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zoom RSS 伝統と未来、そして「ディオールと私 Dior et Moi / Dior & I」

<<   作成日時 : 2016/08/08 18:49   >>

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“モノづくりの基本”という言葉。本来、私ら日本人の持ち味であった丁寧かつ正確な“モノづくり”の精神に、今一度たち返ろうという意味だと解釈しています。進むべき道に迷ったらちょっと立ち止まり、自分の原点を見つめ直すのも必要なことでしょう。実は、本日の映画「ディオールと私 Dior & I」は、原点に戻ろうとしている今の私たちに最も近しい感情を喚起する作品ではないかと思っています。

なぜなら、“モノづくり”という点においてはファションの世界も、車や電化製品など他の製造業と全く同じだからです。何を作っていようが、また製造のどの過程においても、いつ如何なる時でもクリエイティヴィティは要求されているのです。

「ディオールと私 Dior et Moi / Dior & I」公式サイト

“新しいデザイナーがやって来るたび、私は彼らの魂と同化し、彼が受ける賞賛を自分も味わうのだ。”

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「ディオールと私 Dior et Moi / Dior & I」(2014年)
監督&脚本:フレデリック・チェン
音楽:ハヤン・キム
出演:ラフ・シモンズ Raf Simons
ピーター・ミュラー Pieter Mulier
Diorアトリエ・スタッフ
........クリスチャン・ディオールの霊

配給:アルシネテラン、オープンセサミ

クリスチャン・ディオールは、世界中にその名を轟かせたフランスの老舗ファッション・ブランドだ。ブランド創立者であるクリスチャン・ディオールその人は、既に天寿を全うして久しい。ディオールは、いまどきのブランドとしては珍しく、アトリエ―デザイナーのアイデアを具現化すべく、日々プレッシャーの中で布地と格闘し、実際に服を作る人達が作業する工房―の力が強く、アトリエで働くスタッフは皆誇り高き職人ばかりだ。どんなに傑出したデザイナーであろうと、アトリエ・スタッフたちの信頼を得なければ、ディオールで働くことは実質不可能なのだ。このような古い習慣が、今も頑固に守られているのには理由がある。戦後の女性ファッションに革命を起こしたと認識されているブランド創立者が、実はかなり頭の固い保守的な人間だったせいだ。

“ブランド”とは、デザイナーとそれを形にするお針子達が、あくまでも対等な立場を保ちながら協力して作業する“家”であるべきだと、彼は信じていた。だから、お針子達は1人1人が熟練した独立した職人でもあり、デザイナーと共同作業するのとは別に、彼ら自身がそれぞれ顧客を抱えている。そして、その“顧客”とは、ディオール専属のスタッフに世界に一着だけのドレスを直接発注できる金持ちであることを意味する。彼らがアトリエ・スタッフに発注する服の売り上げが、ディオールの屋台骨の一角を支えているのだ。

つまりディオールにおいては、お針子達はデザイナーに隷属しているわけではないし、むしろデザイナーの方が彼らの仕事の都合に振り回されることすらある。こういった習慣は今も保たれているし、そしてまた、他のブランドにはないこのレトロな習慣が、ディオールにやって来る新しいデザイナーを悩ませることにもなる。2012年にディオールのアーティスティック・ディレクターに就任したラフ・シモンズもそうだった。

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死後も“我が家”であるアトリエや本社スタジオ内に度々出没している創立者は、ディオールに新しいデザイナーがやってくるたびに起こるアトリエ内のてんやわんやと、“ディオール流”に慣れないデザイナーの初々しく緊張した様子、毎度の如く両者の間に起こる軋轢、コレクションに向けて増してゆくプレッシャーに耐えつつ、両者が二人三脚で歩み始める様をずっと見つめてきた。ディオール本社の中では、これまでに既に何度も繰り返されてきた光景だ。
内気な画学生風のラフ・シモンズがアトリエ・スタッフ達と初めて顔合わせして慣れぬフランス語で挨拶し、ラフの右腕として10年の間彼を支えているデザイナー、ピーター・ミュラーが通訳として、アトリエ・スタッフとラフの間を甲斐甲斐しく取り持つ様子を見ながら、創立者はひとりごちる。

