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zoom RSS 音楽が再び私達を立ち上がらせるまで―「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」

<<   作成日時 : 2017/06/02 18:54   >>

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“僕たちを、テロリストとしてではなく、音楽家として受け入れて欲しいんだ” -- バーキル・アッバース Baqir Abbas

音楽が聴衆を救うのではない。音楽はただ其処かしこに漂っているだけ。楽器を使ってそれを集め、メロディーに乗せて聴衆の耳に届けるのは、音楽家にしかできないことなのだ。だから、“音楽の美を知る音楽家が聴衆を救っている”と表現するのが一層正しいと思う。しかし哀しいかな、聴衆はそれに全く気付かない。音楽家が音楽を拾い集めるのに、どれほどの犠牲を強いられているかについても、殆どの聴衆は無関心だ。音楽を奏でる彼ら自身の人生の断片が、一体どれ程美しい音色の中に織り込まれていることか。そして、音楽家自身の人生がどれ程惨めだろうと、彼らの人生を呑み込んだ音楽が如何に輝いていることか。それに気付く聴衆が皆無だとしても、音楽の美は音楽家の人生と魂なくしては成り立たないものなのだ。

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「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」(2015年)
監督:シャルミーン・ウベード=チナーイ&アンディ・ショーケン
製作:シャルミーン・ウベード=チナーイ&アンディ・ショーケン
製作総指揮:ダン・コーガン&ジェラリン・ホワイト・ドレイファス&ナタリー・マスネ&ガイ・オゼアリー&ビジャイ・バイディヤーナータン&デビッド・ウェクター
撮影:アサド・ファールーキー
編集:フラビア・デ・ソウザ
出演:サッチャル・ジャズ・アンサンブル
イッザト・マジード
ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラwithウィントン・マルサリス

1960年代から1970年代にかけては、パキスタン映画の最盛期だったといっていい。そして、そのパキスタン映画産業の中心であったのが、都市ラホール Lahoreだ。インド映画産業の中心地を“ボリウッド”と呼ぶように、ラホールは“ロリウッド”と呼ばれていた。芸術の都だったのだ。大きな撮影スタジオがあり、そこで数多くの映画が撮影され、録音スタジオでは伝統楽器の専門楽士たちが映画のための音楽を作り、演奏していた。昼休みには楽士たちの子供が弁当を届けにきたり、彼らが中庭に出て息抜きしたりする光景が良く見られたものだ。

パキスタンやインドでは、音楽を演奏するのは専門職人のみに許された行為であり、彼ら楽士の仕事は完全世襲制でもあった。彼らは基本的に音楽を演奏することでカースト制度の上位にいる人々に奉仕し、その見返りに報酬を得てきた。演奏する相手が一般の聴衆であっても、それは変わらない。楽士の家に生まれた者は皆、親から音楽の技術を学び習得し、毎日努力してその技術に磨きをかけ、楽器を奏でて生計を立て、その技術を今度は自分の子孫に伝える。それ以外のことはしない。彼ら世襲の楽士は“ミーラースィー mirasi”と呼ばれるが、この言葉には、伝統の伝承者という以外に、日常生活には直接関係しない音楽という特殊技能だけで生活の糧を得る彼らを惧れ、退ける意味も込められている。一般聴衆は彼らの演奏を見て楽しみ、その報酬として金を払うが、内心では“ミーラースィー mirasi”を自分たちの現実のコミュニティーからも、カースト制度からも排除することで、彼らへの畏怖の念をやわらげているのだ。

結局パキスタンなどでは、音楽家と聴衆の間にはそんな屈折した関係が歴史的に成り立っており、オーディション番組に出演すれば、誰でもスターになれる可能性がある他の国々とは全く事情が異なるのだ。音楽家は尊敬や憧れの対象にはなり難い。しかもパキスタンの全国民の実に97%を占めるイスラーム教徒のうち、そのほとんどがスンナ派信者である中、楽士たちのほとんどは少数派のシーア派に属している。スンナ派もシーア派もアッラーを唯一絶対神としているが、予言者ムハンマドの教えそのものを重んじるか、ムハンマドの血統を重んじるかで宗派を別っているのだ。

