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zoom RSS シルヴァンの恋の物語―「女っ気なし Un Monde Sans Femmes」ギヨーム・ブラック監督

<<   作成日時 : 2014/05/14 23:15   >>

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“フランソワ・トリュフォー、エリック・ロメール…。初めての映画を撮るにあたって、参考にした映画作家はもちろんたくさんいた。僕はフランス人だし、ヌーヴェル・ヴァーグの名匠たちの影響は必ずどこかで受けている。でも、こうしてあらためて自分の作品を見直してみると、むしろアメリカのジャド・アパトー監督周辺のクリエイターたちにインスパイアされている部分が大きいとも思う。”―ギョーム・ブラック監督

私たちの時代のアントワーヌ・ドワネル、シルヴァンの恋の物語。

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「女っ気なし Un Monde Sans Femmes (A World Without Women)」(2011年)
監督:ギョーム・ブラック
出演:ヴァンサン・マケーニュ(シルヴァン)
ロール・カラミー(パトリシア)
コンスタンス・ルソー(ジュリエット)
ローラン・パポット(ジル)
マリー・ピカール(マリーおばさん)他。

シルヴァンの住む小さな港町は、海水浴シーズンになれば、観光客と観光客をカモろうと狙う周辺地域の地元民で賑わう。わびしい1人暮らしで燻っていたシルヴァンも一念発起し、親から譲り受けた観光客向けの物件―海岸を臨む、明るくてモダンな内装のアパルトマン―を大いに活用するつもりだ。夏は彼にとっても稼ぎ時。今年はこのアパルトマンに母親と娘の2人連れの客を迎えることになっていた。

派手な外見と、開けっぴろげで朗らかな性格の黒髪のパトリシアが母親、ほっそりした柳のような風情の、物静かで口数も立ち居振る舞いも控えめな金髪のジュリエットが娘。…親子でも見た目も性格も、まるで正反対だ。とにかく、シルヴァンは有能な召使として、彼女達の海辺での数日間のバカンスが素晴らしいものになるよう、誠心誠意、努める所存だ。この町の案内から、母子が買い物や遠出する際の足代わりと御供に至るまで、細かい心遣いを売りにしているのだから。そしてもちろん、その裏には、年頃の女性の数が圧倒的に少ない田舎町特有の悩みを解消しようという魂胆もある。この町で燻っている男連中は、バカンスシーズンにしか恋のお相手をゲットするチャンスがないのだ。なにしろ、女といえば、子供とお婆ちゃんしかいない町だからして。

パトリシアとジュリエット母娘は、人の良さそうな雰囲気に、控え目で優しい物腰のシルヴァンとすぐに打ち解けた。…というより、シルヴァンを危険性ゼロと判断した(笑)。特にパトリシアの方は、見た目同様、賑やかな場所で大勢と派手にバカ騒ぎする方が好みらしく、アパルトマンの店子と家主という関係を早々に放棄し、初対面のシルヴァンを酒の席に誘った。3人とも程よく酔っ払い、子供のようにゼスチャークイズに興じる。女性と個人的に接するのが苦手なシルヴァンは、当然がちがちに緊張していたが、酒の力を借り、また細かいことは意に介しないパトリシアのおかげで、場をしらけさせることなく生まれて初めて女性と楽しいひと時を過ごしたのであった。

翌日、シルヴァンが母娘の買い物に御供すれば、パトリシアはシルヴァンにもあかぬけた格好をさせようとシャツを物色してくれた。母娘が海辺に出てきたのに合わせて姿を現したシルヴァンが、パトリシアと地元の若者のナンパ・ゲームをぶち壊しても、パトリシアは鷹揚に許してくれた。これまで海で泳いだことなどなかったシルヴァンは、浅瀬ではしゃぐ母娘に引っ張られるように海に飛び込んだ。まるで、童心に返って遊園地で一晩中遊んでいるような楽しさだった。シルヴァンは、パトリシアに母親のような包容力を感じ、急速に惹かれてゆく。
こうして、シルヴァンとパトリシア母娘の間には和気藹々としたムードが出来あがっていった。ところが、そこへとんだ邪魔者が割り込んでくる。町で1人しかいない警官のジルだ。何もない田舎町ゆえ、ジルの本職も暇なのだ。加えて、デートの相手を常に物色中なのはシルヴァンと同じ。バカンスにやってきた母娘の噂をきいた彼は、シルヴァンと海辺にいた母娘に強引にアプローチをかけてきた。いつも身体を鍛えていて男振りも良いジルは、完全に恋愛経験豊富なパトリシア狙い。ジルと比較されては勝ち目がないシルヴァンは、当然面白くない。ジルは、おとなしくて扱いやすそうなジュリエットの方を狙え、と勝手に決め付ける。

