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zoom RSS 「コーヒーをめぐる冒険 Oh Boy」

<<   作成日時 : 2014/06/26 12:58   >>

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迷子になった僕は、一杯のコーヒーを求めてベルリンを彷徨う。

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「コーヒーをめぐる冒険 Oh Boy」(2012年)
監督:ヤン・オーレ・ゲルスター Jan Ole Gerster
製作:マルコス・カンティス&マーティン・レーヴァルト&ミヒャル・ポコルニー
脚本:ヤン・オーレ・ゲルスター
撮影:フィリップ・キルザマー
編集:アニャ・ジーメンス
音楽:ザ・メジャー・マイナーズ&シャーリン・マクニール
出演:トム・シリング(ニコ・フィッシャー)
マルク・ホーゼマン(俳優志望の友人マッツェ)
フリーデリッケ・ケンプター(昔の同級生ユリカ)
カタリーナ・シュットラー(ガールフレンド)
ユストゥス・フォン・ドナーニー(上階の住人カール)
アンドレアス・シュレーダース(神経質なカウンセラー)
アルント・クラヴィッター(クサい芝居の俳優)
マルティン・ブラムバッハ(無賃乗車検札官)
RP・カール(検札官R2D2)
シュテファン・C・ユルゲンス(前衛劇団演出家)
フレデリック・ラウ(不良青年リーダー)
ウルリッヒ・ヌーテン(ニコの父)
ミヒャエル・グヴィスデク(老人フリードリヒ)


第1章:ガールフレンド

2年前、ニコは父親に内緒で大学の法学部をドロップアウトした。理由は特に無し。なんとなく。大学には、入学して以来ずっと違和感を感じていた。だが父は、今ひとつ頼りない息子にも、自分と同じように法律の専門家の道を歩んで欲しいと願っていた。半ば父に強制されるように入った大学だったから嫌になったのか。今にして思えば、そんな気がしないでもない。でも、今になってみれば、もうどうでもいいことだ。ガールフレンドのアパートで目覚めたニコの気分は最悪で、余計なことは何も考えたくなかった。面倒に巻き込まれないように生きていくことをモットーにしているため、今朝もガールフレンドが眠っている間にこっそりアパートを出るつもりでいたのに。何故女は、そういう時に限って早く目を覚ますのか。彼女は密かに意識している「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグよろしくニッコリ微笑み、今夜のニコの予定をしつこく問い詰めてきた。そんなことを聞いてどうするのだ。第一、予定を立ててその通りに動く生活とは、2年前から無縁になっている。これからどこに行くかも分からないのに。朝起き抜けに、しかもコーヒーもまだの時間にくだらない言い争いはすべきじゃない。ニコは思わず顔を顰めて眉間に不機嫌なシワを刻んだ。僕のジーン・セバーグは、僕のためのコーヒーを用意するのをやめ、ついでに僕自身を荷物もろ共アパートの外に叩き出してくれた。ありがとう、ジーン。お陰で、自分のアパートに戻る口実が出来たよ。

そして、これがニコの人生始まって以来の最悪な一日の始まりだった。


第2章:神経質なカウンセラー

ジーン・セバーグのアパートから、持ち主と一緒に叩き出された荷物を抱え、ニコは引っ越したばかりのアパートに戻ってきた。玄関横にある階段の上の方から奇妙な視線を感じる。警戒して見上げると、妙な中年男が膝を抱えるようにして階段の踊り場に座り込み、ニコの方を窺っている。おかしい。変だ。係わり合いにならない方が良い。ニコは本能的に危険を察知し、挨拶すらせずに自室へ逃げ込んだ。
ダンボールの中に荷物を詰めたままの殺風景な部屋に戻り、しばしニコは雑多な書類に埋もれる。そこで、かつて飲酒運転で没収された免許証を奪還するためのカウンセラーとの面接日が、まさに今日であったことに気付く。脱兎のごとくアパートを飛び出したニコは、なんとか運転適性診断室にたどり着き、カウンセラーの目の前に座ることができた。しかし、ニコを面接したカウンセラーは、彼自身こそが情緒不安定なのではないかというほどイライラしており、傍目に解るほど不機嫌だった。ニコが大学を中退した理由と酒に溺れる理由を問い質し、わざとニコを挑発するような不愉快な質問を浴びせる。本当は同性愛者なのではないのかとか、少なくとも運転免許証とはまるで無関係だと思われる言動を繰り返した挙句、思わずムッとしたニコを見て、即座にと情緒不安定だと決めつけて免許証を取り上げてしまった。


