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zoom RSS 「スポットライト 世紀のスクープ Spotlight」(2015年)

<<   作成日時 : 2016/06/10 19:14   >>

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“私たちは皆、毎日真っ暗闇の中で手探りで進んでいることを忘れがちだ。しかし、そこへ突然光が差し込んできて初めて、自分たちが間違った道を歩んでいたと知るんだ。
Sometimes it's easy to forget that we spend most of our time stumbling around the dark. Suddenly, a light gets turned on and there's a fair share of blame to go around.”


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「スポットライト 世紀のスクープ Spotlight」(2015年)
監督:トム・マッカーシー Tom McCarthy
脚本:ジョッシュ・シンガー Josh Singer、トム・マッカーシー Tom McCarthy
製作:マイケル・シュガー、スティーヴ・ゴリン他。
製作総指揮:ジェフ・スコール、ジョッシュ・シンガー他。
音楽:ハワード・ショア
衣装:ウェンディ・チャック
編集:トム・マカードル Tom McArdle
美術:スティーヴン・カーター
撮影:マサノブ・タカヤナギ
出演:マーク・ラファロ Mark Ruffalo(マイク・レゼンデス)
マイケル・キートン Michael Keaton(ウォルター・“ロビー”・ロビンソン)
レイチェル・マクアダムス Rachel McAdams(サーシャ・ファイファー)
リーヴ・シュライバー Liev Schreiber(マーティ・バロン)
ジョン・スラッテリー John Slattery(ベン・ブラッドリー・Jr)
スタンリー・トゥッチ Stanley Tucci(ミッチェル・ガラベディアン)
ブライアン・ダーシー・ジェームズ Brian D'arcy James(マット・キャロル)
ジェイミー・シェリダン(ジム・サリヴァン)
ビリー・クラダップ(エリック・マクリーシュ)
ニール・ハフ(フィル・サヴィアノ)他。

1976年。ボストン警察署に、地元のカトリック教会のゲーガン神父が拘束されていた。彼は教区の子供たちに性的虐待を行っていた疑いがあり、被害を受けた子供たちの親が、教会側から派遣されてきた神父と検察と話し込んでいた。重大なスキャンダルにもかかわらず、地元のメディアの反応は薄い。なぜならボストンでは、カトリック教会が地域社会に対して圧倒的な権力を誇っており、あらゆる手を使って教会の不祥事をもみ消してしまうからだ。したがって、この種のスキャンダルが表沙汰になることはまずあり得ない。

2001年7月、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長マーティ・バロンがマイアミから赴任してきた。ボストン・グローブ始まって以来初めてのユダヤ人編集局長にして、マイアミ・ヘラルドからやってきた“よそ者”だ。地元社会との結びつきが殊更強いボストン・グローブでは、異例の人事だった。彼を迎えるのは、ワシントン・ポスト紙の編集長を務めたベン・ブラッドリーを父に持つ、ボストン・グローブのベテラン部長ベン・ブラッドリー・Jr.と、ボストン・グローブの中でも特殊な取材方法で大きな事件を扱うチームである“スポットライト”のリーダー、編集デスクのウォルター・“ロビー”・ロビンソンだ。

バロンが赴任する直前、ボストン・グローブはベテラン記者をニューヨーク・タイムズに引き抜かれており、グローブがタイムズの傘下に入ったことによる人事異動への動揺も少なからずあった。しかしバロンは、グローブ内のそうした不安を一蹴したばかりか、赴任初日の編集会議で驚くべき提案を出す。瞬時に世界中の情報をアクセスできてしまうインターネッの脅威に対抗し、ボストン・グローブは今後、ネット情報ではどうにもならない類の、規模の大きなケースを扱う。彼が目をつけていたのは、1976年、結局うやむやにされてしまったままでお蔵入りした“ゲーガン事件”だった。カトリック教会の神父が推定80名にものぼる教区の児童たちへ性的虐待を繰り返していたという不祥事に関し、グローブでは2名の記者が小さなコラムを書いていたが、その後のフォロー記事がなかったことを不審に思ったバロンは、この事件をもっと深く掘り下げることを、ロビー率いるスポットライト・チームに指示した。