多くのスンナ派一般人は、楽士たちの信仰であるシーア派に違和感を覚えてはいても、現実に彼らを攻撃したりはしなかった。これまで長い間共存してきたように、彼らは共存できるはずだった。クーデターが起こって軍事独裁政権がパキスタンに誕生するまでは。

軍事政権は多数派であるスンナ派を味方につけた。そりゃそうだろう、国民の大多数はスンナ派なのだから。こうして70年代後半から国政の極端なイスラム化が始まり、元々スンナ派が違和感を抱いていたシーア派に属する習慣―音楽や舞踏、もちろん映画なども含んだ芸術活動全般―への本格的な敵意が政権によって具現化することになった。音楽やら舞踏やらは精神を堕落させる、というお決まりの謳い文句だ。それをさらに過激に推し進めた教義のイスラーム原理主義勢力は、イスラームを冒涜するなというスローガンの下、90年代に入ってさらに暴力行為を悪化させ、シーア派を駆逐し始めた。

「僕はシーア派に属する。僕の友人の楽士たちもシーア派だ。それで今まで幸せだったし、どんなに迫害されても宗教を捨てることはできない。古い友人で名高いギタリストだった男は、見せしめのためにスンナ派の人々によって処刑された。恐ろしく悲しいことだ」―バーンスリー担当バーキル・アッバース Baqir Abbas

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結果として、ロリウッドを支えていたパキスタンの芸術的土壌が枯れ、ロリウッドも衰退した。ラホールにあった巨大撮影スタジオは廃墟と化し、そこで音楽を作り演奏していた楽士たちも仕事と行き場を失った。伝統音楽の継承者として何年も修業を積み、一流のプロとなった音楽家の多くが生活のため楽器を捨て、リクシャの運転手や肉屋の従業員といった仕事に従事した。そんな逆境の中でも伝統音楽の演奏を続けてきたごく一部の楽士たちは、ラホール出身の実業家で英国で財を成したイッザト・マジードのライフワークに賛同し、最後の望みを賭けて集まってきた。

イッザトは私財を投じてラホール中心部に音楽スタジオ、サッチャル・スタジオ Sachal Studiosを2005年に建設し、パキスタン中に散らばった元楽士たちをできる限り呼び寄せ、楽団を作ったのだ。現在、このサッチャル・ストゥーディオス・オーケストラで指揮と編曲しているニジャート・アリーと、亡くなった彼の父親が60名にのぼるメンバー集めに奔走した。スタジオ設立当初はパキスタンの伝統音楽を録音したアルバムを制作していたが、タリバーンによる芸術破壊によって、音楽を創る環境も、音楽を欲する需要もなくなり、彼らのアルバムを聴く者もいなくなっていた。このままではスタジオも閉鎖の危機に追い込まれる。

イッザトは子供の頃、終戦直後にアメリカ国務省が“文化大使”として著名な音楽家を世界中に派遣して、文化交流を通じて外交を行っていたことを思い出した。その文化外交プログラムの一環でパキスタンにやってきたジャズ・ミュージシャン、デイブ・ブルーベック Dave Brubeckの演奏を聴いて、彼の音楽経験の素地が培われたのだ。イッザトは伝統音楽にジャズを組み合わせるというアイデアを思いつく。アジアの伝統音楽が西洋のポピュラー音楽を取り込んで新境地を開拓するというアイデア自体は既出のものだが、サッチャル・ストゥーディオス・オーケストラによるデイブ・ブルーベック Dave Brubeckの名曲“テイク・ファイブ Take Five”のカバーは、よくある類の“イロモノ”企画とは全く異なるものとなった。YouTubeに投稿されたサッチャル・ストゥーディオス・オーケストラによる独自の解釈の“テイク・ファイブ Take Five”演奏動画は、彼らの超絶技巧もあってたちまち評判となり、BBCが大々的に取り上げたことで100万アクセスを超える視聴者を獲得した。