第3章:お高いコーヒーショップ店員

情緒不安定なカウンセラーとの不毛な問答に疲れ果てたニコは、まだ一杯のコーヒーにもありつけていないことに気付く。あてもなくベルリンの街中を歩き、目に付いた安そうなコーヒーショップに適当に入ったニコだったが、そこは安くも適当でもない店だった。たった一杯のコーヒーを注文するのに、コーヒー豆の産地や銘柄やテイスト(…たかが立ち飲みコーヒーショップで“テイスト”ときたもんだ!)まで客に選ばせ、その分料金が上乗せされる。心もとない所持金のため、ニコは仕方なく“普通のコーヒー(一番安いやつ)”を頼んだのに、“それは無い”とすげなく断られた。恥を忍んで一番安いコーヒーでいいからまけてくれないかと交渉したのに、「他のホームレスも殺到しちゃうからお断りよ」と、これもまた文字通りお高く却下されてしまった。

いよいよ頭にきたニコは、父からの仕送りを通帳から引き出そうと、ATMにキャッシュカードを突っ込む。仕送りさえ手に入ればこっちのもんだ。一杯のコーヒーすら買えなかった先程の小銭は、ATMの隣を縄張りにしているらしいホームレスの男に恵んでやった。ところがその直後、頼みの綱のカードがATMに吸い込まれていき、そのまま戻らなくなったのだ。青くなったニコは、先ほどホームレスにくれてやった小銭を取り返そうと手を伸ばしたが、ニコの後ろに並んでATM待ちしていた女性に、北極より冷ややかな侮蔑の視線を向けられて断念せざるを得なかった。


第4章:アパート上階の住人カール

まずい。これはまずい状況だ。とりあえず父の携帯に電話するも、相手が出てこない。仕事でどこぞを飛び回っている最中なのか、あるいは、どこぞのゴルフ場でクラブを振り回している最中か。気は急くが、とにかく直接話をしなければ。できるだけ切羽詰った声にならないよう、努めて気持ちを静めて父の携帯に伝言メッセージを残す。

ニコが、自身のまったりのんびりベルリン・ライフの根底を揺るがす死活問題と悪戦苦闘しているとき、アパートの呼び鈴が鳴る。嫌な予感がよぎるが、アパートに在室している以上、居留守を使うわけにもいかない。ニコは仕方なく玄関のドアを開けた。今朝、階段の踊り場からニコをこっそり観察していた(監視かもしれない)中年男が立っていた。手には、強烈な臭いを発する黒い物体を満載したボウルを抱えている。新たに引っ越してきた同じアパートの住人に持っていくよう、彼の奥方から言いつけられてきたそうだ。なんでも、料理好きな奥方がこしらえた手作りのミートボールだとか。男はカールと名乗り、奥方のミートボールを食してみるよう暗に強制する。この臭い物体を食わねばならない理不尽にニコは怒るが、ボウルを受け取り、なんとか1個だけ口に入れてみる。臭いから容易に察せられる酷い味で、少なくとも、カールが奥方の美味しい手料理に恵まれていないことについては、ニコも心から同情した。だが、これ以上の災難は家の中に入れたくない。引っ越しの荷ほどきが全くできていないことを理由に(これは事実だ)、ニコはカールにお引取り願う旨を言い渡すのだが。

しかし敵もさるもの、暇そうなカールは、新顔をからかって暇を潰すことに決めていたらしく、ドアの隙間に足を突っ込んできてニコの部屋の中に入ってこようと食い下がった。ニコは、そのあつかましさとある種の必死さに根負けし、カールの突入を許してしまう。他人のアパートの中を無遠慮に見回し、まだ若いのに自分と同じように暇そうなニコに興味津々のカールは、満面の笑みを浮かべて酒瓶を掲げた。ニコはカールが長く居座るだろうことを予期し、うんざりする。
カールの身の上話は案の定長かった。おまけに、うんざりした気分をさらにどんよりと落ち込ませてくれる程暗かった。奥方が不治の病に罹り、乳房を切除しなければならなくなった。奥方の命は助かったが、かわりに夫婦生活の方が死に果て、今は夫妻が同じ部屋で過ごすこともなくなったと。奥方は一日中台所に篭り、せっせと不味いことこの上ない料理(根本的に料理のセンスが皆無にも関わらず)をつくり続ける。一方カールの方は、アパートの地下室に自分専用の部屋を設け、サッカー観戦用の特大テレビを備え付け、そこで一日の大半をやり過ごすのだと。熟年離婚の危機を迎えた夫婦の深刻な問題だ。大概の家庭では夫婦間の鎹になってくれる子供も、彼らにはいないのだそうだ。カールの苦悩も理解できるが、いきなりそんなことを打ち明けられても、ニコにはどうしようもない。なので、誰か他に相談できるような友人はいないのかと訊ねるに留まった。カールは泣きべそをかき、すっかり肩を落とした姿でニコのアパートを出て行った。


第5章:売れない俳優マッツェと昔の同級生デブリカユリカ

カールの奥方の激不味ミートボールをトイレに流していると、携帯の呼び出し音が鳴った。父親かと意気込んだが、相手は友人のマッツェだった。暇だし、これから飯を食いにいくのに車を出すから、一緒に乗っていくかとのお誘い。コーヒーを飲む金も無いニコはしばし悩むが、1人でアパートにいても埒が明かないのでマッツェに付き合うことに。
マッツェは、志は高く文句だけは一人前にたれるが、実は全く売れない俳優だ。しかし、アメリカンなランチを頬張れるぐらいの金ならいつも持っている。それをうらめしげに睨みつつ、ニコはモヒカン店員にコーヒーを頼んだ。だがニコの方は何かに祟られでもしているのか、コーヒーメーカーが故障中ときた。

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がっくりするニコに、おずおずと声をかけてきた美女がいた。金髪、小柄で華奢なニンフのような愛らしさ。ニコの方は彼女に見覚えはなかったが、彼女はニコのフルネームまで知っていた。はて?小学生の頃、クラスに小山のようにでっぷり太った女の子がいたことを覚えていないかと訊ねられ、ニコはようやく思い出した。皆して“デブリカ”とあだ名をつけてからかい、いじめていた女の子、ユリカだ。子供は残酷な生き物である。たいした罪悪感もなしに、自分と違う者を晒し者にして排除する。ニコは顔を輝かせて“デブリカ”というあだ名を口走り、途端に罪悪感に苛まれた。今はもう充分に大人になっているから。デブリカはニコたちにいじめられて自殺未遂を図った後、両親の計らいで肥満児専門の寄宿学校に転校していた。そこで体重を落とし、コントロールする方法を身につけ、見違えるような姿になって戻ってきたのだ。醜いアヒルの子は白鳥に成長していた。しかし、それももう10年も前の話だ。ユリカをいじめていたニコが、彼女のことを綺麗さっぱり忘れていても仕方が無いだろう。だがユリカの方はニコを忘れたことは無かった。なぜなら、ニコは彼女の初恋の人だったから。
子供の頃のバカな振る舞いと、それが引き起こしていた重大な事件、そして重過ぎる告白を今になって知り、途方にくれるニコ。ユリカの方はあっさりしたもので、今前衛劇団に所属して活動しているので、今夜タヘレスの小劇場で行う公演を見に来て欲しいと招待状をニコとマッツェにくれた。ユリカは改めて、“あの”ニコ・フィッシャーと再会したことに驚きと興奮の表情を見せ、店を後にした。呆然としたままのニコはマッツェの顔を覗き込む。本気で観に行く気か?もちろんだとも。無料の申し出はありがたく受け取っておくものだ。…それに、彼女は俺の同業者だしな。


第7章:クサい芝居の俳優

マッツェは演劇学校で同期生だった古い友人の職場を訪ねた。ベルリン市内でロケ撮影中の戦争ドラマ作品に、その友人が主演しているそうだ。父親からの電話待ちのニコもついていく。撮影現場に入るのは初めてだが、こういう場所には付き物の軽食とコーヒーポットのコーナーを発見し、ニコは意気込んで近づく。…が、ポットの中身は空っぽだった。

第二次世界大戦中のドイツ。訳あってナチスに身を投じることになった主人公のドイツ人青年将校が、ユダヤ人婦人との許されざる愛に苦しむメロドラマ。手垢のついたお話といえばそれまでだが、出番待ちしていたマッツェの友人俳優は、立派なトレーラーにマッツェとニコを招いてくれた。本番に向けて感情を高めているらしい彼は、大仰な身振り手振りで、今撮影中の作品がいかに素晴らしく重要であるかを力説した。…ただし、第二次世界大戦の歴史的知識には大幅に欠けているようだし、クサい演技も鼻につくが。

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マッツェが目ざとくプロデューサーを見つけ、席を外した。この作品でエキストラでもやらせてもらえないかと交渉するためだ。失業中の俳優の暮らしも楽じゃない。メーキャップ中のクサい主演俳優は、マッツェの秘められた過去を厳かに語り始めた。マッツェは、彼と同期の俳優志望の仲間達の中では最も優秀で才能豊かで、在学中にもかかわらず、大作へのオファーやオーディションの誘いが舞い込んでいた。しかしマッツェは、愚かにもそれら全ての素晴らしいチャンスを棒に振ってしまった。そして、ただの娯楽大作ではなく、本物の芸術作品との出会いを待ち続けたのだ。…1人虚しく。当然、当世の厳しいエンタメ業界事情では、まだ出演作品もない新人俳優に、大物業界人が注目してくれることなどありはしない。マッツェの存在はすぐに忘れ去られ、今ではこのクサい俳優が堂々と主役を張る時代になったのだ。

いつも飄々として、一体何をやっているのかわからない、ちょっぴり意地悪で偏屈だが、決して悪い奴ではないマッツェ。ニコは彼を友人の1人と認識していただけだが、そんな彼にも辛く哀しい過去があったわけだ。しかもその哀しみは、自分自身が生きる術を選り好みするミスを犯したことで起こった。身につまされる。撮影が始まったちょうどそのとき、ニコの携帯への着信音が撮影現場の静寂を打ち破った。スタッフの顰蹙の視線から逃げるように、ニコは外に転がり出た。


