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zoom RSS 写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと ...Saul Leiter

<<   作成日時 : 2016/02/11 01:54   >>

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“I must admit that I am not a member of the ugly school. I have a great regard for certain notions of beauty even though to some it is an old fashioned idea. Some photographers think that by taking pictures of human misery, they are addressing a serious problem. I do not think that misery is more profound than happiness.
僕は所謂気難し屋の連中の仲間じゃない。ある写真家にとっては時代遅れだと笑われるだろうが、ある種の美を認識する能力は持っている。写真家の中には、わざわざ世界の果てまで飛んでいき、悲惨な目に遭っている気の毒な人々の写真を撮っては、自分達は社会を揺るがす重大な問題を告発している正義の騎士なのだと考える者もいる。僕自身は、人類の悲劇が日常生活にある小さな幸せより深遠で重要だなんて思わないな”―ソール・ライター Saul Leiter


....ソール・ライターを探して Searching for Saul Leiter.

一口に写真家、フォトグラファーといっても、それはもうピンからキリまで(笑)、実に色んなタイプの人がおりますね。報道写真家と呼ばれ、対象を求めて世界の最果てまで旅する人もいれば、風景ばかり撮っている写真家もいるでしょうし、人物のポートレートに才能を発揮する写真家もいます。先日、なんとも穏やかで静かなドキュメンタリー映画を見て感銘を受けたある写真家、ソウル・ライター Saul Leiterは一体どのようなタイプの写真家だったのでしょう。


“The important thing in life is not what you get, but what you throw out. 人生で大切なのは、何を手に入れるかじゃなく、何を捨てるかなんだ…”

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「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter」(2012年製作、日本公開2015年)
監督:トーマス・リーチ Tomas Leach
製作:マーギット・アーブ Margit Erb&トーマス・リーチ Tomas Leach
撮影:トーマス・リーチ Tomas Leach
編集:ケイト・ベアード Kate Baird&ジョニー・レイナー Johnny Rayner
音楽:マーク・ラストマイアー Mark Rustemier
出演:ソール・ライター Saul Leiter

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ソール・ライター Saul Leiter

生年:1923年12月3日(December 3, 1923)
没年:2013年11月26日(享年89歳) November 26, 2013 (age 89)
出身:アメリカ、ペンシルバニア州ピッツバーグ(Pittsburgh, Pennsylvania, USA)

ソール・ライターは、1923年12月3日、アメリカはペンシルバニア州ピッツバーグにて生を受けた。父親がユダヤ教のラビであったことから、自身も聖職につくべく神学校に進む。ところが、1935年に母親に生まれて初めてカメラを買ってもらい、その虜に。人生設計図を一変させることになる。元々性に合っていなかった神学校を退学し、1946年、もう一つの情熱であった画家を志してニューヨークにやって来た。日本の水俣病の汚染の実態を写真によって世界に告発した写真家ユージン・スミスらと知己を得て、活動の主体を写真に移す。当時はモノクロ写真の方がより価値が高いと信じられていたため、カラー写真の可能性を開拓する写真家は極めて少なかったが、ソールはニューヨークに腰を落ち着けて間もなく、カラー写真を撮り始めている。絵画的な独特の構図や反射、透過といった効果を駆使し、鮮やかな色彩センスを感じさせるユニークな写真は、かなり早い時期から注目を集めた。カラー写真と平行して撮っていたモノクロ写真が、1951年頃からライフ LIFE誌に採用され始める。

1952年には友人と共同で共同ギャラリーを立ち上げ、さらにその翌年には、モノクロ写真の方がニューヨーク近代美術館MoMAと東京・国立近代美術館双方の特別展に選ばれ、作品が展示される。映像も写真もカラーの時代を迎えると、モノクロ写真だけではなくカラー写真への関心も高まり、1957年にはついにカラー写真20点がMoMAに展示されることになった。ソールのユニークで美しいカラー写真は各所で認められ、エスクァイア Esquire誌のヘンリー・ウルフの目に留まった。彼から直々に打診されたファッション写真を撮り始めると、その後は、世界初の女性ファッション誌であるハーパーズ バザー Harper's BAZAAR等、ファッション誌での仕事が多くなっていく。リチャード・アヴェドンやヒロなどと共にファッション・カメラマンとして華々しく活躍し、ニューヨーク5番街にスタジオも構えた。ところが、1981年になって突如スタジオを閉鎖。カメラマンとしても第一線から姿を消してしまった。

