House of M

アクセスカウンタ

更新情報

zoom RSS 「ラルジャン L’argent」とロベール・ブレッソン Robert Bresson監督

<<   作成日時 : 2016/08/21 13:51   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 0

今年のニューヨーク映画祭のリバイバル企画 The Revivals Section of the 54th New York Film Festivalのうちの一つとして取り上げられている、ロベール・ブレッソン Robert Bresson監督の遺作「ラルジャン L’argent」とブレッソン監督のフィルモグラフィーをご紹介します。

同年度のニューヨーク映画祭で上映された、ロベール・ブレッソン Robert Bresson監督の遺作「ラルジャン L’argent」。トルストイの中篇「にせ利札 The Forged Coupon」を下敷きにしているが、ブレッソン自身の手になる脚色は、宗教的テーマに収束してゆく原作の後半部分を無情にもカットしている。現代の荒廃した精神世界に蘇ったドストエフスキー作品のような、救い難く怜悧な感慨を後に残すだろう。

ラルジャン [DVD]
紀伊國屋書店
2002-07-25

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ラルジャン [DVD] の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

「ラルジャン L’argent」(1983年)
監督:ロベール・ブレッソン Robert Bresson
製作:ジャン=マルク・アンショ
製作総指揮:アントン・ガネージ
原作:レオ・トルストイ
脚本:ロベール・ブレッソン
撮影:エマニュエル・マシュエル&パスクァリーノ・デ・サンティス
音楽:バッハ
出演:クリスチャン・パティ(イヴォン)
カロリーヌ・ラング(エリーズ)
バンサン・リステルッチ(ルシアン)
マリアンヌ・キュオー他。

画像

何不自由ない生活をしているくせに、ほんの少しの小遣い銭に不足したブルジョワ少年が友人に借金した。返済に困った彼は別の友人に相談をもちかける。その悪友は彼に、偽札を使って金を作ればよいとそそのかした。彼らはその偽札を写真店で使い、企ては成功。偽札をつかまされたことを後で知った写真店主夫婦は、これを何食わぬ顔で燃料店への支払いに使う。燃料店の従業員イヴォンは、それが偽札であるとは全く知らずにレストランでの支払いに使ってしまった。レストランの従業員はすぐに偽札であることに気付き、イヴォンは告発された。彼は当然のことながら、写真店主夫妻を訴えるが、写真店の従業員ルシアンの偽証によって、逆に全ての責任を負わされ店を解雇された。

彼には妻も娘もいたために金に困り、知り合いのチンピラの強盗の手伝いをしたが、結局未遂で逮捕され、実刑判決を受ける。受刑中に娘が亡くなり、妻は彼に三下り半を渡した。それを同房の囚人から中傷されたイヴォンは、かっとなって彼に殴りかかろうとしたが、すんでのところで止められ独房送りになった。

その頃、実質上イヴォンを刑務所送りにしたも同然のルシアンは、働いていた写真店で売り上げをちょろまかして店をクビになったが、店の玄関と金庫の鍵を複製しておき、後日店内に強盗に入った。命運が尽きたルシアンは逮捕され、イヴォンと同じ刑務所に送られてきた。イヴォンはといえば、毎晩支給される睡眠薬を溜めて自殺を図ろうとしたが果たせず、結局ルシアンと刑務所内で再会する羽目に。ルシアンはイヴォンに赦しを乞い、罪滅ぼしのつもりか、仲間と企てた脱獄計画にイヴォンも誘うが、イヴォンはこれには全く興味を示さず、拒否する。

画像

おとなしく刑期をつとめあげたイヴォンは出所し、帰る家とてないため安宿に泊まる。ところが、はした金欲しさに態度を豹変させ、宿の主人夫妻に襲い掛かって惨殺してしまう。ふらふらと外に出たイヴォンは、銀行から出てきた中年女性と出会った。彼女は夫を亡くし、車椅子生活の息子と年老いた父、姉一家と一緒に暮らしながら、裕福な家庭で家事全般を引き受けて働き、彼らの生活を支えていた。信心深い彼女は、イヴォンの告白を聞いてもなお彼を見捨てず、それどころか彼を家に匿って世話してやった。一枚の偽札から人生をめちゃめちゃに狂わされ、全てを失ってしまったイヴォンの空虚な心を満たそうとする彼女に、彼もようやく打ち解けるようになる。女性が住んでいたのは緑豊かな場所で、時間はゆるやかに過ぎ、イヴォンと女は穏やかに語らうまでになった。晴れの日には、彼女が洗濯した家族のシーツを干す様子をイヴォンは黙って見つめていた。さわやかな風が吹き抜けてシーツをはためかせ、その白が日差しに反射して鏡のように輝いた。耳を澄ませると、家の近くを流れる川のせせらぎが聞こえる。全てがイヴォンの荒み切った心を慰撫していたはずだった。それに、つましく暮らす彼女の家には金と呼べるものとて無い。イヴォンの心を悩ませる金さえ無ければ、偽札以前の彼の人生を、実直な青年としてのごく普通の人生を、ひょっとしたら取り戻せたかもしれない。

…ある夜、虚ろなまなざしのままのイヴォンは、僅かな金を手に入れるため、自分を救ってくれた女性の一家全員を惨殺した。翌朝、彼は自ら警察に出頭し、殺人を告白した。

ラルジャン [DVD] KKDS-21
紀伊國屋書店

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by ラルジャン [DVD] KKDS-21 の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

原作となったトルストイにとっての“神”は、文字f通りの意味の、宗教的なイコンたる“神”だ。原作「にせ利札 The Forged Coupon」は、現に、殺人を告白して以降のイヴォンの魂に、宗教的な意味の救済が訪れる。それを、彼自身が葛藤を乗り越えて受け入れたことで物語は大団円を迎え、完結するのだ。しかし、物語の時間軸を現代に移したブレッソン版「にせ利札 The Forged Coupon」では、トルストイの時代には存在していたかもしれない“神”のイマージュ l'imageが、すっかり消え失せていた。従って、トルストイのイヴォンが受けた救済は、ブレッソンのイヴォンにとっては無縁のものだ。成る程確かに、彼は救い主だった女性の家族全員を殺害した後、自首する。自首はするが、その後のイヴォンに、トルストイ版のイヴォンのような救済のチャンスが訪れるとは到底思えない。トルストイのイヴォンは最後には、天にまします我らの父たる神の声に従ったが、ブレッソンのイヴォンの神は、“金 l'argent / money”そのものなのだ。ブレッソン版イヴォンはだから、最後まで彼の神たる“金”の命じる声に従った。従わざるを得ないだろう。彼は一切の迷いも恐れも自己嫌悪も憐みの心も持たず、ただただ機械のように斧を振り上げ、見知らぬ人間に向かって、本物の恩人に向かって叫ぶのだ。“金はどこだ!”と。これがブレッソン版イヴォンにとっての聖典であった。

トルストイ版イヴォンは、最後には神の祝福を受け、高らかに歌い舞う天使たちの羽に包まれる。ブレッソン版イヴォンは警察で自供した後、天使ではなく、周りにいた見知らぬ人間どもに鬱蒼と取り囲まれる。ハレルヤの歌声は聞こえない。虚ろなイヴォンの目はいかなる善なるもの、美しきものも映さず、たんに落ちくぼんだ眼窩に過ぎない。彼はただ単に、金のありかのみを欲し、そのためなら機械のごとく人を殺めることに何らの呵責も感じなかった。そんな彼の周囲にゾロゾロ集まってくる連中の眼窩もまた、金を探すための道具に過ぎず、他のものを映し出すことはないのであろう。私たちが生きる現代社会を寓話的に表現するなら、金こそが今の世の全ての人間の上に君臨する神だとする、このブレッソン監督の遺作「ラルジャン L’argent」に尽きると思う。

画像

ブレッソン監督はこの遺作により、第36回カンヌ国際映画祭で監督賞を贈られた。俳優として起用するのはほとんどが素人、いわゆる映画的な表現手法にひたすら背を向け、場を盛り上げるための音楽の使用や、登場人物やストーリーへの彼自身の安易な共感を予想させるような演出を否定し、観客に対しても作品やキャラクターへの共感を誘発することを嫌った監督。今作でも彼は、いわゆるごく普通の青年だったイヴォンが、他人が保身のためについた“些細なウソ”の積み重ねによって理由なき(動機無き)殺戮者に堕ちていく過程を、同情するわけでも共感するわけでも、ましてや狂気の犯行についての分析を試みることもなく、その原因を社会構造に求めて弾劾もせず、ただただ起こった出来事をじっと見つめ続けるのみ。たった一枚の偽札が一人の人間の人生を狂わせたことに、社会が全く関心を払わない事実すら、一滴の憐憫もなく見つめるだけなのだ。おまけに、彼の映画に登場するキャラクターたちですら皆、どんなに激しい感情であっても、それを表にあらわすことは決してない。

