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zoom RSS 謎めいた貴女―シルヴァーナ・マンガーノSilvana Mangano

<<   作成日時 : 2018/02/11 16:00   >>

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人生を二度生きた、ある貴婦人の肖像

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シルヴァーナ・マンガーノ Silvana Mangano

1930年4月23日生まれ
1989年12月16日没(スペイン、マドリード)
イタリアのローマ出身

1930年に、シチリア鉄道の車掌を勤めた父親と、英国籍の母親のもとにローマで生まれた。幼い頃から踊りの才能を見せ、7歳から13歳までヤー・ルースカヤ舞踏研究所でバレエを習う。1946年16歳の時、天賦の美貌とバレエで培ったプロポーションを武器に、ミス・イタリア・コンテストに出場した。惜しくもミス・イタリアの地位は逃したが、ミス・ローマに選ばれたのがきっかけとなり、同年端役で映画デビュー。その後演技の魅力にとりつかれた彼女は、映画実験センターに入学し、本格的に演技を学ぶ。1948年にジュゼッペ・デ・サンティス監督に見出され、「にがい米」でいきなり主役に抜擢された。水田地帯に出稼ぎにきている若い娘シルヴァーナ(本名と同じ!)を演じて、野生的なセックス・アピールを遺憾なく発散、一躍新進スターとなる。ひょんなことからこの水田地帯に逃げ込む羽目になった、ギャングの情婦フランチェスカを演じたのはドリス・ダウリング。劇中では、ダウリングの知的なクール・ビューティ振りと、荒削りながら躍動感あふれるセクシーさを見せるマンガーノの激突も見ものであった。イタリアの農業に従事する女性たちの暮らしぶりと、犯罪に巻き込まれていく男女のドラマを対比させつつ描いたこの娯楽作品は、世界中で評判を呼ぶ。その衝撃たるや、ルシール・ボールの「アイ・ラヴ・ルーシー・ショー」(1951年)で、この作品のパロディ・シーンが作られたほど。
マンガーノは1949年7月17日、この「にがい米」のプロデューサーであるディノ・デ・ラウレンティースと結婚し、その後夫が製作する作品に数多く出演することになる。その多くは大作、娯楽作品で、彼女は物語に華を添えるセクシーな役回りをこなす場合がほとんど。典型的なグラマー女優としての道を歩んできたかに見える彼女だったが、他のイタリア出身のグラマー女優達―ソフィア・ローレンやジーナ・ロロブリジーダら―とは一味異なるイメージで捉えられていた。なぜなら彼女の出演作は、夫であるプロデューサー、ラウレンティースによって完全にコントロールされていたからだ。
同じく夫の製作した1967年のオムニバス作品「華やかな魔女たち」の1エピソード、“疲れ切った魔女”(ルキノ・ヴィスコンティ監督)で、華やかに見える女優の虚像を見事に演じたことが彼女の転機となった。その後は、ルキノ・ヴィスコンティ監督やピエル・パオロ・パゾリーニ監督の諸作品で、宝石のように磨き上げられた美貌と他を圧する存在感を駆使し、主にブルジョワの中年女性の憂鬱を表現するようになる。デビュー時のあっけらかんとした健康的なイメージを覆し、その対極にある人工的な冷ややかさを感じさせる雰囲気を纏ったのである。代表作は、「アポロンの地獄」「テオレマ」「デカメロン」(以上パゾリーニ監督)、「ベニスに死す」「ルードウィヒ/神々の黄昏」「家族の肖像」(以上ヴィスコンティ監督)と、圧倒的に60年代後半からの作品に集中している。
私生活では、ラウレンティースとの間に4人の子供をもうけたが、1981年に息子フェデリコをアラスカの飛行機事故で亡くすという不幸も経験した。1983年にはラウレンティースと別居し、パリとマドリードを往復しながら女優業を続けていた。ところが1989年、癌の悪化によってマドリードで死去。享年59歳。彼女が亡くなるまで、法律上夫妻は離婚はしなかった。次女のラファエラは後にプロデューサーとなって父の遺志を継いでいる。孫のジアーダは外食産業で成功を収めている。