この成功を受けて、長い間試行錯誤を続けてきたサッチャル・ストゥーディオス・オーケストラの基本方針がようやく明確になる。シタール、タブラ、ナール、バーンスリーなどの古典楽器を用いて、伝統音楽の演奏方法でもって、自分たちが選んだ西洋の様々なジャンルの音楽の楽曲を再解釈するのだ。これでパキスタンの伝統音楽の火も同時に守っていく。失うものはもうない。彼らは、これから未知の領域に挑むことへの躊躇を捨て、伝統によって培われた職人魂を新しい世界で奮い立たせることになる。

2012年に亡くなったデイブ・ブルーベック Dave Brubeck本人が、亡くなる直前に自らが生み出した“テイク・ファイブ Take Five”の最も斬新なアレンジ演奏を聴いたというのも、考えてみれば大変な偶然。ある意味天の配剤だったのかもしれない。アメリカのジャズメンたちが、例えパキスタンの伝統音楽を全く聴いたことがなくても、サッチャル・スタジオの楽士たちがとてつもない表現技巧を持っていることは彼らの演奏を聴けば一発で分かる。ニューヨークの総合芸術施設リンカーン・センター Lincoln Centerの中のジャズ・アット・リンカーン・センター部門で芸術監督を務め、アメリカ最高峰のビッグバンド、ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ The Jazz at Lincoln Center Orchestraを率いる天才トランペット奏者ウィントン・マルサリス Wynton Marsalisもそうだった。彼はイッザトにコンタクトを取り、サッチャル・ストゥーディオス・オーケストラと彼が率いるビッグバンドがステージで共演するアイデアを持ちかけた。ジャズを文化遺産として保存し、発展させていくことを目的に、彼は以前から異なるフィールドの優れた音楽家たちをニューヨークに招き、幾度も共演を重ねてきた。ジャズは本来、大変柔軟性のある音楽形態であり、様々なカテゴリの音楽を吸収しながら進化してきた。異文化、異フィールドとの共演はお手のものだったのだ。

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「ジャズは言葉の分からない文化の音楽でも受け入れる。良い音楽であればイエス!一緒にプレイして上手くいけばイエス!なぜならジャズは、虐げられた者たちが生み出した音楽だからだ」―ウィントン・マルサリス Wynton Marsalis

イッザトはウィントンのビッグバンド編成との釣り合いを考え、サッチャル・ストゥーディオス・オーケストラのメイン・メンバーの一人であるヴァイオリン奏者サリーム・ハーンと、パキスタンの伝説的カッワーリー歌手ヌスラト・ファテー・アリー・ハーン(ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン) Nusrat Fateh Ali Khanのバックで演奏した経験も持つギタリスト、アサド・アリーは今回のニューヨーク招待公演には同行させないことを決めた。サリームは残念がったが仕方がない。オーケストラは、ニジャート・アリーを指揮者に、バーンスリーの名手バーキル・アッバース、ナール奏者ラフィーク・アフマド、ラフィークの息子で父親と一緒にミルダングを叩いているナジャフ・アリー、華やかなソロ・プレイで世界でも有数のタブラ奏者となったバッルー・ハーン、そしてイッザトを中心に編成され、“サッチャル・ジャズ・アンサンブル Sachal Jazz Ensemble”としてニューヨークに向かうことになった。空港で引き留められ、何時間もパスポートや荷物のチェックを受けてゲッソリしながらも、サッチャルの面々はついに摩天楼の街にやってきたのである。

ニューヨークの街並みは、ラホールからはるばるやってきたサッチャルの面々を圧倒するだけではなかった。あちこちで、プロ、アマチュア問わず様々なミュージシャンが様々なジャンルの音楽を自由に演奏し、それに耳を傾ける聴衆の音楽への愛情が満ちている場所を彼らに提供したのだ。音楽を世襲するのではなく、音楽を愛するからこそ、情熱と共に自ら選び取る。ニューヨークは彼らに、ウィントン・マルサリスのバンドと一緒にステージに立つビッグ・チャンスを与えただけではなく、音楽を親から受け継ぐ義務感からも解放した。世襲と世間の無理解といった苦悩がなくなった後に残ったのは、純然たる音楽への愛情だけだ。彼らはようやく、伝統芸能の職人としての誇りを取り戻すことができたのだ。誰からも強制されることなく、自らの存在証明である音楽を自らの意思で奏でる。故郷の音楽文化が廃れようとしている現実に立ち向かうため、その現実と戦うため、サッチャル・ストゥーディオス・オーケストラのメンバーたちはこうして自らの足で立ち上がったのだった。

