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zoom RSS 「ラブ&マーシー 終わらないメロディー Love & Mercy」

<<   作成日時 : 2016/07/08 18:08   >>

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世界には愛と慈悲が必要だ... Love and mercy, that's what you need tonight. So love and mercy to you and your friends tonight.

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「ラブ&マーシー 終わらないメロディー Love & Mercy」(2015年)
監督:ビル・ポーラッド Bill Pohlad
脚本:オーレン・ムーヴァーマン、マイケル・アラン・ラーナー
製作:ビル・ポーラッド、ジョン・ウェルズ他。
撮影:ロバート・イェーマン ASC
美術:キース・カニンガム
編集:ディノ・ヨンサーテル SFK
音楽:アッティカス・ロス
衣装:ダニー・グリッカー
出演:ジョン・キューザック John Cusack(80年代のブライアン・ウィルソン)
ポール・ダノ Paul Dano(60年代のブライアン・ウィルソン)
エリザベス・バンクス Elizabeth Banks(メリンダ・レッドベター)
ポール・ジアマッティ Paul Giamatti(ユージン・ランディ)他。

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ブライアン・ウィルソンはまだティーンの頃に、弟のデニスとカール、従兄弟のマイク・ラヴ、そして高校の同級生だったアル・ジャーディンと共にバンドを結成した。そのザ・ペンデルトーンズは、カリフォルニアのビーチ近くで育った男の子らしい、サーフィンと甘酸っぱい恋を主題とした元気いっぱいのポップ・ロックを、元気いっぱいのバンド・サウンドと爽やかなコーラスで演奏。英国のビートルズ同様に、明確ですぐに口ずさめる印象的なメロディで、たちまちレコード会社と契約を結び、1962年にリリースしたデビュー・アルバム“サーフィン・サファリ”がロングラン・ヒットを記録した。テレビ出演にコンサートに…と過密スケジュールが続く中、あっという間にスターダムにのし上がったバンドの勢いは衰えず、翌年1963年には“サーフィン・U.S.A”、“サーファー・ガール”と立て続けに2枚のアルバムをリリース。いずれも大ヒットした。迷いも悩みもなかったブライアンの頭の中では絶えず、形を成さないメロディが流れていたが、そいつを捕まえるだけで楽曲が完成し、どれもがヒットチャートに躍り出る格好だった。

しかし、ヒットが出始めると、次のシングル、次のアルバムにかけられる期待も、ヒットさせなければならないというプレッシャーも倍増してゆく。1964年、ブライアンはザ・ハニーズのマリリン・ローヴェルと結婚したが、諸々の精神的プレッシャーと厳しいスケジュールによる疲労により、ツアーで移動中の飛行機の中でパニック発作に襲われてしまう。これをきっかけに、今後、バンドのツアー活動には一切参加せず、スタジオ内で曲作りに専念したいと兄弟たちに宣言した。この時期、ほぼ同じ頃にポップ・ミュージック・シーンに登場し、華々しくヒットを飛ばしてアイドルになった英国のバンド、ビートルズが「ラバー・ソウル」という画期的なロック・アルバムを世に問うた。彼らはこのアルバムでアイドルからの脱皮を図り、見事“アーティスト”への転身に成功してもいた。ビートルズのこの成功に大いに刺激され、またライバル心を燃やしたブライアンは、自分達も彼らに負けないような、誰も聴いたことがないような凄い曲を作ると意気込んだ。

他のメンバーが日本でコンサートを行っていた間、ブライアンはアメリカ屈指のスタジオ・ミュージシャンを集め、レコーディングを開始した。ロック、ポップスといったジャンルの壁を越えて優秀な人材が集められたスタジオでは、ブライアンが、楽器の使い方にも従来では考えられなかった素っ頓狂なアイデアを指示し、ミュージシャン達を戸惑わせた。これまで父親でもあるマネージャーに妨害されてできなかったことを全て盛り込みたい。ブライアンの意欲は、彼の頭の中で溢れ出そうになっていたアイデアに後押しされ、歯止めがきかない状態になった。だが、バラバラの破片だった音のパーツが組み立てられ、アレンジされ、正しい形に構築されていくと、その素晴らしさに誰もが驚嘆した。音楽作りに関しては殊の他、誰の助けも得られなかったブライアンは、孤軍奮闘する苦しさをマリファナや他のドラッグで紛らわせていたが、「ペット・サウンズ」の土台を完成させた瞬間も独りで幸せを噛み締めた。

