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zoom RSS 「ドン・ジョン Don Jon」ー“愛の運び手”は地獄に堕ちたのか?

<<   作成日時 : 2014/06/07 16:20   >>

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先頃閉幕した第67回カンヌ国際映画祭では、ある視点部門に、人気俳優が監督を務めた作品が複数招待されておりました。マチュー・アマルリックの“La Chambre Bleue”、ライアン・ゴズリングの“Lost River”、アーシア・アルジェントの“The Misunderstood (INCOMPRESA)”ですね。

俳優から監督や製作など裏方の仕事に転身する人は非常に多く、例えば子役、青春ドラマ・スターからコンスタントにヒットを飛ばすフィルムメーカーとなったロン・ハワード監督(「バックドラフト」「ビューティフル・マインド」「アポロ13」「ラッシュ」等)など、転身後に大きな成功を収めた例も珍しくありません。また、ジョージ・クルーニーやブラッド・ピットのように俳優業と監督業(あるいは製作業)の二足の草鞋をはく人も最近は多くなりました。
今年のカンヌでは、今現在国際的にも著名な人気者がメガホンを取った作品が重なったことで話題になりましたが、昨年度は、ヴェネツィア国際映画祭やBFIロンドン映画祭等に出品して評判の良かったジョゼフ・ゴードン=レヴィットの「ドン・ジョン Don Jon」という成功例も挙げられます。

まあしかし、当世の人気俳優がカメラの裏側の仕事に転身するのは、なかなか骨の折れる仕事でありまして。やれ人気者だから監督できたんだろ、だの、監督あるいは製作とは名ばかりで、自分のネームバリューを貸しただけで実質何もしてないんだろ、だの、五月蝿いこと五月蠅いこと(笑)。もう兎に角、実際に完成した作品がお披露目される前から、外野からの野次や圧力、偏見に晒される運命にあるようですね。
今年のカンヌで、そういった“人気俳優による監督作品への野次洗礼”を浴びたのは、残念ながらライアン・ゴズリングだったようです。いろいろな情報を総合すると、監督としての処女作に当たる“Lost River”は、デヴィッド・リンチ監督の熱狂的フォロワーが作ったような、アヴァンギャルドな作風なのだそうで。プレミア後に出てきた批評は、厳しいものが確かに多かったですね…。初の監督作品ということで、肩に力が入り過ぎちゃったかな。

こんな世知辛い現実を見せられると、昨年のジョゼフ・ゴードン=レヴィット監督の処女作「ドン・ジョン」の仕上がり具合と、この作品への好評価が如何に凄いことだったかがわかります。彼は、様々な分野のクリエイターたちをSNSを通じて広く世界中から募集し、自身の制作会社hitRECordでコラボレートして作品を作り上げるという、アマチュアとプロフェッショナルの世界の橋渡しをするような、大変ユニークな方法で映像、音楽などアート作品制作に携わってきました。その経験が、彼の映画監督としての初の作品「ドン・ジョン」に上手く生かされていたような気がします。もちろん、経験から学んだことを自分の創作に確実に反映させることができるのも、クリエイターに求められる大切な才能の一つであることは言及するまでもありません。


ドン・ジョヴァンニ:“愛の旅人、恋の職人である私が、見目麗しきご婦人に恋をした。 私も彼女も見初め合い、恥じらうその手に手を重ね、今宵こなたの別荘で睦み合おうと約束したのだ……”…おや、何処かから女の匂いがする。
レポレッロ:“その鼻の利く事ときたら、犬も畏れいるほどに”
ドン・ジョヴァンニ:(早くも女を見つけ)…ふむ、しかも一点の曇りも無い美女だ。
レポレッロ:“そう言う旦那の目玉こそ、一点の曇りもありゃしないね”
ドン・ジョヴァンニ:隠れて様子を窺うとするか。
レポレッロ:“その性悪な魂は、紙より薄く、あっという間に燃えちまう”とくらぁ!