公演まで数日。ウィントン・マルサリスのジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラとのリハーサルは、初日から波乱続きだった。パキスタンの伝統音楽の中では要の役割を担う花形楽器シタールが、本場ニューヨークのジャズのスピードとグルーヴとパワーに全く歯が立たない状態だったのだ。奏者は名高い音楽一家の出身で、それなりに実力もあった者だったのだが、西洋音楽に順応しようという柔軟性に欠けていた。シタール以外の楽器も、いざ本物のビッグバンドのタイトな演奏を目の当たりにして完全にサッチャル独自のリズムとタイミングを見失ってしまう。何度目かの演奏の後、ウィントン・マルサリスはシタール奏者をその場から追放した。シタールはサッチャルの面々にとってもインスピレーションの源になる楽器だ。ジャズ同様、即興演奏 improvisationを得意とする彼らだが、通常ならシタールの音色が彼らの感覚を刺激し、即興へと導いていく。それが無くなってしまうと、サッチャルにとっては大問題だ。彼らは急遽ニューヨーク界隈でシタール奏者を探し当てたが、本番まであと2日の状態で、サッチャル・ジャズ・アンサンブル全体がウィントンの要求するレベルに到達できるかどうかは、神のみぞ知る状態だった。

彼らは無事に本番で100%の実力を出し切ることができるのだろうか…?

………………………


Sachal Jazz Ensemble and Wynton Marsalis in New York City - Limbo Jazz!
shared from Hassan Khan

サッチャル・ジャズ・アンサンブル Sachal Jazz Ensembleがウィントン・マルサリス Wynton Marsalisに招かれ、ニューヨークのリンカーン・センターで初めて共演した際のライブ映像から“Limbo Jazz”を。ビッグバンド演奏を楽しむのに最も適した楽曲ですが、これがパキスタン・ジャズと融合すると一体どんな魔法が起こるのか。まあご覧あれ。中でも最高の見物は、バーンスリーの名手バーキル・アッバース Baqir Abbasと、ジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラ The Jazz at Lincoln Center Orchestraのテッド・ナッシュ Ted Nashのフルート対決でしょう。なんとスリリングでしかも繊細なバーンスリーの音色。バーキルは伝統を守り、竹から切り出して自分用のバーンスリーを手作りしているそうですが、単純に見えるこの竹笛をどう扱ったら、あんなに複雑な音色と変幻自在のテンポを操れるようになるのか。彼の凄まじいソロには鳥肌が立ちます。

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映画の方でリハーサルの不安定振りを見せられていただけに、本番で果たして本当に演奏できるのかしらと緊張しながら見守っていた、クライマックスのライブ演奏ですが。実は映画に収められていたライブ映像の最初の楽曲が、シタールのソロから始まる問題の“テイク・ファイヴ Take 5”だったのですよ。これがですね、もうこの時絶対音楽の神が降臨したとしか思えないほどミラクルに素晴らしい演奏だったんですよ。ホンマに。映画本編でも、予想を覆す素晴らしいソロ演奏を力強く聴かせたシタールに、ウィントン自身が素でびっくりしていたほど(笑)。私も見てて顎が外れました(笑)。いや、すごかったわ。まあね、いくら本場のジャズの洗礼を浴びたからといっても、やっぱり彼らは由緒ある伝統音楽の正しい継承者たちですよ。サッチャルの面々ってば、本番にめっちゃ強い(笑)。そして、映画本編のエンドクレジットでも名前が確認できなかったのですが、この時文字通りのピンチヒッターで、且つほとんどぶっつけ本番で見事なソロを弾いてくれた無名のシタール奏者に限りない拍手を贈りたいと思います。まだ若い方でしたが、どうか将来著名な音楽家になってくれますように。


