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zoom RSS 「天国の門 完全版 Heaven's Gate」で待っていて。

<<   作成日時 : 2016/07/03 10:16   >>

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マイケル・チミノ監督が7月2日土曜日、家族に見守られながら77歳で死去しました。カンヌ国際映画祭ディレクターのティエリー・フレモーが監督の訃報を明らかにしました。ご冥福をお祈り申し上げます。

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マイケル・チミノ監督の呪われた問題作「天国の門 Heaven's Gate」が、監督自身の意思に完全に沿う形で修復、デジタルリマスタリングを施され、初公開から32年振りに奇跡の復活を果たしました。2012年のヴェネツィア国際映画祭で「天国の門」が再び開かれてから、日本でも今作を上映、DVD化しようと尽力して下さった方々には、わたくしめ、死ぬまで感謝し続ける所存でございます。

そんなわけで明日、「天国の門 完全版」(216分上映)を観に名古屋シネマテークに逝って参ります。ひょっとしたら、そのまま天国の門の向こう側に逝ってしまうかもしれませんが(笑)、悔いはありません。むしろ本望です。

ーーーーーーーーーそして翌日ーーーーーーーーー

…天国の門から無事帰還いたしました。完全版を観た直後の興奮が多少落ち着いてきたところで、大幅に書き直した感想記事を貼っておきます。

これは個人的には、様々な不幸が重なった結果の悪評だと考えます。映画が製作された時代環境や作品が取り上げたテーマの難しさ(アメリカ国内の移民への差別と弾圧という暗黒のアメリカ史)、また、チミノ監督自身の行き過ぎた完全主義等、様々な要因が全て裏目に出てしまったのですね。もしこの作品が、ある程度の時間をかけることができるテレビのミニシリーズとして製作されていたら、おそらく監督が訴えたかったテーマもストーリーも、過不足なく語ることができたのではないかと思います。なにしろ、ズタズタにカットされる前のオリジナル・フィルムでは、合計上映時間が5時間30分あったというのですからね。今ならば、テレビの大河ドラマ扱いとなったことでしょう。
それこそ、HBOのような野心的なケーブル局ならば、多民族国家アメリカにはびこる移民排斥問題という、リスクの高いテーマにも果敢に挑戦できると思われますしね。

「天国の門 Heaven's Gate」(1980年)
監督:マイケル・チミノ
製作:ジョアーン・ケアリ
脚本:マイケル・チミノ
撮影:ヴィルモス・ジグモンド
編集:ジェラルド・グリーンバーグ&ウィリアム・レイノルズ
音楽:デヴィッド・マンスフィールド
出演:クリス・クリストファーソン(ジェームズ・エイブリル)
クリストファー・ウォーケン(ネイサン・D・チャンピオン)
ジョン・ハート(ビリー・アービン)
イザベル・ユペール(エラ・ワトソン)
ジェフ・ブリッジス(ジョン・L・ブリッジス)
サム・ウォーターストン(フランク・カントン)
ブラッド・ドゥーリフ(エグルストン)
ジョセフ・コットン(ドクター)
ジェフリー・ルイス(トラッパー・フレッド)
リチャード・メイサー(カリー)
テリー・オクィン(ミナーディ)
ミッキー・ローク(ニック・レイ)他。

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1870年、東部の名門大学ハーバードで卒業式が行われていた。未来への希望に燃えた卒業生の中に、ジェームズ・エイブリルとその親友ビル・アービンの顔もあった。
それから20年後、アメリカは混沌とした時代を迎えていた。アービンはワイオミング州で小規模牧場を経営していたが、この地にロシアや東ヨーロッパからの移民が大挙して押し寄せ、先住民であるアングロ・サクソン系の人々…もっといえば牧場主である“持てる人々”とのトラブルが激化していたのだ。アービンは、自身の牧場でも雇っている移民を守りたい気持ちを持ってはいたが、移民の大量入植によって自らの権利と富が横取りされるのではという疑心暗鬼に、ヒステリックになってゆく牧場主たちの暴走を止めることは不可能だった。厳しい現実は、彼から学生時代の理想に燃えた情熱、純粋さを奪い、彼をして酒びたりの生活に追い込んでしまった。

