまで贈ってサンデー家に取り入った。イーライはイーライで、家でも教会でも己のカリスマ的地位を維持せんと、家族の者や信者にダニエルの悪徳を吹き込む。しかし石油の採掘が始まり、実際に油井が利益を上げ始めると、死にかけていた辺境の町は活況を呈してきた。石油によってもたらされた富のパワーの前に、一牧師の説教の声はいかにも心もとない。イーライが、教会でどんなに声を張り上げてダニエルを冒涜しようが、ダニエルが町で大きな影響力を持つことを止められはしなかった。

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ある日、油井やぐらからガスが噴出し、爆発炎上事故を誘発した。周辺に漆黒の石油の雨が降る中、爆風に吹き飛ばされたH.W.は、そのショックで両方の耳の聴力を失ってしまう。いずれは石油事業のパートナーにと考えていた息子を襲った悲劇。しかしダニエルは、息子の容態よりも石油採掘作業の続行を優先し、フレッチャーを呆れさせた。
突如無音の世界に放り込まれ、混乱するH.W.を医者に診せるも、診断結果は絶望的であった。そんなとき、のこのこと寄付金の取立てにやって来たイーライをみとめるや、ダニエルは怒りを爆発させる。イーライを石油の池の中に引きずり倒し、両の頬を繰り返し殴りつける。神の使者を自認するのであれば、H.W.の耳を治してみろ、と。

ダニエルの成功譚は新聞に書き立てられ、今や彼はアメリカン・ドリームの体現者として有名になっていた。その弊害か、ある日突然、彼の腹違いの弟を名乗る謎の男ヘンリーが現れる。ヘンリーはダニエルの妹からの書簡も持っており、一見本物らしく思われたが、用心深く猜疑心の強いダニエルは安易に彼を信じようとはしなかった。ライヴァルであるスタンダード・オイル社が、ダニエルの採掘会社を買収にやって来た。100万ドルという破格の契約条件であったが、ダニエルは苦労して手に入れた石油を安々と他人に譲る気などない。別の会社からパイプライン使用権を手に入れ、自ら独立系の石油供給会社の主に納まったのだ。ある夜、ヘンリーの持っていた荷物の中から日記を盗み読みしたH.W.は、精神に混乱をきたし、ダニエルとヘンリーの眠る自宅に火を放つ。あわや焼け焦げになるところであったダニエルは苦渋の決断を強いられ、息子を遠方の寄宿学校にやることにした。息子が遠くに離れてしまうとダニエルの猜疑心はさらに強まり、ついにヘンリーの嘘を見破ったばかりか、夜陰に乗じて彼を撃ち殺してしまう。ダニエルは、彼の富を目当てにたかろうとするものは、何であれ嫌悪した。しかしヘンリーの持っていた日記には、確かにダニエルに腹違いの弟がいたことが記されていた。本物の弟は既に病死していたのである。ダニエルは日記を読みながら1人涙をこぼす。

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スタンダード・オイルを敗北せしめるためには、町から海岸までを繋ぐ石油供給用パイプライン敷設を急がねばならない。そのためには、住民の中でたった1人、ダニエルの地上げに反対していた男バンディを説得し、その所有する土地を我が物にする必要があった。そこで、熱心なイーライの信者であるバンディの信頼を得るため、ダニエルはついに宿敵イーライの教会で洗礼の儀式を受ける決意を固めた。ミサに参加したダニエルをみとめると、イーライは説教とは名ばかりのアジテーションで彼の罪を弾劾し、儀式と称して彼を信者の前に跪かせるや、その頬を何度も平手打ちにする。ダニエルは、はらわたが煮えくり返る思いで息子を見捨てた罪を皆の前で懺悔し、パイプライン敷設のためにこの茶番を受け入れた。

