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zoom RSS 「25年目の弦楽四重奏 A Late Quartet」

<<   作成日時 : 2016/12/01 16:50   >>

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“私は音楽を、愛という以外の形では、理解できない。”―ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー

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「25年目の弦楽四重奏 A Late Quartet」(2012年)
監督:ヤーロン・ジルバーマン
脚本:ヤーロン・ジルバーマン
撮影:フレデリック・エルムス
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
美術:ジョン・キャサーダ
衣装:ジョセフ・G・オーリシ
編集:ユバル・シャー
出演:フィリップ・シーモア・ホフマン(ロバート・ゲルバート)
クリストファー・ウォーケン(ピーター・ミッチェル)
キャサリン・キーナー(ジュリエット・ゲルバート)
マーク・イバニール(ダニエル・ラーナー)
イモージェン・プーツ(アレクサンドラ・ゲルバート)他。

過去に生み出された偉大なる名曲群の本来あるべき姿、作曲家が思い描いた理想通りに演奏されたそれらを知りたいなら、四重奏で演奏される音を聴くのが一番だと思う。カルテットこそが、最小単位のオーケストラであるからだ。

25年前にこの街で生まれ、そして世界的にも名を馳せた弦楽四重奏団フーガもまた、鉄壁のハーモニーを奏でるカルテットである。今日のステージは、彼らの記念すべき25周年の特別公演だ。彼らが今日のために選んだのは、ベートーヴェンが亡くなる半年前に完成させたという知られざる名曲『弦楽四重奏曲第14番(作品131)』だ。
全7楽章。天才作曲家の命の火が今まさに尽きようとしている瞬間、ほんの1秒すらも惜しむように、“その瞬間”を1秒でも先送りにするようにして書かれた、徹頭徹尾すさまじいテンションで突き進んでゆく楽曲だ。しかもベートーヴェンは、全楽章を“アタッカ”で演奏するようにと言い残して逝去した。アタッカで演奏し続けるとは、一度たりとも途切れることなく最初から最後まで連続して演奏せよ、という意味だ。となると演奏者は、通常ならば演奏途中で入る小休止時に行う、大切な楽器のチューニングができなくなる。テンポも速く起伏の激しいメロディを、それこそ捻じ伏せるように演奏せねばならない楽曲なのに、演奏中にどうしても狂ってくる調弦を途中で直すこともできないとは!
つまりはこの『弦楽四重奏曲第14番』とは、演奏者の音階が狂ってくることを承知の上で、その徐々に狂っていくハーモニーの衝突(調和ではなく)の中で聴いて初めてその真価に気付くという、特異な楽曲であるのだ。ベートーヴェンは、より良い音色だけを奏でるための楽曲構成をはなから捨て去り、音のエモーションをそのままの形で解き放つ名曲を最期に生み出した。この作品が“難曲”とされるのは、良いハーモニーや良い音を奏でるという、演奏者にしてみれば小奇麗な“体裁”を捨て、ベートーヴェンの命じるままがむしゃらにひたむきに、狂っていく調弦と戦い続ける度胸を持てない奏者がほとんどだからだ。無理もない。演奏者にとって、トチ狂った音程の中でもがき続ける無様な姿を晒すぐらいなら、いっそのこと演奏を止めてしまった方がマシだ。

…フーガの面々はどうだろう?25年間完璧に調和してきた彼らなら、この暴れ馬を乗りこなすことができるかもしれない。しかし、演奏に入る前の彼らの表情は硬く、どこか冴えない。なんとなく、4人の気持ちのベクトルがバラバラで、集中すべきベートーヴェンの難曲一点に向かっていないようにも見える。…彼らに何があったのだろうか。

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フーガ25周年記念公演のリハーサル前、いつものようにチェリスト、ピーターの自宅に集まった面々。この1年前に最愛の妻ミリアムを亡くして以来ふさぎ込んでいたピーターも、フーガのメンバーの支えによって今やすっかり元気を取り戻していた。ピーターの音頭で4人はグラスを掲げた。