ところが、ツアー先から戻ってきたバンドメンバーは、これまでのビーチ・ボーイズのイメージを一転させる音楽性の変化に戸惑いを見せる。覚えやすいメロディー、美しいハーモニー、ノリノリのビート、ビーチやサーフィンやガールフレンドといった他愛もない青春の歌を歌ってスターになった彼らにとって、孤独や愛に破れた男、死についての重苦しい歌など歌えたものではなかったからだ。バンドメンバーの歌入れをする際にも、スタジオ・ミュージシャンの演奏に尚も執拗に指示を出すブライアンのせいで、レコーディングは遅々として進まない。ついに苛立ったマイクは、ブライアンに面と向かって反旗を翻し、これはビーチ・ボーイズのサウンドではないと言い切った。さらには、親子仲が険悪で、横暴な振る舞いによってバンドのマネージャーを解雇された父親が、デビュー当時のビーチ・ボーイズそっくりのコピーバンドを売り出そうと画策。様々なトラブルをねじ伏せ、ブライアンはとうとう「ペット・サウンズ」を思い通りに完成させる。

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しかし、当時としてはあまりに斬新過ぎた「ペット・サウンズ」は、批評家やオーディエンスの理解を得ることが出来ず、セールスは奮わなかった。ビートルズのメンバーは素晴らしいアルバムだと賛辞を贈ってくれたが、それはセールスには影響しない。“アーティスト”への転身の失敗、努力が報われないことに絶望するブライアンを、マイクは、自分達本来の音楽を取り戻そうと説得。こうして、ブライアンが無心の境地で作った“グッド・バイブレーション”は、デビューの頃のバンドを思い起こさせるリズミカルで、ドライブ感覚満載のご機嫌なナンバーとなり、再度大ヒットを記録する。だがこの頃、アーティストでありたい自分自身と、世間が自分に求めるものの乖離に引き裂かれたブライアンの精神は深刻な状態に陥っており、薬物依存に拍車がかかった。

薬物による幻覚と妄想に翻弄される中、バンドと所属レコード会社キャピトルとの間に裁判が起こり、次のアルバムとして制作が始まった「スマイル」も、新曲もレコーディングもできない状況で徒に時間が過ぎてゆき、制作は頓挫。いつしかビーチ・ボーイズの音楽は時代遅れとみなされるようになってしまった。ブライアンの父親は、ブライアンが苦労して生み出した楽曲に関する権利を、ブライアンの許可なく二束三文の値段で他のレコード会社に売り飛ばした。“もうお前達の時代は終わったからな”…これで、ビーチ・ボーイズというバンドも事実上バラバラになった。そして、ブライアンの“時間”もそこでストップする。

電池の切れた人形のようにただただベッドに横たわって一日をやり過ごすだけ、たまに目を覚ましたかと思えば、ハンバーガーなどジャンクフードをむさぼるように食う生活が続く。ツアーに出なくなってから太り始めていたブライアンの体重は120キロを超え、彼はますます寝室の中に閉じこもるようになった。1973年に、愛憎相半ばする実父マリーが亡くなったことと、ベスト盤が大ヒットしても結局ビーチ・ボーイズが完全に“懐メロバンド”扱いになっている現実は、ブライアンをドラッグの酩酊から覚醒させることはできなかった。1975年、ついに万策尽きた妻マリリンは、悪名高き精神科医ユージン・ランディを雇う。
この男がブライアンの生活の全てを細かく管理し始めてから、確かにブライアンは立ち上がって部屋の外に出られるまでには回復した。ところが、ユージンは飴と鞭を使い分けてブライアンを“再教育”し、ユージンの管理なしでは生きていけぬよう、半ば洗脳してしまう。常に不安を抱いているブライアンは、強引で高圧的なユージンの支配にたやすく絡めとられ、外出する際にもユージンと彼のスタッフがくっついて監視の目を光らせる異様な状況にも疑問を抱かない。1979年、ブライアンはビーチ・ボーイズの一員としてはじめて日本での公演を行ったが、ブライアンは妻マリリンと離婚することになった。

