House of M

アクセスカウンタ

更新情報

zoom RSS 最前線悲惨物語―「フューリー Fury」

<<   作成日時 : 2015/02/13 00:48   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 3 / トラックバック 0 / コメント 0

“理想は平和だが、歴史は残酷だ”

画像

「フューリー Fury」(2014年)(製作国イギリス)
監督:デヴィッド・エアー
製作:ビル・ブロック&デヴィッド・エアー他。
製作総指揮:ブラッド・ピット&サーシャ・シャピロ&アントン・レッシン他。
脚本:デヴィッド・エアー
撮影:ローマン・ヴァシャノフ
プロダクションデザイン:アンドリュー・メンジース
衣装デザイン:オーウェン・ソーントン
編集:ドディ・ドーン&ジェイ・キャシディ
音楽:スティーヴン・プライス
出演:ブラッド・ピット as ドン・コリアー(ウォーダディー)
シャイア・ラブーフ as ボイド・スワン(バイブル)
ローガン・ラーマン as ノーマン・エリソン(新兵)
マイケル・ペーニャ as トリニ・ガルシア(ゴルド)
ジョン・バーンサル as グレイディ・トラビス(クーンアス)
ジェイソン・アイザックス as ワゴナー大尉
スコット・イーストウッド as マイルス軍曹
ジム・パラック as ビンコウスキー軍曹
ブラッド・ウィリアム・ヘンケ as デイヴィス軍曹
ケヴィン・ヴァンス as ピーターソン軍曹
グザヴィエ・サミュエル as パーカー小隊長
アナマリア・マリンカ as イルマ
アリシア・フォン・リットベルク as エマ 他。

“この戦争ももうすぐ終わる。だがそうなる前に更に大勢の人間が死ぬんだ”

1945年4月。第二次世界大戦も終わりを迎えようとしていたが、敗戦間近のドイツ軍は、ナチス親衛隊(SS)を中心に国民全員を戦闘に駆り出す覚悟で総力戦を展開し、最後の抗戦を続けていた。『奴ら、何故降伏しないんだ?!』というアメリカ軍兵士たちの苛立ちと不満は、そのまま連合国軍側の本音を代弁したものであろう。

戦局は連合国軍側の圧倒的優位となっているにもかかわらず、ドイツ軍の抵抗が長く続いているため、ヨーロッパの最前線に配属されていたアメリカ陸軍も疲弊していた。連合国側の犠牲者数は一向に減らず、燃料、装備、人員ともに常時不足していたのだから無理もない。特にアメリカ陸軍にとって脅威だったのは、装備・性能に勝るドイツ軍の最終兵器ティガー(Tiger)戦車隊であり、ヒトラーに命を投げ出すことも厭わぬナチス親衛隊の存在だった。
普通の軍隊なら、物量を投じて正しい戦い方を行えば力でねじ伏せられるが、“ヒトラーへの忠誠心”という形の無い信念に守られているナチス親衛隊には“死への恐怖”という概念が無い。死を怖がらない人間というのは、ある意味では最強であり不死身でもある。そんな連中が、最後の1人になっても戦うことを信じて疑わないのだから、連合軍側によるナチスからのヨーロッパの解放が遅々として進まないわけだ。

焦土と化した最前線。凄まじい消耗戦を辛くも生き延びた一台のシャーマン戦車M4があった。歴戦のベテラン兵士ドン・“ウォーダディー”・コリアー軍曹率いる『フューリー号』である。たった今の激戦で、彼らは大事な仲間を1人失った。仲間を守ることができなかったウォーダディーは、自身への怒りを鎮めるため、フューリー号の傍を通りかかった馬上のドイツ軍将校に踊りかかって惨殺し、白馬を解放してやった。

兵士の無数の死体がトラックで運ばれ、雨でぬかるんだ地面に掘られた穴に放り捨てられる。金網で仕切られた向こう側には、捕虜になった敵軍の兵士達が幽鬼のようにぼんやりと佇んでいる。戦車が通る道は泥沼のようになり、いつ打ち捨てられたのか分からない敵軍兵士の死体が、戦車に踏まれて原形を留めないまま放置されていた。最前線基地では、死者も生者も区別が付かないほど混沌としている。結局、ウォーダディー達が派遣された激戦地から生還したのは、フューリー号とその乗員だけだった。パーカー小隊長は、ウォーダディー、ビンコウスキー、デイヴィス、ピーターソンら僅かに残った戦車隊に早速次の任務を伝える。最前線では亡くなった戦友たちを悼む暇もない。