“オートクチュール・コレクションまでたったの8週間しか準備期間が残されておらず、しかもデザイナー自身は婦人服のオートクチュールの経験がゼロだという厳しい現状を、この繊細で神経質な新入りデザイナーはどう乗り切るつもりなのか。スタッフ達は口にこそ出さないが、今回のディオールのチョイスは無謀だったのではないかと内心不安に苛まれている。それはデザイナー自身がいやというほど自問自答を繰り返している、第一にして最大の難題だろう。これから8週間、ディオールの歴史の中では異色の経歴を持つ彼のお手並みを、じっくり拝見するとしようか。”

ラフ・シモンズは、服飾デザインの正規のトレーニングを受けたことがない。彼の第一印象が内気な芸術家のようだというのはよくしたもので、実際彼は写真やアートを学んでいた。その後服飾デザインの道に入り、シンプルで機能的ながら、隠れたところで極めて現代的なセンスの良さが光る自分自身のブランドを立ち上げる。現実の生活に即した機能性、余分な虚飾を一切廃した鋭角的なデザインは、紳士服で大いに効果を発揮した。その後ジル・サンダーのデザイナーに就任し、ニューヨークのファッション業界で“ミニマリスト(最小限主義者)”というあだ名がついた程、無駄のないモダンなデザインの紳士服を世に問うてきた。

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ディオールの伝統的なデザインは、大きなリボンをあつらえたドレス、裾がふんわりと膨らんだスカート、優雅なドレープを床まで引きずって歩くような長いドレス、レースやビーズなどでデコレートされた複雑にして繊細なドレスなどなど、これまでにラフが徹底して避けてきた“余分な飾り”満載だ。いくら流行は繰り返すといわれても、創立者が活躍していた戦後50年代に発案されたデザインの基本パーツが、今だにマニュアルとして新しいデザイナーに引き継がれていく“伝統”に、ラフは面食らう。要はディオールでは、新しいデザイナーは、創立者の基本デザインに自分らしいテイストを付け加えていくしかないのだ。根本からデザインを一新することは許されない。だが、機械化、大量生産化が進むファッション・ブランドでは到底手が回らないような、糸一本一本に彩色して微妙な色合いの変化を出した繊細な刺繍など、ラフらしさを付加した新しいデザインのヒントになるアイデアもたくさんあった。

ラフはまず、コレクション向けに選ばれたドレスの型をチェックし、気に入ったものはそのまま採用し、手直しが必要なものについては、データ化したディオールの基本デザイン・パーツを組み合わせ、いくつか作ったパターンをアトリエの職人たちに示した。ラフはデザイン画を描かない。デザイナー自身がイメージ・デザイン画を描き、それをお針子に渡して裁縫させるというのが古くからのやり方だが、それだとデザイナーとお針子の間の意思の疎通がうまくいかない場合、理想とするデザインが形にならない。時間の無駄なのだ。コンピューターを用いたラフのやり方は、シャネルのデザイナー、カール・ラガーフェルドあたりが見たら卒倒するかも知れないが、実は非常に効率的であり、デザイナーとお針子の間のトラブルも最小限に抑えられる。

こうして、8週間後のコレクション発表までに54体ものオートクチュールを完成するという、新入りデザイナーと経験豊富なアトリエ・スタッフとの格闘の日々が始まった。

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ラフは、ディオール創立者の歴史と影響力が今も根強く会社を支配する空気の中で、自分らしさの追求に専念した。ディオールの伝統を意識しすぎると重圧に勝てないからだ。美術館で見たNYの画家の作品に感銘を受け、彼の絵画のイメージを布地で再現しようとする。突拍子もないアイデアだが、絵画の繊細な色合いが布地で表現できれば面白い。しかしそれには、膨大な時間をかけて印刷会社を説得しなければならなかった。ラフから下される難しい注文にスタッフは根を上げるが、ラフは絶対に妥協しなかった。それだけではない。ラフの頑固さは、他のドレスのデザインについても発揮された。布地のカットの仕方、スカートの丈の長さ、スカートのふくらみの出し方に至るまで、ラフは無駄を省きシンプルに仕上げることを徹底する。余計な詰め物はその場で引っ張り出され、長すぎるスカートはちょん切られ、予定通り完成した白のジャケットは、その場でひらめいたラフによって急遽黒色に変更される。

