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zoom RSS 人類滅亡への道ー「オール・ユー・ニード・イズ・キル Edge of Tomorrow」

<<   作成日時 : 2014/08/19 14:44   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 2 / トラックバック 0 / コメント 0

そして、夏休み映画は地球を破壊する…。 ...And blockbuster movies ruin the earth.

いやいや、こう見えてもですね、日本では夏休み中に封切られるお祭り大作映画は、一応一通り押さえてはあるんですよ。…ちょっと疲れていて、感想記事を書く気力が起こらないだけで(笑)。

「オール・ユー・ニード・イズ・キル Edge of Tomorrow」「ゴジラ Godzilla」「トランスフォーマー/ロストエイジ Transformers: Age of Extinction」と、封切られた順に観てみました。まあ、皆さんそれぞれに言いたいことはおありでしょうが、この3作はとりあえず映画館の大きなスクリーンで観てナンボの作品ではありましょう。で、観終わった際、真っ先に頭に浮かんだ感想が、“この3つの映画で世界中が満遍なく破壊し尽くされたよね”というものでした(笑)。夏の大作映画って、なぜこんなにも地球を壊したがるのでしょう。どうしたんだ、みんな!一斉にローランド・エメリッヒ症候群にでも罹患したのか?!しっかりしろ(笑)!

人類滅亡への道 Part 1:「オール・ユー・ニード・イズ・キル Edge of Tomorrow」

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「オール・ユー・ニード・イズ・キル Edge of Tomorrow」(2014年)
監督:ダグ・ライマン
製作:アーウィン・ストフ他。
製作総指揮:ダグ・ライマン&福原秀己他。
原作:桜坂洋『All You Need Is Kill』(集英社)
脚本:クリストファー・マッカリー&ジェズ・バターワース&ジョン=ヘンリー・バターワース
撮影:ディオン・ビーブ
視覚効果監修:ニック・デイヴィス
プロダクションデザイン:オリヴァー・ショール
衣装デザイン:ケイト・ホーリー
編集:ジェームズ・ハーバート
音楽:クリストフ・ベック
出演:トム・クルーズ(ウィリアム・ケイジ)
エミリー・ブラント(リタ・ヴラタスキ)
ビル・パクストン(ファレウ曹長)
ブレンダン・グリーソン(ブリガム将軍)
ジョナス・アームストロング(スキナー)
トニー・ウェイ(キンメル)
キック・ガリー(グリフ)
フランツ・ドラメー(フォード)
ドラゴミール・ムルジッチ(クンツ)
シャーロット・ライリー(ナンス)
ノア・テイラー(カーター博士)他。

謎のエイリアン“ギタイ”が襲来し、人類は滅亡の危機に瀕していた。世界中の国々が政治上の駆け引きを超えて協力し、巨大な防衛軍を組織したものの、次から次へと押し寄せるギタイの圧倒的な個体数と破壊力を前に、人類はヨーロッパ大陸のほぼ全土を掌握されてしまった。
ヨーロッパ最後の砦である英国を死守するため、アメリカ軍のスポークスパーソンであるウィリアム・ケイジ少佐がロンドンにやってきた。表向きは、英国軍への協力を約束するというものだったが、ケイジの来訪はあくまでも社交辞令に過ぎない。英国軍司令官のブリガム将軍は、英国におけるギタイとの戦いがあっという間に敗北で終わることを確信しており、ケイジの歯の浮くようなお世辞を苦々しく思う。そして、戦地の混乱振りがいかに凄まじいか、戦況がいかに厳しいかを世界に知らしめるため、撮影クルーを連れて明日の地上戦の最前線に向かうよう、ケイジに命令した。米軍の宣伝マンとして、テレビで絵空事のおしゃべりをすることには慣れているが、実戦の経験はゼロであるケイジはそれを頑なに固辞する。ブリガムは米軍の許可を得ているとして、司令官の命令に楯突いたケイジを背信行為で逮捕、将校の資格を剥奪し、単なる一兵卒としてごろつきがたむろする陸軍の兵舎に放り込んだ。

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陸軍用のアーマーの着方も知らないケイジは、当然激戦地で役に立つわけはなく、地上に降り立った仲間が次々に命を落としていく中を逃げ惑うしかない。ギタイの中でも一際大きな体を持つ個体を対人用地雷で吹っ飛ばした際、自身もギタイの体液を浴びて命を落としてしまった。