画像

フューリー号に新しい兵士が派遣されてきた。名前はノーマン。バラ色の頬のあどけなさの残る新兵だった。初めて見る最前線基地の混沌に呆然としている。ウォーダディーは仲間の命を守るためにも、補充乗員には経験のある兵士を望んでいたが、物資も兵隊も不足しがちな今、訓練も碌に受けていない素人でも来ただけマシだと考えるしかない。戦場では、一瞬の油断と判断ミスが、自分ばかりか仲間の死にも直結する。フューリー号の他の乗員たちーバイブル、ゴルド、クーンアスーは、銃の扱いも知らないノーマンを面白がってからかいつつも、このウブな新兵がこれから待ち受ける過酷な現実に耐え得るのか不安気だ。ノーマンはまず、死んだ仲間の肉片や血飛沫が残る戦車内の清掃を命じられた。

案の定嘔吐するノーマンだったが、新兵が厳しい現実に順応するのを悠長に待っている時間は無い。フューリー号は他の生き残りシャーマン戦車隊5輌と共に、東へ移動する連合軍本隊の援護を行うため、戦闘地域に向かう。見晴らしの良い美しい野原が眼前に広がり、戦車に揺られながら顔を出して眺めていると、ここが最前線であることを忘れてしまいそうだった。他の乗員たちも気が緩んだのか、冗談に興じている。ノーマンは視界の隅で、道沿いの藪の中に子供達が隠れているのを確認した。一体そんなところで子供が何をしているのか。かくれんぼをしているのではあるまい。とにかく、動くもの、怪しいものは全て撃てと命じられていたノーマンだったが、まさか、相手は子供だと思い直し、この違和感をウォーダディーに報告するのをためらった。

ところが次の瞬間、その子供達が戦車隊に向かって火炎瓶を投げつけてきた。フューリー号の前を走っていたパーカー小隊長の戦車が炎に包まれ、車体は大破、小隊長は火だるまになった。全てはあっという間の出来事。目の前で起こる信じられない事態にただただ呆然とするノーマン。ウォーダディーはじめ他の戦車の応戦で、ナチスが子供まで戦争に駆り出したことで悪名高い“ヒトラー青少年団”は粉砕された。しかしウォーダディーは、真っ先に異状を報告しなければならないノーマンがそれを怠ったことを見逃さなかった。その一瞬の判断ミスが戦場では命取りになるからだ。パーカー小隊長の焼け焦げた死体に指を突きつけ、歴戦のベテラン兵士は新米に怒鳴った。小隊長の死はお前の責任だと。

戦況で窮地に陥り、兵士や物資の数も底を尽き始めたドイツ軍は、先程のヒトラー青少年団のように奇襲攻撃に頼るようになった。それはすなわち、土地勘のある敵側に有利であることを意味する。物量で勝る連合軍が、虫の息のドイツ軍の息の根をなかなか止められないでいるのも、ナチス親衛隊や地の利を生かした奇襲攻撃に苦しめられていたせいだ。急遽ウォーダディーが小隊長となり、フューリー号と残り4輌を敵の戦車隊が潜んでいるであろう戦闘地に導いた。ここで味方の歩兵達を援護しながら、戦車隊は敵の砲撃に応戦する。なにしろ、敵がどこに身を隠しているか分からない。ウォーダディーの指示の下、木々の間や茂み、塹壕に隠れている敵の位置をいち早く特定した戦車隊は辛くも勝利する。

ワゴナー大尉の待つ前線基地まであと少し。奇襲攻撃と森の中での激戦で仲間を失った戦車隊は、途中で休息をとる。兵士達が焚き火を囲んでいた時、死んだアメリカ兵の軍服を着て逃走しようとしていたドイツ兵が捕らえられた。激しい戦闘を終えたばかりのウォーダディーは怒りを剥き出しにしてドイツ兵に詰め寄る。『ぶっ殺してやる!!』彼は仲間が引き留めるのを振り払い、ノーマンを引っ張ってくると、嫌がる彼の手に拳銃を持たせた。ノーマンにそのドイツ兵を処刑させようというのだ。捕えた捕虜の人権は守られねばならないという建前があるため、さすがに衆人環視の中で、丸腰、無抵抗の兵士を処刑するのは憚られる。だがウォーダディーは、殺戮の最前線にあっても今だ善意や良心、モラルに縋り付いているノーマンに、その一線を超えさせようとしていた。戦場で、引き金を引くのにいちいち躊躇している余裕はない。戦場では、動くもの全てに怯えて銃を向ける臆病者が英雄になる。兵士だろうが何だろうがとにかく撃ちまくる者が、最も多くの敵を屠るからだ。

