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zoom RSS 「もうひとりの息子 Le fils de l'autre」Part2 (解説)

<<   作成日時 : 2014/02/24 11:33   >>

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2012年に開催された東京国際映画祭は、この、ロレーヌ・レヴィ監督の長編第3作目にあたる「もうひとりの息子」にグランプリと最優秀監督賞を与えました。

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今作がフランス人監督(ユダヤ系)の手によるフランス映画であり、だからこそ、イスラエルとパレスチナという複雑な遺恨を抱える国のスタッフを、一つの作品のために集結させ得たことは事実だと思います。この作品が公開された当時は確かに、“ユダヤ人とパレスチナ人の交流など、たとえそれが個人レベルの小さな単位であっても、高い壁で国家が分断されている限り実際にはありえない話。この作品は綺麗ごとばかりを並べた机上の理想論に終始し、全くもってリアリティを欠いた虚しいファミリー映画だ”という主旨の厳しい批判も多く寄せられましたが、私はちょっと違う印象を受けました。

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イスラエルとパレスチナは、もはやそもそもの発端が何であったかすら分からなくなるほど長きに渡り、また根の深い対立を極めてしまっています。両者の歩み寄りが困難であることは分かっているけれど、だからといって映画の世界にまで虚しい壁を築く必要も無いでしょう。映画は所詮映画。ならば、私達がそうあって欲しいと心から願うような理想論を堂々と掲げてもよいのではないでしょうか。
レヴィ監督の元にこの作品の初稿が送られてきたとき、ノアム・フィトゥッシの原案では、このお話は爆撃シーンで幕切れになっていたそうです。まあ確かに、厳しい現状に忠実になるならば、そうした、何もかもが元の木阿弥、無に帰してしまう皮肉なラストは大いにありえるでしょう。しかし、レヴィ監督としては、その終わり方だけは断固として避けたかったのだそうです。赤ん坊の取り違えという異常事態を前に混乱、困惑しながらも、敵味方に分かれていた二つの家族が少しずつ歩み寄っていく様子を、希望を込めて丁寧に描いた結果が爆撃だというのは、いくら映画だとはいえ酷すぎる結末ではありますよね。


“この映画の現場には、映画の精神をそのまま物語るような出来事がありました。撮影クルーの中で、メイキャップ担当はイスラエルの女性でした。彼女の息子は兵役についていて、最も危険の多いガザ地区に赴任していました。一方、特機のチーフはガザ出身のパレスチナ人で、ガザに息子達が暮らしていました。最も緊張状態にあるガザで、一方の息子は兵士で、一方の息子は底の住人である。そのぎこちなさで、二人は撮影の当初は口をきこうとしませんでした。食事の時もできるだけ離れて座ろうとしていました。しかし、撮影の時間が次第に二人の距離を縮めていきました。少しずつ言葉を交わすようになり、そしてある日、二人が互いの息子の写真を見せ合っている光景を見ました。二人はこう言ったのです。『私達は同じ恐怖を共有している。だから、私達こそ、分かり合えるのだ』と。私は、二人にとても感動するとともに、彼らは同じ希望をも共有しているのだと実感しました。”―ロレーヌ・レヴィ監督インタビューより抜粋


…レヴィ監督が明かしたこの逸話は、民族の歴史というマクロ的視野にかざせば、見過ごしてしまいかねないささやかな変化ではありましょう。しかし、もしも映画に現実の非を変える力があるのだとすれば、恐らくはこういうことなのではないかとも思います。だからこそ、この映画は現実の“絶望”ではなく、“希望”を描くべきであると思うのです。

日本ユニセフ協会が主催した今作の特別上映会では、レヴィ監督、駐日イスラエル大使と駐日パレスチナ大使が揃って参加しました。そして、3名が映画を通じて固い握手を交わして平和を願ったという、素晴らしい光景が見られたそうです。日本の映画祭がこの作品を高く評価し、それが実際に平和を願う動きを促したという事実そのものを、一映画ファンである私は大変誇りに思います。