第8章:ニコの父と父の腰巾着エリート部下

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父親はゴルフ場にいた。その隣には、現在の父親の腰巾着である若い部下が控えている。父親がクラブを振る度にいちいちおべんちゃらを差し挟み、ボールの位置を整え、忙しないことこの上ない。いかにも父親が気に入りそうな腰巾着だ。ニコはコーヒーもまだなのに、父親が押し付けてきた酒のグラスを仕方なく飲み干した。こちらの事情とか都合に一切耳を貸さず、自分の意思だけを強引に押し通す、そんな父親の性格がニコは大嫌いだった。…おそらく母親もそうだったのだろう。
しかし今のニコの生活は、そんな父親からの仕送りにおんぶに抱っこという情けない状態だ。従って、父親のご機嫌を損なうわけにはいかず、触ったこともないクラブをへっぴり腰で無理矢理握らされ、例の腰巾着と一緒におっかなびっくりボールを打つ体たらくだ。結果は目も当てられなかったが、ニコがクラブを振ったという事実に一応満足したのか、父親はニコからの相談を聞く態勢に入った。

ところが、ニコの期待はあっさり打ち砕かれる。法律関係の学会に出席した父親は、そこでニコのかつての指導教授に会い、ニコの話をしたというのだ。そこで父親は初めて、2年も前からニコに裏切られ、嘘をつかれていた(おまけに仕送りの金を騙し取られていた)事実を知った。父親は男手一つでニコを育てあげ、しかも、ニコの学費がかさむ時期に更なるキャリアアップを目指した。国家試験をパスするために寸暇を惜しんで猛勉強する傍ら、昼も夜も学費と生活費のために働いた。おまけに、ギターだの格闘技だの、あれこれ習い事をやりたがる(でもすぐに飽きてやめてしまう)ニコを不自由させないよう、様々なものを買い与えてやった。
それなのに。父親はあえて表情を変えず、しかし息子に弁解の余地も与えず、一方的に話し続けた。もっとも、ニコは恥じ入って口を噤んでいるしかなかったのだが。今回もまた、いつぞやのギターの習い事と同じように、途中で飽きてプイッと辞めてしまったのだから。

“2年もの間、大学にも行かずにお前は一体何をしていたんだ?”
ニコは答えに窮した。彼自身も、一体自分が何をしたいのか、何をしようとしているのか、さっぱり見当がつかないからだ。要は、2年間この質問への答えを考え続けてきたようなものだ。ベルリンの街をあてもなくさまよいながら。

“2年間ずっと考え事か。…なるほど、やっぱりお前はあの母親の子だよな。何でもかんでも途中で投げ出してしまうんだ”
母親の話は父親とニコの間では禁句になっていた。しかし、この最終通告ともいえる言葉を吐いたとき、父親の顔が苦痛に耐えるように哀しげに歪んだことに、ニコは気付かなかった。父親はニコへの仕送りを停止したこと、最後の親心で、ポケットから無造作に取り出した金をニコの手に押し付けると、背広を買って仕事を探すように言い置き、その場を離れていった。


第9章:無賃乗車検札官と検札官R2D2

いつかはバレることだった。しかし、今日がその審判の日であったとは。心の準備も何もなく、いきなり満場のステージ中央に放り出された気分だった。セリフも何も覚えていない、自分が何の役を演じるのかも分からない、それどころか自分がどんな芝居に出ているのかも分からないままに。…そんな役者が、いきなりステージで観客の好奇の視線に晒されたらどうするだろう?

ニコはゴルフ場を飛び出し、街中をさまよい、適当な駅で適当な町行きの切符を買おうとしたが、自動販売機が故障していて切符が買えない。加えて、今いる駅は無人だった。苛立ったニコは、そのままやってきた電車に乗り込み、座席にぐったりと身体をうずめるようにして座る。目の前を走馬灯のように通り過ぎていく景色は、しかしニコの目には全く映っていなかった。
今夜は、マッツェと一緒にユリカの出る芝居を観に行く。いい加減ベルリンに戻らないと間に合わなくなるだろう。しかし、プラットフォームに降り立ったニコは、無賃乗車検札官につかまってしまった。ドイツ名物、情け無用の無賃乗車検札官だ。彼らは抜き打ちで各駅に出没し、抜群の嗅覚でもって切符を持っていない乗客を探り出し、罰金を払わせる。その際、無賃乗車犯の事情や言い訳は一切聞かない。実際問題、ニコのように自動販売機が壊れていて買いたくとも切符が買えないケースが多く、電車の利用者からは疫病神のように嫌われている検札官だが、今ニコの目の前に立っている検札官2人組も、自動販売機が故障していたというニコの言い訳には聞く耳を持っていなかった。おまけに、大柄な検札官の隣にコバンザメのようにくっついている小柄な相棒は、大柄な方がしゃべる言葉を一字一句繰り返すだけ。こうしてみると、凸凹検札官チームをはまるでC-3POとR2D2のようだ。口やかましいC-3POと、相棒のセリフを繰り返すR2D2。今日一日の悪夢と不条理の連続に、ニコは疲労とイライラがピークに達していた。そしてついにブチ切れ、検札官チームをも振り切って駅を飛び出していった。


