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zoom RSS 本当は悲しい白雪姫―「ブランカニエベス Blancanieves」

<<   作成日時 : 2015/04/29 22:13   >>

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“過去を懐かしむことは去った風を追うことに等しい。”

過去の栄華を懐かしむようになると、人は誰しも、他ならぬ自分自身の“老い”を痛感させられます。しきりに“昔の日本は良かった”と壊れた蓄音機のごとく繰り返す人達は、上記したロシアの格言を肝に銘じておいて下さい。今はもう存在しない幻影に手を伸ばしたところで、あなたの手は虚しく空を掴むばかりです。過去の思い出を忘れろとは言いません。が、過去の思い出に縋り付くのはやめた方がいい。そんなものは“ノスタルジア”ではないでしょう。真のノスタルジアとは、過去の遺産を今の考え方で解釈し直し、独自の視点で新しく蘇らせることを意味するのだと思います。

2013年のゴヤ賞で18部門にノミネートされ、なんと最多10部門を受賞した驚きのモノクロ作品をご紹介します。長編映画を手掛けるのはこれで2作目だというフレッシュな、しかも野心的な才能が、スペインから誕生しました。サイレント映画で完成された古典的映像表現を上手く組み合わせ、古い手法を斬新に、スタイリッシュに蘇らせたセンスに感嘆。まあしかし、これだけなら、昨今巷に溢れる“過去作品の引用応用”が上手なオタク世代の映画監督の1人で終わってしまうでしょうが、このパブロ・ベルヘル監督はちょっと違います。彼の引用応用術は、いわゆるオマージュであるとかインスパイアの類いではなく、徹頭徹尾誇り高き美意識に貫かれた、本当の意味で“過去を今に蘇らせた”新しい表現方法なのです。

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「ブランカニエベス Blancanieves」(2012年)
監督:パブロ・ベルヘル
製作:アイボン・コーメンザナ、ジェローム・ヴィダル
脚本・原案:パブロ・ベルヘル
撮影:キコ・デ・ラ・リカ
音楽:アルフォンゾ・デ・ヴィラロンガ
美術:アラン・ベイネ
編集:フェルナンド・フランコ
衣装:パコ・デルガド
出演:マリベル・ベルドゥ(エンカルナ・継母)
ダニエル・ヒメネス・カチョ(アントニオ・ビヤルタ・父親)
アンヘラ・モリーナ(ドナ・コンチャ・祖母)
ソフィア・オリア(カルメンシータ・幼少期のカルメン)
マカレナ・ガルシア(カルメン/ブランカニエベス・白雪姫)
ホセ・マリア・ポー(興行主ドン・カルロス)他。

1920年代、栄華を誇ったスペインが斜陽の時を迎える直前のセビーヤの春祭り。華やかな衣装で身を飾った淑女、おしゃれな乗馬服とコロドバ帽に身を固めた小粋な紳士が、インフェルノ通りに溢れていなければならないのに、通りには人っ子ひとりいない。一体彼らは何処に消えたのか。スペイン最大の闘牛場レアル・マエストランサ・デ・カバジェリアに、スペイン屈指の闘牛士達が集結したからか?中でも、当代随一の人気、実力、そして天才的技量を持つ名闘牛士アントニオ・ビヤルタが、トリを務める日が今日であることを皆知っていたのだろうか。ならば、スペイン国民がこぞって闘牛場を目指したのも頷ける。

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ビヤルタが登場するため、特ダネあるいは決定的瞬間をモノにしようと、多くの記者達が客席内に潜り込んでいた。しかし闘牛場では、牛とマタドールの命懸けの真剣勝負が繰り広げられる。一瞬の不注意が文字通りマタドールの命取りに繋がるため、フラッシュが焚かれる写真撮影は一切禁止されていた。にもかかわらず、カメラをビヤルタに向けた非常識者がおり、怒ったマネージャーによって摘み出された。

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客席には、出産間近のビヤルタの愛妻、美しきカルメンとその母がいた。夫の晴れ姿を見ようとオペラグラスを覗いたカルメンには、夫が結婚指輪に口付ける様子が見えた。この時彼女は確かに世界一幸福な妻であっただろう。
5頭の猛牛をムレタの華麗な技で退けた後、ビヤルタがエストケを真剣に持ちかえ、最後の猛牛にとどめを刺すべく牛と一対一で睨み合ったその時。こっそり客席に戻っていた例のカメラマンが、ビヤルタの顔をフィルムに収めようとフラッシュを焚いたのと、牛がビヤルタめがけて猛進してきたのと、ビヤルタがフラッシュの光に一瞬視界を失い、とどめの一突きが遅れたのが同時に起こった。次の瞬間にはビヤルタは、最大級の牛の角に腰を貫かれて空中に放り出されていた。悲鳴と怒号が場内にこだまする。ショックのあまり産気付いたカルメンは母に付き添われ、血塗れになったビヤルタは大勢の人々に担架に乗せられ、それぞれ病院に搬送された。カルメンは娘を産んだ直後に命を落とし、ビヤルタは辛うじて一命をとりとめたものの、全身麻痺の後遺症で闘牛士としての道は絶たれてしまった。

