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zoom RSS 暗闇からの脱出−「緑色の髪の少年 The Boy With Green Hair」Part3解説

<<   作成日時 : 2014/04/30 00:01   >>

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…今の日本人に観ていただきたい作品です。

処女作にはその作家の本質が現れるとよく言われますが、このジョゼフ・ロージー監督の商業用劇映画第1作目も、その例に漏れません。この後続く波乱万丈の映画監督人生の中で、営々と追及されることになるテーマ“社会から疎外された個人の行く末”、“孤独に陥った人間の葛藤”、あるいは“子供の視点から解析される社会構造”は、既にこの作品で萌芽をみております。

実はロージー監督は、この作品でハリウッド入りする以前には、ダートマス大学、ハーヴァード大学における学生時代に培われた演劇世界への希求から、ニューヨークで舞台の演出家としてのキャリアを積んでいました。以下、少し長くなりますが、ロージー監督が「緑色の髪の少年」を撮るまでのいきさつをご紹介します。

追放された魂の物語―映画監督ジョセフ・ロージー
日本テレビ放送網
ミシェル シマン

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1930年代前半から中盤にかけては下積み時代で、いくつかの舞台の演出を任されたりしましたが、興行的な成功には繋がりませんでした。しかしながら、イギリス出身の有名な俳優であったチャールズ・ロートン、その妻エルザ・ランチェスター等と知己を得、また後にエンターテイメント界で名をなす様々な才人達と交流を持った、実に重要で刺激的な日々であったのですね。1930年代のちょうど中頃、ロージー監督は一年ほどアメリカを離れていた時期がありました。彼はロシアに赴き、先鋭的な(かつ多分に政治的な主張を持った)演劇を創作していたオフロープコフやメイエルホリト、エイゼンシュテイン、ドヴチェンコ、さらには、国際革命劇団に所属していたアイスラーやブレヒトらと深くかかわり、渡露する以前から持っていた左翼思想に磨きをかけたのです。とはいうものの、当時のロシア社会は混乱し、貧困が蔓延する不安定なものであり、思想を同じくする者の間でも、主義主張の違いから軋轢が生まれるなど、ロージー監督にとっては幻滅させられる現状であったようですね。彼は結局ロシアでは、新しいスタイルの演劇のあり方を存分に吸収し、トロツキー裁判が始まる直前アメリカに帰国することになります。

30年代中盤以降、彼は左翼寄りの演劇集団シアター・ユニオンを起点に、アナーキーな「リビング・ニュースペイパー」や「魔法使い死す」などの芝居を上演します。同時期にやはりニューヨークで寵児扱いされていたオーソン・ウェルズとも面識があったようですね。もっとも彼らはお互いに嫌い合っていたそうですが。「ニューズボーイ」というアジ演劇では、エリア・カザンを俳優として演出もしています。ロージー監督の実妹と知り合いであったニコラス・レイとも交流がありましたし、ポール・ボウルズとは一緒に「誰がこの戦いをするのか」という舞台を上演しました。演出作「耕作地を三倍に」や「認可された禁止令」は、様々な政治的妨害を受けながらも収益を上げ、子供の就労についての芝居「日の出から日の入りまで」では、後に映画監督として成功するシドニー・ルメットを主演の少年役に起用してもいます。こうしてロージー監督は、共産主義思想と特異な独創性にもかかわらず、あるいはそれ故に、ニューヨークの演劇界で独特の地位を占めます。ただしそれは、エリア・カザンのような商業的に成功を収めた演出家になったということではありません。奇しくもウェルズと同様、その商業主義に染まらぬ野心的な演出手腕を評価されたという意味においてです。

その後ロージー監督は、ロックフェラー財団の資金提供によって、子供のための教育映画をいくつか監督します。既存のフィルムから一場面を抜き出して編集し直すという仕事で、この経験が後の映画作品の編集技術に生かされたようです。その後、1939年に『子供は前進する』という30分のドキュメンタリー映画も撮りました。これもまた、異人種異国籍の子供達によるキャンプの模様を収めた教育目的の作品であり、国務省に売却されることになります。さらに同年、青少年局から、様々な境遇にいる青少年達の実情をリポートするドキュメンタリー映画『若者は幸運をつかむ』を製作するよう依頼されます。この作品は今もって、世界中のアメリカ大使館に向けて配給されているそうです。さらには、世界石油見本市のための30分のフィルム『ピート・ロリアムと従兄弟たち』を製作。単なるイメージ・フィルムに収まりきらない実験的な演出も試みられ、それははるか後年の作品「暗殺者のメロディ」にも影響を残しました。この頃からロージー監督は、徐々に映画産業への興味を高めていったそうです。しかし、、あくまで芸術的スタンスは「ポリティカル・キャバレー」や「ランチアワー・フォリーズ」など、労働者のためのプロバガンダ芝居に置かれていました。