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アングロ・サクソン系住人は団結し、日頃から鋭く対立する移民への不満と弾圧も頂点に達しようとしていた。そしてついに牧場主協会の評議会の席で、リーダーであるフランク・カントンが驚くべき提案を示した。それは、“移民による牛泥棒根絶”に名を借りた移民の一大粛清、“民族浄化”という名の移民大虐殺である。その人数、125名。この大量殺戮を、ワイオミング州知事、果てはアメリカ大統領にまで直訴して法律を捻じ曲げさせ、無理矢理“合法”とした牧場主協会の狂気に、アービンは酒瓶を片手に震えるばかり。

時を同じくして、エイブリルは保安官としてワイオミング州に再び舞い戻ってきた。正義の代行人として、長年秩序の失われた環境で孤軍奮闘してきた苦労が、彼から生気と若さを奪っていた。それでも、“持たざる者”たる貧しい人々への愛着が、本来“持てる者”の側に属するはずの彼を、既に形骸化した“正義の番人”の職務に辛うじて引き止めていたのだ。
再びジョンソン郡に着任して早々、移民対牧場主協会の対立の不穏な空気が、街中を異様な緊張感で包んでいることに気付いたエイブリルは、旧知の駅員から裏事情を聞いた。この街で何が起ころうとしているのか探るため、すぐ牧場主協会に赴いた彼は、そこで泥酔しているアービンと再会することに。思えば、あの懐かしいハーバード大学の卒業式の時以来だ。一度は酒断ちを決意した2人だったが、現実の厳しさに打ちのめされ続けるうち、結局両者ともにその誓いを破っていたことに気付くと、20歳も老いた2人の同窓生は情けなく笑い転げた。

アービンはエイブリルに、牧場主協会が50名のプロの傭兵を雇い、125名の移民たちを合法的に殺戮する計画を極秘に伝える。これが無力なアービンにできる唯一の善行だった。

エイブリルは、彼をジョンソン郡の移民の街に引き止める最大の要因である愛人エラの元を訪れた。彼女に誕生日のプレゼントを届けるためと、久しぶりの再会をベッドの上で祝うためだ。エラは、フランスから新天地を求めてアメリカにやってきた移民だった。だが結局、彼女が生きていくためにこの街でやっていることは、世界最古の女性の職業である娼館の経営だ。それでも、社会の底辺を這ってでもアメリカに居場所を作りたいと願う他の大勢の移民と同じように、彼女もたくましく毎日を生きていた。移民に向かって“故郷に帰れ”と罵ることは簡単だが、彼らとて、ただただ生きるために、言葉も分からぬ土地にやってきているのだ。

そして、アングロサクソン系アメリカ人でありながらこの移民の街に根を下ろし、彼らのたまり場である酒場(兼闘鶏場)を経営するジョンは、エイブリルの右腕であり、弟分であり、エイブリルの置かれた中途半端な立場を唯一理解できる人間だった。エイブリルはジョンの酒場に早々に赴き、ジョンにだけは牧場主協会の移民粛清計画のことを伝えておく。きたるべき戦争への準備などできないことだが、覚悟だけはしておくようにと。

移民のコミュニティーに深くコミットするエイブリルにとって、大統領の許可すら取り付け、国の政治を後ろ盾にした牧場主協会の横暴は許し難いものだった。彼らのやろうとしていることは、ただ単に富の分配、富の均一化を恐れる資本家の暴走だけに留まらない。れっきとした超法規的犯罪行為であり、重大な人権侵害でもある。しかし、牧場主協会の息がかかった州兵は、この戦争を見て見ぬ振りをするよう厳命されており、ジョンソン郡民の危機に対しても身動きできないことが分かった。