カルメンシータと名付けられたカルメンとビヤルタの娘は、カルメンの母ドナに引き取られる。ビヤルタは血を分けた我が娘に対し、愛しい妻の命を奪ったという理不尽な憎しみを抱くようになり、娘の元から去っていったのだ。入院中にビヤルタの身の回りの世話をしていた看護士エルカンナの本性を見抜けず、野心満々の彼女に言われるがまま彼女と再婚。カルメンシータはつましいながらも、元フラメンコダンサーだった祖母に大切に育てられた。
カルメンシータが10歳になった時、一人前のカトリック教徒になるための初聖体を迎える。晴れがましいこの日、一張羅を着た子供達を大勢の親達が教会の外で出迎えたが、カルメンシータの父ビヤルタは車から降りることなく、無言で去ってしまった。ドナは孫娘を喜ばせようと、かつてとった杵柄でフラメンコを踊る。カルメンシータの母もまた素晴らしいダンサーであり、カルメンシータには3世代にわたるダンサーの血が流れているのだ。だが、ドナとカルメンシータが初聖体を祝って踊っていた最中、ドナは心臓発作を起こし、あっけなくこの世を去る。またしても一人ぼっちになったカルメンシータは、ついに父の後妻エルカンナが支配する壮麗なゴシック調の屋敷に引き取られる。

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屋敷の禍々しい雰囲気は、最初からカルメンシータを拒絶しているようだ。エルカンナはビヤルタの後妻におさまった途端、本来の冷酷かつ残忍で貪欲な本性を剥き出しにしていた。ビヤルタが介助なしでは身動き取れないのをいいことに、日がな一日ビヤルタを開かずの物置に閉じ込め、自分は愛人を作って贅沢三昧。カルメンシータには下女の下働きの仕事を押し付けて、ビヤルタとの接触を厳しく禁じた。

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薄幸の運命に翻弄される父子を神が哀れんだのだろう。カルメンシータはある日偶然、屋敷内で父が監禁されている部屋を発見、父子は初めて対面した。涙ながらにこれまでの非を詫びる父を、カルメンシータは生まれて初めて両の腕で抱き締めた。それからというもの、エルカンナの目を盗んでカルメンシータは父の部屋に通い始める。父の口から聞く闘牛の話は、眠る前にドナから聞いたお話よりずっとカルメンシータの胸をワクワクさせた。しばらくすると、話を聞くだけでは満足できなくなり、父の手ほどきを受けながらカルメンシータも見よう見真似でムレタを振る練習を始める。母カルメンからはダンスの才能を、父からはマタドールの才能を受け継ぐカルメンシータは、眠れる天賦の才をメキメキと現していった。
『牛にとどめを刺す時は、牛がどんなに巨大で獰猛でも怯んではいけない。絶対に目を逸らしてはいけないんだ。意識を牛の目に集中するんだ』
父がかつて仕留めた牛の剥製は、じっとこちらを見つめている。カルメンシータもその物言わぬ目を睨みつけた。そこに見えるのは、敵か、それとも自分自身か。まだ幼い彼女には分からなかった。
悪賢いエルカンナが父子の秘密の逢瀬に気付かぬはずはない。結局、悪女はカルメンシータとビヤルタのささやかな交流の時間までも完全に奪ってしまう。以降、カルメンシータは屋敷の上階に足を踏み入れることを一切禁じられた。

エルカンナは、ついに一線を越える。ビヤルタの財産を全て手に入れるや、用済みとばかりに彼を車椅子ごと階段の上から突き落としたのだった。一方、カルメンシータは成長し、在りし日の母そっくり美しい娘カルメンになっていた。父に教わった通り、来る日も来る日も洗濯物のシーツをムレタに見立てて振り続ける。それが彼女と父を結ぶ唯一の思い出であるからだ。そんな彼女の元に何よりも辛い訃報が届いた。幼い頃、ほんの短い間しか触れ合うことができなかった父が、孤独な彼女の唯一の拠りどころだった父が、あっけなく逝ってしまった。葬式前の父の亡骸に一目だけ会うことを許されたカルメンは、冷たくなった父の体にハラハラと涙をこぼす。こうして、カルメンは天涯孤独の身の上となった。ところがエルカンナは、ビヤルタの実子であるカルメンを危険視し、彼女を人知れず始末するよう愛人に命ずる。人気のない森に連れ出されたカルメンは、首を絞められて川に沈められる。動かなくなったカルメンを見た愛人は、急に恐れをなして逃げ帰った。