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時代は1980年代に入り、60年代の喧騒は人々の記憶から消え去り、ブライアンの音楽もミュージック・シーンから消えた。1982年にビーチ・ボーイズの活動は休止され、ブライアンはユージンのチームによる“治療”という名の下に一日24時間ずっと軟禁状態となる。離婚した妻や子供達と会うことすら禁じられた。今やユージンの方もブライアンの人生に完全に寄生し、彼の音楽が生み出すカネを残らず吸い取ろうと必死なのだ。1983年、弟のデニスがビーチで溺死するという皮肉な死をとげた頃、ブライアンはその喪失から立ち直れぬまま車を買うため販売店に立ち寄った。その販売店でセールス・ウーマンとして働いていたのが、その後のブライアンの運命を大きく変えることになる女性、メリンダ・レッドベターである。

メリンダはまだ若く、ビーチ・ボーイズの音楽は子供の頃に聴いた覚えがある程度だった。だから、そのバンドの中心人物であったブライアン・ウィルソンその人が顧客として目の前に現れても、まるで気が付かなかったのだ。メリンダは、高級車を買いに来る風変わりな顧客は扱い慣れているが、車に試乗したブライアンの落ち着きのなさ、実弟が溺死した話を唐突に始めたり、子供の頃の話を屈託なく初対面のメリンダに語る幼子のような様子、また、そんなブライアンの一挙手一投足を鋭く監視する付き人達―ユージンと彼の腰巾着―の異様さに面食らう。しかし、とまどうメリンダにブライアンは連絡先を書いたメモを手渡した。“寂しい、怖い、脅えてる。”という走り書きを添えて。

数日後、ブライアンは監視団であるユージン一行を引き連れながらではあったが、メリンダをデートに誘い出した。ブライアンは、子供の頃にはじめて聴いたコンサートで天啓を受け、兄弟たちと従兄弟を誘ってプロのミュージシャンになる決意を固めたこと、その後実父と金銭の絡んだ泥沼の軋轢があったこと、故郷の料理の話など、すべてを隠さずメリンダに話した。デートを重ね、何度もブライアンと話し合ううちに、彼の素顔、無垢な正直さに心打たれるようになるメリンダ。

しかし、ブライアンと心を通い合わせるようになればなるほど、彼の置かれた状況の異常さに疑問を抱かずにはいられなくなる。ブライアンの家政婦は、ユージンが強烈な副作用を伴う薬を必要以上にブライアンに投与し、彼を薬物漬けにしているとメリンダに訴えてきた。ユージンは24時間ブライアンにへばりついて法外な治療費を搾り取っているばかりか、後見人のように振舞い始めた。しかも、ブライアンが些細なことでも自分の命令に従わなければ、ユージンはメリンダの目の前でも気が狂ったようにブライアンを怒鳴り、暴力まで振るう。ユージンがメリンダの存在を警戒しているのは明白で、探偵を雇って彼女の過去までも調べ上げていた。そして、統合失調症だったブライアンがここまで立ち直ったのは自分の適切な治療のおかげだと豪語し、ブライアンとのデートを許可する代わりに、どこで何をしたか詳細を逐一報告するよう強要する。