「感謝をこめて乾杯したい。我々の25周年を祝して」

“4人がそれぞれの個性を輝かせつつも、1つの統一された声を探さねばならない。思索、議論、批評が延々と続き、その結晶としてカルテットの演奏ができあがるのだ” ―アーノルド・シュタインハルト(グァルネリ弦楽四重奏第1ヴァイオリニスト)

フーガの第1ヴァイオリニスト、ダニエルは、楽譜に書かれていることが全てだと信じる完全主義者。全ての楽曲の一つ一つの音をどう弾くべきか試行錯誤を重ね、研磨に研磨を重ねた結果の演奏を冷酷なまでに精確に行うタイプで聴衆を圧倒してきた。人生の全てを文字通り音楽に捧げ、いまだ結婚もせず天涯孤独なままだ。
第2ヴァイオリニスト、ロバートは、カルテットの全てを“ロボットのように精確な演奏”で支配しようとするダニエルの対極をゆくタイプ。多少精確さを犠牲にしても、音色に多彩さとリアリティと変化をもたらして、カルテットの他の2名―チェロのピーター、ヴィオラのジュリエット―とダニエルとの間を繋げる役目を果たしてきた。カルテットの公演のスケジュール調整なども担当する、スポークスマン的存在でもある。
ヴァイオリンとはまた違う音階で深くエモーショナルな表現を行うヴィオラのジュリエットは、私生活ではロバートのパートナーであり、カルテット内でも、ハーモニーのバランスを保つ上で3人の男達の間に度々走る緊張関係を緩和する、緩衝材の役目を担っていた。
最年長のチェリスト、ピーターは昔、ジュリエットの母親と共に楽団を組んでいた。彼女はジュリエットを出産後亡くなってしまったため、ピーターは今は亡き妻ミリアムと共に、身寄りのないジュリエットを幼い頃から我が子同然に育んできた。いわば、ピーターはジュリエットにとって父親代わりであったのだ。ジュリエットが、大学の学友であったダニエル、ロバートと共に弦楽四重奏を結成したとき、カルテットの要であるチェロにピーターを推挙したのも当然の成り行きだった。ピーターは、他のメンバー達と親子ほども年齢が離れていることに躊躇したものの、ジュリエットの母親の死後、悲しみのあまり楽団を解散してしまったことを後悔し続けていたため、フーガ参加に踏み切った。

「ベートーヴェンの連続演奏、今回は暗譜でやらないか?」
「意味がない。楽譜に書かれていることが全てだ」
「楽譜への書き込みを見ないで演奏することによって、演奏に緊張感が漲るし音にリアリティがこもる。価値あるリスクだ」

25周年という区切りに際して、フーガの面々はそれぞれに胸に秘めた思いがあった。譜面どおりの厳格な演奏を仲間に強いるダニエルと、もう何年も前から、譜面の束縛から一旦離れ、楽曲に自分自身の自由な解釈を加えるべきだと主張しているロバートの議論も、今まで以上に激しくなりそうだ。しかし、議論を戦わせていても彼らは4人ともプロだ。議論の合間にロバートは、ジュリエットの間にもうけた一人娘アレクサンドラを第1ヴァイオリン奏者にするため、ダニエルに個人レッスンを依頼する。リハーサルが始まった。ところが、今度はピーターの顔色が変わる。指が思うように動かないというのだ。演奏者にとって指が動かないのは致命的だ。何が原因か分からないピーターは、とにかく病院に行くと宣言し、その日の練習はお開きとなった。

大学でヴァイオリンを学ぶアレクサンドラは、両親譲りの才能を開花させようとしていた。今度挑戦する楽曲は、奇しくも両親の楽団が取り組もうとしているものと同じ。生意気な盛りの本人は自分の力を過信し、この難曲にも自信満々に臨んできたのだが、ダニエルのアパートにやってきた彼女の傲慢な態度を見るや、ダニエルは彼女を追い出してしまう。憤懣やるかたないアレクサンドラは、ほっぺたを膨らませながら父親に告げ口した。