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水辺で倒れていたカルメンを発見したのは、“こびと闘牛士団”として地方を巡業してまわる小人たちの一人で、フィリップという名の青年だった。彼は美しいカルメンに一目惚れし、懸命に蘇生を行った。その甲斐あって息を吹き返したカルメン。しかし、突然殺されかけたショックで全ての記憶を失っており、自分の名前すら思い出せない有様だった。彼女を不憫に思ったフィリップは、仲間たちのところへ彼女を連れて行く。名前も分からない曰くありげな娘―しかも小人ではない娘だ!―を仲間に加えることに、当初は躊躇した小人たち。だが、純朴で天真爛漫な娘が天涯孤独の身の上であることに同情し、世の中から摘み出された者同士、結局は彼女を受け入れる。そして肌が抜けるように白い彼女に“ブランカニエベス(白雪姫)”という名前をつけた。

こびと闘牛士団の巡業は、要は、格式の高い中央の闘牛興行を見られない地方の人達のために、コミカルな演出を施した見世物的な闘牛ショーを行うことだった。何も分からないブランカニエベスは、ショーが終わるまでとりあえず舞台裏で待機するように言われていたが、記憶を失っているとはいえ、天才闘牛士ビヤルタ直々に教え込まれたマタドールの技は体が覚えている。しかも、母から受け継いだフラメンコ・ダンサーの血も騒ぐ。ブランカニエベスは反射的にムレタを手にするや、闘牛場に踊り出て父譲りの華麗な技で牛をコントロールして見せた。ドサ周りの半端な闘牛ショーしか見たことのなかった観客は、やんやの喝采を贈る。今まで他人から虐げられてきたブランカニエベスにとって、他人から賞賛され、その存在を認められることは天から降ってきた幸福だった。その後、こびと闘牛士団の興行は、可憐なマタドール、ブランカニエベスを一目見ようと観客が押しかけるようになり、満員御礼の大人気を博したのだった。

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こびと闘牛士団の中には、いきなりフラリと現れたかと思うと、あれよあれよと言う間に自分たちの闘牛士団の花形スターに治まったブランカニエベスに嫉妬する者もいた。だが、スペイン全土で手広く興行を取り仕切っていた興行主ドン・カルロスが彼らと長期契約を交わしにやってくると、不満分子もブランカニエベスを認めざるを得ない。しかしながら、小人たちも、もちろんブランカニエベスも誰も読み書きが出来なかったため、その契約書に“ブランカニエベスの肉体を未来永劫自由にすることが出来る”という不気味な一文が含まれていたのを、誰も見抜けなかった。

ドン・カルロスは、ブランカニエベスをもっと大きな格式の高い闘牛場でデビューさせようと画策していた。これまで勇敢な男の為のものだった血生臭い闘牛で、まるでフラメンコ・ダンサーのごとき佇まいで軽やかにステップを踏むように、舞うように、華麗な技で猛牛をいなしてしまう美しい娘闘牛士ブランカニエベスの登場は強烈だった。その人気っぷりは、スペイン全国誌に大きく特集される程。しかし、その同じ雑誌のセレブ欄に、得意満面で新居の写真を載せる筈だったエルカンナも、彼女の話題が翳む勢いの人気者“マタドール・ブランカニエベス”の存在に気付いた。写真から判断するに、あの忌まわしいカルメンがまだ生きていたらしい。愛人がしくじったのだ。エルカンナは、怒りに任せて愛人を叩き殺すと、毒リンゴを手に取りカルメンを自分の手で直々に地獄に送る決意を固めるのだった。

