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zoom RSS 「ヴィヴィアン・マイヤーを探して Finding Vivian Maier」

<<   作成日時 : 2016/02/07 18:11   >>

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“発見された孤高の天才”写真家は、無名のナニーだった。
画像

「ヴィヴィアン・マイヤーを探して Finding Vivian Maier」(2013年)
監督・製作:ジョン・マルーフ John Maloof &ジョン・シスケル
撮影・編集:ジョン・マルーフ John Maloof
出演:ジョン・マルーフ John Maloof
ヴィヴィアン・マイヤー Vivian Maier (アーカイブ)他。

シカゴのオークションで偶然発見された謎の天才女性写真家ビビアン・マイヤーに迫り、第87回アカデミー賞の長編ドキュメンタリー賞にノミネートされたアートドキュメンタリー。2007年、シカゴで暮らす青年ジョン・マルーフが、オークションで大量の古い写真のネガを380ドルで落札した。マルーフがその一部をブログで紹介すると世界中から賞賛の声が寄せられ、写真集の売り上げは全米1位を記録。欧米各地で開かれた展覧会も好評を呼んだ。写真を撮影したのは、かつてニューヨークでナニー(乳母)として働いていた女性ビビアン・マイヤー。すでに他界しており、15万点以上もの作品を残しながらも、1枚も公表することなくこの世を去っていた。ナニーである彼女がなぜこれほどまでに素晴らしい写真を撮影できたのか、そしてなぜ作品を誰にも見せなかったのか、彼女の作品の発見者であるマルーフ本人が監督を務め、関係者へのインタビューなどを通してその人物像を明らかにしていく。
映画.comの解説より抜粋

初っ端からこんなことを書くのも本当に申し訳ないのだが、嫌われるのを覚悟の上で書く。

“自作自演映画”っていうのは、全ての要素が上手く噛み合って機能すれば、映画の方程式ルールによる束縛から解き放たれ、大変エキサイティングで興味深く、また面白いものに仕上がる。が、しかしそれは、成功率の低い賭けでもある。どこか一箇所でもミスを犯せば、全ての歯車が狂って観客に不愉快で苦々しい感慨を残してしまう危険性を孕むからだ。

実は私は、若く情熱的で野心にも満ちているだろうジョン・マルーフ君が、八面六臂の大車輪で活躍したこの力作を、ちょっと残念な自作自演映画だと受け取ってしまった。ごめんよ、マルーフ君。勿論このドキュメンタリーには、成功した美しい部分もたくさんある。特に、全くの無名の人間だったヴィヴィアンの生き様を順番に、粘り強く明らかにしていったマルーフ君の努力と根性には最大限の感謝と拍手を贈りたい。彼がヴィヴィアンの生涯を追ってくれたお陰で、今私たちは彼女が残した膨大な数の作品を愛でることができるのだから。そしてこの映画の中でも、彼女自身のポートレートをはじめ、彼女と被写体との交感の瞬間を捉えた素晴らしいポートレート写真、日常生活の中で私たちが目にする特別でもなんでもない光景の中に眠る、“特別な一瞬”を抜き出した奇跡的に美しい写真など、巨大な才能を感じさせる作品の数々が披露されている。

また、無数の数のネガ、フィルム、写真、音声を録音したカセットテープ、生涯に一度だけ外国を旅した際に現像を頼んだ注文書、あるいは新聞の切り抜き、レシートの類、細々とした雑貨に至るまで全て、彼女が一生の間に使った、他の人間なら即座にゴミ箱に放り捨ててしまうようなものまでが、財産として保管されていたことにも驚いた。この凄まじい量の雑多な品々全てが、“ヴィヴィアン・マイヤー”という女性を形作った生涯そのものなのだ。これらを分別し、一つ一つ見直すだけでも気が遠くなる作業だろう。マルーフ君の根気とヴィヴィアンの芸術への献身には、本当に頭が下がる思いだ。