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「ドン・ジョン Don Jon」(2013年)
監督:ジョセフ・ゴードン=レヴィット Joseph Gordon-Levitt
製作:ラム・バーグマン
製作総指揮:ニコラス・シャルティエ
脚本:ジョセフ・ゴードン=レヴィット Joseph Gordon-Levitt
撮影:トーマス・クロス
プロダクションデザイン:メイガン・C・ロジャース
衣装デザイン:リア・カッツネルソン
編集:ローレン・ザッカーマン
音楽:ネイサン・ジョンソン
音楽監修:ジョン・フーリアン
出演:ジョセフ・ゴードン=レヴィット(ジョン・“ドン・ジョン”・マテーロ・Jr.)
スカーレット・ヨハンソン(バーバラ・シュガーマン)
ジュリアン・ムーア(エスター)
トニー・ダンザ(パパ・ジョン・マテーロ・Sr.)
ロブ・ブラウン(ボビー)
グレン・ヘドリー(ママ・アンジェラ・マテーロ)
ブリー・ラーソン(妹・モニカ・マテーロ)
ロブ・ブラウン(ボビー)
ジェレミー・リュック(ダニー)
アン・ハサウェイ(友情出演)
チャニング・テイタム(友情出演)
ミーガン・グッド(友情出演)
キューバ・グッディング・Jr.(友情出演)他。

20代後半、気力も体力も充実し、男性として最盛期を迎える年齢に差し掛かったジョン・マテーロ・Jr。彼はその名前が示す通りイタリア系の家庭に生まれ育ち、おっかさんのイタリア家庭料理を愛し、身体を鍛錬して髪を整髪料でがっちりキメることを日課にし、家族との団欒と週末の教会通い(神父への懺悔付き)と部屋の掃除は絶対に欠かさない。彼の身体の中に流れるラテンの血がそうさせるのか、はたまた己の外見には常に完璧を求める潔癖症が作用するのか、クラブで夜毎彼がハントする女性は、皆一様にグラマラスな最高級の美女ばかりだった。しかも、ハンティングは百発百中、モノにした女は数知れず。毎日のようにつるんでいる彼の親友ボビーとダニーは、いつしか彼のことを伝説のプレイボーイの名前に引っ掛けて“ドン・ジョン(ドン・ファン、ドン・ジョヴァンニ)”と呼ぶようになった。

ところが。

魔がさしたというべきか、女に恵まれ過ぎて却って己の幸せに気付かないのか、ジョンにはおおっぴらに出来ない趣味があった。しかも、爪先から頭のてっぺんまですっかり埋もれるようにのめり込んでいる趣味が。…ボビーとダニーですら知らない趣味が。

あまり大きな声では言えないが、インターネット界に蔓延するポルノ動画の閲覧である。美女にはモテ放題、そんなものをコソコソ見なくたって、いくらでも生身の女性と遊べるというのに、ジョンのポルノ鑑賞癖は治まる気配を見せない。クラブでの戦利品とベッドを共にしても、身体も心も満たされないジョンは、やっぱりパソコンを立ち上げてしまうのだ。もはや立派なビョーキのレベルであろう。いや、ジョンが主張するように、彼自身の理想通りの“完璧さ”をセックスにも求めてしまうがゆえの、止むに止まれぬ代償行為なのか。
そりゃポルノ・ビデオなんぞ、閲覧する野郎どもの需要を満たすためだけに作られるのだから、野郎の夢とロマンが詰まっていて当然だ。そこには、女性の側の余計なリアリティなんぞ一片も含まれてはいない。そんなファンタジーを理想化し、現実の女性に求めるのはお門違いだろう。ジョン自身もさすがにそこのところは自覚しており、だからこそ人目を忍ぶようにして動画を閲覧し、週末には教会の告解室で正直に“回数”を懺悔していたのである。日頃、正しいカトリック信者としては許しがたい遊びにうつつを抜かしていても、週末に懺悔さえすれば全ての罪がチャラ。万事オッケーというわけで、ジョン自身、この趣味を格別おかしいと感じたことは無かった。

ある夜、いつものようにボビーとダニーとクラブに繰り出したジョンは、カウンターで1人の美女に目を留める。彼女は、目の肥えたポルノ動画愛好家としても、また星の数ほどの女性を相手にしてきた“ドン・ジョン”としても、これまでに出会った女性の中でピカイチの上玉だと認めざるを得ないほどの“完璧な”美女だった。彼女の方も、ジョンに対して満更ではない態度だったが、出会っていきなり何もかもを明け渡すような真似はせず、個人情報にはしっかり鍵をかけてジョンをじらす作戦に出た。
珍しく一目惚れしたジョンはコネを駆使して彼女の名前を探りあて、彼女のフェイスブックから、謎の美女バーバラ・シュガーマンが良家のお嬢様だと知る。ジョンは首尾よく彼女をカフェに誘い出すことには成功したが、その後の恋愛の主導権は、惚れた弱みかバーバラに完全に譲り渡してしまった。