以降約10年間、彼は市井の中で静かに暮らし、写真家としての表立った活動はしていない。しかしその間にも、パートナーであるソームズ・バントリー Soames Bantryと共に住んでいたダウンタウン周辺の都市風景や、日常生活の中にあるささやかな美を、時にはモノクロで、また時には目にも鮮やかなカラーで、フレームの中に収め続けていた。彼が再び写真の世界に姿を現したのは1990年代に入ってからだ。後に、彼が溜め込んでいた膨大な作品の管理とその発表、またソール・ライター財団の設立に携わり、彼の晩年の人生を支えることになるマーギット・アーブ女史が働いていたギャラリーに、定期的に通うようになったのだ。

そのハワード・グリーンバーグ・ギャラリーで、1993年に初めて発表されたのは、彼のモノクロ写真であった。90年代はモノクロ写真の大ブーム時期で、どのギャラリーも美術館もモノクロ写真ばかり扱っていたからだ。くだんのアーブ女史が彼と初めて出会ったのは、ギャラリーの受付係のデスク越しだった。季節に関係なくいつもマフラーに顔の半分を埋め、よれっとした帽子を被ったその風変わりな老人は、当時既に70歳を超えていた。彼は、ふらりとギャラリーに現れては、アーブ女史とひとしきり世間話に花を咲かせ、光熱費の高さを嘆いたりしていた。

ギャラリーではじめて発表されたのはモノクロの作品で、彼が撮りためていたカラーの作品はあくまでも個人的なものとされ、門外不出になっていたのだが、ILFORDの助成でこれら未発表のカラー写真のうちの一部が印刷されることになった。1946年から既に始まっていた彼のカラー写真の鮮やかな、しかし知られざる歴史の一端が、やっと他者の目に触れる日が来たのだ。40年代から50年代のニューヨークの情景が、奇跡的な色彩美を保ったまま当時と寸分たがわぬ瑞々しさを湛えて、90年代のニューヨークのギャラリーの一角に甦った。目を留めずにいられない不思議な構図、ピントを合わせている対象の意外性、絵画を思わせる豊富な映像効果。写真の法則から解き放たれたかのような自由な発想から生まれた写真達は、彼がファッション誌で披露していた“カラフルな”写真とは異なる深い余韻を、見る者の心に残した。

アーブ女史は新たな使命を授かった。彼のアパートメントのあらゆる隙間に所狭しと置かれたまま、当の本人にも半ば忘れられていた膨大なネガの発掘と管理、そして、主に彼が40年代から50年代にかけて撮りためていたカラー写真を集めた写真集を出版することだ。これは想像以上に大変な作業になるのだが、知られざる名カメラマン、ソール・ライターの黎明期に撮られ、当時青年だった彼自身の若々しさとパワーをも封じ込めたカラー写真の数々は、多くの人の心を虜にするはずだ。アーブ女史は“ソール・ライターのカラー写真”をアピールするべく、1996年、ハワード・グリーンバーグ・ギャラリーで、初のカラー写真展である“Saul Leiter: In Color”を開催。展示会中は、確かに客にも批評家にも新鮮な驚きと感銘を与えたカラー写真だったが、お祭り騒ぎが終わると、世間の関心は再びモノクロ世界に戻っていった。一時的に作品が売れたり話題になったりしても、その状態が長続きしない。アーブ女史は写真集を出版するため奔走したが、なかなかうまくいかなかった。その間も、ニューヨークの光熱費は相変わらず高く、ソールを悩ませ続けた。

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バブル時代のファッション・カメラマンとしてではなく、カラー写真の先駆者たるカメラマンとしてソール・ライターを再評価する波は、2000年代に入ってから起こった。2005年、ハワード・グリーンバーグ・ギャラリーで再びカラー写真を集めた個展“Early Color”を開催したところ、その翌年、“カラー写真の歴史に残る作品”の噂を聞きつけたドイツの著名な出版社代表、ゲルハルト・シュタイデル Gerhard Steidlがギャラリーを訪れたのだ。こうして、カラー写真史の黎明期を記録したものとして、史的価値も高いソール・ライターのカラー写真集『Saul Leiter: Early Color』が、シュタイデル社から出版される。ソールがアーブ女史と出会ってから、実に11年の年月が経過していた。それからというもの、ニューヨークのロウアー・イーストサイドという名の湖の底でじっと沈黙を続けるが如くのソールの静かな日々は、文字通り激変した。

