少年が男になるとき―「パパってなに? The Thief」

“憧れは消えた。すべて忘れて新しい人生を始めるのだ。トーリャなど最初から存在しなかった。夢にさえ見ない。何も起こらなかったのだ。何も…”

画像

「パパってなに?」(1997年、フランス、ロシア)
監督:パーヴェル・チュフライ
製作総指揮:セルゲイ・コズロフ
脚本:パーヴェル・チュフライ
撮影:ウラジミール・クリモフ
音響:ユーリヤ・エゴーロワ
出演:ミーシャ・フィリプチュク(サーニャ)
エカテリーナ・レドニコワ(カーチャ)
ウラジミール・マシコフ(トーリャ)他。

サーニャが生まれたのは戦後まもなく、まだ混乱期にあったロシアであった。

見渡す限りの原野の中、道なき道をとぼとぼと歩く1人の若い女。カーチャ、サーニャの母である。そこここに白い雪が溶け残りはじめ、ロシアは厳しい冬の季節を迎えようとしていた。カーチャは出産を間近に控え、大荷物を抱えて親戚の家に行く途中であった。だが目的地はいまだ遠く、彼女は道端でサーニャを出産した。カーチャの夫、サーニャの父は、戦傷がもとで半年も前に亡くなっていたのだ。頼る身よりもないサーニャは、子供の頃、顔も知らぬ父の姿をよく夢に見ていた。

1952年、サーニャ6歳のときのことだ。サーニャ親子は列車であてのない旅を続けていた。安い寝台列車での窮屈な旅。親子が乗る席の向かいに1人の軍人が座った。新品の軍服をりゅうと着こなしたその男は大層な男前で、大尉であることを示す勲章も輝かしく、ブーツはぴかぴかだった。夫が亡くなってから幼い1人息子を抱えて孤独を囲っていたカーチャが、その男に雄の魅力を感じるのは時間の問題であった。列車内で泥棒騒ぎが起こった際、男はサーニャに本物の銃を預け、その小さな頭に軍帽を被せてやる。サーニャはすれ違った貨物列車に父の幻影を見た。
とある町で降り立ったサーニャ親子と男。カーチャは息子に、その男トーリャおじさんをパパと呼ぶよう命じた。くすんだような色合いの暗い街角には、場違いなほど鮮やかな赤い旗がはためいている。即席親子3人は、空き部屋を探してほうぼうを歩き回り、ようやく古ぼけた共同住宅に住処を見つけた。でっぷり肥えた家主のターニャは、親切にも金のない3人に手付金なしで部屋を貸し出してやる。トーリャが軍服を着ていること、妻と子供を連れていることで身分証も確認せずに信用したのだ。
カーチャはトーリャと新婚気分を味わい、ご機嫌だ。部屋の中で踊り始める2人。対してサーリャは2人の中に割って入ることが出来ない。愛する母を知り合って間もない男に盗られたような気がして不機嫌だ。
共同住宅には、アコーディオンの先生、アル中の中年女性、女優、会計士夫妻、家主夫婦、戦傷のせいかいつも片足をひきずっている少女が住んでいた。サーニャはその少女と仲良くなるが、よそ者であったせいで近所の悪ガキ連中にいじめられる。泣いて帰ってきたサーニャを、しかしトーリャはやられたらやりかえせとけしかけるだけだった。彼は手本を示すように、サーニャをぶった悪ガキ連中の父親をぶちのめし、サーニャにリーダー格の少年を殴らせた。そして口の中からカミソリの刃を出して見せ、サーニャに力こぶを誇示し、殺気をちらつかせることで相手をひるませる喧嘩の極意を教え込んだ。サーニャは、トーリャの背中に彫られた豹の刺青と胸にあるスターリンの刺青をしげしげと見つめ、スターリンの息子だというトーリャの言葉を心の底から信じ込んだ。それから毎日、サーニャは少女と遊ぶ。彼女は頬にキスしてくれた。幼い初恋だった。
ある日トーリャは、高価な菓子を住居の女性陣にふるまい、スターリンの誕生日を一緒に祝おうと提案する。住人は皆でささやかな食卓を囲む。その席でトーリャは、土曜日皆でサーカスに繰り出そうと招待券を住人にプレゼントした。親切にしてもらった感謝の証にと。子供達は大喜びだ。だがせっかくの楽しい雰囲気に水を差す者がいた。女優のオルガである。彼女はカーチャの目の前で、ハンサムなトーリャに色仕掛けで迫ろうとしたのだ。へそを曲げたカーチャも含め、住人は同志スターリンのために乾杯を交わし、厳粛に祝辞を述べた。アコーディオンを鳴らし、皆で歌う。少女はサーニャに、大きくなったらお嫁さんになってあげると約束する。