昼間は海水浴客でごった返す海辺だが、陽が落ちると、町に一軒しかないクラブ以外の娯楽がなくなり、静かな夜が町全体を包む。静寂の中で孤独に過ごすのが大嫌いなパトリシアは、喧騒を離れてゆったり過ごしに来たはずのバカンスに、早くも倦み始めていた。母親とは対照的に、娘のジュリエットは、書物さえあればそれを何時間でも読んでいられる。雑誌をパラパラ捲り、埒もない恋愛相談コーナーを娘に勧めても相手にもされなかったパトリシアは、これまた町に一軒しかないバーに向かった。地元民がとぐろを巻いているバーの雰囲気に気圧されながらも、パトリシアは、女手一つで必死に育ててきた娘ジュリエットが、もうすぐアメリカに留学することをバーの女主に吐露した。正直、とても寂しいと。誰にも言えない、娘にも決して明かさない、母親としてのパトリシアの胸の内だ。とにかく娘にきちんとした学問をつけさせるために必死で働いてきて、今までろくに構ってやれなかった。この休暇は、母親と娘として一緒に過ごせる最後のチャンスになるだろう…。女主はパトリシアを慰めた。「あんたは運がいいよ。娘を今の環境から脱出させてやれるのだから。世の中のほとんどの親には不可能なことさ」
バーで呑んでいたジルは、チャンス到来とばかりに、心に隙の出来たパトリシアに付け入る。アパルトマンまで送ると申し出、部屋に戻ろうとするパトリシアに強引キスを迫った。しかしさすがにこのときは、到底そんな気分ではないパトリシアにすげなく断られてしまう。

せっかくパトリシアと良いムードになりそうだったのに、ジルに横入りされたシルヴァンは、子供のように不貞腐れる。母娘が海辺で遊んでいても、もはや一緒になることもなかった。理由は明白、ジルがこれみよがしに海パン一丁になり、ティーンのようにパトリシアといちゃついているからだ。ジュリエットだけは、シルヴァンの心境を思いやって表情を暗くするが、パトリシアの方は今のお楽しみに夢中でシルヴァンなど眼中にないようだ。

シルヴァンは、主導権をジルに奪われてしまった恨みをマリーおばさんに打ち明ける。「ボクには良い所がある?おばさん、はっきり言ってくれて構わない。ボクの良い所ってどこだろう?それとも全然ダメなのかな」マリーおばさんは、誰もが知り合いというこの小さな町の中で、変わらず本当の母親のように慕ってくれるシルヴァンを、ひょっとしたら実の息子以上に大事に思っている。だが彼の良いところは残念ながら、目に見える場所にはない。他の人に見えているのは、まだ若いのに早くも寂しいことになりかかっている前髪、ぽってりと脂肪のついたふくよかな体型、垢抜けない見た目に似合ったダサい服装センスだ。シルヴァンにとっては、彼の黄金のハートこそが彼の持つ最も尊い宝物なのだ。マリーおばさんは、いつかこの美しい心に気付く娘が現れることを祈りつつ、答えた。「お前はまっすぐ相手の目を見ながら話をするね。それはいいことだ。顔も可愛いよ。あとは…前髪をもうちょっとなんとかするといいだろうね」