コレクション本番まで時間がない。これがラフとアトリエ・スタッフの間の緊張感を高めている最大の原因だ。アーティスティックで神経質ながらも傲慢な独裁者にはなりたくないラフは、周囲の人間にとって時に非常に扱いにくい人物となる。ラフとは対照的に、気さくで社交的なピーター・ミュラーは、ラフとアトリエ・スタッフの間の橋渡し役となり、時にジョークを飛ばし、また時に女性陣への花束のプレゼントという気配りで、両者の間の関係を良好に保つことに腐心した。

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しかし日にちが経つにつれ、ラフもアトリエ・スタッフも、お互いに抱いていた遠慮や、大人らしい分別のある態度をかなぐり捨てざるを得なくなる。細かいビーズが布一面にあしらわれているドレスを担当したスタッフに、なんとドレスを一から縫い直すよう指示が飛ぶ。その一方で、アトリエを取りまとめるリーダーが、彼女自身の上得意に呼ばれて急遽NYに飛ぶことになった。次の日に着るドレスを調整し直して欲しいという。年間、およそ数千万円ものドレスを個人で買い上げるその顧客の頼みであれば、たとえコレクション本番まで後わずかという緊急事態でも、全ての仕事をうっちゃって顧客の要望に沿わざるを得ない。しかしラフは、オートクチュールの最後の調整にアトリエ・リーダーが不在という前代未聞の珍事に激怒する。普段は温厚なラフでも、老舗ブランドならではのしがらみに堪忍袋の緒が切れるときもあるのだ。

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しかし、老舗ならではの大きな利点もある。今回、ラフの初コレクション会場として、パリ郊外に建つ瀟洒な邸宅を借りることができた。今は無人であるためそのままでは使えないが、全ての部屋を見終わったラフが突拍子もないアイデアを思いつく。会場となる全ての部屋の壁を花で埋め尽くそうというのだ。それも生花で。造花では却って安っぽい空間になってしまうので、本物の、色とりどりに咲き誇った花で辺り一面を埋め尽くすのだ。要する予算も突拍子がないだろう。正直な話、前の職場にいた頃(笑)なら、予算不足を理由にあきらめざるを得ないアイデアだが、天下のディオールは違う。しかも今回は、新しいディオール総帥を全世界に向けてお披露目する大切な節目でもあるから。

ドレスの最終調整は、アトリエ・スタッフを総動員してほぼ徹夜で行われている。皆、疲労と寝不足で既にランナーズ・ハイ状態だ。ラフ本人も、コレクション発表に向けて、どのメディアにどの程度露出するかといったマスコミ対策の打ち合わせに入った。ここで、ラフが極端なインタビュー嫌い、露出嫌いだと判明する。デザイナーを神格化するのは間違っているという信念に従って生きてはいるが、当の本人は、インタビューでペラペラしゃべったり、カメラに向かってポーズをとることに恐怖すら抱いているのだ。だがコレクションでは、モデルたちが出払った後、最後にデザイナーもランウェイを歩いて喝采を浴び、会場のゲストや世界中から集められるマスコミに挨拶もしないといけない。なんといっても老舗ブランドのデザイナー襲名の儀式も兼ねているのだから。そういった、社交性を求められる一切の行事が苦手なラフは、今にも倒れそうなほど緊張し始める。

“やれやれ、なんとまあ。”

またもやディオール本社内に出てきて、夜勤の警備係を怖がらせた創立者は、深夜のアトリエでため息をつく。

“この坊やには確かに、時代の空気を読み取る鋭敏な嗅覚があり、他人には思いつかないアイデアを生み出す意外性も持ち合わせているようだ。マンネリ化が進む老舗ブランドには良い起爆剤になってくれるだろう。何しろ私は…私自身は、ファッション界に革命を起こしたなどと大げさに喧伝されるものの、モラルや秩序をぶち壊してまで時代の最先端を走りたいわけじゃなかったんだ。守るべきラインはしっかり守られるべきだ。良い伝統や習慣は残すべきだ。…まあ、保守的だったからこそ、私はディオールのデザインをある一定のライン以上に進化させることができなかったのだが。この坊やは違うタイプだ。彼は、初めてのオートクチュール・コレクションを、初めての老舗ブランドで見事成功させるだろう。古いブランドに新しい風を吹き入れてくれるだろう。…しかしこの先、ディオールの重い看板を背負って立つことができるのかどうかは微妙だな。”