エイブリル一人の力では、郡に住み着いた移民の殆どを処刑してしまうことになる計画を阻止することは不可能だ。法をも無視する政治の身勝手さと、無力な移民の人々との板挟みになったエイブリルは、結婚を望む彼女に明確な返事が出来ない関係ながらも、深く愛するエラだけでも無事に逃がそうとする。ところがやっかいなことに、金のために牧場主協会側に雇われて移民の殺し屋となったネイサン・D・チャンピオン(ネイト)もまた、エラに心を寄せていたのだった。エラはネイトからのプロポーズに心を乱される。結婚はしてくれないが金と地位はあり、彼女の我侭とお転婆を鷹揚に許してくれるエイブリルへの愛情と、ネイトへの姉弟にも似た愛情。エイブリルを選んでジョンソン郡から逃げ出すか、ネイトと所帯を持ってこの土地に留まり続けるか。どちらか一つの道を選ぶよう、エイブリルからもネイトからも迫られるが、2人の男性を同じぐらい愛するエラには選択できない。結局彼女は、ワイオミングの土地に愛着があるという理由で、郡からの逃亡を拒絶した。

移民の首1人につき50ドルの賞金がかけられ、カントンが雇った傭兵がジョンソン郡に向かう頃、エイブリルは移民達の憩いの場であるスケート場“Heaven's Gate”に人々を集め、沈痛な面持ちで粛清の対象となった125名のリストを読み上げた。その“処刑リスト”の中には、エラの名前も当然載っている。郡に住む移民のほぼ全員が殺される。人々はパニックに陥った。資本家たちの横暴に怒りを爆発させ、銃を手にとって牧場主協会と戦うことを誓う者、郡から逃げ出そうとする者、エイブリルに命乞いを頼みに来る者。コミュニティーの結束はバラバラに崩れてしまう。

エラはネイトの家族に紹介され、温かいもてなしに心を動かされそうになる。しかし、エイブリルのことが忘れられない彼女は娼館に戻った。彼女を待っていたのは、待ち伏せていた傭兵たちによるレイプと娼婦全員の惨殺であった。ネイトは、牧場主協会の残忍なやり口を目の当たりにして目が覚め、協会側から離れたが、公然とカントンを侮辱した彼もまた協会側の攻撃対象となる。カントンと傭兵達に家を取り囲まれたネイトは、銃弾の嵐の中、エラの安否を気遣う手紙を書き残し、家族と共に惨殺されてしまった。

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ついに、牧場主協会対移民の戦争が始まった。Heaven's Gateに集まった移民達は団結を誓い、ジョンを中心に女も子供も銃や農耕具を手に傭兵達に戦いを挑んだ。当初は彼らと関わりを持たず職を辞して立ち去ろうとしていたエイブリルも、結局はエラや移民たちを見捨てることが出来ず、武器を手にして移民たちを率い、果敢に戦う。移民達の捨て身の反撃にたじろぐ傭兵。移民達が次々と殺害されていく中、同じ数だけの犠牲者が牧場主協会側にも出た。形勢不利とみたカントンはこっそり敵前逃亡し、州兵騎馬隊を連れて戻ってきた。州兵が到着したときには、緑濃いワイオミングの美しい景色は血塗られており、移民と傭兵たちの死体の山が築かれていた。牧場主協会による移民抹殺計画は頓挫したが、エイブリル、ジョン、エラをはじめ、生き残った移民達は結局ごく僅かに過ぎなかった。ジョンが見守る中、エイブリルはエラを連れて再出発を誓うが、その矢先、エラは待ち伏せていた傭兵の生き残りに殺されてしまう。銃撃戦のさなか、ジョンも流れ弾に当たって絶命。愛する女性を喪ったエイブリルの慟哭を聞いた者は、誰もいなかった。

時代は20世紀に入った。老いたエイブリルは、ヨットの上で悠々自適、気ままな航海三昧の生活を送っている。だがそのまなざしは空ろだ。彼は保安官の職を退いた後、正式に結婚していた妻の元に戻った。彼にとって真に愛しい人たちは皆亡くなった。アービンですら、あの戦争で死んだのだ。今や抜け殻同然のエイブリルの脳裏を埋め尽くすものは、正義感に駆られ純粋に義憤に燃えて戦う自分自身とエラ、そして立場を超え、エラを媒介にして奇妙な友情で結ばれたネイト、愛すべき移民の人々の思い出だけであった。


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綿密な時代考証に基づいた、衣装や舞台装置、小道具に至るまでのディテールの美しさ。あるいは、名カメラマン、ヴィルモス・ジグムンドによる流麗なカメラワーク。チミノ監督のライフワークともいえるロシア、東欧系移民の迫害の歴史という重いテーマ、そんな大きな歴史のうねりの中で翻弄される人々が紡ぎだす繊細なるドラマ。