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最近の映画界の傾向として、映画製作の現場も“グローバル化”していることが挙げられますが、この作品でも実際、フランス語、英語、ヘブライ語、パレスチナ・アラブ語が縦横無尽に飛び交っています。また、スタッフやキャスト陣も、フランス人もいればイスラエル・ユダヤ人、パレスチナ・アラブ人、キリスト教徒のイスラエル人、キリスト教徒のパレスチナ人等々、民族や国家の違いだけではなく信じる宗教も細かく異なる人々が集まった状態だったそうです。従って今作は、彼ら全員の持つ背景がストーリーに加味された、文字通り“スタッフ・キャスト全員で完成したグローバルな作品”となったのです。

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確かに、出来上がった作品を観ていても、イスラエル側の家族とパレスチナ側の家族の双方の生活習慣や考え方の違いが、非常に細かく描き分けられていて感心しました。そして、それぞれの描写がリアリティに支えられていたことも。テル・アヴィヴでも裕福な階層にあるだろうシルバーグ家と、壁に分断されて仕事もままならないアル・ベザズ家では、方やユダヤ風、方やアラブ風という表面的な相違のみならず、家族との関わり方ひとつをとっても対照的でありましたね。
印象的だったのは、シルバーグ家の現代的で洗練された瀟洒な生活スタイルに象徴されるテル・アヴィヴの活気溢れる街並みと、土着の伝統を色濃く残したアル・ベザズ家の生活スタイルに集約される、狭く曲がりくねった道が続く埃っぽい街並みの対比。高級リゾート地の砂浜は、いつも抜けるような青空の下にあり、明るい太陽の日差しが惜しげもなく降り注いでいるのに対し、“二度と海を見ることが出来ない人々”の住む壁の向こう側の出口なしの閉塞感たるや。やはり、同じ国土上でこれだけの生活水準の差異をつけられてしまっては、壁を挟んだ民族間で憎しみが深まっていくのも無理からんことだと思ってしまいます。

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また、シルバーグ家では、家族間の関係性も非常に理論的で理屈っぽい一方、アル・ベザズ家の関係はもっと感覚的で本能に則った部分が大きいように描かれていました。その上で、イデオロギー的な価値観の違いなどを超越した領域で、母親という存在が、家族の絆がただ単に生物学的なものだけに由来するのではないことを証明してみせるのです。シルバーグ家においても、またアル・ベザズ家においても、家族の中の母親の役割が、多分に精神的な領域を担っているとはっきり謳われています。まあこれは、レヴィ監督自身が女性であることが大きく影響していそうですが、実際、現実に見られる、母親と父親の違いを鋭く指摘してもいますよね。お父ちゃん達が理屈ば〜っかりこねる癖してオロオロするだけなのに対し、お母ちゃん達はいち早く状況の変化に順応し、長年育ててきた我が子も、まだ見ぬ本当の我が子も同じように慈しむべきだと理屈を超えて理解し、即行動に移しています。この描写って、洋の東西を問わず、また民族や人種の違いを問わず、普遍的な解釈だと思うのですがいかがでしょう。私は凄くリアルに感じたのですが、男性陣の意見も聞いてみたいところです。


“世界平和のためにできることですか? 家に帰って家族を愛してあげてください。 What can you do to promote world peace? Go home and love your family.” ―マザー・テレサ Mother Teresa 

何がどうなろうと、最終的に自分の生き方に結論を出すのは子供達自身。親としては、『私達はいつもどこでも何があったとしても、お前を変わらず愛している』と精一杯伝え続けるしかありません。子供達が現状の変化を望むのなら、未来が少しでも良くなるよう祈りつつその手助けをするのみ。彼らが、今立っている場所から伸びる道をまっすぐに突き進むのであれば、その先に希望が待っていることを祈りつつ送り出すのみなのです。子供達自身が起こそうとする変化の一つ一つは、吹けば飛ぶようなささやかなもの。しかし、その小さな変化が積み重なっていけば、いつか大きな山を動かせるかもしれない。私達はその万が一の可能性に賭け、彼らを守るしかないのです。

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赤ん坊の取り違え事件がきっかけで、家族の絆の質が改めて問い直されるという命題を持つことから、この作品は、是枝裕和監督の「そして父になる」と比較されることもあります。ですがまあ、「そして父になる」が、子供を受け入れる大人の側、特に父親の心情の変化に焦点を当てているのに比べ、今作は、子供達の成長にスポットライトを当てているのが大変共感を覚えますね。だって、取り違え事件の最大の被害者は子供達自身なんですから。