お前の友は草の中
息絶えて横たわる

画像

土曜日。サーカスでもスターリンの肖像が大きく掲げられる。皆で楽しんでいる最中、トーリャが突然席をはずした。オルガとの浮気を疑ったカーチャは、サーリャを連れて後を追っていく。暗い家の中でひそかに響く不審な物音。トーリャはなんと留守中の住人の荷物を物色していたのだ。カーチャの懇願にもかかわらず、彼は親切にしてくれたターニャの銀食器まで全てかばんの中に放り込んでいく。この手際のよさは、彼がはるか以前から泥棒稼業をやっていたことを示している。トーリャ自身にも、悪事に嵌り込んでいくことにもおびえるカーチャであったが、惚れた男に家族のためだと言われると、ついほだされてしまう。結局彼女には、サーリャを連れて泥棒についていくしか選択肢は残されていなかったのだ。
夜陰に乗じて3人は汽車に乗り込んだ。いつ悪事が露見するかと気が気ではないカーチャは、ちょっとした物音にもびくつく。そんな彼女の気持ちなど知る由もないトーリャは、のんきにセレナーデなど歌っている。

いとしの君愛しているよ
聞け、この空の下わが愛の歌を
いとしの君愛している

トーリャは女優オルガのドレスまで盗んでいた。カーチャは目を剥いて怒る。だが彼に頬を殴られ、黙らざるをえなかった。

3人は黒海にやってきた。リゾート地らしく、陽光がさんさんとふりそそぐ明るい土地である。やしの木、打ち寄せる海の波しぶき。サーニャは初めて見る景色にはしゃぎまわる。開放的な雰囲気にしばしカーチャも憂いを忘れる。トーリャはいつも通り近隣の女性たちに愛想を振りまき、あっという間に隣人達の心を掴んだ。そしてまたしても彼らを演奏会に招待し、カーチャとサーニャは途中で退席して“仕事”を済ませたトーリャと駅で落ち合う。今度の首尾も上々だ。列車内で豪華な食事に舌鼓を打ち、ワインをたしなむトーリャはご機嫌だ。彼がいつものセレナーデを歌い始めると、カーチャは半ばやけになったように笑い転げる。

3人は大きな街にやってきた。駅では身分証の確認が行われている。トーリャも呼び止められた。彼は盗んだ荷物をカーチャに預け、近づいてくる軍人達を振り切るために単身逃げ出す。なんとか追っ手をまいた彼は、気を揉むカーチャとサーニャと合流して再び“3人家族”となった。カーチャは力なく、捕まってしまえと毒づく。本心でもないのに。
瀟洒な住宅の家主は軍医の妻で、部屋の貸し出しはしていなかった。だがハンサムなトーリャのまなざしに負け、彼女は地階の共同住宅に行くよう勧めてくれた。
サーニャは新しい部屋の窓から外を見たが、目に入るのはせわしなく歩く人々の脚だけ。カーチャはここに落ち着いてからふさぎこむようになり、ベッドに伏せることが多くなった。トーリャが声をかけても振り向きもしない。カーチャは、これを最後に堅気になるという彼の言葉を信じ続けていたのだ。しかしささやかな希望はかなえられず、いつまでたっても愛する男はケチな泥棒のまま。挙句にサーニャまで悪の道に引きずり込もうとする始末だ。一方サーニャは同じ住宅に住む悪ガキに絡まれても、トーリャの教え通り反撃するようになった。トーリャが近所を偵察するよう命じると、喜んで出かけていく。軍帽を被りいっぱしの泥棒気取りだ。彼が拳銃の手入れを始めると、目を輝かせて見守る。だがトーリャを“パパ”とだけはどうしても呼べなかった。彼が母に暴力を振るうからだ。思わずトーリャにナイフをふりかざすサーニャ。トーリャは彼の目の前に立ちはだかり、「ナイフの掟は、手に持ったら刺すことだ」と凄んでみせる。そんな恐ろしいことが子供にできるわけもなく、サーニャは恐怖のあまりおしっこを漏らしてしまった。彼はトイレの中に閉じこもり、カーチャは絶望にむせび泣く。辛気臭い雰囲気にうんざりしたトーリャは、親子をほったらかして、アコーディオンの音色にのせて歌を歌い始める。サーニャの前に、再び父の幻影が現れた。それは初めて彼に向かって語りかけたのだ。「私の仇は?」と。
住人が一堂に会して食卓を囲んでいる。カーチャとサーニャには見慣れた光景だ。この後に起こるだろうことも。為す術もなく酔いつぶれる母の前で、トーリャは同志スターリンに乾杯の音頭をとる。サーニャは席をはずしたトーリャの後をつけていく。彼は軍医の妻の自宅に向かった。手を怪我したとかいう口実だ。トーリャは不在がちな夫に欲求不満気味の妻の心をまんまと掴む。若さを持て余していた妻も、納得づくで男くさいトーリャに身を任せるのだった。ところがここで邪魔が入る。サーニャが非常階段に登ったまま降りられなくなってしまったのだ。彼はトーリャの後を追って、窓からその不実の現場を押さえようとしたのだった。結局サーニャはトーリャに助けてもらって事なきを得る。体中どろどろだ。心配するカーチャを置いて、男2人で共同風呂に入りに行くことになった。
サーニャは周囲の男性が皆大人であることに気後れし、思わず裸の身体を隠してしまう。トーリャはサーニャの身体を洗ってやりながら、以前袋叩きに合って血まみれになったことを話した。そして何度漏らしてもいいから最後に必ず勝てと教え込む。
風呂上り、客相手にいかさまカードをやったトーリャは、出口で再び身分証を見せろと軍警察に詰め寄られた。逃げ切れないと悟った彼は、居直って胸のスターリンの刺青を見せる。呆れる彼らを尻目に、トーリャとサーニャは手をつないでその場を去っていった。
トーリャは軍医の妻を映画館に誘った。今度のカモはこの女だ。またも彼は途中で退席し、今度はサーニャを連れて非常階段から彼女の家に侵入した。嫌がるサーニャをスターリンの極秘作戦だと騙しつつ、なんとか自宅に入り込んだ2人。ところが、サーニャが窓際で外を見ていたのが通行人に目撃され、警察を呼ばれてしまう。
言いつけ通り駅前で悄然と立ち尽くしていたカーチャの元に、1台の救急車がやってきた。トーリャが中から飛び出してくる。今度の仕事は大失敗だった。カーチャは息子を盗みの道連れにしたトーリャを責めもせず、今度こそ別れるとだけ告げた。イワノヴォに向かうという彼女に、トーリャも平然と構える。縁を切るなら今だろう。3人は駅まで歩いた。ここでトーリャとはお別れだ。だが未練がましくすがりつくカーチャの手に、彼は盗んだイヤリングを握らせる。そして、銃は再会の口実にサーニャに預ける。もう列車が走り始めている。ところがここで、向こうから軍警察がやってくるのが見えた。おびえたサーニャは突然走り出した。後を追おうとしたトーリャも警察に気づき、反射的に駆け出す。目潰しに塩を投げたが逃げ切れず、彼はあっさり御用となってしまった。
カーチャはトーリャを救おうと警官に慈悲を請い、イヤリングを賄賂に渡そうとする。だがイヤリングは混乱の最中でなくなってしまっていた。親子は線路際にはいつくばって必死でイヤリングを探す。明け方近くにようやく見つかったが、担当警官はすでに別の者に変わっており、賄賂は通用しなかった。
盗みの罪はばれなかったものの、結局トーリャは公務執行妨害で7年の刑に服することになった。サーニャ親子は、一目彼に会おうと極寒の中継監獄の前で待ち続けた。ここで囚人は車に乗せられ、別の監獄に移送されるのだ。収監された者の家族は皆、いつ来るかわからぬ移送車を待っている。もうここでしか家族の顔を見るチャンスがないからだ。いったん収監されたら最後、出所できる日が来るかどうかもわからない。皆必死の面持ちで待っている。絶望するカーチャは、トーリャ逮捕を息子のせいにして憚らない。
ある日ついに移送車が現れた。待っていた人々は大騒ぎになる。警察は獰猛な警察犬をけしかけながら、皆に下がるよう威嚇する。人々は、監獄から車に乗り込むときほんの一瞬垣間見える家族の姿に、必死に近況を伝えた。ある女性は子供が生まれたことを夫に大声で怒鳴り、また別の女性は息子に父親が亡くなったことを涙ながらに知らせる。トーリャが出てきた。サーニャはこちらに顔を向けた彼に、初めて「パパ!」と呼びかける。サーニャは雪道に足を取られながらも、走り去っていく車を追いかけた。「僕のパパ!僕達を見捨てないで!パパ!」車の影はどんどん小さくなり、やがてさえぎるものひとつない雪原の彼方に消えていった。
以後、彼の前から父の幻影は消えた。
雪が横向きに降る真冬。カーチャは入院した。彼女は中絶手術に失敗し、腹膜炎を起こしたのだ。だがそんな事情はサーニャには理解できない。歌を歌う元気もない母のために、枕元で“恋の目撃者”を歌ってやる。