30年前、ゲーガン神父に関する機密書類は裁判所に封印され、被害児童の親たちには示談金が支払われ、教会が必死になってもみ消したこのケースを蒸し返すのは、ボストンだけではない、バチカンを頂点として世界中の社会に隠然とした支配力を持つ教会組織全体を敵に回すことを意味する。ボストン・グローブ紙にしても、定期購読者の実に53%がカトリック信者で占められている状況であり、従って、ベン・ブラッドリー・Jrはバロンの方針の途方もないリスクの大きさに頭を抱えた。しかしバロンの意志は固く、いわゆる“アンタッチャブル”な聖域であるカトリック教会全体の隠ぺい体質を暴けると信じていた。従って彼は、グローブ紙のトップに対しても、ボストンのカトリック教会の頂点に君臨するバーナード・フランシス・ロウ大司教に対しても、新聞の独立性とゲーガン事件の追及の方針を貫く構えを崩さなかったのだ。

「裁判所へ行って、教会が封印したゲーガン事件に関する文書の開示を要求する訴えを起こすんだ。世間は知る必要があるし、我々もこの事件を議論すべきだ」

ベンと同じく古参の地元出身記者であるロビーも、聖域への宣戦布告に躊躇はしたが、マイク・レゼンデス、サーシャ・ファイファー、マット・キャロルの3名のスポットライト・チームに、いつも以上に慎重に極秘裏に調査を進めるよう指示した。そしてチームは、これまで以上に難題が山積みとなった取材、捜査に立ち向かうことになる。絶対権力を持つ組織によって厳重に隠蔽された事実を暴くため、多方面に向かって調査、取材の手を広げねばならなかったからだ。

ロビーとサーシャは、ゲーガン事件のような教会が関わる訴訟問題を多く扱ってきた弁護士マクリーシュに取材し、以前にゲーガンとは違う神父の不祥事に関わったことがある旧友のサリヴァン弁護士には、ロビーが個人的に接触を試みた。しかし彼らは二人ともに、弁護士の守秘義務を盾に重い口を開こうとはしなかった。一方、問題のゲーガン事件の際、原告側の弁護士であったミッチェル・ガラベディアンには、マイクが貼り付いた。ところがこちらも、相手が新聞記者だというだけで敵意をむき出しにし、マイクの話も聞かずに彼をオフィスから叩き出す始末。ただしガラベディアン弁護士の場合は、守秘義務以上に“教会から監視されている”ことがネックになっているようだが。

“被告に関する守秘義務”で縛られる弁護士の壁は高く、しかも堅固だ。チームは、神父による性的虐待の被害者が結成した被害者団体、“聖職者虐待被害者の会(SNAP)”の代表フィル・サヴィアノを招いて直接話を聞く。チームが調査前に耳にした情報では、以前ゲーガン事件に深くかかわった人達―ガラベディアン弁護士やサヴィアノのような被害者団体の人々―に対する世間の評判は概して悪く、彼らは一様に、パラノイアであるとか変人であるとか、ひどい陰口を叩かれていた。
しかしサヴィアノは、ボストン内に児童性的虐待を行った神父が少なくとも13人は確実に存在することを明言した。また、聖職者による虐待行為が、被害者である子供たちの信仰や他人への信頼感を奪うだけではなく、彼らを自殺に追い込んだり、酒やドラッグに走らせてその後の彼らの人生を破滅させることになるのだと証言した。神父たちは、経済的に貧しく、家庭が崩壊した家の子供たちを選び、神の使いという権威を笠に着て、子供たちから抵抗力と自尊心を殺いで意のままに操ったのだ。
自らも幼い頃に神父に虐待された経験のあるサヴィアノの証言は、チームの事件への認識を新たにした。彼はまたゲーガン事件の際に、被害者の詳細な情報はボストン・グローブに一度渡してあるとも明言した。しかし、社内にはそれらは残っていない。チームはグローブの過去記事の中から関連情報を集める作業も進め、社屋の地下で埃をかぶっていた教会公式年鑑も全て引っ張り出して、虐待を疑われる神父たちを徹底的に洗い出す作業も開始した。情報分析を得意とするマットは、年鑑の記録から、彼らの行動にパターンがあることを掴む。彼らがどこかの教区で虐待騒ぎを起こすと、2〜3年で別の教区に転属されていたのだ。頻繁な配置換えの名目は、“病気療養”、“休職中”、“緊急対応”など。ロビーも駆り出されて疑わしい神父の名前をリストアップしたところ、なんと87名もの数にのぼった。