この作品は、実際にジョンソン郡で勃発した土地紛争、ジョンソン郡戦争(Johnson County War)を下敷きにして、チミノ監督が移民迫害の歴史に独自の解釈を加えたもの。セット内に実際に線路を建設して本物の機関車を走らせただの、ロングショットで映る戦闘シーンでのエキストラを大量に増やしたり、納得のゆくショットが撮れるまで、ワイラー監督ばりに何度でも撮り直しを繰り返しただの、勇ましい“製作費の無駄遣い”エピソードには事欠かない作品です。今回、監督の最初の構想に忠実に復元された作品を観て、“彼が本当に表現したかったこと”が、映像の随所から痛々しいほど切実に迫ってまいりました。

そうか、よく分かった。歴史はずっと繋がっています。世界も同じ時間の中で一続きに繋がっています。民族浄化を大義名分に、異分子を排除しようと戦争する人類の愚行は、名を変え、場所を変え、時を隔てて、何度も何度も飽きることなく繰り返されています。この作品で描かれた血なまぐさい民族戦争は、今この瞬間も、地球上の各地で勃発している出来事なのです。日本だって例外じゃありません。韓国や中国への憎しみを露にする人々が、あらゆる場所で民族浄化を謳いつつ狂気の行動に走っています。民族保護を盾に軍隊を持ち、戦争を始めるチャンスを虎視眈眈と狙っているのです。つまりこの物語は、19世紀終わり頃のアメリカ社会のカオスを描き、引いては、複数の移民で構成されるアメリカ国家の抱える根本的な矛盾を突きつつ、今現在の世界中に蔓延するカオスをも正確に予言していたのですね。…何のこたない、人間社会は19世紀から本質的になに一つ変わっとりゃせんのですわ。

人間は何故に、ここまで精神性の進歩を否定し、本能に忠実なアホな生き物であるのか。

今作の核となる部分は、主人公エイブリルの繊細で青臭いドラマです。大学で理想主義者になったものの、現実の厳しさに挫折しかけていた男が、勝ち目のない戦いに身を投じることで、皮肉にも生への活力を甦らせるというというのが主旋律ですね。これは監督の前作「ディア・ハンター」にも通じる骨子で、いずれの場合も、主人公は直接自分とは関わりのない歴史的出来事にのめりこんだ挙句、最終的には人生の意義を再度見失ってしまうほろ苦い結末に帰着します。良い悪いは別にして、個人のノスタルジアと、アメリカの歴史の影を対比させるところこそ、チミノ監督の本領ではないかと思うのです。

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この主旋律に変調をもたらすエッセンスは、本来なら対立するはずの立場にある、エイブリルとWASP牧場主側の回し者になったネイトが、エラという女を同時に愛してしまったために生まれる奇妙な三角関係ですね。エイブリルにとっても、またネイトにとっても、移民の女であるエラを愛することは、彼らが属するコミュニティーからの排斥を意味する、命懸けの危険な行動でした。その意味で、エイブリルとネイトの間には、エラを介して不思議な絆が生まれていたと思います。この辺りの微細な感情の揺れが、無理やり短縮された劇場公開版では充分に表現されていなかったのは事実ですね。それも、このたびの完全版で、観客に細部に至るまで理解を促す内容になっていました。これは本当に嬉しかった。作品の中の“美”を担う、儚いラブストーリーのパートが、レース織りのような元々の繊細さそのままに再現されましたもの。

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ネイトとエイブリルの、年の離れた兄弟のような関係の面白さ。ネイトのエラへの愛情表現の、なんと直情的で甘酸っぱくも初々しいこと。それに対し、エイブリルのエラに向ける愛情は、彼には他に正妻がいるという事情も含め、複雑な翳りを帯びています。まあその分、エイブリルがエラを愛し、守ろうとする気持ちはシリアスで本物であったとも思われますけどね。まだ“美青年俳優”として最盛期の時代だったクリストファー・ウォーケンの、ガラス細工のように脆く、また鋭利なナイフのごとき狂気を孕んだ美貌がしっかり刻印されていて、私としてはもう感無量です。