君とたたずめば時を忘れて
密かな恋物語3人の目撃者

腹膜炎が悪化し、カーチャはついにそのまま帰らぬ人となった。1人取り残されたサーニャは、ただ土饅頭が盛り上げてあるだけの墓標もない母の墓に、捨てられたベッドの部品を持ってきて一生懸命囲いを作る。雪の中、たった1人で。トーリャが母に贈った腕時計とトーリャの銃、残ったものはそれだけだった。

サーニャは孤児院に入れられた。銃は手入れを欠かさず、うまく隠し続けた。それを持っていれば、いつかトーリャが迎えに来てくれるのではないかと思えたからだ。
彼は10代も半ば、すっかり身体も大きくなり、いっぱしのワルぶって仲間と悪ふざけの毎日だった。トロッコを納屋にぶつけ、打ち捨てられた古い線路の上を仲間と走る。と、どこからかアコーディオンにのった男の歌声が聞こえてきた。サーニャは壊れたハンドルを手にしたまま、声のするほうへ近寄っていく。歌声の主は、浮浪者のような男達と粗末な木の机で酒を飲んでいる男だった。着古して薄汚れた背広をだぶついた身体に纏い、無精ひげだらけの顔、おまけに酒のせいか歌声もかすれ気味。だがその男はまさしく、忘れもしないトーリャであった。サーニャにとって、この世でたった1人の身内。だがトーリャはサーニャの顔を見ても覚えていないようだった。少なくともそんな風に振舞っていた。彼は今は、安酒場のウェイトレスのヒモになり下がっていたのだ。そして彼女のご機嫌を損ねないよう、カーチャなんて昔列車で一発やっただけの女だと笑いながら言い抜ける。サーニャが凍りついたように凝視する中、トーリャはママによろしく言ってくれとだけ彼に伝える。サーニャがショックの余りおしっこを漏らすのを見ても、彼は蠅でも追い払うように「行け」と言うばかりだ。