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ところが、死の直前の恐怖と痛みから突如目覚めたケイジは、一日前、つまり濡れ衣で陸軍送りにされた日に時間が逆戻りしていることに気付く。狐につままれたような気持ちで、またも最前線送りにされるケイジ。しかし戦闘スキルゼロのケイジは、うら若い女性兵士がギタイに吹き飛ばされて命を落とすのを目の当たりにしても為す術もなく、再びあっという間に命を落としてしまう。しかし、一瞬の暗転から覚醒すると、やはり一日前、逮捕されて陸軍送りになった日に戻っているではないか。こんな不可解な現象を何度も経験したケイジは、直属の上司となったファレウ曹長やチームの仲間達に、時間を一日だけ逆戻りするループ現象を理解してもらおうと必死に説明するが、取りあってもらえない。しかし、何度も同じ日を繰り返すのならば、その日に起こる悲劇を前もって回避することは可能になる。ケイジは経験と記憶を頼りに、命を落とすはずだった仲間や、くだんの戦死するはずだった女性兵士の命も救って廻った。
ところが、ケイジが戦闘の展開を完全に暗記している様子を見たその女性兵士リタ・ヴラタスキは、死んで目覚めたら必ず自分を訪ねて来るようにと謎の伝言を残し、再び戦死した。半信半疑のまま、自身もやはり戦死して一日前に逆戻りしたケイジは、部隊の訓練途中でなんとか抜け出し、リタのいるトレーニング舎まで辿り着く。この時点では当然ケイジのことなど全く知らないリタは、見慣れない一兵卒がわざわざ自分を訪ねてきたことで高圧的な言葉を投げかけてくる。リタは過去の激戦地においてたった1人でギタイを多数屠り、戦いを勝利に導いたことで、陸軍の伝説的英雄となった人物だ。物見高い兵士の中には、女性である自分を下卑た目線で見る者もおり、リタはそういう連中を悉く腕力でねじ伏せてきた。いつの間にか彼女についたあだ名“フルメタル・ビッチ”は伊達ではないのだ。ケイジは恐る恐る、自分がタイムループ現象に取り込まれてそこから抜け出せないこと、戦場でリタを訪ねるように言われたことを説明した。リタはケイジを連れてラボのカーター博士と極秘裏に合流し、タイムループに関して驚くべき秘密をケイジに教えた。

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ギタイというエイリアンには、実際に戦場で戦う個体の他に、彼らを束ねる役目を持つ数体の特殊な個体アルファがおり、更に女王蟻のように、無数の下っ端ギタイを産む巨大な母体が地球のどこかに潜んでいるというのだ。アルファ個体はこの母体を守りつつ、また人類との戦いを有利に進めるため、自身が何度でもタイムループを繰り返す能力を持っている。そうやって過去の経験を記憶して蓄積し、戦闘では常に先回りして人間軍を待ち伏せするのだ。人類がこれまでの戦闘でギタイ達に悉く敗れていたのは、それが原因だった。ケイジが最初の戦闘で偶然倒したギタイは、このアルファ個体だったのだ。そしてケイジのように、アルファの体液を浴びて自身の血液と混ざると、アルファと同じタイムループ能力が備わるようになる。驚いたことに、伝説の英雄となったリタも、以前の戦場でこのアルファの体液を浴びてタイムループ能力を身につけていた。彼女の圧倒的な戦闘スキルは、何度も同じ戦いを繰り返すことによって得られたものだったのだ。リタは戦士として頼りないことこの上ないケイジを一から鍛え上げ、ギタイの本体ともいえる母体を倒す計画を実行できるまでに特訓することにした。それはリタ自身がかつて目指していた計画だったのだが、志半ばで戦場で確実に死ねず、病院で輸血されて延命治療を施されたがゆえにタイムループ能力を失い、断念していたのだ。

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なにしろ、無数に湧いて出るギタイ達を叩くだけでは埒が明かない。それらを産み出す母体を始末しないことには、人類は永遠にギタイに勝利することは出来ないだろう。ケイジがタイムループできるのは一日分だけ。リタの猛特訓が始まった。ケイジとリタは、果たしてギタイの母体を探し出し、とどめを刺すことができるのだろうか。