第10章:ドラッグ・ディーラーの坊主マルセルとマルセルのおばあちゃん

どこをどう歩いたかも分からないまま、ぼんやりした頭を抱えてベルリンに戻ってきたニコ。マッツェと再び落ち合い、タヘレスの劇場に行く前に友達の家に寄っていくという彼についていった。マッツェの友人だという男はどう贔屓目に見てもまだティーンの坊主だったが、慣れた様子で妖しげなクスリをさばいていた。マッツェは、その坊主マルセルの顧客の1人のようで、マルセルといくつか言葉を交わすとすぐ別の部屋に吸い込まれていった。ヤクには興味が無い。今のニコに必要なのは一杯のコーヒーだ。

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勝手知らぬ他人のアパートで迷ったニコは、別室にいるマルセルのおばあちゃんが落ち着いている居間に入ってしまった。おばあちゃんは、孫息子マルセルが買ってくれたのだと全身自動マッサージ機をニコに見せてくれた。おばあちゃん思いの可愛い孫なのだと目を細めながら。…尤もそれを買った金は、その可愛い孫がヤクを売りさばいて得たものだろうが。ニコはすんでのところで口から飛び出そうになった辛らつなセリフを慌てて飲み込んだ。親ならば、我が子が陰で何をしていようとも、変わらず愛しむものだろう。あくまでも孫を信じているおばあちゃんの嬉しそうな表情に、ニコは自分の母親の面影をうっすらと見出した。
酷い一日で、余程憔悴しきった顔をしていたのだろう。所在なげに立つニコを見たおばあちゃんは、マッサージ機に乗ってリラックスするように声をかけてくれた。ニコが欲しいのは一杯のコーヒー。でも今日一日で、他人から優しい言葉をかけてもらったのはこれが初めてだった。ニコはおばあちゃんの言いつけ通り、素直にマッサージ機に横たわる。母親と一緒にいるような錯覚のせいか、心の疲れがほんの少し和らいだ気がする。そして、一発キメてきたマッツェがご機嫌でニコを呼びにきた。


第11章:ユリカの前衛劇団の舞台とヒステリックな演出家

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案の定、ユリカの舞台には遅刻した。既に幕は上がっている。受付のあんちゃんはテイクアウトの中華料理を頬張りながら、時既に遅し、会場に入ることはまかりならぬと繰り返す。ユリカからの招待状を持っていることを示し、劇場内に入れてもらえないかと粘るマッツェ。しばらくの押し問答の後、あんちゃんはようやく重い腰を上げてくれた。

ところが、観客からの冷ややかな視線を浴びつつ会場内にすべりこんですぐ、ニコの隣に座ったマッツェがクスクス笑い始めた。折りしも、ステージではユリカが登場し、客席にいるニコを睨み据えながら、舞踏とも演劇とも判断できない激しいパフォーマンスを繰り広げているところだ。確かにニコにも、彼ら劇団員が何を表現したいのか、さっぱり分からない。いかにもアマチュアが考えそうな、哲学風、高尚を気取った意味不明のアヴァンギャルド劇だといってしまえばその通りだが。しかしニコには、ステージ上で奇声を発しながらすさまじくも陶酔した狂気の表情を見せるユリカに、過去の苦悩を振り切って前進する彼女の“今”を見出した。彼女は人生のうちで最も惨めだった時代を見事に乗り越えたのだ。その力を彼女に与えたのは、ひょっとしたら過去のニコ自身だったかもしれない。今のニコが置かれた情けない状況と比べて、ユリカの今がいかに力強く輝いているかを思い知らされたニコであった。

舞台がはねた後、打ち上げを行っている楽屋に招かれたニコとマッツェ。結局劇の最初から最後まで笑いっぱなしだったマッツェに、劇団員からの非難が集中する。しかしマッツェは、頭でっかちの素人集団を鼻で笑うばかりだ。劇団員の中でもひときわペシミスティックで被害者意識が強く、またヒステリックな演出家をからかって遊んでいる始末だ。ニコに言わせれば、マッツェの方こそ、まがりなりにもきちんと活動している同業者への敬意を持つべきだと思うが。ニコはユリカに、素晴らしい演技だったと儀礼的に伝えた。おそらく彼女のパフォーマンスを見た客のなかで、彼女が言わんとしたことを正しく理解できたのは、ニコだけだっただろうから。マッツェを中心に、各劇団員が各々罵りあいを始めたので、喧騒から逃れるためにニコは劇場の外に出た。