シュタイデル社はまさに魔法の呪文であった。小さな宝箱のような写真集『Saul Leiter: Early Color』が発売されるやいなや、世界中の美術館やギャラリーから、ソールの詳しいプロフィール、その他の作品に関する問い合わせの連絡が殺到した。世界中から届くファンレターも、ギャラリーの床を埋め尽くす勢いだった。長年、ソールの写真集が世に出ることを願っていた伴侶ソームズは既に亡くなっており、この最晩年を迎えてからの大きな奇跡をソールと一緒に楽しむことは叶わなかったが、2008年、ソールとアーブ女史は、ソームズ憧れの地でもあったパリのアンリ・カルティエ=ブレッソン財団主催の個展の会場に立っていた。

パリでの目くるめく(ついでに目も回る)煌びやかな滞在中に辛うじて見ることが出来たピカソ、モネ、マチスたちの絵画の余韻に浸りつつ、ソールはニューヨークの古巣での日常生活に戻った。野良猫エマを保護し、その凄まじき暴れん坊っぷりに彼女の名前を“レモン(欠陥品)”と改め、絵を描き、カメラ片手に散歩をし、同じ質問ばかり繰り返すジャーナリストたちを追い払い、アーブ女史の仕事を邪魔しにギャラリーに出かけ、友人達と歓談する。

と、そこへ、英国出身のドキュメンタリー映画監督だと名乗る男が訪問してきた。ソールのドキュメンタリーを制作したいのだという。こんな老人の変わり映えのしない日常など映画にして、どこの変人が好き好んで見たいと思うものだろうか。ソールは、他のジャーナリストたちと同様、このファッション・センスゼロの英国男も追っ払う予定だったが、彼は粘り強かった。あちこちに話題が飛んでいくソール特有の気ままなおしゃべりにも辛抱強く付き合い、インタビューを続け、彼の質問をソールがからかってもめげることなく、とにかくソールと会話し続けた。ソールと会話する人たちは皆、彼の豊富な知識と勘の鋭さ、研ぎ澄まされた感性と共に、長年の苦労を経て培われた、ある意味悟りの境地に達した人生観に胸を打たれ、大きな影響を受ける。「写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter」の監督トーマス・リーチ Tomas Leachも、政治や芸術、写真、テレビからコーヒーに至るまでありとあらゆる話題についてソールと共に語り合ううち、気付けば1年半という時間が経過していた。このドキュメンタリー作品は、リーチ監督とソールの間で交わされた会話の延長線上にあるものだ。

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“I don’t have a philosophy. I have a camera. I look into the camera and take pictures. My photographs are the tiniest part of what I see that could be photographed. They are fragments of endless possibilities. 僕には哲学なんてない。ただカメラを持つだけだ。ただカメラのレンズ越しに見たものを撮るだけだ。僕の写真っていうのは、僕が写真にとらえることができたもののごくごく小さな部分でしかない。つまり1枚1枚の写真全てが、無限に広がっていく可能性の1かけらなんだ。”

このドキュメンタリーは基本的に、1年半かけてようやく育まれたソール・ライターとトーマス・リーチ監督の間の信頼関係を基に、ソールが悲喜こもごもだったこれまでの自身の人生を振り返り、淡々と語っていくというものだ。ことさらドラマチックなお話が劇的に演出されるわけでは全くない。映像として見ているぶんには、つまり、90歳近いご老体が口癖のように“疲れたな”と愚痴りながら、もごもごと篭った声で自分の人生に起こった出来事や、それらが彼に与えた教訓などを世間話の延長でしゃべっているだけ。リーチ監督は、放っておいたら無数の話題についてとりとめもなくおしゃべりを続けるソールの話をわかりやすくするため、情報の濁流の中を忙しなく動き続けるストレスにうんざりしている現代人へのアドバイスという形で、彼なりの“スローライフのすすめ”を13か条にまとめ、そのテーマに沿って彼に話をさせた。
しかしながら、なにしろソール本人が華美な装飾や脚色を嫌う性分であるので、80年以降派手なファッション・カメラマンの世界から意識的に距離を置いた理由も、説明しない。おそらく彼のドキュメンタリーを見に来る人というのは、その理由をこそ知りたいものだろうに。また、名声を捨てた代償に彼が支払った犠牲、己に嘘をつかぬ人生を選択したが故に舐めることになった苦労についても、ソールはほんの僅かな言葉でしか明らかにしなかった。

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でも、ソールの話を聞けば、彼が世捨て人のように引き篭もり、経済的には光熱費の支払いを友人達に支えられねばならない程厳しくなっても、エンタメ産業の歯車になってキャリアを目指す生活には、二度と戻らなかった理由は察せられる。