しかし。

このドキュメンタリー映画の最も大きなテーマであるところの、“ヴィヴィアン・マイヤーが何故こんなにも素晴らしい写真を撮ることができたのか?マイヤーはいつ、どのようにしてカメラと出会い、何故写真を撮る道を選んだのか?”等の問いかけには、必ずしも上手く解答できていない部分がある。つまりそれは、写真家としてのヴィヴィアン・マイヤーを解析する作業なのだが、それが不完全であるために、写真家としての彼女の肖像画は上手く描けていないのだ。まあ尤も、当人は既に亡くなっていたのだし、彼女に関する確たる記録も何も残っていないのだから、“答えようがない”というのが、正直なところであろうがね。

嫌がられついでにもう一つ書くと、若きマルーフ君に対し、“功を焦った”という嫌な印象を受けたのは、ヴィヴィアン・マイヤーの謎の人生を追いかけるうちに、上記した肝心の命題が傍に追いやられ、彼女が生涯の中で良い人間だったのか、それとも悪い人間だったのかをジャッジする論調に移行し、最後は、“彼女は虐げられた人生を歩んで自滅した、哀れな女だったのだ”と暗に強調し(実際、その通りではあろうが)、“だからこそ、気の毒な彼女のためにも、彼女の生きた証である素晴らしい写真をもっとメジャーにして、美術界のお偉方にも認めさせるのだー!!”と鼻息も荒く結論付けちゃった点かな。

その気持ちは良く分かるよ。でもまあ、ちょっと待て、ちょっと待て、結論を急ぐな若人よ。

ヴィヴィアン・マイヤーを発見し、真っ先に彼女の才能の虜になったであろうマルーフ君はきっと、彼女の才能と実像との間のギャップにかなりガッカリしたんだろうなあと推測する。多分ね。だから、彼女に関して分かっていることを集めた時点で、それら事実の検証もきちんとせず、独断で見切り発車してこのドキュメンタリー映画を作ったのではないかなあ。…映画を作れば、世界中の人々が彼女の作品を見ることになる。そして、美術界に彼女の才能を本物だと認めさせる圧力にもなる。彼女が本物のアーティストだったと証明できれば、社会の最下層から脱出できず、極貧のうちに亡くなった彼女が唯一残した遺産から得た金を、縁もゆかりもない自分(マルーフ君)が手にしている罪悪感も減るだろう。…

彼が実際にそんなことまで計算してこのドキュメンタリー映画を作ったかどうかは分からないが、初見でも二度目の鑑賞でも、見終わった後の私の感想は、砂を噛むが如くの苦々しいものだった。これは残念だ。つまり、社会の底辺で生きるが故に誰にも顧みられないような、どんなにちっぽけな人間であっても、その人1人分の生涯を語るには、当人と面識すらない赤の他人の若者1人だけからの一人称的視点では、不可能だということだ。今も健在で、その生涯も仕事振りもよくよく知られた著名な報道写真家セバスチャン・サルガド Sebastiao Salgado氏のドキュメンタリーですら、有能な実子(ドキュメンタリー映画の監督を担当した長男ジュリアーノ・リベイロ・サルガド Juliano Ribeiro Salgado)だけの視点では対象の生き様をカバーすることができず、映画に“客観性”をもたらす他者の視座(ヴィム・ヴェンダース Wim Wenders監督)を必要としたぐらいなのだ。ましてや、異色の天才写真家とはいえ、人知れず生きて死んだ一般人の生き様と人となりを解説するなら、マルーフ君だけではなく、客観的な立場に立つ視点が複数必要になるのではないかな。

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…とはいえ、たとえ理解者にも恵まれず、孤独で不遇の生涯を送ったとしても、ヴィヴィアン・マイヤーの才能には、いささかの翳りも曇りもないのだ。“美術界のお偉方”なる人々が彼女を認めようが認めまいが、この際そんな些細なことはどうでもいい。マルーフ青年の奮闘によって、彼女の残した写真が広く知られるようになった。その事実だけで私は充分だと思う。願わくば、今しばらく時間が経ってから、写真家としての彼女にフォーカスした、彼女の芸術を深く解析するような、そんなドキュメンタリー映画ができれば嬉しいと思っている。


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