Baqir Abbas and Ted Nash - #WorldofDuke @ Lincoln Center NYC
shared from Hassan Khan

そして昨年2015年の4月29日に、ニューヨークのリンカーン・センターで行われたデューク・エリントン・ガラ The Duke Ellington Galaにバーンスリー奏者バーキルが特別招待されました。もちろんウィントン・マルサリスと彼のビッグバンドとの再共演だったわけですが、例のテッド・ナッシュと再びフルート・デュエットを聴かせてくれます。お客さんもバンドの他のメンバーも大喜び(笑)。やはり、バーキルの演奏はあらゆる面で突出していましたし、非常に目立つ存在でした。今や彼がサッチャル・ジャズ・アンサンブルの演奏のけん引力になっているようですよ。


Sachal Jazz Ensemble & Wynton Marsalis in Marciac - Take 5!
shared from Hassan Khan

2013年7月にフランスで開催された“JIM”ことジャズ・イン・マルシアック・フェスティバル Festival Jazz In Marciac 2013で、サッチャル・ジャズ・アンサンブルとジャズ・アット・リンカーン・センター・オーケストラが再び共演したのですが、その時のライブ映像から、正式にNafees Ahmedをシタール奏者に迎えたアンサンブルとマルサリスのビッグバンドによる“テイク・ファイブ Take Five”です。シタールとバーンスリーの掛け合い即興では美しく幻想的な音世界が広がりますが、ウィントンの哀感溢れるトランペットのソロに入ると、サウンドが急に“ニューヨーク New York”に戻ってくるのですからたいしたもんですわ。

前述した部分では触れられなかったのですが、サッチャル・ジャズでドラムスの役割を担うタブラの華やかな演奏で人気の、バッルー・ハーン Ballu Khanおぢさんも大好き(笑)。大きな目玉をひんむいて、タブラを叩きまくるバッルーの熱きソロ・パートも一度見れば忘れられない程インパクト大ですな。バッルーと共にアンサンブルのリズム・セクションを担うナール担当のラフィーク・アフマド、ラフィークの息子でミルダングを叩いているナジャフ・アリーの生み出すグルーヴ感は独創的でしかも中毒性が高いもの。彼らは、間違いなくウィントンのお気に入りになったはずですよ(笑)。

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このように、サッチャル・ジャズ・アンサンブルの冒険は、パキスタンの伝統音楽の歴史の中に、凄まじい才能が埋もれていたことを世界に知らしめました。パキスタン文化は本来、他国の文化や習慣に非常に寛容的で、豊かな土壌を誇るものであり、世界中のニュースで報道されるように、宗教の名を借りて人々を迫害したり、テロ攻撃をしたりする暴力的なものでは決してないのです。そんなことをする輩は社会の中でもごく一部に過ぎず、パキスタン国民の多数は、権力による理不尽な暴力の犠牲になっているのだということが理解できました。これは、彼らの活動に脚光が当てられたことの中で、最も大きな意義の一つだと思います。

と同時に、本国の人々の記憶からも消え去ろうとしていたパキスタンの伝統音楽、並びに深い歴史を持つロリウッドの過去の栄光を、現在のパキスタンの若者に知らせる役割も果たしました。実は私自身は、イッザトの人生を賭けた試みであるサッチャル・スタジオが本当の意味で実を結ぶのは、伝統音楽の守り人であるサッチャル・スタジオの楽士たちが自らの使命と誇りを取り戻し、且つ、パキスタンの若者が自国の伝統文芸の素晴らしさを再確認する時だと思っています。
本編で、サッチャル・スタジオのヴァイオリニスト、サリーム・ハーンが告白していたように、タリバーン勢力によって音楽活動の場を失っていた間に舐めた辛酸以上に、自分の息子や孫が伝統音楽に関心を持たなくなり(子供の一人は、ギターを弾いたり他国のポップスを歌うことに夢中)、先代からの技術を彼らに伝えることができない現状の方が深刻な問題でしょう。日本における伝統芸能や伝統技能も同種の問題を抱えていますが、後継者がいない、若い世代の人々が伝統に関心を持たなくなっているという事実は、つまりその伝統が滅びる運命にあることを意味しますからね。サッチャル・スタジオの最終的な目標は、パキスタン国内の全ての世代に自国の伝統音楽のすばらしさを再び受け入れてもらうことでありましょう。