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ユージンの支配から抜け出して自分の足で踏み出せるよう、メリンダはブライアンを励ます。しかし、ユージンによって大量の薬物を投与されていたブライアンの頭は混乱していた。ドラッグ中毒のさなかにあった60年代と同じだ。また、ブライアンがワーナーとソロ契約を結ぶと、ユージンはブライアンに“売れ線の”新曲を書くよう脅迫。これもまた、亡き父マリー・ウィルソンがブライアンに“ビーチ・ボーイズの”音楽を強要していた60年代と変わらない。真夜中のスタジオで憔悴しきったブライアンの姿を見たとき、メリンダは彼をユージンから引き離さねばならないと決意した。だが、1988年にブライアンがようよう初ソロ・アルバム「ブライアン・ウィルソン」をリリースした後に、ユージンの介入でメリンダはブライアンから遠ざけられてしまう。

ブライアンと会うことは叶わなくなったが、メリンダは家政婦の協力を得て、ブライアンのカネにたかろうとするユージンの目論見を示す証拠を探す。その傍ら、ブライアンの弟カールに助力を求めた。時間はかかったが、ユージンを裁判所に引っ張り出すに足る証拠が集まり、カールがブライアンの後見人となって1992年、ユージンに対して医師免許の剥奪と、ブライアンへの接近禁止令が申し渡された。メリンダは、ユージンと同類だとみなされるのが嫌で自らブライアンから距離を置き、車のセールスをする生活に戻る。

ブライアンはユージンの抑圧から解放され、はじめて1人で自分自身と向き合った。音楽に魅せられ、それ故に苦悩を抱え続けた少年時代から現在までの自分の真の姿と向き合った。今の自分と切り離され、糸の切れた凧のように過去の記憶の中をさ迷っていた、過去の自分自身を見つけ、それを一人一人自分の心の中に戻してやるのだ。バラバラになったパズルのピースのようにあちこちに散らばってしまった自分自身をかき集める作業は、他ならぬ自分自身にしかできないことだから。
その作業が終わった時、ブライアンははじめて自分の足で立ち上がり、寝たきりの生活を続けていた部屋から、閉じこもっていた自分の殻から外へ足を踏み出すことができた。何もかも生まれてはじめて見る景色のように感じる。自分の目で見る外の世界はこんなにも美しかったのか。だが今のブライアンは、もっと美しいものを探しに行かねばならなかった。自分自身を取り戻した時と同じように、それを永遠に失う前に探しに行かなくては。ブライアンの足は、メリンダを探すために駆け出していた。

'Love and Mercy' - Brian Wilson
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本編が終了し、エンドロールが流れる中、髪に白いものが混じって目尻にもしわが増えた現在のブライアンが、この美しいナンバーを歌う映像が流れます。実は、このナンバーが収められた初のソロ・アルバム「ブライアン・ウィルソン Brian Wilson」リリース当時の彼が、同じナンバーを歌う映像が残っており、比較してみると彼の表情が全く違うことに驚かされますね。
本編でも描かれていた通り、この時期はまだユージンの管理下に置かれていたため、ステージで歌っているブライアン自身の表情も険しく、身体は確かにスリムにはなっていましたが、暗く、近寄りがたい印象でした。しかし、この映画の本編最後に登場するブライアンは、ほんわかと穏やかそのものの佇まい。幾多の障害を乗り越え、10年余りかかってようやく妻となったメリンダをはじめ、家族や親しい友人たちからの支えが彼の魂に平穏をもたらしていることがよく覗えます。名声や孤独、ドラッグ、鬱に苦しむ以前の彼はきっとこんな感じの人だったんだろうなと思わせる表情でしたね。