第2次世界大戦が始まると戦線救援ショーの演出をほぼボランティアで行い、ロシアへの侵攻と真珠湾攻撃で戦局が変わった後に兵役につこうとするも、軍部からは拒否されます。生活のため、NBCラジオで9ヶ月間ドラマ・ショーの演出を手がけました。この番組が反響を呼び、MGMのルイス・B・メイヤーから映画監督の専属契約を申し出られるというチャンスが転がり込んできます。ところが、いよいよハリウッドでの新しい活動が始まるといった矢先に、なんと彼は歩兵隊に徴兵されてしまいます。1944年、歩兵隊で軍隊用のプロバガンダ映画を撮るという、なんとも皮肉な仕事に隷属しながら、二度目の妻と再婚。MGMに戻った後は、マリブの海岸でドルトン・トランボ、エイドリアン・スコットといった左翼寄りの映画人と多く知り合い、ハリウッドの非芸術的な現状に幻滅して、正式な共産党員となるわけです。フレッド・ジンネマンやビンセント・ミネリら新人監督と知己を得たのもこの時期ですね。短編『彼の手にある拳銃』を撮ったものの、横暴なプロデューサー達に一旦は編集権を奪われそうになりました。必死の攻防の末に自分の手で編集することを許され、完成した作品はオスカーの短編映画部門のノミネートを勝ち取ります。MGMでは不遇を囲っていたロージー監督ですが、ローズヴェルト記念ショーの演出を介して知り合ったプロデューサー、ドア・シャリーと親しくなり、このことが彼のキャリアに転機をもたらしました。

MGMとの契約から解放されると、彼はエイドリアン・スコットと共にすぐさまシャリーの企画「緑色の髪の少年」に取り組み、RKO専属となりました。ハリウッドでは非米活動委員会による“赤狩り”が始まっており、エイドリアン・スコットやエドワード・ドミトリクなど、ロージー監督と親しい人たちにもその魔の手は迫っていました。彼は、「ハリウッドの19人」を守るために組織された委員会を激励するショーでも演出を買って出、彼を取り巻く状況は一層厳しさを増していきます。保身のための密告が横行するハリウッドを一時離れた彼は、ウェルズが上演を断念した舞台「ガリレオ」をブレヒトと共に演出するチャンスを得ます。非常に厳しい予算で上演にこぎつけた「ガリレオ」はハリウッドで初めてお披露目され、大成功を収めました。一方ハリウッドの赤狩りはより酷くなり、ブレヒトをはじめ、ルイス・マイルストンやドア・シャリーにも召喚令状が送りつけられる事態となりました。ロージー監督はブレヒトの公聴会での証言に助言を与え、ブレヒトはなんとか非米活動委員会の追及を逃れて東ドイツへ渡ったそうです。ハリウッドの裏側では、悪名高い“ブラックリスト”の制作が始まっていました。映画産業に従事する者は皆、お互いがお互いをチェックし合うという異常事態の中、ハリウッドのモラルは潰え、「ハリウッドの19人」を守るための委員会も解散、ロージー監督の古くからの演劇仲間であったチャールズ・ロ−トンすら裏切りに等しい行動に走りました。「緑色の髪の少年」は、まさしくそんな一触即発の状況下で製作された作品だったのです。

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「緑色の髪の少年」をプロデュースするはずだったエイドリアン・スコットが、非米活動委員会によって刑務所送りとなったため、ロージー監督は代わりにスティーヴン・エイムズを相棒に撮影に臨みました。彼は脚本家のベン・バーズマンとアル・レヴィットと共に、エイドリアン・スコットが第一稿を仕上げた脚本をさらに練り上げます。元々原作の短編小説は人種差別を糾弾する寓話であったのですが、時代背景が彼らをして、この作品を平和の重要性を訴える物語にせしめたわけです。それまでにも、戦場の悲惨な状況を描く映画はあったのですが、戦争の最も大きな被害者たる戦災孤児を主軸に据えた作品はありませんでした。その意味で、この作品は新鮮な視点から戦争の非を捉えた映画であったと評価できますね。ところが後年ロージー監督自身は、この作品を反戦映画に改変したことを後悔する発言をしています。原作の目指す通り、マジョリティー対マイノリティーの軋轢という人間社会が抱える永遠の命題を全面に押し出すべきであったと。でも個人的には、1人の少年の経験する寓話のフィルターを通したことによって、反戦というメッセージがよりエレガントに表現されることになったと思います。それがこの作品を最良の反戦映画たらしめ、ロージー監督のフィルモグラフィーの中でも際立った作品に押し上げたのでしょう。