“I leave these speculations to others. It’s quite possible that my work represents a search for beauty in the most prosaic and ordinary places. One doesn’t have to be in some faraway dreamland in order to find beauty. キャリアを構築するために目の色を変えて働き、必死に自己喧伝するような大騒ぎは他の野心的な人たちに任せておくよ、僕の仕事の意義は、大抵単調で面白みもないごくごく普通の情景の中に、美を探すことにある。”

“A window covered with raindrops interests me more than a photograph of a famous person. 雨の日に、窓が雫で覆われている様は、僕にとっては有名人の写真より興味深いものだ。”

ソールは名声から離れたことを全く恥じても後悔もしていない。理由は明らかだ。前述したように、“ソール本人が華美な装飾や脚色を嫌う性分である”から。このドキュメンタリーを見ていてつくづく感じたのだが、こんなにも己の作品を“芸術”などではないと断言するアーティストも珍しい(笑)。要は、元々、モデルやセレブたちの写真を撮ることが、彼にとっての最終目標ではなかったのだ。いわゆるポートレートに才を発揮するカメラマンではなかったのだな。単調さによって徐々に磨耗していく日常生活の中で、ほとんどの人たちに見過ごされているような些細な事象にじっと目を凝らし、ある瞬間にそこに宿る美をカメラで捕まえるのだ。よく見ていないと、次の瞬間には消えてしまうような、淡く、脆く、儚い美を愛しているのだ。

おまけにソールは、アーティストの“哲学”なるものにも興味がないため、自分の写真について解説することすら忌み嫌っている。カラー写真の先駆者と呼ばれるのも面倒だ。“先駆者”であることに固執する理由は彼には全くない。“なぜカメラマンになったのか”“なぜカラー写真を1940年代から撮ろうと思ったのか”“なぜ油絵風の写真を撮るのか”“なぜこのような不思議な構成になっているのか”“この写真にはどんな意味が込められているのか”…等々、ジャーナリストたちが決まってソールに投げかける、この“なぜなぜ”質問を耳にした途端、堪忍袋の緒が切れそうになる。写真を撮るのは、ソールにとってただ単に生活の一部だから撮るだけなのだ。呼吸するのと同じ。食事をするのに哲学的に難解な理由は必要ないだろう。

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毎日の暮らしの中で奇跡的に現れる美の瞬間をカメラでとらえる時、ソール自身は無意識のうちに、キャンバスに向かう画家としての視点で対象に対峙している。彼の写真が“画家の目で撮られた写真”と称される理由がそれだ。確かにある写真などは、パッと見には油絵かと錯覚するほど、絵具の匂いと画家の持つ空間感覚が感じられる。彼は、都市風景の繊細な水彩画や大胆な配色の油絵を、カメラを使って描くのだ。

かつてソールと同時期に、ファッション・カメラマンをしていたある写真家は、後年それを恥じ、ファッションの世界で金を稼いだことに罪の意識を持っていた。その気持ちは分からんでもない。ソール自身も、モデルを使った商業写真をたくさん撮った後、結局それに嫌気が差してやめたからだ。しかし、人は皆光熱費を支払わねばならない。“光熱費を賄うため”という神聖なる使命の下にファッション写真を撮ることは、なにも恥ずかしいことではない。スーパーでレジを打つ行為と同じく、“仕事”の一つなのだ。ファッション誌の仕事でソールを雇った人の中の幾人かは、他の大物カメラマン、例えばリチャード・アヴェドンのような人間を雇いたがっていた。ソールは“No.2であること”に拘ったこともない。仕事だと割り切っていたからだ。才能ある人たちと共に仕事をするときは、ソールも楽しく、力を入れた仕事が出来たし、ボンクラとの仕事の時にはそれなりに仕事をやっつけた(笑)。肝心なのは、自分の仕事についてあまりに根を詰めすぎて、ムキになり過ぎないことなのだ。

冒頭に挙げた、報道カメラマンのスタンスとソール自身のカメラマンとしてのスタンスの違いについての意見もそうだが、報道カメラマンの写真の方が尊くて価値が高く、ソールのカラー写真のようなストリート写真はとるにたらないものだと無意識に判断してしまう私たちのこの感覚こそ、多分に偏見的である。それに、実際のところは、世界の悲劇に対する私たち自身の罪悪感や偽善、無関心をごまかそうとする意識の裏返しだと思う。

写真家マックス・コズロフ Max Kozloffは、ソールの庶民的意識と上昇志向を捨てたスタンスを素人っぽいと非難したこともあったそうだ。だが私は、例えばセバスチャン・サルガドのような一生を報道写真に捧げたカメラマンの写真も大好きだし、ソールのストリート写真ももちろん大好きだ。両者の価値の重さの違いなんて分からないし、おそらく存在しないだろう。どちらも、カメラを向ける対象をつぶさに観察し、そこに浮かび上がる美を真摯に撮るという、シンプル極まりない写真の法則に則っているだけなのだから。そして、そのシャッターを切った瞬間に、たまに写真家自身の人生の一片も紛れ込むことがあるというわけだ。

しかし、彼のよき親友であり伴侶でもあったソームズ・バントリーはどう思っていただろう?長年一緒に暮らしてきたのだから、最晩年の奇跡的ブレイクが訪れるまでの20年間、経済的には楽ではなかったこと、カメラマンとしての野心をソールが捨ててしまったことに対し、彼女が落胆していたのは、ソールにも分かっていたはずだ。インタビュー中、終始穏やかで飄々として、人生全てに達観したかのようなソールの口振りが、ソームズとの夫婦関係について触れた時にのみ、落ち着かず、苦悩の表情を浮かべていたのが印象的だった。ソームズはソールに落胆した面もあったにせよ、ソールが素晴らしい写真家であることは亡くなるまで頑固に信じ続けていた。ソールが自身の生き様について唯一後悔していたことがあったとすれば、それはきっと、絵画はじめ芸術全般、そして猫に対して大きな情熱を持っていたソームズに、自分の身勝手で文無しの生活を何年も強いたことではなかったか。

リーチ監督のインタビューを受ける合間に、ソールは部屋中に散らばった未発表ネガを拾い集めては、時折画面に向かって(私たち観客に向かって)見せてくれる。印刷した写真という形になっていなくとも、そこには、人が確かに生きている息遣いが生々しく、瑞々しく封じ込められており、カラー写真たちに劣らぬ魅力を放っている。細いペン先でひょいひょいと描かれるスケッチや水彩画、油絵。それら、いとしい作品達が無造作に置かれた部屋の中で、スライドを使って壁に映し出す趣向で披露される写真、リーチ監督と散歩した先で撮りたてほやほやの”1枚”をカメラ越しに覗き込む写真、そしてもちろんソールの有名なカラー写真などが、インタビュー映像の随所にひょいひょいと差し挟まれる。まるでそれは、ソールとアーブ女史がネガの発掘を行うかたわら、あれこれと写真の選別をしている光景そのままの混乱っぷりであり、写真撮影の“法則性”から逃れ続けたソール自身の写真の持つ自由さを象徴しているようでもある。

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リーチ監督は、このドキュメンタリー映画を完成させるまでに3年の月日をかけたが、ソール自身は、私たちが劇場で目にした完成バージョンを見ることができなかった。ドイツで行われた、ソールの絵画作品も含めた大規模な個展の後、2013年11月26日に静かに世を去ったからだ。享年89歳だった。

1920年代から30年代のパリに住んでいた芸術家たちのアトリエを思わせる、どこかヨーロッパ的な雰囲気のある、ソールとソームズの古くてどっしりしたアパート。あるじを失ってがらんとした空間にはなったが、ここには、1940年から50年代にかけてソールが撮りためた未発表の“early color”写真たちの大量のネガが眠っている。これまでの個展や写真集で紹介された作品群は、まだまだ“氷山の一角が発掘されたに過ぎない(ソール談)”のだ。それら、未発掘の大量の作品を受け継いだアーブ女史は、ソールの全ての作品を整理し、厳選して2冊目の「Early Color」を出版する夢を抱いている。彼女はいつの日か、それを実現するだろう。ゆっくりとしたスピードではあったが、己のペースで己の人生を己の足で確実に歩んできたソール・ライターの旅に随行した彼女は、今後は、残されたネガを発掘し、世に出すことで彼の旅を引き継いでいくのだ。ソールは亡くなってしまったが、彼の魂と人生が静かに宿っている作品群は、誕生の時を待っている。これから先、新しく発表されるであろう彼の写真たちを見るたびに、きっと私たちは、彼のもごもごした声と、ユーモアと鋭い批評精神に富んだ含蓄たっぷりのおしゃべりを思い出すことだろう。

…そうそう、野良生活をエンジョイ中にソールによって保護された暴れん坊猫レモンは、主人亡き後、同じ建物に住んでいる主人の古い友人が引き取ったそうだ。今も健在で、古巣であるソールとソームズの部屋でまどろむのが日課になっているそうだ。


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