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結局この作品は、ブライアン・ウィルソンという1人のミュージシャンの個人史にスポットライトを当てたものなのです。あえてジャンル分けするなら、やはり“伝記映画 biopic”ということになるのでしょうが、偉大な足跡を歴史に残したアーティストとして、その数多いエピソードを時系列順に並べて要所要所に音楽を流しただけのものにはなっていません。今作の最も特異な点は、ブライアン・ウィルソンの個人史の中でターニング・ポイントとなる2つの異なる時代―ビーチ・ボーイズで一世を風靡した1960年代と、精神崩壊から立ち直ろうと苦闘していた1980年代―を、なんと2人の異なる俳優に演じ分けさせたこと。それぞれの時代に生きるブライアンを同時に見せられる観客の視覚的混乱を誘うのを承知で、です。ポーラッド監督は、ブライアンの精神の中でこの2つの時代の時間が錯綜し、衝突し、混乱し、しかし時間をかけてようやくそれらが1つに溶け合っていった様子を、2人の俳優の個性の違いを借りてビジュアル化しているのです。
映画で個人の一生を描く際には、大抵1人の俳優がメークの力も借りてほぼ全ての時間軸を演じるものですが、“ラブ&マーシー Love & Mercy”はそのセオリーを無視し、ブライアン・ウィルソンという類稀なる人物の中にバラバラに存在する、性質を異とする要素を、2人の俳優があえて少しづつカラーを変えた演技で表現していたと思います。

結局そうすることで、彼の中の、多くの人々と共有され得る普遍的側面が際立つことになりました。大きなプレッシャーに押し潰されて人生を狂わせていったり、人を疑いたくないあまり、出会う人の善い面を頑なに信じようとするのは、私たちの中にも大なり小なり覚えのある経験です。巨大な才能を持ち、数多のミュージシャン達に計り知れない影響を与えたアーティストとしてのブライアンの苦悩に対しては、私達には遠くから見守ることしかできませんが、欠点だらけの1人の人間としてのブライアンの姿は、私達にも容易に共鳴できるもの。そこを起点として、ブライアンの人間的側面を媒介として、音楽家としての彼の偉業に初めて触れる観客もいたのではないかと思われます。

ウィルソンを演じた2人の俳優―ポール・ダノ Paul Danoとジョン・キューザック John Cusack―は、双方共にそれぞれの個性を生かした“ブライアンらしさ”を表現していて、それを同じスクリーン上で比較できるのも大変興味深かった。2人ともやはり異なる個性の持ち主だけに、当たり前っちゃ当たり前ですが、ポール・ダノのブライアン像とジョン・キューザックのブライアン像は、実は重ならない部分が結構あるのですよね。意図して似せている部分もありますが。その、“2人があえて演技を似せている部分”と、“それぞれの個性を押し出したブライアン像を自由に演じている部分”のバランスが良いため、2人の俳優で1人の人物をポートレートする違和感は最小限に抑えられておりました。
キューザックのブライアンを見ていて懐かしく思い出したのは、若かりし頃の彼自身の青春映画の佳作「シュア・シング The Sure Thing」(1985年)や「セイ・エニシング Say Anything...」(1989年)など。心優しく繊細で、人柄は良いのに押しが弱くて要領も悪く、結局貧乏くじを引いちゃうダメダメなボク。若い頃のキューザックはそんな青年像を等身大のままナチュラルに演じていたのですが、その頃の彼が持っていた“ダメダメ感”が復活したような印象を受けましたね(笑)。ブライアンという人は、まあ冷静に考えると、天真爛漫といえば聞こえは良いが、世間知らずで子供のまんまの精神は不安定、傷つきやすくて、実生活の多くの場面で他者のサポートを必要とする人。そんな男性を、女性の観客の母性本能を味方につけるべく演じるのは、大変難しゅうございます。キューザックは、彼自身の伝家の宝刀であるところの、過去に青春映画で演じたキャラクターの封印を解いたのでありましょうかね(笑)。おかげさまで私たちは、キューザック演じる愛すべきブライアン像から、心に大きなダメージを負っている人間の心模様と、そんな人間と対峙する人々の人間模様を学ぶわけですな。

