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zoom RSS 芸術とその守り人―「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 National Gallery」

<<   作成日時 : 2015/04/20 01:14   >>

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現在ニューヨークで開催中のトライベッカ映画祭 Tribeca Film Festival 2015は、お祭りに参加している映画好き達やバイヤー等、周辺の人たちから洩れ聞こえてくる情報から察するに、ドキュメンタリー映画、また、色彩を廃したモノクロ作品や音声を遮断したサイレント作品など、リスクを恐れずアーティスティックに冒険した作品にスポットライトを当てているようですよ。あくまでも個人的な感想ですが、これは素晴らしいことではないでしょうかね。

なんというか、たとえ安上がりでお手軽な現実逃避の手段といえど、また、大衆のための娯楽のツールといえど、映画にもいろんなタイプがあっていいと思うんですよ。おヴァカ・コメディでゲラゲラ笑ったり、アメコミ映画のドッカーンズゴゴゴゴビューーンなアクションに興奮したりする一方で、難解なテーマや斬新な映像に挑戦した映画と一対一で向き合ったりね。映画「バードマン Birdman」で年中不機嫌なオバハン演劇評論家いわく、“ポルノとアニメ映画を作っちゃあ、毎年賞を譲り合う”毎度おヴァカな映画界ではあるけれど、芸術と呼ぶにふさわしい野心的な作品もまた、確実に生み出されているのです。

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ドキュメンタリー映画に注目が集まり、マンネリ化著しいフィクション映画より余程優れた作品も多く発表されるようになった昨今。しかしながら、今よりうんと大昔から“真のドキュメンタリーとは何ぞや”という命題に挑み続けている偉大な映画監督がおります。フレデリック・ワイズマンFrederick Wiseman御大ですね。アメリカはボストン生まれ、1982年の『セラフィタの日記 Seraphita's Diary』、2002年の『最後の手紙 La dernière lettre』以外は、テレビでも劇場用映画でも一貫してドキュメンタリー作品を手がけ続けている頑固な職人監督さんですな。

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純然たるドキュメンタリー映画監督としては、彼の知名度の高さはおそらく格別だと思われます。日本でも「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 National Gallery」(2014年)、「クレイジーホース・パリ 夜の宝石たち Crazy Horse」(2011年)、「パリ・オペラ座のすべて La Danse」(2009年)、「コメディ・フランセーズ/演じられた愛 La Comédie-Française ou L'amour joué」(1996年)などなど、90年代に入ってからの作品に限りますが、かなりの高確率で劇場公開されていますからね。
また、フランスのパリ・オペラ座やコメディ・フランセーズ、そして忘れちゃいけない(笑)、パリの夜の踊り子さん達を取材した関係から、フランス資本とも縁の深い映画人であります。1970年に設立した、自身の作品を製作・配給する会社ジポラ・フィルムZipporah Filmsを拠点に、今年御年85歳におなりだとは到底信じがたいエネルギーとパワーで、 精力的にドキュメンタリー作品を撮り続けておられます。「ナショナル・ギャラリー」もそうなんですが、ご自身で編集も手がけることが多く、本当の意味での“自分自身の作品”を世に問い続けている数少ない映画作家でしょう。2014年には、その不屈のど根性、いや功績が称えられ、第71回ヴェネチア映画祭で栄誉金獅子賞を授与されました。

アカデミー賞にもノミネートされた御大の最新作「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 National Gallery」は、英国ロンドンの中心、トラファルガー広場を臨む場所に立つ世界一有名な美術館の一つ、ナショナル・ギャラリーを徹底取材したものです。190年もの間世界中の人々に愛されてきたナショナル・ギャラリーとは、一体どのような役割と影響を持った場所であるのか。また、美術館という特殊な業種が、現実問題として他の経済活動とどのように共存を果たそうとしているのか。過去からの遺産である貴重な芸術作品を今に未来に伝え残そうとする、美術館のスタッフの日々の奮闘や葛藤など、普段私達が決して見ることのない“歴史と芸術の夢の空間”の裏側を、3時間にわたり見せてくれます。