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町の高台に遺棄された古い建物を案内しながら、シルヴァンはパトリシアと一緒に夕陽が水平線の向こう側に沈むのを見つめた。気の利いた男なら、ここで女性をうっとりさせるような愛のセリフの一つでも口にするところだろうが、生憎不器用なシルヴァンには、幼子のようにパトリシアの手を握るのが精一杯だった。パトリシアは、シルヴァンからの純粋な思慕の情と優しさに満ちた愛情を充分に理解しつつも、そのあまりにまっすぐな想いに応えることはできなかった。ゲーム感覚でお手軽な恋愛ばかり選んできたパトリシアにとって、本物の愛情はかえって重荷なのだ。今までにも愛を捧げてくれた男性はいた。しかし本物の愛には、こちらも誠心誠意、責任を持って真摯な愛情で応えなければならない。気軽なラブアフェアを楽しむ年齢をとうに過ぎたことは自覚していても、パトリシアには今までの習慣を簡単に変えることもできなかった。パトリシアは、シルヴァンは良い人だし、いずれ素敵な女性が現れて、暖かい家庭を作ってくれるに違いない…と、柄にもないお世辞を並べることで、自身の良心の悲鳴を封じこんだ。

バカンスも終わりに近づいている。最後の思い出にと、パトリシアとジュリエットは夜、クラブに繰り出した。さも当然のような顔をしたジルが、パトリシアの肩を抱いてクラブの喧騒の中に消えていく。シルヴァンも渋々御供する。ジュリエットはしばらく前から、パトリシアがあからさまにシルヴァンを避け、ジルといちゃついていることに気付いていた。いつもお日様のように微笑んでいたシルヴァンの顔からも笑顔が消えて久しい。ジュリエットは、母親がまたいつもの悪い癖を出したことを確信し、純粋なシルヴァンの心が傷つけられただろうことを心配していた。ジュリエットはシルヴァンの心根の素晴らしさをちゃんと理解していたのだ。…この晩も、ジュリエットはさりげなくシルヴァンの傍にいたのだが、シルヴァンの方はパトリシアとジルの行方が気になってジュリエットの存在にすら気付かない有様だった。

踊り疲れたジルとパトリシアは、連れ立ってクラブの外へ出ていった。クラブの外では、あちこちでティーンエイジャーたちがひと夏のアバンチュールに勤しんでいる。シルヴァンは、その中にジルとパトリシアの姿を見つけ、ついに激怒した。ジルに向かって、今まで口にしたこともないような罵倒の言葉を浴びせるシルヴァン。シルヴァンを追いかけてきたジュリエットもシルヴァンを援護した。ジルとシルヴァンの間に、一触即発の緊張が走る。彼らのやり取りで我に返ったパトリシアが、こんなティーンのような恥ずかしい真似は二度としないとジルに宣言し、憤然とその場を後にした。その気にさせておいて途中で放っぽり出されたジルは、憤懣やるかたなくシルヴァンとパトリシアを侮辱する。ジュリエットがシルヴァンを庇って、こちらもまた聞いたこともないような言葉でジルを罵った。騒ぎを聞きつけたクラブの用心棒がそこに現れ、男2人のケンカは事なきを得たが、シルヴァンの頭は混乱していた。パトリシアがジルといちゃついていたのは身を切られるように辛かったが、ジルが彼女を尻軽女のように辱めるのは間違っている。自分はそれに対して怒ったのだ。しかし最も驚いたのは、ジュリエットが自分のような冴えない男を庇ってくれたことだった。“あんたみたいなアホより、シルヴァンの方がうんと素晴らしい”と。知り合いの顔をたててくれたのだろうが、妙齢の女性から生まれて初めて褒められたシルヴァンは、つい今しがた爆発させていた怒りも瞬時に霧散するほどドギマギしてしまった。

アパルトマンに帰ってきたパトリシアとジュリエット母娘は、言葉もなく帰り支度の真似事をした。明日はここを離れ、都会に戻らねばならない。疲れ果てた母娘は、それぞれ程なく寝室に入ったが、ジュリエットは眠れなかった。先程つい口をついて出てきてしまった自分の言葉が頭を離れなかった。シルヴァンを愛しく思う気持ちは、きっともっと前から自分の心の中に育っていたのだ。それが熟して自然と口から溢れた。シルヴァンのような男性は、少なくともこれまでの人生でジュリエットの周囲にはいなかった。だから好きになったのか?それはジュリエット本人にも分からなかったが、ただ、明日は自分はここを離れなければならず、そのすぐ後にアメリカへ発たねばならないという事実が、彼女の心を苛んだ。