●フィルモグラフィー

1946年『Elisir d'amore』
1947年 Il Delitto di Giovanni Episcopo』
1947年『Gli Uomini sono nemici』
1948年『Assunta Spina』
1948年「にがい米」Riso Amaro
1949年『Cagliostro』
1949年「シーラ山の狼」Il Lupo della sila
1950年「紅薔薇は山に散る」Il Brigante Musolino
1951年「アンナ」Anna
1954年「ナポリの饗宴」L'Oro di Napoli
1954年「マンボ」Mambo
1955年『Outlaw Girl』
1955年「ユリシーズ」Ulysses
1956年「人間と狼」Uomini e Lupi
1958年「海の壁」Barrage contre le Pacifique
1959年「戦争(はだかの兵隊)」La Grande Guerra
1959年「テンペスト」La Tempesta
1960年「五人の札つき娘」5 Branded Women
1961年『Il Giudizio Universale』
1961年『Una Vita Dificile』
1962年「バラバ」Barabba
1962年『Il Processo di Verona』
1964年『And Suddenly It's Murder!』
1964年「私は宇宙人を見た」Il Disco Volante
1965年『Io, Io, Io... e gli Altri』
1965年『La Mia Signorina』
1966年『Scusi, lei e' favorevole o contrario?』
1967年「華やかな魔女たち」Le Streghe
1967年「アポロンの地獄」Edipo Re
1968年「テオレマ」Teorema
1970年「デカメロン」Il Decamerone
1970年『Scipione detto anche l'Africano』
1971年「ヴェニスに死す」Morte a Venezia
1972年『D'Amore Si Muore』
1972年『Lo Scopone Scientifico』
1973年「ルードウィヒ神々の黄昏」Ludwig
1977年「家族の肖像」Gruppo di Famiglia in un Interno
1984年「砂の惑星」Dune
1987年「黒い瞳」Otchi Tchornyia

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まずはこの画像をご覧下さい。マンガーノ、花のつぼみたる16歳。ミス・ローマに選出されたときのものですね。104番の札をつけている少女が彼女です。顔はまだまだ幼い表情を色濃く残していますが、尋常ではないプロポーションの見事さはすでに隠しようがありませんね。

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そしてこれが出世作「にがい米 Riso amaro」でのショット。イタリアの稲作地域で早乙女として働く若い女性に扮しました。ソフィア・ローレンに代表される、イタリアン・ダイナマイト・ボンバー女優の正しい系譜に則った魅力を存分に発揮しておりました。この作品の製作が1948年…戦後すぐの時代ですよね。ヨーロッパや日本が戦争で疲弊しきった頃。彼女の野生的かつ天真爛漫なセックス・アピールは、大げさではなくまさしく“爆弾級”の衝撃を人々にもたらしたことでしょう。なんでも、“原爆女優”とかいう笑えないニックネームまでついていたとか。この砂時計のようなバディは、すでにボンバー(爆弾)を超えた存在だったというわけです。

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そして、この作品で製作を担当していた名物プロデューサー、ディノ・デ・ラウレンティース Dino De Laurentiisとの出会い…。今から思えば、この出会いが、良くも悪くもマンガーノの女優人生を決定付けてしまったともいえますね。このラウレンティースという御仁、猛烈なパワーを持ったプロデューサーでした。映画をヒットさせるためならなんでもするし、撮影現場にも構わず口出しします。監督は雇うけれど、完全な傀儡。当然監督との軋轢はすさまじく、しかもラウレンティースの思い通りにならない監督は、ざくざく首をチョン切られてしまいます。余談ですが、実は我が敬愛するクローネンバーグ Cronenberg監督も、以前一度彼のプロデュースする作品に雇われたことがあるんです。あのシュワちゃんが出演した「トータル・リコール Total Recall」ですね。クローネンバーグは約1年に渡って「トータル・リコール」の脚本に携わり、ロケ地も主演俳優もほとんど決定し(当然このときの主役はシュワではない)、あとはクランクインを待つばかりという状態になっていました。ところが、その段になってラウレンティースが、映画をヒットさせるためにもっとお色気とバイオレンスを入れろ、と主張し始めたとか。練り上げられた脚本は白紙に戻され、クローネンバーグが構想していたストーリーとは全く異なる作品を撮るように強要されました。さすがの監督もキレ、降板を決めたというわけです。企画は結局ポール・ヴァーホーヴェン監督が後を引き継ぎ、ラウレンティースの思惑通り、エロと暴力の横溢する素晴らしい作品になりました(笑)。

