今こそ観るべきなのか…「リンカーン Lincoln」

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今日は、当初観る予定だった「マリア・ブラウンの結婚 The Marriage of Maria Brown」(ファスビンダー監督、リバイバル上映)を諦め、悩んだ末にスピルバーグ監督入魂の一作「リンカーン Lincoln」を観ようと決意。

この作品に対しては、ポジティヴな意見も、それこそネガティヴな意見も、賛否両論たくさん寄せられているとは思います。でもそれらは、あくまでも私とは無関係な他人の意見。私自身が、今の世界情勢であるとか日本の未来などを考えるにあたり、今一度過去に遡って、人類の歴史を大きく変えることになった出来事を紐解く必要があるのではないかと痛感しています。過去から学ぶことは多いと思いますよ。ホントにね…。

今だからこそ、エイブラハム・リンカーンという人物の足跡と、彼を取り巻いていた時代の波を学ぶ必要があるのではないかなと思います。


…さて、初見後の感想ですが、もしもこの映画を“スピルバーグの説教くさい映画だから”とか“どうせアメリか万歳映画でしょ”といった理由で無視しようとしている方がいらしたら、それはちょっと待ってくれと言わせていただきます。この映画をスルーしてしまうなんて、とんでもなくもったいない話。150分という長尺ではあるし、世界中の人間が知っているといっても過言ではない程有名な人物の、有名な美談を描くとあって、観る側も気楽な気持ちで対峙できず敬遠したくなる気持ちは分かるのですが(苦笑)。

しかし実際に本編を観てみると、この作品は、スピルバーグという映画人の演出家としての天性の資質と、今作が取り組むデリケートなテーマへの成熟とを、強烈に実感させる秀作でありました。正直、これほど面白いと―奴隷制度撤廃までの苦悩の物語を“面白い”と表現してよいかどうかは別にして―は期待していませんでしたし、脚本をまとめたトニー・クシュナーのインプットが大きいとはいえ、スピルバーグ自身の、政治的要素に対する極めて柔軟でリベラルな見解がそこかしこに伺え、本当に感銘を受けましたね。それでいて、奴隷制度完全撤廃に向け、政治家としての知恵と力の限りを駆使するリンカーンと彼の仲間たち、そして彼らに歯向かう抵抗勢力との、丁々発止の駆け引きの凄まじさは、思わず胃が痛くなるほどスリリング。さすがはスピルバーグ様々です。

気力があればまた後日追記しますが、誰もが事の顛末を知っている史実に対し、より深い理解に基づいた新たな視点からの解釈を試み、それが大きな説得力を持って観客に伝わっていたことへの素直な驚き。リンカーンが己の政治生命を賭け、奴隷制度撤廃を成功させた事実は知っていても、そこに至るまでに幾多の政治的難題、頑迷な差別意識や旧弊なモラルを持つ国民、政治家たちを新時代へ導く困難が立ちはだかっていたことや、一人の家庭人としての喜びも悲しみも全て犠牲にして国民のために信念を貫く、目には見えない苦悩が、リンカーンの肩にずっしりとのしかかっていたことには、思い至らなかった人が多かったのでは。かくいう私も、この映画で初めて奴隷制度撤廃までの長い長い紆余曲折を知ったようなものでした。ですから余計に、リンカーンだけではなく、彼の家族や周囲にいる政治家たちが実際に織り成したであろうドラマの重さに、今更のように胸打たれた次第です。

リンカーンを、飄々とした田舎者風情を気取って目くらましとし、盛んに引用や逸話を披露して場を煙に巻いてしまう古狸と描写していたのは興味深かったですね。奴隷制度を撤廃するという大義のため、時には策を弄するのもいとわないが、しかし政治家としても一人の人間としても一貫して、立場に関係なく信念を持った者たちへの信頼に基づいて行動する人物。彼がアメリカ国民に今もなお愛され、尊敬される理由は、人の良心を信じる勇気を持っていたからなのだなあと感じましたね。今日び“人を信じること”は、最も困難になっています。自分自身の全てに確信を抱いていなければ、他人を信じることもできませんものね…。史上初、3度目のアカデミー主演男優賞をこの作品で受賞したダニエル・デイ=ルイスは、複雑で陰影に富んだ内面を持ち、しかしどこまでもチャーミングなリンカーン像を、抑制の効いた演技で的確に体現していました。