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…今後もディオール総帥に付いてまわる義務であるところの、マスコミ露出に今から縮み上がっているラフを見ていて思い出した男がいた。遠い昔、創立者自身がディオールの後継者に任命した、若くて才能豊かで内気でひときわ繊細だった、あの美しい青年だ。名前をなんといったか。徴兵されて彼は“壊れて”しまったのだった。アトリエ・スタッフ達がブーブー文句を言いつつも、母親のようにラフの世話を焼いている様子を見て思わず笑ってしまった。創立者自身も、彼を気に入り始めていたのだ。そこで彼は、周囲が世話を焼かずにはいられない新入りデザイナー、ラフが壊れてしまわないように祈ることにした。

“新しいデザイナーがやって来るたび、私は彼らの魂と同化し、彼が受ける賞賛を自分も味わうのだ。私の姿は誰にも見えないだろうが、私はいつも彼らと共にある。ディオールのデザイナー達がディオールで歩む人生は、私の歩みでもある。私はこれからもディオールの魂であり続ける。…だから、ラフも私の自伝を読むのを途中でやめた。私が常に彼の傍にいることに気付いたのだろう。”

…クリスチャン・ディオールのデザイナーに就任したラフ・シモンズが初めて手掛けたオートクチュール・コレクションが、美しい花々でいっぱいの、かぐわしい香りでいっぱいの会場で始まった。

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これは私の個人的な見解なんですが、ドキュメンタリー映画というのは、取材する対象に忠実であるというのが大前提だと思います。その対象を、誇張も歪曲もなく出来る限りフェアに、事実に即した形で描くべきでしょう。たとえ、その対象がどんなに憎たらしい存在で、とうてい共感なんぞできない害悪であっても、映像に監督自身の憎しみ、偏見や先入観が映し出されるようでは、その作品をドキュメンタリーと呼ぶことは出来ません。もう一つ、ドキュメンタリー映画は、描く対象を観客に分かりやすく伝えられなければならないとも思います。観客が対象をきちんと理解できるように。

この作品は、オートクチュールという、なにやら特殊で敷居の高そうな世界がどのような人々によって、またどうやって出来上がり、如何にして世界に夢を与えるものに変じていくのか、その舞台裏を分かりやすく解説し、同時に、ディオールというファッション業界のアイコンの一つの歴史も紐解ける内容になっていました。ラフ・シモンズの初オートクチュール準備のてんやわんや(本当にてんやわんや・笑)を見守る一方で、実際に今もディオール本社に出没するという創立者の幽霊(笑)に彼自身の過去の歴史をヴォイスオーバーで語らせていくという、観客の知的好奇心と監督自身の知的冒険心の両方を満足させる上手い構成でしたね。そして、本編最後にいよいよコレクション本番というクライマックスを迎える段になって、ラフのコレクション開催までのドラマとディオールというファッション・ブランドの歴史が一つになる仕組みが非常にユニーク。

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この作品が単独での初の長編ドキュメンタリー映画になるというフレデリック・チェン監督なる人物、私は初めてお名前をうかがった監督ですが、映画を見終わった後、こりゃファッション業界をかなり詳しく知っている人物だなと感じました。それもそのはず、実はこの方、「Harper's BAZAAR」で25年、その後は「VOGUE」の編集長として辣腕を振るった名エディター、ダイアナ・ヴリーランドのドキュメンタリー「ダイアナ・ヴリーランド 伝説のファッショニスタ Diana Vreeland: The Eye has to Travel」(2011年)の共同監督としてクレジットされておりました。そして御自身も、H&M、ジミー・チュウ、フェラガモといった有名ブランドの宣伝エディターとして活躍されているそうです。んー、道理でねえ。

デザイナーは新入り、しかもオートクチュール・コレクション自体が彼にとって初めての挑戦、なのに準備期間がたった8週間(通常の半分以下の期間)しか用意されていない。二重三重の難題と倍増するプレッシャーの中、これが初の共同作業となるラフ・シモンズとディオールのアトリエ・スタッフ達が時にぶつかり合ったりしながら素晴らしいコレクションを作り上げるまでが、緩急を心得た編集によって充分にドラマチックに、しかも途中でダレることなく手際よくまとめられています。

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この作品の勝因の多くの部分は、パリのディオール本社のアトリエに、ブランド設立以来初めてカメラが入ることが許可されたことに尽きるでしょうね。そして、上記したようなドラマティックな要素を映像に収めることができたのは、チェン監督が個性あふれるアトリエ・スタッフたちの群像を実に生き生きと捉えたため。監督の彼らへのまなざしがとても暖かいばかりでなく、深い敬意にも満ちていることが分かります。私たち観客は、虚飾に彩られたグラマラスで刹那的な世界だとばかり考えていたファッション業界を、彼らのような真のプロフェッショナルこそが大黒柱となって支えていることをこの作品で知り、目から鱗が落ちたわけですから。

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(画像向かって右側がラフ・シモンズ Raf Simons、左側がピーター・ミュラー Pieter Mulier)

観客が今までの己の先入観を改めさせられるのは、アトリエのスタッフについてばかりではありません。監督の視線は、ファッションデザインという仕事以上に、ディオール・ブランドの総帥としてマスコミや社交界での政治的手腕を望まれる、リスクの高い挑戦に取り組む、繊細でアーティスティックなラフ・シモンズにも近しく寄り添っています。前述したように、こんなに繊細で神経質な人間と一緒に仕事をするのは、周囲の人達にとって本当に大変だというのはこの作品を見れば一目瞭然です(笑)が、それでもアトリエ・スタッフたちがラフからの要求に猛然と取り組んでいくのは、“ディオールを支えているのは自分たちだ”という誇りがスタッフ全員に備わっているからでしょう。しかしそれ以上に、ラフという人間にどこかしら、放っておけない、世話を焼かずにいられない、こちらの母性本能をかきたてるものがあるせいではないかと思うんですよね。おそらく、チェン監督自身も私と同じことを考えたのではないかなあ。そうそう、ラフの右腕ピーター・ミュラーもきっと同じだと思うわ(笑)。

監督がAFP BBのインタビューに答えている記事がありましたので、共有しておきます。




ファッションを創る男〜カール・ラガーフェルド〜 Lagerfeld Confidential」は、ラガーフェルドという“歩く歴史的エピソード男”を徹底取材することで、ファッション業界の不思議を垣間見せました。ラガーフェルド御大はあけっぴろげな性格ですからそれでよかったのですが、ラフの場合はそうはいかんでしょうなあ。ご本人が内に篭り気味のキャラクターな上に、ディオール総帥に就任したばかりという緊張する時期でしたしね。そこでこの「ディオールと私 Dior et Moi / Dior & I」は、通常のファッション関係のドキュメンタリーでは全くスポットライトが当たらない、縁の下の力持ち的存在のお針子、つまりアトリエ・スタッフたちを大きくフィーチャーしました。

この作品が、ドキュメンタリーでありながら、まるで良く出来たドラマ映画を観ているような気にさせられるのは、アトリエ・スタッフたちの群像と、ラフの孤軍奮闘を同時進行で見せたためだと思います。ラストの大団円に至るまでに、私達はラフ、ピーター、アトリエ・スタッフ達全員にすっかり感情移入してしまっています。その勢いのまま、あのラストを見せられるのだから堪らんですわ(笑)。まるで自分自身も、ラフの初コレクションの準備に参加したような気になっている観客は、苦労の末ようやく生み出された“ファッションというお伽話の空間”の美しさを目の当たりにして、アトリエ・スタッフと一緒に感無量になってしまう。貰い泣きするなという方が無理な話よ(笑)。

ブランド創立者が思考やモラルの面では存外保守的だったため、デザイナー対お針子達という構造において、ディオールのアトリエの職人達の力が他ブランドより強い伝統が今も守られています。また、そんな伝統が今現在もブランドの屋台骨の多くを支えてもいます。ラフのような立場にある人達は大変でしょうが、私などはそんな古い伝統を守っていくのも悪いことではないんじゃないかと映画を見ながら思いましたねえ。ファッションのみならず、良いものが生み出される現場というのは、異なる分野の知識や経験を持つ人達、異なる考え方を持つ人達、あるいは古い伝統と新しい未来が集まり、彼らがぶつかり合って常に健全な軋轢が生じています。全てが心地よく、なあなあで楽チンな場所では、良いものは生まれないでしょう。


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