ことほどさように、ラウレンティースという人はコントロールフリークであり、かつそれを周囲に徹底します。マンガーノも例外ではなく、彼と結婚して以降彼女の出演作は、いずれも夫の製作する映画か、夫が出演を許可した作品に限られるようになりました。若く豊満なボディを持った彼女は、夫の製作する娯楽大作に華を添える…悪く言えば添え物にすぎない役柄を多く演じていきました。

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これは、ホメロスの歴史劇『ユリシーズ』に題材をとったアドベンチャー作品「ユリシーズ Ulysses」(1955年)撮影時でのひとコマ。主演のカーク・ダグラスと、撮影の合間に談笑する様子です。彼女はこの作品では、その美しい容姿を生かしたセイレーンに扮し、共演のロッサナ・ポデスタと共に画面を彩りました。

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そして「マンボ Mambo」(1954年)では、子供の頃に習っていたバレエの素養を生かし、主役の踊り子に扮しました。というより、彼女の踊るシーンを見せたいがための作品だったというべきか。ラウレンティースによる、嫁売り出し大作戦のひとつでした。

彼女にとって転機となったのが、5人の監督によるオムニバス作品「華やかな魔女たち Le Streghe」(1967年)です。彼女はすべてのエピソードに主演し、いずれもなんらかの形で男性を翻弄するという趣向でした。第1話でルキノ・ヴィスコンティ監督と出会った彼女は、“華やかな女優の虚像”という自身を地でいくようなアイロニカルな役柄を好演します。
謎めいたメーキャップと神秘的な美貌で大人気女優となったグロリアは、ある日お忍びで友人ヴァレリアの結婚記念パーティーにやってきます。予期せぬゲストにヴァレリアは大喜びでしたが、肝心のグロリアは疲れ切った風情で冴えない顔です。ヴァレリアのパーティーの招待客も、天下の人気女優を見ても冷ややかな反応。ある紳士は、グロリアを捕まえて“あなたは精巧に作られた最高品質の製品だ!”とまで言い始める始末。グロリアは不愉快になりますが、突然昏倒してしまいます。周囲の客達は、スターの虚像を暴くことへの好奇心を抑えられなくなり、彼女が失神しているのをいいことに、そのメーキャップをひとつひとつ剥がしていくのです。結局、スター、グロリアの神秘的な微笑でさえ、腕のいいメーキャップ師による作り物であったことがばれてしまいました。客たちのシラけたムードを残し、グロリアは再び入念なメーキャップを施した顔に、死人のような笑顔を貼り付けて、迎えのヘリコプターに乗り込んで去っていきます。

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これは今作のサントラ盤ですね。

このヴィスコンティらしい痛烈な皮肉を交えた悲喜劇で、マンガーノは初めて若さやセクシーさに頼らぬ深遠な演技力を見せました。その存在感たるや、大女優の風格すら漂わせているにもかかわらず、一方では、虚像を演じ続けることに疲れきった1人の女の情念を細やかに紡ぎだしていましたね。この短編で、“女優マンガーノ”は大変身を遂げます。若い頃は全体的に肉感的だった容姿も研ぎ澄まされ、頬骨は高くなり逆に眼窩は落ち窪み、肌の色もさらに異様なまでに白くなります。物腰も雰囲気も洗練され、ある種の近づき難さが彼女を覆い隠すようになりました。彼女が活躍した時代の流行でもあるのですが、目の周囲を黒っぽく化粧するメイクで、彼女の神秘的なイメージが一層強固なものとなったのですね。
例えれば、完成された能面の美しさ。これ以降彼女の演技スタイルも変わり、大きく表情を変えるのではなく、顔の向きや微妙な目の瞬き、視線の揺らぎなど、最小限の動きで内面を現すという演技に冴えを見せるようになりました。能面が、光りの反射によってできる影で表情を変えていくのと同じです。彼女も、その彫りの深い顔立ちにできる影の形で、悲しみや喜び、戸惑いといった感情表現を、ごく繊細にやってのけたのですね。まるで、素顔を全くさとらせない仮面のように、あの美しい顔を自身の内面の鎧としたのです。