意を決してベッドから出たジュリエットは、足音を忍ばせて外に出た。向かう先は、シルヴァンから教えてもらっていた彼の自宅だ。パトリシアは娘の行動を知ってはいたが、彼女のシルヴァンへの密やかな恋慕に気付いた時のように、やはり素知らぬ振りをしていた。

心もとなげに、また申し訳なさそうな風情で自宅ドアの前に立ち尽くすジュリエットの姿を認めると、シルヴァンは心底驚いた。明日にはここを発つ身なのに、一体どうしたというのか。俯いたまま、緊張した様子で立ったままのジュリエットの思惑を計りきれず、シルヴァンはとりあえずどうしたのか訊ねてみた。アパルトマンの鍵のことなら、彼女達が出る前に郵便受けの中にでも入れておいてくれればいいし、何か緊急の用事なら自分がアパルトマンまで出向くし。何か言いたげな表情ながら、黙りこくったままのジュリエットに、シルヴァンはふとあることを思いついた。インターネットか。そういえば、アパルトマンはまだネット環境に対応していなかった。友達にメールを出すにも、それでは困るだろう。シルヴァンの自宅はネットし放題なので、ジュリエットの目の前にあるパソコンでネットに繋ぐよう言い置いて、シルヴァンは2階の自室に引っ込んだ。
もちろん、そんなことが来訪の目的ではないジュリエットは、すぐにシルヴァンを呼んで下に降りてきてもらった。シルヴァンは、やはりジュリエットの思惑が分からず、困り顔でもじもじする。ジュリエットはジュリエットで、彼女にしては大胆にも相手の家まで押しかけてきたものの、いざ告白するという段になって途端に身体が強張り、やはりもじもじする。それでも、シルヴァンのメールアドレスを訊ね、しっかりメモすることは忘れなかったが。お互いがお互いを前にして、照れくさそうにもじもじするばかりの、まるで恋愛したてのティーンのようなぎこちない空気が2人の間に流れた。

シルヴァンは、昼間に買い求めていた新鮮なイチゴのことを思い出し、一緒に食べようかと声をかけてみた。そうすれば、この何とも気恥ずかしい空気を変え、会話の糸口ぐらいは掴めるだろう。ジュリエットは、こんな時間にイチゴを食べるなんて突拍子もないお誘いは辞退したが、シルヴァンがイチゴに砂糖をどっさりかけて、嬉しそうに口に運ぶ様子をにこにこしながら見守った。まるで小さな子供だ。シルヴァンは、子供がそのまま大きくなったような人間なのだ。シルヴァンがイチゴを口に含むと、新鮮なイチゴの果肉がプチプチ音を立てて弾ける。ジュリエットは、幼い子供が音を立てながら一生懸命食事をする光景を想像し、可笑しくなってしまった。シルヴァンの口の中でイチゴがプチプチ弾ける音を聴きながら、ついに吹き出したジュリエット。シルヴァンは、そんなことを気にかけたこともなかったと、釣られて笑い出した。
緊張した雰囲気が穏やかに溶け、ジュリエットは母パトリシアの非礼を詫びた。彼女はこれまでずっと、素晴らしい男性から真剣な愛情を捧げられると途端に臆病になり、どうでもいい相手とその場限りのくだらぬ恋愛に逃げてきたのだと。シルヴァンにも、それは薄々分かっていた。しかしジュリエットも、わざわざそんなことを言いにシルヴァンの家までやってきたわけではないだろう。いかに女心に鈍感なシルヴァンでも、ここまでくるとさすがに彼女の真意を理解した。したのだが、これまでの己の人生をどのように紐解いてみても、このような筋書きは未経験であったので、信じられなかっただけだ。

