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zoom RSS 「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーGuardians of the Galaxy」

<<   作成日時 : 2017/04/11 15:00   >>

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私が生まれて初めて映画館のでっかいスクリーンで観た映画は、「スター・ウォーズ エピソード5 帝国の逆襲 Star Wars: Episode V - The Empire Strikes Back」でした。結局私自身は熱心なスター・ウォーズ信者にはなれなかったクチですが、最初の映画館体験が「スター・ウォーズ」だったのは、自分にとって本当に幸運だったと思います。

銀河を守る選ばれし者たちは、銀河のはみ出し者だった…

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「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Guardians of the Galaxy」(2014年)
監督:ジェームズ・ガン James Gunn
脚本:ジェームズ・ガン&ニコール・パールマン
製作総指揮:ルイス・デスポジート&アラン・ファイン&ビクトリア・アロンソ&ジェレミー・レイチャム&ニク・コルダ&スタン・リー
製作:ケヴィン・ファイギ(フェイグ)
共同製作:デイヴィッド・グラント&ジョナサン・シュワルツ
撮影:ベン・デイヴィス
プロダクション・デザイン:チャールズ・ウッド
音楽:タイラー・ベイツ
音楽監修:デイヴ・ジョーダン
編集:フレッド・ラスキン&クレイグ・ウッド&ヒューズ・ウィンボーン
衣裳デザイン:アレクサンドラ・ビルヌ
視覚効果監修:ステファン・セレッティ
出演:クリス・プラット(ピーター・クイル/スター・ロード)
ゾーイ・サルダナ(ガモーラ)
デイヴ・バウティスタ(ドラックス)
リー・ペイス(ロナン)
マイケル・ルーカー(ヨンドゥ)
カレン・ギラン(ネビュラ)
ジャイモン・ハンスゥ(コラス)
ジョン・C・ライリー(ローマン・デイ)
グレン・クローズ(イラニ・ラエル/ノバ・コーズの司令官)
ベニシオ・デル・トロ(コレクター、ティヴァーン)
ヴィン・ディーゼル(グルート)
ブラッドリー・クーパー(ロケット)他。

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“スター・ロード”こと、銀河を股にかける大泥棒ピーター・クイルの不運の始まりは、かれこれ26年前に遡る。ひょろっとした小柄な少年は、1988年当時ガキ大将のイジメの標的になってはいたが、差しあたっての大ピンチは、彼の母親が長い間の闘病の末に亡くなろうとしていることだった。だが年端もゆかぬ子供には、母親が自分の傍らから消えようとしていることも、自分が天涯孤独の身になろうとしていることも、納得できない。だから、手を握ってくれという母親の最期の望みにも応えられるわけがなかったのだ。

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しかしだからといって、母親が天国に旅立った直後に、母親からの最後のプレゼントの包みを開ける暇もなく、謎のエイリアンにアブダクトされてしまうとは、運が悪いにも程がある。

ピーター・クイルを攫っていったのは、青い皮膚のエイリアン、ヨンドゥ・ウドンタだった。彼は宇宙を股にかける海賊ラヴェジャーズの頭領で、狙っているのはお宝だけのはずだったが、なぜかピーターを可愛がり、立派なならず者に育て上げた。そう、トレジャー・ハンターと言えば聞こえは良いが、ピーターは早い話がお宝泥棒になったのである。そして彼は今、愛機ミラノ号を駆って単独で発見したお宝を、ヨンドゥ及びラヴェジャーズを出し抜いて独り占めしようとしていた。ピーターの仕事に対するヨンドゥの干渉がうるさく、いい加減うんざりしていた彼は、そろそろヨンドゥの組織を離れて独り立ちしても良い頃だと考えたのだ。その計画は、廃墟と化した惑星モルグで謎の球体オーブを手にした瞬間までは順調だった。
ピーターが、モルグの神殿奥深くに収められていた金属製の球オーブを難なく奪取した途端、クリー人の狂気のテロリスト、ロナン配下のコラスの部隊がピーターの前に立ちはだかる。ロナンもまたこのオーブを狙っているらしい。すんでのところでコラス達を出し抜き、モルグからの脱出に成功したピーターだったが、結局スタンドプレイでオーブを手に入れたことをヨンドゥに知られる羽目に。つまりピーターは、オーブを持っているせいで、宇宙最強にして顔も最悪だが性格も極悪のエイリアン、タノスと繋がっているロナン、怒り心頭のヨンドゥ双方から追われる厄介な立場になった。