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父が闘牛士として最後の舞台に立った闘牛場。ブランカニエベスは知らず、亡き父の足跡を忠実に辿っていたのだ。紆余曲折を経て父の思い出の元に戻ってきた。実はこのブランカニエベスのデビュー興行に、かつて父のマネージャーを務めていた人物が駆けつけていた。ブランカニエベスの評判を聞き付け、彼女の技の特徴といい、その顔貌といい、故アントニオ・ビヤルタに瓜二つであることに気付いたのだ。彼女はひょっとしたら、行方知れずになったといわれるビヤルタの一人娘ではないか。元マネージャーの男性は、闘牛場裏手でブランカニエベスと顔を合わせ、彼女があの天才闘牛士アントニオ・ビヤルタの血を受け継ぐたった一人の人物であることを確信した。そして、当の本人が忘れてしまっている彼女の過去を明かし、亡き父が愛用していたという帽子を万感の思いを込めて手渡した。「お父さんが天国から見守っているよ」と、ブランカニエベスの細い手を握り締めながら。

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一方、エルカンナはブランカニエベスに不満を抱いていた小人の一人を篭絡し、ブランカニエベスが対戦する牛をより巨大なものに入れ替えるなど、卑劣な小細工を始めていた。ブランカニエベスは、満場の観客が見守る中で、確実に牛を仕留めてゆく。母カルメンから継いだフラメンコの激しいリズム、父から継いだマタドールの技が、彼女の身体を流れるように軽やかに動かす。これは理屈ではない。そして、その時突然、ブランカニエベスの脳裏に、今まで失っていた過去の記憶が甦り、奔流のように溢れ始めた。父、母、祖母、そして私。ブランカニエベスはついに自分がカルメンであることを思い出した。蘇った父の言葉に従って、カルメンは牛の目を睨みつける。客席からは、カルメンが牛に最後のとどめを刺すのを免除するよう、主催者に嘆願する声が広がっていたが、当のカルメンが聞く耳を持たなかった。亡き父の果たせなかった最後の戦いを、彼女は自分でケリをつけるつもりでいたのだ。固唾を飲む観衆、カルメンを亡き者にしようと舌舐めずりする悪女エルカンナが見守る中、猛牛とカルメンの戦いはどうなるのか。そして、不運に翻弄され続けたカルメンの運命はどうなってしまうのか。

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ヨーロッパの伝承に基づいた白雪姫のお話は、数え切れないほど映像化されてきました。つい最近も、ターセム・シン・ダンドワール監督がウチのショーン・ビーンを実に贅沢な使い方で(苦笑)起用しやがってくれたやつとか、クリステン・スチュアート(ジュリエット・ビノシュと共演した「Clouds of Sils Maria」は要注目作品です)が、ゴンドール家そっくりの紋章がついた甲冑に身を固めていたやつとか、まあ色々。

スペインから生まれた超異色翻案版白雪姫映画「ブランカニエベス」は、舞台を1920年代のスペインに据え、白雪姫を名フラメンコダンサーと天才闘牛士の血を引く娘に仕立てるという、ウルトラC級の斬新なアレンジが特徴。従って、フラメンコの激しくスピーディーなリズム、血湧き肉躍る闘牛の荒々しさが映像を牽引することになり、白雪姫のお話に一部「眠れる森の美女」の要素が入り混じった、かなり入り組んだストーリーをテンポ良く畳み掛けます。

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更に、白雪姫(ブランカニエベス)を巡る邪悪な継母や7人の小人たちの役回り、ストーリーの背景にもスペイン独特の風俗の香りを纏わせ、他の翻案ものとは一線を画するユニークな世界観作りに成功していますね。邪悪な継母エルカンナを楽しげに(笑)熱演したマリベル・ベルドゥの存在感はハンパなく、「パンズ・ラビリンス Pan's Labyrinth」や「天国の口、終わりの楽園。 Y tu mamá también」で彼女が演じていた、官能的で誘惑的なのに翳りを宿すキャラクターを想起させてニンマリさせられますな。エルカンナのキャラクターにも、単なる悪女以上の個性―男と対等に張り合える策略家の側面―が付加されておりました。男尊女卑の時代に、男同様に権力を得て、狩猟を嗜み愛人を囲う“強い女"の肖像が強烈。時に白雪姫がかすむ程のインパクトでしたよ。

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7人の小人たちそれぞれの性格、個性の違いも丁寧に描写されていて、「フリークスFreaks」を思い出された方も多かったのではないでしょうか。偏見や差別は悪いことだと分かっちゃいても、彼らの容姿を目にして戸惑う小市民のサガもまた事実。世間からのそうした無言の差別意識に、結局は追いたてられて住処を奪われ、ドサ回りの闘牛士団を作って自らを見世物にするしかない彼らの痛み。特に、ブランカニエベスに惹かれ、終生彼女に尽くすフィリップが、いつももの言いたげに彼女を見つめている姿が切なくてね。もし彼の身長が、彼と同年代の男性と同じように高かったら?彼はすぐさまブランカニエベスに求婚したことでしょうよ、それこそ本家の童話「白雪姫」の王子様のように。それが出来ない辛さと、ブランカニエベスがどのような運命を辿ろうと、最後まで影のように彼女に寄り添い続ける彼の胸の内を思うとね。もうね(涙)。