「緑色の髪の少年」の公開準備が整った際、ハワード・ヒューズがRKOの総帥に就任しました。彼は、せっかくドア・シャリーがこの映画のためにお膳立てした宣伝キャンペーンを全てふいにし、映画そのものをお蔵入りさせるという暴挙に出ました。なぜなら、すでにロージー監督がブラックリストに載ってしまっており、この映画は狂信的な共産主義者が作った“アカ映画”だと攻撃されるに至ったからです。ハワード・ヒューズはドア・シャリーをRKOから解雇し、さらに映画の内容を変えさせようと、ロージー監督にも様々な嫌がらせを行いました。幸いにも映画は他に変更のしようがないほど無駄のない撮られ方がなされていたため、内容が破壊される事態にはなりませんでしたが、批評家によって正しく評価される機会を逸してしまいました。

オープニング。映画は印象的なイマージュで幕を開けます。白い雲を散らした青空に、子供がクレヨンで描いたような文字でタイトルが現れ、アメリカの片田舎にある美しい自然を次々と映し出していきます。観客はここで否応なくノスタルジックな感情を掻き立てられるわけで、あくまでもこの映画が子供を主人公とした、あるいは子供の頃の思い出を下敷きにした寓話であることが伺えます。ところが、ピーター少年が剃髪された異様な風体で警察に保護される冒頭のシーンでは、一転して不安感をあおる捩れたような照明が映像を覆いつくします。後年ロージー監督が手がける数々のサスペンス映画にも見られるような、陰影を際立たせる独特の映像ですね。この作品では、当時ではまだ実際的ではなかったテクニカラー技術を駆使し、この作品のシンボルカラーである緑色以外は、くすんだ色合いで画像を構成しています。退色の遅いテクニカラーであったからこそ、ピーターの緑色の髪の毛、森の中の緑は今でも目の覚めるような輝きを放っているわけですね。

さて、夜中にとある街で保護されたピーター少年は、児童心理学者エヴァンス博士を相手にようやく重い口を開いていきます。少年が自分の体験を回想するという形で語られるこの物語の構成は、ロージー監督はじめスタッフ総出で考え出されたそうですが、それはそのまま、一種の精神療法のカタルシス―自身の内面を語ることで心に受けた痛みをから解放される―を感じさせてくれます。

冒頭のフラッシュバックで、ピーターがロンドンの裕福な家庭で甘受していた幸せな暮らしが戦争によって壊され、たった1人で親戚中の家をたらいまわしにされる様が描かれますが、その映像処理も素晴らしいものですね。ピーターは結局、遠縁にあたる元芸人の老人“おじいちゃんん”に引き取られ、アメリカの田舎町に流れてきます。両親の生還を信じて戦災孤児同然の境遇に耐える健気な少年は、それでもおじいちゃんをはじめ街の人々に親切され、次第に笑顔を取り戻していきました。この辺りの“善良な田舎町の人々の善意”は、フランク・キャプラが描いたところのアメリカ的理想主義そのもの。しかしながら、暗闇を怖がるピーターにおじいちゃんが投げかける謎めいた言葉―明るいときに見えないものが暗闇では見える―は、実はこの次に少年の身に降りかかる不幸と、それから引き出される作品の陰のテーマを示唆していたのです。

“暗闇と人の心は似ている。自分の中に何が潜んでいるのか誰もわからない。皆、未知の物を恐れずにすむよう、部屋の明かりをつけるように合理的理由付けを求める。でも結局、明るいときに存在しないものは暗くなっても存在しないことに変わりはないわけで、どんな人間でも、心の中にある理解できない重荷を背負って生きねばならないんだ”―ミシェル・シマン著「追放された魂の記録」より

ピーターは、ふとしたきっかけで自分の両親がすでに戦死していた事実を突きつけられ、“戦争の恐怖”に震えることになります。それが引き金で彼の髪の毛は一夜にして鮮やかな緑色に変わってしまうわけですが、その異常事態を疎んじた街の人々から、彼は手のひらを返したようなひどい差別を受けるのです。
街の人々にとっての“暗闇”とはつまり、ピーターが所詮排除すべきよそ者に過ぎないという事実と、さらには戦災孤児である彼の存在が社会の均衡を乱す元凶となるかもしれないという、マジョリティー特有の恐怖心であります。ピーターの髪がなぜ緑色になったかわからない人々は、日々彼らの生活を圧迫する戦争への恐れや不安感をも1人の少年に押し付けてしまったのでしょう。一方、ピーターにとっての“暗闇”は、緑色の髪によって明らかにされる両親の戦死という辛い事実と、それから逃げることなく真正面から向き合わねばならないという試練です。