日本人の作家の手になるライトノベルを基にしたSF大作だということ、また、日本人には馴染み深い大スター、トム・クルーズが主演することで、大きな反響を呼んだ作品です。ただ、いろんな方のレビューを見てみますと、映画版は原作小説の展開には必ずしも忠実ではないようですね。実は私自身は、原作を全く知らない白紙の状態で映画を観まして、後から桜坂洋氏の『All You Need Is Kill』を追っていったクチです。確かに映画版の方は、原作の“自分だけがタイムループしてしまう現象とどう向き合い、それをどうやって現実世界に反映させるか”というアイデアだけを借りてきて、トム・クルーズという役者のイメージから大きく逸脱することなく、且つハリウッド映画の土壌に合うような斬新さを残して改変した体裁になっていました。

原作が大好きだという方にとっては、映画版の改変をどのように評価するかで、映画そのものへの評価も変わってしまうのでしょうね。私は、原作と映画は同じストーリーを共有してはいるものの、作品としては全くの別モノであり、評価はそれぞれの形態に相応しい方法で下されるべきだと割り切っていますので、改変自体をどうこう言うつもりはありません。映画には映画独自の言語があり、それに則った形で面白い改変が為されていればそれで充分だと思っていますよ。

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さて、原作の主人公は最初からペーペーの一兵卒。従って、未熟な人間が何度も生死を繰り返す異常事態の中で、戦士としても人間としても否応無く成長していかざるを得ないという流れは、ごく自然に受け入れられました。しかし映画では、常に正義のヒーローとして揺ぎ無く人類を救い続けてきたトム・クルーズ大先生が演じるため、ケイジのキャラクターにだいぶ手を加えなければならなかったでしょう。結果として、本編初登場時のトム=ケイジのキャラがかなり下衆い感じに仕上がりましたが、監督と脚本家達の苦心が窺えますね。しかしこの設定、私は決して嫌いではないのですよ。トム大先生がエグいキャラを演じるのはこれが初めてではないですし。心にもないおべんちゃらをしゃあしゃあと喋くり、いざとなると上官ですら強請ろうとする小狡いトム大先生、戦場ではオロオロ逃げ惑うだけのチキン野郎トム大先生。この生臭い男が、私の目にはむしろとってもとっても新鮮に映りましたことよ。逆に、トム=ケイジがタイムループを繰り返してギタイと戦い、経験を積んで本物のヒーローになっていくと、途端に“いつものトム・クルーズ”に戻っちゃった感じがして、私なんか残念に感じたほど(笑)。“めっちゃ未熟なトム・クルーズ”は、私にとっては魅惑の、そして未開拓の萌え分野だったということでしょうね(大笑)。

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そして、トム大先生に合わせてヒロイン役のリタにも、“美しく、鋼のように強靭な精神と肉体を持つ勇敢な大人の女”という力強いキャラクターが与えられることになりました。実は私自身はこの改変には大賛成でありまして。リタを演じたエミリー・ブラントも適役で、硬質な美貌が戦場の土埃と汗、血糊、鋼鉄のアーマーによく映えておりましたし、ケイジと同じように数え切れないほど負傷し、死の恐怖を経験してきた戦士の疲弊がにじみ出るようでした。原作のリタはといえば、日本のアニメ文化独特の女性像―姿形はまるっきりローティーンなのに、精神的には幼女のごとき素直さと母性とエロティシズムを同時に有していなければならないという矛盾を背負わされたキャラクター―の典型のように思えました。私にとっては、この日本アニメの歪んだ女性像が気色悪いものにしか見えないので、映画版のリタには心から共感する次第です。トム先生も仰ってましたが、映画の性質上、リタのような女性キャラには、やはり性的な興味を誘発するセクシーさが求められてしまうわけですが、今作のリタのキャラには、それ以上に複雑な内面が盛り込まれていたと思います。