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“I do not think any film is “the truth”. 私は、如何なる映画も(例えドキュメンタリー映画であっても)真実だとは思わないんだ。” フレデリック・ワイズマン Frederick Wiseman

ワイズマン監督のドキュメンタリー作品には“日常音”はあっても、意図的に映像を演出する目的で付けられる“効果音”や“音楽”は存在しません。だって普段の日常生活において、たとえば大変悲しい出来事が起こったとして、そのバックに悲壮な音楽が鳴り響いてくるわきゃありませんでしょ(笑)?だから、ワイズマン監督のドキュメンタリー映画は一層現実的であるといえるのです。ただ、見る人によっては、ワイズマン作品の“無音”状態に耐えられず(厳密には無音ではないのですが)、映画上映中、眠気に襲われてしまう場合もあるようで。

「フォックスキャッチャー Foxcatcher」のベネット・ミラー監督もそうですが、音が映像にもたらす絶大な効果を分かっていてあえて、音楽に頼らない映像作りに果敢にチャレンジする映画作家の作品に、観客である私たちも数多く触れる必要があるのかなあと思いますねえ。実は、音楽や効果音が最小限に抑えられた状態の中で映像を見ると、その作品の編集が巧みか拙いかがよく分かるんですよ。耳からの情報に惑わされないので、目の前で展開するストーリーの良し悪し、またその語り口の巧拙が冷静に判断できるのです。

では、ほぼ“無音”の映像が3時間も続く「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 National Gallery」はどうだったか。“グランド・ホテル”形式で、美術館の持つ多面的な役割、多彩なドラマが同時進行で語られていくこの作品は、3時間という上映時間を忘れるほど、観客を映画に没頭させてしまいました。ナショナル・ギャラリーを巡る様々な物語が縦糸と横糸となって綴れ織りのように積み重ねられ、最後の最後に意図された“音楽”が鳴り、そのメロディにのってバレエダンサーが館内で舞う姿がラストで見られます。正直、こんなに濃密でこんなに昇華されたクライマックスは久しぶりでしたね。天晴れとしか言い様がない。

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「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝 National Gallery」公式サイトはこちら

さて。

職人さんがその技を駆使して作業しているのを見るのが、子供の頃から大好きでした。うどん職人やそば職人の見事な手さばきで製麺されていく生地、ピザ職人が生地を空中に放り上げるたびに均一に伸びていく様子、魔法のような料理人の包丁さばき、何故大工さんは寸分の狂いもなくカンナで木材を削れるのか、ただの土の塊が陶芸家の手の中でみるみるうちに美しい陶器の形を成していく様子。何もない所から美しいものが生まれ出てくる瞬間は、いつまで見ていても飽きませんね。

これ、昔どこかに書いた記憶があるんですが、映画「トイ・ストーリー2 Toy Story 2」(1999年、ジョン・ラセター監督)の中で、長い間に塗装も剥げたりして古くなったウッディ人形を、職人さんが修復していくシーンがあるでしょ?あのシーンが死ぬ程好きなんですよ、私(笑)。もう数え切れんぐらい見返してます(笑)。ウッディ修復シーンだけ(大笑)。毎回毎回、見惚れています(笑)。こんなおヴァカは私だけかと思いきや、世界中に同好の士がおられたようですよ。

Cleaning/Fixing Woody 'Toy Story 2' Scene


とにかく、人形にしろ、絵画にしろ、他の美術品にしろ、あるいは遺跡や化石の発掘作業もそう、本来、過去のある瞬間をそのままの形で保存していた価値あるものが、時間の経過によって摩耗、疲弊してしまったのを修復する作業に、私は大きな敬意を払いたいのです。それは、何もないところから美を生み出す作業と同等の意義を持つでしょう。そして、過去の遺産を本来の姿に戻し、その真価を今に伝えるべく力を尽くす人達こそ、私達と過去の遺産、歴史からの贈り物を結び付けてくれる“芸術の守り人”だと思うのです。


