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zoom RSS 「シーモアさんと、大人のための人生入門 Seymour: An Introduction」

<<   作成日時 : 2016/12/06 15:49   >>

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"私たちの人格を創る源は、私たちの才能の中に存在する。 The real essence of who we are resides in our talent." -- シーモア・バーンスタイン Seymour Bernstein

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「シーモアさんと、大人のための人生入門 Seymour: An Introduction」(2014年)
監督:イーサン・ホーク Ethan Hawke
製作:ライアン・ホーク Ryan Hawke&グレッグ・ルーザー Greg Loser&ヘザー・ジョーン・スミス Heather Joan Smith
撮影:ラムジー・フェンドール Ramsey Fendall
音楽:ビル・フィニツィオ Bill Finizio
音声:ティモシー・クリアリー Timothy Cleary&ギレルモ・ペナ=タピア Guillermo Pena-Tapia
編集:アナ・グスタヴィ Anna Gustavi
出演:シーモア・バーンスタイン Seymour Bernstein
イーサン・ホーク Ethan Hawke
マイケル・キンメルマン Michael Kimmelman
アンドリュー・ハーヴェイ Andrew Harvey
ジョセフ・スミス Joseph Smith
キンボール・ギャラハー Kimball Gallagher
市川純子 Junko Ichikawa 他。

中年の危機 midlife crisisという言葉は嫌いだが、私と同年代のイーサン・ホークが、人生の折り返し地点に到達して急に、人間としてもアーティストとしても行き詰まりを感じた気持ちはよく理解できる。人気映画スターだろうが、一般庶民だろうが、ある年齢に達すると皆、“こんなはずじゃなかった”という焦りと、“まだ何かできるはずだ”という焦りの両方に急きたてられる。自然の成り行きだ。
ただ、イーサン・ホークがラッキーだったのは、その“迷える中年羊時代”に、シーモア・バーンスタイン Seymour Bernsteinという2人といないメンター mentorに出会えたことだろう。この、情熱的且つ献身的で愛情深い、根っからの教育者は、瞬時に対峙する相手の心を読み取り、彼らが置かれた状況や求めていることを理解し、彼らをより良い状況へ導こうと手を差し伸べてくれる。彼にとっては、相手がピアノを学んでいる子供たちであっても、道に迷っている中年映画スターであっても、等しく“教え子”なのだ。

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私自身にとっての理想の教師というものは、対峙する相手に要らぬ恐怖心や威圧感を与えない人物だ。立場の上下で教え子を押さえつけようとする教師が大半であるのは分かっている。しかし、教え子に愛され、真に尊敬される“先生”は、まず彼自身が教え子の視線と同化し、その悩みや痛みを理解して分かち合うことができるものだろう。それは別の言葉では、“共鳴 sympathy”と呼ばれる行為である。
その意味で、シーモア・バーンスタインはまさしく本物の“先生”だ。イーサン・ホークはある夕食会で知人から彼を紹介され、その瞬間に例えようのない安心感に包まれた。そして、まるでカトリック信者が神父に懺悔するかの如く、自分の悩みを打ち明けた。畑違いの職業に就いている人間、しかも十分に分別も知性もある立派な大人から、会って早々に大層個人的な悩みを託されてしまったシーモアも面食らったと思う(苦笑)。だが、彼は根っからの“先生”だ。迷える“教え子”を見つければ歩み寄り、導いてゆく。イーサンは彼と対話することで間違いなく光明を見出した。

その後もイーサンとシーモアの交流は続き、イーサンはシーモアの指で奏でられるピアノの音色―まるで聴く者の耳と心を癒すかのような、果てしない優しさに満ち、繊細にして美しく、実は緻密に計算され尽くした完璧なハーモニー―にも深く魅了された。私自身もピアノを弾くわけではないし、研究家でも専門家でもなんでもない、ただの観客だが、シーモアのピアノを聴けば、誰でも心を動かされるに違いないと確信できる。私には、専門的知識と言語で彼の演奏の素晴らしさを描写することはできないが、イーサンには映画という強力な言語がある。彼は、喜びも悲しみも苦悩もどっさり積み重ねられたシーモアの波乱の人生と、それを潜り抜けた末に彼が辿り着いた、ある種の悟りの境地、彼自身の滋味深い人柄に惹かれた。そして友人たちの勧めもあり、シーモアの珠玉のピアノ演奏だけではなく、彼の人生をも丸ごとドキュメンタリー映画としてまとめようと決意した。

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(shared from Seymour Bernstein)
“シーモアのピアノ・レッスンは、人は如何に生きるべきかということにもつながる奥深い教えに満ちている。彼のシンプルな生き方から学べることはあまりにも多い。” -- イーサン・ホーク Ethan Hawke