バーバラは手始めに、“サービス業”という仕事に格別不満は抱いていなかったジョンに対し、夜学に通ってスキルアップし、管理職を目指すよう命令。自分の男には、自分の家柄と釣り合うような仕事をしてもらわなくちゃ困るというわけだ。ジョンにとって、仕事を終えた後に夜学で夜遅くまで学ぶハードな生活が始まった。当然クラブ通いは禁止。時間が許す限り、昼間はバーバラとデート…というよりも、バーバラの日常にお付き合い。セクシーかつクール・ビューティーな外見からは想像し難いが、バーバラは筋金入りのお嬢様だ。ジョンは、小学生でも鼻で笑い飛ばすような時代錯誤のラブ・ロマンス映画観賞にも、じっと耐えなければならなかった。
またバーバラは、自分の生活スタイルにジョンを従わせるだけではなく、ジョンの日常にも当たり前のように首を突っ込んできた。まるで小学生の女の子のようにジョンのジム通いにまでひっついてくるわ、ジョンの夜学通いを監視するかのように、しょっちゅうケータイに電話をかけてくるわ。その割りには、バーバラはなかなか最後の一線を越えさせてくれない。何しろクサい恋愛メロドラマが大好きなのだ、バーバラにはバーバラなりの恋愛のステップとルールがあり、ジョンが彼女の思い通りの男になるまでは、安々とカードを切るつもりもないのだろう。万事がバーバラのペースで進む中、最高の美女とステディになったというのに、ジョンのストレスは溜まる一方だ。結果として、ジョンのポルノ観賞癖は、皮肉なことに以前にも増して酷くなっていったのである。

ある夜ジョンは、夜学で奇妙な中年女と知り合った。知り合ったというよりも、教室の外で人目も憚らず泣いていた現場に偶然出くわしてしまったのだ。若い男の例に漏れず、ジョンも女性に泣かれるとどうしていいかわからなくなる。相手の顔を見ないようにして彼女の傍を通り抜け、さっさと隠れてしまおうとしたのに、あちらさんはジョンの存在に気付いていたようだ。それ以降、彼女エスターは時々ジョンに話しかけるようになった。ジョンの方は、ファースト・コンタクトからして気まずい思いをしていたので、エスターに対しては苦手意識を持ってしまい、出来ればあまりかかわりたくなかったのだが。

夜学での勉強もかなり進んだ頃、バーバラはある夜思わせぶりにジョンのケータイに電話をかけてきた。察しのよい観客ならここで気付くように、ようやくジョンは待望のご褒美を女王様からありがたくも頂戴したのだった。それはもう感動の体験になるはず…だったのだが。じらされる時間が長すぎたのか、あるいは待っている間に動画を見すぎて感覚が麻痺したのか、バーバラは外見はともかく、ジョンにとっては“完璧な”セックスとは程遠いものだった。結局、これまでの一夜限りのお相手の時と同様に、最後はパソコンを開いてネットの海に彷徨い出るジョンであった。しかし、よりによってバーバラにその現場を押さえられ、彼女はまるで浮気現場を押さえたかのような剣幕で激怒した。ジョンは内心辟易しながらも、ティーンのガキじゃあるまいしいつも動画漁りをしているわけではないこと、これからは軽はずみな行動を慎むことを明言した。