ジュリエットとシルヴァンの間に、再び一本の細い緊張の糸が張り詰めた。だが今回の糸はとても細い。思わずシルヴァンが糸を乗り越えてジュリエットに口付けたほどに。無意識のうちの自身の大胆な行動に驚きながら、シルヴァンはジュリエットに謝った。しかしジュリエットの方は、シルヴァンの気持ちを確認することが出来たので、胸を撫で下ろしていた。無駄足ではなかったのだ。決して、これは意味のない行動などではなかったのだ。例え、ジュリエットとシルヴァンの関係に明確な未来がなかったとしても、一筋の光は必ずどこからか差し込んでいる。家中の全ての明かりを消しても尚、部屋が真っ暗にはならないように、常に光は存在する。ジュリエットはシルヴァンに擦り寄り、シルヴァンは壊れ物でも抱えるように、ごくごく慎重に、そぅっと彼女の細い身体を抱きしめた。2人は寄り添いながらシルヴァンの寝室に上がっていった。

今現在目の前で進行している現実―ジュリエットと自分が相思相愛であった―が、やっぱり何かの冗談ではないかと思えるほど、シルヴァンは未知の世界で立ち竦んでいる。シルヴァンとしては、恋愛は様々な段階を経て時間をかけて育っていくのだという考えがあり、何度かデートを重ねて少しずつお互いのことを理解していくものだと思っていた。このような変則的なパターンで、いきなり自分の本当の愛情の対象を、自分にとって真に大切な人の存在を、たった数時間で思い知らされ、また、残り数時間でひょっとしたら永遠に手放さねばならないのだという事実を、受け入れられるわけがない。ジュリエットの方は、こういうシチュエーションで、シルヴァンが女性をスマートにリードしてくれると夢見るほどウブではないので、自分で服を脱いでシルヴァンをいざなった。たった数時間の、二度とないかもしれない尊い愛情のために。

極めてぎこちなく寄り添う2人を、海辺の小さな町に降りてきた夜は、赤ん坊を産着にくるむように大事に包んでやった。

翌朝。
ジュリエットの携帯にパトリシアからの電話が入った。列車に乗る時刻だ。シルヴァンはまだベッドの中に潜り込んでいる。ジュリエットは彼を起こさないようにそっと服を着ると、シーツの隙間から覗く彼の頭に優しく触れ、足音を忍ばせて部屋を出て行った。眠った振りをしていたシルヴァンは、つい今しがたまでジュリエットが横たわっていた場所のぬくもりを抱きしめ、思わず窓から外を見る。そうすれば、去っていくジュリエットの姿がもう一度見えるかもしれない。どんな形にせよ、ジュリエットに別れの言葉を告げるのは辛過ぎた。彼女の顔を見ながら“さよなら”とは、とても言えなかったのだ。

しかしその頃、ジュリエットとパトリシアは既に帰りの列車の中にいた。昨晩同様、2人は一言も言葉を交わすことなく、お互いに今にもべそをかきそうな表情で、溺れる人のようにひっしと抱き合っていた。母娘は今、同じ愛情がもたらす痛みを共有していた。いつかそれが薄れていくことをどこかで祈りながら。


ヌーヴェルヴァーグ期の代表的作品群を理論だてて説明するのは、私にとっては至難の業です。まあ、私はあくまでも一映画ファンとしてそれらの作品に接してきたに過ぎませんから。そこで、ごく個人的な感想になりますが、私にとっての“ヌーヴェルヴァーグ”を簡単に表すと、“平凡で穏やかな日常生活を、細やかに繊細に観察した上で掬い出される様々な感情のうねりを拾い集め、それで一つのドラマを織り上げた映画”ということになります。

以前の「遭難者」の記事にも少し書きましたが、日常生活で起こる出来事をあまり脚色せず、ありのままに近い形で映像にした上で、どこの世界にも共感を持って受け入れられるような普遍的感情だけを強調するようなドラマですね。私達の周囲にある現実の日常から、ほんの少しだけ浮き上がった世界。フィクションとノンフィクションの曖昧な境界線を行ったり来たりするような世界。劇映画としてストーリーを構築する場合、演出のさじ加減が大変に難しいジャンルだと思いますよ。ドキュメンタリー映画ではないのですから、ただ単に日常生活の一こまを切り取ってポンと差し出すだけではダメ。でも脚色は、リアリティを壊さぬ程度にごく自然に行われなければなりません。映像も、普段見ている世界そのまんまではなく、そこから選り抜かれた美を捉えていなければなりません。こうしてみると、ありのままの感情を自然に任せて描くムーヴメントのように思われているヌーヴェルヴァーグも、存外デリケートで難しい定義づけを課せられていたのかもしれませんね。