「ベートーヴェンの伝記を手渡され、たった10分で追い払われたの。作品131に挑戦する前に、彼の悲惨な人生をよく理解しなさいだって」
「…的確なアドバイスだな」

そのロバートも、娘の一人暮らしのための引っ越しの手伝いをしながら、胸に秘めていた思いを反芻していた。彼はなにも、第2ヴァイオリンを第1ヴァイオリンの引き立て役だと思っていたわけではない。カルテットの中では縁の下の力持ち的役割であるので、観客にも、ともすればカルテットの他の面々にも、その役目の重要性が忘れられがちだというだけの話だ。

「第1ヴァイオリンになりたいと思ったことはないの?」

今朝は、一面の雪景色の中でのジョギングとなった。ロバートは、ジョギング仲間であるフラメンコ・ダンサーのピラールにも、白い息を吐きながら第2ヴァイオリンの重要性を何度か説明していた。ところがピラールは、25周年という節目の時にピーターの引退が重なり、楽団が大きな変化に直面していることに揺れ動く、ロバートの心を見透かしたような言葉を返した。

「…時期が悪かったんだ」
「私の母は“いい時期なんか待ってたって来ない”と言ってたわ。ええ、つまり、私達にとってはいつでも“いい時期”なのよ」

ピラールは声を励まし、自分のフラメンコ・ショーを見に来るようロバートに告げた。

病院での診察結果は最悪のものだった。ピーターは、なんとパーキンソン病に罹患していたのだ。運動療法、薬の服用によって病の進行は遅らせることが出来るが、根本的な治療は不可能。…いずれ楽器が持てなくなるのはもちろんのこと、日常生活にも介護が必要となってくるだろう。演奏者にとって死の宣告を受けたピーターは、激しいショックを受けながらもフーガの将来のことを考えた。つまり、カルテットから身を引く時がきたのだと。
ピーターは、自分の後任として、古い友人ギデオンの楽団でチェロの伴奏をしている名手ニナ・リー(本人)が最適だと考えたが、ニナを手放したくないギデオンに断られてしまう。一方ジュリエットも、今季限りの引退と、ニナ・リーの後任を明言するピーターの決意に動揺する。ピーターは、投薬治療と運動療法をしばらく試して、リハーサルに参加できるように体調を整えると仲間に告げた。

ロバートはこの混乱した状況の中、今まで胸に秘めていた決意をついに口に出した。ピーターが抜ければカルテットも変わる。これはカルテットを進化させるいいチャンスだ。今後はダニエルと自分が交互に第1ヴァイオリンを弾く方針でいきたいと。ダニエルは、混乱に乗じたかのようなロバートの要求を非難し、ジュリエットもジュリエットで、“第2ヴァイオリンなどどうでもよい”と受け取られかねない軽率な発言をしてしまう。

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ダニエルとジュリエットの冷ややかな反応に傷ついたロバートは、怒りに任せて夜の街に出て行った。ヴァイオリンを持ったまま、その足でピラールが踊る店に出向く。情熱が体内から湧き上がるのに任せ、闊達なリズムに乗って踊るピラールの奔放さは、演奏者としてのロバートが理想とする姿でもあった。その夜更け、ピラールのアパートに転がり込んだ2人は、そのままベッドに直行した。

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ジュリエットはロバートに内緒でダニエルに会い、ピーターとロバートをなんとか説得することを話し合った。不器用だった2人は学生時代、周囲の迷惑を省みない大恋愛に落ちた過去があった。だが、ピーターの説得もあって、彼らは関係を清算し、苦い失恋を乗り越えたのだ。ジュリエットは妊娠し、その相手だったロバートと結婚する道を選んだが、ダニエルは痛みを引き起こす全ての感情に蓋をして、孤独に生きることを選んだ。しかしだからといって、誰かを愛する気持ちがすっかり消えてしまったわけではない。現に今も、愛しいジュリエットの面影を色濃く受け継いだアレクサンドラに惹かれ始めている。ダニエルは当初こそ、アレクサンドラの小生意気な鼻っ柱をへし折ったが、練習を進めるうち、彼女自身の才能を認めるまでになっていた。ヴァイオリンに関するダニエルの深い知識と感性、そしてなにより彼が音楽の神に支払った代償の大きさを知るにつけ、アレクサンドラの方もダニエルに惹かれていくようになった。