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ピエル・パオロ・パゾリーニ監督の傑作「アポロンの地獄」(1967年)についてはまた別の機会に触れるとして、以前拙宅でもご紹介した「テオレマ Teorema」(1968年)から、パゾリーニ監督とのセット上でのひとコマを貼っておきますね。この寓話的イメージを持った作品で彼女は、テレンス・スタンプ扮する謎の男によって、官能と生きる喜びを目覚めさせられるブルジョワ女性を演じました。

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倦怠期を迎えた夫との味気ない生活から一転、謎の青年によって女であることに再び目覚めていく熟女を、しかし不思議な清潔感と気品でもって表現し、いわく言いがたい印象を与えてくれました。その青年の前ではまるでうぶな少女のように戸惑い、同時に妖艶な笑顔を向ける女。また彼に去られ、生きる糧を失っても尚、肉体の奥に澱のように留まったままの煩悩に苦しむ女性を、時に痛ましいまでの冷ややかさを保った表情で演じたのですね。女の持つ多面性を鮮やかに演じわけ、見事でした。

ヴィスコンティ監督に気に入られ、再び彼とコラボレートした作品「ヴェニスに死す Morte a Venezia」(1971年)でも、彼女は非常に難しい役どころを絶妙の存在感で演じました。

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アッシェンバッハの恋する美少年タッジオの母親ですね。タッジオの家族は皆絵画のように美しく、いつも一団となって行動する絆の強い家族です。その頂点に君臨するのがマンガーノ扮する母親。出番は少ない上に、あくまでもアッシェンバッハから一歩引いた位置で、常に彼の背景の一つとなっていなければならないため、本編に絡むセリフも皆無です。しかし同時に、アッシェンバッハの意識がいつも知らず知らず“彼女のいる位置”に向かずにおれないほど、強い影響力を背後から放っていなければなりません。なぜなら、アッシェンバッハが焦がれるタッジオ少年は、名前を呼ばれればすぐに母親の元に戻ってしまうからです。つまりこの母親は、無言のうちに息子タッジオと家族を支配し、そうすることでアッシェンバッハの行動をも支配しているのですね。アッシェンバッハよりでしゃばらず、慎ましやかでありながら、実質上画面を支配する存在感の持ち主…。ヴィスコンティが要求した母親像を、彼女は的確に演じたといえましょう。ちなみにこの母親は、監督自身の母、ドンナ・カルラの象徴だといわれており、そうした意味でも監督の思い入れの強い役どころでありました。

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「家族の肖像 Conversation Piece / Gruppo di famiglia in un interno」(1977年)では、「ヴェニスに死す Morte a Venezia」の母親とは対極にあるような、自堕落で奔放なブルジョワ中年女性を、凄みすら感じさせる冷徹な演技で表現。この作品と「ルードウィヒ神々の黄昏 Ludwig」(1973年)については、また後日記事にいたします。

マンガーノは、デビュー以来持っていた“若くて健康的でセクシー”という自らの単純なイメージを、ある時期を境に、意識的に変えた女優なのです。それはまるで、“妖艶で冷酷でエレガント”という名の仮面を新たにアイデンティティに装着させたと思しき、劇的な変貌でした。化粧で化けるという表面的なレベルではない、マンガーノという人間の本質そのものが変わったといっても過言ではない変化だったのですね。一体どんな心境の変化が彼女にあったのか、それは今もって謎です。「華やかな魔女たち」では、彼女は物見高い大衆によって化粧という鎧を剥ぎ取られ、哀れな内面をさらけ出されてしまいましたが、マンガーノ自身の素顔は依然として霧の中です。

溌剌とした天然のセクシー女優としてのキャリアと、中年以降の、人工的な美で固められた貴婦人然とした大女優としてのキャリア。対照的な2通りの足跡を映画史に残した彼女は、しかしその理由も、謎に包まれた実像も明らかにすることなく、1989年逝ってしまいました。早すぎる死も、神秘的な彼女の晩年のイメージをいや増す結果になったようです。

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