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時間の経過がダメージを与えた絵画を本来あるべき姿に修復することは、美術館の大切な仕事の一つ。

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絵画の修復過程を実際の作業場で段階を追って見せたりして、芸術を単なる過去の遺産としてみなすのではなく、今現在この時を私たちと共に生きている“命ある美”であることを理解してもらう。

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また、修復された絵画を収める額縁も大切な“作品”の一つ。この額縁職人の方も、大勢の来館者の前で額縁と絵画の関係について解説されていましたね。ただ、他の学芸員さんたちのように達者なおしゃべりは苦手のようにお見受けしましたが(笑)。緊張されているのか、しゃべり慣れない初々しい姿も微笑ましかったですよ。

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私たちが美術館に行った時に遭遇するのが、来館者に絵画の歴史や由来、また鑑賞のポイントなどを解説しているスタッフですよね。映画では、様々なタイプの来館者向けに、個性豊かなスタッフの個性あふれる解説っぷりがランダムに紹介されていました。これがまた抜群に面白い。映画のレビューなんか書いてる人達は、特に参考になるんじゃないでしょうかね。

彼らのおしゃべりを聞いていると、外国からの団体客然り、学校から見学にやってきた子供たちなどもそうですが、普段こういった美術館や絵画を見慣れない来館者向けに、理解しやすいよう平易な言葉を使って、また芸術を身近に感じてもらえるように面白く解説するのは、至難の業だということが分かります。現に、ナショナル・ギャラリーでさえも、“芸術が理解できる奴しか相手にしない”という方針を転換し、もっと一般の人達、芸術にはあまり縁のない人達の興味を惹きつけるため、様々な試みがなされていました。過去からの貴重な遺産である芸術を、今現在を生きる私たちのものとして共有するためには、どうすればいいか。この美術館の究極の使命を果たすべく、ナショナル・ギャラリーのスタッフ達も、様々な人々を相手に解説の仕方を変えて趣向を凝らしたりして、模索を続けています。

でもまあ、これってよく考えたら、舞台で古い戯曲を上演している役者さん達が、観客相手に奮闘しているのと同じことですよね。いってみれば、毎日様々な来館者達に絵画の解説をしているスタッフたちは、美術館という舞台上で、来館者という観客を相手に、絵画の紹介という劇を演じているようなものなのです。この解説劇を見るだけでも大変にドラマティックですよ。

今作は、ナショナル・ギャラリーが実に多方面の分野とコンタクトを保ち、現代社会の一員として溶け込むため、涙ぐましい努力も続けていることを明らかにしました。世知辛い話をしますと、それがまあ、いわゆる来館者数に繋がり、入場料売り上げに繋がり、美術館が厳しい資本主義社会を生き抜く結果に繋がるわけでしてね。館長はじめ、スタッフ達が、美術館の運営の方向性や、美術館の在り方について激しい議論を闘わせる会議の様子からは、ナショナル・ギャラリーも美術館としての特異性を保ちつつ、他の一般企業と同じ営業努力を強いられていることが伺えます。もっと高尚にもっとアーティスティックに、そしてもっと保守的に、ナショナル・ギャラリーの誇りと伝統を守りたいのが本音でしょうに、現実には、子供や外国人、アートとは縁遠い人達にも芸術世界の裾野を広げていかねばなりません。そのために、専門知識だけに凝り固まらず、現実を冷静に睨むことのできるバランス感覚が必要なのです。
全ては、芸術という過去からの遺産を未来に伝えていかんがため。芸術の守り人としての誇りは、努力と葛藤との絶え間ない戦いと、芸術への愛情と忠誠心に支えられているのです。



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