では、自分を保護してくれる大きな力を必要としていたブライアンと、真正面から向き合い、ユージンらと戦った勇気ある女性はどのような人だったのでしょうか。80年代から90年代にかけて、ブライアンの人生を大きく変える原動力となったメリンダ・レッドベターの本編での描写は素晴らしかったと思います。現実のブライアンとメリンダの関係でも、ブライアンの方が年上だけど、精神的にはメリンダが大きな母性愛でブライアンを包んでいる状態。ブライアンに出会ってその純粋な人柄に惹かれていった頃も、勿論現在も、メリンダのブライアンへの真摯な愛情には迷いがないであろうことが充分に伝わってきました。しかし、そんな、心優しくも毅然とした人間像の隙間からは、恋人に手酷い仕打ちを受けて人生設計を立て直す必要に迫られるほどデリケートな一面が垣間見えるのですね。ブライアン・ウィルソンという、女性がその人生を支えるには相応の覚悟が必要なパートナーと運命的に出会ってしまって逡巡する繊細な一面と、自分自身のことはさておき、先ずはブライアンを守るために踏ん張る強さの双方を、エリザベス・バンクスが本当に魅力的に見せてくれました。そうですね、メリンダのファッション等をみると、懐かしき80年代を私も思い出しましたが(笑)、一見すると派手なイメージのある彼女の、立場をわきまえた控えめな佇まいには、強い印象を受けましたね。そんなメリンダを嫌味なく軽やかに演じたエリザベスも、映画賞の助演女優賞部門で時折候補に上がっているのを見かけます。メリンダのキャラクターの描き込みがしっかり為されていたことと、エリザベス自身の持つ親しみやすさが上手く作用した結果でしょう。

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さてさて。この作品の中の俳優にとって、恐らく最も困難な仕事となったのは、ブライアンが文字通り最も混乱していた60年代の彼を、ブライアンとしての演奏とボーカルも自身でこなしたポール・ダノのパートではないでしょうか。しかし、「プリズナーズ Prisoners」(ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督)での演技を見ても明らかなように、正常な精神のレールを一度踏み外してしまった人間を演じさせたら、彼はどんなに小さな役でも強烈に輝くタイプの俳優さんです。流石に、60年代のブライアンのイメージを体現したポールは、キレの良い演技巧者っぷりを存分に発揮していて凄かった。愛嬌のある人の良い、愛すべきブライアンの顔と、音楽のアートのためなら如何なる妥協も許さぬ狂気一歩手前のアーティストの顔、その後、ブライアンの人生を双極に引き裂く双方の側面を、恐ろしいぐらいの正確なタイミングで演じ分けていました。いくつかの映画賞で、彼が“助演男優賞 Best Supporting Actor”部門でノミネートされていたのを見かけた記憶がありますが、彼にはぜひとも、“主演男優賞 Best Leading Actor”の枠内でノミネートされて欲しいし、可能ならばオスカーにもノミネートされて欲しい。

今にして思うと、私がこの作品から受け取っていた心地よさというのは、これが監督としての処女作となる名プロデューサー、ビル・ポーラッド Bill Pohlad(「ブロークバック・マウンテン Brokeback Mountain」「イントゥ・ザ・ワイルド Into the Wild」「それでも夜は明ける 12 Years A Slave」等をプロデュース)の演出のバランス感覚の良さに起因していました。例えその題材が、長年統合失調症に苦しんだ人間の記録という痛ましいものであってもね。
60年代のシーン全体をざらついたセピア色の映像でまとめ、クリアで原色に近い色彩が踊る80年代の映像と明確に使い分け、2つの年代の違いを分かりやすく提示。また、2つの時代の時間軸を自由自在に行き来しても、時にはビーチ・ボーイズの有名な楽曲をきっかけとして使用しながら、迷いなく鮮やかな編集を施して観客を導いていくストーリーテリングの上手さ。時間の感覚の混濁しているブライアンの精神が、過去と現在の中を彷徨う様子が、その彼の意識の流れのままに映像になっていても、私自身は見ていて戸惑うことはありませんでしたしね。