画像

全てが記号的でありながら、全てが暗示的。ブレッソン監督は、この遺作によって第36回カンヌ国際映画祭の監督賞を受賞したが、この作品を非情なまでに徹底した記号的かつ暗示的寓話たらしめているカメラワークは秀逸だと思う。主人公の運命を狂わせる“偽札”のアップ、カメラを引いた場所から、キャラクターたちの立ち位置、彼らが何をしているか、また何を考えているかを暗示する絵の繰り返し。レストランで偽札をつかまされたと知ったイヴォンが、レストランの従業員と喧嘩になり、彼の胸倉を掴むシーンの“手”のアップは象徴的だ。怒れるイヴォンの表情ではなく、“手”の動きに彼の感情を代弁させたことで、ブレッソンが“客観的感情表現”を遂に極めたことが分かる。救世主となった女が眩いばかりの陽光の中でシーツを干す、ロマンチックな音楽こそないものの充分に“詩的”で“感情的”な絵が、次のシーンでは一切の感情を排した殺戮直前の即物的なシーンに裏切られるのだ。人によっては実験的とも前衛的とも呼び習わすこの厳格な演出法が、真に“現代的”表現であることを、観客もまた認めざるを得ないだろう。

映画監督は、登場人物の物語をあるがままに語る。そこに感情的あるいは理論的裏付けを施すのは、観客の役目なのだ。だからブレッソン監督も、イヴォンやその他のキャラクターの行動を追うのみで、否定も肯定もしない。彼が独自に極めた映像様式美が、観客に彼の作品世界を十二分に探求、理解させ、そしてその解析を促す。芸術家と観客の関係とは、本来そのようなものだと思う。


シネマトグラフ覚書―映画監督のノート
筑摩書房
ロベール・ブレッソン

amazon.co.jpで買う
Amazonアソシエイト by シネマトグラフ覚書―映画監督のノート の詳しい情報を見る / ウェブリブログ商品ポータル

「シネマトグラフ覚書―映画監督のノート Notes sur le cinematographe」
(原書はガリマール社から1975年3月5日に出版された)
ロベール・ブレッソン Robert Bresson著

なお、ブレッソン監督自身は、彼の作品を“映画”とは呼ばず“シネマトグラフ”と呼んだ。終生、変わることなく。世間一般でいうところの“映画”は、彼にとって何の意味も持たないものだったかもしれない。


画像

ロベール・ブレッソン Robert Bresson

1901年9月25日生まれ
1999年12月18日没 (満98歳)
フランス、ピュイ=ド=ドーム県ブロモン=ラモト出身
パリにて死去

●フィルモグラフィー Filmography

1933年『C'etait un musicien』
1934年「公共問題 Les Affaires publiques」(短篇)
1943年「罪の天使たち Les Anges du peche」(長編デビュー作品)
1945年「ブローニュの森の貴婦人たち Les Dames du Bois de Boulogne」
1950年「田舎司祭の日記 Journal d'un cure de campagne / Diary of a Country Priest」
1956年「抵抗(レジスタンス) - 死刑囚の手記より Un condamne a mort s'est echappe ou le vent souffle ou il veut」
1959年「スリ Pickpocket」
1962年「ジャンヌ・ダルク裁判 Proces de Jeanne d'Arc」
1966年「バルタザールどこへ行く Au hasard Balthazar」
1967年「少女ムシェット Mouchette」
1969年「やさしい女 Une femme douce」
1971年「白夜 Quatre nuits d'un reveur」
1974年「湖のランスロ Lancelot du Lac」
1977年「たぶん悪魔が Le Diable probablement」
1983年「ラルジャン L'Argent」


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

にほんブログ村

「ラルジャン L’argent」とロベール・ブレッソン Robert Bresson監督 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる