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zoom RSS 真実は白日の下へ―「羅生門 Rashomon」(Dir. Akira Kurosawa)

<<   作成日時 : 2015/10/10 18:07   >>

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“お前さんだって、死人の身体から刀を盗んだじゃねぇか。放っておきゃ直に死んじまう捨て子のべべを俺が持っていくことと、どこがどう違うってんだ?”

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「羅生門 Rashomon」(1950年)
監督:黒澤明
脚本:黒澤明&橋本忍
製作:箕浦甚吾
音楽:早坂文雄
撮影:宮川一夫
編集:西田重雄
製作会社:大映京都撮影所
出演:三船敏郎(多襄丸)
森雅之(金沢武弘)
京マチ子(真砂)
志村喬(杣売り)
千秋実(旅法師)
上田吉二郎(下人)他。

かつては威容を誇った京の都の羅生門も、絶えることのない戦乱と疫病と天災によって放置され、見る影もなく朽ち果てている。土砂降りの雨の中、ようよう建っているその門の下では、杣売りと旅法師がうつろなまなざしで座り込んでいた。2人とも放心状態で、杣売りに至っては「俺はなんにも信じられねぇ、何がなんだかさっぱり分かんねぇ」と繰り返すばかり。またそれを慰めるためなのか、あるいは自分自身を落ち着かせるためなのか、旅法師の方も説教をするときとはまるで違ううろたえた様子で「恐ろしいことだ」と、ようよう言葉を搾り出した。確かに今は人心も荒れ果てており、人殺し、追い剥ぎ、子捨て、目を覆わんばかりの悪事がいとも平然と行われ、生きるのに精一杯の人々も見て見ぬ振りを決め込んでいる。酷い雨を避けて羅生門に雨宿りにやってきた下人は、杣売りと旅法師という変わった組み合わせに興味をそそられる。どうせしばらくここで雨が止むのを待たねばならないのだ、退屈しのぎに、この変な2人組みをからかうのも一興だろう。

彼ら2人が偶然関わりを持つことになったのは、ちょうど3日前に起こったある奇妙な殺人事件がきっかけであった。


・検非違使における杣売りの証言
杣売りが薪を取りに山へ入ったところ、雑木林の中の枝に市女笠が引っかかっているのを発見した。奇妙に思った杣売りはさらに奥へと分け入って、荒々しく踏みにじられた侍烏帽子が地面に落ちていたのを発見。さらにその先には刃物で切られた縄、赤地織の守り袋を見つけ、最後に、木の葉に埋まるように倒れていた侍、金沢武弘の死体を発見したのであった。杣売りは転けつまろびつしながら検非違使に届け出た。しかし、武弘が持っていたはずの太刀は現場にはなかった。もちろん、彼の妻が持っていたという短刀も見ていない。

次に検非違使に呼び出されたのは、旅法師だった。


・旅法師の証言
彼は、武弘とその妻、真砂が一緒に歩いているところを道すがら目撃した。真砂は市女笠を目深にかぶり、馬に乗っていた。その手綱を夫である武弘が持ち、武弘は時々笑顔で妻の方を見やりながら和やかに歩いていた。その様子からは、後の惨劇は全く予想できるはずもなかった。そして、どうやら法師が、武弘が生きている姿を目撃した最後の人間であるらしかった。


この事件の真犯人とおぼしき悪名高き盗賊、多襄丸が放免によって連行されてきた。


・多襄丸の証言
腹痛を起こして馬から転げ落ちていたのをあっさり捕縛された多襄丸は面白くない。稀代の大盗賊の名が穢れると不満顔だ。どうせさらし首になるのならと、彼はお縄についた格好のままでせいぜい虚勢を張って証言した。暑い夏の真昼間のこと、多襄丸が山の中でぐったりしていると、真砂と武弘夫妻が歩いているところに出くわした。そのとき一陣の風が吹き、それにのった真砂の香りが多襄丸の鼻腔をくすぐった。その瞬間、多襄丸は真砂を我がものにしようと思い立った。それまでは、そんな考えは露とも頭に浮かばなかったのに。きっと、真夏の焼けるような日差しの強さと、真砂の匂いに惑わされたのだ。
多襄丸は、行く手をさえぎるように武弘と真砂の前に出ると、盗品だが、由来正しい値打ちものの太刀を山の奥に隠してあると持ちかけた。“わけあり”だけに大っぴらに売りさばくこともできないので、武弘に格安でお譲りしたいと。多襄丸の野獣のようなまなざしが気にならぬといえば嘘になるが、侍としては由緒正しい太刀を持つ魅力に抗えない。武弘は、小川のほとりに真砂を残すと、常に太刀の柄に手をかけて用心しつつ多襄丸の後についていった。盗品の太刀の話なぞ、武弘を油断させて真砂から引き離すための方便。木々がうっそうと生い茂る山奥までくると、多襄丸は苦もなく武弘を捕まえ、あっという間に木の幹に縛り付けてしまった。その足で真砂のところに急ぎ戻ると、武弘が難儀に遭っていると言い含めて彼女を夫のもとへ連れてくる。木に縛り付けられ、手出しの出来ぬ哀れな格好のままの夫の目の前で、彼の妻を手篭めにするためである。卑しい生まれの多襄丸が身分の高い侍を、男としても侍としても最大の屈辱でもって踏みつけるためである。
多襄丸の誤算は、まだあどけなさの残る顔立ちの儚げな美女、真砂が、燃えるような激しい気性の持ち主であったことだ。真砂は懐から短刀を引き抜くや、いきなり多襄丸に斬りかかってきた。しかし、いくら侍の妻女といえ、か細い女の手で屈強な盗賊に敵うはずもない。猫が獲物をもてあそぶように女からの反撃を楽しんだ多襄丸は、真夏の射るような陽ざしの下で真砂を易々と押し倒すと、本懐を遂げた。
満足した多襄丸がその場を立ち去ろうとすると、真砂が追い縋り、必死の形相で訴えた。曰く、“己の恥を2人もの男に見せる羽目になったのは死よりも辛い。だから、2人で決闘してどちらかが死んで欲しい。自分は生き残った方の男のものになるから”と。さすがの多襄丸も、女からのこの申し出には度肝を抜かれたが、身分卑しからぬ侍と一対一で決闘する魅力は抗し難がった。そこで武弘の縄を解いてやり、彼と存分に斬り合い、何十回も刀の刃を打ち合わせてようようこれに勝利した。この自分をこれだけてこずらせたのは武弘が初めてだった。武弘という輩、かなりの腕前であったのだろう。しかし真砂はその間にどこかへ逃げてしまっていたようで、姿を消していた。真砂が確かに振り回していた短刀の行方は、皆目見当がつかない。
ところが、やはり悪いことはできぬもので、馬に乗って浜辺を走っている途中で猛烈な腹下りに見舞われた多襄丸は馬から転げ落ち、浜辺で無様に七転八倒し始めた。そこを偶然通りかかった検非違使配下の放免が、悪名高き盗賊を仕留めたというわけだ。大悪党の運の尽きは、実にあっけなかった。


土砂降りの続く中、羅生門に足止めを喰らっている下人は、門の下に転がっていた腐りかけの廃材を失敬し、火を起こした。先客の杣売りと旅法師は彼を手伝うでもなく、下人が来たときと同じように呆然と「俺はもう何にも信じられねぇ」「恐ろしいことだ」と繰り返すばかり。下人は呆れ、2人に話の続きを促した。


姿を消していた真砂は、森を抜けた所にあった民家で保護されていた。彼女は今にも倒れそうな風情でこの世の終わりと泣きじゃくっており、検非違使の前に出たときも泣き崩れたままの有様だった。よりによって酷い辱めを受けた当人にそのときの詳細を話させねばならぬのだから、事件の取調べ方も因果な商売ではある。いかにも気遣わしげに事件当日のことを説明するよう請われた真砂は、それでも気丈に涙を止めて話し始めた。


・真砂の証言
多襄丸は、卑劣にも夫武弘の目の前で自分を手篭めにした後、武弘を放置したままさっさと自分1人で逃げ去った。理不尽な屈辱に震える真砂は泣きながら夫に縋ろうとしたが、ふと見上げた先にあった夫のまなざしは、思いもよらぬものだった。この心臓を貫くほどの鋭さ、この身が瞬時に凍りつくような冷ややかさ。そこにあったのは、妻への怒りではなく、ましてや同情や労わりなどでもなく、自分を見下す完全なる赤の他人の侮蔑の念であった。弾かれたように立ち上がった真砂は、多襄丸に襲われたとき以上の恐怖に苛まれながら、そんな目で見ないで欲しいと懇願した。が、物言わぬ武弘の口の代わりに、彼の目は雄弁に妻への軽蔑を語っており、おめおめと卑しい盗賊に身を汚された真砂を武弘が非難しているのは明白だった。
ならばと、真砂は夫に自分を成敗するよう叫ぶ。あの状況で女の細腕で、どうやって屈強な盗賊を退けられるのか。そんな理不尽な裁きを自分に下すのなら、いっそ夫自身が非情な神に成り代り、この哀れな身を斬って捨てればよいではないか!男は皆して女に過酷な服従を強いる。女である我が身の無力さと無念さに力を失った真砂の身体は、へなへなとその場に崩れ落ちた。多襄丸によって肉体と誇りを傷つけられ、夫武弘によって自尊心と夫婦の絆を踏みにじられた彼女は、そのまま気を失った。どれほど時が経ったものか、気がつくと、夫の胸には自分の短刀が刺さっていた。これもまた夫の自分への無言の抗議だと解釈した真砂は、自分も夫の後を追うべくと短刀を握ったものの死に切れず、結局刀を放り出して逃げた。


杣売りと旅法師から耳にタコができるほど聞かされた繰り言を、連中にまた繰り返されてはたまったものではない。下人は、再び口を開きかけた杣売りを制し、中立の立場としての真っ当な意見で釘を刺しておいた。事件の当事者の証言がそれぞれ食い違うのはよくあることだ。皆んな、てめぇの身が可愛いのだ。「それにな」下人はタバコをふかしながら訳知り顏を作る。「女の涙ながらの告白ってぇのが信用なんねぇのは、俺も賛成だ。女はてめぇの都合が悪くなるとすぐ泣きやがるからな」しかしながら、下人は内心、杣売りの証言、旅法師の証言、多襄丸の証言と真砂の証言に、共通した盲点があることに気付いていた。


若狭国国府の侍だという、身元のしっかりした侍が他殺体で発見されたことで、検非違使によるこの事件の捜査も特例で入念となった。なんと、被害者である武弘その人が、巫女の口を借りて黄泉の世界から呼び出されたのだ!砂利敷に控える証言者たちの周囲に、異様な空気がたち込める。武弘の霊魂をその身の内に宿し、巫女は無念のうちに亡くなった死者の声で彼の最期の様子を語り始めた。