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マイクはガラベディアンからの信頼をようやく勝ち得て、彼が弁護している被害者の1人に取材した。サーシャもサヴィアノから紹介された被害者の1人から、神父による巧妙で卑劣な虐待の実態を聞く。事ここに至り、チームにとっての敵はゲーガン事件に留まらないことが明らかになる。もっと根深くて、もっと深刻で、もっと大規模な悲劇が教会によって意図的に隠蔽されている可能性が濃厚になってきた。また、以前は教会の療養施設で働いていた神父だったが、その後30年以上に渡り、児童虐待を繰り返す神父の研究をしてきたという心理療法士リチャード・サイプ氏は、全神父の約6%が児童虐待に手を染めるようになり、彼らの多くが性に関して幼稚な知識と認識しか持ちあわせておらず、また確実に虐待を繰り返す傾向があると警告した。つまり、ボストンに限って計算すれば、ボストンに在住する全神父のうち90人もの人間が性的虐待を行っていることになる。これは、チームが年鑑から洗い出した神父たちの数とほぼ一致し、この想像を絶する事態が事実であることを裏付けた。

サイプ氏もまた、この驚くべき真実を世間に公表したために、ガラベディアンやサヴィアノ同様、教会から事実無根の誹謗中傷攻撃を受け、社会的に抹殺されてしまった経緯を持つ。チームとバロン、ベンは、調査の方向性を若干修正した。個々の神父をバラバラに俎上にあげていたのでは埒が明かない。それこそ、ロウ大司教が謝罪してトカゲのしっぽ切りをされて終わりだ。この痛ましい児童虐待の再発を防ぐためには、根本からその病根を断たねばならない。つまり、虐待する神父をかばい続けてきた教会組織全体の“隠蔽システム”そのものを暴く必要があるのだ。そのためには、被害者の証言や弁護士からのオフレコ情報だけでは心許ない。やはり、教会が裁判所に封印したゲーガン事件の文書を一般に開示させ、それをスポットライト・チームが証拠として掲げねばならない。

ゲーガン事件の洗い直し調査が、教会の隠蔽体質糾弾にまで規模が拡大し、チームは今までにも増して“根拠となる証拠”の獲得に奔走した。教会と虐待被害者の間で示談をいくつもとりまとめてきたマクリーシュ弁護士に守秘義務を捨てさせ、これまでに彼が関わってきた虐待事件の原告神父の名前を挙げるよう迫ったロビーは、かつて自分自身がゲーガン事件に関する有力な情報をいくつも目の前にしていながら、教会を相手に闘うことを避け、被害者たちの苦悩を見過ごしていた苦い事実を、逆に突き付けられた。ロビー自身もまた、子供たちの悲劇に対し、手をこまねいて見て見ぬ振りを続けてきた人間の一人だったのだ。

2001年9月11日に起こった同時多発テロの衝撃により、スポットライト・チームも、教会による児童虐待事件隠蔽問題への追及を一時棚上げにせざるを得なくなった。この陰惨な事件が明らかになる瞬間を、今か今かと待ちかねていたSNAPリーダーのサヴィアノは怒り狂う。だがマイクは、ガラベディアンから、裁判所への文書開示要求に関して有力な情報を得た。複雑な司法手続きの結果、ゲーガン事件の文書開示要求が認められ、事件の詳細な記録が一般に公開されることになったというのだ。どの新聞よりも早くこの最重要証拠物件をものにせねばならない。機密性の高い文書だということで、開示を渋る裁判所を気迫でねじ伏せたマイクは、裁判所内を走り回って必要な手続きを超特急で終え、すべての文書のコピーを無理矢理その場で済ませ、グローブ社オフィスまでとんぼ返りした。この文書の中には、スポットライト・チームが1年間の記事を掲載するのに必要な証拠が全て揃っていたからだ。