ヴァイオリンをどこかに置き忘れて帰宅したロバートを見て、ジュリエットは夫の浮気を感じ取った。慌ててピラールと待ち合わせたロバートだったが、ピラールに結婚を迫られて困り果てていた現場に、ジュリエットがやってくる。夫とその妻と愛人。言い訳のしようもない状況に、ピラールは呆れてその場を離れていく。そしてジュリエットもまた、ロバートに口を挟ませることなく、家から出て行くよう一方的に告げるのだった。

両親の別居をアレクサンドラから聞いたダニエルは驚き、ロバートが一人寝をする侘しい住まいに赴いて彼を叱り付ける。しかし、25年間溜めに溜めたダニエルとジュリエットへの不満が爆発し、ロバートも声を荒げる。要は技術と精確さばかり重視して、演奏に魂が感じられないダニエルのヴァイオリンには、もう飽き飽きなのだと。

「情熱を解き放つんだよ!なあ、一体何を恐れてる?恐れることなど何もないんだよ!」

ダニエルはそのロバートの売り言葉を、あえて捻じ曲げて解釈した。絶対に間違いを犯してはならないはずの、彼の娘アレクサンドラとの秘めたる恋が、ついに一線を踏み越えてしまったのである。

別居はしたが、娘アレクサンドラの誕生日祝いに贈るヴァイオリンを一緒に購入するため、ロバートはヴァイオリンのオークション会場でジュリエットを待っていた。ロバートが試し弾きしたヴァイオリンは素晴らしい音色を持ち、他にも狙っている客がいた。だがロバートにとっての妻はジュリエットしかいない。学生時代、初めて彼女を見たときから、彼のジュリエットへの愛情は一音たりとも音色を変えていなかった。彼自身、現代音楽の作曲家としてキャリアを築くという別の道も選択できたのだが、その夢を諦めてでも、そして己のプライドに封をしてでも、彼は第2ヴァイオリン奏者としてジュリエットの隣にいることを選んだのだ。それを後悔したことは今まで一度もなかった。しかしジュリエットの方はどうなのだろう?アレクサンドラを妊娠したから、仕方なくロバートと結婚したのでは?結婚当初からジュリエットはロバートに冷淡で、どこか距離を置いているようだった。