・金沢武弘の証言
一盗賊の甘言を信じた挙句、木に縛り付けられる羽目になった己のふがいなさより、侍である自分への敬意も礼節も欠いた無礼極まる悪党への憤怒より、彼の心を打ち砕く衝撃は妻の言動からもたらされた。そのために、彼は今、光も差さず音もない永遠に“無”が続く空間に閉じ込められているのだ。
彼の妻真砂は、彼の目の前で多襄丸に辱められた後、離れようとする多襄丸に縋りついた。次の瞬間、真砂の顔を見た武弘は愕然とする。彼女の表情は、卑劣な暴行を受けた被害者のそれではなく、彼が今まで見たこともないほど美しく、また官能的なものであったのだ。その美しい妻は、夫の目の前で多襄丸を見つめると、囁いた。自分は多襄丸と一緒に行くつもりなので、夫を今この場で殺して欲しい、と。さしもの悪党、多襄丸も、真砂のこの冷酷な言葉には驚き、また大きな怒りも見せた。悪党ではあるが、多襄丸は男と男の勝負に女の浅知恵を差し挟むことを良しとしない、妙に一本気な側面があるのだ。
多襄丸は武弘の縄を解くと、決闘はせず、真砂を生かすか殺すか夫である武弘が決めて良いと言った。真砂は多襄丸の言葉を聞くやいなやすぐさま逃げ出した。武弘は、多襄丸のこの言葉だけで彼の無礼は許してやっても良いとすら思った。それほど真砂の裏切りは武弘の心を引き裂いたのだ。二重の意味の無念のせいで力なく頭を垂れる武弘を見て、さすがの多襄丸もその場にい辛くなったのだろう。彼は黙ってその場を去っていった。嵐が去り、たった1人ぽつねんと森の中の静けさの中に取り残された武弘は、妻の短刀を手に取ると、一思いに胸を突いた。武弘の魂はしばらくその肉体の中に留まり、次第に暮れゆく空から差す陽の光が弱まり、辺りが薄暗く沈んでいく様子を見つめていた。どれ程時間が経ったのか、誰かが恐る恐る自分の顔を覗き込んできた。真砂が戻ってきたのか。しかし、命の火が消えようとしていた彼には、その人物を確かめる力も残されていなかった。そして、その誰だかわからぬ人物は、自分の胸に刺さった短刀をそうっと引き抜いていった。武弘の意識はついにそこでこと切れてしまう。…そして彼は今、音も光も何もない空間にただ存在している。


「うそだあっ!」

それまで虚ろな目をあらぬ一点に向けて座り込むだけだった杣売りは、突如立ち上がりざまに叫んだ。眼をギラギラさせ、口から泡まで飛ばしている。

「皆んな、皆んな、嘘ばっかしつきゃがって!どいつもこいつも嘘つきだあっ!」

この2人の間では、もう既にこうした遣り取りがあったのだろうか。旅法師も間を置かず立ち上がり、興奮する杣売りをなだめるように言い聞かせた。

「確かに不可解だし、本当にゾッとする恐ろしい事件だった。皆の証言が食い違うし、何を信じていいやら私にも分からなくなる。だが、果たして死人が嘘をつくだろうか」

彼らの会話を横で聞いていた下人は、食い違う証言の中で唯一共通していた盲点が明確になり、それがこの殺人事件の鍵となる人物に焦点を結ぶこと、なおかつその人物が今自分の目の前にいることを確信した。下人はうっそりと立ち上がり、わめく杣売りに顔を近づけ、凄みを利かせた。

「なあ、検非違使はごまかせても俺の目はごまかせんぜ。俺の見立てによりゃ、どうやらあんたはこの事件の真相を知ってる唯一の人間らしい。図星だろ。てめぇの目で見てきたことを包み隠さず言ってみな。俺は検非違使じゃねぇし、今更あんたを責める奴なんざいないんだから」

文字通り図星を突かれた杣売りは、しばらくの間己と葛藤しつつ目を泳がせた後、ついに観念して真相を告白し始めた。それは、検非違使の取調べで彼が語ったこととも、また、多襄丸や真砂、金沢武弘がそれぞれ真実として語った話とも大きく食い違う予想外の内容だった。