膝をつき、家族の写真を出して命乞いをするドイツ兵。まともな状況なら、そんな人間に対して引き金を引くのは狂気の沙汰だ。だがここでは、如何なる常識もモラルも通用しない。良心を殺してでも非情に徹し、敵を撃たねばならないのだ。ドイツ兵も必死だが、ノーマンも人間としての矜恃を死守しようとウォーダディーに抵抗する。しかし歴戦の猛者は、新米のなまっちょろい良心を捻り潰した。ノーマンは丸腰、無抵抗の人間を衆人環視の中で撃ち殺し、一人前の“人殺し”になる通過儀礼を無事に終えることになった。

びいびい泣きながら、それでも人間としての最後の尊厳を守ろうと頑なになるノーマンを火の傍に座らせ、仲間達は自分達の初陣がいかに酷いものだったかを語って聞かせる。皆、一人前の兵士になる前はノーマンと似たような状況に陥っていたのだ。ごく普通の日常生活から切り離され、いきなり異常な世界に放り込まれた人間は皆、大なり小なりノーマンのような葛藤を経ている。理想に燃えて志願して、あるいは徴兵されて仕方なく、理由はどうあれ戦場に来た者は皆、遅かれ早かれ、矛盾だらけの戦争に正義なんぞというものが存在しないことを知る。

ウォーダディーがあえて、ノーマンに卑怯な手段で人殺しをさせた理由は明白で、ノーマンに彼自身の命を守らせるため。引き金を引くのが敵より早ければ早いほど、彼自身が殺される確立が低くなるからだ。ノーマンがそれを理解するのはもっと後になってからだが。ウォーダディーは残った4輌の戦車を率いて、前線基地まで進むことを宣言する。フューリー号に配属されてから何も口にしていないノーマンには、何か腹に入れておけとだけそっけなく言い置いた。

目的の町に到着したウォーダディー達。町に入る道沿いに、老若男女を問わず何体ものドイツ市民の処刑遺体が吊り下げられていた。彼らは皆、『私は戦うことを拒否した卑怯者です』と書かれたプラカードを首につけられている。ドイツの敗戦が決定的になった今、一刻も早く降伏して戦争を終わらせたいというのが、ほとんどのドイツ国民の本音だ。しかし狂信的なナチス周辺の人々は、国民をこの負け戦に総動員し、最後の1人になっても戦わせるつもりでいるのだ。SSナチス親衛隊の隊員がドイツ中の町に配属され、ナチスの命令に背いて戦争終結を望む人々を、見せしめのために処刑していた。粛清の対象は子供にまで及び、もはや狂気の沙汰となっていた。歴戦の猛者揃いのフューリー号の乗員達も、子供の処刑遺体からは目を背けずにいられなかった。

ウォーダディーは、あちこちの建物に隠れて不意打ちを狙うドイツ軍の奇襲攻撃をかわすため、こちらの視界を遮る建造物ごと破壊するよう、砲撃手バイブルに命じた。果たしてあちこちの建物から火の手が上がり、小さな町を呑み込みそうになる。火に追われてドイツ兵士達が飛び出してきた。ノーマンは咆哮しながら反射的に彼らを射撃する。ノーマンの隣でフューリー号を操縦するベテラン操縦士ゴルドは、瀕死の兵士達を必死の形相で撃ち殺し、己の良心を自らかなぐり捨てたノーマンを見てポツリとつぶやいた。「…放っときゃ焼け死んでたのに」放心した表情のノーマンにウォーダディーがねぎらいの言葉をかける。ノーマンは震える声で、“敵”を撃ち殺すのは思ったより簡単だったと、そして楽しかったと答えた。それが偽らざる心境だった。

町長が白旗を振りながら出てきた。降伏するから攻撃はもうやめてくれ、と。これでやっと終戦、やれやれだ。残ったドイツ軍兵士達とSS親衛隊員が、ウォーダディー達の前に引きずり出されてきた。皆、連合軍の捕虜となるがナチスSS隊員は別だ。仲間を彼らに殺された歩兵がその場で始末した。戦車隊の兵士達は、ようやく訪れたしばしの休息に、大いに羽を伸ばす。ゴルド、クーンアスは早速町のドイツ女をナンパしてフューリー号に連れ込んできた。そのあだ名の通り、いつ如何なるときでも聖書を手放さず禁欲の誓いを守るバイブルは、戦闘中は良き相棒となるクーンアスのからかいに対し、疥癬になる呪いを返してやる。極度の緊張を強いられる戦場では、皆、束の間の休息を存分に楽しむのだ。