では、私達親が子供達を守るためにはどうすればいいでしょうか。何も特別な魔法があるわけではなく、マザー・テレサの言葉の通り、いつもと変わりない日常生活の中で家族を愛するしか方法はありません。結局、そんな私達一般市民の日常生活における平和な毎日の積み重ねしか、国家や民族間の対立や軋轢を防ぐ策はないのですね。今作を見ていて最も共感した部分はそこです。結局、世界平和だなんて大それたことを成功させるためには、まず、あなたの家族を大切に愛することから始めなさい、と。それができれば、他者を理解し、歩み寄ることも可能になるのだというわけです。今、私達が最も肝に銘じなくてはいけないことは、そんな初心に立ち返った考え方だと思いますね。

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さて、今作で特筆すべき点はもう一つ、役者陣の配役の上手さと演技の素晴らしさです。特に、ストーリーの要であるヨセフとヤシンを演じた若手俳優たちの、繊細な佇まいと演技は見事ですよ。よくぞこんな、キャラクターのイメージにぴったり合った俳優達を見つけてきましたよね(笑)。ヨセフ役のジュール・シトリュクは、「ぼくセザール10歳1m39cm」のセザールを演じていた子ですので、覚えておいでの方もおられるかと思います。立派な青年に成長しましたね。

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また、ヤシンを演じたマハディ・ザハビ君のワイルドかつ知的な風貌は素晴らしい!と感心していたら、案の定、欧米各国からオファーが舞い込んでいる状態のようです。アントン・コービン(コルバイン)監督、故フィリップ・シーモア・ホフマン主演のジョン・ル・カレ原作の映画化『A Most Wanted Man』にも出演しているそうで、こちらも今後の活躍が楽しみです。

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レヴィ監督の談話では、今作の成功は配役の成功にあるということですが、さもありなん。個人的には、オリットを演じたエマニュエル・ドゥヴォスと、その夫アロンに扮したパスカル・エルベのケミストリーに感動しました。ドゥヴォスはジャック・オーディアール監督の「リード・マイ・リップス」に主演していたときからのファンでしてね。確かに年は喰ったけれども、彼女独特の野性味と知性の不可思議な同居は変わりなく、やはり魅力的ですわ。

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今作で初めて知ったパスカル・エルベはね、もうね、アルジェリア人らしい、浅黒い肌が素敵なめっちゃハンサムな役者さんですよ、奥さん(笑)!ハンサムなだけではなく、フランス映画界では脚本家としても活躍し、2010年の初監督作品『Tete de turc』ではモントリオール映画祭で監督賞を受賞しているマルチな才能を持つ方だそうです。

アル・ベザズ家のサイード父さんを演じていたのは、「迷子の警察音楽隊」のクラリネット担当のシモンさんです(笑)。「もうひとりの息子」では良き父を朴訥とした佇まいで好演。相変わらずいい味出してます。歌が上手くて母性愛に溢れたライラ母さんを演じたのは、レヴィ監督にパレスチナの状況を教える役目も担っていたアリーン・ウマリさん。パレスチナの巨匠ラシード・マシャラーウィ監督の夫人で、同監督の多くの作品に主演しているミューズでもあります。監督と共に来日した経験もあり。目鼻立ちがくっきりした、本当に美しい女優さんですね。

アル・ベザズ家の描写で絶えず流れてくる伝統音楽も、一度聴けば耳について離れないほど魅力的です。スコアを担当した音楽家ダフェール・ユーセフの持つユニークな音楽的背景が、存分に生かされた音でしたね。劇中ではサイード父さんが弾いていた民族楽器ウードの奏者で、チュニジア出身、コーランやヨーロピアン・ジャズを学んだワールド・ミュージック界の大物です。

この音楽とぴったりマッチしているのが、レヴィ監督の良き右腕、撮影監督エマニュエル・ソワイエのカメラの繊細なタッチでした。「湖の見知らぬ男 Stranger by the Lake」で話題を呼んでいるアラン・ギロディ監督の作品も手がけた経験もあるそうで、演じている俳優の顔に接近しすぎない適度な距離感と、物語の背景となるテル・アヴィヴや西岸地区の風景を登場人物の心情と重ね合わせて捉える映像が、大変美しかったですね。

総じて、私は非常に感銘を受けたこの作品が長編第3作目となるロレーヌ・レヴィ監督。彼女の次なるドラマが楽しみで仕方ありません。


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