“私が育ったラ・クロスという小さな街でもそうだったが、最も偏見に凝り固まった人間や、狂信的な人種差別主義者たちは、往々にして小さな街にいるものなんだ。またそんな小さなコミュニティー内でこそ、とてつもない汚職が起きたりする。フランク・キャプラが描いた“アメリカン・ドリーム”は、私から見ればどんどん悪夢と化している”―「追放された魂の記録」より

この作品で描かれる小さな街の日常風景―通りでは牛乳配達の男や子供たちが走り、庭付きの瀟洒な家には上品そうなご婦人方が小犬を抱いているような―には、ロージー監督自身が幼い頃に見聞きした経験も大いに生かされています。彼はラ・クロスの名家に生まれたものの、父親が遺産を相続できなかったために貧窮の生活を余儀なくされ、数多い叔母や叔父たちに金銭的な援助を受けていたのだそうです。また、田舎町の穏やかな日常が、1人の少年の闖入によって醜悪にその形を変えていく様は、街の人々が彼を異物として排斥しようとする姿も含め、当時のアメリカを覆い尽くしていた反共ヒステリーのメタファーでもあるのでしょう。劇中ピーターがたどる運命は、さながらロージー監督自身がその後直面する苦難を表しているようで、痛ましいものです。

さて、ピーターに対し、常に暖かい保護の手を差し伸べていたおじいちゃんですら、このマジョリティーからの圧力に抗することはできませんでした。街の人々からの苦情に折れた彼は、緑色の髪という“特異”の象徴、マジョリティーにとって恐怖を喚起する未知の象徴を切るように、ピーターを諭すのです。しかしピーターは、絶望の果てに森の中で出会った戦災孤児たちに天啓を受け、逆に緑色の髪の毛に誇りを持つようになります。このシーンは、ピーターが草の葉に落とした涙のしずくがキラキラと輝く印象的なシーンから突如現れるもので、社会の中に己の居場所を見出せず苦悩していた少年の潜在意識が見せた幻だったと思われますね。彼は薄暗がりの廃墟の中で、緑色の髪の毛は忌むべき対象ではなく、反戦を訴えるシンボルとなるのだと確信するのです。コミュニティーの中で孤立していた彼にとって、これは希望を持って生きるために必要な認識だったのでしょう。
平和な世界を願うという新たな使命を見出し、信念をもって街の人々に戦争の愚を説いてまわる彼は、しかしますます周囲との溝を深めただけでした。結局、理想主義的なこの行動によって、少年はついに排除されるべき存在だと断罪され、今や彼のアイデンティティーとなった緑色の髪を剃りあげられることになるのです。マジョリティーの意思が支配する社会の中で、大勢に抗い、正しいことを為すために意志を貫くことの困難さは言うまでもありません。最終的にピーターも大勢の意思に屈するのですが、しかし考えてみれば、こうした個人と社会の関係性からわかることは、社会つまりマジョリティーもまた個人の集合体に過ぎないという事実ですよね。誰か一個人の“アイツの髪の色は伝染病のせいにちがいない”という愚かな考えが、巡り巡って大勢の意思になってしまうというくだりは、今の社会でも頻繁に見られる現象です。

“人は自分個人の倫理によってしか生きられない。もはや社会全体の倫理というものは存在せず、人は自分自身の判断に従ってその都度己の行動を考えるしかないんだ”―「追放された魂の記録」より

ピーターは映画の終盤に、自らの行動が招いた様々な結果を苦渋の思いで受け入れます。どんな人間にとっても、それは時に非常な困難と苦痛を伴いますよね。自分の思い描いた結果を得られなかった場合には特に。ロージー監督がこの作品に込めたもうひとつのメッセージは、自分の行動と、それによってもたらされる結果をきちんと理解しなければならないということでしょう。それこそが、己の行動に責任を持って生きるという、正しい人の在り方ではないかと彼は訴えているわけです。それに、社会を構成する1人1人がそうしなければ、社会全体の秩序もまた生まれないのですから。

ピーターの髪の毛は根こそぎ切り取られますが、しかし街の人々は誰1人として幸せそうではありません。それが皆の意思であったにもかかわらず。おじいちゃんをはじめ皆がピーターを、秩序を乱される恐怖の犠牲にしてしまったことに気づき、その非を悔いているのですね。彼らの自己嫌悪や、髪の毛を切り落とされて涙するピーターの痛みが、社会の欺瞞と強者が弱者を屈服させるという差別の構造を象徴しているといえるでしょう。

ピーターは亡き父親からの遺書を読み、この世に遺された自分が社会で担う役割を理解します。戦争で亡くなった人々をいつまでも忘れずにいることこそが、彼のなすべき使命であり、また生きる意味でもあるのですね。こうして彼はようやく両親の死を乗り越えたわけです。彼にとってなにより必要であったのは、髪の毛が緑色かどうかということではなく、社会で自分の果たす役割がなにかを見出すことであったのです。一人前の人間として生きる第一歩を踏み出した彼にとって、もはや次に生えてくる髪の色など関係ないでしょう。

彼を取り巻く排他的な状況は依然として変わらないでしょうし、再び緑色の髪の毛が生えてくるかもしれません。淡い月光の中、おぼろげに浮かび上がるおじいちゃんの家の階段は、見方によっては、将来少年を待ち受ける苦難の道を暗示し、鬱蒼とした不安感をあおるでしょう。しかしその先に小さいながら暖かな部屋の光が灯ることで、彼の歩む未来に希望があるのだということをも同時に表されているのです。

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元芸人であったという設定のおじいちゃんことパット・オブライエンは、出来うる限りの深い愛情をピーターに注ぐ役回りを、暖かく好演しています。彼の最後の妥協をピーターへの裏切り行為とみなす人も多いでしょうが、私にはそうは思えません。あれがおじいちゃんの力の限界であっただろうし、髪を切った後も変わることのない愛情を少年に注いでいたのですから、彼を責めるのは酷というものです。彼がなにかあるたびに軽妙な歌を歌ってピーターを元気付けているのも、この作品が重くなりすぎないことに貢献していますね。この役は元々、アイルランド系のミュージカル俳優を想定して書かれたものでした。RKOの圧力で、同じくアイルランド系のパット・オブライエンが配役されましたが、結果から見るとそれは正解だったと思います。彼はおじいちゃんの持つ人の良さと小心さを実に上手く表現しておりました。

劇中披露された楽曲は以下の通り。アイルランド民謡が頻繁に引用されるのは、おじいちゃんがアイルランド出身だからでしょう。オープニンでは『NATURE BOY』(Eden Ahbez作)男女コーラスによる優しい調べ、おじいちゃんが“王様”と舞台で歌った歌は『TREAD ON THE TAIL OF ME COAT』。おじいちゃんと学校の子供達が車の中で歌った歌は『HOW MANY MILES TO DUBLIN TOWN?』。この曲は映画のラスト、生きる希望を取り戻したピーターとおじいちゃんによって仲直りの印に一緒に歌われ、印象的でしたね。

ピーターを街の差別から守ろうと頑張る美しいブランド先生には、バーバラ・へイルが扮しました。ロージー監督によると、この女優さんは自分の演技に自信が持てなくて、しょっちゅう泣いていたそうですが(苦笑)、劇中では落ち着いた雰囲気を湛えて優しい教師を好演していました。

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しかしなんといっても特筆すべきは、やはりピーターという複雑なキャラクターを12歳で演じぬいたディーン・ストックウェルでしょう。この頃すでに子役として売れっ子だった彼は、演じる才能に恵まれ、順応性が高く性格も素直だったそうです。床屋で髪を切られるシーンでは何時間も続くメーキャップに耐え、涙をこぼす演技では監督の望むとおりに極限まで情緒を高めていきました。後年の、「ブルーベルベット」や「パリ、テキサス」、「愛されちゃって、マフィア」「ザ・プレイヤー」などの作品で個性的なバイプレイヤー振りを見せる彼しかご存じない方は、ぜひともこの「緑色の髪の少年」での彼の名演を堪能してください。心に傷を負った幼い少年が、絶望を乗り越えて立ち上がるまでを、翳りを帯びたまなざしで感動的に演じています。ロージー監督は、そういったキャストたちの優れた仕事にも助けられ、34日という驚異的なスケジュールで全ての撮影を終えることができました。

多くの点でまだ未熟であったことを認めつつも、監督は、この記念すべき処女作がいまだに多くの国々で人気を博していることを喜んでいたようです。ピーター少年の物語は、そのままロージー監督の生き様を投影したものであり、その意味でこの映画は監督の自叙伝的側面をもっています。と同時に、その後製作される子供をモチーフにした作品群(「地獄に堕ちた人々」「呪われた者たち」「秘密の儀式」「恋」など)の原点でもあります。透徹な子供のまなざしを通じて寓話的に語られる社会の実像や人間の本質は、いつの時代でも深く観客の心をえぐるのですね。


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