・杣売りの語る事件の真相
おいらはあの日、薪を探すために山に入ったんだ。すると、雑木林の中に市女笠が引っかかっているのを見つけた。その先には、踏みつけられて汚れた侍烏帽子、さらに赤地織の守り袋が落ちていた。何人かの人間の話し声が聞こえてきたので、姿を見られないよう木の陰に隠れながらそちらの方を窺ったんだ。
そしたら、地べたに座り込んでた真砂に向かって、多襄丸が土下座してしきりに頭を下げてた。何事かと思ったら、多襄丸が真砂に本気で惚れたらしくて、自分の嫁になってくれとかき口説いていたんだよ。たった今、自分が乱暴した相手にだよ。真砂は冗談じゃねえと思ったんだろ、泣いていて返事をしねぇ。すると多襄丸は、物盗りの嫁になるのが嫌なら、たった今から盗賊稼業から足を洗って、真面目に働いてもいいとさえ言ったんだ。…あの多襄丸がよ!
すると真砂は、泣くのをやめて黙ったまま武弘の縄を切り、武弘と多襄丸に、2人とも本物の男だというなら、今ここで自分の目の前で決闘してみせろとけしかけた。
しかし武弘は、夫以外の男に身を任せて穢れたくせに、その盗っ人の求婚を拒絶しなかった(多襄丸と武弘に決闘をさせ、勝った方のものになると意思表示した)女なんぞいらんわいと、しゃあしゃあ抜かしやがる。まるで野良猫でも追っ払うみてぇに、そんなあばずれはこっちから願い下げだから勝手にどこにでも連れてけ、って多襄丸に言うじゃないか。そんな女のためにわしは刀なんぞ抜かんぞって。おいらは耳を疑ったよ。下品でさ。到底、ご身分の高いお侍様の言葉とは思えねぇもんな。多襄丸の野郎、武弘のその言葉を聞いてびびったらしいや。しばらく考え込んで、真砂の価値と決闘で死ぬことの恐怖を秤にかけてる感じだった。で、結局、決闘して自分の命を危険に晒すまでもねぇと判断したんだろ、その場を逃げようとしたんだ。
するとさ、とうとう堪忍袋の緒を切った真砂が、多襄丸と武弘を相手に今度は啖呵を切ったのさ。たかが物盗り風情に他愛なく騙されて、自分の嫁が乱暴されるのを止めもせず、ただ黙って指をくわえて見てただけの腰抜け武弘も、天下の大泥棒でございと大物風を吹かしやがるくせに、たった一度きり抱いた女に馬鹿みたいに惚れて土下座するへなちょこ多襄丸も、2人ともとんでもねぇ阿呆だとな。男はみんな馬鹿野郎だーってカラカラ大笑いしながら怒鳴り散らしたんだ。ちゃんとした男なら、自分の女を最後まできちんと守るし、女を手に入れるのにおめおめと土下座するなんてぇ、んな格好悪い真似なんぞしねぇよって。情けねぇったらありゃしねぇとさ。
真砂のすさまじい剣幕に野郎2人はいちびってやがる。どっからどう見ても腰が引けてる野郎どもに、真砂はしかし、自分は決闘で勝った者についていってやると宣言した。ここまで言われちゃ仕方ねぇ、野郎2人は嫌々刀を握って嫌々向かい合ってたよ。多襄丸と武弘が斬り合ってる様子を岩陰から窺ってた真砂だが、途中でいかにもとってつけたような悲鳴を張り上げると、一目散にその場から逃げ出した。だって、刀を持ってやりあってる連中が、直に本気を出すのは分かってたからな。誰だって刀振り回してる連中のとばっちりを食うのは嫌だろ。

…最後に勝ったのは多襄丸だった。武弘は無様に刀をとり落とし、草むらに尻餅をついた。武弘は両手を振りながら多襄丸に命乞いしてたよ。「死にたない、まだ死にたない」ってベソかきながらさ。おいらは真砂の気持ちが分かった気がしたよ。男はみんな大馬鹿さね。多襄丸も、いざ命乞いする相手を前にするとトドメを刺すのが怖くなり、くよくよしてたしな。本当に男はみんな腰抜けで馬鹿だ。でも、いくらそれが初めてのことであっても人殺しは人殺しだ。多襄丸は武弘にとどめをさしたのが心底怖くなって、転びながらそこから逃げ出したよ。


杣売りの明かした真相に、旅法師は信じられぬという面持ちで呆然とする。しかし下人の方は、いかに不可解と思われる事件でも、真相といえば精々がそんなものだろうとタカをくくっていた。人間って奴は皆自分が可愛いものだ。どんな時でも、少しでも自分を良く見せようと必死になる生き物なのだ。崖っぷちに追い詰められても尚、自分だけは悪くないと他人に思われたい生き物なのだ。