「…いつも君の心はどこか遠くにあったよ。だから僕は何度も自問した。愛しているのは、ひょっとしたら自分だけなんじゃないかってね」

ある意味図星をさされたともいえるジュリエットには、その問いかけに答えることはできなかった。結局、彼らが狙っていたヴァイオリンも、競り落とすことはできなかった。

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一番触れて欲しくない点を突かれた動揺と、ロバートに対する申し訳ない気持ち、そして、自分も自分の人生を犠牲にして25年間必死にカルテットを支えてきたのだという自負がないまぜになり、心を乱したままのジュリエットは、アレクサンドラが一人暮らしをしているアパートに向かった。娘と会って話がしたかったのと、親元を離れたばかりの彼女が心配だったせいもある。
ところがそのアパートの中では、アレクサンドラがダニエルと同衾している真っ最中だった。アパートの近くにダニエルの車が留めてあるのを見つけたジュリエットは、嫌な胸騒ぎに襲われ、忙しなく呼び鈴を鳴らし続けた。アレクサンドラは慌ててダニエルを窓から逃亡させる。これでは、まるで間男を外に逃がす女房のようだ。ダニエルとの濃密な時間の余韻を残したままの娘を見たジュリエットは、彼女の後先を考えぬ軽率な行為を厳しく諌める。しかしアレクサンドラは、一年の大半を演奏旅行に費やして不在だった両親を持ち、幼い頃から孤独を囲っていた怒りをぶちまけた。返す刀で、いつも父親に対して冷淡だった母親の態度をも責めたてる。子供や家族ではなく、音楽を最優先してきた酷い母親だと。アレクサンドラにとっては、父親であるロバートの方こそより近しい家族であり、いつも冷静沈着でよそよそしい母親との間には、越え難い溝を感じていたのだ。その積年の思いが、ダニエルとの恋愛と両親の別居を機に噴き出したともいえる。
ところが、ジュリエットにとって妊娠・出産することは、実は自分の命を危険に晒すほどのリスクを伴う難業だった。だがそれでも、彼女はアレクサンドラを出産することに躊躇しなかったのだ。フーガの活動にエネルギーと時間を吸い取られながらも、自分なりに子育ても懸命にやってきた。ジュリエットにしてみれば、それらの全てが、母親としてアレクサンドラに示してきた愛情そのものであったのに、全く理解してもらえなかった。血を分けた娘に否定されたショックは大きく、母娘は声高に喧嘩別れする羽目になった。

『弦楽四重奏曲第14番』さながら、次々と起こる不協和音によって、仲間達の調弦が狂っていく中、何も知らないピーターは、医師のアドバイスに従って黙々と運動療法と投薬治療に励んでいた。教鞭をとる大学の授業中、演奏ミスをした生徒達に名演奏家との昔話を披露しながら、チェロの弦を指ではじいたピーターは、自分の手にかつての力が戻ってきていることを確信した。フーガの25周年記念公演は2日後に迫っている。ピーターは、リハーサルをするべく仲間を家に呼び寄せた。

いつの間にか、箍が外れたようにバラバラになってしまったカルテット。ロバート、ジュリエット、ダニエルが一堂に会しても、とても練習どころではない。ロバートとジュリエットの関係は修復されないままなら、ロバートとダニエルが第1ヴァイオリンを交替で務める件も棚上げになったまま。おまけに、ダニエルがアレクサンドラと深い関係になったことが暴露されると、ロバートがダニエルに殴りかかり、場は大混乱に陥った。まるで子供のように、自分の言い分を曲げず喧嘩を続ける仲間達を、ピーターは怒りもあらわに怒鳴りつける。

「私の家ではプライベートの問題を出さないでくれ。せめてここでは音楽に敬意を払って欲しい。皆、出て行ってくれ!」

ダニエルは、ピーターにカルテットを辞することを告げた。今後誰かと一緒に演奏するなら、ロバートとジュリエットではなく、アレクサンドラを選ぶと。ピーターは25年前のジュリエットとの一件を持ち出し、ダニエルの短慮を戒める。

「君はまた間違いを犯すつもりなのか?性懲りもなく?私は音楽を愛し、カルテットを存続させることだけを考えている。いつか自分だけ楽団を去る時が来ると覚悟はしていたが…。君も、もう一度よく考えてみたまえ」

皆を家から放り出した後、楽団が崩壊する未来が見えたような気がしたピーターは、亡き妻ミリアムの遺したレコードに針を落とす。生前の彼女の歌声は、まるで彼女がすぐそばに帰ってきたかのような哀しい錯覚を、彼にもたらした。ピーターは、ベランダの手すりからしばし下界を見下ろしてみたが、思い直して部屋の中に戻った。まだ、“その時”ではない。瀕死のカルテットをそのままにして逝くわけにはいかないのだ。自分には最後の使命が残されている。

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ピーターから電話を貰ったジュリエットは、急いで彼に会いに行った。ピーターは彼女に、なんとしてでも楽団を守るよう重ねて頼む。パーキンソン病は治らない。いずれ幻覚を見始めるようになり、介護人の手を煩わせることになるだろう。自分がピーターの世話をすると言い出したジュリエットに、ピーターは楽団を守ることに専念するよう諭す。それが私の最期の願いだからと。