第12章:不良するには年を食いすぎてる不良青年のリーダー

コーヒーを飲んで気持ちを鎮めたいが、ここにはない。仕方なくタバコに火をつけるニコ。そこへ、不良と呼ぶにはいささか年を食いすぎているのでは、と思えるようなチンピラが手下を引き連れてニコに絡んできた。争いを好まぬニコは、素直にチンピラにタバコを恵んでやる。しかしユリカがニコを追ってやってきてしまったために、事態はややこしくなる。ユリカは、やはり昔いじめに遭った反動で、他人を害しようとする人間を絶対に許さない。ニコとユリカの2人を見て、不良青年たちが下品かつ知能指数ゼロの野次を飛ばし始めたので、ユリカは理路整然とチンピラどもの哀れな精神状態を解析してやり、消え失せろと挑発。チンピラ連中がまんまと挑発に乗ってきたので、ニコは慌てて両者の仲裁に入り、鼻を殴られてあっけなくダウン。ユリカの世話になる羽目に。

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ケンカの興奮とステージ直後の興奮でいまだ高揚するユリカは、そのまま“初恋の人”ニコに迫ってきた。ユリカの鼻息の荒さに、一方的に気圧されるばかりのニコ。これはユリカにとって何を意味する行為なのだろう。過去を乗り越え、今では完全にニコに勝利したことを反芻するため?それとも、その過去の罪をニコに贖わせるための代償行為か。そこまで考えたとき、ニコの気力は急速に衰えてしまった。美しくなったユリカに心惹かれないわけではなかったが、ユリカとニコの関係とはつまるところ、過去の亡霊を呼び戻すことに過ぎない。ニコはまたしてもユリカを拒絶した。しかし今度は丁重に。突き放されたユリカは屈辱を感じたのだろう。「あんたは本当に情けない人なのね」という捨て台詞と共に、ニコを外に叩き出した。


第13章:夜のバーと老人フリードリヒ

結局今日という日は、過去の自分の罪と今の自分の罪を、一つ一つ目の前に突きつけられる一日だったのだ。冷静になった頭で考えると、この不運と不条理の連続は仕組まれたものだと結論せざるを得ない。…なぜ?今まで目をそらしてきた“自分の人生への責任”というやつを、ニコが全うできるようにするためだ。ニコは閉店間際のバーに入った。念のため、コーヒーをオーダーしてみる。しかし、バーテンダーは既にコーヒーマシーンを洗って片付けてしまった後だった。…そんなことだろうと思っていた。今日は、カフェイン抜きで己の人生について内省しろという神の思し召しなのだろう。

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1人悄然とグラスを傾けていたニコに、老人が声をかけてきた。こざっぱりとしたスーツを着こなした、人品卑しからぬ老人。しかし彼もまた1人酒だったようだ。いわく、自分は正真正銘ドイツ生まれのドイツ人だが、しばらく国を離れていた間に、同じドイツ人がしゃべっている言葉が全く理解できないようになっていた、と。今日一日、突如見知らぬ人から声をかけられて絡まれ、散々な目に遭う不条理を繰り返してきたニコは、うんざりしつつ頷いた。
しかし老人は、自嘲するように唇をゆがめたまま、誰ともなしに、あの“水晶の夜”の出来事を語り始めたのだ。1938年11月9日夜から10日夜明けにかけて、ユダヤ人排斥のための醜くも恐ろしい暴動がドイツ各地で勃発した。特に当時、ユダヤ系の人々が多く住まいしていたベルリンでは、老若男女人種を問わず入り乱れ、ユダヤ人の住居、店、教会などが次々と投石、放火の被害に遭った。石を投げつけられて割れた窓ガラスの破片が街中に散乱し、街頭に照らされてまるで水晶のようにキラキラ輝いたことから、その夜の暴動を“水晶の夜”と呼ぶようになったのだ。
老人の父親は昔かたぎの厳しい男で、息子には常日頃から“男らしくあれ”と叱咤し続けてきた。老人も父親からの期待に応えようとそれはもう頑張った。傷だらけになって、自転車に乗る特訓に励んだのも、ひとえに父親を喜ばせるためだったのだ。

そして運命のあの夜、父親は息子にこう言った。「男をみせてみろ」

父親は、ちょうど今老人とニコとバーテンダーが座っているこのキング・サイズ・バーにあった建物の窓に、大きな石を投げ込んだ。窓ガラスは粉々になり、まるで吹雪のように道路に散らばっていった。これは父親が自分に課した“立派な大人の男”になるための最後の試験なのだ。老人も、辺りの建物めがけてめくら滅法に石を投げた。既にあたり一面がガラスの破片に埋め尽くされていた。老人は、そのときふと自転車に乗りたいと強く願った。突然自転車のことを思い出した理由は分からない。ただ、自転車に乗ってここを離れ、風のように遠くまで行きたいと熱望したのだ。

老人の目は赤く濁り、彼自身、すっかり酩酊していた。時間軸をあちこち彷徨いつつ、呂律の回らぬ口で語られた彼の人生の断片は、しかしニコの意識を老人に惹きつけることになった。老人はナチスによるホロコーストを辛くも生き延びた後、ドイツを離れたのだろう。一体どれぐらいの期間、故郷を留守にしていたのか?