そのとき、土砂降りの雨音に混じってか細い赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。3人の男達はその声の元をたどる。彼らがいた羅生門の柱のたもとのちょうど反対側に、乳飲み子が捨てられていた。見れば、赤ん坊の着ていた服はしっかりしたもので、親が持てる限りのものを最後に赤ん坊に与えたことがうかがえた。今日び、子捨てなど珍しいことでもなんでもない。親だって食い詰めてしまえば、自分の命を守るため、授かったばかりの赤子を手放すだろうし、年老いた爺婆をも捨てるだろう。それは生き物全てに備わった生存本能というものなのだ。

そして、下人もまた生存本能に従った。赤ん坊の服は売れば金になると踏み、早速その服を剥ぎ取ろうとしたのだ。そんなことをすれば赤ん坊は死んでしまう。旅法師と杣売りは慌てて下人を止めたが、そこで下人は最後の切り札を出した。

「検非違使は騙せても俺は騙せんとさっき言っただろ。杣売りよ、お前は一番大事な秘密を隠したまんまだ。お前は多襄丸を盗人と蔑み、今またこの俺を極悪非道の盗人呼ばわりした。だがてめぇはどうだ?死人の胸に刺さった短刀は一体どこに消えたんだ?侍の胸に刺さった後、足でも生えてどっかに逃げたのか?違うだろ。誰かが抜いて持ち去ったんだ」

杣売りと旅法師は同時に凍りついた。そういえばそうだ。検非違使は真砂の小刀の行方については、結局追及しなかった。金沢武弘殺害の犯人とその詳細を明らかにすることで手一杯だったからだ。多襄丸も真砂も武弘当人ですら知らなかった。それは、真相の一部始終を目撃していた唯一の証人である杣売りしか知りえない情報だったからだ。

「杣売りよ、お前さんだって、死人の身体から刀を盗んだじゃねぇか。放っておきゃ直に死んじまう捨て子のべべを俺が持っていくことと、どこがどう違うってんだ?」

興が削がれた。下人は偽善者2名にケッと舌打ちすると、彼らを置き去りにして羅生門を去っていった。

旅法師は硬い表情のまま、捨て子を抱っこしようとする杣売りから子供を取り返そうと躍起になる。死人から物を盗むなど、仏法に照らさずとも唾棄すべき行為だ。善人面したこの杣売りもまた、結局は、多襄丸やあの下人と同じ輩だったのだ。法師はつい今しがた受けた衝撃と人間性への絶望の大きさのまま、思わず声を荒げた。

「何をするか!お前は死人に飽き足らず、この赤ん坊からも盗みを働くつもりか!」

杣売りは手を離し、力なくうなだれた。この赤ん坊を捨てた親と同じく、何人もの子供を抱え、杣売りだってこの商売だけでは到底食ってはいけない。だから、…もちろん犯した罪の言い訳にもならぬことは分かっているが…、亡くなった人には心の中で手を合わせて謝りながらも、小刀を質草にしたのだ。法師が怒るのも無理はない。何しろこんなご時勢だ。皆、自分が生き延びるために時には夜叉にもなる。だが自分は、武弘のおかげで家族を飢えから救うことが出来た礼がしたいのだ。せめてもの罪滅ぼしとして、この赤ん坊の親が出来なかったことを代わりにやってやりたい。なに、子供を5人育てるのも6人育てるのも、たいした違いはない。自分はせめて、この子を立派に育ててやりたいと思う。

心の中に人知れず抱え込んでいた罪の意識から開放され、やっと肩の荷を降ろすことができたのだろう、杣売りはむしろ達観した表情で法師に語った。法師は人間の悪い部分ではなく、善い部分を見る。仏が人間の罪を許し、善行を祝福するように。居ずまいを正した法師は、自分はどうやら大きな思い違いをしていたようだ、と激昂した己を恥じた。そして、赤ん坊を大事そうに抱えて家路につく杣売りの後姿を、手を合わせて祈りながら見送った。彼のこれからの人生に仏の加護があるようにと。