バイブルは別として、占領した町の女を娼婦代わりに抱くという行為にモラル的躊躇を覚える者は、戦場にはいない。まだ肩を怒らせながらライフルを握り締めているノーマンを連れ、ウォーダディーは広場に面したアパートに入っていく。ノーマン同様、ウォーダディーも初めて足を踏み入れる町だが、彼はまるでふるさとに帰ってきたかのような気楽さで、明らかに怯えた中年女がいるアパートの一室に入っていった。まだ興奮状態にあるノーマンをソファーに座らせ、達者なドイツ語でその女イルマに話しかけたウォーダディーは、物置に隠れていた彼女の若い姪っ子を引きずり出した。イルマは処女のエマを飢えた兵士に差し出すまいと必死に抗弁したが、ウォーダディーは彼女の抗議には耳を貸さず、湯桶を用意させ、一体どこに隠していたのか新鮮な卵を調理するよう命じた。

画像

その成り行きをあっけにとられて見つめていたノーマンは、湯を浴びてこざっぱりとしたウォーダディーがこれからこの家でくつろごうとしていることをようやく理解した。今朝一番でいきなりフューリー号に配属され、タイプしか打ったことがなかったのに自ら敵を撃ち殺すまでに至った激動の一日の、今は休息の時間なのだ。居間に置いてあったピアノを弾き始めたノーマン。彼もまた、戦場に送られてくるまでやっていたことを思い出した。エマは、ノーマンのピアノに合わせて歌い始めた。ドイツ語を全く理解できないアメリカ人青年と、英語がさっぱり分からないドイツ人少女。意思は通じないながらも、音楽でいい雰囲気になった2人を見て、ウォーダディーは彼女を抱いておけとノーマンに促した。彼女は気立ての良い娘で清潔だからと。男女の間のことに関してもうぶなノーマンは目を白黒させるが、お前が抱かなきゃ俺がやるぞと脅され、慌ててエマと2人きりになった。

食卓に皿が並べられる。戦場の臭いをプンプンさせた自分達が居なければ、まるで何事も無かったかのような日常の光景だ。ウォーダディーが家長の席に、そしてノーマンとエマは仲良くくっついて座る。さしずめイルマは母親か。しかし束の間の和やかな雰囲気は、ドイツ女との一戦を大満足のうちに終えたゴルドやクーンアスたちによって見事に粉砕された。彼らは土足で勝手に綺麗な食卓に居座り、汗と血とその他諸々の臭いを撒き散らしながら、イルマが皿に盛り付けた卵を泥だらけの手で直に掴んでみせる。ウォーダディーの苦虫を噛み潰したような表情から、ノーマンがとっくの昔にエマとお楽しみ済みだったのを察したクーンアスは、散々エマをからかい、エマの皿の卵によだれをなすりつける。

ウォーダディーがクーンアスの子供のようなオイタを叱責すると、生真面目なバイブルでさえウォーダディーに反発した。何故か。いくら束の間の和平状態とはいえ、敵国の女達とままごとのような“普通の家庭ごっこ”をしたところで、次の瞬間には爆撃を受け、全ては瓦礫の下に埋まるかもしれないからだ。何もかもが狂った戦場で、形ばかりの正常を装ったとしても虚しい。ゴルドは堪らず、以前の戦場で見た壮絶な光景を思い出し、懺悔し始めた。既にチームとなっていたウォーダディー達は、激戦地となったアフリカの戦闘で負傷し、息も絶え絶えの敵方の戦馬数千頭を、彼らの苦痛を減らすために一頭ずつ射殺処分していったのだ。“慈悲の殺処分”を与えられた馬達の遺骸の列が延々と続く。もちろんその横には、人間様の原形を留めない遺体も折り重なっているのだ。自分の目の前の光景が信じられず、それ以来ゴルドは、正気を保つために酒の瓶を肌身離さず持ち歩くようになった。苦労を共にしたバイブルやクーンアスたちも、過去に経験した悲惨な戦いを思い出し、仲間を喪った悲しみ、人間の尊厳すら与えられない哀れな遺体の山、その中を命からがら生き延びてきた恐怖、持って行き場の無い怒りを涙ながらに訴える。それらに比べれば、直接戦場で戦うことのない市民のこうむる被害など、ものの数ではないだろう!