「…60年だ」

ニコはショックを受け、その間一体どこで何をしていたのか訊ねてみた。しかし老人はニコの質問に答えなかった。哀しげに歪んだ表情のままフラフラと立ち上がると、彼はそのまま店のドアを押して外に出て行った。ところが次の瞬間、老人は路上に昏倒してしまう。ニコは慌てて外に飛び出した。老人はニコに向かって再び繰り返した。「故郷の人々が話している言葉がさっぱり理解できないんだよ…」と。それが、ニコが聞いた老人の最後の言葉となった。


第14章:さよならフリードリヒ、こんにちはコーヒーとベルリンの夜明け

バーテンダーに救急車を呼んでもらい、ニコは老人に付き添って救急病院までやってきた。老人の身元が分からない以上、何の因果か彼に最後に接したニコが老人の傍にいてやらねばならないと思ったからだ。後は病院に任せてうっちゃっておいてもいいのだが、ニコはとてもそんな気にはなれない。老人から感じた孤独と哀しみの気配に共鳴したせいかもしれない。彼は何十年もの間、周囲の世界に違和感を覚えつつ生きてきた。ニコと同じように。そして、ついに死が迎えに来る年齢になっても、外界と自分を隔てる壁を破ることが出来なかった。老人の姿は、今の状態のまま年をとったニコのそれと重なるのではないのか。

…ニコは病院の待合室の自動販売機でコーヒーを求めたが、品切れであった。

廊下の長椅子にうずくまって眠っていたニコを、夜勤の看護婦が起こしに来た。いつの間にか夜が明けていた。最悪の一日がついに終わったのだ。老人はどうなったのか。看護婦によると、やはり老人はあのまま静かに息を引き取ったそうだ。彼には身寄りがなく、亡骸を引き取る者もいない。ニコは何ともいえない無力感に苛まれながらも、せめて老人の名前ぐらい知りたいと願った。見ず知らずの人間の個人情報を、他人に漏らしてはいけない決まりがあるので看護婦は渋ったが、ニコは、せめてファーストネームだけでも教えてくれないかと粘った。身寄りもない孤独な彼との間にわずかばかりの絆が生まれ、それが彼の哀しみをほんの少しでも和らげていたのだと信じたいから。…老人の名前は“フリードリヒ”。身勝手かもしれないが、これで“老人”は、ニコにとって単なる記号から血肉の通う現実となったのである。

誰もいない病院内の食堂で、1人コーヒーを啜るニコの姿があった。大きな窓からは、朝日が幾筋もの光線に分かれて差し込んでおり、ニコの横顔もほんのり明るく照らされていた。その光源を見つめるニコのまなざしからは、昨日まで彼を苛んでいた不安と焦燥感が消えていた。


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暖かくて居心地の良い繭に包まれて、ふわふわとベルリンの街を漂うように生きてきた青年が、天地がひっくり返る程の怒涛の一日を経て、そこからついに脱出するまでのお話。一日に起こった出来事を時間の経過通りに描く作品として、個人的にはスコセッシ監督の「アフター・アワーズ After Hours」(こちらは一晩の間に主人公が遭遇する不条理を描く)、さらに遡って午後5時から7時までという、ぐっと制約されたクレオの生活をリアルタイムで追ったヴァルダ監督「5時から7時までのクレオ Cléo de 5 à 7」などを懐かしく思い出しました。元々この作品は、新人監督ヤン・オーレ・ゲルスターが通っていたドイツ映画テレビ・アカデミーの、卒業記念として製作したもの。

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おそらくはまだ若いゲルスター監督自身の、私小説的な要素がたくさん縫い込められていると思います。処女作の魅力のほとんどは、これから長く続く道を歩んでいく芸術家が、最初の一歩を踏み出すまでの過去の自分自身の生き様を振り返る点に尽きます。己が人生を振り返るとき、そこには必ず、出会いと別れを繰り返す悲喜こもごもの愛しさ、楽しい思い出以上に鋭く胸を突く後悔の念、そして未来への不安と希望といったあらゆる感情が立ち上ってくるからです。それらは全て余す所なく、現在の芸術家自身を形作ったものであり、同時に、彼の未来への新たな礎となります。いわば、これまでの人生の集大成と新しい人生の誕生を同時に祝っているようなもので(笑)、だからこそ、あらゆる芸術形態における“処女作品”は、多くの人の共感を呼ぶのではないでしょうかね。技術的な面で未完成な部分があってもね。
20代後半、人生の真ん中でひっそり膝を抱えてうずくまっていた青年が、再び自分の足で立ち上がって一歩を踏み出そうとするまでを描いたこの作品「コーヒーをめぐる冒険 Oh Boy」も、いってみれば主人公ニコの人生の“処女作品”だと解釈できますね。