マクリーシュ弁護士から、彼自身が扱った示談の“被疑者”であった神父の名前のリストが送られてきた。マイクが根性で勝ち取ってきたゲーガン事件文書には、なんと教会関係者のとある神父が、児童虐待行為を続けるゲーガン自身と被害に遭った子供たちの双方を心配し、文書でロウ大司教に直に問い合わせた手紙まで残っていた。これは、ロウ枢機卿にとっても、彼のバックに控える教会組織にとっても、言い逃れのできない証拠だ。バロンもベンも皆、これで教会の組織犯罪を暴けると意気込む。
だがロビーが、スポットライトでの記事掲載開始はもう少し待ってほしいと言い出した。この記事が掲載されれば、最終的には騒動の余波はバチカンにまで至るだろう。何しろ相手は世界最古の権力組織だ。一時的なショックにとどまらず、我々が起こした問題提起は、長期間に渡って世界中に広まっていくだろうし、そうさせるべきだ。だからこそ、いっときの特ダネにするのではなく、ボストン内、ひいては世界中の教会組織にある腐敗の根っこを完全に断ちたいのだと。ゲーガン事件が起こったとき、スポットライト・チームを前任者から引き継いだばかりだったロビーは、自分の元にマクリーシュ弁護士から“被疑者神父”リストが送られてきていたこと、またサヴィアノからも、被害者に関する情報が山のように届いていたことを、バロンやベン、他のチームの前でついに告白した。あの時、自分がもっと本腰を入れてこのケースを追っていれば、被害者の数を少しでも減らすことができたかもしれない。
ロビーの苦しい告解を汲み、ゲーガン神父に端を発する聖職者による児童虐待、及び教会組織の隠蔽工作を暴く記事は、2001年のクリスマスが終わった直後、翌年2002年の1月にグローブ紙の第一面を大々的に飾ることに決定した。

クリスマス。外は一面の雪景色であったが、ロビーの目には、その目に眩しいほどの白色の下で、おぞましく醜悪な罪が蠢いているように映った。悔やんでも悔やみきれない後悔の念が、ロビーをして、ボストン内の神父による児童虐待事件にマクリーシュ以上に深く関わっていた可能性のある、旧友サリヴァン弁護士との全面対決に向かわせた。目的はただ一つ。彼が実際にもみ消してきた虐待事件の被告たる、神父たちの名前をすべて確認させることである。疑わしき神の使いの名前は可能な限り全てリストアップしている。サリヴァンは、その名前の上に、○印か×印をつけるだけでいい。古くからの友人を1人、永遠に失う覚悟で、ロビーはサリヴァンの目の前に神父の名前のリストを差し出した。

「俺もお前も、この事態に対して何かできたはずなのに、何もしてこなかった。こんな酷い話は俺たちの代で終わりにしよう」

サリヴァン弁護士は、“被疑者リスト”に挙がった名前の全てに大きく丸を付けた。

2002年1月6日。ボストン・グローブ紙の第一面に、なんと130名もの児童をレイプしたにも関わらず、罪に問われることのなかったゲーガン神父と、彼をかばい続けた教会の隠蔽工作を糾弾する記事が大きく掲載された。バロンとスポットライト・チームは、教会からの妨害や、デモ隊、嫌がらせの電話が殺到する事態を予測していたが、運命の日、心配のあまり出社したロビーとマイクは、教会からの妨害もデモ隊の姿もない至極平穏で静かなオフィスの様子に唖然とする。しかし、スポットライト・チームの部屋に一歩足を踏み入れた途端、切れ目なく鳴り続ける電話にてんてこ舞い状態のサーシャとマットに、受話器を取って電話に応対しろと怒鳴られる。新聞が各家庭に配達されてから、グローブ社スポットライト・チームの編集室には、子供の頃神父からレイプされたものの、誰にも相談できずに泣き寝入りしていた被害者たちからの告発の電話が殺到していたのだった。

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“…私がここに着任する前に起こったことに関しては、私には何も言えない。だが、君たちはここで素晴らしい記事を完成させた。この記事は間違いなく、読者に絶大なインパクトを与えるだろう。私にとって、記者として本当にやりたいと願う仕事はこんな記事だ。 I can't speak to what happened before I arrived, but all of you have done some very good reporting here. Reporting that I believe is going to have an immediate and considerable impact on our readers. For me, this kind of story is why we do this.”