タイムループを繰り返すたびに、自分だけが過去の記憶を蓄積していくのに、何度も生死を共にしたはずの周囲の人々とのつながりは、全くの白紙に戻ってしまうという状況。ケイジとリタがミッションの途中で失敗するたびにケイジが死んで一日前に逆戻りして…を延々と繰り返す様子を、映画では観客に飽きさせないようにテンポよく編集していたので、なんだかまるでゲームのようだと何度も感じました。確かに、途中でゲームオーバーになるたびに前面に戻ってやり直して…という感覚は、ゲームの進行そのものです。
しかしよく考えてみれば、これは気も狂わんばかりの過酷な試練だといえますよね。最終的にはギタイという敵をやっつけることこそが大前提であり、そのためにケイジも、死の瞬間は何度経験してもやはり怖いし痛いけれど、何度も生死のループを繰り返すわけです。まあでもヒーローだって人の子、どんなに自分1人で未来を切り開くためにもがいても、状況が好転する糸口を見つけられないとなれば、途中で何もかも投げ出したくなるでしょうよ。特にケイジのように、自分の苦闘を誰も知る由もないという究極の孤独の只中にあるとなれば。誰も知り得ない秘密を共有する唯一の人間であるリタに、ケイジが徐々に特別な感情を抱くようになるのは自然なことなのに、肝心のリタもループするたびケイジのことなど全て忘れてしまう…。この孤独は尚更ケイジの心に堪えたでしょう。
ライマン監督の演出が、まるでドキュメンタリー映画のように淡々とした語り口なので、観客の中には、“ゲーム感覚”を超えた何か特別な感慨までは得られなかった方もいたのではないでしょうかね。今作では、役者陣もことさらエモーショナルな演技は控え、絶望的な戦争がひたすら続く徒労感や疲労感を表情のちょっとした変化で見せようとしていたと思います。その辺りの演技の呼吸や間の取り方は、トムもエミリーも上手かったですよ。

ミッションをクリアできずに状況が膠着すると、ケイジはこれまで律儀に救い続けてきた仲間も、リタですらも、戦場でそのまま放置しておくようになります。運命に抗って彼らを助けたところで、未来が変わるわけではない。ケイジにとっては、彼らと関わることが逆に彼自身の足手纏いになっていることを認めざるを得なかったわけですね。そして、ある時にはケイジは軍から脱走しようとし、またある時には、自分1人でギタイの母体を追跡します。しかし、ルーティンから逃れようとどうあがいても、結局はケイジはリタや仲間達ーたった一日分の自分しか知らない仲間達であってもーと共に戦うしか道はないと悟るのです。ケイジがどこに逃げようが、人類の滅亡と自分自身の死は避けられない事態。気が遠くなる程何度も何度もあらゆるパターンの人生をやり直した挙句、最終的に辿り着いた結論が“結果がどうあれ、最後まで仲間達と一緒にベストを尽くすしかない”というごく当たり前で普遍的な真理だったのは、象徴的ですよね。

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そうした、作品全体を覆う“勝利の歓喜無き抑鬱状態”は、ともすれば映像を重く単調にしてしまいます。それを避けるためでしょうね、ライマン監督は、ストーリーの進行を追っていく視点を、ケイジのそれからタイムループできないリタのそれに頻繁に切り替えることで展開にメリハリをつけていました。そうすると、映画を観ている観客も、どこまでが初めて経験する“一発勝負のリアリティ”なのか、今自分が見ている世界が何度も予行演習と失敗を繰り返した上での“修正版リアリティ”なのか、瞬時には判断できずにハッと我に返るのです。タイムループという特殊な現象を異なる立場から体感するための工夫だと思いますよ。

それから、一部に不評だったギタイの造形及び設定ですが。正直な話、原作におけるギタイの背景もよく理解していない私に言わせれば、映画版のギタイの方が、見た目に分かりやすくていいんじゃないかと思いますよ。ただ、マザー・ギタイ(笑)が巨大過ぎ、あんなにでっかいのがいきなり空から飛来したのだとしたら、その時点で撃ち落とせよとは思いました(笑)。いやいや、あれはまだ未成熟な小さいうちに密かに地球に降り立ち、地球ででっかく成長したのかも知れませんな。それから、母体と特殊個体が持つタイムループ能力を人間が獲得する過程もあやふやで、科学的な説得力に欠けているような…(笑)。彼らの体液を浴びたら、それが自分の血液と混ざるの?ああそうか、体液を浴びるという状況では、既に自分自身の肉体もボロボロになっていて血管も盛大に破れて出血しまくっていますわな。だから混ざるのか。

私自身は、今作の原作から映画への物語の移植を、改変部分もひっくるめて大いに気に入ったのですが、しかしラストのあの決着のつけかたは…あれはどうなんだろう?最後の戦いに勝利した後のタイムループだから、あれでいいのかしらん。パラドックスを起こしている気もしないでもないけどなあf(^◇^;)。ま、ハリウッド映画らしく気分良くスパッと終わり!でいいのかもな。



All You Need Is Kill (集英社スーパーダッシュ文庫)
集英社
2013-04-05
桜坂洋

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