シーモア・バーンスタインは、1927年、アメリカはニュージャージー州ニューアークで誕生した。ピアノとの出会いは、3歳の時、両親に連れられて行った叔母の家で。そのアップライト・ピアノの音色にすっかり魅了されたシーモアは、6歳の時、母親に頼み込んでピアノを習い始める。だが、彼の家族は音楽には縁がなく、家にはレコードさえない環境だった。中古のアップライト・ピアノを譲られ、シーモアは家で自由にピアノの練習に打ち込むことができるようになった。

“ある日曜日の朝、一刻も早く楽譜を開きたくて早起きした。その曲はシューベルトの“セレナード”。弾き始めるとなぜか懐かしさが胸に押し寄せてきてね。両親も3人の姉もまだ眠っていた。1階に降りてきた母はピアノを弾きながら泣いている私を見て言ったよ。『どうして泣くの?』『どの曲よりも美しいから』と私は答えた。”

聴衆の前で演奏するようになったのは10代になってから。わずか15歳で、師事していたピアノ教師クララ・フッサールから、教え子の中でも優れた才能を持つ子供たちの指導を逆に任されるようになる。すぐに彼自身に師事する教え子を持つようになり、マネージャー、有力なパトロンもついてプロのピアニストとしてのキャリアが急速に開けていった。17歳の時グリフィス・アーティスト賞を受賞し、アメリカ各地でコンサートを開き、また“バーンスタイン・トリオ”を組んでグループとしても精力的に演奏を続けた。朝鮮戦争中には兵役に就いて最前線で戦ったが、上官に頼み込んで、共に戦う仲間の兵士たちのためにクラシック・コンサートを開いた。また、軍部の幹部向けにも演奏を行い、常に死と隣り合わせの恐ろしい毎日の中で、音楽による自己理解と魂の救済という新たな使命を胸に秘めるようになる。

“朝鮮戦争のときにつけていた日記は、その後封印して二度と読み返すことはしなかった。しかし(今回このドキュメンタリーのために数十年ぶりに読み返してみて)あの頃最前線で感じていた恐怖と悲しみが一挙に蘇ったよ。…死体袋に入れられた兵士の遺体や、硝煙の臭い。霧深い朝、信じられないほど穏やかな空気の中で野生のシカに出会った時に、自分はてっきり死んでしまって天国に行ったのだと勘違いしたこと。”

戦場でのつらい体験は、芸術家として繊細な魂を持つシーモアにとって簡単に嚥下できるものではなく、イーサンとの会話の合間にもその目からは涙が何粒も零れ落ちてくる。だが、彼の中で音楽への強い使命感が生まれたのもこの時であった。

1日6時間から時には8時間も無心で練習し、教え子たちを指導し、また彼自身も他の優れたピアニストたち―サー・クリフォード・カーゾンやジョルジュ・エネスク、ナディア・ブーランジェなど―に師事し、マネージャーに管理されて世界中で演奏会を行って…。50歳で演奏家としてのキャリアに終止符を打つまでに、彼は音楽を啓蒙するために「心で弾くピアノ―音楽による自己発見 With Your Own Two Hands」「ピアノ演奏20のポイント―振付によるレッスン 20 Lessons in Keyboard Choreography」といった著書を完成させ、ジャック・デュラン賞、国立音楽協会賞などの賞を受賞、1969年にヴィラ・ロボスの“ピアノ協奏曲第2番”をシカゴ交響楽団と協演して…。確かにこれでは、芸術家、教育者としての欲求―作曲したり本を執筆したり、マスタークラスの指導を行ったり―を満たす時間が全く取れないし、音楽業界のビジネスとの闘いにも疲労困憊することだろう。

“自分の演奏に満足感を覚えたのは、50歳になった頃だ。伝えたいことを舞台で表現できるまでに、それだけの時間を要した。50歳になった時、誰にも内緒で『92Y』で引退コンサートを行うことを決めたんだ。”

映画業界もそうだが、音楽業界でも、経済的な成功を得ようと願うならば、芸術家としての魂を潔く捨てねばならない。シーモア自身、50歳まで、プロの演奏家として経済的な意味で成功することと、芸術家としての満足を得ることを両立できず、苦しんだ。悩んだ末、50歳を区切りとしてプロの演奏家の活動をやめたのだ。何十年もシーモアに師事している作家、批評家、コラムニストでありピアニストでもある長年の友人マイケル・キンメルマン Michael Kimmelmanは、このドキュメンタリーの中でシーモアにこんな風に言い募っていた。

“あなたはかつて、演奏家としての自分に責任を持ちなさいと言っていた。だが、50歳でプロの演奏家であることをやめてしまったあなたは、途中で責任を放棄したことになるのじゃないか?”