移民の出自であるにも関わらず、牧場主側についたネイトとエラの関係以上に、金持ち階級に属するエイブリルとエラの関係は、対立を深める2つのコミュニティー…資本家達と移民達…の融和には全く繋がらず、逆に彼らの直接対決を早める結果になってしまいました。完全版で明確に表現されたように、エイブリルとエラ、ネイトの苦しい関係を軸に、極限状態に置かれたWASP牧場主側の人々のドラマと、移民側の人々の苦悩のドラマをそれぞれ平行して描く群像劇が、本来あるべき今作の姿であったのです。完全版では、歴史というものが、結局個々人の小さな人生のドラマが集まった綴れ織りであることが、よく理解できるようになっていました。
しかし、もちろんチミノ監督自身はマイノリティーたる移民達に深い愛情を寄せる立場である以上、彼らに強いられた資本主義社会からの排斥が如何に理不尽かを訴える描写が全面に押し出されています。彼らがアメリカで味わってきた苦悩の数々、それらを経た上で、人間の尊厳を賭けての最後の戦いに至るまでの心理描写が緻密になり、ジョンソン郡の移民達一人一人の個性の輪郭が明瞭になりました。個人的に嬉しかったのは、若きブラッド・ドゥーリフが扮していた移民の青年などのように、アメリカという国家そのものとの戦いによって、人間としての誇りを取り戻した移民の肖像も見えるようになったこと。移民達を十把一絡げで描くのではなく、一口に移民のコミュニティーといえど、考え方も生き方も違う様々な人間の寄り集まりなのだと分かりますもんね。

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冒頭の卒業式のシーンなど、観る人によっては冗長だと感じられる部分も多々含まれる作品ですが、やはりオリジナルの上映時間そのままで観るべき作品です。神の視点から俯瞰される人間達の争いは、どこまでも醜悪で血生臭く、情け容赦なく残酷に描写されます。エラのレイプシーンも、子供も女性も戦場で頭を撃ち抜かれて死んでいく様子までも、はっきりと映像になっています。昨年の映画界を揺るがした映画「それでも夜は明ける 12 Years A Slave」を目を背けてはならない作品だとするなら、この移民排斥を描く「天国の門 完全版」も、今こそ見直されねばならないと思いますけどね。

…個々人の小さなドラマの綴れ織りが、一国家の歴史のうねりによってどのように踏み潰されていったのか。民族の悲劇と、1人の男の失われた青春への憧憬と哀しみを同等に語るものではないとする批判も当然あるでしょうが、その2つを共鳴させずにはおれないのが、チミノ監督という業深き映画作家の最大の悲劇だったかもしれません。

この「天国の門」は、製作当時、チミノ監督の考える理想とは程遠い形で公開され、批評家からは罵声を浴びせられ、興行成績でも惨敗し、結局製作元のユナイテッド・アーティスツ社を倒産に追い込みました。湯水のように浪費された製作費と実際の興行成績の間のギャップは、長い間ギネスブックに掲載されていたほど酷いものであり、かつての“金食い虫監督”エリッヒ・フォン・シュトロハイム同様、チミノ監督も長い間ハリウッドから干されてしまいました。数年後、故ディノ・デ・ラウレンティースに拾われた監督は、「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(ジョン・ローン、ミッキー・ローク主演)で、再び“異なる文化とコミュニティー間における衝突”というテーマを追求します。しかしその後は、映画上映後のスクリーンがフェードアウトするように、映画界から姿を消していきました。

しかし、チミノ監督の運命の歯車は、いつも予想外の転調を彼の人生にもたらすようです。2012年のヴェネチア国際映画祭でのこと。チミノ監督に生涯功労賞が授与されただけでなく、なんとこの「天国の門」がディレクターズ・カット完全版、デジタル・リマスターバージョンにて復活し、映画祭期間中に上映もされたのですね。そしてさらに、その完全版に日本語字幕がつけられ、国内でも各地の映画館でリバイバル上映されました。日本語字幕付きの豪華版DVDセットも既に発売されています。

…マイケル・チミノの辿った波乱と流浪と驚きの映画人生に比べれば、奇天烈なストーリーと頓狂な結末で観客をびっくりさせるのが大好きな「ハプニング」の監督のオイタなんて、随分可愛いらしいもんだと感じますね。


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