サーニャは隠していた銃を手に取る。夜になるのを待って、線路近くに潜む。案の定トーリャは、大荷物を抱えおぼつかない足取りでやってきた。相も変わらずこそ泥稼業を続けているのだ。彼が貨物列車に乗り込んだところを見計らい、サーニャは彼に向かって引き金を引く。たった一発。トーリャはその場に崩れ落ちる。列車は死体を乗せたまま走り始めた。サーニャは用無しになった銃を投げ捨て、駆け出した。とうとうこの世で一人ぼっちになってしまった。
彼は自分自身に言い聞かせる。「あの男は僕と母を裏切ったのだ。殺すしかなかったのだ」と。

トーリャと同じく背中に豹の刺青を入れたサーニャは、雪道の中、彼を追って泣きながらパパと叫んだ幼い頃の自分にこうして別れを告げた。

パパってなに? [DVD]
ハピネット・ピクチャーズ
2001-06-25

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ウェブリブログ


男の子にとって父性とはなんなのか。

主人公サーニャは、もはやおぼろげとなった幼い頃の遠い思い出を観客に語りかけます。彼が生まれた第2次世界大戦後のロシアは、戦勝国といえど戦争の傷跡は想像以上に深く、物資は欠落し、一家の大黒柱を失って路頭に迷う者も続出しました。サーニャの母カーチャのように、若くして未亡人となり、女手1つで幼い子供を育てねばならなくなった女性もごまんといたでしょう。
それでも、カーチャが果てしのない大平原の真ん中で、1人でサーニャを出産する冒頭のシーンはあまりに過酷です。そら恐ろしくなるほど大きな自然の中で、ただぽつんとうずくまる人間のいかにちっぽけなことか。このシーンには、彼女がこれから経験するであろう悲しい運命が暗示されていています。出産の痛みに悶絶する彼女の向こうには、茫洋とした影のようなサーニャの父親の幻影が。サーニャは、あらかじめ失われていた父性を恋焦がれ、厳しく辛い現実から逃れたくなるたびに自らこの幻影を作り出していたのでした。

画像

ですから、彼がまだ幼い頃に出会った男トーリャを、父親の身代わりだと思い込んでしまうのも無理からぬことです。なにしろサーニャにとって、成熟した男を間近に見るのはトーリャが初めてだったのですから。サーニャは自分にないもの―男らしさ、圧倒的な力、揺るぎない自信―をトーリャに見出し、絶対的な憧れを抱きます。しかし彼はいかんせんまだ子供、母親のおっぱいから離れられない時期でもあります。純情で世間知らずな母カーチャが、自分を差し置いてトーリャに夢中になっていく様を見て、母親を他の同性に盗られるかもしれないという、子供らしい焦燥感にかられるのですね。母とトーリャの間には、子供が割って入れない肉体関係という未知の領域もありますから。サーニャは、理想とする父性への憧れと、母をめぐっての嫉妬心のはざまで揺れ動くことになります。しかし、トーリャが彼にいじめっこの撃退法を教えたり、彼との間だけにたわいもない秘密―実はトーリャはスターリンの子供だったという全くのでまかせ―を持ったりしたことで、サーニャの心には徐々にトーリャへの憧れが占めていくことになります。
トーリャへの忠誠心は、彼の正体が実はけち臭いこそ泥だったとわかっても、揺らぐことはありませんでした。愛情を捧げた相手に騙されたと知った母が打ちのめされる姿は、幼いサーニャにとっても心苦しいものではありましたけれども。結局彼らは、貧しくとも暖かい家庭のぬくもりを与えてくれた家主ターニャの恩を仇で返してしまったのですね。