ジャック・ロジェ監督のバカンス冒険映画「アデュー・フィリピーヌ Adieu Philippine」(1962年)を観たとき、こんな、素人が友達とのバカンスの様子をホームビデオで撮ったかのような内容の作品が“映画”として成り立つのなら、何でもアリじゃないのかと思った記憶があります(大笑)。実際、“何でもアリ”という自由こそが、ヌーヴェルヴァーグの心意気だったのでしょうね。カメラを向けた場所で起こっている出来事、これから何か起こるかもしれないという密かに転調を待つそわそわした空気感までもをそのままフィルムに焼き付けた、何事かが起こった“その瞬間”を捉えた映画。ヌーヴェルヴァーグ映画が瑞々しいと表現される所以の一つは、この“同じ空気を共有する同時性”に優れた作品が多いせいではないかと考えています。

この、何かが起こった際のその場の空気を共有している感覚は、カメラの視座をどこに据えるかによって、映像に現れてくる印象も変わってくるでしょう。勝手に“シルヴァン・クロニクル第1作目”と名づけている(笑)ギョーム・ブラック監督の前作「遭難者 Le Naufrage」では、カメラはよそ者の自転車乗りリュックの視点でした。リュックの視界の中に入り込んできた、ダサくて風変わりな青年シルヴァンの抱える孤独と、リュックに代表される都会人の抱える孤独が共鳴する様子が“共有された”のが、「遭難者」であったのだと。
今回の「女っ気なし Un Monde Sans Femmes」では、ストーリーは最初から最後までシルヴァンの視線で語られていきます。ストーリーだけではない、今作で抽出されている普遍的感覚―思わぬ所から生まれた愛情に揺れる複数の人間の心模様―も全て、シルヴァンの心のフィルターを通した形で私達の目に映ります。「遭難者」を見た私達には、善良な魂を持つシルヴァンが、ちょっと不器用で自分に自信が持てず、孤独に生きる羽目になった事情は既に分かっています。今回の彼は、「遭難者」の頃の、まるで隠遁者のようだった佇まいから大きく前進し、他者と積極的に交流しようとする姿を見せるわけですね。思えば「遭難者」で、シルヴァンはリュックに無断で彼の恋人に勝手にメールしたことがバレ、リュックから酷い言葉を投げつけられていました。その直後、カメラは鏡の中の情けない自分を見つめるシルヴァンの姿を捉え、彼の表情がにわかに引き締まり、何ごとかを決意したかのように変化したことを伝えてくれました。ひょっとしたらそのとき、シルヴァン自身、負け犬の巣に引き篭もっていた過去の自分と決別しようと考えたのかもしれません。とにかく「女っ気なし」での彼は、まがりなりにも他人とのコミュニケーション社会に出て行こうとする積極性が見られます。
とにかく、前向きに生まれ変わった彼の体験する、恋愛と呼ぶにはあまりにも儚く切ない慕情の行方を、シルヴァンの心境に共鳴しながら、しかし一方では近所のおばちゃん的感覚でシルヴァンの危なっかしさにハラハラしながら“共有する”のが、この「女っ気なし」だと思いますね。

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ギョーム・ブラック監督はいまどきの若い映画作家にしては珍しく、風情あるロングショットを効果的に配置してくれます。日本版のポスター・デザインにも採用されている、海辺でパトリシア、ジュリエット母娘と遊ぶシルヴァンのショットも大変美しく、個人的に大好きな絵柄です。波に太陽光が乱反射する輝きを背景に、子供のようにはしゃぐシルヴァンの姿が印象的。これの他に、シルヴァンが雨合羽を羽織り、浅瀬で黙々とエビ漁を行うシーンも、海の中にいる彼とジュリエットの姿をやはり遠くから捉えたものでした。しかしこちらの方は、ジルとパトリシアに邪険にされて表情を暗くしているシルヴァンが背を丸めており、なんとも寒々とした侘しい情景になっていましたね。広い背景の中にポツネンと立っている人を見つめることほど、心寂しいものはありません。