彼らの怒りや痛みを最も良く理解するウォーダディーはしかし、平和な食卓でわざわざ触れなくともよい話題を持ち出した仲間達に、唾を吐き返す。戦場での感傷ほど、彼の嫌うものはないからだ。例えそれが、正常な人間による正常な反応だったとしてもだ。人知れず彼自身が深く傷ついていたとしても、彼本人が戦争で泣き言を言ったことはないし、部下に弱みを見せたことも一度もない。部下を守るためなら、憎まれようがどうしようが夜叉にもなり、敵を殺すことを最優先する。それがウォーダディーなりの仲間達への友情と愛情だったのだ。

フューリー号に新しい任務が下された。戦っても戦っても、生き残っている限り、戦争が終わるまで死と隣り合わせの戦いは続く。この連鎖からは逃げようがないのだ。ノーマンが束の間の恋人となったエマに別れを告げた直後、突然町が空爆された。連合軍からの知らせはなかったので、駐屯している連合軍への攻撃を狙って、ドイツ軍が敢行したようだ。空爆では、目印となる建物が真っ先に標的になる。エマとイルマの住んでいたアパートは、運悪く町の中心の広場に面する目立つ建物だった。空爆が終わると、ノーマンはエマの安否を確かめようとしたが、既に彼女のアパートは瓦礫の山と化しており、エマが変わり果てた姿で土砂の中に埋まっていた。錯乱するノーマンをクーンアスが一喝する。これが“戦争”なのだ、と。

ワゴナー大尉の前線基地はあるが、ここも他の基地と同じで、経験豊富な兵士と戦車の慢性的な不足に悩まされていた。ウォーダディー達は諸手を挙げて迎え入れられたが、指揮官といえど一介の大尉に過ぎないワゴナーには、大所帯連合軍の作戦の全容は把握できない。また、この小さな前線基地は連合軍全体から見ればほんの小さな1ポイントに過ぎない。従って、ワゴナー大尉が本部に要請した戦車隊も半分以下しか到着できなかったわけだ。だが、今ある戦力で最大限の努力をし、本部を援護しなければならない。戦力不足の辛さはウォーダディーにも嫌というほど理解できるので、ワゴナー大尉が言い難そうに口にしたある意味無謀な作戦にも、フューリー号と3輌の戦車だけであたることにした。ドイツ軍が通路にしているという情報が入った、とある田舎道の十字路に戦車隊を配置し、そこを通過しようとする者は蟻1匹たりとも容赦なく撃ち殺せ。何が何でもその十字路を死守し、ドイツ軍にそこから先に進軍させてはならない。ノルマンディーに上陸しようとしている連合軍側の作戦に、支障をきたす恐れがあるからだ。

フューリー号はじめ他3輌の戦車隊は慎重に進軍するが、見晴らしの良い草原に出てきたとき、なんと当時世界最強と謳われていたドイツの最新鋭戦車ティーガーが、ウォーダディー達の前に立ちはだかった。ドイツ軍側も、何としてでも十字路を守りたいらしい。優れた耐久性を誇る装甲、当時の戦車の中でも抜群のスピード、最新の武器を搭載したティーガーと、ポンコツのシャーマン戦車とでは、戦力の点において話にならないぐらいの差があった。あれよあれよという間に、フューリー号以外の戦車は乗員ごと爆破されたり、指揮官が吹っ飛ばされたりして全滅。ウォーダディーはティーガーの唯一ともいえる弱点を見抜き、バイブル以下仲間達も一心同体で戦ってようやく敵を撃破した。勝った。しかし友軍は全て失い、残ったのはフューリー号のみ。1輌だけで十字路を守りきれるのか。これからのことを考えると、ウォーダディーもバイブル達も勝利の美酒に酔うことはできなかった。

今更前線基地に引き返すこともできない。フューリー号は任務を遂行すべく、そのまま十字路に向かった。何の変哲もない田舎の、のどかな原っぱだ。戦争さえなければ、どこまでもなだらかに伸びた丘の向こうには、太陽が昇り沈んでいく様を見ることができるだろう。しかし今は、そんな美しい光景を思い浮かべることもできない。現にフューリー号が道中に埋まっていた地雷を踏んでしまったからだ。キャタピラーが壊れ、フューリー号は十字路の真ん中で立ち往生してしまった。平時ならば誰にも省みられないだろうこんな田舎の一本道が、戦時には戦略上最重要なポイントになる。美しい風景には似つかわしくない地雷が埋められていたのがその証拠だ。