この作品の、そうした人間ドラマとしての一面が、サイレント映画の手法を駆使したダイナミックな映像と合体し、力強さと繊細さを同時に生み出すのです。カルメンシータとドナが初聖体の日にフラメンコを踊るシーンで、亡き母カルメンの面影が幻のように浮き上がるシーン、カルメンシータとビヤルタがひっそりと交流する月日の経過を、カレンダーがめくれていくという懐かしい絵で暗示するシーン。あるいは、カルメンシータが洗濯物をムレタに見立てて振るシーンが、次の瞬間には成長した娘の姿のカルメンが同じ動きをなぞるシーンに切り替わり、“時間の経過”を一瞬で表現する鮮やかさ。あるいは、ついに亡き父が最後に立った闘牛場にやって来たカルメンが、闘牛の真っ最中に突然何もかもを思い出すシーンの、最高潮に達する緊迫感。追い立てるようなフラメンコのリズムと、ブランカニエベスがカルメンになる瞬間を逃すまいと動き続けるカメラの躍動が、全てのパズルのピースが元に戻った途端ピタリと止む。これほどまでに音と映像の一体感を目の当たりにした映画はそうそうありません。映画全体の緩急を、音と、編集に工夫を凝らした映像、登場人物の体現するエモーションが自在に支配しているのです。

では、様々な紆余曲折を経て名実共に完成した“白雪姫=カルメン”には、どんな最後が待ち受けていたのでしょうか。

今作では、白雪姫のお話の核とも呼べる部分を後味の悪い結末で示したことで、この浮世離れしたファンタジーを原典の伝承が持つ鬱屈した雰囲気に近付けたのではないかと思います。

…ですがまあ、気の毒としか言い様のない白雪姫の流転の人生が、余りに救いのない結末に堕ちていく様は、見る人によっては、悪趣味に過ぎると感じられるかも知れません。

しかし昔も今も、虐げられる子供に都合の良い奇跡が起きた試しは全くないのです。その意味では、神は本当に無情かつ無精。今だって、エボラの脅威から脱していないアフリカに取り残された子供達、内戦の犠牲になって命を落としたり、幼くして家族を喪って路頭に迷う子供達など、神によって救われない子供達は後を絶ちません。斜陽の時を迎えていた1920年代のスペインが抱えていたともいえる、古き佳き時代へのノスタルジア濃いダーク・ファンタジーとして始まったこの作品は、紆余曲折を経て最後に思わぬ“現実の非情”を映し、夢心地だった観客に氷水をぶっかけました。眠り続ける白雪姫の目から零れ落ちた涙に、過去への感傷と、それとの決別を重ね合わせることもできます。

今作における白雪姫の物語が、何故こんなにも悲惨にならねばならなかったか。それは、ヨーロッパ伝承の昔話が21世紀の今も語り継がれる理由を考えると納得できるかもしれません。

要は、白雪姫が哀れな境遇の娘で、悪者に骨の髄までしゃぶりつくされる残酷な運命にある美しい生娘だから。

ドラマチックな運命を背負った生前のお姫様には、下々の愚民どもは一切手出しできません。が、永遠に眠り続けるお姫様はある種の“シンボル”となるので、彼女の肉体の価値は、その聖なるシンボルに付随する“おまけ”に変容します。“おまけ”なら、シンボルの領域を侵犯しない限り、誰にでも自由に出来るのではないか?
…本編のラスト、馬鹿な契約書のせいで安寧の眠りすら許されない羽目になったブランカニエベス。生きた肉体のまま、若々しい美貌を保ったまま、それでもなす術もなく眠るしかないブランカニエベスに、僅かな金と引き換えに“王子様の接吻”を施そうと群がる客達の浅ましさには吐き気を催しますよね。
でも、眠り続けるブランカニエベスと彼女に群がる客の関係は、遠い昔に実際に存在したかもしれない何処かの国の“白雪姫”を、童話という名のシンボルに勝手に祭り上げ、彼女の美を、ドラマ性を、聖なる処女性を、そしてその安らかな眠りすらも彼女から奪い、永遠に貪ろうとする我々読者と、全ての童話に登場する“お姫様”との関係と全く同じなのです。

童話と私達一般人の関係の歪みをラストに明示して“Fin”となるとは、さすがは、捻くれた現代の申し子による作品であることですわいね。

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