ダニエルは意を決してニナ・リーに直接電話をかけた。ピーターはギデオンに、パーキンソン病の件を伏せていたのだ。ピーターの願いは彼女がフーガに来てくれること。ダニエルはニナに事情を説明し、懸命に説得に励んだ。

一方アレクサンドラは、酷い暴言で母親を傷つけた後、改めてフーガの歴史と母親、父親の生き様について考え直していた。確かに、子供の頃にろくに構ってもらえなかった寂しさは、今でも彼女の心を苛んでいる。しかし…。両親にとってフーガとは一体何だったのか。フーガを特集したドキュメンタリー番組の中で、ジュリエットはキャリアを犠牲にしてでも娘を産んだ喜びには、何物も換えられないのだと誇らしげに答えていた。また、作曲家になって独り立ちする夢を諦めてでも、カルテットの一角を担う道を選んだことを後悔していないと語る父親の表情は、今まで見たこともないほど力強かったように、アレクサンドラには思えるのだった。

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ダニエルはアレクサンドラの誕生日祝いに、高価なヴァイオリンをプレゼントする。それは、オークションでロバートとジュリエットが競り落とせなかった逸品だ。ダニエルはアレクサンドラに、このヴァイオリンで自分と一緒に演奏して欲しいと願った。だが今のアレクサンドラには、自分がこのヴァイオリンを持つことももちろん、ダニエルのパートナーとして隣に立つにも力不足だと分かっていた。彼女は両親の人生とフーガの歴史を省みて初めて、自分の未熟さを知ったのだ。そして、両親が大きな犠牲を払ってでも守りたかったものを、ようやく理解することができた。…分不相応な贈り物に尻込みしたアレクサンドラは、せめて今の自分に出来ることをやろうと決めた。たとえそれが、ダニエルと、それ以上に自分自身の心を傷つける結果になったとしても。


フーガ結成25周年記念公演。会場には、演奏前の静寂が緊張を伴って舞い降りていた。観客は息すら押し殺し、じっとフーガの面々を見つめている。観客も、今日演奏される楽曲が、弦楽四重奏団にとって正念場になる難曲であると分かっているからだ。

果たしてカルテットは、傍目にも分かるほど不穏な空気を纏ったまま、難曲『弦楽四重奏曲第14番(作品131)』に挑み始めた。

“全楽章をアタッカで演奏せよ”

「我々も長いこと休みなく演奏を続けると調弦が狂ってくる―それぞれ違う形で」
「ならば、演奏をやめるべきか?それとも、調弦が狂ったまま最後まで互いにもがき続けるのか?」

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今から約18年前に撮影された、故スティーヴ・ジョブスのロング・インタビュー「スティーヴ・ジョブス1995 失われたインタビュー」を観た時、こんにちのネット世界の隆盛を予言する発言がありました。ネットを介して世界中の人々が瞬時に情報を共有する、エキサイティングな時代がやってくると。
確かに、彼の思い描いた通りの世界になりました。特にtwitterのようなソーシャル・ネット・サービスの普及は情報の伝達をさらに速め、自宅にいながらにして世界中の最新の情報をキャッチできるようになりました。また、好むと好まざるとに関わらず、世界中の人々の意思を繋げてしまう威力をも、ネットに付加することになりました。当然、ビジネス戦略方法も様変わりし、SNSで流れる情報を分析することの重要性が増している状態です。
それはもちろん、人と人の間を隔てていたあらゆる類の境界線を取り払い、全く新しい文化の発祥を促す力になるでしょうが、他方、言葉も文化も思想も異なる人たちが無理矢理繋げられてしまい、コミュニケーションもままならないという弊害も起こります。ネットがいくら普及しようが、コミュニケーションの主要手段が“言葉”だからですね。国ごとに異なる言語がある以上、相手と自分が使う言葉が違えば、相手の言葉を学びでもしない限り、意思の疎通は成り立ちません。
特に最近になって“言葉は無力だ”と感じる機会が増えたのは、私のようなつまらぬ人間ですら、言語の違いという大きな壁に阻まれて挫折する経験を何度もし、また、同じ言語を使う人間相手ですらコミュニケーション不能に陥る事態が増えたことが原因です。