総じて、俳優陣の演技は文句無く素晴らしいもの。彼だけではなく、急進的な奴隷解放論者として、時に過激な言動に走る危なっかしいスティーヴンス議員を演じたトミー・リー・ジョーンズも、最後の最後に彼の過激さの真の理由が明らかになるという粋な演出で、素晴らしい存在感でしたよ。終始苦虫を噛み潰したような顔で無愛想なスティーヴンスが、己の頑固な信条を曲げてまでリンカーンの奴隷制撤廃に賭け、最終的に勝利したときの、あの最後の表情は今でも忘れられません。そして、ヒステリーで情緒不安定、おまけに浪費癖のあった悪妻だと一般には解釈されているリンカーンの妻メアリーも、いやいや決してそれだけの人物ではありませんでした。彼女は時にはリンカーンの政治的モラルと指針の基礎となり、縁の下で夫の政治活動を支え続けてもいたのです。今作で、彼女のそうした側面にも光が当てられたことは、私にはとても嬉しい発見でしたね。彼女が、“あの”リンカーンの妻、ホワイトハウスの女主人、またファースト・レディとしての重圧と、息子を亡くした痛みにギリギリの線で耐えていたことを、サリー・フィールドが重心の低い独特の演技で表現していて出色でした。

ストーリーの中では脇役でも、演じた俳優さんたち全てが、与えられた役柄を誇りを持って演じていることが感じられましたね。他にもいい味を出している俳優さんは枚挙にいとまがなく、また後程1人ずつ触れてみたいと思います。

この作品は、政治の世界を扱っていても所謂“政治映画”ではなく、信念を持って理想を実現するためにどう行動すべきかを問い掛ける、人間ドラマだと呼ぶべきでしょう。机上の空論的な綺麗事ばかりじゃダメ、かといって極端から極端に突っ走るのもダメ、状況の変化に柔軟に対応し、自分を律し、時に遠回りの道のりになっても常に一歩先を見据え、諦めずに粘る根気が必要なんですね。
今作のように、奴隷制度撤廃という社会の激変と同時に、泥沼化しつつあった南北戦争がプラスされたカオスの只中にあれば、誰であれ、正しい道を探して毎日が綱渡りの状態になりましょう。ですが、政治の世界だろうがなんだろうが、結局はどんな世界も人間が形成している限り、極限まで突き詰めれば、全ての問題は私達の“人間性”や“良心”といった甚だ頼りないものに帰着せざるを得ないのです。リンカーンの内面にまで迫る今作からは、彼の生き様を通じ、ごくごく当たり前のこと―正しいことを信じること、良心を信じること―を、観客一人一人の問題として提示しているのではないでしょうか。

この作品で描かれる混乱した状況は、巨大な歴史のうねりの中でたくさんの人間の運命が錯綜し、激変したことに起因します。しかし、何もこれはアメリカに限ったことではなく、古今東西を問わず繰り返される現象ですよね。私達や私達の住む世界全てが、化けの皮を剥がされつつある現在でも、十分当てはまることだと思いますよ。本編に登場する多彩な人間の十人十色な言動を熟考し、我が身の振り方を正そうと決意した館長でしたとさ。難しいけどもね。

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「リンカーン Lincoln」
監督:スティーヴン・スピルバーグ
脚本:トニー・クシュナー
原作:ドリス・カーンズ・グッドウィン『リンカン』
製作:スティーヴン・スピルバーグ&キャスリーン・ケネディ
製作総指揮:ジョナサン・キング他。
音楽:ジョン・ウィリアムズ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
編集:マイケル・カーン
出演:ダニエル・デイ=ルイス
サリー・フィールド
ジョゼフ・ゴードン=レヴィット
ジェームズ・スペイダー
ハル・ホルブルック
ジョン・ホークス
ティム・ブレイク・ネルソン
ブルース・マッギル
デヴィッド・ストラザーン
トミー・リー・ジョーンズ他。

おお、そうだ。もし「リンカーン」をご覧になった方の中で、まだ「声をかくす人 The Conspirator」(ロバート・レッドフォード監督)は未見だという方がおられたら、ぜひこの作品も併せて観てみてください。リンカーン大統領が劇場で暗殺された直後から始まるこの映画は、暗殺に関わったとされる一味と共に、彼らに宿を提供したという理由で一味の謀議に関わっていたと濡れ衣を着せられた、ある女性の物語です。彼女は終始一貫して無実を訴えていましたが、どうも実の息子の罪を庇っていた節があり、エイキン弁護士の必死の抗弁もむなしく、無残な絞首刑に処せられてしまいます。
この法廷劇が明らかにするのは、南北戦争終結後の混乱期、北軍側の人々による南軍側の人々への差別意識と、拭い去れない嫌悪感です。戦争が終わったからといって、今まで敵味方に分かれて戦っていた人々が、すぐ仲良くなれるわけではありません。それに、奴隷制度撤廃を巡る北と南の攻防も背景にあり、“リンカーン後”のアメリカの複雑な事情が理解できますよ。

私たちもまた、「リンカーン」と「声をかくす人」の双方から、自然と浮かび上がってくる真理を汲み取るべきでしょう。

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