近くにあった農家の納屋を偵察に行ったクーンアスとノーマン。少し前までは、ドイツ軍の臨時野戦病院として使用されていたようだが、“収容患者”は皆死んでいた。クーンアスは口ごもりながら、ノーマンに先程のエマのアパートでの非礼を詫びた。「俺は違うが、お前はとても良い奴だから」と。

画像

クーンアスはキャタピラを修理できると考えたが、ドイツ軍がいつ通過するかも分からないので、ウォーダディーはノーマンを見張りに行かせた。天国から地獄に繰り返し突き落とされるかのような凄まじい一日で、思考停止状態が続いていたノーマンは、さすがに疲労を隠せない状態だったからだ。味気ないビスケットを水で喉に流し込むと、ノーマンは身を隠した草むらの中で思わずうとうとしかけた。程なくして、大勢の人間のものと思われる歌声と足音が、一定のリズムを刻みつつ近づいてきた。弾かれるように飛び起きたノーマンは、双眼鏡で状況を確認。鉤十字の腕章をつけたナチスSS大隊が十字路に向かって進軍しているところだった。その数およそ300名。ドイツ側の敗戦が間近な戦局ではあったが、ナチスの中でもとりわけヒットラーへの忠誠心の高いSS部隊は、最後の一人になっても降伏しないという意味で連合軍側にとって厄介な存在だった。彼らの士気は依然として高く、戦車1台きりの、無いも同然な連合軍の壁などあっという間に突破してしまうだろう。

ノーマンからの報告を聞いたフューリー号の面々は、重苦しい沈黙の中で立ち尽くすしかなかった。バイブル、クーンアスらは任務遂行を諦め、荷物をまとめて身を隠す場所を探そうと立ち上がる。ところがウォーダディーは、動かなくなったフューリー号を戦闘態勢にすべく黙って準備を始めた。バイブル達は驚き、一緒にこの場を離れようと促す。命令系統も途切れがちで混乱した前線ではあったが、任務遂行が明らかに不可能だと判断できる場合、“撤退”も重要な戦略の一つであるはずだ。それを知らないウォーダディーではなかったが、しかし彼はあくまでもフューリー号に残って戦うと宣言した。もちろん、勝ち目は限りなくゼロに等しい。だが、たとえ1時間でも30分でもいい、ドイツ軍をここで足止めし、ここから先への進軍を少しでも遅らせることが、今の自分にできる精一杯の“任務”だ。任務を与えられたからには、それを出来うる限り最良の方法で遂行する。それに、フューリー号は自分の“家”だ。“家”を放棄して自分だけ逃げることはできない。だが部下を道連れにする気も無いので、お前達はドイツ軍に捕まらないように逃げろ。
ウォーダディーの言葉に黙って耳を傾けていたノーマンは、すぐにウォーダディーを手伝い始めた。続いてゴルドも。バイブルはしばし葛藤したが、やがて自分の気持ちに踏ん切りをつけて持ち場に戻った。クーンアスは、相棒バイブルが“死”を選んだのを横目で睨みつつ、最後までくよくよ悩んでいたが、やっと相棒の隣に戻った。さすがのウォーダディーもほっとした表情を見せ、奇襲攻撃をかけるための準備を乗員の面々に命じる。こうして、長い長い一日が終わる頃、フューリー号の面々は、たった5人で300名からなるSS大隊を迎え討つことになった。





優れた戦争映画では、作り手が一個人の感傷やしがらみを超越して、限りなくニュートラルに近い視点に立っています。そうでなければ、戦争という人類の最も愚かなる誤ちを冷静に見つめ直すことができませんから。ブラッド・ピットが、デヴィッド・エアーという海軍に従軍した経験を持つ映画監督と組んで完成したこの「フューリー Fury」も、極めて客観的に戦争を捉えた作品だと思いますね。戦争映画は、“人間はなぜ戦争を始めてしまうのか”という、人間の闘争本能の核たる部分を明らかにしたいという衝動に突き動かされて作られます。まあ、戦車だの大砲だのといったガジェットが好きで好きで堪らず、製作された娯楽映画というのもありますけどね。