ジョンの実家は典型的なイタリア系のそれで、食卓こそが家族全員の集まる場所だった。ジョンも週に一度は必ず実家に顔を出し、両親と妹と食卓を囲む。パパ・ジョンは亭主関白で、老いて尚マッチョな肉体を誇示できる白のランニングシャツの愛用者。スポーツ観戦が生きがいで、部屋を占拠するほど巨大な画面のテレビを購入し、ジョンが訪問しようがどうしようがいつでも画面に向かってご贔屓のチームのプレーに怒鳴り声を上げている。ママ・アンジェラはいつも華やかで女性らしいファッションに身を固め、パパ・ジョンの怒鳴り声に金切り声で対抗している。そして、ジョンが訪問するときまって、いつ花嫁候補を実家に連れてきてくれるのかとせっつき、実際問題、そればかりを心配している始末。騒々しい両親を持ったせいか、ジョンの妹のモニカは食卓でもスマフォを手離さず、常に猛烈なスピードでテキストを打ち込んでいるが、ただの一度も口を開いたことはない。
そんな家族を前にして、ジョンはバーバラの存在と、彼女との交際も順調に進んでいることを明らかにした。ママ・アンジェラは、息子の将来の花嫁をようやく見られるとあって大喜び。パパ・ジョンですらテレビ画面から目を離して、一人前の男になった息子をねぎらったぐらいだ。
もちろんこれもバーバラ式恋愛ステップの一段階であり、お互いの両親を紹介し合うという大事な通過儀礼なのだ。双方の親にとっても、子供から交際相手を紹介されることは大きな意味を持つものだが、交際している当人同士にとっても、相手の知られざる過去の歴史を垣間見ることになるわけで、一種の踏み絵的なイベントだろう。ジョンはバーバラの実家に招かれたとき、彼女が何故時代錯誤ロマンス映画を理想としているか、その理由を嫌というほど思い知ることになったのだから。
バーバラは一分の隙もなくキメたミニドレスに完璧な化粧、手土産持参でジョンの自宅にやってきた。彼女の家柄と違って、ジョンの実家はかなりがさつな雰囲気だと感じただろうが、頑固者パパ・ジョンですらバーバラの美貌に目尻を下げ、いつもより数倍優しい言葉遣いでジョンを一安心させたし、ママ・アンジェラが普段より浮かれているのも、まあ大目に見られる許容範囲内だ。妹のモニカは…いつも通り無口でスマフォの画面しか見ていない。大きな失敗も揉め事もなく、マテーロ家へのバーバラのお披露目は無事終了した。

今はスマフォという便利な文明の利器がある。パソコンがダメならスマフォから閲覧すればいい。バーバラにポルノ動画観賞がバレて大目玉を食らったジョンだったが、懲りずに今度はスマフォから閲覧を始めた。要はバーバラにバレなければいいのだ。ポルノなんてどんな男でも見るものだ、そんなに目くじら立てて怒ることでもないだろうに。だが、“天網恢恢祖にして漏らさず”とはよく言ったもので、夜学の教室に入ってきたエスターにはまさに閲覧中の現場を目撃されてしまった。エスターは人生経験も積んだ中年女性であり、泣いていなければざっくばらんな態度で気取りがなく、バーバラとは違って些細なことでは動じない。不貞腐れるジョンから、ガールフレンドにお灸を据えられたと聞いて笑い転げたぐらいだ。それがきっかけでジョンとエスターは親しくなった。バーバラには話せないことでも、エスターになら相談できる。エスターは、ジョンがネット動画にのめりこむ原因が根深いところにあるのではないかと察し、過去の名作ポルノ映画のDVDをプレゼントした。
人と人の関係性は、それぞれが自分の主張を押し通そうと我を張り合うばかりでは成り立たない。お互いがお互いの欲するものを理解し、己の欲求を微調整し、意思の双方向のスムーズな疎通を作り上げて初めて愛情関係が完成するのだ。双方向に支えられた愛情の絆によって、人は満足感を得る。バーバラもジョンも結局は、子供のように己の要求を相手にぶつけているだけ。しかし、ジョンにはまだそれが理解できなかった。

砂の城が崩れ落ちるのは意外と早かった。いつものようにジョンの家にいたバーバラは、ジョンのパソコンの履歴をチェックし、2人きりで過ごしていた時でも、ジョンがこっそりポルノ動画を閲覧していたことを突き止めた。ジョンのネット動画閲覧癖は、軽はずみな行動どころかいまだ続いている習慣だったのだ。警察も真っ青の調査能力。バーバラは、他人のプライバシーを勝手に覗いたことは棚にあげ、帰宅したジョンに涙ながらに食って掛かる。私という完璧な恋人がいながら、なぜこんな汚らわしいものを追い続ける必要があるのか。今度はジョンも言い逃れができず、過度のネット依存をビョーキ呼ばわりされて逆ギレした。悲劇のヒロインと化したバーバラは、既にジョンへの愛情も醒めており、ジョンも結局は他のボンクラ男と同じバカに過ぎず、理想の相手ではなかったと一方的に断じて足音も荒く出て行った。