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要はこの作品は傑作だということです。まごうことなく。昨今では、“名作”や“傑作”という言葉を使うと胡散臭さが先走ったり、逆に観客にバカにされる悲しい風潮がありますが、この作品は、黒澤明監督の名前が世界的に認知されるきっかけとなった、正真正銘本物の傑作です。日本で製作された日本映画としては初めて、ヴェネチア国際映画祭 Venice International Film Festivalで金獅子賞に輝いたのも納得ですね。
一つの事象について複数の人間がそれぞれ異なる見解を示すことにより、“真実”そのものが深い闇の中に落ちていってしまうという、芥川龍之介の短編小説「藪の中 In the Woods」を基に、同作家の作品「羅生門 Rasho-Mon」でとりあげられたテーマ、“極限状態に置かれた人間が直面する、人間性が本能に侵食される危機”もアレンジして絡めたストーリー構成がとにかく素晴らしい。その結果、所詮人間とは誰でも我が身の保身に走るものだという人間のエゴイズムと、それに唯一対抗できるのが人間の良心に他ならないという対比が明確になり、ストーリーもテーマも古今東西を問わず普遍性を帯びることになりました。

実際、小説「藪の中 In the Woods」では、合計7名にのぼる関係者、当事者の証言が錯綜し、真相に近づくどころか一層の混乱を周囲にもたらすだけで、結局はっきりした結論が出ないまま終わってしまいます。それが今も尚延々と続く議論の禍根を残すことになった(笑)わけで、確かに、このストーリーをそのまま映像に移植するのは無理があるでしょう。映画にするには、何らかのアレンジが必要であったのは明白です。私自身は、小説の骨子を保ちながらも、映画では過去の出来事として回想される殺人事件で暴かれる人間の本能(自己保存本能=エゴイズム)が、劇中での“今の時間”の出来事―杣売り、旅法師、下人が荒れ果てた羅生門で偶然会して会話する―に直に影響を及ぼす様子が非常にスリリングであると感じました。事件の“真実”解明と同時に、人間の良心が果たして本能(エゴイズム)に打ち勝てるのか否か、というきわめてデリケートな精神の戦いが、映画本編のラストで勃発するわけです。私達観客にとっては、殺人事件の真相解明以上に、杣売りと下人の対比に託された最後の“良心とエゴイズムの戦い”をオンタイムで目撃すること自体が、最重要でありかつサスペンスフルであると思いましたね。この戦いこそが、映画「羅生門」の最も大きなテーマであったのでしょう。

今作の撮影は宮川一夫氏が担当しましたが、レフ板と照明で人工的な光源を作るのではなく、鏡に自然の光を反射させることで映像に微妙に変化する光を導くといった実験的な手法が試されたそうです。特筆すべきは、太陽に直にカメラのレンズを向けて、その強烈な光とそれを地面から見つめる真砂の瞳を交互に映し出してみせたシーン。確かに、真砂の肉体は多襄丸の身体の下敷きになりつつも、むしろ彼女の精神の方は太陽の光の強烈さに敗北していったことがよく分かるシーンでした。これら宮川氏による常識破りのカメラワークは、当時の黒澤監督を大いに満足させたのはいうまでもなく、モノクロ映像の中で“光の微細な変化”を捉えることがいかに重要かを後世の人間に伝えることになりました。モノクロ映像は色彩がない分、光の変化に多大な影響を受けるのです。“色で映像に絵を描く”のではなく、“光で映像に絵を描く”のですね。

