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zoom RSS 「悪の法則 The Couselor」はちょっぴり早過ぎた傑作です。

<<   作成日時 : 2015/09/23 10:30   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 7 / トラックバック 0 / コメント 0

第53回目を迎えたニューヨーク映画祭 New York Film Festivalでは、特別企画として、リドリー・スコット御大が三たび宇宙に飛んで生み出した、ちょっぴり風変わりなSF映画「オデッセイ The Martian」のスニーク・プレビューが行われることになりました。先に閉幕したトロント国際映画祭 TIFF 2015でもプレミア上映されましたが、私自身は、この作品への偏見を一旦忘れ、もう少し素直に観賞した方が良いのではないかと思っています。オスカーに絡めた作品の吟味をするには、今はまだ時期尚早ですしね。現地時間で9月27日上映予定。スコット爺とキャストが登場するようですよ。ニューヨーク映画祭に備えて待機しているであろう、ニューヨークの映画好き達は、27日も注意してチェックしておいてくれたまえ(笑)。健闘を祈る。

てな訳で、“スコット爺、「オデッセイ The Martian」好評おめでとうございます”企画と称して、爺の過去作「悪の法則 The Counselor」への不当な不評を払拭すべく、私がかつて必死になって書いた感想記事を再掲しますね。ご笑覧あれ。

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「プロメテウス Prometheus」では散々けなされてしまったリドリー・スコット御大の、満を持した作品「悪の法則 The Counselor」。ピューリッツァー賞を獲得した作家コーマック・マッカーシー Cormac McCarthy初の映画用オリジナル脚本を映画化したものです。

ところが。

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スコット爺お気に入りのマイケル・ファスベンダーを主演に迎えたこの作品も、“難解だ”“つまらん”“品性下劣”“台詞長すぎ”等々、とてもプロの批評家が書いたとは思えない低いレベルの批判と共に、“無かったこと”にされてしまいました(笑)。

The Film Stageという映画サイトによると、なんでもこの「悪の法則」も、“ディレクターズ・カット版”がリリースされる予定だとか。21分間の映像が新たに追加されるそうで、ぜい肉を極限までそぎ落として完成度を高めた劇場公開版の、あの緊迫感が変化してしまうのかどうか、少し気になるところですね。

そもそも、このディレクターズ・カット版が日本に入ってくるのかどうかすら分からない状況ですが、私自身は輸入版を買ってでも観るつもりでおります。

注:案ずるなかれ、我が友よ(笑)。日本でもBlu-ray版でディレクターズ・カット版が収録されたものが発売予定です。


2014年4月2日発売予定。興味のある方はぜひ。


尤も、私に言わせれば、劇場公開版には特に難解だと感じる部分などなかったですし、目に映っている光景ではなく“描かれなかった光景”を観客の頭の中だけで強制的に再生させるという演出が、スコット御大にしては珍しく(ごめん・笑)完璧にキマった作品でした。そこで、ここでは暫定的ではありますが、今のところの「悪の法則」の私見を記録しておきますね。

“罪に堕ちたのではない、あなたは自ら罪を選んだのだ。”

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「悪の法則 The Counselor」(2013年)
監督:リドリー・スコット
製作:リドリー・スコット他。
製作総指揮:コーマック・マッカーシー他。
脚本:コーマック・マッカーシー
撮影:ダリウス・ウォルスキー
プロダクションデザイン:アーサー・マックス
衣装デザイン:ジャンティ・イェーツ
編集:ピエトロ・スカリア
音楽:ダニエル・ペンバートン
出演:マイケル・ファスベンダー(カウンセラー)
ペネロペ・クルス(ローラ)
キャメロン・ディアス(マルキナ)
ハビエル・バルデム(ライナー)
ブラッド・ピット(ウェストリー)他。

若く、頭も切れ、おまけにハンサムと三拍子揃った敏腕弁護士は、皆から“カウンセラー”と呼ばれていた。彼には心優しく美しい恋人ローラがおり、近く彼女との結婚を決意していた。ところが、順風満帆なはずの彼の唯一の欠点は、自信過剰で見栄っ張りな性格。ローラにいいところを見せようと、金もないのにわざわざアムステルダムまで飛んで大粒のダイヤの婚約指輪を買い求める。
当然、ローラとの新生活も身分不相応な贅沢なものにするつもりのカウンセラーは、国選弁護人の給料だけでは足らないカネを手っ取り早く稼ぐ方法を思いつく。彼は職業柄、様々な世界の住人たちとのコネクションを持っていた。彼の“コネクション・リスト”の中には、犯罪者も大勢含まれている。その中の一人で、二年前からの知り合いでもある実業家ライナーと手を組んだカウンセラーは、犯罪ビジネスの中でも最悪の“麻薬”に手を出してしまうのだった。
二人は連名でクラブを開店する準備をする傍ら、その裏でメキシコの麻薬カルテルと大きな取引をまとめる。ライナーとカウンセラー、麻薬カルテルの間の仲介をするのが、犯罪社会を渡り歩く謎多き“仲買人”ウェストリーである。ウェストリーは、例え話や薀蓄で相手を煙に巻く慎重な男だった。ライナーの派手好きで軽薄な性格を警戒しており、彼らが接近した麻薬カルテルが非常に野蛮な相手で、今回の取引もリスクが高過ぎると警告する。だが、自信家のカウンセラーは、ウェストリーのお説教も軽く聞き流す。それが、後で信じられないほどの悲劇を招くとも知らずに…。