それからのジョンは荒れに荒れた。ボビーから母親のように諭されて、終了間近だった夜学だけは最後まで通ったが、ノートを借りにきただけのエスターに酷い言葉で八つ当たりし、挙句に欲求不満をぶつける始末。些細なことでキレ、見ず知らずの男とケンカもした。ポルノ動画鑑賞もムキになって続けていたが、楽しいどころか心の内は荒んでいくばかり。それに、自分以上にキレること必至の両親にはバーバラとの破局はついぞ言い出せなかった。

しかしながら、嵐が過ぎ去った後で辺りを見渡すと、ジョンの傍に変わらずついていてくれたのは、ボビーとダニー、そして我ながら辛くあたってきた変わり者のエスターであった。エスターは、自分の弱みを真っ向から否定されて傷ついたジョンを宥め、ネット依存症の自覚もないままに苦しむ彼が現実と向き合えるよう、導いていった。エスターはエスターで大きな喪失を経験しており、何かを失った者同士、エスターとジョンは自然に近付き、結ばれたのである。

ジョンは、エスターとはしっかり相手の目を見ながら話をした。自分の言葉が相手の心の中で跳ね返り、新しい言葉となって自分の心の中に戻ってくるのが分かるから。ジョンは少しずつ変わり始めた。髪を固めるのもやめたし、何かを隠すように取り繕っていた外見はごくシンプルになり、表情も見違えるほど柔らかくなった。ジムでも、以前のように1人で黙々と筋トレに励むのがつまらなくなり、人が大勢いるバスケのコートで汗を流す回数が増えた。必要以上に背伸びしなくても、エスターはそのまんまのジョンと一緒にいてくれる。人は、自分が他の誰かに理解され、充分支えられていると感じられれば、相手の気持ちを汲み取る余裕ができる。ジョンもまた、バーバラに改めて心からの謝罪をした。バーバラからは剣もほろろに突き返された謝罪の言葉だったが、ジョンは両親にもバーバラとの破局を正直に打ち明けた。両親の嘆きと怒りは予想通りだったが、その彼らを一瞬で黙らせた妹モニカからの援護射撃には心底驚かされた。スマフォばかり見ていたようでいて、その実、バーバラのエゴと幼稚さを瞬時に見抜いていた妹の慧眼に、ジョンは感心する。

バーバラの最終目標は、おとぎ話のような華やかな結婚式だったろうが、エスターとは将来どうなるか分からない。今はただ、お互いを思い遣る関係をゆっくり育んでいきたい。エスターとのセックスは幸福感と満足感を与えてくれる。それは、これまでついぞ経験したことのない感覚だった。自分は1人ではないことを実感できるのだ。これがきっと“愛情”というやつなのだろう。それを大事にしたい。ジョンは次第にネットを覗くことも億劫になり、ついにはパソコンを開くことすらなくなっていった。パソコンの画面より、今は見たいものが他にある。

まあ、クラブにも行かないわけではない。なにしろ、ボビーとダニーがしきりに寂しがるものだから。相変わらずクラブにはいい女がたむろしていたが、ジョンには以前のような飢えは無いので、女の子ともまったり話をする程度だ。だが、全ての女の子はその段階で脱落。皆きっと心寂しく、人肌が恋しいだけなのだろう。以前の自分がそうだったように。

今は不思議なことに、自分自身が寂しさを感じるのはごくまれだ。なぜなら、目を閉じれば、ジョンにはいつでもエスターが太陽の輝きの中で微笑んでいる姿が見えるからだ。


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実をいうと、映画館でこの作品を観た時には、ブログで取り上げるのはやめようかとも考えていました。コミカルで軽妙な味付けながら、レイティングR15も納得の(大笑)エゲツない性的表現が頻出しますのでね。しかし、現実世界に上手くコミットできない人達が、居場所を求めてネットを彷徨っているうちに、自覚なくネット依存症に陥ってしまっているリアリティと、そういった依存性の孤独からの脱却をテーマにしている点で、この作品は、今のネット支配社会を生きなきゃならん全ての若者たちへのメッセージとなっているのだろうと考え直しました。

特に、今のティーンエイジャーにとっては、生まれた時からネット環境が整っているという問題は深刻だろうと思っています。ネットって、上手く距離をとりつつ付き合わないと、麻薬と同じ常習性があるために、日常生活を狂わされる危険性がありますよね。そんなアブナイシロモノと、幼い頃から向き合わねばならない子供たちを私は気の毒に思います。
スティーヴ・ジョブズは、ネットが世界を結び、世界はネットによって一つに束ねられ、支配される世の中になると予言しましたが、そのネットとの健康的な付き合い方までは教えてくれなかったもんね。

この作品を最も見て欲しいと願う年齢層の子供たちの多くが、レイティングのために見られなくなっちまったのは残念ですが、ネット依存症の自覚がある方々は、年齢に関係なく、見ておいて損はない映画だとも思います。

また、ネットに依存していなくても、喪失を経験して打ちのめされ、自分だけの殼に閉じこもっている人達も世の中にはいます。ネット依存症の孤独をジョンが体現しているなら、喪失感から孤独を抱え込んだ者の哀しみを象徴するのがエスターです。内容は違えども、両者ともに自身の身の内で虚空を噛みしめる存在であり、他の人間と上手く絆を構築できない状態に陥っているわけですね。そんな2人がぶきっちょに近付き、親しくなり、お互いを支え合うようにしてもう一度立ち上がり愛情を育んでいく様子は、恋愛の大切な一側面を描いていてとてもリアル。と同時に、愛情のカタチは人それぞれであり、こうでなければダメだという規則などないのだと伝えてくれますね。

バーバラとエスターという対照的な2人の女性と出会ったことで、ジョンは図らずも、これまでの彼自身の自己中心的な考え方や無責任で身勝手な生き方を見つめ直すことになります。結局、バーバラもエスターも、それぞれの方法で間接的にジョンの人生を変えたことになりますね。それは、“ドン・ジョン”のご先祖様的存在のドン・ジョヴァンニが、あくまでも己の生き方を正そうとせず、女性を蔑ろにしてきた罰で地獄に堕ちたのと正反対の結末を呼び寄せました。

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私自身がこの作品に愛しさを感じるのは、年齢や容姿に関係なく、人は自分に最も相応しいパートナーを見つけられること、強い絆を作るのに方法や順序なども問題ではないことが感じられる点です。そして、優れた“コメディ作品”に共通しているように、痛みや悲しみ、怒りといった、一見するとお笑いとは正反対と思われる要素がコミカルな場面の裏側にちゃんと見え隠れするのも嬉しかった点ですね。ウェルメイドなコメディ作品を作るのは至難の技だとはよく言われることですが、私はこの作品に、“今の時代の空気を取り込んだリアルなお笑い”と“感傷的にならないようコントロールされた普遍的な恋愛ドラマ”の両方を感じました。

今作はもちろん、今までhitRECordでジョーが培ってきた様々な知識がきちんと活かされたという意味でも成功でしょう。それが顕著に分かるのは、今作の歯切れの良い編集。いたずらにセリフを重ねるのではなく、伏線含みの何気無いシーンをテンポ良く繋げることによって、ストーリーの起承転結やキャラクターたちの感情の機微までを伝えてしまっています。いわゆる無駄なシーンがない状態ですな。hitRECordでの映像作品制作の経験がなければ、なかなか出来ない演出だと思いますよ。たとえ、キャラクターの性格付けが定型的で予定調和だと批判されようともね。

あともう一つ興味深かったのは、やはりジャド・アパトー Judd Apatow監督の緒作品からのインプレッションがかなりあるように感じられたことです。以前のブログ記事でもとりあげましたが、今やアメリカ以外の外国の映画でも、ふとした隙にアパトー作品の匂いが漂ってきますものね(笑)。私が青春時代を送ったン十年前の(笑)故ジョン・ヒューズ John Hughes監督のポジションを、今はジャド・アパトー監督が担っているのでしょうね。


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