あのラース・フォン・トリアー監督らが提唱したという“ドグマ”作品ではありませんが、ブラック監督もおそらく、人工的な照明を用いるのを極力避け、自然の光をうまく映像の中に取り入れていくタイプなのでしょうかね。「遭難者」でも、夕陽と1人きりで自転車を押すリュックを組み合わせて印象的なシーンに仕立てていました。今作でも、シルヴァンが初めてパトリシアに意思表示をするシーンのバックを、水平線に落ちようとする夕陽の最後の輝きで照らし出し、パトリシアの心とシルヴァンのそれがすれ違っていこうとする切なさが強調されていました。室内のシーンでは、特に最後の山場となるシルヴァンの自宅の中を、あからさまな照明ではないごく自然な光で写し出し、間接照明が好きなフランス人の家らしいリアルさが出ていましたよ(笑)。そういや、パリで借りていたアパルトマンも、ホントに間接照明ばっかりで部屋中が薄暗く、おかげさんで子豆1号が一気に目を悪くしてしまいましたもんねえ…。

ブラック監督の弁では、ヌーヴェルヴァーグ的影響より、むしろ現代アメリカのマジョリティである、中流よりちょい下辺りのレベルの庶民(英国で言われる“中流”とは全く違いますよ)の生活臭をリアルに描き出す、ジャド・アパトー監督からの影響の方が大きいということでした。言われてみれば、その感覚はすごく分かりますね。おそらく年齢的にはアラフォーであろうシルヴァンの、彼女無し、家庭無し、ろくな仕事無し、金無し、ないない尽くしの寂しい生活の様子、そんなシルヴァンが一念発起して頑張った結果の、子供のように幼く純粋な恋愛模様、せっかく見つけた真の愛を次の日には失うことになる、笑えてくるほど哀しい顛末、それらをウェットになり過ぎず、適度にドライなユーモアにくるんで描いていました。いわば今作は、インターネット世代のヌーヴェルヴァーグ映画であり、ジャド・アパトー監督特有のユーモアとリアリズムの絶妙なるバランス感覚を、フランスで再現した作品だといえるでしょうね。それに、シルヴァンという特筆すべき、心から愛すべき、我ら凡人の守護神的キャラクター(笑)こそが、アパトー一派の作品へのブラック監督なりの返答だと密かに考えております。

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私たちのインターネット世代における“アントワーヌ・ドワネル”は、ぽっちゃりした愛嬌のある顔の、何もかもが垢抜けなくてドン臭い、でも子供のように純粋なアラフォー男シルヴァンだったわけですな。

今作を映画館で観たとき、シルヴァンとジュリエットの2人が対峙するシーンに漲る異様な緊張感(笑)が、観客席にまで伝染したように感じたことを覚えています。いやだって、これはどう考えても、シルヴァンはジュリエットを前にして“漢”にならんといかん展開ではありませんか(笑)。ジュリエットは見た目に左右されず、人の心の美しさを見抜くことができる素晴らしい女性。そんな得難い女性から真の愛情を捧げられたのですから、なんぼドンくさいといえども男シルヴァン、決めるべきところはちゃんと決めねばなりません。優しいジュリエットちゃんがサポートしてくれるとは思うけれど、“シルヴァン、お前ホントに大丈夫なのかっ?!”と、わたくしめ、他の観客の皆さんと一緒に手に汗握っておりましたよ(笑)。…いや待てよ、そういえば確か以前にガールフレンドはいたと言ってたよな?!なら、大丈夫だよなっ?(何が・笑)と、ひとまず安心した館長でした。いやあ、それにしても。ラブシーンといえば、そもそもが居たたまれない気持ちにさせられるものですが、観ていてこんなに緊張したラブシーンも久しぶりでしたわ(大笑)。


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