また、複数の目撃者と当事者による視線を意識し、それそれが物語る話に合わせて武弘、真砂、多襄丸三者を捉えるカメラの視点もどんどん変わっていきます。彼らの姿を遠景の中に小さく捉えたり、はたまた、多襄丸が山の中を自在に走り回って武弘、真砂夫婦を翻弄するスピードに合わせ、カメラも木々の間を縫うようにしてすばしっこく走りながら、多襄丸の視点から、武弘と真砂の間にある微妙な距離感を暗示したり。また、真砂の視点と武弘の視点では、カメラはそれぞれお互いの表情を反対側から見据えることになり、ためにお互いの表情の裏側にある感情をも全く反対の意味で捉えていたことを示したり。かと思えば、証言者の中で唯一、多襄丸と真砂と武弘の3人を同時に1つの光景の中で見つめていた杣売りの視座では、この3人の言動は呆れるほど馬鹿馬鹿しく、それこそエゴイスティックでしみったれで幼稚でもあったことが露呈されています。彼らの真の姿は、彼らがそうあありたいと願い、また頑なに信じていたような、大胆不敵なものでもなければ、美しくも崇高なものでもありませんでした。実に無様な光景がドッタンバッタンと、まるでコントのように続いていたのですねえ。
1つしかないはずの事実が、視座をずらすだけで意味の異なる複数の“事実”にばらけてしまうという奇妙な現象が、カメラが積み重ねていく映像で雄弁に語られています。謎の多いストーリーを明快に解き明かす役目を担っていたのは、登場人物の台詞ではなく、むしろカメラであったことがわかります。と同時に、傍目からは深刻で複雑な事情を内包したように見える出来事も、少し離れた場所から客観的に見つめ直せば、本当は大したことではないかも知れませんよね。この作品を見ていると、昨今のソーシャル・メディアの発達によって、視点が狭く固定されがちである自分を痛感しますよ。ある事象に対処する際に、当たり前の基本的な考え方を忘れてはいかんなあと思います。

それから、やはり型破りの撮影方法を実践した宮川氏の功績が称えられがちなのですが、今作の音楽を担当した早坂文雄氏のスコアも素晴らしいことを強調しておきます。最初は静かに、そして同じ旋律を繰り返し、ストーリーが加速してクライマックスに近づくにつれ、その音量も迫力も増してゆくという、ボレロ形式のスコアです。本編も最後の最後に真相が明らかになる時に最大の衝撃が訪れるので、そのストーリーの展開を音の面から補佐した形になります。

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さて。

同じ事件をそれぞれの思惑から脚色して語った多襄丸、真砂、武弘、そして杣売りのお話のうち、あなたは誰の話に最も大きな共感を覚えましたか?あるいは、誰の話に最も興味をひかれましたか?

…実は私、この作品を見るたびに、他の観客にこの質問をしたくてたまらなくなります(笑)。一体誰の話が一番もっともらしく聞こえるか?ということですね。心理テストみたいに、4名のうちの誰の話を支持するかで、その人の性格やものの考え方が暴露されるかもしれません(笑)。
まあ、私は女ですから、最後に明らかになった杣売りの話の中の真砂の姿が一番共感しまさぁね(大笑)。あれが、火事場の馬鹿力を出した時の真の女の姿ですよ。だってそうでしょ?真砂自身が語った彼女の姿って、あまりに脚色されすぎて感情的だし、“女性の脆さ、女性の哀れさ”を表に出して同情を買おうとしている下心が明らか。そして多襄丸の話は、あれは本当にアホ丸出し(笑)。本当は肝っ玉の小さいてめぇの卑小さを、空威張りとホラでごまかしているだけのバカだわ(笑)。武弘?あいつはもっとアホ。多襄丸以上に卑小、権威を笠に着た弱虫っぷりを、あのような極限状態で愚かにも露呈してしまいます。彼本人が、悲劇的にヒロイックに脚色した彼自身の話なんぞ、100%男の勝手な事情と思い込みで語られた、男のみみっちい矜持のみを美化した話に過ぎないことは、杣売りの証言を待つまでもなく分かることです。

結局私は、杣売り自身がこの事件を通じて経験した心理的葛藤―生きたいという人間の本能と、本能を制する良心との戦い―に最も心を揺さぶられ、彼が最終的にその戦いに勝ったことに、最も大きな感動を覚えた次第。四者四様の異なる人間ドラマを、三船敏郎、京マチ子、森雅之、志村喬といった名優達が、彼ら以外のキャスティングはもはや考えられない程の嵌りっぷりで名演してくれました。


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