その後スポットライト・チームには、総勢500名もの被害者たちから、250名にのぼる児童虐待神父の告発が寄せられた。チームは1年間に渡ってそれらを調査しつつ、ボストン教区内での聖職者による児童虐待の実態について600本以上の記事を連載した。結局、ペドフィリアかつ性犯罪の常習者であったゲーガン神父のような人物を、転属させることで庇い続け、教会内部における卑劣な犯罪を隠蔽した責任を問われたロウ枢機卿は大司教職を辞任した。ゲーガン神父は逮捕、投獄され、獄中で他の囚人に殺害された。
かつての被害者たちから、教会に対して次々と訴訟が起こされた。2014年時点で、全米のカトリック教会の聖職者6427人が17259人の子供たちに対して性的虐待を行っていたことが明らかになったのだから、当然だ。しかも、このスキャンダルは世界中に広がっていった。カトリック教会が大きな力を持ち、カトリック信者が多い国や地域でも、レイプ被害者からの告発が相次いだのだ。

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世界中からの圧力に屈する形で、2006年、ローマ教皇ベネディクト16世がついに神父による児童虐待の事実を認めた。ボストン・グローブ紙に最初の記事が掲載されてから現在に至るまで、神父による児童レイプ事件は世界中で4000件以上確認され、教会が被害者に支払った賠償金は総額26億ドルを軽く超えた。教会を去った信者も多く、2013年にはベネディクト16世が生前退位した。


本編では声だけの登場だった、元カトリックの神父で心理療法士リチャード・サイプ氏のセリフの中に、こんなものがありました。

「(長年、教義に反するどころか人としての基本的倫理にも反する人間ばかりを見てきた上に、教会組織の隠蔽体質を目の当たりにし、その組織に裏切られ、そこから距離を置いても)尚私は、信仰そのものを捨てたわけではない。教会は単なる組織であって、信仰そのものではない。信仰と教会という組織を別個に考えることが困難なのだ」

この映画は確かに、カトリック教会という世界的組織による大規模な犯罪隠蔽、及び彼らの隠蔽体質そのものを糾弾した作品だとは思います。しかし誤解してはならないのは、キリスト教そのものを否定する映画ではないということです。あなたや私が仏教を信じようがキリスト教を信じようが自由だし、誰も宗教の存在を否定しない。この映画ももちろん否定しません。ただ、悪いことが起こったのなら、それを隠すのに必死になるのではなく、正そうと努力すべきだと、また、悪いことは悪いことだと正々堂々と言えるようになるべきだと訴えているだけ。

この作品をどう解釈しようが、それは映画を見たあなた方の勝手ですが、私自身は、カトリック教会という遠い世界で起こった、自分には無関係の非日常的な出来事のお話しであるとは考えていません。そして、反モラル的であるとか、反キリスト教的であるとか、そのような殊更暴力的な意味を強調する映画だとも全く考えていません。
映画のモチーフこそ、カトリック教会と西洋社会構造の特殊な相関関係、またそれを利用した犯罪という、まあ私たち日本人には馴染みの薄い、かつ非常にショッキングなものではあります。しかし、映画の基本テーマは、組織の隠蔽体質を糾弾する重要性とそれに必要とされる良心と勇気という、大変普遍的なものです。この映画のテーマはまた、組織のみならず、社会そのものの隠蔽体質に慣れ切っている私たち“善き市民”が、無意識のうちに加担してしまっている“悪”―臭いものには蓋をしろ―に対しても、目を開かせることでしょう。少なくとも私は、それに気づく人間でいたいと思います。心から。たとえ、“臭いものには蓋をする”マジョリティ集団に殺されることになってもね。

ダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードが主演した、純粋にジャーナリズムの本来あるべき姿を描いた名作「大統領の陰謀 All the President's Men」(1976年)は、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード Bob Woodward記者とカール・バーンスタイン Carl Bernstein記者の2名がニクソン大統領の再選に関し、ニクソン政権が諜報機関を支配下に置いて、盗聴を含む違法行為を裏で行っていた事実(後にウォーターゲート事件 Watergate scandalと呼ばれる大問題に発展した)を、粘り強い調査報道 Investigative Reportingによって明らかにしたジャーナリストのための映画です。偶然かあるいは運命だったのか、ウッドワード記者とバーンスタイン記者がニクソン大統領の陰謀を暴こうと奔走していた時、彼らの敵であった政府から圧力をかけられても、“報道の自由”(ただし、正しい意味での報道の自由ですよ)を貫けと2人を叱咤激励したのが、当時のワシントン・ポスト紙の編集主幹ベン・ブラッドリー Ben Bradlee氏でした。「スポットライト Spotlight」でスポットライト・チームを支えたボストン・グローブ紙の編集主幹ベン・ブラッドリー・Jr. Ben Bradlee, Jr.氏は、彼のご子息です。お父様の方はアメリカ国家を敵にまわしても屈しませんでしたが、ご子息の場合は、ある意味一国家の陰謀よりもっともっと規模の大きな、世界的陰謀とも言えるカトリック教会全体の犯罪を暴こうとしていたのですから、グローブ紙上でスポットライト・チームの第一報が掲載されるまで、彼が人知れず大きなプレッシャーに苦しんでいたとしても当然ですよね。

「スポットライト」に話を戻しましょう。

「スポットライト 世紀のスクープ Spotlight」も「大統領の陰謀 All the President's Men」と同じく、本来あるべき姿のジャーナリズムを真摯に描いた作品であり、且つ実際に起こった出来事をできる限り忠実に描写しようと腐心した作品でもありますね。そして映画本編のシーンの中でも、かなり重要な意味を持っていたセリフを、“運命の日”を目前にしたスポットライト・チームやベン・ブラッドリー・Jr.の前でマーティ・バロンが発します。上記した“私たちは皆、毎日真っ暗闇の中で手探りで進んでいることを忘れがちだ。しかし、そこへ突然光が差し込んできて初めて、自分たちが間違った道を歩んでいたと知るんだ。… Sometimes it's easy to forget that we spend most of our time stumbling around the dark. Suddenly, a light gets turned on and there's a fair share of blame to go around.... ”という部分ですね。本編の中でも最も印象的なシーンの一つであり、このセリフもまた、ジャーナリズムに限らず、信念をもって何事かに挑戦し続ける全ての人々を激励するような、素晴らしいセリフでした。ところが、映画がお披露目された後、実はこのバロン氏の“演説”は、本人が語ったものではなく、脚本家ジョッシュ・シンガー Josh Singerが創作したものだったことが分かり、この映画を酷評する人々によって、まるで鬼の首でも取ったかのような勢いで批判の対象になっておりましたね。いくつかの有名映画サイトや有名紙の映画評論家の方々の記事を私も読んでみましたが、中には、“事実に忠実に作った映画だという触れ込みなのに、ストーリーに創作した部分があったとは、この映画の製作陣は大嘘つきだ、けしからん”といったような内容の、非常に感情的な意見もみられました。

“事実に即した内容の伝記映画”と“事実をありのままに映したドキュメンタリー映画”との間には、如何ともし難い葛藤というか軋轢が横たわります。昨今ではドキュメンタリー映画の映画市場における重要性は増すばかりで、装飾されたり誇張されたりした“真実のストーリー”に観客が飽き飽きしていることは容易に察せられますね。そのため、“事実に忠実であること”をより重要視する風潮も強まっています。確かにドキュメンタリー映画では、事実を脚色することはご法度ですし、事実に近ければ近いほど良い作品だと評価されます。その評価基準を、“事実に即した内容の伝記映画”にも適用しようとするから、観客の判断が混乱するのではないかと思いますよ。

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伝記映画もまた大流行している今のご時勢ですから、はっきり書いておきますね。伝記映画はドキュメンタリー映画とは全くの別物です。ドキュメンタリー映画は事実に忠実であればあるほど評価が高くなりますが、伝記映画の根っこはあくまでも娯楽映画であり、“ノンフィクションの語り口を借りたフィクション”映画です。映画的話法でストーリーにメリハリをつけたい場合、事実から大きく逸脱しないよう気を付けながらではありますが、一部事実を脚色することもあります。それを批判してしまっては、世界中の全ての伝記映画にダメ出しをしなくてはならなくなります(笑)。今後、事実を脚色することを許すようなけしからん伝記映画は、一切製作禁止にしなくては(笑)。

私もドキュメンタリー映画が大好きですので、ドキュメンタリー映画と伝記映画の間にある差異を常に意識しております。ドキュメンタリー映画はドキュメンタリー映画の基準に則って評価されればよいし、伝記映画は伝記映画の評価基準に従って評価されればいいし、両者は別個のものとして扱われるべきですから。