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もう一つ、ポーラッド Pohlad監督のバランス感覚の良さを痛感したのが、ビーチ・ボーイズの楽曲の使い方です。基本的に本編はブライアン・ウィルソンの“個人史”を紐解く内容ですが、ブライアンの音楽史の中で最も有名な部分はやっぱりビーチ・ボーイズであるわけで、必然的に本編の中にバンドの有名なヒット曲が流れることになります。ブライアンの内面世界を旅するドラマ部分と、ドラマの中の何気ないアクションをきっかけとしてスクリーンいっぱいに弾けるビーチ・ボーイズのヒット・ソングの配分が、これまた絶妙なんですわ。音楽がストーリーの起爆剤となり、躍動感を与え、しかし、ドラマ部分を侵食はしない。ビーチ・ボーイズのファンだという観客も、ブライアン・ウィルソンの“その後の”個人史に興味がある観客も、両者ともにおそらく満足のいく仕上がりだったと思いますよ。

ビーチ・ボーイズの楽曲をブライアンのドラマと巧みに融合させたのはポーラッド監督ですが、彼を支えて映画全体のスコアを担当したのは、英国出身の作曲家アッティカス・ロス Atticus Rossです。トレント・レズナーと共同でデヴィッド・フィンチャー監督の「ソーシャル・ネットワーク The Social Network」や「ゴーン・ガール Gone Girl」などのスコアを手がけたことで有名になり、今作は単独での作曲作品となりました。この人もまた、バランス感覚に恵まれたアーティストで、今作では、ビーチ・ボーイズのオリジナル楽曲と自身の手になるスコアとのバランスが調度いい按配でミックスされていましたね。
今作は、ブライアン・ウィルソン自身が直々に“公認”の太鼓判を押した伝記映画となりましたので、ビーチ・ボーイズの有名な楽曲がふんだんに画面に流れます。ラスト、ようやく自分の足で第一歩を踏み出したブライアンが、街の中でメリンダを見つけ、子供の頃の思い出とも決別するシーンで背後に流れる“素敵じゃないか Wouldn't It Be Nice”(1966年のビーチ・ボーイズのアルバム「ペット・サウンズ Pet Sounds」収録)の相乗効果が素晴らしい。この楽曲自体は、“一緒に暮らして一緒に年をとっていくなんて素敵じゃないか”と歌う直球ど真ん中の60年代らしいラブ・ソングであり、ブライアンがメリンダと出会う20年も前に作られたものですが、その後、紆余曲折を経たブライアンとメリンダの関係を思うと、感慨深いものがありますよね。何だか、まるでブライアンが未来のパートナーに向けて作った曲のよう。ポーラッド監督も同じことを考えたのでしょう。

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…バンドの実質上のリーダーであったカール・ウィルソンが、肺癌で1998年2月に死去すると、ビーチ・ボーイズ再結成に向けて緩やかに動いていた流れが止まってしまった。しかし、その後も元メンバー間での訴訟問題や歩み寄りが繰り返され、2011年には残ったオリジナル・メンバーによるスタジオ・アルバム「スマイル・セッションズ The SMiLE Sessions」、2012年には「ゴッド・メイド・ザ・ラジオ 神の創りしラジオ That's Why God Made The Radio」がリリースされ、ビーチ・ボーイズ結成50周年を記念するリユニオン・ワールド・ツアーも行われた。ブライアン個人の活動としては、1967年にビーチ・ボーイズ名義でリリースされるはずであったアルバム「スマイル SMiLE」を2004年に、ヴァン・ダイク・パークスやワンダーミンツらの協力のもと、ブライアンのソロ名義の作品として37年ぶりに完成させた。その後は、コンセプト・アルバムやカバー・アルバムといった企画ものの制作を経て、2015年に7年ぶりの新作スタジオ・アルバム「ノー・ピア・プレッシャー No Pier Pressure」をリリース。ビル・ポーラッド監督による自身の伝記映画「ラブ&マーシー 終わらないメロディー Love & Mercy」のプレミアにも参加した。

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