画像

ブラッド・ピットとデヴィッド・エアー監督は、今作を作り上げるにあたり、画面の隅々にまでリアリティを行き渡らせ、全てのディテールに尋常ならざる拘りをみせました。従って私達も、本編で触れられることのない“ディテール”の背後に、どんな物語が隠されているかを読み取るべきなのでしょう。
今作に登場するフューリー号の乗員は、ノーマンを入れて総勢5名。戦場における敵や友軍とのやり取りはあれど、基本的に映画は、この5名の一日の行動を淡々と追っていくだけです。ノーマンはフューリー号に配属された際に、自己紹介という形で彼自身のバックグラウンドを語る(タイピングの訓練は受けたが、人を殺す訓練は受けていない、等)ので、彼がこれまでどんな環境でどんな生活を送っていたかは窺えますが、その他のベテラン兵士達4名については、彼らの背景も生い立ちも何も説明されません。イルマとエマのアパートで、ゴルドが辛うじて漏らす戦場の狂気のエピソードも、彼らがフューリー号の下で“チーム”となってからの出来事ですしね。でも、戦地での彼らの行動をよく見ていれば、彼らがチームの中でどのような役割を担っているか、ひいては、彼ら自身がどのような人間であるかをも理解できるはずです。

本編中の最大の謎はおそらく、ウォーダディーがなぜフューリー号で戦うことに固執するのか、自身も仲間も無駄死にすることが分かっていて尚、与えられた“任務”に拘るのか、そして他の乗員たちが何故そんなウォーダディーに従うのか、という点だと思われます。決して、“御国の為に命を投げ出して戦った勇敢な戦士たちの尊い自己犠牲精神”とかいう、ケツの穴が痒くなるような美辞麗句で説明できませんよ。彼ら一人一人のキャラクターを推察していくと、最終的にこの謎の答えが、戦場でしか成り立たない“ファミリー”の概念に帰結すると思います。
戦場で長年戦って生きながらえるためには、好むと好まざるに関わらず、一緒に戦う仲間と団結しなければなりません。例えその仲間のイビキが耐えがたかろうと、足が臭かろうと、価値観が正反対だろうと、普段はケンカばかりしていようと、戦闘中は一心同体。フューリー号の面々はまさにその意味で、“家族”同様の信頼関係で結ばれていたといえるでしょう。お互いの命を預け合っているわけですから、これ以上の絆と呼べるものは他にないですし。ところが、この血よりも濃い結束も、一旦戦場を離れてしまえば幻と消えてしまいます。

ウォーダディー自身は、今すぐにでも大手を振って帰国できるぐらい既に充分な年月を戦争に費やしているはず。でも彼は戦場を離れませんでした。最前線はどこも、物資と経験豊かなベテラン兵士の不足に悩まされており、仲間を見捨てて自分だけ足抜けするわけにはいかないという事情もあったでしょう。でもそれ以上に、彼は、自分が戦場以外では生きていけない人間だということを、嫌という程認識していたように感じられます。アメリカ人兵士として戦っているにも関わらずドイツ語が堪能で、でもナチス、SS隊員には異常なまでの怒りを抱えている様子から、ナチスに深い遺恨を持つドイツ系(あるいはドイツから逃亡したドイツ人)という複雑なアイデンティティが想像されます。己のルーツである国を打ち負かすために戦っているという矛盾は、ウォーダディーの精神をかなり追い詰めているでしょう。随所で彼が見せる苦悶の表情から察せられますね。それでも、生い立ちも生活環境も全く異なる人間が無理矢理一箇所に集められ、殺し合いに従事させられるという異常な世界にこそ、彼が目的を持って生きられる場所があったのです。そしてもちろん、ナチスのせいで喪った本物の家族に代わる“ファミリー”も。

画像

彼の“ファミリー”は、戦場で、フューリー号という戦車を介して機能しています。ウォーダディーがフューリー号ファミリーの家長、長男はバイブル、次男はその相棒で素行の悪いクーンアス、三男はお人好しのゴルド、末っ子はノーマン。むさ苦しい野郎ばかりの所帯ですが、彼にとっては唯一無二のファミリーです。従って、フューリー号を捨てて逃亡するのは、彼の生きる気力を辛うじて支えていた“自分は家族(フューリー号乗員)を守るために戦っているのだ”という幻想をも捨てねばならないことを意味します。戦場でしか存在し得ない“ファミリー”は、戦場以外では成り立ちません。結局ウォーダディーは、任務のためではなく、自分自身の“ファミリー”の幻想に殉死する覚悟を決めたようなものでしょうね。頼りない新兵ノーマンが“ファミリー”に末っ子として加わったことで、ウォーダディーの“家族"への固執はより強くなったようにみえます。
バイブルはじめ、フューリー号ファミリーの他のメンツも、ウォーダディー同様、このファミリー以上の絆で結ばれた“家族”を持ち得ないでしょう。異常な世界で何年も一緒に戦うなんていう関係は、他にありません。結局、皆して“我が家”に戻るしかないのです。