ロナンは、タノスにオーブを渡す代わりに、ノバ帝国の首都惑星ザンダーを滅ぼしてもらうという契約を結んでいた。高度に発達した文明、銀河系の平和と秩序を守る強大な軍隊、それらを束ねる優れた指導者を擁するザンダーは、クリー人による銀河の支配の復活を目指すロナンにとって目障りな存在だったのだが、ザンダーを壊滅するのは容易いことではない。そこでタノスの配下になり、タノスの義理の娘たち―暗殺者として育てられたガモーラ、全身をサイボーグに改造された殺し屋ネビュラ―を側近としたのだった。ロナンは、逃走したピーターからオーブを奪う仕事をガモーラに命ずる。

ピーターはザンダーで盗品を売買しているブローカーの元を訪れ、オーブを売ろうとするが、ロナンもまたオーブを狙っていることを知ったブローカーは、危険人物と関わり合いになるのを怖れる余り、ピーターを店から叩き出してしまう。キツネにつままれた気分のピーターに、早速災難が襲いかかってくる。仕事の早さで義父タノスから絶大な信頼を勝ち得ているガモーラが、一瞬の隙をついてオーブを奪い取ったのだ。ピーターは慌ててガモーラに追い縋る。そこへ、ヨンドゥからピーターの首に掛けられた懸賞金を狙う賞金稼ぎ、遺伝子改造によって武器全般に関するスペシャリストとなった荒くれアライグマのロケットと、なぜか長年彼の相棒を務める心優しき樹木型ヒューマノイドのグルートが現れた。ピーター、オーブ、ガモーラ、ロケット&グルートの4つ巴…もとい…5つ巴が、大勢の人々でごったがえすザンダーの美しい広場で展開された。

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大捕物を繰り広げた4名(1匹と1本含む)だったが、結局皆仲良くザンダー星警察ノバ・コーズに捕縛され、華やかな前科のおかげで4名揃って銀河系一危険な無法地帯であるキルン刑務所に投獄されることになった。囚人同士が殺し合いをしようが看守は知らん顔、環境も最悪なら収監されている囚人どもも最悪のキルンで、4名はおそらく最悪の人物と最悪の出会いを果たす。妻と娘をロナンに惨殺された復讐に燃える筋肉の塊、ドラックス・ザ・デストロイヤーだ。

蛇の道は蛇。どんなに上手く隠そうとも、悪党の素姓は他の全ての悪党どもに筒抜けである。タノスの力が及ぶ場所でなら、ガモーラの名前も威光を持つだろうが、キルンでは逆に彼女の命取りになるのだ。なぜなら、タノスやロナンに家族や友人を殺された者は、ここキルンにも無数にいるからだ。ガモーラはタノスの懐刀、彼女自身も冷酷な殺し屋にして今は妹と共にロナンの部下である。タノスやロナンに恨みを持つ囚人はドラックスだけではない。ピーターはしかし、収監されて早々に殺されようとしていたガモーラを見捨てておけず、ドラックスの石頭に必死に説得を試みる。ガモーラを生かしておけば、任務に失敗した上組織を裏切ろうとしている部下を片付けに、そしてもちろんオーブを追ってロナン一味が律儀にここまで追いかけてくる筈だから。丸腰の女性が嬲り殺しにされるのを傍観するのは我慢がならなかった。

それに、実はガモーラには密かに立てていた計画があった。オーブに天文学的金額の謝礼を支払えるエイリアンが1人だけいる。“ノーウェア Nowhere/何処でもない)”という場所に根城を持つ宇宙一のコレクター、ティヴァーンだ。彼にオーブを売り払い、その金でタノスとロナンの下から逃げ出そうとしていたのだ。ガモーラにとってタノスは父親でも何でもなく、実の両親は彼女が幼い頃にタノスによって殺されてしまっていた。彼女はタノスに捕らえられ、恐怖によって服従を強いられ、殺人兵器に仕立て上げられる地獄の日々を耐え忍んできた。彼女の事情を理解したピーターとロケットは、グルートも加えて協力してキルンから脱獄し、ティヴァーンにオーブを売った金を山分けすることで合意した。