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映画「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」によると、ウィントン・マルサリスとの共演の後、サッチャルの面々はイギリスやカナダ等、外国での公演を行い、新たな使命と共にパキスタン国内での公演活動をスタートさせたようですね。そして、映画「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」で彼らに感銘を受けた多くの有名ミュージシャン、女優メリル・ストリープをゲストに迎えて制作された新譜「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」が今年の7月にリリースされ、日本では8月にドキュメンタリー映画が初公開、また9月に東京で開催された第15回東京ジャズ・フェスティバルTokyo Jazz Festivalにゲスト出演も果たしました。イッザトの、またサッチャル・スタジオの楽士たちにとっての悲願は、着々と成就に向かっているように思いますねえ。

監督はアカデミー短編ドキュメンタリー賞を2度受賞したパキスタン人女性シャルミーン・ウベード=チナーイと、彼女が全幅の信頼を置いているニューヨーク在住のドキュメンタリー監督アンディ・ショーケンが担当しました。パキスタンの言葉しか話せないサッチャルの面々と、英語しか分からない映画製作スタッフとの間のコミュニケーションを円滑にするのは大変だったとお察しします。しかしこの作品の良い点は、パキスタンの文化背景を持つ人間と、西洋の文化背景を持つ人間の2つの異なる視座が常に共存していること。だからこそ、今作で取り上げられるもう一つのテーマ―異文化の衝突と共存―は普遍性を持ったのだと感じます。

【追記】
映画「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」の公式サイトで知りましたが、バーンスリーの名手バーキル・アッバース Baqir Abbasが、2016年の暮れに心臓発作を起こして入院していたそうです。映画の中でも彼は、“人生の中で起こる悲劇こそ、伝統音楽の音楽家としての僕の創造源だ。悲しみを知らない魂は、音楽を理解したり、ましてや演奏することもできないだろう”と、人一倍繊細で詩的な人柄を見せていた彼。“テイク・ファイヴ Take 5”後のハード・スケジュールが堪えたか。その後、彼は無事に恢復し、先ほどNYリンカーン・センターで行われたセロニアス・モンクの革新的な音楽世界の素晴らしさを称えるイベント“World of Monk”にも、再び特別ゲストとして招かれました。繊細且つ澄み切った柔らかなバーンスリーの音色は健在。いやぁ、良かったわ。

ソング・オブ・ラホール
ユニバーサル ミュージック
2016-07-27
ザ・サッチャル・アンサンブル

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「ソング・オブ・ラホール Song of Lahore」 by The Sachal Jazz Ensemble
●収録曲
1:ブルー・ペッパー [feat. ウィントン・マルサリス]
2:嵐からの隠れ場所 [feat. スーザン・テデスキ]
3:イエス・ウィ・キャン・キャン
4:マン・イン・ザ・ミラー [feat. ベッカ・スティーヴンス]
5:スピーク [feat. メリル・ストリープ]
6:ピース、ラヴ & アンダースタンディング [feat. ショーン・レノン]
7:時には母のない子のように〜マーエー・ニー [feat. マデリン・ペルー]
8:ゲット・アップ、スタンド・アップ〜シャーラーマール [feat. チボ・マット]
9:ザ・サウンド・オブ・ワンダー (ダマー・ダム・マスト・カランダー)
10:ある愛の伝説 [feat. ジム・ジェームス]
11:ライラー・オー・ライラー [feat. ネルス・クライン]
12:自由になりたい [feat. ラ・マリソウル]
13:ギヴ・ミー・ラヴ [feat. セウ・ジョルジ]
14:スピーク

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