“言いたいことは分かる。だが今では、君のその疑問に対する完璧な答えを見出したよ。僕は、僕の教え子たちを通じて自分自身もまた芸術家としての完成に邁進しているんだ。いわば、教え子たちの成長こそが私の最大の芸術的勝利なんだ”

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惜しまれつつ50歳でプロの演奏家から引退したシーモアは、天職である教育者としての活動に猛然と取り組んでいく。アメリカ国内のみならず、世界中から、彼に教えを請おうとピアニストの卵たちや、既にプロの道を歩んでいるピアニストたちがシーモアのもとに殺到した。彼が対峙する生徒たちは、国籍も人種も言語も文化背景も年齢も様々だ。世界一多忙な“ピアニストの臨床医”は、彼らそれぞれが抱える悩みを見抜き、それぞれに相応しい方法と理論で彼らをより良い方に導いてゆく。

“私が自負できるのは、音楽を解釈する力だ。作曲家が作曲に際して抱えていた感情を、私は瞬時に察知できる。こうして得た自分の知識を、教え子に伝える能力についても自負しているよ”

今作には、マスタークラスでのシーモアの指導の様子が収められているが、これは皆さんにもぜひしっかり見ていただきたい部分だ。シーモアは、ステージ上に数人の生徒たちを上げて演奏させ、どこが良くてどこに問題点があるのかを、生徒と一緒に考える。彼の指導を見ていると、ピアノはただ座って指を鍵盤上で動かせばよいものではないことがよく分かる。シーモアは、ピアノ演奏の教則ビデオも多数作っているのだが、演奏の際には、指や手だけでなく身体全体の筋肉を意識して動かさねばならないのだそうだ。

イーサンと意気投合した経緯をシーモアは語っているが、何故、どのようにして自分の人生を芸術に捧げるのか、また、芸術への献身が彼らの人生に与える影響について、彼らはすぐに深いレベルで話し合うことができた。それは2人とも“人前で全身全霊を用いてパフォーマンスをする”という共通点があったからだ。
シーモアの教育方針と方法論は、教育の域に留まらず、まさに“アート”そのものであるといっていいと思う。世界中で開催される国際コンクールで審査員を務めることも然り、57年間住んでいるニューヨークのニューヨーク大学で教鞭をとっていることも然りだ。才能はあるが指導を必要とする人々、特に若者たちがシーモアによってより高い領域へ羽ばたいていく瞬間を、私たちもこのドキュメンタリーで目撃することができる。それは、シーモアに言わしめたように、教え子たちを通じて達成されるシーモアにとっての芸術的成果なのだ。
他のシーモアの芸術的成果は、あらゆるレベルにあるピアニストたちのために作曲した膨大な数の楽曲だろう。このドキュメンタリーの中でも、彼自身のペンになるピアノ曲を聴くことができる。また、日本語訳されたものも含め、彼の執筆した教則本もとにかく膨大だ。

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さて、このドキュメンタリーを撮り始めるにあたり、イーサンはシーモアにその目的とテーマを明確に示した。芸術に身を捧げること、あるいはどんなことでも構わないから何か一芸に秀でることが、人生にどんな影響を及ぼすのかを、特に若者に知ってもらうことだ。
イーサン・ホークは多才な人だ。愁いを帯びたハンサムな顔立ちで人気の映画スターであり、優れた舞台俳優であり、映画の脚本「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」、劇映画の監督、舞台演出も手掛け、自身の劇団を主宰し、自ら映画化もした「痛いほど君が好きなのに」と「Ash Wednesday」という2つの小説の執筆者でもある。そんな彼もまた、このドキュメンタリーの中でシーモアの前で告白していた。“精魂尽き果てるまで心血を注いだ入魂の企画や演技が興行的に失敗し、一顧だにされない一方で、ギャラのために出たような映画が大ヒットしたりする状況にうんざりし、次第に自分が演技をする意義が分からなくなっていった”と。
容易に目標を見失ってしまいがちな現代において、愚直に見えても、また遠回りしているように見えても、一心不乱に何か1つのことに打ち込めば、人生の謎や森羅万象の謎を解き明かすことにつながっていく。この、シーモア・バーンスタインと共に人生について学ぶドキュメンタリー映画は、カメラの反対側で監督しているイーサン・ホーク自身についてのドキュメンタリーでもあったというわけだ。

そして、この美しい音楽に満ち、音楽への愛情と熱意と献身に満ちたドキュメンタリーは、イーサンたっての願いで実現した、シーモアの35年ぶりとなるリサイタルで締めくくられる。イーサンの劇団の人々や仲間たち、ドキュメンタリーにも登場したシーモアの教え子たちや友人たち等を招いた、個人的でありながら、シーモア・バーンスタインという人物の歴史を総括する内容も兼ねた特別な演奏会だ。スタインウェイ・アンド・サンズ Steinway & Sons社の所有するビルのホールで、大きなガラス窓の向こう側に通りを行き交う人々の姿を見送りながら、友人たちとカメラが見守る中、シーモアはシューマン作曲の難曲『幻想曲 作品17』を静かに弾き始めた。


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“君の好きなところは、友人である君と巨匠である君は完全に一体だからね”―アンドリュー・ハーヴェイ Andrew Harvey

“自分の才能や情熱を傾けられるものに対し献身的になれれば、感情と思考と肉体までも一体化させ、普段の人格ともう1つの芸術家としての人格を統合、調和させることは可能なんだ”―シーモア・バーンスタイン Seymour Bernstein


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