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ロケットの立てた計画に従って脱獄する予定だったが、グルートがいきなり想定外の行動に出たため、監獄内はパニックに陥る。ピーター達も混乱に乗じてそれぞれの役割を果たし、ロケットが立て籠もった監視塔に皆が集まった時には、なぜかドラックスも仲間に加わっていた。なにしろ腕っ節が強い上に猪突猛進タイプで人の言うことを聞かないわで、とにかくロナンを討つまではピーター達から離れないことに決めたらしい。ガモーラとドラックスは睨み合い、管制塔内は早くも殺気漂う最悪の雰囲気になるが、フル装備の看守達と監視ロボットからの総攻撃を受けつつ、ロケットの秘策で5人の犯罪者達は管制塔ごと脱獄に成功する。

ピーターは、逮捕時に没収された母親の形見のウォークマンとカセットテープを看守から取り戻すと、ミラノ号で待機していた仲間たち(暫定)の元に戻り、ノーウェアに向けて出発した。所詮は金と打算から一時的に寄り集まっているだけの縁、宇宙船内では穏やかなグルートを除く4名間に揉め事が絶えなかったが、大昔に亡くなった古代人の頭蓋骨の中にできた“ノーウェア”に到着してからも、グルートを除く4名の間の火種が消えることは無かった。しかし、コレクター、ティヴァーンがオーブの真の姿―莫大なエネルギーを放つ制御不可能な無限の石(Infinity Stone)―を見せると、それを手に掴んだコレクターの召使の身体が居室共々一瞬で吹っ飛び、ピーターたち5名の今後の予定も根底から吹っ飛ばしてくれた。

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タノスが何故オーブを欲していたかが、これで明らかになった。ガモーラは無限の石をロナンにもタノスにも渡してはならないと主張。再逮捕されるのを覚悟でザンダー星に赴き、ノバ軍ラエル司令官に預けるべきだ。オーブを放置してしまえば、銀河系は破滅する。直近の未来に起こり得るだろう最悪のシナリオは、ロナンが無限の石を手に入れ、自らザンダー星を消滅させてしまうことだ。そうなる前に先手を打たねば。ところが、ドラックスが酔った勢いでやらかしてしまったミスで、そのロナンとネビュラ、彼の軍隊がノーウェアにやってきてしまった。
ガモーラたちはオーブを渡すまいと奮闘したが、数に勝るロナン軍と姉ガモーラに憎しみを抱くネビュラに敗れ、オーブを奪われてしまう。さらに、ピーターの首を追ってヨンドゥ率いるラヴェジャーズもノーウェアに到着。おまけにドラックスは、ようやく妻子の仇と相まみえたものの、クリー人ロナンには全く歯が立たず、小指で追い払われてしまった。ピーターとガモーラはヨンドゥに捕らえられる。大金獲得の夢が頓挫したロケットは怒り狂うが、ロナンにこてんぱんにのされて目が覚めたドラックスとグルートに促され、ピーターたちの救出に向かった。

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そして、こちらもロケットと同じように頭から湯気を噴く勢いだったヨンドゥは、一度はピーターを血祭りに挙げるようとするも、オーブをエサに取引きを持ちかけられて渋々気を変える。ラヴェジャーズの力を借り、ザンダー星に向かうだろうロナン軍を先回りしてノバ軍と共に戦えば、ロナンを倒し、オーブを奪うチャンスは充分ある。首尾よくオーブを手に入れればお宝はヨンドゥの手に戻る、と。舌先三寸でヨンドゥを丸め込むことに成功したピーターは、彼を助けにやって来たロケットたちと合流し、ロナン打倒の策を練る。しかしそれは事実上、皆が死を覚悟せねばならない危険な大仕事であった。危険から逃亡することで生き延びてきたならず者たち5名は、ここで逃げるのをやめ、もちろん見返りも何も求めず、最悪の危機に立ち向かわねばならなくなったのだ。ロナンは既に、無限の石を愛用の武器である大斧に仕込み、タノスに逆らって自らザンダー星に死の制裁を加えようと、軍隊を率いて近づいてきている。ピーターを筆頭に5名はようやく踏ん切りをつけ、自らに許した“負け犬”のレッテルをはがすべく、生まれて初めて“人助け(銀河系助け)”という名の善行のために立ち上がった。それはまた、彼らがやっと団結して“ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー”となった瞬間でもあった。さしたるパワーも持たない彼らは、如何なる秘策で強力なロナンに挑むのか。

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「全国の良い子のみんな!ヨンドゥおいちゃんだよ!みんな良い子だから、おいちゃんが大活躍する映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』はもう見てくれたよな!まだ見てない子には、おいちゃん直々にヤカをお見舞いしちゃうぞ!!」

我が町での上映は既に終了していますが、今年の夏から秋にかけて私らを楽しませてくれた映画は、間違いなくこの「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Guardians of the Galaxy」(以下、長いのでGotGと略)でしょうな。