…でも音楽は違う。歌詞の意味は分からなくてもメロディーは雄弁で、それを歌う人の感情をストレートに聴く者に伝えることが出来ます。ですから私は、音楽こそが世界を一つにできる共通言語だと信じていました。あらゆる国で生まれた音楽を耳にしながら、メロディーの底に流れる感情の普遍性を見出すにつけ、その考えは間違っていないという思いを強くしていたわけです。

しかしこの「25年目の弦楽四重奏」を観ると、音楽を“世界の共通言語”たらしめているのは、それを奏でる音楽家たちの不断の努力と多大なる犠牲のおかげだったと分かります。音楽があらゆる人たちのあらゆる側面の感情を代弁するのは、音を生み出す作曲家と、生み出された音に実体を与える演奏家の、双方の感情が全て注がれているせいでしょう。音楽に人生を捧げる人たちの存在があるからこそ、音楽は普遍性を持つのです。音楽は、音楽家達の人生を吸収して、普遍性を獲得するのだと言い換えてもいい。

ならば、そんな音楽家たちにスポットライトを当ててみれば、逆に人生についての光と影を辿ることができるかもしれません。大昔から今日に至るまで、様々なジャンルの音楽家たちについての物語が繰り返し語られるのは、音楽とエモーションと人生の機微といったものが、分かち難く結びついているせいだと思います。

この作品でタクトを振ったヤーロン・ジルバーマン監督は、まだあまり知られていない方ですが、以前にはドキュメンタリー映画を撮った経験があるそうです。そのせいでしょうか、この作品は、音楽という、ある意味人間がまともに立ち向かっても勝ち目のない巨大な魔物に全人生を捧げる音楽家たちの、その美しき音色の裏に隠された喜びや悲しみ、怒り、愛情、嫉妬やライバル心というネガティヴな感情までもを炙り出したドキュメンタリー作品だともいえますね。完璧な音楽を奏でる音楽家達は、世間からは名声をもって称えられますが、一方、完璧な音楽は、彼らに肉体、時間、技術、知性、全ての感情を死ぬまで差し出し続けることを要求します。つまり音楽家達は、彼ら自身の人生を文字通り全て犠牲にせねばならないのです。

ジルバーマン監督は、夫婦や師弟、同僚、友人や恋人同士といった、社会を構成する一般的な人間関係が、ある刺激によって緊張し弛緩し、変容していく様を描いて、人間の絆についての考察を映画にしたいと考えたそうです。前述したジョブスの話じゃありませんが、いくら世界が狭くなったからといって、そんな多彩な人間関係が一度に垣間見られる世界というのも、そうそうあるものじゃないでしょう(笑)。
しかし、複数の人間が、模索、議論、衝突、妥協を繰り返しながら、全員に共通した調和を目指していく音楽の世界なら、多彩な人間関係の織り成す悲喜こもごものドラマを凝縮した形で見られるはず。監督は中でも、4人の優秀なプロの演奏家たちが、共に切磋琢磨、心理的駆け引きを行いつつ、それぞれの共通点を探って力を合わせていくという、四重奏楽団(カルテット)の創作プロセスに注目したそうです。
なるほど、プライドもエゴも人一倍強そうな4人のプロフェッショナルが、一つのチームを構成するために心理的葛藤を強いられるカルテットは、裏にたくさんのドラマを隠していそうですものね。大人数のオーケストラよりも4人編成のカルテットの方が、ドラマ要素はうんと凝縮され、凝縮された分、鋭さと緊張度もいや増すという按配です。