私は、スポットライト・チームの奮闘とジャーナリズムへの献身を称えたあの演説が、実際にバロン氏の口から発せられたものではないからといって、そのことが今作の評価を下げる理由にはならないと考えています。なぜなら、バロン氏のあの演説は、実はチーム・リーダーたるロビー自身がゲーガン事件への関与を怠っていた(彼自身もカトリック教徒で、教会の犯罪を疑うなど当時は思いつきもしなかった)という事実に対する、この映画の製作陣の見解及び返答であったから。そして、映画を見てきた私たち観客の多くも、もしバロン氏の立場であったなら、同じような言葉をスポットライト・チーム及びロビーに対してかけただろうと予想できるのです。ですから、あのバロン氏のセリフは、例えそれが脚色であったとしても、スポットライト・チームや引いてはジャーナリスト全般が体現する、失敗も含めた上でのジャーナリズムの在り方とそれへの献身を称えるものとして記憶に留められるべきでしょう。

客観的な事実を集め、それらを客観的に分析し、その結果を客観的に世界に伝えることが、ジャーナリズムだと個人的には考えています。まあ、“言うは易し行うは難し”ですけどね。誰でも参加できて、誰でも自分の個人的な意見を好きなように発信できるソーシャル・メディアの浸透により、伝統的な意味でのジャーナリズムが消えつつあることは痛感しています。伝統的な意味での正しいジャーナリズムを生かすためには、真実を受け入れる重要性、嘘と真実を見分ける重要性を、社会を構成する当の私たち自身が理解するのが先決でしょうね。全ては、社会の構成員たる私たち次第。目先の面白さや快楽に負け、流言飛語の類を鵜呑みにして、センセーショナルに世間を煽るやらせスキャンダルに乗っかって暴れるだけなら、今作で描かれるようなジャーナリズムは廃れていく一方でしょう。

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殊更サスペンスを煽ったり、ハラハラドキドキを延長させるような、わざとらしい演出を徹底的に避けたトム・マッカーシー Tom McCarthy監督は偉い(笑)。とにかく、広範囲に渡っておびただしい数の取材をこなし、真実を求めて奔走する複数の記者たちの動きを、一つ一つ丁寧に追いかけ、一枚の布に織りあげていく今作。余計な演出は不要であるのは、複数のジャーナリストたちの群像劇の側面も持つ今作の印象が、散漫にもならず、かといって単調にもならず、緻密な計算に基づいて構成されたエピソードがスピーディーに進んでいくことからも明らか。マッカーシー監督と共に、スポットライト・チームとボストン・グローブ紙の記者たちを、本職のジャーナリスト顔負けの熱心さと執念深さで取材した脚本家ジョッシュ・シンガー Josh Singerの脚本の構成力の勝利です。

また、この作品に余分な装飾は必要ないという信念の下で、事実をできる限りありのままに伝える演出に専念したマッカーシー監督をバックアップした、衣装、セットデザイン、撮影等のスタッフも、物語当時の様子をスクリーン上にリアルに再現することに貢献しました。そのおかげで、作品全体から、前述した「大統領の陰謀 All the President's Men」のような1970年代に量産された良質の社会派サスペンス映画のような、懐かしい質実剛健さが感じられますね。ストイックに、余計な虚飾にまみれず、作品が目指すテーマを目指してひたすら邁進するその作品傾向は、とりもなおさず、この作品が描いた記者たちのジャーナリズムに対する姿勢そのもの。

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そういった姿勢は、劇中で記者たちを演じた俳優たちにも徹底されています。俳優たちはそれぞれ、自分が演じる記者たちを“取材”し、嘘偽りなく等身大の彼らそのものになりきってみせました。その演技の中に、それぞれが自分自身の個性をも光らせるという、地味ながら卓越した芸達者ぶりを見せてくれましたね。一方では、群像劇のアンサンブル演技の調和も乱さないというね。彼らの中では、マイク・レゼンデス記者を本人さながらに熱演したマーク・ラファロ Mark Ruffaloのみがオスカーにノミネートされましたが、他の俳優さんたちの演技も素晴らしかったですよ。

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