ほんのひと時、現実の憂さを忘れ、目の前で繰り広げられる冒険活劇にハラハラドキドキ、はたまたワクワクするという、私が初めて映画館で体験したあの感動を懐かしく思い出しました。これはまた、映画という娯楽が本来持つ役割でもありますよね。なんというか、まあプロの批評家筋からはどんな評価を受けているのか分からない今作ですが、しかし、“何故私達は映画を観たいのか”という、映画好きにとっての原点回帰を促してくれるんじゃないかと思いますよ。芸術の領域に深く根を下ろした難解な、あるいは社会問題を取り上げたような硬派で深刻な映画を眉間に皺寄せつつ観て、観終わった後は観る前よりさらに疲労して、トボトボ家路につくという映画経験も、時には必要でしょう。しかし、映画好きの出発点といえば、私にとっての「スター・ウォーズ Star Wars」や西部劇のように、映画の登場人物と共に一喜一憂したり、物語の展開や映像に我を忘れて興奮したりといった、極めて原始的な体験なのです。

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マーベル作品群の中でも、主な舞台が地球ではなく宇宙になる(主役のスター・ロードは地球人の血を引きますが)ということで、ちと毛色の変わったシリーズと認識されているこの作品。私自身も、マーベル版スター・ウォーズのようなイメージで捉えていたのですが、あの、妙に懐かしさを覚える(笑)レトロ調SF作品というか、セピア色Sci-Fi作品というか(笑)、70年代という独特の時代性を反映したキッチュなスペース・オペラ的雰囲気が実に上手く再現されていて、正直、とても感心したんですよ。私はマーベルというブランドに何らの思い入れもないし、原作も全く手付かずのド素人なので、映画版「アベンジャーズ Avengers」で感じたある種の馴れ合い臭さや、“ヒーロー過多”からくる胃もたれ感が皆無だった点も、マーベル・ユニバースから100億光年離れた異世界に住む私にとっては、プラス・ポイントになったのでしょう。

今だから白状しますけど、ヒーロー特盛りのお祭り映画「アベンジャーズ」からは、“内輪受け”的な空気を感じていました。異なる物語世界に存在するはずの、生きてきた環境もこれまでに経験してきた歴史も背負っている世界観もそれぞれ全く違うはずの、異なる次元のキャラクターの横の連携を、観客に周知の事実として強要するイメージがあったんです。原作を読んでいらっしゃる方々には、それは当たり前の考え方かもしれませんが、私は正直ちょっとついていけない気分でした。尤もこれはあくまでも私個人の意見ですし、マイナーな意見なので、あまり大げさに捉えないでいただきたいですが、その輪の中に入っていけない者としては、冷ややかにならざるを得なくてね。ごめんね。まあ、私のような阿保な観客は、マーベルさんの眼中には全く無いでしょうから、放っておいてくださいな。

世に出ているスター・ウォーズ関連の作品は一応全て観た上で、結局私自身は、熱狂的なスター・ウォーズ信者にはなれなかったよなあと勝手に思い込んでいました。でも、今回マーベルという意外な方面から放たれた変化球スター・ウォーズ爆弾GotGを観て、自分はやっぱりスター・ウォーズ・サーガ、特に旧シリーズ3部作に属する古い種族だったんだと認識を新たにいたしましたね(笑)。アベンジャーズに直につながっているシリーズ、アイアンマンやキャプテン・アメリカ、ソーを観ても、どこかしら一見さん扱い(笑)で、違和感を感じていた理由がやっと判明しましたよ。わたしゃスター・ウォーズ旧世代の人間だったんですわいな(笑)。私の映画のふるさとを再確認させてくれて、どうもありがとうGotGよ。

さて。

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スター・ウォーズ・シリーズの特徴の一つは、多種多様な姿形、気質、文化や生活様式を持ったエイリアン種族がうじゃうじゃ登場することです。この“民族的カオス”状態の視覚への効果は絶大で、実は今の私の考え方に少なからぬ影響を及ぼしていたことが、やっぱりGotGを観て判明いたしました。多種多様なエイリアンたちと彼らの母星が集まって、宇宙という大きな集団を構成しているのであり、地球はその中のごくごく一部を占めるちっぽけな存在に過ぎないという概念ですね。