解散した著名な楽団や、今でも活動中の楽団など、いくつかのカルテットをモデルにし、それぞれの楽団が持つ逸話を抜き出して組み合わせ、ピーター、ダニエル、ロバート、ジュリエットのストーリーが肉付けされていったそうです。
ピーターの発病、引退をきっかけに、これまで抑え込まれていたフーガ弦楽四重奏楽団のメンバーから、嫉妬、ライバル心、焦り、諦念、怒り、悲しみといったあらゆる負の感情が噴き出します。その不調和は、軌道修正されるどころかますます抉れに抉れ、次第に狂っていく調弦の中で繰り広げられる『弦楽四重奏曲第14番』さながら、最終的にメンバーの間に取り返しのつかない溝をこしらえてしまうわけですね。4人それぞれのエピソードの変遷については、上記したストーリーの通り。
しかし、4人が放り込まれるこの心理的カオスは、いってみれば、様々な形の“愛情”があるきっかけによってもつれ始め、もがきながら変容していく状態そのものです。そのカオスの果てに“完成された音楽”が生まれるのだとしたら、ワーグナーの名言の通り、音楽とは元来、愛情という指標でのみ生まれ、解釈される生き物なのかもしれません。


“芸術とは、最も美しい嘘のことである。”―クロード・ドビュッシー

この作品のクライマックスでは、弦楽四重奏団のリーダー的存在であったピーターが参加する最後の演奏会が始まる瞬間に…つまり、この映画そのものが始まる瞬間に戻ります。映画冒頭で、完璧な音楽を奏でるために完璧なハーモニーを保っているはずの4人の顔色がどこか冴えなかった理由も本編で判明しました。ピーターが四重奏から抜けるハプニングが引き起こしたパニックは、25年間抑えつけられていたピーター以外の3人の理性の箍を一挙に外し、ハーモニーを乱してしまったのですね。

その混乱そのものは、実は、4人が舞台に上がった時にも何ら解決したわけではありません。だからこそ、4人の顔色が冴えなかったのですが、新しいメンバーが入ったことで、音楽家達は己の真の使命…つまり、完璧な音楽を完璧に、しかもこれまでとは違った試みで奏でること…を思い出します。3人それぞれが抱えるトラブルも、お互いへのネガティヴな感情もほんのいっとき忘れ、音楽に魂の全てを埋没させる、それは彼ら自身の自我をも一つ残らず音色に捧げることを意味する、音楽家本来の生き方を取り戻すわけです。

新しいメンバーが入った四重奏は、それまでに起こったカオスにそっと蓋をし、そうすることで彼ら自身の心にせり上がってくる傷の痛みにもあえて笑顔を向け、またそのような矛盾と悲しみすらも音に注ぎ、完璧な音楽に奉仕する生活に戻ることでしょう。これからも、彼らは彼ら自身の心に最大限の美しい嘘をつきつつ、それでも力の続く限り、音楽の神に、芸術の神に全てを捧げる人生を選び取るはずです。そんな彼らの決意が映像に表れる、新しい四重奏の新しい演奏が始まる最後のシーンこそ、この作品の最も心打たれる瞬間でありますね。

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映画に“Fin”が出た後は、カルテットを演じた4人の名優―クリストファー・ウォーケン、フィリップ・シーモア・ホフマン、マーク・イバニール、キャサリン・キーナー―に盛大な拍手を贈りましょう。キャサリンの安定感、マークの繊細さ、フィリップの屈折した複雑さ、そしてそんな彼らをまとめあげた、クリスの清濁併せ呑んだ果ての滋味深さ。彼らの最良の演技と役柄への献身、今作が長編フィクション映画の処女作となるジルバーマン監督の、カルテットの人間ドラマが複数の音色の綴れ織りのように描かれる脚本と、無駄のない理知的な演出が、見事なアンサンブルを奏でた幸福な作品です。このアンサンブルは、今作を単なるクラシック音楽映画の域から、あらゆる人生を称える重厚かつ普遍的な人間ドラマに引き上げました。

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