劇中、ニコはおっかなびっくり様々な人間との出会いと別れを繰り返します。その邂逅は、彼が“思索”していた2年の間に経験したそれを、質・量共にはるかに上回るもの。たった一晩の間に、ニコは次から次へとキョーレツな連中に遭遇し、不条理な出来事の間をたらいまわしにされるのですね。実は、ニコという人間像を完成させてその人生を再起動させるために、今の彼に欠けているピースを見つけなければなりませんでした。しかし、ニコ1人でそのミッションを遂行するには、気が遠くなるほどの時間が必要だったのでしょう。ついに痺れを切らした神は、彼をいち早く覚醒させるため、彼が自分自身を振り返って内省するための出会いを演出し、強引に彼をその出会いに立ち向かわせたようにもみえます。

彼はこのような状況に追い込まれるまで、今の自分に何が足らないのか分からない状態だったのではないでしょうかね。長い人生の間には、いかに物質的に恵まれた環境にいても、濃い霧の中でフッと道を見失ってしまうような時期が必ず訪れます。まあ、年嵩の人間の中には、そのような心理的スランプに陥った若者を見るや、“甘ったれんな”と説教を垂れ始める輩が大勢いますが、そういう“大人”だって、かつて若かりし頃にはやはり同じように、原因不明の心理的停滞に苦しんだ経験があるはずなんですよね。要は、誰にでもそういうことは起こるわけです。

ニコは一晩で、彼自身の人生の断片を象徴するような人物と出来事にぶつかり、その度に少し傷付いたり、反省したり、己の人生の意味を自身に問い直すことで過去にけじめをつけ、自分に欠けているピースを彼らから獲得していきます。ニコの人生とは、川の流れに逆らわず漂う木の葉そのもの、環境に流されるままどこにも漂着できないでいたようなものでした。しかし、父親との対決を経て、彼に“母親”という存在を強く想起させたマルセル少年のおばあちゃんとの短い交流、過去に犯した過ちへの償い、そして最後に、この世のどこにも居場所がなくて60年以上も彷徨っていた、まるでニコ自身を投影したかのような老人フリードリヒと出会い、彼から“命”を受け継いだ瞬間、ニコという木の葉は川を堰き止める大木に引っかかりました。

謎めいた老人フリードリヒは、ドイツが今もなお国土の奥深くに抱え込んでいるナチスの忌まわしい記憶と、長らく国土が東西に分断されていた頃の痛ましい記憶を思い起こさせます。死を前にして戻ってきた故郷には、もはや自分の居場所は残されていなかったという哀しみは、ドイツという国家の辿ってきた歴史そのものが抱える矛盾と皮肉、苦悩と呼応するのでしょう。そして、漠然とした不安と違和感を抱え、心理的倦怠感に埋もれるニコは、今現在のドイツの空気を体現しているようにも見えます。
また、ベルリンという街にも、フリードリヒが象徴するドイツの“過去”と、ニコが象徴するドイツの“現在”が交錯する場所が、あちこちに点在しています。つまり、過去と現在が共存するベルリンは、ドイツのメランコリアの縮図であるわけですね。そんな街でフリードリヒとニコが出会った意味は、ドイツの過去と現在がぶつかり合い、痛ましい過去がようやく昇華され、現在が新たな一歩を踏み出すことの暗喩だと思われて仕方ありません。

この作品は、「アフター・アワーズ」や「5時から7時までのクレオ」といった過去作の技法を踏襲した作りだと書きましたが、最近また流行の兆しを見せている、色彩に頼らないモノクロのスタイリッシュな画面といい、背後に流れるジャズの粋なメロディといい、フランソワ・トリュフォー監督の作品を意識して製作されたことがよくわかります。フランス映画らしさ、フランスの香りを強烈に感じさせるトリュフォー監督作品を、ドイツで翻案したらこんな風になりました。作品から感じられる温度が、トリュフォー作品よりも明らかに5度ぐらい低いのは、作品の背後に透けて見えるそれぞれの国家の歴史の相違のせいだろうと思います。

ともあれ、ドイツ映画界は、ヤン・オーレ・ゲルスターという新しいクリエイターと、情けなくも受動的な、でも憎めないニコに命を吹き込んだトム・シリングというスター俳優を得ました。今作が、ドイツ国内のみならず海外でも評判になり、30以上の映画祭に招待されて受賞しているのも頷けます。ドイツの“今”を描きながら、その根っこにある感性は普遍的で、素直に共鳴できる繊細な作品でした。セリフでストーリーを解説するのではなく、心象風景から想像を膨らませることができるのも、私には嬉しかった。これは何度も書いていますが、今現在、観客に想像する自由を与えてくれる映画は少ないんですよ。

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