このトーリャの最初のカモである、ターニャの運営する共同住宅の描写は非常に細やかです。古びて埃っぽく薄暗い長屋のような建物に、会計士夫婦や女優、息子を先の戦争でなくしてアル中になった女性や、アコーディオンの先生などの多彩な住人が肩を寄せ合うように暮らし、厳しい世情をやり過ごそうとしている様子は、戦後すぐの日本の情景とも重なり、なんともいえない風情をかもし出していますね。住人も皆それぞれに個性的。彼らは口は悪くとも、困ったときにはすぐさまお互い助け合おうとします。そういったホスピタリティが、あの時代の社会にはまだ息づいていたとわかるのですね。思えばここで暮らした短い期間が、サーニャとカーチャ親子にとって唯一の幸せだったのでしょう。サーニャは、足を負傷して子供達から仲間はずれにされている少女と、つかの間幸せな交流を持ちました。しかしそれも、トーリャが住人を騙して、彼らの財産を一切合財盗み出して逃亡するまでの話です。

カーチャは、トーリャがろくでなしで女たらしの犯罪者だとわかっても、彼から離れることは出来ませんでした。結局彼女も、トーリャにどうしようもなく惚れていたのです。トーリャにとってカーチャは、星の数ほどもいる行きずりの女の中の 1人にすぎないでしょうが、彼女は違います。トーリャはおそらく、生まれて初めて彼女に女の喜びを与えた男だったのでしょうね。その悪行をどんなに嫌悪しても、トーリャなしでは生きていけないと思いつめるほどに、カーチャの孤独は深かったのです。ですから捨てられることを恐れ、トーリャがサーニャ母子を隠れ蓑に泥棒行脚を続けるのを止めることもできず、彼が息子に窃盗の片棒を担がせても受け入れ続けました。また彼が他の女に粉をかければかけるほど、自尊心と良心をボロボロにされることを承知で、意固地なまでに彼の後についていくのです。

サーニャは次第に、そんな母の姿に複雑な心境になります。幼いながらも、母がトーリャに傷つけられていることは理解できるのですから。でもトーリャという人間は、そんなサーニャのつたない反抗心さえ跳ね返すほど魅力的な男でもありました。サーニャに圧倒的な力の差と雄の自信を見せつけ、冷たく邪険にするかと思えば、くじけてしまった彼を同じ男として扱い、勇気を鼓舞してくれる存在なのですね。つまりそれこそ、サーニャが“父親”に求めていた要素そのものだったわけです。彼らの間に本物の父子の絆ができるのは、2人での初めての共同作業となる盗みでした。トーリャは、足手まといになるかも知れぬサーニャを窃盗の相棒にすることで、彼を一人前の男にしようとしたのです。結局その試みは失敗に終わりましたが、この結果2人の間には、母カーチャさえも立ち入ることが出来ない男と男の絆ができあがりました。

それを察してか、ついにカーチャはトーリャと縁を切る決意を固めます。息子のためと自らに言い聞かせて。しかし皮肉にも、トーリャはちょっとしたつまづきで警察に逮捕されます。ここで出てくる国家権力の象徴、警察官の描写は、かなり痛烈に風刺されていました。1人の警察官は、トーリャの罪を水に流す代わりにカーチャに賄賂を要求し、もう1人の警察官は賄賂を拒否してカーチャの人権を無視した罵詈雑言を浴びせかけます。どちらも、権力をかさに着て市民を苦しめる役人の典型ですね。スターリンという独裁者が我がもの顔でのさばっていた、社会主義時代のロシアの悲劇が、こんな些細な描写からも伺えるようになっています。まあ、こんな卑劣な役人と市民の関係は、今でもどこの国でもあることですが。
トーリャの罪状は公務執行妨害。それだけで7年もの間刑務所に放り込まれることになりました。盗みの方はばれなかったのですから、皮肉なものです。母子にとってトーリャとの最後の別れとなった中継監獄でのシーンは、覚悟はしていても胸のつぶれるような哀しいものでしたね。トーリャが監獄に移送されるときになって初めて、サーニャは彼を“パパ”と呼びます。サーニャにとっては、今まで現れていた亡霊のような幻ではなく、トーリャこそが生身の父親であったのですから。その声がトーリャにも届いたと信じたいところです。

妊娠していたカーチャは、堕胎が原因であっけなく天に召されていきましたが、結論から考えるとそれでまだしもよかったのではないでしょうか。なぜなら、1人遺されたサーニャは、その後もっと辛い別れを経験せねばならなかったのですから。
サーニャは死の意味も理解できぬまま、墓碑すらない母の墓所を一生懸命飾ろうとします。そうすれば母が喜ぶと信じて。平衡感覚を失うぐらいどこまでも真っ白な雪原の中で、ちっぽけな点のような存在のサーニャが無心でゴミを拾ってきて母の墓所を飾るシーンは、個人的に正視できないぐらい辛かったです。しかしそれもまた、大自然の中では一瞬の営みに過ぎません。

孤児院で成長したサーニャは、いつかトーリャが迎えに来てくれると信じて、彼からの形見でもある銃を大事に持ち続けます。ところが、ある日線路脇で偶然再会したトーリャは、彼の期待と想像を著しく裏切る姿になっていました。サーニャにとって絶対的憧れの対象であるトーリャは、たとえ嘘でも新品の軍服をかっこよく着こなす男でありました。加えて、母親が人生を狂わせるほどの抗いがたい男の魅力と、自信に満ち満ちた力強さも兼ね備えた存在なのです。今自分の目の前にいるトーリャは、記憶の中のトーリャとは異なり、薄汚れた身なりをした、見るからに落ちぶれた老いたるこそ泥の末路そのもの。その姿だけでも許しがたいのに、あろうことかトーリャは、彼のために死んだも同然の母カーチャのことを忘れていました。また、息子と思ってくれていたはずのサーニャのことさえ、名前も思い出せないほどになっていたのです。自分が片時もトーリャのことを忘れたことはなかったのに、肝心のトーリャの方はそうではなかった。いやむしろ、彼の人生にとっては母と自分など、ただの通りすがりの人間に過ぎなかったのです。たった1人の父であるトーリャから拒絶されたと、淡い希望を打ち砕かれたサーニャは、もはや彼の真意など知ろうとしませんでした。かつて彼に言われた通り、“何度漏らしてもかまわないから最後には勝て”を現実に実行することになります。トーリャからもらった銃でトーリャ自身を抹殺する。同時にサーニャは父性への憧れを完全に抹殺し、父性そのものをも拒絶します。そうすることで、父性を象徴するトーリャが生きる全てであった幼年期を終え、彼は大人へと脱皮していたのですね。

息子と父親の関係の難しさは、母親とのそれとはまた別のところにあることがわかる結末です。男同士だからこそ、女の理解の及ばぬ部分で理解しあい、絆を確かにしていくこともできるのでしょうが、一度その絆が断たれれば、やはり女の理解できぬ理屈で信頼関係が崩れてしまう。“少年”が“男”になる際の通過儀礼として、サーニャは文字通り父性を踏み越えていくことを選んだわけです。この物語では、父子が最後に互いをわかりあい許しあうというような予定調和は存在しません。それこそロシアの冷厳たる現実だと思いますし、ロシアという国が抱える歴史の痛みでもあるでしょう。

しかしその圧倒的な大地を前にしては、トーリャの罪もサーニャの罪もカーチャの悲劇もほんのちっぽけな塵でしかありません。次の瞬間には、凍てつく景色の中に溶け込んで見えなくなってしまうでしょう。所詮人間など、大自然の中ではただ頭を垂れるしかないのです。

古ぼけた線路、貨物列車、引込み線…繰り返し映し出されるイメージは、戦後混乱期のロシアの生活風景であるだけでなく、今や遠い記憶となりつつある戦後日本の原風景でもあります。社会主義の圧迫に苦しむ人々の姿が、敗戦の痛手から立ち直ろうとあがいていた戦後日本のそれと重なり、作品に感慨深い余韻を与えてやみません。

ところで、トーリャはカーチャ母子のことを本当に忘れ果てていたのでしょうか?トーリャの表情の変化を見る限り、必ずしもそうではないと思います。彼は確かに、女と見るや適当に遊んで食いものにするしか頭にないろくでなしではありますが、カーチャとサーニャ母子との交流は、少なからずも彼の人生に影響を及ぼしたと信じます。それでも今更生き方を変えることはできない。ならばせめて、将来のあるサーニャだけは、自分のようなこそ泥と関わりを持たせないようにしようと考えたのではないでしょか。トーリャのサーニャに対する冷ややかな態度も、ただトーリャがろくでなしだからというわけではないと思いますね。残念ながらサーニャには、トーリャの精一杯の親心は届かなかったようですが。

ことほどさように、トーリャという人物は謎が多い男です。この物語の牽引力の7割がたは、このトーリャ役にあるといってもいいほどなのですが、彼のバックグラウンドは劇中全く説明されることはありません。彼が劇中で哀しげな戦歌を好んで歌っていることと、胸にスターリンの刺青を入れていることから推測して、戦争と無縁ではなかったと思われます。彼もまた戦場で傷つき、その方法は間違っていたかもしれないにせよ、生きるために地獄から這い上がろうと必死な1人の人間であったのでしょう。ストーリーで直接語られることはなくとも、その独特の色気と繊細な演技で、複雑なトーリャ像を見事に体現したのは、ロシア出身の俳優ウラジミール・マシコフです。どこかで彼を見たと思っていたら、マイケル・ラドフォード監督の「ブルー・イグアナの夜」に出演していました。ロシアからやっていた暗殺者サーシャ役ですね。ダリル・ハンナ演じるストリッパーのエンジェルに惚れ、暗殺で得た報酬の全てを無言で彼女に託して去っていくという、おいしい役どころでした。

画像

ウラジミール・マシコフ
1963年11月27日生まれ
ロシア、トゥラ出身
1990年にモスクワ演劇学院を卒業後、オレグ・タバコフに師事。劇団の俳優兼演出家として活躍する。俳優として数多くの舞台に立ち、「ドン・ジュアン」などで評価を高めた。演出家としても「三文オペラ」等を手がける才人。主な映画出演は1993年の「恋愛小説家」から始まり、以後欧米を股にかけて活躍している。本作出演後、1997年には「Sirota kazanskaya」を、2004年には「Papa」を撮り、映画監督としても作品を残している。

●フィルモグラフィー
2006年『The Good Shepherd』
2006年『Piter FM』
2006年『Okhota na piranyu』
2005年「エイリアス」2エピソード“Mirage”、“A Clean Conscience”
2005年『Statski sovetnik』
2004年『Papa』(兼監督&脚本&製作)
2003年『Idiot』TVミニシリーズ
2002年『Oligarkh』
2001年「エネミー・ライン」
2001年『The Quickie』
2001年「アメリカン・ラプソディー」
2001年「15 ミニッツ」
2000年「ブルー・イグアナの夜」
2000年『Russkiy bunt』
1999年『Mama』
1998年『Dve luny, tri solntsa』
1998年『Sochineniye ko dnyu pobedy』
1997年『Sirota kazanskaya』(兼監督)
1997年「パパってなに?」
1997年『Noch pered Rozhdestvom』(声の出演)
1996年『Dvadtsat minut s angelom』TV
1996年『Koroli i kapusta』(声の出演)
1995年『Amerikanskaya doch』
1994年『Katya Ismailova』
1994年『Limita』
1993年『Moi Ivan, toi Abraham』
1992年『Alyaska, ser!』
1991年『Lyubov na ostrove smerti』
1991年『Casus Improvisus 』TV
1990年『Delay - raz!』
1990年『Ha-bi-assy』
1989年『Zelyonyy ogon kozy』

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

なるほど(納得、参考になった、ヘー)