バンディの土地は無事ダニエルの所有地となり、豊かな油田から石油を運ぶパイプライン敷設工事が始まった。時を同じくして、ダニエルはH.W.のために手話の専門家を見つけ、彼の個人教師にした。これで再び息子とコミュニケーションができるようになる。寄宿学校から戻ってきたH.W.は、当初こそ父親の勝手な判断に怒りを露にしていたが、壮大なパイプラインと油田の活気、大企業スタンダード・オイル社と単身戦いを挑む父親のすさまじい執念を目にすると、やはり父親には自分の存在が必要不可欠であると、認識を新たにするのであった。教師の根気強い指導の下、H.Wは順調に手話を会得し、再び現場で実地に石油事業を学ぶ日々が始まる。その彼の隣には、常にイーライの娘メアリーが控えていて、彼女も懸命に手話を覚えようとしていた。ダニエルに許しがたい恥辱を与えたイーライは、第三の啓示教会の全米布教活動のため、突然町を旅立っていく。駅で彼を見送る信者たちの中には、憮然とした表情のダニエルの姿も見える。彼らの対立はこれでいったん終わったかに思われた。

1927年。
要塞のような壮麗な屋敷の中で、老いたダニエルが戯れに1人ライフルの引き金を引いている。的は高価なグラスの山だ。執事の他に人の気配はない。そこへ来客があった。今や立派に成人し、ダニエルの事業のビジネス・パートナーとなったH.W.である。傍には、彼に手話を教えた教師を従えている。教師は、 H.W.とダニエルの間で通訳の役目も担う秘書となっていたのだ。そしてH.W.は、あのメアリーを妻に娶り、父親の元を巣立って自ら事業を起こそうと決意していた。だが息子の意思を知らされたダニエルは、独り立ちする彼を祝福するどころか、彼が実は孤児であった秘密を暴露する。H.W.に去られる寂しさを腹立ちに変え、あろうことか、彼をもはや自分の息子とは思わぬと口汚くののしったのである。H.W.はダニエルと永遠に袂を別つ覚悟を決め、今まで父親だと信じていた赤の他人に冷ややかな一瞥をくれると、決然と屋敷を後にした。

いよいよ孤独をかこつことになったダニエルは酒を浴びるように飲み、油田で働いていた頃の習慣そのままに、広い室内ボーリング場の床の上で大いびきをかいていた。執事が新たな来客を屋敷内に通すが、肝心の主は、酒のボトルを抱えたまま起きる気配はない。来客は不遜なほど落ち着き払った態度で執事を遠ざけ、ダニエルに近づいていく。それは、あの忘れたくとも忘れられない宿敵イーライであった。再びダニエルの前に姿を現したイーライとの、最後の戦いの幕が切って落とされる。

アプトン・シンクレア―旗印は社会正義
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中田 幸子

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アプトン・シンクレア Upton Sinclair
1878年9月20日生まれ、1968年11月25日没

アプトン・シンクレアは、なぜアメリカ文学史の中から姿を消したのだろう。この詳細な伝記を読むと、その理由が自ずと浮かび上がるかもしれない。
20世紀初頭から中盤にかけてのアメリカで、労働者のための楽園国家を実現すべく理想主義的社会主義を標榜したシンクレア。だが彼の活動は、資本主義をひた走るアメリカとはそもそも相容れないものであったのだ。
シカゴの食肉工場で働く東欧移民の夫婦を描いたプロレタリア小説「ジャングル」(1906年)に結実した、大企業の実態に関する膨大なルポルタージュや政治運動で当時大衆人気を集めた彼であったが、資本家の側を描く小説「石油!(「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」の原作)」(1927年)では黎明期のハリウッドにまで言及し、当時のアメリカ社会全体の構造を俯瞰する冒険に出た。その総決算として、1934年、彼はカリフォルニア州知事選に民主党から立候補したのだが、貧困層の救済を叫び、富と悪徳の象徴としてハリウッドを槍玉にあげたがために、彼の存在は歴史からかき消されることになったのである。

石油!
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さて、長年読んでみたいと思っていたこの映画の原作小説「石油!」ですが、アカデミー賞主演男優賞受賞の勢いをかって、ついに邦訳が出版されました。喜ばしいことです。しかし実際に読まれた方は、小説と映画の内容のあまりの差異に驚かれたことだろうと思います。正直な話、映画の方は、小説に登場する人物の設定や背景のみを借りた形になっており、ストーリーの流れはほぼ別物と呼んでも差し支えないでしょう。原作小説の焦点は、あくまでも当時のアメリカ社会全体を把握することにあり、実在の人物をモデルにしたというダニエル・プレインビューの物語は、その中の一要素という位置づけですね。シンクレアの筆によれば、主軸はむしろダニエルの息子の成長記です。一大で莫大な富を築いた石油王の息子は、長じて資本主義的価値観と現実世界の落差に悩み、ハリウッド女優とロマンスを繰り広げながらも、リベラルな思想を貫くというものですね。つまり、現在のカリフォルニアの基礎が築かれた要因である石油採掘戦争は、アメリカ資本主義の象徴としての役割を与えられているのです。

おそらくアンダーソン監督は、小説の映像化にあたり、思い切った改変を行わなければ作品の目指すテーマがぼやけてしまうと考えたでしょう。そこで、なかなか実像の把握できない“資本主義”そのものを、ダニエルという稀代の山師の姿を通し、極めて具体的かつ直情的に描こうと目論んだのだと思われます。よって、映画は余分な枝葉のエピソードをばっさり削除し、ダニエルが欲望という本能の赴くまま、資本主義思想の頂点を極めるまでを一直線に描出します。我々がアメリカン・ドリームと呼ぶものの正体が、邪魔者を殺してでも己の欲求を満たそうとする、人間の根源的な飢餓感そのものであることがよくわかりますよね。ですから、資本主義の権化たるダニエルが、富や名声への餓えを満たしていった果てに、際限なく自身の征服欲を膨張させてしまうのは、あらかじめ予想できる結末であるのです。そして箍の外れた欲望が、やがてその人間をも食い破ってしまうことも。自らの欲望に食い尽くされた人間には、ただ自滅するしか道は残されていないのです。

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では、ダニエルとは合わせ鏡のような存在であるイーライは、映画の中で一体どのような役割を担っているのでしょうか。彼は原作小説でも、カルト宗教のカリスマ教祖として登場して異彩を放ちます。既に我々には、ダニエルが物質的な成功と引き換えに、物質的価値観では推し量れない大切なものを失ってしまう羽目になることはわかっています。おそらく、イーライのような人間がいてもいなくても、この結末は変わりなかったでしょう。興味深いのは、価値観から信念までなにからなにまで相反するはずのイーライとダニエルが、まるで双子のようにそっくりな一面を共有していることですね。イーライの存在意義は、まさにそこにあります。

映画の終盤で、ダニエルに金を無心に来たイーライは、経済的な観点では完全にダニエルに敗北しています。にもかかわらず、ダニエルは執拗に彼を攻撃し、完膚なきまでに屈服せしめようとします。そんなことをせずとも、既にイーライはダニエルの敵ではないというのに…。理由として考えられるのは、ダニエルの富の力と、イーライの他者をマインド・コントロールする力は、共に“偽りの力”と解釈されていることでしょう。つまり彼らは、それぞれ手段こそ違えども、結局は偽物のパワーで他者を征服している点において、酷似しているのですね。そして彼らはそれを理解しているからこそ、余計にお互いの存在を認めるわけにはいきませんでした。明らかにダニエルはイーライに己の姿を投影していたし、イーライはイーライでダニエルの中に自分の真の姿を見ていたはずですが、哀れなことに、2人揃って破滅へ向かってひた走っていました。再会した2人は、それぞれ相手の在り様に自身の断末魔を予見することになったのです。ダニエルがイーライを前にして狂乱したのは、自身の破滅を認めたくないという足掻きと、己の根源的な愚かさを認めたくないという意地があったせいなのだと思われます。

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ダニエルの自滅は、最終的に資本主義の行き着く果てであると前述しましたが、しかし彼も最初からモンスターのような男であったわけではありません。血を分けた子供ではないものの、H.W.に対しては意外なほど脆い面を見せています。映画を観る限り、ダニエルのH.W.への対応というのは、愛情はあるけれどもその表現の仕方を知らぬ、非常に不器用な親の行動でしたね。スタンダード・オイル社の重役にH.W.の聴覚のことを指摘されると、異様なほど逆上していたのは印象的でした。ダニエルが成人したH.W.に、親でも子でもないと吐き捨てたのは、私には、唯一の家族を失う悲しみの裏返しと見えましたね。いかにタフな人間とて、孤独には勝てません。終りのない欲望以上に人間を蝕むのは、最後の最後に独りぼっちになってしまう恐怖でしょう。晩年のダニエルの哀れで醜怪な姿は、我々の中にも、容易に彼と同じ轍を踏む危険性が潜んでいることを暗示しています。資本主義の甘い誘惑は、古今東西を問わず普遍的な難敵であるのですから。

アンダーソン監督は、この直線的な物語を演出するにあたり、大胆不敵な手腕を発揮しています。映画冒頭、いきなり不協和音のような耐えがたいノイズが轟き、観客が呆気にとられている間に映像からは台詞が消えてしまいます。カメラはダニエル・デイ=ルイスの傍に張り付き、彼がたった1人で黙々と鉱山や油田で働く姿を執拗に映し出しますが、しばらくは無声のまま。彼がはじめて台詞を発するのは、掘削予定地に住む住民を相手に演説するシーンです。この作品の特異な点は、登場人物が必要以上にしゃべらず寡黙な分、背景に流れる音楽が非常に饒舌であることでしょうね。音の高低、強弱が、登場人物の心情を代弁しているのです。しかもカメラはダニエルの視線と一体化していますから、画面を支配する人物は常にダニエルその人です。つまり、158分の上映時間中流れ続ける音の連なりは、寡黙なダニエルの心理を語り続けるという仕組みになっているわけですね。私自身は通常、ひっきりなしに音ががなり続ける映画というのは嫌いなのですが、この作品については不思議と苦になりませんでしたね。英国を代表するロック・バンド、レディオヘッドの頭脳でもあるジョニー・グリーンウッドによるスコアの構成が巧みなせいでしょう。ノイズの集合から、一縷のメロディが観客の耳に舞い降りるような感覚は、映画ではついぞ経験できないものです。それと、この作品の物語が、遮るものとてない広い荒野で展開するのも重要な点かと思われます。長廻しを多用し、油井やぐらを仰ぎ見るようなショット、砂塵舞う荒野を俯瞰するショットが効果的に挿入されることで、映像のスケール感を何倍にも増幅していますね。ですから、油井やぐら爆発炎上シーンなどで、サイレンのようなノイズが空気を切り裂いても、映像と乖離する印象は感じられないのです。

ダニエル・プレインビューの人間性を介し、資本主義の実態を極視的に解析しようという試みは、役柄によって自身の全てを自在に変えていく究極の役者、ダニエル・デイ=ルイスのおかげで初めて成功しました。若手のポール・ダノも、イーライの不気味な狂気を伝える演技で健闘していましたが、まるでプレインビューと一緒にどこまでも肥大化していくかのようなデイ=ルイスの威圧感には、歯が立たなかった模様。息子H.W.役を演じたディロン・フレイジャーにしても同様ですね。アンダーソン監督の豪胆な演出は、デイ=ルイスという不世出の俳優との結びつきを得て、極めて正しく機能したと思われます。その奇跡の合致を目の当たりにした我々観客は、至極幸福であったと言わねばなりません。



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