全くもって久々にリドリー・スコット爺が往年の勘を取り戻した作品である。実際の犯罪世界の底なし沼を、わずか2時間で、しかも残虐にして最悪な“その瞬間”を実際に見せることなく、観客の想像力に訴える無慈悲な方法で描いた(中にはまことに無様な死に様を晒す者もいるが)。

本物の犯罪こそが“掟”であり、悪の頂点を極めた者が“正義”となる異様な世界で、明らかに場違いなカウンセラーは気の毒なほど右往左往する。彼は、犯罪社会の中ではいっそ哀れを催すほど非力で、ピンチの際にも何もできない。犯罪社会では、掟を破った者には一言の弁明も許されず、死の制裁が下されるのみ。彼は、自ら承知の上でとはいえ、そんな不条理な世界に迷い込み、もう二度と元には戻れないでいるのだ。だが彼は、その事実を理解しようとはしない。

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死と犯罪の世界は、生半可な気持ちで足を踏み入れたアマチュアであるカウンセラーの手に負えるようなものではないのだ。映画は、その彼の大きな思い違いを、彼の周囲の人間に哲学的な言葉を語らせることで、彼自身にも、また彼に思い入れしつつ映画を見る観客にも、納得させようとしている。カナダの映画ライターが、“マッカーシーの脚本は台詞がダラダラし過ぎる”と批判していたが、それは違う。本筋に関係なさげに見えるあの含蓄たっぷりな台詞こそ、映画の骨子だ。余興として語られた無駄話が、実はその後に起こる出来事の予言であったことに後から気づく。

この、示唆と機知と暗喩に富み、やや文語的ですらある台詞の役割はもう一つある。

映画で描かれる現実…麻薬ビジネスが荒廃を後押しした格好になっている南アメリカ諸国の社会の最下層と、非情極まる犯罪世界は、現在進行形の紛れもない“現実”だ。まるで日常生活の一こまのように淡々と描かれる凄惨なエピソードは、どれも俄かには信じがたいが大体のところ事実に則している。この映画で言及されなかったのは、以前問題になった“レイプの木”の話ぐらいか。まあそれも、カウンセラーの婚約者の辿った運命(このエピソードも残念なことに事実に則している)と一部被る部分もあるので、台詞の中に出てこなかっただけだろう。

このように、厳しい事実にストイックに則った結果、映画の全てが情緒の立ち入る隙もないほどリアルで即物的になり、エモーションを伝える道具であるところの“言葉”を必要としなくなってしまった。それはつまり、本来なら、この映画には台詞らしきものはほとんど必要なかったということを意味する。マッカーシーの台詞は、言葉を拒絶する映画の世界の凍土を溶かすように、人物の口から流麗に流れ出す。あらゆる人間らしさを拒否して凍りついた世界に、ほんの一時、ごくささやかながらも人肌のぬくもりを取り戻さんがため、どんなちっぽけな登場人物も印象的な台詞で飾られるのだ。

これはおそらく、酷い現実に打ちのめされ、やがて狂気に堕ちるであろうカウンセラーを、正気に繋ぎとめる唯一の方策なのだろう。話して話して話すことで、己の置かれた状況を客観的に理解すること。そこから先彼がどうするかは、もちろん彼の意思次第だが、映画はその前で強制終了させられてしまう。この、どこまでも無慈悲な映画の中にあって、美しい台詞まわしは断じて時間の無駄ではない。映画の良心であり、血肉であると同時に、映画を観ている観客の絶望をもなだめることになるのだ。

この作品を観ていて何より嬉しかったのは、スコット爺が余計なショットを一切差し挟まなかったことだ。無駄な贅肉を削ぎ落とし、彼の映像にはキレが戻ってきた。この作品は実は、エンドマークが出た後に初めて全ての伏線の意味を理解し、震えが止まらなくなるような恐ろしい映画だったのだ。私なぞ、映画そのものがあまりに怖すぎて、食欲をすっかりなくした程だ。

この心底恐ろしい作品の中でもとりわけ恐ろしい点は、人が人としての尊厳を与えられず、終始単なる“モノ”として扱われること。死は遊びの延長であり、何の意味も持たない。凄惨な殺しの場面でも人間らしい感情の喚起を一切拒む。死体にいたってはゴミ扱いだ。それがこの映画の評価の分岐点となったように思う。
海外でも日本国内でも、この作品を高く評価する人は圧倒的に少数派だ。血溜りにも麻薬カルテルの闇にも犯罪者にも死体にも殺人にも、何らの共感及び感情の立ち入る隙を与えない作品は、例えそれが現実世界の犯罪をリアルに反映していたとしても、観客には受け入れ難いかもしれない。私自身はこの作品は、「カリートの道」のように、10年後にカルト映画として再評価されるような運命を辿りそうな気がしている。

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…余談だが、物語の最後に自信たっぷりに笑っていた勝利者は、いつまで逃げ切れるのだろうか。如何な無敵の捕食者であっても、“時間の経過”には抗えないだろう。生き物はすべからく老いる。老いによって力を失った王者は、いずれ勝利の王座から引き摺り下ろされる時も来よう。その時、その勝利者は一体どうするのだろうな。王者の最後の悪あがきを見てやりたい気もしないではない。…そんな意地の悪い感想を持つのは、私が“女”だからであろうか。


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大概の善き人達は、“真実が知りたい”“真実を教えてくれ!”と当然のごとく考えている。極めて真剣に、そして純粋に。ところが、自らが予想していた以上に恐ろしい現実をいざ目の前に突きつけられると、今度は手のひらを返したように“何故こんなむごたらしいものを見せるんだ、見たくない!”“こんな汚らわしいことなぞ、真実であるはずがない!”と怒り狂う。これと同じことが、きっと映画「悪の法則」にも起こっているのだろうと思う。



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