画像

映画館で初めてこの作品を見た時、オリバー・ストーン監督の「プラトーン Platoon」(1986年)を見た時の感慨を生々しく思い出しました。「プラトーン」が観客に強いた感覚と同種のものを、今作もまた観た者に強います。それに、映画を見た後の感想を上手く言い表せないのも全く同じ。

今作にプロデューサーとしても深く関わったブラッド・ピットの慧眼を感じたのは、様々な矛盾を孕んだ戦争という怪物を、矛盾は矛盾のままストレートに表現したことですね。『理想は平和だが歴史は(現実は)残酷だ』=“平和を打ち立てるために戦争をしなければいけない”、あるいは、『この戦争はじきに終わるだろう。でもそれまでに更に多くの人間が死ぬんだ』=“人間をこれ以上死なせないために戦争を終わらせようとしているのに、そのためには更に多くの人間が死なねばならない”など。
あるいは、この戦争をマクロ視点でみれば、成る程確かに連合軍はドイツ軍に圧倒的な差を見せつけて、戦況を有利に進めていたということになります。しかし、敵味方の判別もつかないほど疲弊しきった最前線では、戦況の勝ち負けに関係なく、連合軍兵士はドイツ軍の捨て身の反撃に恐怖し、時に負けてしまっている。そんな矛盾した状況が正直に描かれているのです。

メロドラマ的な要素を取り入れて観客のご機嫌を伺うのでもなければ、観念的な理想論に逃げ込んで観客を煙に巻く、なんてこともありません。実際の戦場では過去にどういうことが起こってきたのか、あるいは今後は何が起ころうとするのか。ただひたすらそれだけを、戦場において繰り返される日常生活(常に死と隣り合わせだが)の細かいエピソードを積み重ねていくことで、観る者の五感に焼き付けていく。私達は初めて戦場に出たペーペーの新兵ノーマンと同じ立場ですから、自然と彼の視線を通じて、彼が目の当たりにする戦場の現実を目撃していくことになります。彼が劇中で感じ取っているあらゆる感情と感覚を共有しながら、彼と共にショックで思考回路が焼き切れた状態に至ります。硝煙と血液と人の身体が焼け焦げる悪臭で鼻の奥までふさがれたまま、呆然と目の前を通り過ぎる光景を見つめるのみ。

今の時代、戦争はテロリズムとセットになって、再び圧力と現実味を増して私達の日常生活に迫ってきています。その戦争の影は、何十年も前に終わって既に風化しかけている過去の記憶でもなければ、まるでコンピューターのシュミレーション・ゲームのように、実際の戦場から切り離され、テレビの画面を通じて世界中に発信された“近代戦争”でもありません。どこにも逃げ場のない、今自分の目の前で展開されている現実そのものの戦争なのです。描かれている時代こそ第二次世界大戦末期ですが、今作が観客に問いかける命題は、私たちにとっても“今そこにある危機”だということを忘れてはいけないでしょう。
つまりは、戦争の本質なんぞ、昔から全く変わっちゃいないってことです。人間は変わることなく愚かで利己的で戦闘的で、大勢の市民がむざむざと殺されることになっても、カネになるとあらば、戦争をおっ始める生き物なんですわいね。

今作のタイトル“フューリー(怒り)”が暗示するものは明白。戦争を始める政治家は誰一人として知ることのない戦場の最前線で、戦争の矛盾を突き付けられて苦悩する兵士達や、戦場となった土地で、敵に殺される恐怖と同胞や国家から死ぬことを強いられる恐怖の双方に震えつつ生きる市井の人々の、持っていき場のない“怒り”です。武器を持って敵を殺して回る兵士達も、丸腰で逃げ隠れ、あるいは早々に白旗を掲げて降伏するしかない市民も同様に、つい今しがたまで名前を持った1人の人間であった者が、銃撃されたり爆撃されたりすれば、一瞬の後には一個の“死体”となってしまいます。怒りや哀しみすら通り越した、その圧倒的な不毛は、戦争をやめることができない人間への、つまりは私達自身への深い絶望となって観客の心を侵食してしまいます。ブラッド・ピットが何故今、第二次世界大戦のお話を映画にすることに拘ったのか、観客は遅かれ早かれ気付かされることになるでしょうね。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 3
なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

にほんブログ村

最前線悲惨物語―「フューリー Fury」 House of M/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる