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zoom RSS ‘ザ・オーディエンスThe Audience’in NT Live in Japan 2014

<<   作成日時 : 2015/01/24 22:27   >>

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……女王様もつらいよ……

さて、日本の風土に無事に根付きますでしょうか、英国の優れた演劇を映画館で見ようという企画“ナショナル・シアター・ライヴ・イン・ジャパン 2014”。6月末の出し物は、スティーヴン・ダルドリー演出、ピーター・モーガン脚本(オリジナル脚本)、ヘレン・ミレン主演の舞台“オーディエンス The Audience”でした。

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…ん?この布陣は、いつかどこかで見たような既視感を呼び覚ましますよ?2006年に製作されたスティーヴン・フリアーズ監督、ピーター・モーガン脚本、ヘレン・ミレン主演の映画「クィーン」ですね。監督の名前こそ違いますが、現在の英国エンタメ界で最も脂ののった脚本家、クリエイターであろうモーガンのオリジナル脚本である点、同じ役柄でオスカーを獲得したミレン大姐御が再度主演していることで、映画「クィーン」と舞台「オーディエンス」は双子の姉妹のような関係にあるのでは、と考えています。


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25歳の時に英国女王エリザベス2世として即位して以降、現在に至るまでおよそ60年間、エリザベスは毎週火曜日にバッキンガム宮殿に時の首相を招き、謁見してきた。会談の時間はきっちり20分間。この間、女王と首相は国内外の諸問題について政治的な意見を戦わせることもあるが、大概は、それぞれが属している緊迫した世界から一時離れて、私的な会話を交わすことに費やされる。これは長年続く伝統であり、英国政府と王室が公的なしがらみに邪魔されず交流できる唯一のチャンスでもある。尤も、彼らが膨大な時間をかけて交わしてきた会話の内容は、今もって世間に公表されたことはない。

エリザベス2世は、かのチャーチル首相から始まり、のべ12人の首相と一対一で対峙してきたことになる。つまり彼女は、激動する現代英国の歴史の変遷を首相との謁見を通じて見つめ続けてきたのだ。劇作家ピーター・モーガンは史実と想像力を駆使し、政治家とはまた違った形で国に一生を捧げてきたエリザベス2世の孤高の生き様を、虚実を巧みに織り交ぜながらあぶりだしていく。主な舞台はバッキンガム宮殿の謁見室だが、モーガンの戯曲はエリザベスが即位する前から現在に至るまでの長い長い時間軸を自在に行き来しつつ、過去と現在の謁見の場で繰り広げられてきた一対一のドラマを鮮やかに再現する。また、女王との交流を描くことで、それぞれの首相の個性際立つ人間像をも鋭く解析している。



audience

【名詞】
・[集合的に] 聴衆, 観衆, 観客, 読者, (ラジオ・テレビの)聴取者, 視聴者
・公式会見, 謁(えつ), 謁見

【語源】
ラテン語「聞くこと,注意すること」の意



“一つところにずっと居ますとね、見えてくることがあるんですよ。首相の顔ぶれが変わろうとも、結局何も変わりはしない。ネクタイの色を除いてね。”


“Audience”という言葉には実に様々な意味が込められていたと思います。女王という唯一無二の存在が、政治の長たる首相と一対一で対決する場として、極めて公的、政治的な意味合いを持つ一方で、そういった公的立場を超えて、お互いに悩み多き1人の人間として腹割って慰めあう私的な場でもあるわけで。そうした相反する二面性をもった“謁見”を舞台上で再現することはすなわち、女王が毎週火曜日に宮殿の謁見室で見つめてきた英国の政治の変遷を、女王と首相の対話を通じて私的に暗示する試みだったのでしょうね。

女王が首相と対峙する際の会話や仕草はモーガンの完全な創作だそうですが、観客は、どの首相の在任時にどんな出来事が起こったかよく承知しているので、それを踏まえた上で改めて女王と首相のやり取りを見ると、モーガンが彼自身の英国の政治史についての考えを女王のセリフに託していることが窺えます。本物の女王その人がそれぞれの首相についてどのような意見を持っていたのかは、永遠に分かりませんからね。

女王は直接政治に携わるわけではないので、たとえ首相の政策が自身の考えとそぐわなくても、何も意見することはできません。謁見室でチクリと皮肉るのが精一杯。首相と丁々発止とやり合う女王を見ながら、私自身は、今現在の英国社会の中で王室が置かれた立場の微妙さを思わずにはいられませんでしたね。政治が明らかに間違いを犯していても、自分の正直な気持ちは押し隠し、それを傍観するしかないなんて、まるで私ら庶民と同じ。王室は一般ピープルとは違う歴史世界を生きてきたのだし、政治とは違う面で国家に献身しているのだから、一般ピープルとは一線を画した存在であるべきだが、政治の世界で一切の権力は有しないというのは、不可解な考え方のように私には感じられます。
あくまでも“国の象徴”として、いつも国民の模範となることを義務付けられた存在。政治力は有しないが、多くの場合、暗黙の了解のうちに国際政治の駒として使われ、国内にあっては国家の精神的支柱となって国民を支える存在。その身の内に、いくら矛盾とジレンマを抱え込んでいても、国民には常に冷静で泰然自若とした顔を見せ続ける存在。…どうしてなかなか、女王様、王室という立場も辛いものだとわかりますね。

前述した“Audience”の意味に話を戻しますが、この舞台を観ていて印象的だったのは、一般社会からも政治からも独立した(ように見える)、全てを超越した(ように見える)存在として首相と“謁見してやる(audience)”立場の女王が、現実では私達庶民と同じように、観客席に座って一人の聴衆(audience)として政治という名前の舞台を傍観するしかない苛立ちです。モーガンの脚本も、“国民皆同位の主権者”を掲げる現代社会において、王政という大昔の遺物を今尚生きるエリザベス女王の存在の特異さ、そのアンビバレンスを雄弁に物語っておりました。

しかしながら、これから先、英国王室がどのような運命を辿ろうとも、女王として60年の長きに渡って政局を見つめてきたエリザベスは、おそらくたった一つの結論に達したと思われます。

“一つところにずっと居ますとね、見えてくることがあるんですよ。首相の顔ぶれが変わろうとも、結局何も変わりはしない。ネクタイの色を除いてね。”

時代の移り変わりによって、社会もめまぐるしく変化していきます。もちろん政治のあり方も変わっていくでしょう。しかし、どんなに時代が変わろうと人の営みの本質が変わりないように、社会も政治も人間を取り巻く全ての事象は、結局変わりようがないのです。そう、せいぜいが、謁見室にやってくる連中のネクタイの色や柄が変わるぐらいでね(笑)。

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この作品の良さを数えれば、まずは、魔法のように素晴らしいモーガンの脚本が筆頭に挙げられるでしょう。時間軸を前後左右自由に移動しながらも、女王の生き様に当てられた焦点は一切ブレることがありません。そこから観客に伝えられるのは、一見すると特異な存在の女王の人生が、世界中の全ての女性の、たゆまぬ努力と人には言えぬ苦労と密かなジレンマと大いなる怒り、そして何にも勝る喜びで構成された人生を象徴しているということです。1人の女王様の生き様が、他の全ての女性の人生の光と影を代弁しているだなんて、両者はそう簡単に結びつくものではありませんけどね。でも、男性社会の中で立派に己の使命を果たしつつ、自分の人生をも自分の足でちゃんと生きているという意味では、エリザベスも全ての女性たちと同じだと思いますよ。劇中、要所要所で少女時代のエリザベスが登場し(別の若手女優が演じていた)、現在のエリザベスと会話するシーンがあるのですが、非常に印象的でした。そのときだけは、普段彼女の心の奥深くにしまいこまれている苦悩が表に顕れ、その素顔が窺えるという演出ですね。このシーンのおかげで、エリザベスという人物像に暖かい血が通うようになったと思います。

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そして、この作品の演技でエリザベス2世を演じたヘレン・ミレン大姐御は、ローレンス・オリヴィエ賞に輝くという快挙を成し遂げましたが、実際に作品を観てみて、その受賞は至極当然のことであると心の底から納得した次第(笑)。先に映画「クィーン Queen」を観ていたこともあり、「The Audience」での女王様っぷりは、もはや彼女自身がエリザベス2世に違いないと錯覚するほど、ごくごく自然なものでした。見苦しいほど大仰な身振り手振りもなく、もちろん必死に声を張り上げてセリフをがなりたてることもなく、日常生活の延長のようにナチュラルに話し、振る舞い、それだけでエリザベス2世という女性の全てを表現してしまう。入れ替わり立ち替わりやってくる首相達とのやり取りも当意即妙。これらは全て、私達が目にすることができる公式の場での女王の様子を仔細に観察した上での、演者ミレン姐御のキャラクターの理解力と咀嚼力の賜物であるわけですが、もはやどこからどこまでが“エリザベス”としての演技で、どこからが“ヘレン・ミレン”の素顔なのか分からなくなってくるほどでした。

そしてもちろん、12人の個性豊かな首相を演じた俳優陣が繰り広げる演技合戦も、本当に見応えがありました。ぶっちゃけたはなし、女王と首相が部屋の中でしゃべっているだけという限られたシチュエーションのお芝居ですのに、両者のやり取りが面白すぎて、大笑いの連続。モーガンの戯曲の構成が大胆かつ素晴らしく、メリハリの利いたものなので、観客は時間の長さを感じている暇もないほど舞台上に惹き込まれてしまいます。

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12人もいた首相の中には、名前も思い出せないほど印象の薄い者もいれば、いっそ忘れてしまいたくとも忘れられないほど(笑)強烈なオーラを放つ者もいたでしょう。女王だって人の子、相性の悪い首相もいたでしょうし、公的立場を超えて友情を育んだ者もいたはずです。モーガンは残された記録等から、女王はおそらく労働党出身の故ハロルド・ウィルソンを特に気に入っていたのではないかと推察しています。この作品でも、特にウィルソンとのエピソードは丹念に再現されていましたし、ウィルソンを演じたリチャード・マッケイブも好演でした。

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エリザベスの父ジョージ6世の頃から政治のトップであったサー・ウィンストン・チャーチルは、エリザベスにとって謁見を行う初めての首相となりました。チャーチルに扮したのはエドワード・フォックス。あの「ジャッカルの日 The Day of the Jackal」 (1973年)で冷静沈着、氷のように非情な暗殺者を演じたあの彼です。さすがにフォックス自身が高齢になったということもあるのでしょうが、チャーチル独特の、まるで詩を吟じているような不可思議なイントネーションの英語を完全コピーして、唯我独尊、一癖も二癖もある古狸を見事に表現していました。

最初のシーンに登場したのは、英国王室への風当たりが最も厳しかった辛い時代に首相を務めたジョン・メージャーでしたが、演じるポール・リッターのあまりのそっくり振りに、私自身は衝撃を受けたほど(笑)。顔だけではなく、どことなく軽薄そうなイメージや、強烈だったサッチャー首相時代の反動で、なんとはなしに日和見的に見られるというのか、多くの人に軽んじられていた雰囲気まで、よく似せておられましたよ(笑)。この頃既に中年であった女王は、当時のメイクとヘアスタイル、そしてドレスを完全に再現した扮装で、観客には一目で“あの時代のエリザベスだ”と理解できるようになっていました。そしてメージャー首相との謁見の後、ミレン姐御はなんと舞台上で早変わりして、あっという間に即位前の25歳のエリザベスに変身してみせたのですよ。これは本当にマジックを見せられているような感じで驚きました。この衣装とヘアメイクの早変わりは、途中何度か舞台上で鮮やかに行われ、私も目を凝らしてスクリーンを睨んでいましたが、この早変わりの仕掛けはとうとう最後まで分からず仕舞い。なんでも、衣装とヘアメイク担当者に衣装を着せて舞台上に上げ、一瞬でミレン姐御を変身させたとのことですが、こういった舞台ならではの趣向も興味深く、リズミカルな演出の一部として上手く機能していたと思います。

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“鉄の女”故マーガレット・サッチャーの物語は、別立てでメリル・ストリープ主演の映画が出来たほどですから、今更説明は不要でしょう。演じるヘイデン・グウィンは、映画「鉄の女の涙」でも描かれていたように、相手を威嚇するようなサッチャーの大仰な発声をさらに大げさにしたような台詞回しで(笑)、謁見の場を嵐のように掻き回したに違いないサッチャーをキョーレツにコミカルに熱演。当時の彼女の強引極まる外交政策や、国内では無情な改革を強行したことについては反発も強く、タブロイド紙が王室からの不満の声をすっぱ抜いた程でした。政治的な側面では対極に立つものの、実はサッチャーと女王は同い年で、同じように働く女性で、しかも家庭もあるということで、2人の間には共通点が多かったことも、また奇妙な符号でありました。要は彼女達の間には、共に厳しい戦場で戦っている戦士同士のような、お互いへの敬意があったのだろうと推測されます。…尤も、このサッチャーと女王との関係も、全ては推察の域を出ません。サッチャーもついに鬼籍の人になりましたからね。

ゴードン・ブラウン元首相や現首相デイヴィッド・キャメロンも登場しますが、共にその存在感の薄さを強調する解釈がなされておりました(笑)。その辺りは、モーガンと演出のスティーヴン・ダルトリーの批判精神を感じましたね。

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いずれにせよ、王室と政治を題材にとって、ここまで大胆かつ面白い作品を作ってしまう英国演劇界の懐の深さと歴史の長さ、真に成熟した国家の精神的土壌の豊かさに、最終的には打ちのめされてしまうのですよね。日本じゃ、王室も政治も、エンターテイメント化してしまうことすら許されませんでしょう?


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