GotGの構成メンバーだって、地球人、緑色の肌のエイリアン、樹木型エイリアン、遺伝子操作されたアライグマ、全身に刺青を施したマッチョ石頭エイリアンと、大変バラエティに富んでおります。お話が進むに従って彼らの凸凹っぷりが気にならなくなるばかりか、この一見すると見事にバラバラな面子が、共に“今度こそ逃げるのをやめて自分自身の弱さと向き合おう(人助けしようという言葉は、彼らにとって、負け犬であることをやめること、すなわち自分の弱い部分を潔く認め、前進しようということを意味します)”というたった一つの共通願望でもって、ようやく団結する時の高揚感たるや、分かっちゃいるけどハンパありません。
また、複数の異なる種族が入り混じっていても、秩序が保たれているザンダーの文明というのは、私には理想郷のように見えましたものね。原作でザンダー星というのがどういう位置付けにあるのかは知りませんが、少なくとも映画版GotGでは、マーベルお膝元の国、おらがアメリカという国家そのもののメタファーであり、かつまた彼らが理想とするコミュニティーの在り方なのだろうなあと思いますよ。それは、日本人である私にとっても大変居心地の良い環境です。

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構成員全員が元犯罪者、社会からつまはじきにされてきた連中で、しかもそれぞれに取り返しのつかないほど大きな喪失を経験し、その哀しみと怒り、孤独を犯罪へ、他人に害を及ぼす方向へ爆発させてきました。もちろんそれ自体は許されないことであり、もっといえば、GotGの存在そのものが悪と正義の定義を曖昧にする矛盾を孕んだものでもあります。でも、結局私らがピカレスク小説に夢中になる理由と同じで、悪として社会の裏側も矛盾も辛酸もなめ尽くした連中だからこそ、挫折も失敗も知らない無垢なヒーローより、本当の意味で正義を貫くことができるという逆説を、観客としては信じたいわけです。だってそうでしょ。“純粋純潔品行方正(処女あるいは童貞)ヒーロー/ヒロイン”が、月に代わって悪漢にお仕置きするのを見てもカチンとくるだけですが(笑)、GotGのように元々がダメな連中が奮起して頑張ってる姿には、即刻100%共感しますでしょ?“ヒーロー”にダメなところ、悪い部分があるために、私らは彼らに自分達と同じ人間だ(エイリアンや樹木、アライグマがいることはさて置き)という仲間意識を初めて持てるのです。自分達とどっこいどっこいの冴えない連中が、大きな目標のためにヒーローになっていく姿に観客は我が身を投影し、胸を熱くするわけですよ。GotGの面々が世界中の観客に愛された理由もそこにあるのです。

この手のお話では、ストーリーの大まかな流れも、登場人物のキャラクター付けも、紋切り型といいましょうか、ある種の予定調和に陥りがちです。現にGotGも、その点で批評家筋から冷ややかな反応をもらってしまったようですが、私自身はそりゃもう仕方が無いことだと思っています。グレン・クロースやジョン・C・ライリーという豪華な名優達を配しながら、彼らに通り一辺倒の何の驚きもない演技しかさせていないと批判するメディアもありました。それも確かにその通りですが、この手のファンタジー大作では、登場人物の色分けは大抵定石通りです。定石通りにせざるを得ないんですよ、華やかな映像やとんでもないアクション・シーン、大小様々なガジェットなど、見せ場が他にもたくさんありますから。

その代わり、この作品が特に力を入れたであろうと思われるのは、悪からヒーローになっていくGotGの面々の心境の変化、寄ると触ると牙をむき出してケンカし、相手を出し抜こうと必死になっていた連中が、打算だけでなく何よりお互いを信頼し、仲間を大切にし、大きな目標のために私利私欲を捨てて団結していく過程を、丁寧に描くことでした。

大分前にギレルモ・デル・トロ監督の「ヘルボーイ Hellboy」や「パシフィック・リム Pacific Rim」の感想を書いた時に、“人種や考え方、文化の違い等を乗り越えて、皆が団結して大きな困難に立ち向かうべきだ”という、誰もがそれを正しいと考えているにも関わらず、複雑化した今の世情を省みて結局誰も言い出せないことを、真っ正直に真っ正面から主張できるのは、もはやヒーロー映画ぐらいしかないと書いた覚えがあります。もちろんGotGもその例に漏れません。冒頭で描かれる肉親との別れが、その後のピーターの生き方を決定付けた後も、新しい出会いによって全く別の道筋が切り開かれたように、家族にしろ友達にしろ、愛情や友情に基づいた絆が例え一度は切れてしまったとしても、必ずどこかでそれが結び直されるのを待っている別の絆があるものです。

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両親をタノスに殺され、敵ばかりに囲まれて生きてきたガモーラも、なんだかんだ言いつつ、ピーターやロケット、グルート、そしてドラックスを最後には信じ、彼らを素直に受け入れることで更に強くなりました。妻子を殺されて復讐の鬼と化していたドラックスも、喪失の悲しみに向き合い、ピーターやガモーラを仲間として受け入れられるようになりました。遺伝子を勝手に弄られて望まぬ姿になった怒りと孤独から自暴自棄になっていたロケットも、グルートというかけがえのない親友(樹ですが)を喪って初めて、肉親を亡くしたドラックスやガモーラの痛みが理解できたことでしょう。その心優しいグルートにしても、当初は“I am Groot.”しかなかった言葉が、最終的に“We are Groot.”に進化したのは、仲間達のおかげ。そして、母親を喪った悲しみから頑なに目を逸らし続け、カラ元気だけでチャランポランに生きてきたピーターも、仲間から差し伸べられた手を今度こそ迷うことなくしっかり掴み、ようやく母親の死を乗り越え、一人前の“漢”になることができました。

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こうして今本編を思い出しながら書いていても、私がこの作品で一番良かったと思う要素は、ダメな人たちが回り道をしながらも這い上がっていく過程ー個々人が、他でもない仲間のおかげで自身の傷を乗り越えていく過程ーというドラマ部分だったよなあとしみじみ思いますね。キャラクターの成長を真っ当に描いた、今時青春ドラマでもお目にかからないほどの真っ直ぐな人間ドラマ。宇宙を舞台にしたファンタジックなストーリーであるのに、印象に残った部分は愛すべき個々のキャラクターの物語だったなんてね。

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ミラノ号はじめ、ロナンの母船等の宇宙船のレトロお洒落なデザインであるとか、ピーター/スター・ロードの酸素マスクのデザインがダース・ベイダーそっくりだったこと(デザイナーが同じ人だそうです)とか、ジャイモン・ハンスゥ扮するコラスのイメージはシルバー・メタリックな感じで悪役っぽくて格好いいし、ネビュラのイメージもスチームパンク風味で個人的にお気に入りなのに、

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美男俳優リー・ペイス演じるメイン・ヴィランのロナンだけ何故に埴輪そっくりなのか?!とか、やいマーベル、お前ら、ヴィランを演じる俳優にわざとハンサム俳優をキャスティングして、彼らに元の顔が分からなくなるぐらい酷いメーキャップを施して喜んでるんだろう、ホンマに性格悪いな!とか、まあそういったエンターテイメントな要素は(笑)、この作品に限っては決して第一義ではないんですよね。

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ジェームズ・ガン監督が、やはりイマドキの若手フィルムメーカーらしく、過去の名作からの引用と応用に長けていたというのもあるかなあ。多くの方が既に言及しておられますが、本編を何度観ても音楽の使い方に唸るんですわ。母親からの形見という形でピーターが肌身離さず持ち歩いているウォークマンからは、ママ選出によるAwesome Mix(サイコー選曲)テープに収められた楽曲が本編を通じて鳴り響きます。この、中年世代には胸ときめく粒揃いの名曲達が、ピーターの冒険物語の要所要所でタイミング良く、またその場面にピッタリ合った形で聴こえてくれば、私ら観客のテンションもそりゃあ上がりまさぁね。結局、このGotGについては、映画の細部にまで気を配った監督のセンスの良さ、キャラクターを観客の側にぐっと近付け、脇のキャラクター達への愛着もたっぷりな演出の上手さ、これにしてやられちまった感じですわ。

正直な話、これまでのマーベル映画の印象って全体的に、やっちまったよ的な大失敗作というのはなく、どれも皆そこそこ平均点はクリアしているけれど、突出して強烈な印象を持った作品というのもないかなあといったところ。内容的には、5点満点で評価するなら3から3.5ぐらいの間か?GotGは、そこにマニアックな音楽の趣味や、キャラクター描写への独特のこだわりなどを付加して、監督のカラーを主張したものと思われます。それが功を奏したのでしょう。


Guardians of the Galaxy
Imports
2014-08-05
Original Soundtrack

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「ロッキー・ホラー・ショー The Rocky Horror Picture Show」(1975年)のように観客が一緒に歌えるような上映が将来可能にならないかなあと思います。そうすれば、ここ一番の盛り上がりシーンで流れる“チェリー・ボムCherry Bomb”をわたくしめが熱唱できるわけですしね、ええ(笑)。

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